はてなキーワード: 対象とは
はてブは極めてリベラル・左派色の強い(共産党や立憲民主党の支持が多いなど)と言われることが多い。
それでは、草津町長が性加害を行ったとして虚偽の告発をされていた件で、当初ブクマカがどのような反応をしていたか残しておこうと思う。
この問題でのブコメの1位である「群馬県草津町の「町議リコール」住民投票がはらむ、性被害の事実以前の大きな問題」(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hbol.jp/233731/)と2位である「「町長からセクハラ」告発の女性町議、懲罰動議で失職:朝日新聞デジタル」
(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASMD261GBMD2UHNB00M.html)を参考に見ていこうと思う。
(以下、上位ブコメ)
◯セクハラの訴えが虚偽だったとしても、公共施設にリコールを訴えるポスター貼ったり街宣車を走らせたりするのはとにかく異様。リコールは住民運動であるべきで、政敵を攻撃するためのものではない。
◯"① 警察の捜査や裁判の結果が出ていない段階での住民投票である。 ② 公平性を担保すべき自治体が、一方の側に投票を誘導している。 ③ 超デリケートな問題にもかかわらず、一切の配慮が感じられない。"
ちなみにこの記事を書いたちだい氏は、元町議の虚言が明らかになってからも「もっと陰湿で闇だらけの真鶴町でさえ草津町のような公平性を欠いた住民投票にはなっていないし、町をあげてのリンチ状態にはなっていない。」(https://twitter.com/chidaisan/status/1721282877881737323)などとの発言を続けていた人物で、ブクマカの多くはそれに賛同してしまっている。
(以下、上位ブコメ)
◯その理由はないわ。性的問題での追及が出来なくなる。>「新井氏が「町長室で町長と肉体関係を持った」と発言した点などが「破廉恥で、議会の品位を傷つけた」とされて懲罰の対象となり、新井氏は議席を失った」
◯セクハラを訴えられただけなら「まずは事実関係を」ぐらいのテンションで見てるはずの世の人々も、この意味のわからない懲罰動議で一気に「町長怪しい」に進化してしまうよな。
◯いや、事の真偽も明らかになっていないのに懲罰はおかしいでしょう。/そして、被害の訴えが議会の品位を傷つけるというロジックもおかしい。/まずは事実確認が必要。事実なら、懲罰は撤回されるべき。
分量が多くなるので3つずつしか取り上げてないが、それ以下のブコメも星の多いものの大部分は草津町・草津町長への非難だった。
大きく2点だろうか。
→裁判においてリコールは合法なものであったと確定判決がでている。
→そもそも裁判とリコールは独立している。また、事実関係についてもこの虚言のみではなくそれまでの積み重ねでリコールになってる。
というか、「仮に本当だったら」などと前置きして誹謗中傷するのって本人は中立とか理性的なつもりなんだろうけどバレバレだよね
草津町議の虚言に乗って草津町・草津町長を貶めたものが多かった。
その理由が、はてブに蔓延する親フェミニズム(ジェンダー論)的なものなのか、地方差別からくるものなのか、親リベラル(共産党等。そういえば元町議擁護デモをしてたのも共産党だったよね)からくるものなのかはわからないが。まぁ合せ技なんだろうけど。
いずれにしてもブクマカ(はてサ)にとって、男性の人権ってのは女性のそれに比べて劣後すると考えていると明らかになった事案と言っていいだろう。
EUでは学習元データの透明性確保とかオプトアウトにむけた法整備が進んでるわけで、現行法での整理でマウント取るのはかなり裏目があると思うんだよね。
この流れが広がった場合、「生成AIって出てきた当時は法規制が追いついていないのを良いことに好き勝手して、絵師は反AIと馬鹿にされながらも権利を守るために戦って規制を勝ち取ったよね」みたいな評価にもなりかねない訳じゃん?
あとそもそも将来の法規制を求める声に対して、現行法ではセーフだから黙ってろって反論になってなくない?
