はてなキーワード: 修士課程とは
みんなまじめに考えてあげてエライ。使えそうなアドバもあってワロタ。
私は日本のこういう「大多数の人間が何となくやってる生き方から一度でも外れるとそれが本人が選んだかどうかにかかわらず絶対リカバーできないことになってる社会」が死ぬほど嫌いだったから修士課程でアメリカ移住したわ。
いくつかの研究室(貯金できるレベルで生活費支給)を転々としたあげく40代なかばで博士課程中退、専門とは特に関係ない公務員になって初年度から年収800万円。
外国人には出来ないこともいろいろあるし結局人生を一番左右するのはどこに住んでても運だから「こういう生き方もある」的な意味で書いてるわけでは全然ないけど、「年齢を理由に新規参入の道が断たれない」「ジョブチェンジしても過去の経験と費やした時間がマイナス評価されない」ってだけで何やってても精神的にすごく楽なのは実体験として知ってる。
私はとある大学の修士課程に所属していた。もうすでに過去形なのはつい先ほど修了証書を授与し、卒業したからだ。
思えば私の6年間はうぬぼれの塊であった。高校ではそこそこ勉強のできる部類であったと自分で勝手に勘違いしていたが、大学に入って同じ学科の仲間を見たとき、高校の成績なんて
そこからは課題を自分の頭で考えることをいつの間にか諦めていた。大学まではおおよそ2時間ほどかかるが、不真面目な生活態度を貫いている私には苦痛でしかなく大学における人との交流はほぼゼロとなった。
それでも家にはお金がないため留年なんてのは論外である。とりあえず卒業できる程度には単位を取るためにそこそこ頑張った。
ところで私の所属している学科は理系であり、半数以上は院へと進学する。例に漏れず私も院に進むことにした。正直就活するのも面倒だったし、本当に先のことを何も考えたくなかった。この癖はいまだに治ってない。
しかし、この研究室配属が私に、いまでも思い出すだけで無意識のうちに奥歯を嚙み締めてしまう苦い経験になる。先に言っておくがすべて私の研究に対する甘すぎる意識がその原因ではあるが......
就活することが億劫な私が入ろうって思う研究室なんてのはコアタイムもないようなゆるーいところであった。事前情報では。しかし、情報収集を怠っていた私は、実はその研究室に5年ほど前から来た新しい教授がいることを知らなかった。
言うてもなんとかなるやろと高を括った私は配属後の最初のミーティングで絶望した。
学部生時代にいかに不真面目であっても、自分なりに勉強はしてきたつもりだった。しかし、研究室の先輩たちの発表する研究内容がまるで意味が分からなかった。最初は宇宙言葉だと思った。本気で。
それは私の同期も同じだったようで、ミーティングの後、それぞれの研究テーマを決めなければならないがどれも意味不明すぎておなじに見えたため、私は、教授の説明によるとまったく新しい試みの研究らしいテーマを選択した。これが第一の失敗だった。
理系の院生、研究活動には明確な答えは存在しない問題に取り組まなければならないというのは、まあまあ知られている話だと思うが、私のテーマはその手法も手探り、教授もよくわかんないけどなんかやってみて、といった態度で私はまるでやる気が湧かなかった。自分が
なにをしているのか意味不明なまま、結局学部4年生を卒業した。
そこから修士1年生となり、テーマを変更することになった。正確には学部生時代のテーマはあまりにも先が見えないため、テーマを変えたいなーと思ってはいたが、教授と相談するのも面倒、研究もしたくない、そんなことを考えながらバイトをする日々だった。我ながら
なぜ院に進んだのか昔の自分をぶん殴ってでも止めたほうがよかった。
そんな感じで結局大学にはほぼいかず、研究もしない日々が続き、世間ではコロナが大流行し始めた。そして私も感染した。ついでに胃腸炎になって入院もした。研究室の方々には大きな迷惑をかけた。大学にはなおさら行かなくなった。この時すでに、2年生になろうといったところだった。
書くのがめんどくなったので大幅に端折るが、最終的に私は修論を挟んで教授と犬猿の仲になった......というのが周りから見た私と教授の関係性らしい。いやでもね、力関係を考えてよ、いち学生と教授が戦いになるわけないでしょ、僕はいつもぼこぼこにされてましたよ。
修論かかなきゃ→実験してないからデータがない→でもとりあえず何か書かないと卒業させてもらえない→でもそもそも書くことがないのになにを書く?→でも書かないと卒業できない→....
と思考がループして、躁鬱状態を繰り返しタバコとコーヒーを常に加えてないと不安で頭がおかしくなりそうだった。てかおかしくなってた。
修士なんか所詮2年しかないんだからさっさと教授に泣き寝入りしてなんとかしてもらったほうがいいです。自分がクズであることを自覚した私は怒られることが怖い自分に嫌気がさしていたがなんとか口を開き事情を説明した。
君はいつも報告が遅いんだよ、と小言を言われたが研究してない学生を助けてくれる教授ほど心の広い人はいない。これは皮肉ではない。
「理系の人が研究室や実験、といいますが、そこらの学生がやる意味があるんですか?二流三流大学の研究とは、すでに発表されていることの単なる確認やトレースではないのですか?」
という知恵袋を見た。
理系は卒論というものがあるかぎり、ほとんどの場合においてどんな3流大学でも、少なくとも修士課程以降は、いや結構な頻度で学士でも、「人類の科学の領域の境界線を親指でぐっと押したぐらいは広げてる」んです。
修士論文発表した瞬間はその論文の内容に関しては指導教官と同等以上になってるよ、僕の知ってる人はみんな。その一瞬だけは人類の最前線だよ。
なので、文系には卒論がない大学もある、と聞いてびっくら仰天するわけです。ひとによっちゃあ盛大に馬鹿にするわけです。
えっ君たち大学出たのに人類の叡智とか文化とかをほんのちょっとでも大きくしなかったの????何しに大学に行ったの????って。
私はとある大学の修士課程に所属していた。もうすでに過去形なのはつい先ほど修了証書を授与し、卒業したからだ。
思えば私の6年間はうぬぼれの塊であった。高校ではそこそこ勉強のできる部類であったと自分で勝手に勘違いしていたが、大学に入って同じ学科の仲間を見たとき、高校の成績なんて
そこからは課題を自分の頭で考えることをいつの間にか諦めていた。大学まではおおよそ2時間ほどかかるが、不真面目な生活態度を貫いている私には苦痛でしかなく大学における人との交流はほぼゼロとなった。
それでも家にはお金がないため留年なんてのは論外である。とりあえず卒業できる程度には単位を取るためにそこそこ頑張った。
ところで私の所属している学科は理系であり、半数以上は院へと進学する。例に漏れず私も院に進むことにした。正直就活するのも面倒だったし、本当に先のことを何も考えたくなかった。この癖はいまだに治ってない。
しかし、この研究室配属が私に、いまでも思い出すだけで無意識のうちに奥歯を嚙み締めてしまう苦い経験になる。先に言っておくがすべて私の研究に対する甘すぎる意識がその原因ではあるが......
