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はてなキーワード: 桎梏とは

2024-04-16

[]桎梏(しっこく)

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%A1%8E%E6%A2%8F/

《「桎」は足かせ、「梏」は手かせの意》人の行動を厳しく制限して自由を束縛するもの。「因襲の—から逃れられない」

オタク君が好きそう

2023-03-08

anond:20230307194008

まず、NPO等の位置づけについて少々私見を述べる。

民間非営利団体による社会的課題に対する(時には発見するところからの)アクションはいろいろ細かい種類がある。管轄官庁の違いであったり。ボランティア活動イコールではないが連続していたり。そのへんをひっくるめたズバリの一語がないので、ここではざっくり「非営利団体(の活動)」と呼んでおく。

日本で「NGO」と言うとなんか国際的活動してるニュアンスつくし

非営利団体役割は、行政による社会福祉の補完であるという。近い所で、官民パートナーシップとか新しい公共といった枠組みも近年提示されているな。

行政の補完的存在というのは勿論それはその通りなのだが、枠組みとしてはごもっともでも、補完という言葉イメージから「安上がりな下請け」と捉えられかねない危うさについては注意喚起しておきたい。

ボランティア団体やってる人で「行政のしりぬぐいをしてやってる」みたいなことを言う人がよくいる。これは「下請け」の裏返しみたいなものだ。行政がやるべきことを自分善意で肩代わりしてやってるという意識活動可能性・想像力をあらかじめ縛ってしまう。

行政従属的でも対立的でもなく、必要連携をとりつつ自由に動いた結果が相補的相乗的効果を生むというのが一番理想ではある。

もともとの出自として地縁による互助システムの後継的存在というのも無論誤りではないのだが、非営利団体活動って別に助け合い」的なことに限るものではない。それもまたイメージによる桎梏の一つではある。

自分としては、非営利団体活動とは単純に社会の中の余力的なリソースをかたちにする手段の一つであると捉えている。政治行動(投票とか)、経済活動起業とか)に並列的な位置づけのものだ。

たとえばオープンソースソフト開発、リナックスコミュニティみたいなのがまさにその代表例と言っていいだろう。政治論理商売論理とはちょっと違うルールで、人々の持つリソース結集させて社会に役立つ形にすること。

地域助け合いとか「顔の見える活動」「心に寄り添う活動」とか、「非営利団体活動シーン」でよく言われるそういうものばかりが非営利団体のあるべき姿ではない。

さて、あなた非営利団体が活きるフィールドの例として災害ボランティアを挙げている。

ある意味ではほんとうにそう。民間有志の力がうまく使われれば災ボラくらい非営利活動に「向いてる」分野はないだろう。でも実際のところ、言うほどうまくは行ってない。

めちゃくちゃもったいないことになっている。

現にあれやこれややってるじゃないか、みんなの骨折りを全否定するのかと言われればもちろんそういうことではない。リソースを活かすシステム(の不在)の話だ。神戸震災時が本邦災ボラ黎明期だとしたらいまはせいぜいが中世暗黒時代というところだ。

まあこのことについて具体的に詳論しだしたらキリがないので…。

非営利団体情報公開のありかたについて、ネットの鵜の目鷹の目でやいのやいの監視するのがアホらしいのは全くその通り。

DX的なことだとかの、テクニカルフォーマット作りの議論必要というのも全く同意

そういう具体的方策以前のちょっと理念的な話として、以前増田に書いた記事中で「情報公開非営利団体活動命綱」「コンプライアンスは足かせでなく指針とすべき」といったことを述べた。

https://anond.hatelabo.jp/20221206001603

例えば、ウクライナロシアの「情報戦」「宣伝戦」の巧拙格差を見よと言いたい。

ウクライナはまさに「情報公開」を命綱として支援を呼び込んで戦い続けている。

(もちろん後々色々と醜いものも明るみに出てくるだろうが)

一方でロシアは内向きの情報統制に終始している。

ウクライナはお涙頂戴で各国の慈悲にすがっているのではない。率直に要求を述べているし、率直さによって一定の信用を得ている。

ものすごく不謹慎な言い方になるが、ウクライナコンテンツを生んでいるのだ。命を引き換えに、だけど。ウクライナが公開する情報は、我々にとって価値あるものだ。そこで我々は納得して支援の金を出す。

非営利団体監視されていやいやながらに情報小出しにするんじゃなくて、攻めの姿勢情報しまくってそれを「売り」にするべきだ。

社会貢献的な活動に興味はあってもそれに割く時間や労力は捻出しにくいという人は多くいる。直接参加できない人が、実際の支援現場でどういうことが行われているのかという情報を受け取った上で、活動に対する投資意味寄付をする。

そういう経路を作り出すことができたら「どうやって見張るのか」なんていう問題問題ではなくなる。

個人の直接の寄付と公の補助金とはイコールではないけど、間にワンクッション入るだけで出どころはみんなの懐なんだし話の骨子はかわらない。

ブコメ指摘「ロシアデマ攻勢仕掛けてるだろうが!」あ、それはほんまにその通り。例え話として、持論を述べる上で都合がいい部分だけのつまみ食いになってる。ツッコミアザス

追記

いわゆるソーシャルグッド活動資金調達方法としてクラファンがある。

そこで問題になるのがマスの「情」の力学である

エモいストーリーがくっついてたりしてバズったものにだけ支援が集中するのではないか、そのせいで俗受け狙いのアピール合戦になり、活動のものも歪んでいくのではないか。同情の集まりやすい「ウケる弱者」の取り合いやウソつき合戦になるのではないか。あるいは分断を煽ることである陣営からの集金を狙う、邪悪なハックが行われるのではないか

そういう危惧は当然にあるし、実際そういう状況は生じている。

でも、マスの生理としてそういう(エモいもの殺到する)傾向があるからと言って、世の全員がそうなわけではない。

世間的にそこまで話題でなくても、自分の興味あるニッチな分野で、何をどうしようとしてるのか具体的によくわかる(情報公開がしっかりなされている)活動支援したいという需要だってある。