俺も反AIは嫌いだし単純に特権意識持ってる絵師様()が必死になる様は面白いと思うけど、馬鹿にする対象は選んだ方が裏目が無いと思うんだよね。
例えば「反AIは絵柄に対する著作権の保護を求める馬鹿」とか「著作権違反アイコンや二次創作を好む癖に生成AIを批判するのはダブスタ」、「現行法では合法な行為に対して『盗人』のような強い表現で批判を行うのはモラルがない」とか浮いたコマを馬鹿にしてる分には法規制が進んでもひっくり返らないよね、
今のところはてなではAI推進派が多数派っぽいけど、今後どちらに転んでもおかしくないと思うからブクマカは過去の過激なブコメを引っ張り出されてネタにされないように自衛した方が良いと思うよ。
「カラオケ行こ!」のヤクザに可愛げがありすぎることで、現実のヤクザとの関わってはいけなさが軽視されてしまうのではないかという問題(ファンタジーヤクザ問題)に端を発する話。
現代では未成年を性の対象として見ることのタブー度合いが10年前とは比較にならないほど上がっているが、未成年とヤクザが関わる話が大々的に上映されてしまうのはどうなのか。表現の自由の範疇ではあるが、おじさんと少女の恋愛を肯定的に捉えられた時と性質は似ている。
「強いオスによる支配」は野蛮であり、文明的ではないのだが、これを否定的に捉えるのが苦手な人々が存在する。同じ口で「立場の弱いオスが若いメスを搾取する」ことは糾弾しがち。別に弱者男性論とか男女論をやりたいわけではないが、ここはシンプルに矛盾してるように思う。
2年で3名ほどアプリのデザイナーを業務委託で雇って結論、業務委託もういらん、面倒という結論に至った。
・業務委託雇った当初、一人デザイナーだっためリソース多いほうがよいのではということで、フリーランスを雇うことにする。
・社会人7年目。
得られた所感
・準委任契約でリモート前提は相当な信頼関係がない限り無理。明らか自分のキャパ以上の仕事を並行して受けているフリーランスはこちらからすると、アウトプットが少なすぎる。
・準委任で週5日フル勤務契約なのに他の仕事掛け持ち前提で従事しようとするフリーランスは、いかがなものかと思った方が良い。
・レスが遅い人は切る対象にしたくなる。即レスを求めるわけではないが、チャットで質問して5時間後にくるのが普通なフリーランスは感覚がずれている。
・そもそも進捗具合を聞かないといけないようなフリーランスは切る対象で良い。
・商談(面接ではない)で、一つでいいからプロジェクトの中でどんな立ち回りで関わっていたか、どのくらいの期間の仕事で何をしたか細かく聞いたほうがよい。ここで返答が曖昧だったり、理解ができなかったらその人材は会社にあってない。
・盛り癖があるやつは、関わった会社のロゴを資料にペタペタ貼り付ける。
・プロトタイプで終わったやつとか、世に出てない製品についてはあまり参考にならない。
・初めて話して泥臭く仕事に取り組む姿勢や素直さが感じられない場合は大抵地雷。
・アウトプットがチェックしてもらう前提で上げてくるので、チェックに時間を割けるなら雇っても良いと思う。ただチェックする時間を割くくらいなら自分で作業した方が良い。自分で学習したほうが早くないか?と思う。
3名とも単価100万/月以上になるが、この金額払って業務委託雇うくらいなら、自分でやったほうが早いという結論になりフリーランスはもう雇わないだろう。
Xで政治系のトレンドが頻繁に入り、それに対してリベラルと保守が好き勝手殴り合ってるのがこの連休中ずっと繰り返されてたけど、全体的に見ると保守が最終的に感情的になって罵詈雑言しか吐かなくなって話が終わることが多く、保守の未熟化とリベラルの成熟化が残酷な程可視化されることとなった。保守からは嘲笑の対象であった小西議員や蓮舫議員ですらもはやその保守と比べれば冷静で知的で真っ当な議論ができる言論人である。保守が人々から無条件に嘲笑の対象となるのも間もなくだろう。もはや保守は終わりである。リベラルによる真の民主主義の到来は近い。