就活することが億劫な私が入ろうって思う研究室なんてのはコアタイムもないようなゆるーいところであった。事前情報では。しかし、情報収集を怠っていた私は、実はその研究室に5年ほど前から来た新しい教授がいることを知らなかった。
言うてもなんとかなるやろと高を括った私は配属後の最初のミーティングで絶望した。
学部生時代にいかに不真面目であっても、自分なりに勉強はしてきたつもりだった。しかし、研究室の先輩たちの発表する研究内容がまるで意味が分からなかった。最初は宇宙言葉だと思った。本気で。
それは私の同期も同じだったようで、ミーティングの後、それぞれの研究テーマを決めなければならないがどれも意味不明すぎておなじに見えたため、私は、教授の説明によるとまったく新しい試みの研究らしいテーマを選択した。これが第一の失敗だった。
理系の院生、研究活動には明確な答えは存在しない問題に取り組まなければならないというのは、まあまあ知られている話だと思うが、私のテーマはその手法も手探り、教授もよくわかんないけどなんかやってみて、といった態度で私はまるでやる気が湧かなかった。自分が
なにをしているのか意味不明なまま、結局学部4年生を卒業した。
そこから修士1年生となり、テーマを変更することになった。正確には学部生時代のテーマはあまりにも先が見えないため、テーマを変えたいなーと思ってはいたが、教授と相談するのも面倒、研究もしたくない、そんなことを考えながらバイトをする日々だった。我ながら
なぜ院に進んだのか昔の自分をぶん殴ってでも止めたほうがよかった。
そんな感じで結局大学にはほぼいかず、研究もしない日々が続き、世間ではコロナが大流行し始めた。そして私も感染した。ついでに胃腸炎になって入院もした。研究室の方々には大きな迷惑をかけた。大学にはなおさら行かなくなった。この時すでに、2年生になろうといったところだった。
書くのがめんどくなったので大幅に端折るが、最終的に私は修論を挟んで教授と犬猿の仲になった......というのが周りから見た私と教授の関係性らしい。いやでもね、力関係を考えてよ、いち学生と教授が戦いになるわけないでしょ、僕はいつもぼこぼこにされてましたよ。
修論かかなきゃ→実験してないからデータがない→でもとりあえず何か書かないと卒業させてもらえない→でもそもそも書くことがないのになにを書く?→でも書かないと卒業できない→....
と思考がループして、躁鬱状態を繰り返しタバコとコーヒーを常に加えてないと不安で頭がおかしくなりそうだった。てかおかしくなってた。
修士なんか所詮2年しかないんだからさっさと教授に泣き寝入りしてなんとかしてもらったほうがいいです。自分がクズであることを自覚した私は怒られることが怖い自分に嫌気がさしていたがなんとか口を開き事情を説明した。
君はいつも報告が遅いんだよ、と小言を言われたが研究してない学生を助けてくれる教授ほど心の広い人はいない。これは皮肉ではない。
こいつも人生ベリーイージーモードの上級国民やんけ。もうこういうのいいよ
東京都大田区出身。1992年(平成6年)、青山学院高等部に進学。高校時代はフェンシングに没頭し、東京都私立高等学校フェンシング大会2年女子の部で準優勝した[2]。
1995年(平成7年)4月、青山学院大学国際政治経済学部に入学。在学中、仲間とともにスタディツアーでフィリピンに渡航。訪れたスモーキー・マウンテンで貧困問題に直面し、以来国連に関心を持つようになる[3]。3年時に、正規交換留学生として、ワシントン州立大学に留学した[2]。
大学卒業後、新日本監査法人に就職。2003年(平成15年)6月、退職し、人道支援団体「日本緊急救援NGOグループ」(現・特定非営利活動法人ジェン)に転職。イラク難民支援プロジェクトの会計を担当した。2005年(平成17年)6月、オックスフォード大学大学院修士課程修了。
2006年(平成18年)1月、 国連世界食糧計画に勤務。ラオス、アルメニア、エジプト、南アフリカ共和国などに赴く。最後の勤務地となった南アフリカでは、管轄12カ国で行われていた全人道支援プロジェクトを対象に、SDGsの効果測定を主導した[2]。
昨日修論を提出し、修士課程の修了が確定した。それ自体は喜ばしいと思うのだが、この修士の2年間は灰色そのものだった。例に漏れずコロナのせいである。この場で2年間を振り返りながら、現在の修士進学について私見を述べようと思う。
話は2020年2月から始まる。コロナが日本にも入り込みはじめるが、まだ人々は状況を楽観視し、国会ではモリカケの方が大切などと言われていた頃のことだ。私は卒論発表会を終え、最終提出する卒業論文と学会発表する論文とを同時並行で執筆していた。その頃の私は「学会発表のために研究室予算(=国の金)で旅行ができる」とワクワクしていたし、何より研究活動が本当に楽しかった。
しかし、年度が明け最初の緊急事態宣言が出されると、それを追うようにしてあらゆる学会が軒並みオンライン開催に切り替わった。モチベーションの1つが完全に失われたわけである。私自身は旅行が好きな人間なので、学会を口実にした旅行、しかも他人の金でのそれができなくなったと知ったときの落胆はそれなりのものだった。
しかし、旅行云々が霞むような落胆がその先にあった。オンライン学会がシンプルに楽しくないのである。素人質問が飛んでくるとか厳しい意見で凹むとかでなく、例えるなら否定的なコメントしか流れてこないニコ生のようなものだからだ。あくまで私の周りでの話にはなるが、オンライン学会においては基本的に聴講者はウェブカメラをつけずに参加することになる。つまり、どれだけの人、あるいはどんな人が自分の発表を聴いているのか把握しづらいのだ。まさに、パソコンの向こうの虚空に向かって数十分もの間独りで喋り続ける虚無感に苛まれた。加えて、質疑応答では文字通り発表に対する疑問が、時に否定的ニュアンスを多分に含んで発される。学会とはそういう場だ、と頭ではわかっていても、相手の表情が見えない状態でそういった発言を向けられるのは恐怖でしかないのだ。
同様のことは学内発表でも感じられた。中間発表や修論発表において、見知った教授からの質問とはいえ、相手の表情が見えないと自分の答弁がきちんと質問に対する回答になっているのかをリアルタイムに判断することが非常に困難なのだ。我々は自然言語だけで意思疎通しているわけではないのである。
