はてなキーワード: 嫉妬心とは
タイトル通り
当方ガチアスペ。会話のグラデーションがわからないは当たり前。そもそも会話が成立するか五分五分。
共感能力も低いから情緒にも乏しく、言ってはいけないことを平然と言ってしまう。
おかげで家族からはずっと「他人の言ったことは真に受けるな。マイナスなことは絶対に口にするな」と言われて育った。
そのせいで自己肯定感は育たず、人より優れたところはないと本気で思っている。
他人に褒められても「信じてはいけない」という、本能にも近い信条が働きかけて、せっかく褒めてくれた人を全力で否定して不愉快にさせる。
小中高といじめられ、小学校のときはレ○プ寸前の性被害にも遭ったせいで人間不信。
どう考えてもめちゃくちゃ生き辛さを抱えてる。
それでもなんとか自立して、自分に合った仕事を死にものぐるいで探してもぎ取って、現在は奨学金を返しながら猫と一緒に二人暮らしを楽しんでいる。
この「なんとか自立」できてしまったせいで、タイトルのような連中を心底軽蔑してしまう。
これはマジのガチでただの妬みだし、自分が狭量であることを理解しつつも、最近よくある弱者ムーブに甘んじる人間を見ると吐き気がする。
「お前は自分の立場を選り好みできるような人間か?努力したんか?」と本気で思う。
社会に出たら仕事さえできればある程度重宝してくれる現場なんて腐るほどある。
そういう仕事を探したり、そういう職に就く努力をほんまにしたんか?と言いたい。
自分の生き辛さを少しでも減少させる自助努力は大事やぞ、と言いたい。
何度も言うけどこれはガチでただの妬み
でも流石に最近そんな話をめちゃくちゃ見かけたり、聞いたりする。
そして自分の中の嫉妬心が膨れ上がってハゲそうになったんで、とうとうここに吐き出した。
https://anond.hatelabo.jp/20211021080727 ハッカソンマスター石崎仁一の悪口を書いている人達を深堀り調査
ハッカソンマスター石崎仁一の悪口を書いている人達を深堀り調査という記事があったので私なりに分析してみます。
https://twitter.com/search?q=%E3%83%8F%E3%83%83%E3%82%AB%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC
https://twitter.com/search?q=%E3%83%8F%E3%83%83%E3%82%AB%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC&src=typed_query&f=live
この人達はツイッターに書き込んでる人達ですが、よく調べると学歴や職業が比較的低レベルな人達で嫉妬心を抱いている劣等感の塊のような人達です。
人間は、他人と比べたときに自分が劣っていると感じたときに「劣等感」を抱きます。 劣等感は強烈なネガティブ感情なので、それを何とか払拭したいという衝動にかられて、悪口や誹謗中傷をしているのです。
悪口を言うことで、相手をおとしめます。自分対相手との比較において、相手を引きずり下ろすことによって、自分の価値を相対的に高めることができると勘違いしてます。それで、内なる劣等感を緩和しようと心理が働いて悪口を書くのです。 ハッカソンマスターの受賞歴を見てしまったために、惨めな気持ちになってしまい、嫉妬心を抱いており、評価を下げたい気持ちから、自分自身にコンプレックスを感じており、より優れて見える人に対して名誉毀損を繰り返しているのでしょう
4ヶ月前、僕は合同誌の誘いを受けた。
内容はSさん原作のアンソロジー本、ようは「うちの子二次創作合同」だ。少しイヤミっぽい書き方だが作品名をボカす為、何卒容赦いただきたい。
「うちの子」とは大抵の場合その人が創った一次創作キャラクターの事である。それの二次創作本を原作者主催で作るのだから公式アンソロジーと呼べるかも知れない。
かなり内輪ネタ感はあるがSさんとリプライを交わしたこともない自分に声がかかったのは意外だったし嬉しかった。
数年前にHPにあったイラスト、ショートストーリーに強く惹かれ何枚かファンアートを書いたことがある。それを見て招待してくれたのだという。
自分の作品が見られ評価されるというのは創作者にとって一種の麻薬である。僕は気分が高揚するのを感じながら了承の旨を伝えた。
自分で言うのは変だが僕は二次創作が得意だ。真骨頂と言ってもいい。
映画、小説、漫画、動画、あらゆるコンテンツを見ても一番最初に考えるのは「自分ならどんなストーリーを作るか」だ。
原作者が組み上げた土台の上で自分の思うがままにストーリーを展開させるという楽しみ方。オリキャラを出すわけではないのでメアリースーとは違うと思う。
