はてなキーワード: 裁量とは
http://anond.hatelabo.jp/20111209095945
ライフハックとか自己啓発とかの記事の中には、単に昔から上司が部下に教えてきた「普通の仕事の常識」のポイントをまとめたものにすぎないものも多くって、それって、どこが啓発でどこがハックなんだよ、単なる新入社員教育じゃん、みたいなところがある。
fromdusktildawnさんのこれは名言やなぁと思う。
というわけで、ライフハック好きの人たちのために「色々漁るよりまず基礎固めしろ」ということで新入社員をターゲットとした自己啓発書をおすすめする。
良書に特徴的なのは「上司の単なる言いなりのロボットではなく、会社から必要とされる人間になるためには何が必要か?」という問からスタートしていること。
それに対して、「まず会社という環境で自分の居場所を確保せよ」「まず存在を認められる何者かになれ」ということを目標に掲げ、そこから応用していく仕組みになっていく。
この2つについて、読んで満足して終わり、のスローガンではなく、実際にステップを踏んで実践方法を書いてある。
新入社員だけでなく、未だに会社で居場所がない、何者にもなれない、と感じる人間は大勢いて、そういう人はライフハックを求めているのだと思う。
難しいやつは読んでも実践できないだろうから、まず「ライフハック入門編」「ライフハックを実践できる自分の確立」を目指してこういうところから読んで行かれると良いと思う。
自己啓発目的なので、考え方やコミュニケーションを中心にして、「マーケティング」や「会計意識」などについてはあえて削除してます。
http://www.amazon.co.jp/dp/4480878181/
新人にとって最初にぶつかるであろう社内コミュニケーションに関する話が中心の本。
自分の立場をしっかりと確保するための戦略について述べられています。
http://www.amazon.co.jp/dp/4478015422/
酒井譲さんの「リーダーシップでいちばんたいせつなこと」とどっちかで迷ったけどこちらをチョイス。
ちょっと要求レベル高いです。自己裁量で動き、成果を挙げるところまでについてのアドバイス。
http://www.amazon.co.jp/dp/4479300554/
この本でなくても良いです。なんでもいいので、最低1冊はコーチングの本を読みましょう。
書いてる内容が直接役に立つことは少ないでしょうが、
自分の心に問いかけ、気持を開示することによって、自分の意識を変えうることは知識として持っておきたいところ。
自分だけでUnlearningが出来るかどうかは人によりますが、他人やツールの力を借りればだれにでも可能です。
行き詰まったときなどに、このことを知っていると必ず力になります。
「自分がやるべきこと」と「自分のやりたいこと」の区別、すりあわせなどもコーチングの得意分野です。
http://www.amazon.co.jp/dp/4422100513/
定番ですが、本当に本書に書かれていることを実践すれば効果があるのだから仕方が無い。
これは新入社員の時にこそ読んでほしい。力がないからこそ真剣に読めるはず。
Wikipediaとかで項目だけ読むのはNG。ちゃんと本に挙げられている実例とともに読もう。
「人を動かす三原則」「人に好かれる六原則」「人を説得する十二原則」「人を変える九原則」とありますが、新入社員にとって重要なのは前の2つ。
まず「人を動かす三原則」だけを10回くらい繰り返し読むべし。これが身につくまで先に進まないほうが吉。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4766416244/
あえて「学問のすすめ」ではなくてこちらを。実際こっちを先に読むべきだと私は思う。
新入社員である自らを、「列強国に囲まれた日本」「他国と対等に語る手段や言葉を持たぬ日本」といったイメージにあてはめて読むと心にグッときます。
危機感が足りないと思ったらこの本読んで喝入れましょう。
http://www.amazon.co.jp/dp/4569571182/
新入社員にとっての最終関門。
一言で言えば社内で「会社人生におけるメンター」を獲得するための戦略について書かれている。
この本の要求をクリアできれば会社で成功するのはほぼ約束されると思う。
ただ少し古い本なのでアレンジも必要。今は社内にこだわらずWeb上に目標となる人やメンターを見つけるのもよいと思う。
http://www.amazon.co.jp//dp/4561233857/
この本じゃなくてもいいですが、セルフアセスメント(自己評価)のためのツールは何か持ってるといいと思います。
3年ほど前に「さあ、自分に目覚めよう」のストレングス・ファインダーがブームになりましたが、コミュニケーションのきっかけとしても便利なのでお勧めです。
定期的に「客観的な基準で」(社内の基準ではなく)自分の棚卸をする習慣がないと、会社の中で腐る危険があります。
http://www.amazon.co.jp/dp/4904336275/
セルフアセスメントとのバランスとして、組織のアセスメント手法も学んでおくとなおグッドです。
ジョブズを絶賛しているような人はアップル社は客観的に評価するとどういう会社なのか、などがわかって楽しいでしょう。
ただちょっと値が張るので、組織文化の分類にどんなものがあるのか、とチェックシートだけを立ち読みするくらいでいいと思います。
一方、読むべきでない本
タイトルからはわかりにくいですが採用活動に関するアドバイスの本です。