また、コロナの影響は研究発表のときのみに留まらず、コロナの影響で研究活動そのものが停滞した時期もある。特に大きかったのが、大学施設の利用制限だ。緊急事態宣言が発令され全ての講義がリモートとなった2020年春、大学は講義だけでなく、研究活動のために大学に来ることにも制限をかけてきたのである。
具体的には、研究室への入室人数制限――部屋の定員の半分までしか同時に入室してはならないという布告が4月末に大学から発せられたのだ。私の分野は研究室に行かないと実験ができず、これによる停滞は大きなものだった。実際に入退室を細かく監視してるわけではなかったが、万一にもクラスター感染が発生し経路調査が行われたときのことを考えると背くわけにはいかず、結局2020年は曜日ごとに入室できるメンバーを分けての活動を余儀なくされた。
さらに大学は、感染者が出た研究室がある建物を消毒のために数日間閉鎖するという強硬策も同時に打ち出していた。案の定というべきか、私がいる同じ建物の別の研究室で感染者が出てしまい、入室どころか入館自体ができない事態になったことがある。学会まで間もなくというタイミングのことだ。その時私は学会発表に向けて追加実験をしていたこともあり、「大学は我々に研究させる気がないのではないか」と本気で思ったものである。
また、教授からの指導を十分に受けられなかったのも、モチベーションの面で非常に大きかったと言える。大学の教員というものは基本的には裁量労働制であり、与えられた仕事をこなせるのであれば労働時間や場所は制限されない。これにリモートワークが結び付くことで、頼るべき研究室のボスが――扉1つ開ければすぐに質問や相談ができた指導教員がそこにいないという状況が完成する。つまり、真面目に研究室に来たところで、研究がどんづまればその日はもう終わりなのだ。平時であれば教授の居室に駆け込み即席の個人ゼミをしてもらえたところが、教授に相談のメールを送って個人ゼミを後日に設定してもらう、という手間が増えたのである。
手間だけならまだ良かったが、更なる問題は個人ゼミもオンライン化したことであった。私の研究する内容は数理に片足突っ込んでいるものであり、つまり図を使わないと説明ができない類のものなのだ。コロナ禍前は個人ゼミ室のホワイトボードが黒くなるまで教授と競うように図を描きなぐったものだが、個人ゼミをオンライン化したことで図を即席で描いて説明する、ということができなくなってしまったのだ。正確にはZoomを用いれば画面上に何かを描くことはできるのだが、ペンタブなどがない限りうまく描けないし、うまくかけていない図で説明するのは図を用いずに説明するのとそう大差はなかった。つまり個人ゼミをしたところで何に悩んでいるのかをうまく伝えられず、先生からの提案も理解に苦しむことがあったのだ。こうなると研究の進みも悪くなり、また相談するがイマイチ解決しきれずにどんづまり…という負の連鎖が始まってしまう。
これら1つ1つは小さなことだが、それが2年間も続けば研究そのものに嫌気がさしてくるというものだ。少なくとも私はそうだった。
私のこの体験談は、「リモートワークに向いていない人間の愚痴」と単純化することもできるだろう。ただ、そうした人間を切り捨てるだけでは、その社会は進展は望めまいとも思うのだ。特に教育研究機関は、その意味を深く考察すべきだろう。
この春、私は新社会人として東京のとある企業に入社する。そこは去年、私が就活していた時点ではリモートワークを順次導入中ということであったが、私は嘆願書を出してでも出社させてほしいと主張するつもりだ。
2度としてあの灰色の日々を送らないために。
日本最難関の次の次のその次くらいの某大学の理系修士修了見込みのM1であり絶賛就活中の就活生だけど、何も上手くいく気がしない話。正確には、ここ二日間で急激に上手くいく気がしなくなってきた話。
結構強靭だと自負していた自分のメンタルがそこそこのダメージを受けたのは昨日と今日。昨日はエントリーの条件を勘違いしてWEBテストを受け損ねた。思い返せば他人が当たり前に出来ることが出来ないのは昔からだったが、周囲の優しさや理解に助けられてどうにかなってきた。流石に今回はどうにもならなそう。今日は追い討ちのように最終面接前で祈られた。原因は面接そのものよりも、面接後アンケートに正直に答え過ぎたことと、志望動機が希薄だったことだろう。いざ落ちてみると第三志望だからといって第三志望と書くアホは弾かれて当然だと思うし、こういうアホを弾くシステムとしてよく機能しているなと思う。でもコレ結局ミスマッチと判断されたってことなのかもしれん。判断してくれてありがとう。
問題はコレで志望企業が半分になったことだ。元から4社しか候補を考えていなかった愚かで傲慢な自分がどう考えても悪いが、ハッキリ言ってこんな形で落ちるとは思ってなかった。特に前者。マジで。どちらも所謂早期選考の機会で大きなチャンスだったが、まあ逃したものはしょうがない。候補リストに入れていた他の企業3~4社を、真剣に進路として検討する作業が必要そうだ。インターンとか行ってないけど。この作業自体もまあまあ憂鬱だが、やっぱり本当に行きたい企業である2社に受かる気がしなくなってきたのが一番憂鬱かもしれん。本命受ける前に滑り止めに落ちたようなもんだから。いずれにしてもメンタルの補修作業が必要である。いっそ本当に行きたい2社から広げて候補を増やす方が賢いかもしれん。かなり今更感あるが、これらの2社は能力云々を抜きにしてマッチしていると感じているので、地を這って泥水を啜ってでもどちらかに内定するのが賢い戦略だと言えるかもしれん。
超絶成績優秀とまでは言わないが小学校から大学院まで勉強は好きで、人生全体で見ればスポーツや恋愛なんかに比べると遥かに上手くいっていた。もちろん試験に落ちたことや他人に負けたことこそあれど修士課程までストレートで来てるし、自分は世の中の人間の99%よりは賢いから就職に於いてもどうにでもなると思っていた。就活アドバイザーや人事にも能力や論理性を高く評価された。賢いから社会に貢献する意思とかなくても必要とされると思っていた。教員とも話してD進する道も視野に入れて研究も真面目にしている。この道の存在が危機感の欠如に繋がっていると言う可能性もある。
とにかく、自分は賢い・今までどうにかなってきた・大学院生の本分たる学業や研究を放棄して就活に精を出してるやつはバカ、といったような傲慢な思想がわかりやすい形で己に牙を向いた感じはめっちゃある。
まとめ
・終わったことは仕方がない。冷静に考えれば、この国に大量にある企業のうち2社への新卒入社の可能性が絶たれただけである。