子供の頃から日常的にやっていた事だが、多種多様な作品を見てネタの引き出しもバラエティに富んだ今、考え出すと止まらなくなる。
久しぶりに物語を読み返し、設定を思い出したところで僕の頭の中では無数のアイデアが浮かんでいた。
シリアス系、ギャグ系、まったり系……どれも捨てがたいが一番得意としているギャグで行く事にした。
構成を整える為、メモ帳に思いついたネタを書き出していったのだが珍しく指が止まった。
僕はネタ出しの際、とにかく頭の中のものを全て出し切ってから取捨選択を行うので何故この段階で固まっているのか自分でも分からなかった。
最後に入力した行を見返した時、自分の異常さに無意識のうちに反応したのだと理解した。
ニュアンス的には銀河鉄道999のメーテルが「行くわよネジ!」と言っているようなネタだった。
Sさんの作品は人の生き死にが関わってくるシリアス系の作品だ。こういった作風に対する二次創作ではブラックユーモアや軽いノリを入れるのが僕の好みだった。
商業で展開してる作品(同人だが東方Projectも含む)の二次創作を行っていたときは気にしていなかったが、ここで初めて原作者の存在を思い出した。
このネタを見たとき、Sさんはどう思うのだろう。怒るだろうか悲しむだろうか。
自分が原作で主催の合同誌だ。載っている作品は全て見るだろうし、第三者からしても「Sさんはこの人の作品を認知している」という事になる。
それは僕にとって非常に不都合だ。
今までやってきた二次創作は原作が手の届かない大手だったからこそ自由にやれていたのだ。
少々グレーではあるが二次創作者は同人即売会などでひっそりと本を出し、原作サイドは見て見ぬふりをする。この暗黙のルールに僕は守られていた。
だが今回は違う。原作者に認知され、認知されたことも認知される。同人であって同人ではないのだ。
二次創作ということに変わりはないが僕がやっていた二次創作とは全く異なるものである。
咲の天江衣が手足を折られている絵も描いた。東方のミスティアローレライが呪歌を歌う本も描いた。
原作ファンから嫌悪感を抱いたコメントをもらった際は「嫌なら見るな」のAAと同じポーズをして全く気に留めなかった。
何故なら悪意を持って絵を描いているわけではないからだ。後ろめたさや罪悪感は微塵も無い。
ただ思いついたから描いただけ。絵のメッセージ性を考察するだけ無駄だ。何も考えてなどいないのだから。
思い返すと僕は一次創作をやった事がない。だから一次創作者、原作者の考えが分からない。
以前エヴァンゲリオンの最終章を観に行ったが映画館を出て考えたのは二次創作のことだ。
作品が織り成す表現、意図、メッセージは頭になかった。ただボケっと観ていただけで精々CGのクオリティにビックリしただけだ。
その後暫くするとYouTubeに考察動画がアップされ、それを観て理解した気になった。作品の深みが分からないまま。
一次創作において一番大変なのは世界観、キャラクターの設定だと思う。優れた設定さえあればほぼ自動的に物語が出来ていくというのを作家の誰かが言っていた気がする。
Twitterで見たのは複数のキャラクターを何もない部屋に閉じ込めた時、どういった反応を示すかが瞬間的に思いつく作品は優れているというものだ。
自分の好きな作品をいくつか試してみたところ面白いようにキャラクターが動き出す。個性豊かで磐石な設定が築かれている証拠だ。
個人の感性が関わってくるので同じ作品でも結果が異なるのは当然だがキャラクターの性格上ありそうなアクションを起こすはずだ。
何もない部屋ですらちょっとした物語が始まるのだから二次創作というバーリトゥードでは無限に話を広げられるだろう。
二次創作しかしてこなかった僕は一次創作における土台の作り方を知らない。コツなどではなく根本的なものから知らなかった。
やっと絞り出した設定を見返しても有名作品の劣化コピーか、足して割ったような歪なキメラで作品としてのまとまりが無い。
他人の作品を利用して楽な工程だけやっていたから至極当然の結果と言える。
僕は感受性、0から創りだす発想力に乏しいのかもしれない。曲がりなりにも長いこと創作活動を行っていた人間が創作に向いていないとは皮肉なものだ。
つい最近ニコニコ動画で面白い作品を見つけた。『【クッキー☆ボイスドラマ】魔理沙とアリスの自己矛盾☆』という動画だ。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm36353098
例のアレ、と呼ばれるジャンルのクッキー✩という作品をテーマにしているらしい。
時が流れるにつれ変化していく界隈や情勢を風刺したドラマ、だと思う。
元ネタの名前こそ聞いたことはあるものの、詳細は知らないので内容に関してはあまり理解できなかった。
ただ主人公の女の子が二次創作ならではの悩みと葛藤するシーンに少し共感を覚えた。
元々一次創作を行っていた女の子が、甘い誘惑に誘われ二次創作に手を出すところから物語は始まる。