悪いことは言わないから読むのやめておこう。確実に胸糞悪くなります。
この人も中小企業のオーナーであり、また採用活動のアドバイザーです。つまりきれいごと理想が高いです。
自らの採用スキルの高さを強調し、自社のブランド価値を高めたいのはわかるけど、基準に満たない学生の扱いがひどいことになってます。
ただ、一般に上の人は新入社員をこういうふうに見ているということは嫌というほどわかるでしょう。
ある人がいかに仕事熱心かということを伝えたい場面があるとする。
「あの人は何時から何時まで仕事をしているんだよ」という言い回しですぐ伝わるのに、アメリカ人にはあまり伝わらない。
何時に出社して何時に帰るか、勤務時間や勤務日をどう割り振るかという話は、
そもそもそういう評価基準を持ち合わせてないかのようで、労働時間自慢な表現に意味を見いだせない様子だ。
労働時間で「今日は仕事したなあ」と感じられる自分は、当初勘違いをしてしまっていた。
周りが5時に帰るのを見て、5時に終わるのが当たり前だと考えるようになってた。
結構な時間が経って気付いたのだけど、こちらの人はそういった価値観で行動してはいなくて、
5時に帰るのも真夜中までオフィスにいるのもさほど違いはないんだな。
5時に帰る人が真夜中まで働く同僚を不器用なやつと見下げることもなければ、長い休みを取る同僚をさぼっていると見なすこともない。
相手は相手の信念に基づいているし、俺には俺のペースや感性にあったリズムがある。
そこを理解しているから、バラエティに富んだワークスタイルが自然と社会に受け容れられる。
その裁量の自由度があるから、ソサエティとしてアメリカを眺めると層の厚みを感じさせる。
その人の業績やどんな仕事をやり遂げたのかを話すと、伝わったなという手応えを得やすい実感だ。
自由な生き方が許される場所で、自分もまた自由な考え方を手に入れたつもりでいるのに、
たまにそういった社会を目の当たりにして「5時に帰る」ことに衝撃を受け、
ウィキペディア日本語版では、ユーザーの世代交代が進みつつあるという感じがある。
特に今年4月くらいから、それを象徴するような出来事がいくつかあった。
まず一つ目は、管理者二人がアカウントを不正に共有しているのではないか、という疑惑に端を発する、管理者辞任の騒動。
詳細は「Wikipedia:コメント依頼/婚姻・それに準じる場合のCU権限について」あたりから。
そもそもの始まりは、荒らし目的の多重アカウントに対抗するためにルールが厳格化されたことだった。
「荒らしが何かやらかす→それを見つけた管理者が荒らしを投稿禁止にする→荒らしが新しいアカウントを作ってまた同じことをする」とか、
「荒らしが複数のアカウントを使ってあたかも別人のように議論に参加し、特定の意見を多数派に見せかける」とかがそれにあたる。
古いルールでは、「悪いことをしないなら、非公開の多重アカウントを持っていてもいい」となっていた。
要するに、普段は歴史系のお堅い記事ばかり書いてる人が、
アニメの記事を書くときは恥ずかしいから別アカウントにしたい、というようなことが許容されていた。
新しいルールでは、非公開にしてはいけない(つまり同一人物だと明記しないといけない)、ということになった。
それだけではなく、同一人物でなくても同一世帯に住んでいてIPアドレスが同じであるなら、
事実上見分けがつかないので、その場合も「同一世帯にいるよ」と言っておかないといけないことになった。
ウィキペディアでは、アカウント持ちユーザーの接続元IPアドレスは、
ごく限定された管理者数名(チェックユーザー権限が必要)にしか見られない秘密情報だし、
よほど露骨に互いを持ち上げ合ったりしていなければ、疑いをかけられることもない。
ことが公になり始めたのは、本人たちが同居を臭わせる発言をしたところからだった。
片割れが、エイプリルフールの冗談の一環として、相手の人と「新婚旅行のため」ウィキペディアを休みます、という発言をした。
これと前後して、チェックユーザー権限持ちの管理者がIPアドレスをチェックし、
「接続元を共有しているにもかかわらずそのことを明言していない」という点でルール違反の状態にあることを公表した。
明言していないのが問題なら明言すればいいんじゃないの、となるだろうけれど、
なかなかそうは行かなかった。
まず、同居というのは(少なくともこの二人にとっては)けっこうプライベートな情報で、積極的に公開したいものじゃない。
おそらくそれに加えて始まりがうっかりした失言だったこともあって、本人たちは対応を1ヶ月近く渋った。
他のユーザーからは、問題の二人自身がチェックユーザー権限持ち、ということが深刻に受け止められた。
非公開のIPアドレスの記録からIPアドレスの一致を確認して、多重アカウントを摘発する立場である人たち自身が、
しかもそれを指摘されてから長い間、何も対応しようとしないのは明らかにまずい、と考える人が多く出た。
一方で、「特に悪いことはしてないし、ルールの精神に照らし合わせれば問題はない」という意見もあった。
「同一人物なのに複数の人物を装って議論に参加していた」わけがない。
あくまで形式的には抵触するというだけのことだから、目くじらを立てることはないという意見。
特にベテランで、当人たちと親しくしていると見受けられる人からは同情論が目立った。
その後の顛末は「Wikipedia:コメント依頼/婚姻・それに準じる場合のCU権限について」からたどれるけれど、
結果としては本人たちが管理者やチェックユーザーの権限をすべて返上することで収束した。
状況説明が長くなったけれど、この一件から読み取れると思うのは、
古いユーザーには、