・流石にこの一件で生き様を完全に変えることは無理だけど、これからはかなり謙虚に就活しようと思う。自分の能力はそこそこ優れてはいるけれども圧倒的に優れてはいないから、他人の為に社会の為にちっぽけな力をどう使えるか真剣に考えた方がいい。それが社会で生きるという事である。
・具体的には、現段階でマッチしていると思っている企業についての情報を整理し明確にすると共に、方法論的な選考対策も進める。加えて、自分の能力を活かせる企業をもっと探す。
言うてもメンタルが破壊されたのが昨日今日の話なので、進路が決まればもちろん時間が癒してくれる程度の傷なのかもしれんけど。そうであって欲しいけど。その為にこうやってラフに整理している。
文学部の就活事情が話題になっていたので、文学部卒の筆者が自分や身の回りの話を含めて文学部の就活事情を解説したい。
大学や学科、卒業年度、地域によって大きく変わると思うのでその点は承知した上で読んでほしい。
筆者は5年ほど前に首都圏上位私大の文学部を卒業した。自分の専攻の周辺の話が中心だが、友人などの話などからできるだけ文学部全般の話になるよう努力したつもりだ。
ざっくりした体感では学部卒で就職する人がほぼ9割、修士課程に進学する人が1割前後といった感じだった。学科によって進学する人が1割をちょっと超えるところもあれば、5%くらいしか進学しないところもある。いずれにせよ、過半数が進学していた理系に比べると進学率は圧倒的に低い。
ただ、法科大学院から司法試験ルートのある法学部以外、文学部に限らず文系の学部はどこの学部でも1割前後の進学率だったように思う。修士課程を修了して一人前という雰囲気のある理系に比べて、文系は大学院に進学しても就職の幅は基本的に広がらないし、むしろ狭まると言っていいと思う。文系の大学院生がただモラトリアムを延長しただけになるか、研究者の卵になるかは個人の資質や研究室の雰囲気(≒教授の方針)が大きい。
理系と違い、企業所属の研究者という人はほぼいないため、修士を修了したり博士に進んだりしても研究をまともに続けるにはアカデミックなポストが必須になってくる。そうしたポストは理系と同様に(あるいはそれ以上に)狭き門になってくるので、基本的に文系の学生は学部卒で就活することになる。
就職する文学部生のうち、4割ほどが公務員(教職を含む)に、4〜5割強がいわゆる一般企業の事務系職に、1割前後がマスコミに就職するイメージだった。残りは就職浪人や就活と進学を平行して進めながら様子を見たりする人などが占める。
こうした就職先の構成は大学や年度によって大きく変わるのであまり当てにはならないかもしれない。いわゆる下位の大学になるほどマスコミの割合が下がって一般企業の割合が上がると思う。公務員になる層はどこの大学でも一定数いると思うけど、上位の大学は国家公務員や都道府県職員を目指す人も多いので公務員の割合もやや高いかもしれない。
この記事では他の文系学部と変わらない一般企業(メーカー事務職や金融、IT、小売り・流通など)の話はあまりせず、文学部の就活っぽい分野について話したい。
文学部の学生の公務員人気は高い。地道に試験対策をすればある程度報われるし、民間の就活(特に人気企業の場合)の時になんとなく感じる文学部ハンデをそれほど感じないからだと思う。
しっかりしている人は学部2〜3年の頃から自分で勉強したりダブルスクールで公務員試験向けの予備校に通ったりする。法学部や経済学部の人に多いバリバリのキャリア志望で国家公務員を目指すというタイプよりは、キャリアと生活のバランスがまだ取りやすい都道府県庁、政令市、中核市などの中上位の自治体を受ける人が多かった。
大学や学科によっては講義を取ることで社会福祉主事などの行政系の資格を取ることもできるので、ガチガチの公務員志望ならこうした資格を取っておくと若干の加点要素になるかも。図書館司書や博物館学芸員といった資格ともやや相性はいいけど、これらの職域は専門職枠になることも多いので、取っておきたい資格かと言われると微妙だと思う。
資格の話になったついでに司書と学芸員について補足すると、どちらも正規雇用の採用は自治体・民間を問わずアカデミックポスト並みの狭き門なので、軽々しく「司書とかいいじゃん」「学芸員の資格をとって博物館に就職したら?」などとは言ってはいけない。
非正規だとバイト・パートレベルの募集が多くワープアもいいところで、資格を持っていなくても問題ない場合も多い。実務経験にはなるのだが、正規雇用へのキャリアアップはやはり狭き門だと思われる。
大学図書館・専門図書館の司書や学芸員は大学院である程度研究をする基礎を身につけた人がその専攻を生かしながら働く場だと思う。一般的な自治体の図書館は業務委託や指定管理者などで民間に委託されていることが多く、司書資格持ちの正規公務員が図書館員をやっているところはかなり少なくなってきているはずだ。
教職員はわかりやすく、国語、英語、社会科の教員免許が取れるところが多い。教職課程の履修はけっこう大変で「保険として教員免許も取っておくか」というくらいの気持ちだと挫折することも多い。ちゃんと教職志望の人は1年次から必要な授業を計画的に取っていることがほとんどだと思う。普通の授業の単位と教職の単位が被ることはそう多くないので割と忙しい。
学部卒で一般的な一種免許という区分の免許がもらえて、大学院で所定の単位を取得すれば専修免許にパワーアップする。出世するには専修免許があると有利という話もあるとかないとか。学生のうちに社会教育主事の単位を取っておくと教員になってからのキャリアの幅が広がりそう。
とはいえ、教員も正規雇用はそこそこ倍率が高く、数年は非正規の講師をすることもけっこう多い。特に社会科は他に比べて大変なイメージがある。
公務員も教職員も正規職員になってしまえば雇用自体は安定した手堅い職だと思う。勤務の内実はなんとも言えないが……。
いわゆるマスコミといわれるテレビ、新聞、出版はどこも大手(キー局、全国紙、三大出版社)は狭き門で、中堅〜中小はパイが少ないか、そもそも募集がないこともある。大手のなかではNHKや全国紙の記者職が比較的募集定員が多そう。
地方テレビ局やブロック紙・地方紙の事情はよくわからないものの、そもそもの枠が大きくなくて地元大やUターン組が一定の数いるイメージ。アナウンサー職とかはものすごく競争が激しいという話を聞く。出版社は中堅どころでもふつうに1桁採用とか募集なしというところばかりだと聞く。中小の専門出版社は新卒市場ではほぼ見かけた記憶がない。
