はてなキーワード: 変人とは
俺はイギリス在住の中年リーマンだが、年末に日本で「魔法少女まどかマギカ 新編 叛逆の物語」を見てきたので、今更だが感想なりを書いていく(これも今更だが、ネタバレあり)。
・アメリカ、カナダ、韓国、中国、台湾等10カ国弱で公開されているが、イギリスでは公開予定はない。訳が分からない。
・11月にパリでプレミア試写会があった。ユーロスターで約3万円かけて見に行こうと計画したが、妻に対するアリバイが捻出できずに泣く泣く断念した。
・その後フランスで本公開されたが、やはり妻へのアリバイ作りが困難を極め、これも断念した。
・ゴルフの格好で外出すればとも考えたが、イギリスでは寒さのために冬はあまりゴルフをしない。した場合は霜の溶融で通常泥だらけになる。
・魔法少女アニメのために、帰宅前に泥だけらけになるアリバイ工作をしている中年の姿を想像したら、その光景はあまりに辛く、できなかった。
・amazon UKで買ったテレビシリーズの英語版DVDを持っているのだが、それを妻に見られたことがある。
・そのときは「内容に興味があるわけじゃないよっ、英語の勉強に良い教材だから買ったんだ」という説明をして、一度は事なきを得た。はずだった。
・面白さを妻も分かってくれるのではないかという悪魔のささやきがあり、「絵は萌系だけど内容はダークファンタジーで、大人向けで凄く面白いから騙されたと思って見てみたら・・・?」と誘ってしまった。
・平静を装ったつもりだったが、説明に、通常を僅かに超えた力の入り方を感じたらしい。
・あえなく見抜かれ、その後しばらく凍てつく視線を浴びることとなった。
・マミはもう一歩だが、他のメンバーは日本版の声優とほとんど区別がつかない。特にほむらとキュウべえは本人そのものだ!
・ウメ絵があってこその名作なわけだが、一般人にウメ絵のハードルはやはり高い。
・作品の面白さ、2chのスレの伸び方から社会現象化を確信したが、もう一つ盛り上がりきれず収束したと感じる。やはり絵のハードルだと思う。
・日本に居た頃、会社の同僚にまどかの話をすることは到底考えられなかった。
・職場で唯一、仕事上の会話にガンダムの名台詞をチョイチョイ混ぜる変人扱いされている奴がいたのだが、彼ならわかってくれるかと、「絶対面白いから見てほしい」と勧めたことがある。
・だが彼もウメ絵のハードルで1話で挫折した。彼に硬く口止めをして、その後職場で話すのは諦めた。
・そんなわけで、俺にはまどかのことを語り合える人間は一人もいない。
・普段はアニメファンというわけではない。ほとんど見ない。まどかは、大学生のときのエヴァ以来見たアニメだと思う。
・まどかはTVとニコ動とDVDで合計10周くらいしたと思う。
・他に好きなアニメはZガンダム(なおTV版)。どうも鬱アニメが好きらしい。
急遽年末年始に日本に帰国し、妻とはしばらくそれぞれお互いの実家に分かれて宿泊することとなり、間隙をぬって映画館に行けることになった。準備をしていたものは機会を掴める。公開が終了してしまわないか、イギリスでやきもきした。
・入場者特典?でマミ絵の年賀状をもらったが、申し訳ないが即捨ててしまった。さすがに無理だ。。。
・郊外のイオンシネマでは、入りは7割くらい。成人男性一人やそれらのグループだけでなく、カップル、家族連れ、女子グループ、中学生高校生などがバランスよく入っていた。
・思ったより普通の客層だね。
・と思ったのもつかの間、2回目を見るために、新宿ピカデリーに行ったら、成人男性のグループがほとんど。入りは4割くらい。まあ1月2日の午前中だからな。。。
・気づいたのだが、オタクっぽさは靴とカバンにでるのではないか。格子柄のシャツとジーンズなら、イケメンだって着ていないことはない。
・ハイテクスニーカーやトレッキングシューズ、中途半端にアウトドアなリュックが良くないと思われる。
・あとスポーツ刈りも。
さて、ようやく感想。
1回目の感想が☆2、2回目で☆3.5。
・5人の変身シーン長すぎ。そして恥ずかしい。思わず下を向いた。中年にはちと辛い。
