はてなキーワード: 回覧板とは
回覧板につけて回したら共有できるで
反ワク連中が下校の子供狙ってプロパガンダしてるって話を聞いたんだけれども、実際ポジティブネガティブ問わずある程度考えてると、確かに学校通ってる子供はマナーやルールの拡大を行う際に一番に狙いを定めるといいんだ考えるのはわかる
関係各所、とくにお役所なら反ワクぐらいおかしい言説は聞き流すだろうが、もう少し社会通念上守る人数を増やしたいマナー・ルールになると検討する段階には入るだろう。学校・保育施設に通う子供+その親にリーチできるという点と、攻める手段を学校から行政+教育委員会という具合に広げれば巻き込む人数と執行の強制力を上げられる(ように感じる)ので、とりあえず全市民に対するキャンペーンよりも楽ではある。市役所に頼んで回覧板にビラ挟むよりはよっぽど強いんじゃないすかね
オフィス街とかならともかく、小学校徒歩20分圏内とまでなれば、子持ち世帯をどうにかできればあとは各個撃破できるくらいにまで数は絞れるって算段だと思う
ストレスが溜まっている人間は危険だということは知っているのでまず相手はビビる。
たまに外国人だからと舐めてかかる奴がいるが、それならそれで相手が舐めた対応をしやすくなって大家にチクりやすいぞ。
あと大家になにか許可を得るのも最初の3ヶ月は耐えろネット回線工事とかもやるな。
いきなり面倒なやつだと思われるな。
最終的に隣人とのバトルは大家に好印象を与えられるかで決まる。
挨拶回りをすると相手に「先に入ってるから俺が先輩」と思わせてしまうのでやめよう。
いつ入ってこようが同等の地位であることを何も渡さないことでアピールしろ。
プレートを貼れ。
可愛いものが好きな奴はキチガイが多いと知られているのを利用しろ。
バットを持っていることとスイングを鍛えていることを見れば相手は「コイツ……喧嘩になったらこれを持ち出すのでは……」とビビることだろう。
ヤバイやつアピールが成功すると舐めた隣人なら廊下で「てめーうっせんだよ(ボソッ」みたいなことを言ってくる。
人と会話する時はニコニコしてるやつだと思われろ。
ただしさり際の背中には日々の仕事で溜まったストレスが心の奥で爆弾を育てている感じを醸し出せ。
上っ面は愛想よく、腹の中身は危険物。
そんなキャラを相手に印象付ければ「こいつ大家の前では猫をかぶってるタイプか?そしていざとなったら本気で殺しに来るタイプか?」と相手が勝手にビビってくれる。
そうしたらもう安泰だ。
すぐ横に壁ドンしよう。
音を大きくしつつ壁に傷がつかない張り手がいいだろう。
たった1回だ。
そのアパートでたった一回だけこれをやろう。
大事なのは「大きな音を出した奴がいることが分かる別の部屋」に壁ドンすることだ。
自分が注意されると人間はイラっとくるが、それが他人であるなら納得する。
その上で「あっ、こいつキレたらヤベーんだ」と思わせよう。
もしも大家に注意されたら知らぬ存ぜぬで行くべし。
「他の部屋が大きな音を出したのかも知れないけど、自分は近所の音なんてそんな気にしないから知らない」で行こう。
近所の楽器の音とかも別に気にならないキャラを大家の前では貫け。
そうすれば隣の家のやつが大家から面倒くさいレッテルを貼られて後々有利になる。
相手が先に部屋に入っていようが、印象の投合でこっちが先手を取れば大丈夫だ。
大家からすればよき借り主であり、相手が文句をつけたり無茶な要求をしなければ平均的な隣人、しかし喧嘩を売ったら最語に損をするのは自分の側、そういう印象を与えていけ。
ただし3部屋離れた所の相手とは上手くやっていこう。
お前らにお金を貢ぎたくない男であって
「ドロボウは何を言っても金を払わないので『盗まないで』なんて言うな」
貢ぎたくはなくとも、観たいと思ってることは確か。支援してください、と呼びかけることで、それまで支援する気のなかった人がお金を出すことは募金の文脈ではよくある。AV視聴男にその道理が通じない理由はない。
売春とは、対償を受け、または受ける約束で、不特定の相手方と性交することをいう。
あなたの言ってるそれは売春防止法における売春ではないですよ。
「お前だって人を殴ったことあるのに、なぜ殴られるのを嫌がる?」
奇妙な理屈だ。
殴る彼女の罪と殴る男の罪は独立して存在する。相殺して消えたりはしない。
裁判の判決で、実は被害者も他人を殴っていたことがわかったので加害者を免罪します、とはならないだろ? 二つの罪は無関係だからだよ。
相殺が成立するのは、“お互いで殴り合っているとき、相手に向かって被害者ぶる” ときだけだ。そういう場合のみ、文句を言う筋合いは無い、と言える。
お前らは男の性欲に働きかけてくるが、こっちがどれだけ好きになっても何もできないんだぞ。ふざけるな。
そんな空虚な状態を作り出すから男としてなんか裏切られた感があってどうでもよくなるんだ。
お前らのそのいやらしい裸体で俺を慰めてくれるのか!直接!直接してくれるのか!ええ!?