情報にはそういう堅実な支援者を掘り起こす力もある。

ミーハー的な寄付と、堅実な長期的投資のような寄付とは並立・共存可能であると思う。

2022-12-06

残念な日本非営利団体

例のコラボの件。

社会的課題解決志向する団体活動のありかたについて、本邦の残念な現状が炙り出されていると思う。

まずその前に、暇空の残念な点。その煽り姿勢だ。

トーンポリシングと言えばそれまでだが、その「お行儀の悪さ」はコラボコラボ弁護士独善的言動一定正当性を与える。

戦略としてやってるつもりなのだろうが、どっちもどっちで本当にいいのか。

そして「そこほじくったとて…」という明らかにショボいネタまで敢えて大仰に取り上げて犬笛吹きまくっている。「タイヤ交換が”久しぶり”ということは…!?」とかってさあ。勝手ファンネルどもには事の軽重は区別つきゃしないからな。何でも陰謀尻尾に見えて「つながる…全部つながるぞ!」となってる連中を止める気は毛頭ねえのな。「女性差別目的とする妨害行為」というコラボ側の主張を事後的に自己成就してしまってるがな。

仮に各方面から疑惑の指摘の数々が事実だったとして、おそらくコラボなんて別段悪質なほうじゃないのだ。相対的に。

それなりに活動実績もあるし、寄付金着服で贅沢三昧しているわけでもない(だろう)。

一方で「大雪りばあねっと」のような大規模横領事件がかつて明らかになったことがある。

団体の専従者数名が就職せずに「善行」で飯食って行くのが目的の全てみたいな誰も得しないショボい自己満足活動は今もザラにある。

そういうところに公金をイージーに流し込む行政問題がまず一つ。

池のかいぼりや、ゆるキャラふるさと納税みたいにいったんブームに火が付けば小役人は右に倣えだ。惰性で乗っかっておけば仕事してる風のアリバイになる。ブーム前に提案されても耳も貸さない。責任チャレンジのないミーハー行政。その時々の流行を追った、聞こえのいいネタさえ持っていけばチョロいもの

そういう志の低い行政サイドの問題は、しかし背景に過ぎない。

本題の「残念」は非営利団体コンプライアンスについてだ。

会計の透明性や活動内容のクオリティについての説明責任やりがい搾取問題、そういうことについてはガバガバなのがむしろふつうだろう。コラボばかりが特段悪質ではなかろうというのは、擁護ではない。界隈全体へのDISである

社会の中で困ってる人に手を貸そう的な活動において重要な・必要ものは、まず実務的な知識スキルマンパワー。(金のことを含む)行政との連携

でも実際に活動現場にずっと残りがちなタイプは「世直しさん」である理念を口にするばかりで実務軽視。無駄好戦的無謬正義マン。好きな言葉は「心によりそう」「つながり」。仕事がデキる実務家タイプは潮時を見つけていずれ退出していく。

「困ってる人」の「心に寄り添う」ことがいかに高度にテクニカルリスクはら行為なのかということが正義マンにはわからない。

例えば宿なしの未成年保護しておいて、「決して無理強いではなく、結果的に」別の政治活動オルグしたりなんてこと、死んでもあってはならない。「そんな別におかし活動ではないよ」そんなん関係ないんだよ。そこは鉄の壁で隔てておかないと全てが台無しなんだよ。わかんねえかな。わかんねえんだよな。

非営利団体活動ガバガバになるのは「悪意でもって金をポケットに入れる輩ばかりだから」ではない。「営利」の原理と別のところでひとの金を運用するということの難しさをナメているからだ。

自分たち善意団体なので、信じて任せてもらって大丈夫です」そこから躓きは始まっている。「本当か?着服してんじゃねえか?」そういう人が現れた時に「心外な!我々の正義に泥を塗ろうというのか、許さん」そういう方向でつっぱって、どこに行きつくと思ってる?

コンプライアンスという言葉意味は、儲けが第一営利企業なら「最低限のルールは守ってますよ」という単なるアリバイ意味になることが多いだろう。本当は違うけどな。

非営利の「社会的課題解決志向する活動」におけるコンプライアンスとは、もっと攻めの姿勢のものであるべきだ。

自分たちけが秘密ヒーロー戦隊じゃダメなんだよ。全てをオープンにして「出資者」も一緒に運用を考えるんだよ。何にどうリソースを投じるべきか、それでその先どうなるか。コンプライアンス桎梏じゃなくて指針なんだよ。

そして情報公開こそがその団体の、活動命綱だ。

忘れてましたてへぺろで済むような軽いものではない。

金の出どころが税金なのか寄付なのかというのも別に本質ではない。

私的寄付からどう使おうと文句つけられる筋合いはないというのは既に独善サイドに転んでいる。人の金預かって運用するということに違いはないので。

正義旗手アプリオリ正義を独占して正義執行する。それにケチつけるものは即ち悪。そんな幼稚な世界観からいい加減脱却しないか

リアル社会でのリアル人助けってのは難しい「大人仕事」なんだぜ。

2022-07-02

表現の自由」についてのメモ的なもの

 下記のエントリーanond:20220701074807)で色々と書いてある点について。目下話題になっている「表現の自由」について。自分用の整理として。

1. 表現の自由とはなにか?