・ナイトメア2戦目の「ケーキ」「ケーキ」も見ていて恥ずかしくて辛かった。わざとやっているのだろうが、ちょっとなあ。
・ほむらが世界に疑問を呈して本番に入るまでの30分は長かった。
・仁美のナイトメアは動機弱すぎだろ。恭介に素っ気無くされたくらいでナイトメア出るなら、おっさんは上司と顧客相手に毎日ナイトメアでるわ。
・イヌカレー描写が通常進行中にちょくちょく登場する。2週目ではほむらの結界だからだと分かるが、1週目では意味がある登場なのか複線なのか気に留めておくことになる。
・街の壊れる描写や元から壊れている描写とこの無意味なイヌカレーにはストレスが溜まった。
・返事をしないバスの運転手や、世界の異変に気づいたほむらと杏子を囲む無表情の歩行者、ゲーセンを出た杏子に落ちてくる燃える飛行船など、結果的に背景以上の意味はないのだが、イヌカレー絵はやりすぎだったと思う。
・マミさん、「エキセア」って何ですか?
・マミの足を撃とうとしたけど、それ意味あるの?自分は頭打ち抜いても平気なんでしょ???
・さやか、カッコ良くなったなあ。昔はほむらの手のひらの上だったのに。
・ありえないものが3つ、さやかとべべと、あと何か忘れたけど、何で一番大きなまどかの存在が入ってないの???
・ほむらの魔女はオープニングで予想できたけど、それでも鳥肌ものだ!
・ほむら魔女化前、セカイ系のシーンが多い。これはアカン。悪い先例に倣っている。俺らが見たいのは「ストーリー」だ。イヌカレー乱発といい、雰囲気だけ謎めかすシーンが多いぞ!
・キュウべえが歩いて説明しだしたときは館内がぞわぞわっとして雰囲気がさざ波立つ、ついに来たか!名シーンだ。
・でもほむらの人間のときの原型を留めた魔女はえこひいきじゃないか?
・さやかは何で自分とは別に魔女を出せるの?それじゃスタンド使いじゃないか!
・ほむらが魔女化して死んでまどかを守ってもキュウべえは他の魔法少女で同じことするだけじゃないの?
・使い魔合戦、ほほえましい!
・さらに天井壊したら魔女化したほむらを救えたとかますますイカンだろ。
・このへんまでは1回目から夢中で見てた!ここで終わってよかったんじゃないか???
・まどかもマジ空気。元からほむら主役の物語だが、新作は完全ほむらマギカだ。
・なんで神まどかを割くことができるの?ほむらにそんな力ないでしょ。魔女も普通の強さだったし。
・愛だから?イカンよそれは。愛=何でもありは映画の墓場だってば!
・悪魔ほむらはいったい何なの?神まどかの作り直した世界を、さらに作り直したのだから究極の絶望のはずだが、なんか普通に会話してんじゃん。
・だからまだ記憶があるさやかが何に怒っているのか、よく分からなくなっている。
・悪魔ほむらは「世界を蹂躙し…云々する存在」と自分で言ってたけど、説明セリフでフォローしても説得力がないから、描写で感じさせてほしいぞ。
・まどかが神を思い出したときの慌てぶりなんて、滅茶苦茶善人じゃん。
・キュウべえは何でボロボロになってるの?これもよく分からん。
1度通して見た後でないと全体ストーリーが良く理解できないため、1回だけ見た人は評価低いんじゃなかろうか。俺も1回目はストレスフルでぶつぶつ言いながら帰ったのだが、2回目で、なかなか面白かった!とわざわざ日本まで来て見たかいがあったなぁと思った。
全体で特に気になったのは、魔女化したほむらが普通に助かってしまったこと。理屈がよく分からなかった。この物語は残酷な運命と絶望との戦いではなかったか。あれはちょっとご都合主義じゃなかろうか。
悪魔ほむらもそうだ。神まどかを分裂させるほどの代償なのだから相当の災いや苦しみであるはずなのに、ふつうにほむらだ。何が悪魔なのか良く分からん。あれなら、「これ今日中!同時にお前のチーム残業申請多すぎるからなんとかしろ」という俺の上司や、「でかい仕事とってきてご苦労、ところでチームから2人抜くからその分新人育ててねー」という俺の会社のほうがよっぽど悪魔だ。
なんで?誰がどうやってそう判断したの?