ただ、マスコミ全般の話として、文学部同士の闘いというよりも法学部や経済学部といった文系メインストリーム学部との闘いになるので「文学部だからマスコミに有利」という話にはならない。むしろテレビや新聞の記者職は文学部以外の方が有利だと思う。
業界的には斜陽で激務だけど、大手はまだまだ高給取りなイメージ。中堅・中小だとワープアとはいかなくても大手との差は感じると思う。友達が大手マスコミにいくと「高値で売れたな」と思ってしまう。
テレビは制作会社とかの周辺業界もあるし、出版も書店や取次といった小売り・流通の周辺業界があるけど、とりあえずこの記事ではここまで。制作会社とかは配信業界が盛り上がって二極化してたりするのかな。書店や取次(特に取次)はかなり厳しいという話を聞く。
高校生の時に理系科目の面白さに目覚めて、偏差値40ぐらいだったけどそこから勉強しまくって超レベルの高い国立大学に進学した。
大学でも勉強ばっかりしていて、専門の授業はもちろんのこと他の学部の授業も聞いて勉強し続けてきた。
ただ単に高校生の時に感じた勉強の面白さと同じ感覚が味わいたくて色んなことを勉強してきた。
研究室は一番人気の研究室に入ることができ、教授も優しくてストレスフリーな研究生活をしてきた。
結果として論文投稿や学会発表もして、すごい小さいけど研究成果も残すことが出来た。
ただ、自分の研究テーマに興味がないし、研究室のテーマにも全く興味がない。。。
本読んでた方が10倍楽しい。授業聞いてたほうが100倍楽しい。
研究という名のパズルをこなすこと自体は不得意ではないと思う。
ただ、興味ないから周辺の知識を勉強しようとしなかったし、だから新しい発想で自分からテーマを切り開くことは出来ない。
結果として、教授の言われた通りにパズルを解くだけの機械として、修士課程を終えることになりそう。
その企業は、今の自分が得意で面白そうだと思っている分野で事業もやっている。
ただ、企業の仕事は人事とか上司などの外的要因が大きく、今と同じ感覚で仕事することにならないか不安でならない。
(WEBエンジニアリング)未経験から(院卒新卒カードを使って)Webエンジニアになって(5年で)年収1000万円(の会社員と同等の手取りを本業副業合わせて)稼げるようになった話
工学部(情報系でない)の修士課程で、画像処理や機械学習を用いた研究をしていた。
PythonやLinuxについては少々経験したが、MVCに関する技術は一切触った事がなかった。
就活して、Web系のC向けの名の知れたサービスを自社開発している企業にエンジニアとして入社することになった。
※当時は今より牧歌的で自分のような人間が入社することができた。今はわからない。
PythonのFWを使ったWebサービスの開発を行なっていた。
とはいえ、腰を据えて開発している時間は少なかった。大きい企業の既存事業にいると開発とは無関係の運用や調整業務がかなりあった。
3年目くらいで副業を始めることにした。
上記の通り業務内で技術力を向上させることがむずかしかったのと、未経験で業界に来ているハンデを抱えていたのである。
Python以外の言語はほとんど書けなかったのでPythonでwebかスクレイピングの案件を探した。
5件ほどお祈りされたが、懲りずに応募し続けてたら採用された。Flaskの案件だった。Flaskは書いたことがなかったが採用された。
当時はその会社に Python が書けるエンジニアがいなかったので重宝されたし、仕事も任せてもらっていた。
契約は週15時間だった。その間にCOVIDが来て全てが在宅勤務になり、気付いたら週30時間まで稼働するようになっていた。。
当初の見込み通り基礎体力は身に付いていったと思う。
最初の案件を納品したあと、次の案件をもらい、段々仕事の幅が広がっていった。
Linuxサーバを触ったりDBサーバを触ったりphpを雰囲気で書いたりDockerfileを書いてECSの環境を構築したりなど。
※Golang, Rust, k8sなど人気の技術の案件は探してもちょうどいいものが見つからないのでチュートリアルをやる以上の勉強はできていない。
ちょうど良さそうな募集があったので応募したところ今度は一回で採用された。
給与も少し上がった。後ほど元の副業の給与も上がり、本業の給与も少しずつ上がった。
年収がいくらなのかよくわからなくなったので、月々の手取りを銀行口座から調べて、年収1000万円の会社員の手取りと比較すると大体同じくらいの金額になっていた。
犠牲にしていることといえば可処分時間くらいだと思っているので、TLDR節に書いた内容についてはそんなに無理がなくある程度再現性があるんじゃないかと思っている。
辛さでいえば大学院のほうが辛かった。
可処分時間ということでいえばCOVIDで通勤時間が無くなった影響はそれなりにある。
自分について
・要領は決していい方ではない
要領がいい人なら5年も掛けずもっと早く辿り着くのではないか。
今回、特にジョブホッパー的な動きはしていない。各職場(案件)に恵まれたこともあるし、器用さが足りないといえばそうだと思う。
エージェントは中抜きされるという意見もあるが、自分はSNSは長続きしないし、勉強会もあまり肌に合わずほとんど出席することはないのでエージェントを通してしか案件を見つけられていない程度の行動力しかない。
年収についてはおおむね満足するようになり、人間とは面白いもので段々欲がよく出てくるようになった。
モダンな技術は、レガシーな技術よりも、おしなべて責任範囲が明確であり、何かあったときのリカバーがききやすかったり、謎の負債が含まれるリスクも少なく、幾分か安心して開発ができる。枯れた理論は好きだが、新しい技術を先回りして身につけることにも興味が湧いてきた。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000565.000003965.html
「株式会社ディスコ(本社:東京都文京区、代表取締役社長:新留正朗)は、2022年3月卒業予定の大学4年生(理系は大学院修士課程2年生含む)を対象に、10月1日時点での就職活動に関する調査を行いました。内定率は88.4%と高水準ながらも、前年同期実績を僅かに下回りました。」
こりゃあおそらくコロナでも変わらないな…