 目下話題の「表現の自由」は、いかなる意味表現の自由なのだろうか。それは憲法21条1項に見られるような法的なそれだろうか。それとも、憲法21条1項のようなものとは異なった何かなのだろうか。たとえば、JAなんすんが制作した『ラブライブ! サンシャイン!!』のキャラクターを利用したポスターについて、絵の内容がが性的である※1という批判があった(なお、これや宇崎ちゃん欠缺ポスター事件の余波で、赤木氏らツイッター凍結騒動があったりした。覚えているだろうか?)。

 ここで、抗議をJAなんすんが考慮して、ポスター撤回したとする。すると、「誰の」自由が「誰によって」侵害されているのだろうか。侵害者をざっくりと抗議する者として捉え(本来ツイッター批判的な言葉を言っている者、電話をかけて意見を伝える者、付和雷同していたずら電話をする者、大量の手紙を送りつける等のいやがらせをする者等を十把一絡げに全部抗議者として捉えるのは適切ではあるまいが)、被侵害者をさしあたってJAなんすんとして、JAなんすんが抗議者に対して抗議をやめる(たとえば、ツイッターで「ポスター撤回すべし」等の意見つぶやくのをやめさせる)ように請求する法的資格を有する、というのが表現の自由主張の趣旨か。

 はっきりいえば、そのような主張は法的には認められない。私人間効力の論点を見直すべきであるしか言い様がない。ここで、抗議をやめるように要求する資格があると裁判所肯定すれば、抗議者の表現裁判所(=国家機関!)が介入することになり、それこそが表現の自由侵害である。この構図において、憲法21条1項が保障する表現の自由恩恵に浴するのは抗議者の側となるだろう。目下話題の「表現の自由」は、憲法21条1項とは異なる問題であると解するのが相当である・・・のだろう。

2. 規制概念

 元々のエントリーでは次のような言明がある。

言いたかったのは、フェミニストあくまで「女性実質的表現言論の自由を高めるための環境づくり」を目指しているのであって、「表現規制派」というレッテル貼りは間違いだということ。フェミニストリベラル派が目指すのは、あらゆる階級属性の人が等しく表現の自由行使できる社会だ。

 これに対するブコメはこう言っている。

preciar おまえ等がぶっ叩いてきた作品ほとんどが女性の手になる物である時点で、ただの妄想というか開き直りしかない/そもそも平等のために表現規制しろと言う主張が「規制派」でなくてなんだ?恥に加えて知恵も無い

 後段の「そもそも平等のために表現規制しろと言う主張が「規制派」でなくてなんだ」という部分に注目したい。再びポスターを題材とする。「規制」という言葉を使うのは公権力ではないか不適切のように思うけれども、例のポスターに対する抗議は、ポスター掲示することを抑制しようとする意図を有し、ある一つの表現を抑圧する行動である、という部分を問題として切り出すことにしよう。ここで想起するべきなのは表現すべてがまったく自由(というより、放縦のまま)とされることなどあり得ないということである。たとえば名誉毀損的な言動は認められない。名誉毀損言動をしている者を叱りつければ、それは一つの表現の抑圧には違いない。しかし、名誉毀損をされないというのも重要利益であり、自己表現利益と考量される対象となる(そうならないという人はいないだろう)。プライバシーも同様であるノンフィクション『逆転』事件を想起すれば良い。前科実名暴露されない利益を重視する見地から、『逆転』における表現抑制されている(この事件では、慰謝料請求裁判所が認めているから、公権力による「規制」ですらある!)。プライバシー保護のために表現抑制するべきであるという主張は「規制派」であろうか。

 名誉毀損プライバシーは具体的な個人利益問題となっているが、女性蔑視の問題はそうではないと思うかもしれない。しかし、番組準則のように、社会に薄く広く広がる利益保護(たとえば、放送番組政治的公平性)を保護するために、表現抑制する(番組編集準則であれば、放送局の自由)ということは、そうおかしな話ではない(なお、憲法学では、番組準則は、それへの違反総務大臣による放送免許の取消原因になり得る等の効果もつ限りで違憲であるとしている。)。たとえば、大阪府知事大阪市長橋下徹トーク番組に対して、政治的に公平ではないという批判は、無論番組作りを抑制する可能性がある。実際、激しい批判を浴びて、大阪毎日放送社内調査を行って検証したのである。これも「平等のために表現規制しろと言う主張」だから規制派」となるのだろうか?それはそれで一貫した立場ではある。それこそ「知恵も無い」と思うが。

 なお、念のためにいえば、プライバシー名誉権も日本国憲法は明文で保障していない。そのような利益であっても、憲法21条保障する表現の自由にとっての対抗利益となることができる。憲法の明文で保障されていない権利表現の自由の対抗利益になり得ないという考え方は、畢竟独自見解に過ぎない。

3. 「表現の自由」は個別的特殊的な権益なのか?

 ここからは元のエントリーとの関連性は薄くなる。

 選挙において「表現の自由」を掲げる政治家がいる。彼らの問題意識は極めて偏頗ではないか日本表現の自由をめぐる問題状況は深刻なものがある。ところが、こと選挙で「表現の自由」を旗印にする者の言動を見ていると、選挙運動の規制公務員政治的意見表明やストの広範な禁止放送資源の分配問題政府情報保全・公開等々、様々な形で存在しているはずの問題状況が捨象されて、取り上げられているのは「マンガアニメ」の自由ということになっている。また、「アニメマンガ」だけを対象にしても、取り組む分野が偏っているのではないか。たとえば、これ(https://twitter.com/KenAkamatsu/status/1542366137979400193)には『国が燃える事件が入っていないが、右翼の抗議は免罪されているのか。あるいは、最近の『「神様」のいる家で育ちました』も入っていないが、宗教団体からの抗議は免罪されているのか。上記は、批判としてはマージナルかもしれない(忘れていただけかもしれない)が、刑法175条の廃止等(ポルノ合法化;「有害図書販売規制廃止ないし合理化)を公約に入れていないのはどうしたことか。

 「表現の自由」を掲げる政治家言動を観察していると、一つ気づくことがある。彼らは、表現の自由抑制している制定法を改廃するのではなく、規制対象外となるように関係機関に働きかけを行って「免除」(制定法の外部で活動しているのだからお目こぼしに近い)するという活動に主眼を置いているようである。念のためにいえば、そういった活動政治家が行うこと自体は奇妙なことではない。問題は、「表現の自由」といった一般的普遍的権利を掲げながら、規制廃止を唱えるよりも、特定表現に限って規制免除するように(制定法の改廃ではなく)法執行機関に働きかけをしていることである※4。取締当局に働きかけをして有利な方針を引き出すという方向性は、自由にとって脅威であることに変わりはない。結局、働きかけをする人物意向によって「自由」の内実が左右されることになるからである。「免除」の仕組みを動かす人物特定出版社特定作品群を代表している場合、その他の出版社表現には「免除」を拒否するという形で脅威となる可能性が存在し続ける。政治家言動ナイーブに受け止めてはいけない。

