はてなキーワード: 外資系とは
始めて書きます。
・大学は理系マーチレベル。就職は当時は内定取れなかったので親のコネでメーカーの東証一部上場企業に入社
・コネ入社も血迷って営業職に就く。パワハラ職場。不正経理のコンプライアンス違反。9ヶ月で退職
・フリーター2ヶ月。当時は保険証も作れなかったので風邪になっても親の薬を貰って治療してたのは覚えている。
・客先常駐。年収300万。しかし当時流行りの技術を習得出来た。
・そこで15年。平均以上の年収も、45才で管理職になれず。平社員確定。
年収だけは学歴から考えるとありえない額を貰っている。でも社会人になって25年位経ったけど、毎日が劣等感しかない。20代は勉強ばかりしてたから黒歴史ばかり。今も落ち込む事が多い。第二新卒でやってた事が運が良かっただけ。その後も自分で筋の良いIT技術を自分で探して身につけて流行りを上手く追えてた。技術の目利きは多分自分の自慢出来る能力。
本音を言えばどこか安定してた企業で役職ついてステータスが高い仕事してたかったけど。でもそんな選択肢全然なかったし、チャンスも殆どなかった。本当に年収だけだよ。人並み以上なのは。それで良かったのかもしれないけど。気持ちは全く満たされない。これが就職氷河期世代なのかな。
自分たちに対しては「厳しいのを知ってるから軍隊に入ってないだけだけど?」で済ませるんだぜ?
若者を鍛えるために徴兵制を復活させろと語りつつ自分たちは徴兵年齢の枠から外す老人と同じ脳みそしてる。
だってそれって
「京都で新入りがいびられるのなんて有名だろ」
で全部済ませようとしてるようなもんじゃん。
本当にそれで済ませて良いのか?
ムラの伝統的なルールだから、そのムラに入る奴らが悪いんだぞで済ませてばかりでいいのかよ。
お前、それが絶対自分に帰ってこないと本気で思ってるなら想像力が足りないぞ。
たとえばお前が警備会社で働いて、それがある日突然自衛隊OBを幹部候補として雇うようになったとする。
ソイツは自衛隊流で滅茶苦茶な指導をするけど、お前の会社の連中は「いいね。会社の空気がピリっとしたね」でご満悦だ。
お前はそれに耐えられるのか?
名古屋に旅行に行ったとき滅茶苦茶な交通ルールの車にレンタカーごとふっ飛ばされて死にかけた時「でもこれがトヨタワールドのルールだもんな……」で本当に耐えられるのか?
お前が思ってるよりずっとずっとムラはこの世界に身近だぞ。
「他所のムラが勝手なルールで好きにやるのは勝手だよ」で済ませるにも限度はあると思う。
出しゃばりだとか多様性の否定とか言われるかもしれんが、やはり人権や法律に対しての意識よりも上にムラのルールが位置してしまっていたらそれはムラのルールを変えていくべきだ
外資系で描くのだけはやめとけよ
途中までしか読んでない(ざっとは目を通した)外資系勤務の理系卒だけど、文学部的素養があるの本当に大事だぞ。例えばな、きみがかいたみたいな文章が必要な場面、たくさんある。自社のドキュメントをちゃんと日本で育った日本語しかわからない人にわかるような日本語で書けるの、誰でもできると思ったら大間違いだ。英語がわかる外国の大学卒の日本語、ビジネスの場でとんでもないものいいをぶっ込んでくるし、技術職の書く日本語、レベルが高い人もいなくはないが汎用性のない書き方しかできない。
その前は製造系にいたけど、社内のウェイな営業という名の文章書けない奴や、人事というやつの文章書けない奴、本当に本当にたくさんいる。
ノリだけで楽しいとか、おかしなことやって楽しかったとか、許されない場面でもそいつらはノリを突っ込んでくるけど、そんな浅いレイヤーはどうでもいいんだ。ちゃんとした文章を、いろんな場面で多角的に書くスキルは本当に重要。
今くらいの年齢だと、法学部の奴も医学部の奴も同年代で面白い文章が書けていて、きっと打ちひしがれているのかもしれない、でもね、蓄積したものの薄さでダメになる人たくさん見てきた。技術力とか専門知識で乗り越えてるかもしれないけど。
その点、文学部は文章力とみんなの生活に一番近い言葉を使う学問だよ。絶対損はない。20代では損しか見えないかもしれないけど、その後をどう生き抜くのかは自分次第だよ。
頑張れ!