まず、その3人に共通することは、その時代のなかではかなりの金持ちの部類で充分な教育を受けられる環境にあったし
自由に色々出来たということ。
その上で、それぞれ非常に目立った業績を残して非常に多くの人の目にさらされている。
だが、別に誰かがサポートしないと人と会話ができないわけでもなければ自分で行動できないわけではない。
自分で行動してた。(モーツァルトになるとちょっと時代が違いすぎるので、「自分で」というのは貴族としてどこまで「自分」でなのかよく分からんが)
ただ、余りに有名になったため、ちょっと目立つ所で奇抜な行動するだけでそれをものすごく取り上げられ、やがて変人とまで言われる。
例えば増田が何か分からなくても何も気にしない。小学生程度の知識しか持ってなくても誰も何も気にしない。そしてそんな人は世の中の大半を占める。
だけど、アインシュタインが同じことを言ったら何か裏があるのでは?何が重要なメッセージ?もしくは、アインシュタインは天才なのにそういう所は理解できない障害があるのか?
などとなる。別に障害でも何でもない。「普通」の部分。もしくは、ちょっと目立つ所で面白いことを言ってみたかった、とか、その程度。
テレビの後ろに映りたがる中学生のような心、そんなことがちょっと目立つ形で出たら、あらたいへん、後世の人たちに発達障害呼ばわりされちゃった。
お前がその3人と同じような才能に恵まれて同じような境遇で同じように人から注目された時、冗談の一つも言わずに、正しく、高貴な、完璧な言葉だけを常に吐き出すと思うか?
少なくとも「普通」に生きてきた人間の感覚で、そんな有名になったらどう反応するかな?って思ったら、目立つ所でちょっとおもしろいこと言ってみたいな、とか思うだろ?
その程度のこと。それを発達障害呼ばわりとは、ほんともう。
結婚は出来たけど生産性の為に敢えて子供を作らない、なんて人はまず居ないわけで。。。
普通に結婚出来そうなのにしないような人は単に男色家か、と疑われるわけで。
スポーツ選手なんてみんな豪遊してるの知ってるじゃん。イチローがしてないならそりゃちょっと変人だからで。
政治家なんて遊びまくりだし、科学者なんて遊びの天才で趣味とかにすら才能発揮することもあるし。
「適度に遊んで」が甘っちょろいと思ってるのが、多分、甘っちょろいんだろ思う。。。
知らんけど、皆、そこそこの年まで活躍してる人は子供居るわけで。
スポーツ選手で言うなら、30超える様な歳にはもう落ち目なんだから
子供出来るタイミングと選手としてのピークと一致することはあるわけで。
女なら子供産んだらそれは流石に影響あるわな。
ただ、世の中で活躍してる30代、40代は子供居るほうが普通じゃないのか?
逆に子供居ないのってそういう目立つ変人みたいなのだけでしょ?