 なお、私は実は「アニメマンガ」の中の特定作品群のみを対象とした偏頗な政治運動自体けしからんというつもりはない※5。しかし、「表現の自由」という看板は下ろしてもらいたい。

4. 「エロ」の規制をめぐって

 「表現の自由」を掲げる政治家ないしツイッターアカウントを見ていると、「エロ(・グロナンセンス)」の自由を重視しているような印象がある。こういった表現一般について、公権力の介入を排除する防御権があるのは当然だ、という前提があるような気がする。しかし、「わいせつ(obscenity)」にあたる言論憲法上の権利として保護されないはずである憲法上の権利として保護されないということは、内容規制をしても合憲であるということになる。日本最高裁の考え方もそうであろう:

なお性一般に関する社会通念が時と所とによつて同一でなく、同一の社会においても変遷があることである現代社会においては例えば以前には展覧が許されなかつたような絵画彫刻のごときものも陳列され、また出版が認められなかつたような小説も公刊されて一般に異とされないのである。また現在男女の交際男女共学について広く自由が認められるようになり、その結果両性に関する伝統観念修正要求されるにいたつた。つまり往昔存在していたタブー漸次姿を消しつつあることは事実であるしかし性に関するかような社会通念の変化が存在しま現在かような変化が行われつつあるにかかわらず、超ゆべからざる限界としていずれの社会においても認められまた一般的に守られている規範存在することも否定できない。それは前に述べた性行為非公然性の原則である。この点に関する限り、以前に猥褻とされていたもの今日ではもはや一般猥褻と認められなくなつたといえるほど著るしい社会通念の変化は認められないのである。かりに一歩譲つて相当多数の国民層の倫理的感覚麻痺しており、真に猥褻もの猥褻と認めないとしても、裁判所良識をそなえた健全人間観念である社会通念の規範に従つて、社会道徳的頽廃から守らなければならない。けだし法と裁判とは社会現実を必ずしも常に肯定するものではなく、病弊堕落に対して批判的態度を以て臨み、臨床医役割を演じなければならぬのである

最大判1957(昭和32)年3月13日 刑集11巻3号997頁:チャタレイ夫人の恋人事件

エロ」の自由擁護していくとなると、「保護されない言論」の判例法理桎梏いかに除去していくかを考えるべきであろう。スウェーデンではポルノ出版自由対象とされていることに注意する必要がある。スウェーデン憲法典の一部を構成する出版自由に関する法律は、出版自由制限できる場合限定列挙する。児童ポルノ出版自由制限できる場合に挙げられている※6が、ポルノ一般は挙げられていない。他方で日本の状況を考えてみよう。もはや何の修正もなく『チャタレイ夫人の恋人』は出版されているが、刑法175条自体は生きている。最高裁判例を変更していない。捜査機関取締り方針を変更すれば、刑法175条でもって再び刑事罰が科されるであろう。他の成人向けのアダルトビデオにしても、マンガにしてもアニメにしても同様である一般に「エロ」の表現の自由を目指していきたいのであれば、少なくとも刑法175条を廃止しなければならないはずであるしかし、この最大の桎梏存在認識していない者も少なくないように思う。もしかすると、このような規制状況はもはや動かしがたいので、所与としなければならないと考え、より低い脅威度のものを優先しているのかもしれない。あるいは、彼らが取り組んでいる「マンガアニメ」は実は「わいせつ」にあたらない物件のみで、ハード・コア・ポルノ的な「マンガアニメ」は眼中にないのかもしれない。しかし、それでは『チャタレイ夫人の恋人』や『悪徳の栄え』、あるいは『蜜室』に取り組んだ人々と比べてあまりにチャチな取り組みだと思う。

 丸山眞男を引き合いに出すまでもなく、日本人は既成事実に弱いと指摘される。いったん規制されると大変だから規制される前に対処する政治家必要であるという言い分を聞くが、既成事実に屈服して「一端規制されると大変」な状況を強化しているのは誰なのだろうか。

※1 ここで「性的」として批判されているのは、単に裸体だとか性器描写されているという意味ではなく、ほぼ女性蔑視的という意味に等しいことに注意するべきである

※2 書いているうちに思ったが、リュート判決の構図に似ている。

※3 スウェーデンなどの欧州諸国ではポルノ合法化されている。スウェーデン等で購入したヌード写真集日本に輸入して税関検閲に引っかかる、というのが税関検閲事件の流れだ。

※4 なお、児童ポルノ禁止から創作物を除去せよとの主張は、一般的規制問題として評価できよう。

※5 むしろ出版社利益を守るためと考えれば、個別出版について規制お目こぼししてもらう活動大事だろう。だが、あくま出版社権益であり、表現の自由という共通財の問題ではない。

※6 日本出版されている成人向けマンガイラスト児童ポルノにあたるかと言った事件があったのだが、スウェーデン最高裁マンガ表現形態に十分配慮した判断を行っている(NJA 2012 s. 400. 翻訳もある。外国立法255号[2013年]223頁)。このような判断日本最高裁がするかというと、全然しないだろう。

2021-09-10

土着的モラル拒否しきれずに

 大学同期のある女の子の話。


 その子は、とにかく故郷というものが嫌いだった。話を聞く限り、主に家族関係が上手くいっていなかったらしい。

 例えば、その子国立大学学費殆ど奨学金バイトによって賄っていた。恐らく親からの援助が見込めなかったのだろう。

 時折Twitterで、田舎のしがらみや桎梏に悩む人間が描かれた漫画に対していいねリツイートを行っていた。彼女の行動の端々からは、故郷や土着的なモラルに対する拒否感が滲み出ていた。