もっと酷かった就職氷河期やリーマンショックですら馬鹿げた慣行をそのまま維持したんだから
まあ今更新卒一括採用が改められてまともな雇用システムになったところで
それで自分達世代が新卒以降苦しめられてきた過去が変わる訳じゃないし
起きようとしても起きられない、夕方になってようやく起きる生活になった。特定の教師のことを思い浮かべると恐怖でどうしようもなくなった。
精神科に行こうとするも教師から妨害されて保健所に連れていかれた。保健所では「我慢して学校に行ってください」といわれたのでしぶしぶ登校した。
その後適当な都内の大学に進学した。学部卒業後は大学院修士課程に進学した。社会統計学みたいな感じのことを研究していた。
B1(学部1年)の時は昔いじってきた同級生に襲われると思い震えたり、大学に行けなくなったりしてあんまり状況は芳しくなかった。
いじりといっても通りすがりに金玉を握りつぶされる、教室で無理やり脱がされ局部丸出しの状態にされる、7~8人から殴る蹴るなどされるといった程度の軽いものだ。
B2になったら少しは良くなったが相変わらずだった。ただ、自分をいじってきた人が多数参加する地元の成人式が終わると状況は少し落ち着いた。
B3~M1の時はまあまあ普通だったが、M2の8月ぐらいから再び体調がおかしくなりはじめ、意識がもうろうとしたり人ごみの中で動けなくなったりした。
研究にリソースをさかれ就活まで手が回らなかったこともあり、結局就職先が見つからないまま大学を去ることになった。修士号はもらえた。
大学院修了後はしばらく動けない状況が続いていたが、これじゃいけないと8月ごろ一念発起し就活を始めた。
有名なブラック企業ですら門前払いを食らったが、結局原子力系の企業の研究部門に中途採用というかたちで拾われた。統計をやっていたということが理由らしい。
このころも電車(京王線)の中で意識がもうろうとしてしゃがみこんだりと心身ともに不調が続いていた。
研究部門は朝8時から夜0時まで勤務するのが当たり前だった。サービス残業もそこそこやった。昼休憩や休みの日は原子力関係の専門書を読んで知識をつけていた。
このころ体調はさらに悪くなっており、頭の中が真っ白になり吐く、会社に行こうとしても眩暈が停まらなくなる、MF文庫Jのポスターを見て意味もなく大泣きするなどの状態になっていた。
さすがに体調が悪いのは何とかしなきゃなと思い内科でデパスを貰うも効き目はあんまりなかった。
そうこうしているうちに納期まで仕事が終わらないことが発覚、命を以て責任を償おうと電車に飛び込もうとするも警備員に取り押さえられ失敗。
警官とともに精神科に連れていかれて「うつ病」という判断を下された。
自分はうつ病はすぐ直ると思い、復職に向け専門分野の勉強を続けていた。100冊ぐらい専門書を買い精読した。向学のため北海道の地層処分研究施設を訪れたりもした。
会社を追い出された後は何もする気力もなく、親のすねをかじりながらただただ罪悪感と同居する生活を送っていた。
そんな中、知り合いが「あなたの知識をもとに事業を起こさないか」と誘ってきた。何もしないという罪悪感はあまりにも大きい。
自分は憲法で規定された国民の義務を果たすため、その話に乗った。
おりしも障害年金が120万円程度支給された。自分はその金を使い、事業に必要な道具を全国駆けずり回って集め、そして共同で事業を行った。
調達計画の作成・商品の納入・宣伝・顧客対応はすべて自分が行った。結局100万円以上切ったりもした。足りない部分は知り合いから借りた。
その甲斐もあり月商20~60万円程度にはなった。9ヶ月で300万円程度売り上げたが、そのうち260万円は知り合いが貰っていった。
知り合いはこの事業の運営を自分に一任してきた。せいぜい計画に文句つけるぐらいだ。分配も自分がさんざん催促してしぶしぶ行ったという感じだった。
このころは出張先で体が動かないなどの症状に見舞われていた。うつ病も良くなってはいなかった。
しかし病気がよくならなくとも義務を果たさなければならないという思いで職務に臨んだ。
結局件の知り合いに毟られているのではないかということを親から指摘され、数か月前自分は在庫の一部と機材の一部とともにバックレた。
体も動かない、近所のコンビニにも行けない、生活費も乏しいという三重苦の中、気力を振り絞り事務所の確保や販路の拡大、開発計画の策定などを一人で行ってきた。
しかし売り上げは前のようには立たず、経済的・心理的に頼れる相手もいなくなったことから、心身ともにさらに追い詰められていった。
このまま事業を続けていったらエネルギー切れになって崩壊してしまう、体が動く前に自分で死にたいと真剣に考えるようになった。
自分で死ぬということは高校3年の時からずっと思い続けていたし、ノルマが達成できなかったときなどはそうしようとしたが、幸か不幸かうまくいかなかった。
しかし今は今までとは状況が違う。もう野垂れ死にか自分で死ぬかの二者択一である。事業を誰かに託して人生終わらせた方がいい。
つい最近、件の知り合いと仲直りしてほしいと別の知り合いから要求され、結局それに折れて件の知り合いと会うことになった。
件の知り合いは最初はにこにこと接してきたが、事業を譲渡したいというなり「じゃあバックレたときの機材と商材の金払って借りた金返して」ということを言ってきた。
自分のエゴで譲渡相手に百万円単位の負債背負わせるのも問題だし、だからといって払えるあてはない。
だからといって件の知り合いと共同で事業をさせると、結局自分と同じように相手が搾取されることとなる。そういうことは絶対に避けたい。
加えて第三の道を見出せるほど自分には余裕がない。この文章もぎりぎりでひねり出している。
エネルギー切れで野垂れ死ぬぐらいなら、自分の手で迷惑にならない場所で人生終わらせた方が他者のためになる。
その子は、とにかく故郷というものが嫌いだった。話を聞く限り、主に家族関係が上手くいっていなかったらしい。
例えば、その子は国立大学の学費を殆ど奨学金とバイトによって賄っていた。恐らく親からの援助が見込めなかったのだろう。
時折Twitterで、田舎のしがらみや桎梏に悩む人間が描かれた漫画に対していいねやリツイートを行っていた。彼女の行動の端々からは、故郷や土着的なモラルに対する拒否感が滲み出ていた。