ダルビッシュも子供居るし、野茂もよく知らんけど子供居たみたいだし。
松坂は居ないか。でも別に向こう言ってからそんな成功してないしな。。。
ま、生産性が落ちる、って言うなら、私生活無駄にしてまで仕事にのめり込んでる人ならあり得るかもね。
そのまま家庭崩壊させるか、家で子どもと居る時間増やすか、ってなるし。
適度に遊んでいながら仕事以外も楽しんでる人は別に子供出来たからって急激に仕事効率落ちたりしないと思うけど。
それこそ、「リスクを取りたくない」って点で、より頑張る人も居るだろう、中には。
そうどっちとも言い切れないでしょ、って話で。
http://anond.hatelabo.jp/20131106204933
これを読んで思い出したことがある。
高校の時、進学ガイダンスか何かの一環で、先生の個人的な話を聞くみたいな時間があった。
好きな先生を選んで話を聞くことが出来たのだけれど、わたしは学校で一二を争う変人っぽい技術の先生のところに行った。
わたしの行っていた学校は三人に一人くらいが東大に行くような進学校で、同校出身者の教師もやたらいたのだけれど、この先生は進学校出身なのに芸大に行って、フラフラした挙句に母校の技術教師で糊口をしのいでいる人だった。
先生は「俺の話なんて役に立たないよ、お前らアホか」みたいな感じで、一時間ずっと、学校をサボって動物園で遊んでいた話をした。
話が終わらないうちにチャイムが鳴って、「ほら、こんな話で終わったじゃねえか、お前らほんと人を選べ」みたいな感じだった。
実際、その話は直接には役に立たなかったけれど、今でもよく覚えている。
その後わたしは、大学こそ結構なところに入ったものの、卒業しても就職せずフラフラして、食うや食わずの暮らしをしながら好き放題やっていた。
こんな暮らしをしていたら死ぬんじゃないか、と思ったこともあるけれど、まだ生きてる。
なんだかんだで、今はテキトーな商売をしているけど人並み程度の収入も得られるようになった。
吹けば飛ぶような商売なので明日にはホームレスかもしれないけれど、生きてて毎日楽しい。
なるほど。
そういう意味では、「満足できるものを作る」と「生活できるだけの金を稼ぐ」とは相反するとまではいかないけど、基本的に両立しづらい希望だというのがまずある。
エンジニア35歳定年説とか、そういうものを気にしてるんだと思うけど、ああいうことが起こる原因を知っておいた方がいい。
技術がわかってないマネージャのおっさんみたいなのも、君と同じ歳の頃は理想に燃えてたという場合はかなり多い(もちろん全員ではないけど)。
しかし極一部を除いて、人間の情熱には限りがあるんだよね。才能の違いとか、運とか、色々な現実を目の当たりにして皆徐々に諦めていく。
それで結婚して子供が生まれたりすると、まず生活で手一杯になって、よほどの気力がない限り勉強を続けるのは困難になっていく。
「自分のことはもういいんだ。子供の為に生きるんだ」という価値観にシフトする。シフトしてから諦めるのか、諦めてからシフトするのかは分からないけど、
その価値観は社会的にも正しいと賞賛されるもので、もう気力がなくなりかけてる人にとっては絶好の言い訳にもなる。
その価値観にシフトしたあとは、当然、勉強しなくても大丈夫な仕事を求めるようになる。給料のための仕事以上のことはしなくなる。
そういうシフトが起こるのが20代後半から30代前半くらい。だから「35歳定年」となる。
職業的な問題ではなく、気力の問題。才能よりも気力の方が重要。価値観の問題なので気力と優秀さはあまり相関しない。
ちなみに、気力を持ち続けるのは社会的には異常なことなので、社会と戦う必要もある。
新卒で入って情熱の発露をしたいなら、そういうおっさんが多い会社には行かない方がいい。
でもおっさんの強みは社会性だ。ビジネスを少なくとも表面上はうまく回すのに必要な能力。
若者が集まってネットでブイブイ言わせてるベンチャーとかは、実際はその辺で色々問題起こしてたりする。
俺の感覚では、いい歳こいて気力を持ち続けてる変人は、どこか自分にあった環境に収まるか、独立しているか、