 とは言え苦労人の彼女も、最終的に修士課程を満了し、そのまま国有系の企業就職した。知的能力が高く、自分自身人生自分で切り盛りする自立性を兼ね揃えた子だったから、その結果を予想することは容易だった。仕事においても、時に人間関係での衝突や様々なトラブルに直面していたようではあったけれど、最終的に本社のある某都市への配属が決まったらしい。単に大学の同期で、多少会話を交わす機会があっただけにも関わらず、そういう話を伺っていると誇らしい気持ちになる。何故だろう。


 とは言え、最近になって事情が変わり始めた。

 いや、彼女自身人生に何らかの大きな転機があったというわけではない。彼女人生に、取り立てて悪いことが起こったというわけではない。

 とは言え、それは明確な変化だった。

 数年ほど前から彼女は裕福な家庭に属する人々に対して、憎悪の念を時折滲ませるようになったのである

 というか、はっきり言えば僕自身に対する憎悪を、Twitterを通して仄めかすようになったのである


 彼女と比べれば、僕は裕福な家庭に生まれた。物心ついた頃には家にグランドピアノが置かれてあり、子供時分には英会話教室やらピアノ教室やら水泳教室にやら通っていた。

 特に金銭面で苦労をしたという記憶はない。取り立てて贅沢をさせてもらったという記憶もないが、かといって吝嗇を旨としていたわけではない。誕生日クリスマスには大抵望んだものが与えられた。

 そんな、特徴のない、ありふれた裕福な家庭に僕は生まれた。

 大学入学後は、仕送りによって生活していた。免許を取るための代金は、家族が捻出してくれた。

 そういったありふれた裕福さを、僕は当たり前のこととして享受してきた。

 きわめつけに、僕は今定職についていない。

 フリーターをしながら日々の生活を送っている。別に収入がたくさんあるわけでもない。それでも、安穏とした日々を送っているのは、要するに実家が太いからだ。仮に、自分の手に負えないような何事かが起こったとして、その時には、まず頼るべき実家存在しているからだ。

 はっきり言って、僕の人生は他の人々に比べれば楽だと思う。

 時々苦痛なのは、そういう生き方をしている僕に対して、露骨軽蔑視線が浴びせられることである。それはある意味、当たり前のコストだ。裕福な人間は、あるいは、人生真剣に生きているとは思えないような人間は、折々に軽蔑視線を浴びせられる。そして、それに対して言い訳をすることができない。その軽蔑視線に対して、「確かにその通りだ」と頷くことしかできない。

 そういうコストに対して、時々僕は疲れてしまうことになる。

 とは言えそれは(繰り返すように)、僕のように中途半端に裕福な家庭に生まれて、ちゃらんぽらん生活をしている人間にとっては当然のコストであり、受け入れるべきコストである苦痛苦痛なのだけれど、かといって、そのような視線を振り払うために定職につきたいかと言われれば、そんなことはないし、僕は雑に生きていたいのだから

 そういう意味で、それを不当なことだと訴えるつもりは僕にはないし、そもそもそんなことをするだけの権利は、僕にはない。


 いや、少しだけ嘘をついた。

 僕は、彼女にだけはそういう立場を取ってほしくはなかったのである


 彼女は僕のことを金持ちだと言う。ここ数年の間、彼女は主にSNSを通して、僕に対する様々な当て擦りを行ってきた。

 僕が察しを付けられるような嫌味、振る舞い、そういうものを、彼女自覚的に行ってきた。

 そういう振る舞いをされることは、ある意味僕には当たり前のことだったけれど、それなりに僕は傷つくことになった。

 他の人間が同じことをするならばともかく、よりによって何故君がそんなことをするのだ? と僕は思ったのである

 勿論、彼女は僕に比べて随分人生において苦労をしてきた。

 彼女彼女の生まれ土地の、土着的なモラルや、あるいはその純粋資本の無さに苦しめられてきた。

 だからこそ、彼女が僕を毛嫌いすることは、ある意味では当たり前のことである。そこに、僕が拒否できるような理由存在していない。

 それどころか、僕は彼女が我が身の理不尽さを、どんな形であれ承服してはならないし、何らかの形で表出するべきであるとさえ思うのである

 例えば、彼女奨学金の返済をする必要があった。例えば、彼女にはちゃらんぽらん暮らしをし、あやふやな夢を唄って生きる暮らしは許されなかった。そう、僕のように、文筆の夢をふらふらと唄い、そのくせその努力を身を削るまでに行っているかと言えばそうではない、そんなちゃらんぽらん人間拒否し、排斥する行為が、彼女には必要だったのではないかとさえ僕には思えるのだ。


 とは言え、彼女行為を僕が受け入れられない理由の一つは、別のところにある。

 つまり、煎じ詰めれば彼女のやっていることは、彼女自身が忌み嫌っているところの、「土着的なモラル」の継承なのではないかと思うのだ。

 恵まれている者に対する敵愾心、その誰かを貶めようとする気持ち

 楽しそうに飛び、楽しそうに歌う鳥に向かって石を投げる行為。そんな鳥が地面に落ちて這いずり回ることを、志向する行為

 そういう行為は、正に土着的なモラル継承ではないだろうか?