作品の看板を借りるだけで今まで伸び悩んでいた絵の閲覧数が増えたことに気を良くした主人公はどんどんと沼に嵌っていき、二次創作に依存していく。
ある日描いた絵を見返すのだが「本当の自分が描いた絵」が一つも無いことに絶望し二次創作からの脱却を図る…という話。
特に主人公が序盤で一次創作をしていた時は左利き(ペンを左手で持っている)だったのに、二次創作を行うようになってからは右利きになり、
クライマックスでの本当の自分を取り戻したシーンでは左利き(マイクを左手で持っている)に戻ったりと主人公の心情が視覚的な対比として描かれていたのが印象的だった。
動画は立ち絵を手や足などの細かいパーツに分割し動かす切り絵アニメーションをメインで使っているようだ。
小規模の制作グループで45分以上あるアニメを作るなら確かに合理的である。それでも膨大な手間暇がかかっていることに違いはないが。
今まで見てきた作品とは違い、鑑賞後は何も考えられなかった。ある意味生まれて初めて心の底から作品を楽しめたのかもしれない。
コメントを見る限り様々な小ネタが含まれているようで理解できなかったことが一層悔しく思う。知っていれば多角的に楽しめるのかもしれないが今の僕には十分面白かった。
作品の表現、演出一挙一動に注目し、感想が出てきた事に自分でも驚いたのを覚えている。僕にとってそれくらい強烈な体験だった。
これまで僕がやってきたのは作中の言葉を借りるならば「安易な二次創作」に該当するだろう。中身がなくハリボテみたいな創作だ。
話を戻すがSさんの合同誌の誘いは断ることにした。昨日謝罪のメッセージを送信し納得してもらった。自分の無責任さと幼稚さで迷惑をかけてしまったこの事は二度と忘れないだろう。
僕なりに考えたが健全な創作には感情が必要なのだと思う。嫉妬、欲望、勿論熱意でもいい。プラスでもマイナスでも構わないから感情という名の原動力がいる。
問題はそれが狂気的でなければならないことだ。中途半端な嫉妬心、欲、熱意では筆を折ってしまうだろう。イカれてるくらいがちょうどいいかも知れない。
そして健全な二次創作には矛盾が付きまとう。原作設定との矛盾、創作においての矛盾、先程挙げたコミケの暗黙のルールだって本来は矛盾している。
その矛盾を上手くコントロールしバランスを取らなければ良い結果には繋がらない。狂気がエンジンで矛盾がアクセルブレーキ、どちらも故障したらダメだ。
狂気と矛盾、この二つを安定させられる人間はほんの一部しかいないと思う。筆を置いて時間が経たないとやる気が出ない人がほとんどだ。
僕はRTやいいね数はどうでもいいと思っているし、フォロワー数が数万人の絵師に対して特に何も思わない。原作は二次創作のツールとしか思ってないし考えなしに描きまくった。
だから失敗した。こうなってしまった。自分が創作活動で過ごした日々は空白だったのだ。
あなたの二次創作はコピーペーストを繰り返したパロディまみれになってませんか?成人向けなら自分が好きな性癖を詰め込めていますか?本当に創りたいものが創れていますか?
二次創作には二次創作だけにしか味わえない面白さ、奥深さがある。創作に携わる人間なら知っているはずだ。
ただ楽しいからといって自分を見失ってはいけない。思考を止めてはいけない。創作者としての軸を保ち続けなければならない。
コロナ禍でのオリンピックは反対派。そもそも東京開催も反対派だったけど。
というのは置いておいて。
見る気はないけどテレビつけてるとオリンピック関連の話題が入ってくる。スポーツは好きなのでやってれば見るけど。
自分が好きなスポーツは早々に日本勢負けてその後は結果のみネットで知る。もっとトップアスリートの闘い見せてよと思う。時間は限られてるから仕方ないとは思うけど。
これも置いておいて。
オリンピックの競技で、環境に恵まれてないとできなそうな競技を見ていると複雑な気持ちになる。ネガティブな気持ち。
今まではあまり気にしたことのなかったんだけど。せいぜい思っても、いろんなスポーツがあるもんだな、やってみたいけどやれる所この辺にはないな、というくらい。(見てるとやってみたくなる派。やるとは言ってない)
コロナで色々制限されている中で、子供と気軽にお出掛けもできず、ストレスと不安が蓄積されている中での観戦のせいなんだろう。素直に応援できない。
男性特有かどうかは分からない。けれど、友達(男)数名に愚痴ったときには共感を得られた。
具体的にどう不快に思うのか。今の僕には一言ではうまく説明できないのでつらつらと。
妻と一緒にテレビを観ている時に、妻のいう「この芸能人、元カレに似てる」という一言が、僕には不快で耐えられない。そういうのは黙っていればいいのに、と思う。
僕から妻に対して、元カノのことを積極的に話そうとは思えない。もしも聞かれたら話すけれど、わざわざ、関係のないときに話そうとは思えない。一時期は、何でわざわざ言うのだろう?と本気で悩んでいた。