運が悪かったりコミュ力や体力が足りなかったためにワープアやってるか、という感じだ。人それぞれ。
既に突っ込まれてるが、そういうレベルでグダグダ言って人生つまんなそうにしてる奴の共通点は安定志向なことだな。
無駄にプライド高くて失敗したくない気持ちが強すぎるのもある。「世間から見て成功してる俺」イメージに拘りすぎっつうか。
まあでもそういう奴もほとんどは子供できるとそれどころじゃなくなって考えるのやめるから、さっさと子供作るのがいいと思うよ。
「社会的に(そこそこ)地位のある仕事をして美人の妻と優秀な子供がいる理想の家庭」イメージで賞賛されるよ。
それが王道とされてるし、増田は世間から白い目で見られて変人のレッテル貼られてまで自分の道を行くとか無理でしょ。
今まで自分にとってあまりにも自然な感情であったため気づかないでいたが、乗り物に乗ることが好きだ。30にもなって初めて車を買う段になってあれこれ考えていてようやく気づいた。
例えば子供の頃、祖父母の家に行くときは祖父母に会えることやいとこに会うことよりも、10時間以上車に乗っていられるのが一番楽しみだった。ファミリーカーの中で兄弟や母が疲れて寝ている時でもずっと起きていて、ドライバーの父と話をしていた。
例えば日常でも、車や電車に一度乗ったら30分は乗り続けていたい。どこに行くにも車で30分はかかる田舎に住んでいるから当たり前だと思っていたが、15分しか車や電車に乗れないと不満を感じるのは明らかに変だ。
例えば大学時代、目的地もなく3時間以上自転車を乗り回してあちこちに出かけていたのも、よく考えればおかしい。調布~立川間を自転車で往復したのは1度や2度ではないが、立川で何かをした記憶はない。
例えば旅行でも、飛行機の国内便では不足を感じる。何のって、飛行機に乗ってる時間の。1時間程度じゃ全然足りない。ハワイ便の7時間ではさすがに満足したが。
例えば通勤。片道20キロを原付で通っていると言うとみんなに驚かれる。正直、何をそんなに驚かれるのか全く分からない。でもみんなが驚くからやっぱり何か変なんだろう。
車を買うにあたって乗り物のことを色々考えて、ようやくこれらがなんか変だと気づいた。自分にとってはあまりにも当たり前すぎて今まで疑問を感じたことすらなかった。不思議なのが乗り物に乗ってることだけが好きで、乗り物のメカニズムにはほとんど興味が無いこと。原付に乗っていてエンジンの回転数がわかればいいなぁと時々思っていたが、そのためのメーターがタコメーターという名前だと知ったのは車の購入を真剣に考え始めてからだ。車や電車の車種にも全く興味がなかったし、西之園萌絵の車のエンジン音が好きだからカーオーディオをつけないというスタイルも高校時代に読んだ当初は全く理解できなかった。今はわかるようになったが。
こういう事に気づいてみると、今までの人生で理解できなかった出来事が腑に落ちるようになった。北海道まで旅行に行くのに電車で行くつもりまんまんでいたら変人扱いされたこと。結局飛行機で行ったけど、電車じゃなくなったのがとても残念だった。借りた車に友達を乗せて道に迷い3時間ほどフラフラ走っていたら疲れた顔をされたこと。私自身はちょっと遠回りになったけどドライブ楽しいよね、としか思ってなかったのでなんで友達があんなに疲れた顔をしていたのか分からなかった。今は、そうか、普通の人は長いこと乗り物に乗るのは嫌なんだ、と分かる。でも、その程度にしか分からない。
なんでこんなことに今更気づけたかというと、自分の車選びの一番の基準が楽しそうか否かである気づいたからだ。最初楽しそうだったのはハイブリッドカーだ。燃費の事も考えていたけれど、結局のところハイブリッドカーは楽しそうだというのが一番の動機だった。なので実際にレンタカーでハイブリッドカーを借り、一日300kmほど乗り回してみたが(今までほぼペーパーだったのにいきなり300kmも車に乗れるのがまた変だと思われる)、EVモードとHVモードがとても静かに入れ替わり、そして入れ替わるたびにアクセルの踏み具合が変わるのに慣れることが出来ず、ハイブリッドカーはすっぱり諦めた。たぶん街乗りでストップアンドゴーを繰り返す人やこまめにスピード調節する運転のうまい人なら気にならんのだろうけど、私は運転下手だし田舎に住んでるし。