とは言え苦労人の彼女も、最終的に修士課程を満了し、そのまま国有系の企業に就職した。知的な能力が高く、自分自身の人生を自分で切り盛りする自立性を兼ね揃えた子だったから、その結果を予想することは容易だった。仕事においても、時に人間関係での衝突や様々なトラブルに直面していたようではあったけれど、最終的に本社のある某都市への配属が決まったらしい。単に大学の同期で、多少会話を交わす機会があっただけにも関わらず、そういう話を伺っていると誇らしい気持ちになる。何故だろう。
いや、彼女自身の人生に何らかの大きな転機があったというわけではない。彼女の人生に、取り立てて悪いことが起こったというわけではない。
とは言え、それは明確な変化だった。
数年ほど前から、彼女は裕福な家庭に属する人々に対して、憎悪の念を時折滲ませるようになったのである。
というか、はっきり言えば僕自身に対する憎悪を、Twitterを通して仄めかすようになったのである。
彼女と比べれば、僕は裕福な家庭に生まれた。物心ついた頃には家にグランドピアノが置かれてあり、子供時分には英会話教室やらピアノ教室やら水泳教室にやら通っていた。
特に金銭面で苦労をしたという記憶はない。取り立てて贅沢をさせてもらったという記憶もないが、かといって吝嗇を旨としていたわけではない。誕生日やクリスマスには大抵望んだものが与えられた。
そんな、特徴のない、ありふれた裕福な家庭に僕は生まれた。
大学入学後は、仕送りによって生活していた。免許を取るための代金は、家族が捻出してくれた。
そういったありふれた裕福さを、僕は当たり前のこととして享受してきた。
きわめつけに、僕は今定職についていない。
フリーターをしながら日々の生活を送っている。別に収入がたくさんあるわけでもない。それでも、安穏とした日々を送っているのは、要するに実家が太いからだ。仮に、自分の手に負えないような何事かが起こったとして、その時には、まず頼るべき実家が存在しているからだ。
はっきり言って、僕の人生は他の人々に比べれば楽だと思う。
時々苦痛なのは、そういう生き方をしている僕に対して、露骨に軽蔑の視線が浴びせられることである。それはある意味、当たり前のコストだ。裕福な人間は、あるいは、人生を真剣に生きているとは思えないような人間は、折々に軽蔑の視線を浴びせられる。そして、それに対して言い訳をすることができない。その軽蔑の視線に対して、「確かにその通りだ」と頷くことしかできない。
とは言えそれは(繰り返すように)、僕のように中途半端に裕福な家庭に生まれて、ちゃらんぽらんな生活をしている人間にとっては当然のコストであり、受け入れるべきコストである。苦痛は苦痛なのだけれど、かといって、そのような視線を振り払うために定職につきたいかと言われれば、そんなことはないし、僕は雑に生きていたいのだから。
そういう意味で、それを不当なことだと訴えるつもりは僕にはないし、そもそもそんなことをするだけの権利は、僕にはない。
いや、少しだけ嘘をついた。
僕は、彼女にだけはそういう立場を取ってほしくはなかったのである。
彼女は僕のことを金持ちだと言う。ここ数年の間、彼女は主にSNSを通して、僕に対する様々な当て擦りを行ってきた。
僕が察しを付けられるような嫌味、振る舞い、そういうものを、彼女は自覚的に行ってきた。
そういう振る舞いをされることは、ある意味僕には当たり前のことだったけれど、それなりに僕は傷つくことになった。
他の人間が同じことをするならばともかく、よりによって何故君がそんなことをするのだ? と僕は思ったのである。
彼女は彼女の生まれた土地の、土着的なモラルや、あるいはその純粋な資本の無さに苦しめられてきた。
だからこそ、彼女が僕を毛嫌いすることは、ある意味では当たり前のことである。そこに、僕が拒否できるような理由は存在していない。
それどころか、僕は彼女が我が身の理不尽さを、どんな形であれ承服してはならないし、何らかの形で表出するべきであるとさえ思うのである。
例えば、彼女は奨学金の返済をする必要があった。例えば、彼女にはちゃらんぽらんな暮らしをし、あやふやな夢を唄って生きる暮らしは許されなかった。そう、僕のように、文筆の夢をふらふらと唄い、そのくせその努力を身を削るまでに行っているかと言えばそうではない、そんなちゃらんぽらんな人間を拒否し、排斥する行為が、彼女には必要だったのではないかとさえ僕には思えるのだ。
とは言え、彼女の行為を僕が受け入れられない理由の一つは、別のところにある。
つまり、煎じ詰めれば彼女のやっていることは、彼女自身が忌み嫌っているところの、「土着的なモラル」の継承なのではないかと思うのだ。
恵まれている者に対する敵愾心、その誰かを貶めようとする気持ち。
楽しそうに飛び、楽しそうに歌う鳥に向かって石を投げる行為。そんな鳥が地面に落ちて這いずり回ることを、志向する行為。
「県外の大学になんかいかずに、地元の学校に通え、あるいは、就職をしろ。金銭的な支援は期待するな。お前に一人で切り盛りすることは無理だ」
教育的資本によって支えられる生活というものを、イメージすることができない人間に、彼女は囲まれていたはずだ。
だからこそ、彼女は自身の力で自身の人生をやりくりしなければならなかったのだから。
そういう力が、土着的なモラルの中には含まれているし、そのような力が、彼女の身の回りには実際に存在していたことと思う。
もちろん、彼女が僕に対して向けている暴力は、そのような暴力と完全に同種のものではない(というか全然違う)。
むしろ、彼女の受けた暴力とは違って、僕の受けている暴力は、ある意味では正当な暴力ですらある。
不当に恵まれている者を攻撃すること、それは、ある意味では正しい。僕は不当に恵まれているのだ。それに対して、少々のやっかみが向けられることは、ある意味では当然のコストなのだ。少なくとも、そのようなやっかみを前提とせずに生きることは、不可能なのだ。
とは言え、彼女は周囲から引きずり降ろされそうになり、それを拒否することができた人であるからこそ、僕は、彼女にそんな暴力を(彼女が受けたものとは違った形であれ)継承してほしくなかったのである。
自分より恵まれている人間に対して、石を投げるという行為が正当化されるところのモラルは、普遍的なモラルではありえない。そのモラルは、ある人の人生から生じたところの、ある人の生育環境から生じたところの、相対的な、つまりは土着的なモラルに他ならない。
彼女は、そんな土着的モラルを拒否することを、生活の旨としていたように、僕には思われるのだ。
そんな彼女が、何故土着的な、普遍的ではないモラルに身を任せ、自分の暴力を正当化し、他人を傷つけなくてはならないのだろうか?