新しいインターネットミームとして未来にずっと残るかもな。
正規のカネを払ってオナニーをすることで女に褒めを要求する男。クソフェミの回覧板にうってつけのネタだ。
なあ… 一体全体、魂の誇りはどこへ消えちまったんだ?
何を偉そうに言ってるんだこいつはと思う。
俺も同じことを思ってる。
はだしのゲンの親父みたいなおっさん(以下おっさん)が町内にいて、扱いに困っている。
おっさんの家は俺の家と番地の同じブロックで、奥さんと高校生の息子さんと小学生の娘さんの四人家族。
今年度は俺の家が一年毎の持ち回りのブロック班長をやっていて、自治体から配布される回覧板を回したり自治会費や募金などの集金をまとめたりするのが主な仕事。
今まで基本おっさんは自治会の集まりに参加しなかった。奥さんもお子さんも来ない。奥さんにそれとなく話しかけてみたら、土日は忙しいのだとか。
しかしコロナ禍でおっさんの状況は大きく変わったらしい。仕事が減ったのか失くなったのか、おっさんはずっと家にいる。
去年の夏頃から、うちの向かいのコンビニのポケストップで日に何度も出てきてはスマホをシュピシュピやっているのを見かけた。
その後ワクチンの声が聞こえ始めた頃、自治会の掲示板にコロナの陰謀を知らしめるチラシが貼られるようになった。ツイッターなどで作られているものだった。
俺の家のお隣さんの老夫婦が班長だったので、相談して見かけたら剥がすようになった。
チラシが貼られるのは毎週金曜日の深夜だったので霜降りのANNを聞きながら窓から見張っていたら、紙とホチキスを持っておっさんが歩いてきた。おっさんはこども会のおまつり中止とビン缶ゴミ分別徹底のお知らせの上にツイッターで見たチラシそのままプリントしたものをホチキスで貼って帰って行った。俺は朝刊配達を待ってチラシを剥がした。
4月、俺達の家が班長になった。回覧板を見ると、おっさんの家の受取ハンコは去年7月からなかった。飛ばされているのか、見ないで回しているのかはわからない。
先日5月の土曜日、おっさんは町内清掃に来た。ノーマスクで、酒をしこたま飲んでいた。奥さんとお子さんは来ていなかった。おっさんは座り込み、日本に来ているワクチンを打つと死ぬ、本物のワクチンはユダヤ人と中国人の上層部しか打てない、コロナウイルスは存在しない、ワクチンで不妊にされて日本人は絶滅すると延々と一人で話していた。俺はマスクを渡したがおっさんは胸ポケットに突っ込んで下を向いて独り言を続けた。
作業をしているとバブァァァと怪音がした。おっさんの屁だった。俺ははだしのゲンの最初の方の、ゲンの親父が竹槍訓練に来たシーンを思い出した。果たしてゲンの親父は正しかったし、近所の人や町内会長は間違っていた。
おっさんの家の壁には反ワクチンのコピー紙が貼られては雨に濡れて溶けている。奥さんと息子さん娘さんは通りがかりに挨拶してくれるが、フレンドリーなタイプではない。先週からおっさんはポケストップの前にもチラシを貼りコンビニの店員にすぐ剥がされていた。
何故か人が許可したと感じる時にしか喜びや嬉しみを表せられない
おかしいな?変だな?って思って
昔を思い出していたら
そういや自分が嬉しいと思って喜んだら親にいつも嫌な事されてた
具体的にどんな感じかっていうと
回覧板を回した優しいお婆さんからお菓子もらった!→良かったね、でも捨てなさい。危ない何かがはいってるかもしれないからもう二度と貰わないで
ただいま!今日学校で先生に褒められたよ!→良かったね、でも他のことは出来てるの?家では何もしてないじゃない。勉強全然出来てないのにどんな事褒められたの?お前は優しいもんね。いい子だし、人の役に立ったの?
