下方婚であきらかに成功している例として自分を挙げたいがもうすでに終わったのとソースを出せないので、
リアタイ例としてhttp://www.kawauchisyun.com/ こちらの主夫さんを挙げておく。
また、勝間和代さん、女性芸能人(覚えてる限りで夫は歯医者など比較的高給とりだけでなく、ADや脚本家などもいる。歯医者にせよさほどの高給取りではないと思える)なども
おそらくすべて下方婚にあたるとおもう。
そのすべてが失敗例とはとても見えない。
(あとりゅうちぇるご夫妻なんかも最初色物扱いで女性のほうがしっかり稼いでいたように見えた。これは逆転婚とでもいうべきか)
勝間さんなど、結局は離婚しているものの、また再婚というかパートナーを見つけて子供を育てている。
旦那さんの意識を変えるのと、自分の属している方の意識を変える簡単な手として、
今は産休・育休を使って将来を見据えたり、あと体にうめこまれた出産ダメージという爆弾を除去してほしい。
だれにとってもこどもという愛しいくびきをつけたままの自己実現というのは難しいけれど、そのすべてが下方婚のせいではない。
これを言うのは残酷なことかもしれないが、あなたよりちゃんとできてる下方婚女性は現実にいる。
だんなさんも「生まれたての子供さえいなければ今すぐにも転職して上方婚状態にしてあげたい」と思っているかもしれない。
話し合うことが第一歩。
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26日の追記みたけど、貼ったリンク先を一個も読んでないよなーと。
ようするに、「男がこんなに気が利かないなんて。下方婚なんてするんじゃなかった」は二重に誤認がある。
あなたの男だけが気が利かないのであって全体に演繹してはいけない。
なので炎上ネタとしては男女ともにケンカを売るという基本的なやり方で成功してますが、
ほんとに胎盤剥離とかしたんならネットなんかしてないでとりあえず寝れば。
親戚に写真送って子守相談できそうな人を探すとか保育園活動とか解禁と同時に注射しまくりとか、別にやるべきことが相当あるわけで。
適量を欲しいだけ上手くチューニングされた形でそんなものを見たくなる時、そこは目的にあったところだった。
たまに変なのも混ざってたし、人にはとてもオススメしないけど、ちょっと曇った気分の時の時間つぶしに最高にフィットしてた。
もう、そこ更新されないんだけどね。
センスすごい。
妻は一銭も稼がず夫だけが稼いで、かつ夫が稼いだ金は妻が自由に使って夫にはわずかな小遣いしか渡らない、と言う前提なら
離婚して妻がどっか行ってくれた方が夫にとっても遥かに得では?
結婚してる状態なら夫は僅かな小遣いしか得られないのに、離婚すれば夫は財産や年金の半分以上が自由に使えるわけだよ?
逆に妻にとっては、結婚していれば夫の金の大半が自由に使えるのに
離婚すれば半分以下になって損だよね?
自分が今までやってきた些細なことややらなかった些細なこと、一個一個思い出して、全部自分が悪いんだって考えるんだ。
上手くいかなかったことや失敗したことでなくても、どんなことにもやっぱそうかなって思えることはある。
一人部屋の中でやってもいい。人ごみの中でやってもいい。どっちにしたって途方もなく孤独になれる。
一日で心の底からしにたくなるよ。
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えび達から地球を守ろうとするかに— ぬくぬくにぎりめし (@NKNK_NGRMS) 2018年8月24日
そもそも副流煙の問題に関して国立がん研究センターが適用している平山論文には有意差がない。彼の論文に書かれているのは9万人の喫煙をする人の配偶者が肺ガンで死亡した人数は32人、同数の非喫煙者は140人。割合にすると0.1:0.16。さらにソーシャルスモーカーの世帯(一般的な被受動喫煙者)は非喫煙世帯よりも肺ガンになる確率は低いとも示している。
またラットを用いた実験を示した論文ではラットを密閉した容器の中にいれそこにタバコの煙を漏らさず入れるという臨床的にありえない方法で実験しているものが多数ある。現実には大気中に散布した副流煙は1000倍~10000倍に希釈される。直接煙を吸わせれば焼き鳥の煙でさえ害になることは自明だがこれらの論文が禁煙運動の論拠にすらなっている。意味不明。
またタバコには発ガン性物質が含まれているが発がん抑制物質が含まれていることもほとんど知られていないし、アルツハイマーの予防に効く(喫煙者は非喫煙者の1/3)こともほとんど知られていない。ガンに関しても乳がんや子宮体ガンに関しては喫煙者のほうが非喫煙者よりも発がんリスクが低い。タバコの発がん性物質を言う人間は福島の風評被害にも積極的に加担していたクラスタなんだろう。みそ、しょうゆ、お茶、ワイン、水道水にも発がん性物質が含まれているしそれらもタバコの発がん性と大差ない。放射能と関連して言えばタバコ=福島だとしたらしょうゆ=東京程度の違いでしかない。つまり合理的な違いなどなく人々の認識や風評の差でしかない。
熟年離婚=「妻だけが美味しい所を持って行く」って認識になってる時点で、
ほほう。ではどんな曲を、聴けばいい?