「実質的に問題でないのなら神経質にルール違反をとがめる必要はない」
という傾向が強い。
新しいユーザーは、
「ルールは守るために作ってるのだから、形式的に守って当たり前」
「チェックユーザーや管理者ならなおさら厳密に守らないと、示しがつかずルールが形骸化してしまう」
と考える傾向が強い。
ウィキペディアの古い時代には、そもそも活発なユーザーは互いの活動を知っていて、
誰が信用できる人なのかは分かっていた。
だからルールはそもそも少なかったし、形式的なことで細かくとがめる人もあまりいなかった。
最近ではそれが、個人個人の信頼と裁量に任せたやり方を、形式化されたルールで置き換えていこうという風になっている。
というのも、信頼ベースでやっていると、それ自体が新しい人に対する参加障壁になってしまうからだ。
新しくウィキペディアに来た人から見ると、誰が常連で信頼されているのかというのはすぐには分からない。
そこで「この人は常連さんだから、例外的に大目に見られてるんですよ」などと言われても困惑するだろう。
「昔は活動的で信頼されていたけれど長い間休んでいる」というような人の扱いにもややこしくなりがち。
久しぶりに戻ってきて昔の感覚で自由にやると今はルール違反、みたいなこともよく起こる。
今回の場合、二人が古い意識でいて、ことを大きくせずに終わらせたいと考えていたところ、
本人たちにとって不本意な結果に終わってしまった、というように見える。
形式化されたルールを重視する人が多数派になっている、という意味で、
この出来事はユーザーの世代交代を象徴する出来事だったように思う。
もう一つは「秀逸な記事」からいくつかの記事が除去されたという話、だったんだけど、
サッカーにおいて、主審は「絶対だ」。でも僕はその絶対性を大きく見誤っていた。
以下は先日ちょっと話題になった「試合終了の笛のあと、それを覆した主審の決定」についての、高体連の判断。これは日本サッカー協会との相談の上での判断だから、JFAも同様の見解であると考えてもいいだろう。
試合の映像は、多摩大目黒高校のゴール前で帝京高校に与えられた間接FKが行われる前に、多摩大目黒高校の選手が前進し、規定の距離を守らなかった事実が確認できる一方、その後、多摩大目黒高校の攻撃に移った後、主審が試合を終了していることも確認できます。さらに、副審が多摩大目黒高校の反則について旗を上げていたことから、主審はそれを採用して試合終了の決定を覆し、帝京高校に再度間接FK を与えていることを見ることが出来ます。
現行の競技規則第5条・主審の決定によれば、「プレーを再開する前、または試合を終結する前であれば、主審は、その直前の決定が正しくないことに気付いたとき、または主審の裁量によって副審又は第4の審判員の助言を採用したときのみ、決定を変えることができる。」となっており、主審が試合を終結させた後に帝京高校に間接FK を与えたことは、競技規則を誤って適用したことに
なります。しかしながら、同時に同条前半には「プレーに関する事実についての主審の決定は、得点になったかどうか、また試合結果を含め、最終である。」と規定されていることから、その後の延長戦での判定や試合結果を含め、変更することは出来ません。
従いまして、東京高体連サッカー専門部としましては、平成23 年9 月18 日に行われました、多摩大目黒高校対帝京高校の試合結果を変更することは出来ないと判断することに至りました。
上の決定は、要するに「ルールに違反した主審の決定は、有効である。」ことを示している。
ルールに則れば、当該主審は試合終了の後に、決定を取り消すことはできない。だけど主審は「絶対」だから、その決定を取り消すことができる。
いったいなにが起こっているのだろう?
例えば、とてもバカな主審がいて、キーパーはどこでも手を使うことができると勘違いしていた。キーパーは試合終了間際のCKにあがっていって、何を考えたのか手でキャッチしてゴールに分投げた。主審はバカだったのでこれをゴールと判定した。ルールに則れば、手を使ってはいけない。これはファールである。でも主審は「絶対」なので、ゴールは有効である。主審がバカなことに気づいたキーパーは、自陣からボールをラグビーのように持って言ってゴールに入れる。主審はこれを認めることができる。ありえない想定だが、しかし、上の高体連の判断に則れば、これは有効な試合である。
今回の判断によれば、主審は試合が終わったあともそれを覆すことができる。ところで、主審はいつまで主審なのだろうか。フィールドから出た時?審判のユニフォームを脱いだ時?家に帰って奥さんと子どもに「ただいま」をいった時?試合の報告書を提出した時?分からないが、主審が主審であるかぎり試合は覆せる。もし彼がいまだ主審ならば、マラドーナのゴールを今から取り消して再試合をさせることだってできるのだ。バカバカしいが、しかし主審は絶対である。
まさかと思われるかもしれませんが親の中には「家に居て欲しくないから」という理由で塾に行かせている親がいるという事。
共働き親が学童保育代わりに塾を使うのはごく当たり前の話。嫌なら学童保育を完備しろと政府にでも訴えとけ。
それでも「学童保育でただ遊ばせてるよりは塾の方が勉強教えてくれるから一石二鳥」親の方が多そうだけど。
最後に、いわゆる知恵の遅れた子供の話です。知能障害と言っても色々あるようにどう考えても今の制度では普通の学校ではなく養護学校などに行くことになってしまう場合もあれば「際どい」という場合もあります。比較する事がそのまま良いとは思いませんが、同年齢の児童と比べても明らかな差があってもある程度は親の裁量で普通の学校に行く、もしくわ養護学校側から断られる場合もあるでしょう。