実家に帰るたびに仕事のことしつこく聞いてきて転職しろだろなんだの言ってくる
小学校の時は中学受験だと言って夜中の12まで勉強させられていた
小学生でだ
結局、中学受験にはおち普通の中学に行くことになったんだが不合格通知が届いたであろう日には昼から暗くなるまで叱られた
そんな時大抵父が止めてくれていたのだが、高校の時、父が事故で亡くなりそれからはもう誰も止めてくれる人がいなくなってもう大変
大学はなんとか母が納得するようなところに進学できたのでよかったが、次は会社
母は銀行か外資系に入社して欲しかったようだが、普通に落ちたので大阪のゲーム会社に就職した
それからは実家に帰るたびに仕事の経過を聞いてきて気に入らなかったら転職を勧めてくる
「私の友達の子はチームリーダになったり、海外のプロジェクトに参加したりしているのに、私はあなたのことをなんて話せばいいの?テレビゲーム作ってますなんて言えるわけないでしょう」
つかそもそもてめぇは高卒、パートだろうが なんでこんな仕事についてこだわり持ってんだよ
嫌なら帰省しなければいいだろと言われそうなので言っておくが、重度の自閉症の姉がおり流石に高齢の母一人では放っておけず定期的に帰っている
もう嫌だ
誰かこの人をなんとかしてくれ
自分は学校でコンピューターサイエンスを修めてないし、新卒で就職もしてない野良犬みたいな経歴です。しょうもないアラサーです。
Fラン大学の文系を出て、理由もなく2年ニート、その後はバイトからはじめて、小さいソフトハウスに入るもパワハラで1年くらいで退職しました。
その後は夜中にサーバーを再起動するIT土方をしていました。月の手取りは15万で何もできなかった。
その時にコロナでの案件崩壊と自宅待機が来ました。暇で仕方なかったので、流行りのクラウドの資格をいくつか取り、しょうもないSIerに転職。
毎日やることは、しょうもないエクセル方眼紙にスクショを貼り付けたり、全力でセルを結合することなどです。
他には、技術がわからないプロジェクトマネージャに、画面共有で5000文字くらいある設計書を半日かけて説明して、得られたものは句読点をずらすことだけだった時は、耳鳴りとめまいがしました。
しかしながら、自分も技術はわかる方じゃなかったので、大流行のクラウドの資格や、国家資格とかも暇つぶしで取って、ちょっとわかるようにしました。
また、知識だけじゃどうしようもないので、慣れないGitHubを使ってOSSにコントリビュートとかもしてみました。ただのGood First Issueのバグ潰しでしたが。
こういうことをしても大して給料も上がらず、会議中にAPEXの音がするプロジェクトマネージャの方が評価が高かったのは虚無でした。
彼のAPEXの音をBGMに、転職サイトへとスムーズに登録し、外資系のコンサルに転職してみました。ここはいわゆるBIG4というところです。アーキテクトをすることになりました。
初め、貸与されたPCがMacだったので、外資はいいぞと思ったのですが、MacでやることはWindowsのVDIに繋いでパワーポイントのピクセルずらし、論点のない会議ばかりでした。
当たり前のようにコードは書けず、日々Office製品をいじり、顧客の社内政治に巻き込まれながら、毎日7時から0時まで働きました。管理職はいつ寝てるのかわからない。
外資なのに社内のワークフローは日系企業並みに複雑、裁量はあるが、そもそもの仕事量が多すぎるので実際ありませんでした。無駄にLGBTや環境への配慮の研修が多かったです。
結局ここも前職のSIerの仕事を煮詰めただけで、ストレスは上がるばかりだったので、すぐにやめました。給料は爆増したが、色々と失うものがありそうでした。