こういう男を見ると
朝は腹痛で目が覚め、会社に行くとトイレにしばらく籠らないと席に戻れない。
元来、それほどお腹が強い方ではないが1日に行くトイレの回数が明らかに増えトイレに籠ると決まってしばらくの時間を過ごす羽目になった。
とはいえ、金曜の飲み会も大過なく過ごせたし今日の彼女と行く焼肉も一抹の不安を抱きつつ、まだ熟成焼肉への期待感が上回っていたのもまた事実だった。
そんな今日。
焼肉は、美味しかった。熟成焼肉と名乗り席も満席なだけあり質量ともに申し分なく彼女ともまた来たいね、なんて言ってたもんだ。肉のみならず、飲み放題メニューには複数のビールと富士山麓ハイボールなど自分好みの飲み物があり5から6杯程度飲み、その勢いを駆る形で2軒目にカラオケへと移動した。
彼女も自分も歌は苦手ではなく、back numberやRADを歌い順調な時を過ごしていた。ハイボールはカラオケに移りジムビームになっていたが、何の問題もないように見えた。
そして、用を足そうと2つ上のフロアのトイレに移動しトイレに向かったとき事件が起きた。屁だと思い力を少し入れた実が噴出したのである。それほどの量ではなかったものの、パンツを汚すには十分であり一部貫通しズボンにも届いていた。
もちろん、手をこまねいていたわけではなくすぐさまパンツとズボンを分離し実の除去にかかった。まだ完全な液体でなかったことが幸いし、パンツとズボンからの除去と拭き取りには成功し外見からは何もないように見えるものの匂いの不安と自分の中での気持ち悪さは拭いきれない。悪戦苦闘し、トイレで過ごす時間は10分に渡った。
当然、彼女が心配しないはずもない。LINEが鳴るが、真実を伝えるわけにはいかない。さらに問題なことに、今日彼女を家に泊めるわけにはいかなくなった。
動揺を悟られぬよう、カラオケの部屋に戻り彼女に腹痛を訴え帰ろうと伝えた。ただ、動揺からか伝え方が悪く彼女に怒っているように伝わってしまった。彼女には何も怒っていない、怒りの矛先は自分の後ろにあるとはいえずともかく体調が悪い帰ろうそして今日は泊まりは中止だと伝えた。
はてさて、なんとか途中で彼女を撒いて帰ってきた。彼女にはLINEで平謝りだが、漏らした形跡を悟られず処理することを考えれば謝罪なぞ安いものである。
しかし、まさか自分がこうなるとは思わなかった。はてなーの苦労を鼻で笑ってきた自分を罵りたい気持ちでいっぱいである。
若かりし自分でないことを噛み締め、腹の調子が悪い時に調子に乗らないことを肝に銘じ洗濯機を回しシャワーを浴びて寝ることにしよう。もっとも、家のトイレからかれこれ20分離れられてないのだが…。
いいですね、なんだか眠く、なってきたよ…
他にも
『イジメ』
『恋愛』
『ボッチ』
『胸糞』
『成長』
『停滞』
とか色々思いつくんだけど、
多分一番本質にあるのは
『自己弁護』
なんじゃないのかなって。
この作品って、どのキャラが自分にどういう理由付けをしてそういう行動に出たのかが徹底的に描かれていると思うんだよね。
キャラの行動に読者が納得するのに必要だからとか、キャラの心情を描くことで読者に共感や衝撃を与えたいとか、そういった一般的なレベルじゃ収まってない。
回想シーンを挟んでいるだけじゃなくて、モノローグを入れているとかだけじゃなくて、人間がある程度雰囲気で動く部分のその雰囲気がそれぞれどうなっているのかまで徹底的に描写しようとしているというか。
その上でどのキャラも自分なりの理由付けがあって、一見すると不可解とも言えるほどの暴挙に出るんだけど、本人の中では本人なりの屁理屈が通っていて、それが無理筋だと本人もわかっている時ほどタップリと言い訳が塗り込まれて、それを勢いで押し切って自分の生き方は正しいと自分や周りに必死に言い聞かせようとしている。
物語上フォーカスがあたっている大部分のキャラが「私の生き方こそが正しいんです」と言い張りたがり、時には「あのときは間違ってました。それを償おうとする今の私の生き方は今度こそ正しいのです」と言い張ったり、「いいえやはりあの時の私は悪くありません。悪かった部分もあるが必要悪だったので私の存在そのものが悪とは言えません」とわざわざアピールしてくる。
それらは一概に正しいとは言えない意見ばかりではあるし、むしろ主要人物の言ってることはエゴイストの暴論ばかりですらあるんだが、あちこちから不条理や不合理が飛んでくる世界の中で自分らしく生きながらも自分は正しいと言おうとしたらそうやって言い張るしかないという気持ちには共感できるし、そうすることをやめてただ黙って周りに合わそうとしたらやがて何もかも奪われてしまいそうなほど現実は理不尽で窮屈だってことにも共感できる。
そういうわけで自分は、聲の形のテーマは『障害』や『イジメ』ではなくて、『自己正当化』や『自己弁護』や『自己憐憫』であって、あくまで『障害』も『イジメ』もそれを表現するための舞台装置ぐらいの物と認識してもあながち間違いじゃないのかなと考えました。
いかがでしたでしょうか?
違うな。仕事の内容を伏せてたら応募があるし。