養護学校(今では特別支援学校と言う)は入学希望者が多すぎてボーダーラインの子はなかなか入れないのが現状。
これも政府が何とかするべき話だわな。
正直あまり良い話ではないのですが、貴重な経験であった事と、これを読む人にとっても、そういう事ってあるのだなという意味で、まあ他人の経験談って何かと考える時の材料になるので書こうと思いました。
っていうよりも自分の一つの記憶として一度整理しておきたいなと思ったってのが本当かもしれません。
あれは2008年の春の終わり頃だったのでもう3年も前ですが、ある個別指導の塾講師として採用され働きはじめた時の事でした。
それまで個別指導というのは家庭教師と同じ事をただ塾という場所でやっているものだと思っていたのですが、どうやら個別指導というのは会場に教壇や黒板のような物がなく、一人一人の生徒が個別に課題に取り組み個々の生徒の申し出に応じて講師が席まで行って個別に教えるというものだという事をこの時知りました。もしかしたら塾によって色々と違いはあるかもしれません。
だから同時に学年の違う生徒が同じ部屋で勉強できるので稼働率という意味では良いのかもしれません。それに講師の個々の技量もありますが、課題を制作するのは本部なので、その課題の出来具合も生徒の伸びが左右される、そんな所でした。
判ってはいたのですが、けっこうなハードワークで時には何十人もの小中学生のマシンガンのように「先生!」と呼びつけられます。朝は昼過ぎから始動なのでのんびりしていますが午後は終電少し前くらいまでが普通でした。
そんな中、接する事になった生徒や親、そしてそれに対する塾としての在り方として、どうしても嫌になってしまった事がありました。嫌な話をするのは嫌ですが、色々と考えさせられたという意味では良い話です。
一つ目は「え?」とビックリしてしまった親の話、まさかと思われるかもしれませんが親の中には「家に居て欲しくないから」という理由で塾に行かせている親がいるという事。本当にこれにはビックリしました。そんな発想はどこから出てくるのかと、ただ例え口でそう思っていると言わなくても態度や対応を見ていればそうとしか思えない。勿論断定するわけではありませんが「ああそうなんだな」と誰でも感じる事はあるでしょう。
それが僕の頭の中に浮かんだ印象です。
しかし、だからと言って塾として預からないわけにもいきません。なんか悲しくなりますよね。なぜ?なぜそんな親の手助けみたいな事をしなければならないのか?勿論塾として経営状況が素晴らしく良ければ、その事が子供にとって良かろうと悪かろうと塾としては生徒本人の「学びたい」「塾に行きたい」という意思を尊重すべきだと思うので、そういった場合拒否する事も不可能ではないでしょう。
そして、次これは小学5年生くらいの双子の女の子の話です。ちょっと記憶があいまいなのですが、たしかその双子の親は娘達を受験の必要な私立に中学に行かせたかったみたいなのですが、片方の女の子は良かったのですがもう片方の女の子があまり勉強が好きではない様子。やりたくなくてやりたくなくて仕方がなくすぐにイタズラ書きなど始めてしまい。「同じ学校に行けなくなると」と言っても「別にいい」という様子、そして母親は講師に対し「もっと厳しくお願いします」というもの。
だいたいにおいてそうですが「やりたい!」と思わせる事も大事ですが、色々とむずかしいものです。
最後に、いわゆる知恵の遅れた子供の話です。知能障害と言っても色々あるようにどう考えても今の制度では普通の学校ではなく養護学校などに行くことになってしまう場合もあれば「際どい」という場合もあります。比較する事がそのまま良いとは思いませんが、同年齢の児童と比べても明らかな差があってもある程度は親の裁量で普通の学校に行く、もしくわ養護学校側から断られる場合もあるでしょう。
例えば6年生で10÷2を計算する時に一々
2×1=2
2×2=4
2×3=6
2×4=8
2×5=10
あっ答えは10だ!ってならないでしょ?
この子は確か九九を覚えていなかったのか、知能の問題で九九を覚える事ができないのか不明ですが、一私塾でそこまで広範囲な性質を持った児童にまで対応しきれません。こんな状態であるのにも関わらずそこに、さらに親の「息子に遅れがある」という事を認めたくないというエゴが相まりその児童に対し塾として毎日何時間もただ右から左へ数字を移動するだけのような拷問にも似た作業をさせ続けるという事をしなければなりませんでした。
かなり主観としての表現なので、そんな事でも長い目で見ればその子の役に立つ勉強なのかもしれません。けれどその時の自分にはどうしてもそうは思えなかったのです。
もちろん、こんな嫌な話ばかりではなく、伸び伸びと成長していく子供達とかかわり、元気がだだ溢れる環境で働けるというのはとても素晴らしい事であるし、一定の生徒にとってはとても有効に活用できる場でもあると思います。
ただ自分にはやっていけないなという思いと、どうにもならないなという無力感に尽き。その仕事は辞める事にしました。
今この瞬間も塾という場を利用して我が子を苦しめている親がいるかもしれないのかと思うととても悲しいですが、そういう事もあるのだなと知れた事が自分にとってはとても良い経験になりました。
子供は親にとっての何なのだろう?
お手伝いしなさい! なんて命令はなんの為?
例えば、食器洗いにしてみても
いまだに「嫌だったのにさせられたなあ」と思いだします。
そういう記憶だけはある
「いい いい 俺洗うから」とか
誰かの家で御馳走になった時に
「御馳走になったし、皿くらい洗わせてよ」
などと言ってしまう
洗っていいよ!だとか言ってしまったり
お母さん!ありがとう!