 彼女は、彼女故郷でこう言われたことがあったはずである

「県外の大学になんかいかずに、地元学校に通え、あるいは、就職しろ金銭的な支援は期待するな。お前に一人で切り盛りすることは無理だ」

 教育資本によって支えられる生活というものを、イメージすることができない人間に、彼女は囲まれていたはずだ。

 だからこそ、彼女自身の力で自身人生をやりくりしなければならなかったのだから

 優れた人間が、より優れた人間になろうとすることを、阻む力。

 そういう力が、土着的なモラルの中には含まれているし、そのような力が、彼女身の回りには実際に存在していたことと思う。


 もちろん、彼女が僕に対して向けている暴力は、そのような暴力と完全に同種のものではない(というか全然違う)。

 むしろ彼女の受けた暴力とは違って、僕の受けている暴力は、ある意味では正当な暴力ですらある。

 不当に恵まれている者を攻撃すること、それは、ある意味では正しい。僕は不当に恵まれているのだ。それに対して、少々のやっかみが向けられることは、ある意味では当然のコストなのだ。少なくとも、そのようなやっかみを前提とせずに生きることは、不可能なのだ


 とは言え、彼女は周囲から引きずり降ろされそうになり、それを拒否することができた人であるからこそ、僕は、彼女にそんな暴力を(彼女が受けたものとは違った形であれ)継承してほしくなかったのである

 自分より恵まれている人間に対して、石を投げるという行為正当化されるところのモラルは、普遍的モラルではありえない。そのモラルは、ある人の人生から生じたところの、ある人の生育環境から生じたところの、相対的な、つまりは土着的なモラルに他ならない。

 彼女は、そんな土着的モラル拒否することを、生活の旨としていたように、僕には思われるのだ。

 そんな彼女が、何故土着的な、普遍的ではないモラルに身を任せ、自分暴力正当化し、他人を傷つけなくてはならないのだろうか?


 繰り返し述べる通り、僕の人生においてそういう暴力日常茶飯事であり、それが存在することを拒否できる立場に僕はいない。そういう立場には全くない。

 とは言え、彼女がその土着的なモラルある意味継承してしまっていることに、僕は残念な気持ちを覚えてしまうのである

2020-07-10

twitterBLポリコレ論争が面白すぎる

男性同性愛者の人が

腐女子の皆さん、ポリティカル・コレクトネス尊重してBLでは受け攻め概念廃止してリバを基本にしようとか言われたらどう思います?」

アンケートを取る

       ↓

腐女子の人たちが

「そんなのはポリコレじゃない」

と猛反発

めちゃくちゃ笑った意見の数々を抜粋するね!

男性が作っている男性向け作品女性描写、完全に許された……!

→それ我々男オタクがさんざん言ってきたやつー! 「『女性らしい女性キャラ』を追放する運動になってない?」「別に巨乳キャラがいたっていいだろ……」ってさんざん言ってきたやつー!

→お、おう、そうだな……少年漫画ステレオタイプ女性描写によってジェンダーロールを内面化、みたいな批判にも、勝手ジェンダーロール満載のマンガを読んで固定観念に縛られていただけでは? と返していこうな……

エロゲー萌えアニメライトノベルの内容ちゃんと把握した上で叩いてんのかよ? お前らの脳内イメージを叩いてるだけだろ! ってのも俺らはさんざん言ってきたよな……

当事者告発無効化するやつだ……

あと興味深かったのは、この当事者ゲイの人は、「受け攻め固定の風潮で現実ゲイもそうだと思われることが多いが実際にはそうではなく単なるステレオタイプである。それは偏見なのでポリコレの理路からいえば是正されるべきだということになってしまう」という主張をしているのね。ツリーを読めば誰でも論旨を追えるはずなんだけど。

それに対して、

「受け攻め固定は不平等からよろしくないって言いたいの?」

みたいな、「アンケート主はそんなこと言ってない」タイプ反論をする腐女子がすげーたくさんいるんですよね。

腐女子の人たちが受け攻め(つまりは挿入)に権力構造とかそういうものを見出すの、エラい学者サマの評論とかだけじゃなくてマジでそう思ってやってる人たちが一定数いたんだ……という驚きに包まれている。えっそんなこと考えながら掛け算してたの……すごいな……って「こいつは気が強いように見えて実はヘタレからネコ」程度の解像度百合やってるオタクとしては素直に感心しちゃいましたね。煽りとかじゃなくて本当にすごいと思う。

問題はそれを男性同性愛当事者に向けて言ってることなんだけど。

しか当事者の人は権力構造がどうとか一言も言ってないっていうね。「それは現実とそぐわないステレオタイプである」って言ってるだけ。

当事者不在のBL論壇の図式しか頭にない状態ゲイ当事者の主張にトンチンカン反論するの、ザ・マジョリティしぐさって感じで素晴らしいっすね。

ワイ的には、BL百合も愛好者向けのファンタジーです、で押し通せばいいと思うし(愛好者の中に当事者も含まれることは前提として)、それと同様に男性向け作品でのポリティカリーインコレクトな描写とか性的消費とかも別に嵩にかかって糾弾するようなもんじゃなくない? ファンタジーってことでいいじゃん、って思うし、実際にそう言ってる腐女子の人も観測範囲では大勢ますね。

で、そういう立場はほんと同意するんですよ。だってBL百合巨乳もその他多くのステレオタイプ描写も、どれも愛好者の満足を最優先させたファンタジーだとしか言いようがないもの当事者の人には申し訳ないけど(結果的当事者エンパワメントになってる場合もあるっていうのは、実際にエンパワメントされた当事者けが言っていいことであって非当事者オタクが言っていいことではない、と個人的には思う)。

でも、ポリコレは素晴らしいとか日本ガラパゴスでよくないとか男性向けの女性描写ステレオタイプけしからんとか言ってたごく一部の意識高い系腐女子の人たちが、ゲイ当事者に殴られて見苦しい言い訳さらして当事者に食って掛かったりしてるのは悪いけど笑っちゃうでしょ。

はぁ? 今お前らが殴られてるのと同じ理屈男性向け作品も殴られてきたんだが? って言いたくなるよね。

しかもお前ら意識高い系腐女子は率先して殴りに来てたじゃねえか、っていう(一応言っておくと、腐女子全員ではなくごくごく一部のポリコレ意識高い系腐女子の話ね)。

ポリコレ賛成派の腐女子存在自体肉屋を支持する豚のもので前々からどういう精神構造をしていればそんな態度を採れるのか不思議しょうがなかったんだけど、自分が豚だっていう自覚がなかったんやな……