あ、明日参観日なんだけどお母さん来てくれる?いっぱい練習したんだ!→へー頑張ったねー!でもごめんね、お母さんは行けない→どうして?→ちょっと忙しいから(ゲームをしながら)
こんなことが沢山あって嬉しい報告するのが嫌になった
ニヤニヤしながら意地悪な事を言われたり、何かを思い出して物に八つ当たりしまくった
次第に自分が嬉しくても人が興味が無い事で喜びを共有するのは悪い事だと思い始めた
そのせいか変に悲しい気持ちや怒りの気持ちは表に出すようになってしまった
大人になって普通の人は自分とは逆の人ばかりで頑張って治す努力をしてもなかなか治らない
自分の喜びは人が許可したと感じる時しか出せないこんな自分が惨めで嫌になる
喜んだら一緒に喜んで、悲しい時は一緒に悲しんで、怒ったら理由を聞いて受け止めて叱ってあげて
子供を無視した親の一方的な感情は自分みたいに心に制限を付けてしまう
本当はそうしたいのに本当の気持ちを出せない人になる
私は大阪の田舎生まれ。皆さん大阪の田舎を想像しにくいかと思うけど、田園風景広がってて、コンビニも近くにない、車社会。
社会人になって家を出て、横浜に住んでいたこともあるけど、今住んでるのは地方都市。
地方都市と言っても、田舎県の三番目に栄えている市で、繁華街と言われる場所まで出るのに、公共交通機関使っても車でも1時間以上かかる。
公表されているコロナ感染者は現時点で片手で数えられる程度なので、毎日そんなに怖くない。スーパーですら、人との距離は2メートル以上空いている。
外で飯を食うにしても、行く店を選べるぐらいには店があって、飽きることもない。
最寄駅のエリアには大きなショッピングモールもあって、映画館もある。最近やっとKALDIが入ったので、さらに繁華街に行く気が起きない。
市役所も警察署も通勤経路(車)にあって、転入時は本当に助かった。図書館も大学もあるので、読書が趣味なら何も怖くない。近所付き合いも回覧板くらい。
ネットで注文した物もすぐに来るし、田舎で映らないテレビ番組もネットでも見ることができるし、夜空を見上げたら天の川が見えるし、同僚と「ほぼ仕事と家の往復だけど、出る気力が湧かないくらいに充実してるよね」と言っている。
大阪の田舎に住んでいた頃は、学生だったこともあり、毎週末に繁華街へ出ていた。
横浜に住んでいた時も、なぜか毎週末出かけたくなった。電車でわざわざ日本橋まで行って、電車で揉まれて疲弊して帰ってきた記憶がある。
実家に帰ってきて親のいない茶の間で水ようかんを食べていたら、この家でこんなにしずかな時間を過ごすのは久しぶりだと気づいた。
それは両親が旅行(といっても彼らも私も都民なので県をまたいだ移動をするのは悩ましく、近場のホテルをとって普段よりすこし贅沢みたいなことをしている)で不在にしているのはもちろん、私が人との同棲・結婚・離婚を経てひさびさにひとりになったからというのもある。
10代後半から20代前半にかけては、親の不在期間はそのまま、好きな男の子を家にこっそり連れ込むためのタイミングだった。
いま、ひどいときには収入が5ケタになるような弱小フリーランスの私とはちがい、両親は当時から地に足のついた仕事をしており、なおかつ良くも悪くもバブル世代的な人たちだった。10年ほど前、実家の駐車スペースには黒くでかいベンツと流線形の銀色の外車が並んで置かれていて、家族である私から見てもそれらは笑ってしまうほど「金持ちの象徴」然としていたので、落書きやいたずらの被害によく遭った。
カイジの第一話がそんなシーンで始まるよと人から聞かされて笑ったのは大人になってからだったが、ベンツという車は本当によくエンブレムを折られる被害に遭う。
私は両親の車に対して特に思い入れがなく、そういったことがあったと両親が警察に相談しているのを見るたびに、ひどいな、お母さんを困らせないでよ、とかるく憤ったくらいだった。
というか正直にいえば、自分はまっとうに企業に就職できる気もしないし、両親のような裕福で明るい人たちには一生かかってもなれないのだという予感が10代のときにはすでにあったから、どちらかといえば感情移入してしまうのはベンツのマークを折ることでしかストレスを解消できない人たちのほうだったような気もする。いずれにせよ、両親には申し訳ないけれど、免許証も持っていない自分には、その被害はあまり関係ないできごとだと思っていた。
が、ちがった。私がある日高校から帰ってくると、玄関には見覚えのないスニーカーと業者の人のものらしきカバンがあり、母がニコニコと「うちの前に防犯カメラつけるからね」と言った。
そうかそれで車の被害が防げるならいいよな、私も部活帰りの夜道が怖いと思ったことあったしな、と考えながら洗面所に向かい、はっとする。
あさって、彼氏をこっそりうちに呼ぶつもりだったじゃないか! どうしよう!