でも、こういう作業は嫌がる人の方が多い世の中だから
してあげると喜ぶよ!って教えてくれれば
それで良かったのに
教育問題が取りざたされて久しい。
私はとある私塾の講師として授業を受け持っていて、担当は高校3年生が中心である。
高校生ともなれば、ある程度の学力のばらつきが出るのは当然であり、
高校の授業内容を全員が等しく身につけることは必須ではない。
有り体な言い方をすれば、良い大学を受験したい人はしっかり勉強すればいいし、
そうではない人は適当にやっていればいい。
実質的に教育問題とは、とくに初等教育の問題であると考えてよいだろう。
特に、生活のリズム、社会のマナーを身につける小学校という場について考えてみたい。
一般的なのは、教育系大学あるいは教員養成系教育学部をもつ大学に進学することである。
http://www.keinet.ne.jp/doc/dnj/rank/12/k205.pdf
を見てみると、教員養成系の大学の偏差値は50~55程度が多いように見受けられる。
これらのレベルの大学を卒業した学生が教員となり、現場で児童に教育することになる。
http://www.keinet.ne.jp/doc/dnj/rank/12/k203.pdf
自分の高校時代を思い浮かべてもらいたい。
偏差値70のトップレベル集団と、平均点そこそこの集団は違う。
具体的な人間を思い浮かべてみてほしい。
さて、教育特に初等教育は、親からの目が特に厳しい職業である。
小学校の教員のもとには毎日まさに鬼のようなクレームが寄せられるらしい。
そんな業種として、他に医療が挙げられる。
そしてその医療の担い手として大きな役割を果たすのが医師である。
医師になるためには医学部医学科に入学する必要があり、その偏差値は理系の中でもトップクラスである。
http://www.keinet.ne.jp/doc/dnj/rank/12/k210.pdf
によると、国公立の医学部医学科の偏差値は65~70程度が多い。
教育も医療も、周りの期待が大きい。耐え切れないほどの重圧がのしかかる。
教員の立ち振る舞い方で、児童はいかようにも変わっていく。それが初等教育であると考える。
かつて、私立医学部に入学するのに必要な偏差値は50を切っていた時代があった。
今では軒並み65程度まで上がっている。
医療の現場では、患者やその家族との信頼関係を作るように現場レベルでの指導が行われ、徐々に大学医学部での教育も変容しつつあるようだ。
教育も同じであるべきである。その時に求められるのは教員がいかに児童や保護者との信頼関係を気づいていくか。
それを念頭に置いた教員養成のための教育が、今の限られた教職課程の授業の中で行われているのか。
そしてそれを実現できうるレベルの学生が今の教員養成系の大学に集まっているのだろうか?
教育を本当に志す者のための教員養成機関になっているだろうか?
決して、就職先がない人の掃き溜めであってはならない。
強い信念を持った素敵な教員が増えることを願ってやまない。
追記 :ごめんなさい、小学校受験って書いたけど書き間違い。中学受験の話だよ!・・・いや、ほんとにごめんなさい。恥ずかしいです。
特に、友たちを敵視するような発言をしている親の子供が合格する可能性は低い。
2 「勉強のカリキュラムは塾が、精神面は友人が、身体面は親がサポートする」この基本的な役割を極端に逸脱する家庭では確実にうまくいかない。
親が最も力を発揮するのは、褒めることと、調子がわるい時にフォローすることであり、それ以外に考えなしに手を出すと大抵悪い結果になる。
3 子供が主役で親はサポートであるという原則が理解できていない家庭は確実に失敗する。
例えば親の子供の勉強のやり方に細かく口を出す家は途中で挫折しやすい。
今ひとつぴんと来なかったので、「駄目な方じゃなくて、子供を合格させるために心がけていることは何?」って聞いたら
それは「子ども自身が勉強や、塾を楽しいと思えるようにすることだ」って教えてくれた。
一言で塾に行くと行っても、
みんなが遊んでる中自分は塾のために早く帰らないといけなかったり、
行き帰りで電車に乗らないといけなかったり(車で送り迎えする人もいるが)
2時間座りっぱなしで授業を聞かないといけなかったり、
試験の成績が思うようにうまくイカなかったり、
どうしても勉強に身が入らない時もある、と。
そういう時に例えば一緒に勉強する友達やライバルがいるといないで踏ん張りが全然違うし、
自分の力で頑張っているんだという思いが強くなればなるほど勉強も楽しくなる。
親が塾の先生の信頼を失わせるような発言をしたり(複數の命令系統)
子供のコントロールを奪うようなことをすると、子供のヤル気がみるみる無くなってしまうのだ、と。
そのためにも、自分がもっとも役に立てるところはどこかを理解して欲しい、と言っていた。
ところが、何度保護者向けに説明をしても、分かってもらえないことがある。
特に、成績が悪い子供の親に限って、一から十まで全部親が口出しをしてしまう。
成績の悪さを友達や塾、さらには子ども自身が真面目にやってないからだといって敵視してしまう。
しかも、成績がどうしても上がらないとき、子供に向かって諦めの言葉を投げかけたりする。
必要以上に気負って空回りを続けた挙句、先に焦げ付いてしまう。
この人が働いている塾では、2年前から夏休み期間中、成績が悪い子供向けに合宿形式を取り入れることにしたらしい。
スパルタ形式をイメージしていたが、実は子供を親から引き離してリラックスさせ、ヤル気を取り戻させることが主眼だという。
ところが、去年、早速一人の親が、合宿所に乗り込んでくる騒ぎがあり、存続が危ぶまれているのだとか。
なんというか、子供も、それを教える人も、真面目にやればやるほど大変だなぁ、と思う。
これでも塾はまだ裁量の幅が広いほうだと思う、学校はもっと窮屈そうだ。
追記2:受験と人生とは関係ないという人がやたらと多いですね。受験に失敗したほうが人生成功するとまでおっしゃる方も。
まぁそうかもしれませんが、ここでは受験というプロジェクトの話をしているので・・・。
その感想、というか持論なんでしょうがこの記事に対して書く必要があるんですか?
受験関係の記事がホッテントリしたら自動で吐き出すBOTですか?