ここまでで、エンジニアリングにおいて邪魔なものが顧客だということがわかったので、次はB to Cの会社の事業部のエンジニアになりました。給料は前職据え置き。
今の所たくさんコードがかけて、割と幸せです。この会社に入ってからOffice製品は一切触ってません、あれが悪いわけではないのですが、物には適切な使い方というものがある気がします。
今思うと、自分はものづくりが好きなだけで、顧客の課題解決には全く興味がなかったと思います。昔は技術的なコンサルティングや技術営業などもやりましたが、作った後は金の切れ目が縁の切れ目で、作ったものがどう動いてるかは全くわからなかった。
また、前職と違い、事業部のエンジニアは基本的に技術力がある人しかいないので、頑張ってきたつもりの自分でも毎日不足を感じています。しかもみなさん若いので尚更焦る。
同県内の比較的離れた地域から知人伝で来た案件。概況は以下の通り
流石にもう来ないと思うけど、また見合いオファーが来たら「息子はゲイだ」とか「無精子症で婚約破棄になった」とかガチのウソをつかなければならなくなる。
蹴落とすとかはめるとか極端で外資系って超効率的に動いているに過ぎない
だから中の人たちは過剰と言えるほどにgive & takeにこだわるし、何かしてもらったら絶対に返す
give & give こそが外資系で生き残るための定石でありそれは外資に限った話ではなく日系もまったく同じこと
今年で息子が30歳になる。
教育には力を入れてきたつもりだ。
幼稚園の頃から読み書きを覚えさせたし、小学校では中学受験にむけて勉強をさせた。
中高一貫校は叶わなかったが、中学では今まで通っていた塾を切り替え東京の高校に行けるようにした。高校進学の際には東京に引っ越してまで良い高校に進学させた。
だか、大学は私が求めるレベルの大学には進学しなかった。三浪もしたのに。
某M大学だ。
卒業後も就職先は聞いたことがない食品メーカー。冷食ばっかり作っている会社だ。
ママ友の子供達は、外資系に就職してプロジェクトのチームリーダーになったとか、アメリカに留学しアメリカの大学を卒業して日米で仕事をしているとか…そんな話ばかり聞く。
正直羨ましい。息子を交換して欲しい。
もちろん、息子も仕事を頑張っている。
悪く言うつもりはない。
パンデミック前に体験したほんのり(と当時は思っていた)怖い話を残しておきたいと思います。
当方外資系の商社の営業部で働いている身なのですが、時折他国の支社に出張する機会があり、初めて上司を伴わずに一人で出張となったのが2018の事でした。行先はタイのバンコク。
数日間の忙しい仕事や打ち合わせを終え少し気も楽になった私は、一人であったこともあって独身男性の好奇心のままに夜の街に繰り出すことにしました。
ここでなぜか日本人特有のシャイさを発揮した私は、日本人の溢れる某エリアを避け、バンコク中心部から北東に離れた歓楽街に向かいました(念のためエリアの具体名は避けたいと思います)。有名歓楽街では女性を品定めして「買う」スタイルが主流であるのですが、当時彼女がいた私は海外とはいえそれも気が引け、そのバンコク北東エリアではセクシーな女性と一緒に飲んで楽しむというスタイルがメインとネットで見かけたのも私を後押ししました。
22時頃現地に到着すると、そこら中ネオンやサインで目がくらむというような感じでもなく、一目見て外国人と見受けられる男性陣もまばらです。予想以上のローカル感に少々面喰らいましたが、それらしきバーにとりあえず飛び込んでみました。
店内は50名程度はくつろげるであろうスペースのバーで、奥のステージでは5,6人のお姉さんがやる気のない感じで体を音楽に合わせて揺らせています。