繰り返し述べる通り、僕の人生においてそういう暴力は日常茶飯事であり、それが存在することを拒否できる立場に僕はいない。そういう立場には全くない。
「Don’t Be Silent #変わる男たち」の参加者でもある
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66492
伊東乾はメンタリストDaiGoを批判し、例えば「科学的に完全に間違ったことを『科学』を標榜して垂れ流してしまう。こうしたタレントの放言を真に受けて、後遺症を背負い込んでも、誰も補償してくれません」と書く。この「垂れ流し」とか「タレントの放言」などの修辞には、敵意を込めた罵倒だという以外には、情報量がなにもない。つまり「これこれの主張は科学的に間違っている」と書けば済む話なわけだ。これは単に一例であって、伊東乾の文章は全編がいつもこの調子。
で、メンタリストDaiGoの、どの発言が、科学的に間違っているのだろうか。驚いたことに、何度読んでもそれがわからない。自分なりに伊東乾のお気持ちに好意的に寄り添って推理する限りでは、「新型コロナウイルス感染症の脅威を死亡率で計るのは科学的に間違い。重要なのは後遺症」と言いたいのかも知れない。しかし「死亡率と後遺症のどっちが脅威か」なんてことは、経済やインフラや個人の価値観やが絡む高度に複雑な問題であって、科学で一意に結論が出る話とは思えないんだけど。
伊東乾の文章から「素人の垂れ流し」「テキヤ」「ペテン師」「おかしなコンテンツ」「生ぬるい若者のどうでもよいお喋り」「中途半端に上ずった若者のご託」「陳腐なクリシェ」「うわごとのような早口でまくしたてる」「メディアを濫用するマインドコントロール商法」などの無内容な雰囲気レッテル貼りと、執拗な学歴マウンティング(発言を批判するなら人格ではなく発言内容を批判してくれ。発言者が中卒のお笑い芸人だろうが学位取得者だろうがそんなことはどうでもいいんだよ)をすべて削ると、びっくりするほどに内容薄い。自分の理解では
・「新型コロナで怖いのは死亡率以上に後遺症」
・「メンタリストDaiGoのやりかたは麻原彰晃に似ている」
・「発想はナチスと一緒」
ちなみに「執拗な学歴マウンティング」の「執拗な」は、無内容な雰囲気レッテル貼りではないですよ。9ページの論考の中で、p1「私もかつて教えたことのある大学の理工系で卒業、大学院修士課程を中退しているようでした」、p2「学卒/大学院中退はサイエンスでは『素人』」「大学・大学院で物理を学び、ここ四半世紀は地味なサイエンスと地味な芸術音楽を両輪に、研究大学でコンテンツのラボラトリーを主催する一教官として言えるのは」p3「修士を取れないというのは、能力的な問題というより『やらなかった』怠惰を意味する場合が多い」「学卒レベルのアマチュア了見で」p5「サイエンスを標榜して無学位という時点で『科学は偽物』と見ます」などと書いてることを、「執拗」と表現しています。
「ホームレスなんて死ねばいい」というメンタリストDaiGoの主張と、それを批判する伊東乾の主張を比べれば、自分は圧倒的に後者を支持します。しかしながら、まあそれはそれとして、「(ホームレスなんて)邪魔だしさ、プラスにならないしさ、臭いしさ、治安悪くなるしさ」と「素人の垂れ流しだしさ、テキヤやペテン師みたいだしさ、生ぬるい若者のどうでもよいお喋りだしさ、中途半端に上ずった若者のご託で陳腐なクリシェだしさ」を見比べると、伊東乾ってメンタリストDaiGo以上に雰囲気話法だなー、と、どうしても思ってしまう。
https://togetter.com/li/1759391
岸博幸慶応義塾大学教授、Daigo慶應義塾大学理工学部卒・修士課程中退、補助金搾取の経産省官僚は慶應義塾高校→慶應義塾大学(片方はその後東大)、伊藤隆太広島大学助教は高校から博士課程までずっと慶應。不思議だ
これが例えば、「彼らは全員慶応だが、慶応内部にそのようなコミュニティでもあるのだろうか。大学側は一度きちんと調査してはどうか」とか、その程度の言及なら与太話として聞けない話ではないんですよね。
意味ありげに「不思議だ」と言って何も語らないという、2ちゃんねる(今は5ちゃんねる)的、レスバ的なコミュニケーションを学者の肩書きでやるのが悪質なんですよ。
https://twitter.com/_keroko/status/1418375047098494982?s=20
https://twitter.com/_keroko/status/1418468242629095428?s=20
まずくはないんじゃないですか?私が苦手なだけで。
ご自分で火を付けておきながらこの言い草、往年のネトウヨ仕草を完コピしていて敬服すら覚える。