はてブのコメントって時々「記事読む必要あるの?」って思う結論ありき、どころか記事読んでないかのようなコメント書く人が多くてうんざり。
この話を聞いた後でも、個人的には中学受験の頃は、親はもっといろんなことをやらなければいけないと思っています。
だから、こういうところが違うのでは、って言うのは大歓迎ですよ。
追記3:「プレジデントファミリー」を読むような親は最初からこの話の対象外です。
追記4:あとね、学歴の話する人多いね。あえてそれをこの記事から切り離して書いても、その話に還元したがる人が多いのね。
確かに低学歴の親御さんは、自分の受験経験から正しいやりかたが何か分からないかもしれない。
でも、だからこそ、最低限のラインあるいは、一番大事なことは何かを聞いて、それだけは守ろうね、という話を書いてるわけです。
それを「低学歴だからしょうがない」でスルーされると、この記事全否定なわけですよ。マジで勘弁して下さい。
自分が低学歴で無知だと思うならなおさら情弱でもなんでもいいからプレジデントファミリーとか読めばいいんじゃないかな。自分より塾を信頼したらどうかな。
首相のオツムがアレ。学歴的には正反対なのに何故かどっちも馬鹿。
斜め上の理念(「真保守」や「友愛」)が先行して経済政策などの見識が付いてきていない。地に足の付かない政治。
ねじれ状態(もしくは参院選即突入でねじれ必至状態)でバトンを受け取る。
所信表明してすぐ外遊して帰ってきたらもう内閣が爆散していた麻生氏。就任してすぐ党内で倒閣が始まっている菅氏。足元にいるのが馬鹿か敵ばかり。
よりにもよってねじれの真っ最中に国難に見舞われる。かつその状況下で野党が後先考えずに審議拒否する政局。野党の馬鹿さがピークに達する。
立法が全く(菅)ないしほとんど(麻生)機能しないため、行政の裁量で危機を乗り切ろうとするのが常態化。
財務通の財政再建論者で、どちらかというと調整型のキャラ。そして地味。
ねじれに対しては諦観に近く、とにかく野党が審議拒否しないように調整するのが仕事。
少しだけ政治も安定するだろうが、福田政権が長続きしなかったように、野田政権も長続きしない可能性が高いだろう。
後ろ2人の順序が前後しているが、なんか似てるなーと。民主信者や自民信者は「全然違う」って言うかもしれないけど傍目には、ね。
ほむ「まず、このスレで書いてあることは全国のコンビニで起きているわ。ロー◯ンだって例外じゃない。」
Q「そんなのコンビニだけに限った話じゃないよ。どこの業界だって廃棄はある程度だすものさ。
Q「暁美ほむらきみは・・・。」ほむ「あなたたち本部が廃棄を他の業種以上に強要するのにはもう一つ理由があるはずよ。」
ほむ「それは特殊な会計方式によって廃棄から多大な利益を生むことができるからよ!!」Q「・・・。」
杏「ああっ!?そんな事聞いてねーぞ!?」Q「聞かれなかったからね。」
杏「ああ!?テメー、一番くじの一等賞にして捌くぞ!!」ほむ「杏子ちゃ人身売買はやめて!」杏「売らー!」
マミ「暁美さんその特殊な会計方式は本部に多大なメリットを与えるの?」
ほむ「ええ、廃棄だけでなく万引きなどによる棚不足からも利益を生むわ。当然、私たち加盟店からその利益分は引かれるわ。」
マミ「そんな!!そんなことしたら値引きしてみんな売り切るしかないじゃないっ!!」
Q「マミ、見切り販売なんてしちゃダメだ!そんなことしたら全国で値段のパワーバランスが崩れる。
全加盟店に迷惑をかけることになるんだよ。」ほむ「いいえ、あなたたち本部が恐れていることはそんなことじゃないわ。
あなたたちは見切り販売が行われることによって廃棄、つまり収益が減ることを恐れているのよ!
だから、加盟店の裁量で値引きしようとすると、契約の破棄を匂わせて、私たちの生活権を脅かす。
つまり、公正取引委員会から排除命令が出た今でも見切り販売の制限は秘密裏に行われているのよ。狡猾にね。
未だにコンビニで見切り販売をあまり見かけないのはこうした理由からだわ。」
杏「テメー!!おでんの具にして捌いてやるよー!!」ほむ「杏子ちゃんQ肉販売はやめて!!」杏「食うかい?」
Q「やれやれ、君たち加盟店はいつもそうだ。契約した後になって騒ぎ出す。
僕たちはあくまで君たちの合意を前提に契約しているんだ。なんの問題もないはずだよ。」
ほむ「しかし、口頭のよる説明は必ずと言っていいほどしないわ。それにあの記述だけでは誰だって何のことだか分からないわ。
事実、コンビニ会計を知らない加盟店の方が圧倒的に多い。これだけでもあなたたち本部の説明義務違反だわ。」
Q「じゃあ、公取にでも申告すればいい。」ほむ「無駄よ。あなたたちの経産省側の議員への献金が効いているわ。」
まど「ほむらちゃん、私たち加盟店は一体どうすればいいの・・。」
ほむ「FC法よ。議員に呼びかけて本部の暴走を規制する法律をつくるしかないわ。」
マミ「でも議員は献金で抑えこまれてるのでしょ?私たち加盟店は円環の会計に導かれて搾取されつづけるしかないのよ。」
ほむ「いいえ、世論を動かすのよ。世論が動けば議員も動かずを得ない。このことは一般的には知られていないわ。」
さや「そうだ!!マスコミよ!!新聞社に駆け込めばいいんだわ!!」
ほむ「無駄よ。」さや「えっ!?」ほむ「マスコミにとって本部はスポンサーであり、流通元だわ。耳を貸さない。」
さや「そんな・・。私ってホントばか・・・。」杏「さやかー!!」マミ「逝ってしまったわ。円環の・・」
まど「そんなのってないよ。それじゃ電力会社と変わらないじゃない。」
ほむ「そうよ、それがコンビニ業界、あなたたち本部の正体よ!」Q「・・・。」
ほむ「マスコミがだめならネット発の情報発信しかないわ。高岡蒼甫のように。それが最後に残った道しるべだわ。」
僕は仲良くなりたいと思っていた。
1)かなりポジティブ
3)自分の夢、考えをあけすけなく話す
4)知り合いに美男美女が多い。
結局、ネットワークビジネス(以下NB)やってる子だったので、付き合い考えてるのだけど、
純粋に1)~4)のいい面とだけ付き合えれば、楽しいかなと思った。
ゴール地点は単純にここ
「NBを間に挟まず付き合いましょう」
この提案をすると、少しピントのずれた返答
「このままでは付き合いにくいから、ぜひ一度話を聞いてほしい。」
彼らはNBやってることが一種のアイデンティティになってるので、
そこを否定すると激昂するのでそこは触れないor否定しない
という方向で、もう一回説明しないといけないなあ。
「NBやってようとやってまいと関係ない。普通に飲み友達でよろしく。」
ってな感じで
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結局飲み友達になる前に「話を聞いてほしい。」と、
どーしても話し合い的なものに勧誘しようとするので、
距離置くことにしました。
ただ、飲むだけにどーして仕事の説明とかするの?