人間として当たり前の態度を取らねくても生きていけることを
その時々に怒りと憎悪の対象を取っかえ引っ変えして耳目を集めるやり口とか
バレたら話題を逸らして逃げるとか
まるで双子のよう
>非モテブスが平均を遥かに上回る容姿の男と性交渉前提で相対しても冷静に上から目線で対象化できるって一般的に女の習性としてあるけどすごいと思う
富山の女性が転出過多って話、富山の女への洗脳がもう効かなくなってきてるのかな。
と聞かされて育った。
このイイ女というのはよく働いて気がきく女、いずれいい嫁になる女という意味。
お前たちは富山に生まれただけで女として価値があるぞというわけ。
そんな話真に受けるバカがいるのかと今の時代なら思われそうだけど
少なくとも私の周りは私も含めて
この富山の女=イイ女という図式をまんざらでもない気持ちで受け取って育ってたと思う。
確かに大学で出会った女の子の中で金沢出身の子って雰囲気ですぐわかったし
少なくとも富山の女じゃないなというか、
富山の女に比べて全体的にトロいというか気が利かない人たちという印象だった。
当時同じ富山出身の子達と話すとやはりみんな金沢の女に同じ印象を抱いていて
なんか気が利かない子多いよね?
私達みんなこれに気付く側ってことはやっぱり富山の女は嫁にしたくなるイイ女なのでは?
という自尊心みたいなものがみんなとの会話で静かにムクムクしたのを覚えている。
たぶんこの洗脳が効いてる間は富山で富山の嫁やってても辛くなくて
むしろデキる女だと自負して何なら富山の嫁をうまくやれない落ちこぼれの女を攻撃する側に回れるんだよね。
今更上京できる年でもないし、どうすっかなーと思ってる。
洗脳受けてない、あるいは効かなかった女は早めに転出した方がいい。
富山の女はイイ女
は
家に都合のいい女
だ
https://jlfmt.com/2024/02/06/71127/
懲戒になって逃げ回ってる岸本学じゃないか。当時はまだ元気だったんだね
当該会員は依頼者にその預り金を遅滞なく返還しなかった(弁護士職務上の預り金品の保管方法に関する会規第7条及び弁護士職務基本規程第45条違反
冤罪攻撃に謝罪が無いというが、炎上部隊が(例えば暇空のような)音頭取りを擁立して報酬目的で炎上起こしているとしたら当たり前だし、そういうギャングストーカー事件はありうるし
(証拠は誰かの秘密携帯にしかなく立証困難、実際は殺人でも女性タレント自殺報道でインセンありしかし捜査端緒なしとかな)
特定のコルセン女性部員狙いのクレーマーもいたりする(部員が不審死すれば警察はストレス自殺扱いにしやすいだろ)
自分や他人の理解について、それで済むならあまり説明的な言葉を使いたくないと考えてしまいがちだ。既存の言葉で説明しようとすると、端っこを捨てたり、体の肉の形を変えたり、捻じ曲げたりしなくてはならないところが少なからず出てくる。辞書に載っている言葉は対象そのものを表すためのものではなくて、指し示しているものがなんであるか理解するための補助線だと思う。その言葉ひとつですっかり代替できる人間の性質などなく、強いて言えばその言葉に近いかも、という感情や状態があるだけ。だから小説というものが、言葉でまるごとをそのまま表そうとする試みとしてあるのだろう。
でもマイノリティに関わる言葉については、説明的な言葉を使いたくないという動機だけで特定の言葉を避けるのでは取り漏らしてしまうものが多すぎる。その使い方自体に政治性や歴史的背景が帯びてくる。その言葉を意図的に使うこと自体が抵抗になったり、その言葉を避けて使わないこと自体が、その人たちをなかったことにする流れに与したことになったり、できるだけフラットに使おうとすること自体が確実にいまある差別を見て見ぬ振りすることや、既存の差別構造の再生産に与したことになったりする。