両親は2日後に旅行にいく予定で、私はそのあいだ留守番をすると約束していた。「夜は駐車場のライトつけといてね、夜のあいだだけカメラの録画しとくから、なにかあったら再生できるようになってるからね」と母に言われ、一瞬で血の気が引いた。
その日の晩、母が夕食の買いもので家を開けた瞬間から、私は業者が置いていった防犯カメラの説明書を鬼のような速さで読んだ。
くもんで速読やっててよかった、生まれて初めて役に立った、お母さんありがとうと母につよく感謝した。
もちろんうしろめたくもあったが、思春期、初めて心から好きな彼氏ができたばかりの私にはどうしても千載一遇のチャンスを逃したくない気持ちのほうが大きかった。私は2日後のためにポトフとコーンスープのレシピを必死で覚え、産毛処理かみそりをソニープラザで買い、メガネからコンタクトに変えたばかりだった。
説明書を読みこむと、この防犯カメラは3つの角度から射程内を映せるということがわかった。1階がまるまる駐車スペースになっており、玄関が階段を上がった2階部分にある構造の私の実家の場合は、①駐車スペースの真正面、②駐車スペース右脇の私道、③駐車スペース左脇の公道〜家の階段 がその3つにあたる。
実際にカメラのボタンをカチカチといじってみると、たしかにその3か所がよく見える。リアルタイムで家の前を通る人たちの顔立ちや背丈もはっきりわかった。もし夜中にこっそりベンツのエンブレムを折りにくる不届き者がいたり、私が彼氏と浮かれながら家の階段を上がったりしたらすぐにわかるだろう。クソッ!
母はたぶん買いものから20分ほどで帰ってきてしまうし、父も仕事が早く終わったらいつ帰ってくるかわからない。焦りと、操作をもし間違えて業者に連絡が行ってしまったりしたらどうしようという不安のなかで泣きそうになりながら、私は必死で防犯カメラの死角を探した。
家の正面は鮮明に映ってしまうからぜったいに通れない。家の裏にある公園の柵を越えて敷地内に入ればカメラに映らなそうだ。でも、夜中に公園の柵を男の子とふたりで越えているのをもし近所の人に見られたらどうなる?
うちは商店街の中ほどにあるから、東京にしては近所付き合いがさかんだ。公園の管理者さんの顔も、そのさらに奥の住宅に住んでいる家族の顔ももちろん知っているしなんなら毎週回覧板を回しにいっている。見られたらおしまいだ。クソッ!