必要なしでしょ。ただたまに飲みに行くだけってシンプルな提案なんだけど。
なんで飲みに行く前に、何時間も相手の会社の説明聞かないといけないんですかね。
NB系の人たちとは、お互いがNBありきの付き合いじゃないと、
成り立たないっていうのを実感した出来事でした。
君が代訴訟:起立命令、三たび合憲 最高裁判決、2人目の反対意見
入学式などで君が代斉唱時に起立しなかったことを理由に戒告処分を受けたのは「思想・良心の自由」を保障した憲法に反するとして、東京都内の公立中学校の教諭ら3人が都を相手に処分取り消しなどを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)は14日「起立斉唱命令は合憲」と判断し、教諭側の上告を棄却した。訴えを退けた2審判決(10年4月)が確定した。最高裁の三つの小法廷で合憲判決が出そろったが、弁護士出身の田原裁判長が2人目となる反対意見を述べた。
5月30日と6月6日の別の小法廷での判決と同様、今回の判決も、命令が思想・良心の自由への「間接的制約となる面は否定しがたい」としつつ、教諭の職務の公共性などから合憲とした。田原裁判長は「起立命令と斉唱命令は分けて考えるべきで、斉唱命令は内心の核心的部分を侵害する可能性がある」との反対意見を述べた。
そのうえで、田原裁判長は不起立を理由とした処分について「命令内容が思想・良心の自由に直接関わる場合、処分はより慎重になされるべきだ」と指摘。多数意見の岡部喜代子裁判官も「不利益処分は慎重にすべきだ」との補足意見を述べた。
原告の教諭ら(2人は退職)は入学式や卒業式で起立斉唱しなかったとして、04年に戒告処分を受けた。うち一人の元教諭は判決後「教育現場に処分を伴った一律強制がまかり通っている。行政をたしなめるべき司法が追認したことは残念」と話した。
1審の東京地裁判決(09年)は同命令を合憲としたうえで「最も軽い戒告としたことに裁量権の逸脱はない」と請求を棄却。東京高裁も支持した。【伊藤一郎】
"二人目の反対意見"なんて未練たらしく書いてるけど、これだけ立て続けにぶちかまされたらもう無理だろ。
この件の反対派はもういい加減従来路線の維持は諦めて、戦略の見直し仕切り直しを各自でやった方がいい。
→私はそこまで過激ではありませんが、「奨学金借りて大学に行ったのに中退したクズ。生きる価値なし」ぐらい蔑まれてもしかたがないと思います。
→つまり、それだけの期待を裏切るというのですから、信用失墜はもちろん、やはり他人から罵られても因果応報というものでしょう。
→もちろん、教育につぎ込むのも躊躇されるでしょう。就職でやめるかどうかもわからない新卒に、教育費かけてられないというものと同じロジックが働くことは疑いありません。
→この件で手塚治虫や加藤周一、安部公房を引き合いに出している人がいますが、それは結果論というものです。
→まして、その三例を以てして、「だから別に問題じゃない」というには説得力が足りません。
→私は、医療に従事すると決めた以上、その職務から離れるのは資質、能力に問題があるケースの他はあまり認めるべきではないと考えます。
→医療に携わる人間に年齢は関係ありません。そこに教育をかけることに問題があるのです。言ってしまえば社会還元のほどが見込めないということです。
→教育は投資です。早ければ早いほど、見返りが大きいなら大きいほどよい。だからこそ、キツイですが頭の悪い大人というのは出来が悪いし、教育に失敗したといえるのです。
→だからこそ、そういうのを選別するのには、正当性があるのです。選別すれば、社会全体によい還元ができる。この差別は必要な差別です。
→そして、そういう事情があるからこそ国家も税金を投入するし、年齢、学業等の理由で人を選別するのです。
→そして、その選別や投資を受けていながら、それを無に帰する行為は、やはり社会的には悪だろうと言えます。
適当にぐぐってみた。
http://www.hou-nattoku.com/consult/136.php
法律上相互間に当然扶養の義務があるのは、夫婦、直系血族、兄弟姉妹です(民法752条、877条)。したがって、養子縁組をしていない限り、夫の母親に対して扶養義務を負わないのが原則です。
ただ、例外として家庭裁判所は特別の事情があると認めた場合、三親等内の親族間に扶養義務を設定することができます(民法877条2項)。あなたと夫の母親とは姻族一親等の関係にありますから、裁判所の裁量で扶養義務を負わせることも可能です。
ここにいう「特別の事情」とは、扶養義務者が要扶養者から以前に長期間にわたって扶養されていたとか、単独相続によって扶養義務者が要扶養者の住んでいた家屋を取得した結果、要扶養者に行くべき家もなく、資産も使い果たしてしまったといったよくよくの事情がある場合をいい、単に要扶養者が困窮し、他に扶養能力のある親族がいないというだけでは足りないとされています。
http://www.trkm.co.jp/souzoku/06032701.htm
○現行法での「特別事情」とは、「よほどの事情でない限り『特別事情』ありと認めるべきではない」と解されており(大阪家審昭和50.12.12月報28-9-67)、具体的には旧民法下で家督蔵属によって扶養権利者を扶養すべき家的財産を取得した場合、扶養義務者が共同相続人である扶養権利者を扶養するとの案ものく了解の下に扶養権利者に相続放棄をさせて単独相続した場合、扶養義務者が以前扶養権利者によって長期間扶養されていた場合などがあります。