いやもうほんとファンタジーなんだから受けちゃんオークションにかけるのもラッキースケベパンチラ乳揉みしちゃうのもセックスしないと出られない部屋も各位お好きにやっていきましょうという話で、ポリコレ意識したい人が意識するぶんには自由にすればいいけど他人を殴る棒に使うのはやめようってことですよ。『異種族レビュアーズ』や『巨人族花嫁』や『抱かれたい男一位に脅されています。』がアニメ化されて地上波で放映できる表現自由バンザイって話ですよ。書店ラノベの棚やBLの棚が肌色で目立っていてもええやん。そういうのがお好きじゃないオタク向けに肌色じゃないラノベBLもいっぱいある! 多様性

しかし何度見てもシスヘテロ女性セクマイ当事者に「お前はポリコレ勘違いしている」「それはポリコレではない」みたいな言葉を投げつけてる光景すごいな(批判側にもセクマイはいるので、全員がシスヘテロ女性ではない)。マジョリティ様がエラそうにマイノリティに物申すの、男がやるとマンスプレイニングって呼ばれるやつだけど女がやるのは何て言うんだっけ? あ、そっか男女差別という文脈の中で出てきた概念から民族差別とか性指向に基づく差別ときみたいに男がマイノリティで女がマジョリティになりうる局面には適用できないんだね~。普遍性とは、解像度はいったい。

ブコメに応答

エロ絡むならなるべく表に出さないよう店頭エロポスターを貼んな程度なら協力するしBL個人で楽しんで下さいって感じなんだけど、腐フェミ存在自体傲慢というか日光に当たったら死ぬのに飛び出して来るのは謎

その「エロポスター」の基準ガッツリ行為してますレベルエロじゃなくてラブライブや宇崎ちゃんだもんなぁ。キズナアイジェンダーバイアスを強化するのでけしからん的なこと言ってたフェミ腐女子学者先生もいたっけ。同じ基準自分趣味を裁いてみればいいのにね。

そもそも質問としてなぜ入れる・入れないの役割を平均化したらポリコレ的に正しいになるのか…?そこに個人間の自由を廃してしまったらそれこそポリコレ的にアウトでは??

登場人物人種比や男女比はなるべく現実に揃えましょうみたいなのがポリコレなんだから、仮にポリコレを支持するなら「現実と比べてリバの比率が少なすぎる」みたいな指摘も支持されないとおかしいのでは。

まあ、そんなこと言ったら登場人物が男女どちらかに偏ったコンテンツけしからんみたいな話になって、色々死ぬんですけどね! きらら作品とか許される余地皆無すぎるな。登場人物ジェンダーバランスおかしくないですかって言われたら即詰み。

どうでもいいけどオメガバースかいうのは完全にポリコレに反してるよなとは思う 被差別層を作り出してレイプ正当化させてるやべーやつ

ポリコレ最前線では「マジョリティ作家演者マイノリティ主題にした作品を作ったりマイノリティ役を演じたりするのは搾取」ということになってるんだから、その理屈を取り入れたらオメガバース以前にそもそもヘテロ女性が書いてるBLは全部滅びるべきという話になっちゃうよね。許されるのはゲイが書いてるBLくらいじゃね? もちろん男性が書いてる百合もアウトだし、なんならヘテロ女性が書いてる百合もアウトということに……

個人的認識としてBLは「BL好きのためのファンタジー」であり、「LGBT向けポルノ」と「全年齢&シスヘテロ対象読者として同性愛を描いた作品」とはそれぞれ別物。まともに議論するならまず定義を共有した方がいいよね

マジョリティマイノリティを利用して創作してるファンタジーマイノリティによるマイノリティのための創作とは別物だから一緒にするな論、ポリコレ的には完全にアウトと言うほかないので、主張するのは自由だけど口にした瞬間にアンチポリコレ派と見なされても仕方ないよね……ともに手を携えてアンチポリコレ派をやっていきましょう、同志よ。

え? いやいやまさかそんなポリコレ的に100%アウトな発言をした同じ口でポリコレを支持したりはしませんよね? まさかそんな……ねえ?

私は、どの性癖ゾーンの中でご自由に派なので、エロ含むBL一般書籍にあったり股影ポスターみたいなののBL版が出てきたら嫌。子供には現実LGBT教育すべきと思う。大人も男も女もだ。

ポスターは知らんけど、肌色の多いBL本なら普通に一般書籍と同じ棚に並んでますがな>https://togetter.com/li/1266758

本屋の中でも奥まったところにあるでしょ、と言われるかもしれないけど、それを言うなら岩波新書講談社選書メチエだけ買いに来た人が電撃文庫の表紙を目にするような状況も(少なくとも大型書店でなら)ありえないわけで……

からない…おれが左右固定の腐女子であることでお前を傷つけたか…?

その気持ちめっちゃわかるわ。おれが宇崎ちゃんコラボを見て献血してなにかお前を傷つけたか……? というお気持ち

共闘しろよ。敵はそいつらじゃないだろ。

いやほんと、敵は腐女子じゃなくてポリコレ押し付けっすよね。これを間違えてはいけない。BLみたいなのを女性が堂々と楽しめて、男性男性に都合の良いファンタジー謳歌できる、そういう自由解放された世の中が目指されるべきで、その桎梏となりうるポリコレ押し付けにはともに手を取り合って反対していきたい。

ただごくごく稀に腐女子でありつつガチガチポリコレ派みたいな人がいると「???」となっちゃますね……

とらのあな池袋店6Fが腐女子と男ヲタ共存を探る場なのかもしれない…と思いつつ、レジかい正面のBL平積み展開は未だに慣れない…

別に慣れる必要はないんやで。攻撃したり排斥したりしなけりゃいいだけで。

規制も反ポリコレポリコレ一種だし、皆多かれ少なかれ複数指標の間でバランス取ってるわけで、そういう指標もあるのねくらいに流しつつ、取り入れる人の否定もしないのが表現自由であり多様性では。

取り入れる人の否定は誰もしてなくて、取り入れてない(と認定された)人や作品が叩かれる状況を否定してるんだよなぁ……

ぶっちゃけた話、ワイも自分創作するときにはそれなりにポリコレ派っすよ。男らしいとか女らしいとか女子力とか、そういう言葉自分の作ったものには意識して入れてないし、差別的な考え方をあえて否定するようなメッセージ入れた作品を作ったこともある。

そんなワイでもキズナアイバッシングとか宇崎ちゃんバッシングとかラブライブバッシングには激おこぷんぷん丸だったんですよ。あれがポリコレなら俺はポリコレ敵対するわ。

2020-05-08

カフカは百年前に「この世は生きにくい」と書いた

anond:20200507171805

元増田意見には全面的共感している。

皆さん、カフカ読んだことありますか?