不快さを伝えようと思って、僕からも「前にこんな感じのコと付き合ってた」などと言及して見たこともある。仕返しこのつもりだったけど、通じず。
それで気づいたのだけど、妻にとっては、今の彼女を形づくっている経験の一部であって、それを話すことが、僕に対して自己開示するようなもんかも知れない。
「あ、カントリーマアム! 私これ好きなんだよね〜♪」みたいなノリなのかも知れない。そうだと分かっているつもりだけど、不快。
ちなみに、直接、元カレのことを話さないでほしいと伝えたいこともあるけど、「何で?」と言ってキョトンとされた。
妻の処女を奪った相手のことも聞かされた。学生時代のサークルで出来た彼氏のことも、セフレのことも、バンドマンのことも、バーで出会ったワンナイトのことも、レイプまがいのことも、聞かされた。一つも僕から尋ねていない。妻から話しはじめたこと。彼女の一部なんだと思うけど、不快。
僕も妻も、結婚する以前にお付き合いした相手が複数いる。そのことは普通なことだと思う。付き合い始めたときにはお互い20代中盤だし、キスもセックスも初めての相手じゃない。付き合っていた頃から、それが普通だと思っていた。いわゆる「処女厨」みたいな性質は自分は持っていないと思っていた。けれど、気づいたら、妻の「元カレ」に嫉妬のようなものを抱いていた。
もっと早く出会いたかった、自分が最初の相手でありたかったとか、そういう気持ちはない。もっと早く出会っていても惹かれなかったと思うし、付き合いもしなかっただろう。だけど、以前キスした相手や、以前セックスした相手の存在を想像させられるのが耐えられない。不潔とは思わない。なのに、不快だと思う。
今は妻の「1番」の相手は僕だと思う。でも、過去にはその当時に、妻の中で「1番」の相手であったことが顔も知らないソイツであることは変えがたい事実で、どうすることもできない。
通常時のオリンピックであれば歓迎するという態度を取っている。
実際には他の系統のものが論拠の補足としてこの集団を利用している節もある。
個々人により様々な経験を通して、スポーツそのものにトラウマを抱えている。
「スポーツマンシップ」というお題目を薄ら寒いものとして憎んでいる。
スポーツ経験者が部活動や試合を通じて、ないしは運動音痴がスポーツマンにいじめられて、スポーツマンシップなんて結局はおべんちゃらだと絶望した姿。
普段のスポーツや観戦自体は嫌いではなかったりするものも多い。
IOCやCATVなどの利益やメンツ優先の態度が気に食わない。
金持ちによる金持ちのためのお祭りのために貧乏人が犠牲になる格差の象徴として今回の大会を感じ取っている。
コロナによって自分たちの趣味が踏みにじられた悲しみをぶつける八つ当たりをする者も多数。
五輪が「成功」することそのものが許せないので、ある意味最も話が通じないとも言える。
自民党がやっているから反対するというかつての民主党のような集団。
追記:
個々人に当てはめた場合は複合型が多数であるという前提で作っています。
反自民党+反スポーツといった相互のリンクが薄い複合型や、反営利主義+反自民党+反成功という嫉妬心の分かりやすい複合型など、様々なパターンがあるかと思われます。
まず、今回の件は文脈がどうあれ、知らない女の人のパンツに手を突っ込んでマンコ触っちゃったくらいのヤバさであって、アウト中のアウトだと思う。今日中になんらかの対応があるのでしょう。
あのころのコバケンの頭の中にあったのはテレビへの決別、まったく新しい芸人モデルを築くこと、ラーメンズのブランディングというものであって、そういう中で必要以上に露悪的なネタをやっていた印象だった。そこまでやらなくても普通にネタを作っているだけで独自のスタンスを表現できる才能を備えていたのに、自信がなかったんだろうな、あんな風に決意を表明しないと、不安だったんだろうなと思う。結果的に、才能を、低めに勘違いしていたんだと思う。
なんでそこまで、あれほどの才能ある人が勘違いをしていたのか、思い当たるのは同時代に少し前を走っていた人の存在で。
強く強く憧れたその人と、ユニットコントをして、打ちのめされたり、実力を認められて浮足立ったり、そういうことがあったわけで。
その人がテレビに適応できないのを横目に、自分はテレビに別れを告げて、カリスマになって、信者も増えて。
一時は、抜いたと思ったその人が、テレビに完璧に適応して、また嫉妬心がうずいたんじゃないかな。
オリンピックの開会式なんて似合わない仕事を受けたのも、それはもうワイドショーの司会なんかより格上だろって、思い上がったんじゃないかな。
皮肉だし、大河だなと感じます。余談というかウワサだけど、あのころのラーメンズのギャラって片桐1、コバケン9だって言われてた。