つまり「夫に先立たれた」だけでは「特別な事情」ではない、と。
…ちょっとぐぐっただけですぐ出てくるのに、全く調べもせずにデマ広げて他人を無知と言い切る人の脳内構造が知りたい。
放射能云々でもよく居るけどさ。
なんとなく重要そうな所を太字にしてみた。
「国際常識を身につけるため、国旗、国歌に敬意を」 国歌斉唱時の起立命令は合憲 最高裁が初判断
卒業式の国歌斉唱で起立しなかったことを理由に、退職後に嘱託教員として雇用しなかったのは違法として、東京都立高の元教諭が都に損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(須藤正彦裁判長)は30日、起立を命じた校長の職務命令を合憲と判断し、元教諭側の上告を棄却した。都に賠償を命じた1審判決を取り消し、元教諭側の逆転敗訴となった2審判決が確定した。
最高裁は平成19年2月、国歌伴奏を命じた職務命令を合憲と初判断したが、国歌斉唱の起立命令に対する合憲判断は初めて。
1、2審判決などによると、元教諭は16年3月の都立高の卒業式で起立せず、東京都教育委員会から戒告処分を受けた。19年3月の退職前に再雇用を求めたが、不合格とされた。
同小法廷は判決理由で、卒業式などでの国歌斉唱の起立は「慣例上の儀礼的な所作」と定義。起立を命じた職務命令について「個人の歴史観や世界観を否定しない。特定の思想の強制や禁止、告白の強要ともいえず、思想、良心を直ちに制約するものとは認められない」と指摘した。
「国際常識を身につけるため、国旗、国歌に敬意を」 国歌斉唱時の起立命令は合憲 最高裁が初判断
その上で、「『日の丸』や『君が代』が戦前の軍国主義との関係で一定の役割を果たしたとする教育上の信念を持つ者にとっては、思想、良心の自由が間接的に制約される面はあるが、教育上の行事にふさわしい秩序を確保するためには合理的だ」との判断を示した。
判決は4人の裁判官の全員一致の意見で、うち3人が補足意見を付けた。竹内行夫裁判官は「他国の国旗、国歌に対して敬意をもって接するという国際常識を身に付けるためにも、まず自分の国の国旗、国歌に対する敬意が必要」とした。
1審東京地裁判決は21年1月、職務命令の違憲性を否定したが、「起立しなかったのは1回だけで不採用は裁量権の乱用にあたる」として都に約210万円の賠償を命じた。2審東京高裁は同年10月、職務命令の合憲性を認め、命令がある以上、元教諭は従う職務上の義務があるとして、1審判決を取り消し、逆転判決を言い渡した。
だ、そうな。
http://www.asahi.com/edu/news/TKY201105300242.html
君が代訴訟、起立命じる職務命令「合憲」 最高裁初判断
卒業式で君が代斉唱時の起立を命じた校長の職務命令が「思想・良心の自由」を保障した憲法19条に違反しないかが争点となった訴訟の上告審判決で、最高裁第二小法廷(須藤正彦裁判長)は30日、「憲法に違反しない」とする初めての判断を示した。
訴えていたのは、東京都立高校の元教諭の男性(64)。2004年3月の卒業式で「国歌斉唱の際は、国旗の日の丸に向かって起立するように」と校長から命じられたが、起立しなかったことから戒告処分を受けた。07年3月に定年退職する前に「嘱託員」としての再雇用を申請したが、不採用とされたため、都に損害賠償などを求めて提訴した。
一審・東京地裁判決(09年1月)は、職務命令は合憲としながら、04年3月以降は職務命令に従っていた点などを考慮して「裁量権の逸脱」と判断し、約210万円の支払いを都に命じた。一方、二審・東京高裁判決(09年10月)は、「都には広範な裁量権がある」として元教諭が逆転敗訴したため、元教諭が上告していた。
「再雇用の拒否が裁量権の逸脱、乱用にあたるか」などの争点については、すでに第二小法廷が上告審として受理しない決定をしており、今回の判決は「職務命令が憲法に違反するか」だけが争点として残っていた。第二小法廷はこの日の判決の中で「合憲」と判断をしたうえで、損害賠償などを求める元教諭側の上告を棄却した。
この訴訟とは別に、市立小学校の入学式で「君が代」のピアノ伴奏をしなかったとして戒告処分を受けた音楽教諭が都教育委員会に処分取り消しを求めた訴訟で、最高裁第三小法廷が07年2月、「伴奏を命じた職務命令は合憲」との判断を示している。
このニートは毎日何を息巻いているのか知らないけど、こういう能力差すらなくそうって考えてる奴がいるからたちが悪い。
バカにはバカ以上の馬力は出せないしそれ以上の裁量も任せないほうがいい。
こういう常識的な思考すら糾弾するんだから、左巻きはいつまでも脳内お花畑から抜け出せない。
頭悪いなら身体使え、身体も使えないならでしゃばってくるなってことだね。
案外身の丈をわきまえない一部の高学歴がこういう思考に陥るからめんどくさいんだよなあ。女神にでもなったつもりかって。
なんていうかさ、割と真面目に、分相応ってのをわきまえろって話だよね。
こういうのはニートが言うと重みがあるのかね?w