『変身』読んだことありますか?

『城』読んだことありますか?

双方とも百年以上前に書かれた小説で、それぞれ男性の生きにくさについて書かれています

これらの内容は非常にシンプル

まり、「辿り着きたい場所にどうしても辿り着けない」、ということ。

このようなテーマ長編審判』の作中に登場する掌編、『掟の門前』にも表れていて、これまたカフカを語る上では重要な箇所です。ちなみに、この『掟の門前』について軽くあらすじを述べると、

ある男が「掟の門」の前に辿り着く。

その男は、門番に対して「入れてくれ」と乞う。しかし、門番は決して首を縦に振らない。

門番は言う。「この門をくぐれば終わりという訳ではない。この門の中にも更に門番がいる。更にその門をくぐれば更に門番がいる。屈強な門番達だ。それが繰り返される」

男は門番自分を入れてくれるよう、何年にも渡って乞い続けるが、結局男は門の中に入ることはなく、その命を落とす。

これが基本的カフカ世界観です。

どうしても辿り着きたい場所に辿り着けない。

全力で何かをしようとしても、それは叶えられない。

百年以上前に、彼は現代桎梏の骨子を把握していました。これは現代にも通底する観念です。

百年かかっても問題解決していません。

しろ部分的には悪化してさえいるでしょう。

ブクマカの皆さんは、百年来の問題解決するために、どうすればよいと思いますか?

2019-10-11

Chim↑Pom気合100連発」の件

正直あいちトリエンナーレ関係ニュース補助金関連の辺りから食傷気味であえて距離を取っていた。

Chim↑Pom炎上してるってのをネットで見ても、「まぁ元々ある程度炎上商法的な立ち位置だしな…」と思ってしまったのも事実だし、「被曝最高!」「放射能最高!」の文字列が並ぶニュース記事を見て、「あぁこれだけ見れば物言いたくなる人がいて当然だな」とまず思った。

昨晩のTBSラジオ「session22」のOPリーダーの卯城さんが出演し、作品意図と、「気合100連発」の音声がO.A.されていた。

https://twitter.com/session_22/status/1182282259946041345?s=21

帰りの車中でこれを聞いてて初めて詳細を知ったんだけど、自分は正直なところ、分別のつく人ならこれを福島ヘイトと捉えるわけがないと思った。

悪意のある誤読や切り取りか、ニュース見出しだけ見て判断してしまったのでない限り、作品を鑑賞した上でそのような感想を持つことは考えにくい。

…と思っていたんだが、卯城さんが表現の自由について至極真っ当な「正論」を話しているのを聞いていると、この数年来感じていた違和感が思い起こされてしまった。

あえて手垢のついた言葉を使うが、その正論はどこまでいっても「リベラル」な正論なのだ

ジョナサンハイト社会はなぜ左と右にわかれるのか』とダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』の議論を下敷きにすれば、保守システム1に、リベラルシステム2に主に訴えかける主張だ。

リベラル言論空間は、徹頭徹尾システム2で考え抜いた言葉要求される。

要するに、面倒臭いのだ。

フェイクニュース流行トランプ以降の世界は、「ネット空間で誰もが発言できバズを狙えるようになったことで、個人承認欲求がこの『面倒臭さ』を圧倒してしまった」ということで、かなりの部分説明できると個人的には思っている。

ただ、アートを含めた文化全般価値を信じ抜きたい人間としては、その面倒臭さ(=作品文脈や、各カルチャー歴史を調べた上で作品に接する態度)を軽視する風潮にはどこまでも抵抗していきたいと強く思う。

文脈を一切排除した現代アートは語義矛盾だ。20世紀以降の芸術はそれまでのスタンダード破壊することに拘泥しすぎたきらいはあるが、作品意図を読み解くためには、19世紀までの西洋美術功罪を知ることが必須だ。

これはクラシック音楽スタンダードからの脱却を図った現代音楽聴く際にも求められる態度だ(クラシック素養なしにサティストラヴィンスキーシュトックハウゼンを十分楽しめる人はまずいないだろう。)。

またそれは、パンクの登場が世間に与えた衝撃を知るためにはロック誕生からプログレ商業ロックに至るロック史を知る必要があり、エルヴィスが世間に与えた影響を知るためには19世紀末以降のアメリカポピュラー音楽史を知る必要があるのと同じことだ。

それはとても面倒臭くて時間がかかる作業だ。しかしその作業なしに、過去を顧みることなしに、創造は有り得ない。

ポピュラー文化人口膾炙してこそ文字通りポピュラーになるわけで、文脈を知らない人を巻き込んでいく必要性のためにこの桎梏を抱えざるを得ないわけだが、情報が溢れる現代においてはその困難さの質が極めて短期間で変容してしまうように思う。

ただ、文化社会の発展に寄与した功績を理解できる人ならば、こうした時間のかかる作業マネタイズできない時代においてこそ、その価値保全される必要性をひしひしと感じているのではないだろうか。

2018-10-20

anond:20181020174432

青春を投げうって友人関係も切り捨てるほどガリ勉した結果が関西のどっかの私大と同程度の公立大学ねえ、かわいそうに。

親も増田に才能がないことくらい自分の息子なんだから理解していたべきだし、さっさと見切りをつけて増田の好きなように生きさせてあげればよかったのにね。

サーバールーム脱糞としあき場合休職してから桎梏が外れて両親と和解できてたけど、増田場合は両親がいまだに増田プレッシャーかけるあたり望みは薄そう。

 
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