言葉を使えば私はノンバイナリであるしエイセクシャルであるなどと言うことができるが、そう言ったそばからそれを言うために捨てたもののほうが気になってしまって、眼の前の話に集中できなくなる。だから私はそういう言葉は使わない。カミングアウトなどということもしっくりこないからしない。ただ話している相手の目の前に、なんとなく性別の規範から外れた感じの私がいるだけだ。それだけでいいと思うのに、自分が選ばないことでどういうフリーライドをしているのか、私は計算することもしていない。私は先人の努力に甘えているのだろうか。あるいは私がなんとも言わずにこういう自分であることで、誰かを励ますことになっていたりしないか。
俺は個人的にはね、邦キチは映画をサゲないのが良いと思う派なわけよ。
名作も迷作も世の中がそう勝手に言っているだけと言わんばかりの強烈な邦キチの熱量に部長が適宜突っ込むという作劇が絶妙なバランスで映画自体を貶さないで済んでいると思うわけよ。
あと、あんな清潔感のある同衾への動線ある?押し入れから枕だけ取り出してswitchと一緒にやってくるみたいな。乾いているわけではなくしっとりもしていない青春の空気感俺もう怖いよ。
なんだっけ (( 閑話休題 ))、そうそうXで燃えるほどでもなく話題になってたインベスターZ(インベ)の話ね。良い宣伝だよね。WinWinだよね。
いま公式のポストで該当回読めるから読むと良い経験になると思うんだけど、これ流れがすごい怖いんだよね。
まず、ラーメンおごってもらえると思って部活の先輩についていったら、観ろって言われて「感動作、大ヒット」ってポスターに書いてある映画を"見たくもない"って自分で言っておいて、自分で金払って観始めるんだよね。
もうここが怖い。ナチュラルにその集団の中の指示に従うという刷り込みが終わってる。見ないとラーメンおごってやらないぞって言うエクスキューズ(言い訳)も準備してある。
怖い怖い。映画観る金でラーメン自分で食えよ。もうその集団の中のイベントに参加するためには身銭を切る必要があるって意識に上ることすら無くなってる。
で、まあ映画を観始めてクッソつまんねぇなあって思うこと自体はアリだと思うわけよ。ここを否定する映画好きはまずいないと思う。
ただ、インベ作中の主人公が「客をバカにしているとしか思えない!」みたいな感想に、あれ?みたいな違和感を感じると思うのよ。
で、映画館で席を立ってしまう。まあこれも個人的にはアリだと思う。トイレで席立つ人を想像しなくても、まあ、割と映画祭とかでエログロの時って席を立つ人、いるよね。
俺個人としてはXでの風潮とは別で、観たくもない映像を押し付けられたときに見ないという選択肢を取るのは決して映画嫌いを意味しないと思ってる。
映画って体験として強烈だから、トラウマが刺激されるとか全然あると思う。
感情を揺さぶる力が映画にはあると思っているし、だからこそエンタテインメントとしてこの感情の揺さぶられ方は嫌だと言って拒否するのはアリだと思ってる。
だから、安心してほしい。少なくとも俺は映画の途中で観るのを止める人が映画好きを公言してても別に普通のことだと思う。
ただなあ、インベの席の立ち方って「こんなもの最後まで観たらバカになる!」とか言って席を立つんだよね。
そのあと、実は何分で途中で出てくるかが、その集団(投資部)恒例の賭け事の対象ってのは、まあそういう部活の謎の伝統あるよね、みたいなのは判る。
ただね、その後たぶん、ん?って思うセリフがちょくちょく作中の人物から語られるのよね。
この賭け事の伝統っていつからやってるんスか?あー、映画が大衆化した戦後のことだろう、とか。
(5分でツマラナイってわかるヤツがレコードタイム18分っていうのが、微妙にリアルでちょっと面白いけど。宣伝10分+本編5分+退出3分だとありそう)
まあ、時間の無駄だと思った後、惰性でみるこた無いんでは?ってのは、その通りだと思うわけよ。
いやー、映画は最後にどんでん返しがあるかもよ?という意見があるのはわかるけどさ、ソレ、ホントに有言実行してる?とも思うのよ。
あー、一本の映画だとあるかもしれないけどさ、アイアンマン観てこういうアクションものは肌に合わないかなーと思ったとしてさ、いや経験になるしそこは映画好きならマーベルシネマティックユニバースは全部観てから語るべきでしょ、とホントになってるかなーと。