父が帰ってくるまでの15分ほどで、私は持たせてもらったばかりのガラケーで防犯カメラの画面の写真を撮りまくり、背景に映っている観葉植物やアパートの窓の高さを彼氏の身長に頭のなかで換算し、カメラからは見えない範囲を必死に予測した。
彼氏は素直な人だったから、私が事情を説明し、「申し訳ないけど、近所の人に見られてしまうから駅からは別行動でお願いします。うちの裏についたらこの公園の脇を抜けて、奥の家の窓から見えないように、ものすごく低くしゃがみながらこのルートを猛ダッシュしてほしい。階段は這うように上って、ドアを開ける際には音を立てないでほしい」とめちゃくちゃなことを言っても「うん、おけ」とうなずいてくれた。
2日後の晩、防犯カメラの画面をにらみながら彼氏を待っていた5分間以上に長い時間を私はいまだに知らない。夏がはじまる前のすずしい日だったのに汗だくの彼氏が玄関のドアを開け、「さっきアリが靴んなか入った」と笑いながら倒れ込んだときの気持ちをきのうのことのように思い出す。彼氏がコンビニで買ってきてくれたロールケーキは潰れ、ビニール袋が破けて中身が出ていた。
けっきょく旅行のあいだ両親のベンツはまったく無事で、帰ってきた両親は別にいちども防犯カメラを見返したりなんてしなかった。
けれど、彼氏を連れ込んだのはあっさりばれた。旅行から帰ってきた翌日、母が食器棚を開けて「あんたひとりだったのにお皿はぜんぶ2枚ずつ使ったのね?」と言ったのだ。使い終わった皿の位置! 私はそのとき自分のことを本当にばかだと思った。
さっき、誰もいない実家でひとりぶんの食事を適当につくろうと食器棚を開け、その前面に並んでいるのが湯呑みやひとまわり小さいサイズの茶碗ばかりに変わっているのを見たときに、急に昔のことを思い出してこれを書いた。
家の前のライトを消しておけば防犯カメラにはなにも映らないと気づいたのはハタチを越えてからで、でも結婚していたここ数年はそんなふうに人を家に入れる必要もなく、いま防犯カメラは防犯カメラとしての役割だけを担ってくれている。家の車もいつの間にか音の小さい国産車に変わっていた。この10年、一瞬だった。
話題にしてるのと、
自分事として考えることと、
防衛のために、積極的に特定の人間を排除したり攻撃することは、全部別物だぞ。
でも自粛警察みたいな思考にはなってない、というか攻撃対象が自分の生活圏に入ってこないしわざわざ行動を起こすバイタリティもない
近くに観光施設はあるにはあるけど普段から近づきもしてなかったんだから、こういう御時世だからわざわざ声を上げて排除しましょう!みたいな突飛でアグレッシブな思考に至ってない
「触らぬ神に祟りなしじゃほっとこう関わらないようにしよう」みたいな感じだよ。それはコロナか前と変わらない態度には違いない。
増田こそ、都会の人が面白がる類の田舎の陰湿さみたいな話に照らし合わせようとバイアスかけてないか?
田舎の陰湿さは何もしないこと、無関心であること、故にレッテル貼りが大きな意味を持つことだと俺は思うけど
それって敵認定して対立を煽るっつう態度とわりと対照的だから増田の話聞いてると変な気分になるんだわ
派閥をはっきりさせてばちばちするのって都会的な考え方なんだわ
田舎で誰かに喧嘩売るとどんな事情であれ和を乱す奴とみなされ忌み嫌われるからな
「観光業は敵だ!締め出せ」みたいなことを隣人が言い出すと「なんかめんどくさそうだからもうこいつと関わるのやめよ」ってなるのが田舎者メンタル
「無関心」って言葉が誤解させたのかもしれない
都会的なさっぱりした態度ってことじゃなくて、
あそこには回覧板回さないとかはあるかもしれないけど、わざわざ「出てけ」って言いに行くような挑発的な行動する奴いるか?っていうのが俺の話
俺の場合はかぶと寿司という店。チェーン店でも回転寿司でもない、郊外の普通の店。店に行ったことはなくて寿司桶でしか知らない店。回覧板の広告でしか店舗の姿は知らない店。
本家筋で集まりごとがあるときはいつもその寿司屋の出前が昼に出た。そのころはナマ物に抵抗があったから、巻き寿司か箱寿司くらいしか食べるものがなかった。と言っても巻き寿司が苦手で、箱寿司のみを食べていた。
いとこ達と遊ぶことは楽しかったが、食事に関しては特別に楽しい思い出はない。酒を飲んで楽しげな周りの大人たちの雰囲気の中に俺の居場所はなかった。酒に対して苦手意識がめばえたのはその時が最初のように思う。
次第に集まりへ顔を出すことも億劫になった。家族そろって寿司屋へ行くこともなかった。俺以外の家族で行ったことは、きっとあるのだろうけど。
寿司はついに好きにはなれなかった。
初対面の人に苦手な食べ物を問われたとき、寿司も酒も苦手で・・・と答えると、「まんじゅうこわい」な冗談と思って大いに笑ってくれるのだが、実際はこんななのだ。
かぶと寿司はずいぶん前に潰れた。あの店がもし回転寿司だったら、子供だった俺の寿司へのイメージもまた違ったものになったのかもしれない。
そんなことを先日思っていた。かつて寿司を注文してくれていた伯父の通夜の場で。食事は桶に入った寿司だった。かぶと寿司とは違うその高そうな寿司に、俺は箸を伸ばすことができなかった。