稼ぎ時であろうと思われるのですが、店内には数名の地元客と思われる人たちしかおらず、外国人は私一人でした。今考えると繁盛店でなく、外国人もいない時点で危ない香りがするのですが、興奮と好奇心がMAXに達していた私にはそのことは全く気になりませんでした。
空いている席に着くと、小さめのドドリアのような小太りのおばさんがドリンクとフードのメニューを運んできます。地元密着型であるためか価格はとてもリーズナブルで、万が一の事を考えてかなりの額を両替してきた私の心配は杞憂に終わりました。一通り注文を終えると、ミニドドリアは「ガール?」と言います。どうやら席に女の子を付けたいか、という事のようです。満面の爽やかな(つもりでとても気持ちの悪い)笑みで「プリーズ!」と言うと、ミニドドリアが去って行った後に小柄の可愛い女の子が私のもとにやって来ました。
女の子はとても可愛い!某ダレ〇ガレさんを小柄にしたような彼女は、私のもとに来るなり隣の席ではなく私の太ももの上に座りました。片言の英語でコミュニケーションを取りつつ、私の手を彼女の体のあちらこちらに導く彼女に、この時点で私の興奮はマックスです。気持ちが大きくなるうえに彼女におねだりもされ、オーダーも進みます。ドリンクや追加注文をするたびに席で現金で払うシステムなのですが、現地の通貨になれていない私は正しい紙幣を探すのに苦心し、彼女に助けてもらう始末でした。今考えるとこれがいかに無警戒だったか…
さて、そんな形で楽しく30分ほど飲んでいた所なのですが、まだビールにカクテルを2杯ほど飲んだだけなのに、急に頭が朦朧としてきました。右手でダレノ〇レさんのお尻を撫でながら、楽しさでIQ2になった頭で必死に考えます。「これはもしや…何か盛られた!?」そうこうしている間にも、ますます頭が働かなくなってきます。横にいる女の子に私を心配する素振りが一切ないのも、ますます私の不安を煽りました。
(寝込みに財布の金を根こそぎ取られる…?痴態を撮影されて脅される…?まさか体を切り裂かれて臓器が…)と最悪のシナリオが頭によぎった私は、「今日は帰る」と女の子に告げ、もつれる足で何とか店の出口に向かいました。そばにいる店員は口々に「レスト!レスト!」と言ってきます。いよいよ危ない感じがしてきました。
ひどい千鳥足で出口までの道のりは永遠にも思えましたが、店のドアを開け、外で目に付いた最初のタクシーに飛び乗りました。
その後の一時間ほどの事は全く覚えていません。幸運だったのはタクシー運転手が超が付くほどの聖人だったことです。行先も告げずに気を失った私をとりあえず安全なバンコク中心部まで送り届け、そこで車を停めて起こしてくれました。彼の言うところによると、私の後を追って店員がタクシーのもとへやって来て、「この外国人は気分が悪いみたいだからうちで介抱する」と車から降ろすようにしきりに促していたようです。そこで車から降ろされ店に帰されていたら、果たして無事に帰国できたか分かりません。
ちなみにその後、混ぜ込まれた薬物の質が悪かったせいか、宿舎のベッドからほぼ動けない状態で上下の口からのマーライオンに2日間悩まされたのですが、理由が理由だけに同僚にも何も話せず、ただの体調不良を決め込んだのでした…
日本でもニュースなどで、女性をターゲットにした「デートレイプドラッグ」が報道されることがあります。しかし男性でも私のような形でターゲットになることがあるとは想像だにしておりませんでした。
ハルシオンやデパスのような即効性のある薬を、しかも店までグルになって仕込まれると、ほぼ対抗策がありません。私のような無鉄砲なエロ河童は少ないと思いますが、海外にお出かけの際にはくれぐれもお気を付けください。