今期1話で切ろうと思ったアニメはちゃんと完走してから1話を語るようにしてますか?という。
もちろんね、エンドレスなエンドレスエイトを実況板に張り付きながら見た経験は一生の思い出にはなっているけどさ、それを強要できるかな、という。
そうそう、で、インベの話ね。
投資部に入るものはさっさと席を立たなければならない、というあたりが、カルトっぽいのよ。
選択肢の錯覚に近いんだけど、ここまでで既にインベの世界観に共感する読者には刷り込みが終わってるわけよ。
大ヒットするような感動作は、観るとバカになるような映画だ、大衆化した映画なんてものは、投資家が観るようなものでは無いっていうね。
ソコを前提としたうえで、つまらないものをつまらないと思いながら最後まで観ることを何の価値もないと断ずる。
もしかしたら最後に面白くなるかも、とか、挽回する可能性は低い、ではなく、ハッキリ言いきる。
株価の話で損切りの話もしたうえで、金よりも時間が大事と気づいたお前はテストをパスしたと言う。
作劇としても大変に巧みで、「いやいやそうは言っても最後の最後に面白くなるかも」という反論を「それっていずれ株が上がるかもと思って塩漬けしてるのと同じじゃん」と"自分で"気が付けるようにしてある。
インベの主人公も、自分で気づいたという点を評価してもらっている。
インベの主人公は、なんだかんだと言いながら、全て自分で行動している。
自分のお金で映画のチケットを買い、自分で映画を観て、自分で映画を途中で観るのを止め、その行為を「お金より時間が大事とオマエが気が付いた」と評価される。
誘導はされているけれども強要はされず、解説はされているけれども自分で気が付いたことにされており、不満点は相手が聞いたうえで断定的に回答する(「過去は忘れる」)。
ホモソーシャルな部活動の体だからそこまで違和感はないけれども、これ、同様の体験を大学入学時に魅力的な先輩からなされたときに、それってカルトではって気が付けるか俺には自信は無い。
しかもよ、背景にはうっすらと自分は凡人とは違うっていうエリート意識というか、投資家意識みたいなものがあるわけよ。
ラーメン屋に誘うというフレンドリーな関係性、映画館で途中で席を立つという"他人とは違う"体験、損切りという部内で通じる単語を通じてグループ内の価値観を共有していく。
しかもこれ、漫画としても同じ構成になっていて、漫画というなじみのある媒体で、大衆の感動するような映画には流されない俺というちょっとしたアルアルを追体験させて、損切りという価値観を共有している。
ココに対して、「いやーその価値観はこれこれこういう理由で狭量だよ」と伝えても、おおむね反発を受けるか、わかってないヤツ扱いされると思う。
しかも大変に良くできた作劇なので、漫画を読んでなるほどと納得した人は、映画を最後まで観る派に対しては「ああ、こいつは損切り出来ない投資家に向いてないヤツなんだな」と思わせるようになっている。
俺はカルトの脱退のさせ方は詳しくないのであんまり的確なことは言えないんだけど、あの漫画に納得する人を否定したり馬鹿にしたりするだけでは、少なくとも価値観を変えることはできないだろうな、と思う。
そして、インベスターZという漫画の作劇は、少なくともあの映画の損切りの回は、とても怖いと思った。
実は同じくらい、今回の件で映画を最後までみる経験派も"危うい"と俺は思っている。すごく配慮したコメントしている人もいる一方、そうでない人もいるから。
映画は数あるエンタテインメントのうち一つでしか無いので、それを重視しない人生もまた、俺は尊重したいと思う。
サタンタンゴを観た人類しか得られない経験は間違いなくあるけど、それを貴重な経験だよって誘う勇気は俺には無いから。
あと、最後まで観る強硬派は、MCUのエンドゲーム以降の観る順番を教えて下さい。ワンダヴィジョンくらいからついていけてないです。お願いします。