で、結局お財布のこともそれなりに考えた結果選んだのはスズキのスイフトだ。一番の決め手は、安いのに楽しそうということだった。今は納車が非常に楽しみ。毎日車に乗る生活になったら、乗り物に乗ることがとても好きな私の何かが変わるかもしれない。
やや旧聞に属するが、「韓国の茶道では魔法瓶を使う」というのが、はてな・にこにこ動画・2ch等で話題になり、
「茶道なのに魔法瓶wwww」ってな感じの嘲笑のコメントが数多くついていた。
(これね→http://www.nicovideo.jp/watch/sm21555732)
「フイタ」理由として挙がっていたものを最大公約数的にまとめると、
「韓国の茶道には威厳ってものがないのかwwww」ってのになると思う。
しかしこれらは日本の文化を多少知っていれば、どちらもおかしいと分かる話だ。
まず前者のどこがおかしいかであるが、そもそも「お茶を飲む」という習慣はお茶の原産地である中国ではじまり、
そして日本にきた段階で始めてお茶がわび・さびと結びつき、日本の茶道ができあがっている。
(珠光が結びつけ、利休が完成した。)
だから日本以外の国のお茶にわび・さびがないのは当たり前の事に過ぎない。
わび・さびは日本特有の(だからこそ誇るべき)文化なのだから、
イギリスのティーパーティにはわび・さびが感じられないといって嘲笑うのとたいして変わらない。
昔読んだ本によれば、江戸時代、茶人といえば変人の代名詞的な側面があり、
極端な例になると、わび・さびを演出する為に新しい茶碗をわざわざぶち割り、それを修復したり
したそうだ。
利休自身、たった2畳しかない茶室・待庵を作るなど極度のミニマリズムに走っており、
お茶を飲むだけの為にこんな狭い部屋に入らねばならない理由は
日本人ですら理解する人は少なそうだ。(だからこそ江戸時代変人扱いされた。)
私自身は利休の茶道を一切の無駄をそぎ落とした素晴らしいものだと思ってはいるものの、
日本のこんな極端な文化を基準にして他国のお茶の文化を嘲笑うのは
さすがに無茶としか思えない。
次に「韓国の茶道には威厳ってものがないのかwwww」って意見に関して。
韓国をはじめ海外のお茶の習慣はよく知らないから断言はできないのだが、
冷静に考えてみれば分かるようにそもそもただお茶を飲むのに威厳を要求する方がめずらしい文化
なんじゃないか?
日本では茶道、武道、芸道、香道などのように
「道」を求める文化があり、それは禅が関係しているそうなのだが、
禅は仏教の一形態に過ぎないのだから、他の東洋の国が同じような文化を持っているとは限らない。
それに日本の茶道は秀吉をはじめとした権力者と結びついていたが故に威厳を求められた
という事情もあるだろう。
であるなら、歴史や文化が違えば、威厳なしでお茶を飲む茶道だってありえるはずなのだ。
だって、多かれ少なかれ茶道というものは礼儀作法であり、おもてなしなのだから。
丁度フランス料理を食べるときの作法が一通り決まっているように、
であるなら、魔法瓶でお茶を飲むときの「礼儀作法」が「茶道」として
きちっと決まっているならそれはそれでよい事ではないか?
魔法瓶でお茶をさめないようにするのもおもてなしとして理にかなっている。
一方日本の茶道は魔法瓶のような現代の日用品を使った場合の作法について
何も教えてくれない。
人間、どうしても自分が学んできた事・知っている事に縛られてしまい、
外国の文化を自国の文化を基準にして裁いてしまうという愚行を犯しがちだ。
だが今回の件はそれ以前の問題として、そもそも自国の文化にすら詳しくないが故に
起こってしまった誤解のように思える。
自国の事すら知らない人がなぜ他国の事を裁けるのか。
他国を判断したければまず自国について知らねばならないのではないかと思うのだ。
付記:
こういう記事を書くと「茶道の韓国起源説が~」というレスが沢山つきそうだが、
そういったものとは別次元の指摘だと理解していただけると思う。