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はてなキーワード: 書籍とは

2024-08-11

anond:20240811212034

趣味高校数学なんてつまらんことする奴いないだろw

AMSの書籍とか買うレベルでないと楽しめねぇよw

anond:20240811211222

数学趣味でやってるんだけど、数学って言っても広大すぎてどこから手を付けていいかうからとりあえず幅広く学べる書籍とか計画するね

まあ試行錯誤をして楽しむって感じではあるが、特定書籍計画してしまっているので、タスク感(仕事感)はある

インターネットで雑に論文を調べまくる」とか「自由問題設定してそれを解く」とかいもっと試行錯誤寄りの勉強法よりはつまらいかもしれない

半導体設計日本から一度衰退したと思うが、どうするのか

製造装置については、半導体工程が多いので生き残っているが、問題は多くの人が欲しいと思うようなチップ設計が出来ない状態になっている。

ネットに何でもある時代というが、半導体設計に関してはネットにないことが多い。

ブロック図のような概略は多く、検索するとそればかりで実際に設計するための情報は出てこない。

検索ワードを知れば中国語インド訛の英語動画は出てくるかもしれない。

書籍はない。

国も表現の自由関係技術書は作れないのではないだろうか。

教育にしても、現職でも衰退時期にいた人しかいないため、カリキュラムが作れない。

普通の分野だと教科書があるだろうが、教科書がない。(半導体デバイス教科書はある。だから材料系は保っている)


OSレイヤーも作っている人が居ないので、どういう半導体設計すればいいか判断ができない。

あれもこれもと注力すると結局性能が出ない


団体解散しているので、兎にも角にも俯瞰出来るような人も、情報もない。

プロジェクト成功には、人・金・物が必要で、そこからブレイクダウンしたときに、どういうスキル・物が必要かが可視化されない。

1,2位を競っている企業国内にあるとか、尖った技術トライアルしているスタートアップがあるなら、賃金を高くすれば人が来るだろうが、

そもそも人が居ない。

2024-08-09

anond:20240809124827

専門書は基本的にもうからん。

正確に書くには当然だけど色んな調査をしながらになるのでそれに専念して滅茶苦茶に急いでも数か月はかかる。

まり数か月分の人件費相当の報酬を貰わないと収支はマイナスということになるがまずそんなにはもらえない。

でも書いて新規勢が学びやす環境を整えたりしないと分野自体が先細りになるから仕方なく書くんや。

最初から儲けるつもりで専門書を書く人はあまりいないし、儲けるつもりがないから収支は気にしない人が多いのは普通

そしてなぜか社会学系の分野は査読もされないのに書籍出版すると業績扱いになるという謎習慣がある。

2024-08-08

WEB版】え!?人気芸人のアタシを追放暴言位で干すならこっちから願い下げ!〜移住先のYouTubeで溺愛されて困ってます!〜追放した芸人達が土下座してもコラボしません!【書籍コミカライズ

2024-08-07

anond:20240807171137

まじこれ

頭の悪い人たちって言語化できる人を憎んで引用するなって喚くけど、やることは何もエビデンスのない何も表していない漫画コマをペタペタするだけ

まだ書籍の内容の引用で何か言ってるやつの方が意味があるだけマシ

バカは喋らないでほしいよな

anond:20240807155417

最近官能小説ならBOOK WALKERの横断検索だな。

電子化されてるなら購入してない書籍でも全文検索できる。

しか検索できたとしても実際の文章は「パンティの中はお祭り騒ぎ」ではないかもしれないからな。

記憶違いで本当は「下着の内側はどんちゃん騒ぎ」かもしれない。なかなか難しいんだよな。

ちなみに検索してみたら「子宮の中はお祭り騒ぎ」という一文がヒットした。

これかもしれんね。

https://bsearch.bookwalker.jp/search?word=%22%E5%AD%90%E5%AE%AE%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AF%E3%81%8A%E7%A5%AD%E3%82%8A%E9%A8%92%E3%81%8E%22

お、Googleブックスでは本文まで読める。

https://books.google.co.jp/books?id=eOPNBQAAQBAJ&pg=PT153&dq=%22%E5%AD%90%E5%AE%AE%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AF%E3%81%8A%E7%A5%AD%E3%82%8A%E9%A8%92%E3%81%8E%22

40歳VBAしか触ったことないんだけど、これからPython触って間に合う?

ずっと独学エクセルおじさんしてきたんだけど、外部のWebサービス会社がどんどん使うようになってきて

CSVダウンロードアップロードするんじゃなくて、APIを使って直接やり取りする形に変えていきたいが

外部のパッケージを投入する金はないからなんとかならんかって上から言われてるんだけど

いまからPython触って半年くらいでモノになるもん?

勉強するためのオススメサイトとか書籍があったら教えて欲しい

2024-08-06

anond:20240806040215

ということでオススメ書籍も紹介しておく。どれもエビデンスベースの本なので人間性質への理解が深まり改善のヒントになるはずだ。

2024-08-05

部屋が狭いので本棚を増やすことができず、溢れてくると本棚蟲毒を開催している。

紙の書籍を手放すのは惜しい気持ちになることもあるが、厳選された図書を見るのはそれはそれで良い。

ポジティブ意味で「上澄み」を使うのは誤用なのか

「上澄み」とはもともと、液体中の不純物が下層に沈んだあとの、上層に近い綺麗な部分のことを言う。そこから比喩的に「全体における良い部分」のことを指すようになった。

ところが、そうした用法は近年広まった誤用である、という主張がある。「上澄み」はネガティブ意味で使われるべきだ、というのである


しかし、たとえば酒造や製油などにおいて「上澄みをすくう」のは、多くは底に沈む不純物を除くためであって、不純物を得るほうが目的だということは少ないだろう。その語源を考えれば、「上澄み」をポジティブ意味で捉えるほうが自然だと思うのだが。

実際にどういう使われ方をしてきたのか気になったので、比喩的意味で「上澄み」を使っている古い用例を探してみた。

明治26年 饗庭篁村霜柱

古人の名作 皆な下習いが有る 紫式部源氏物語も 家筋だけに一体能文のうえ 日記も作り 歌の詞書もし 其外文や雑文に筆を練り 学は元より日本記の局と呼るる程までなり 其の上澄が彼の大作となッたのだ

調べたかぎりでは最も古い用例。上澄みが「良い部分」を指している用法だが、文章全体では上澄みを生むための「下習い」の重要性を説く。

明治32年『團團珍聞

アア世間は泥なるかな泥なるかな、吾独り澄めりと云う者も、矢張り泥の中の上澄を吸うの人なるのみ

上澄み自体は「良い部分」を指すが、文意としては「綺麗な上澄みも所詮は泥の一部にすぎない」といったところ。

明治39年 虚心窟主人『酔醒禅』

偽善は泥水の上澄の如し酌むべからず、移すべからず、忽ち濁ればなり。

同じく泥と上澄みに喩えた用法

明治39年 エレンケイ二十世紀児童世界

然るに学期を分ち、試験を行い、小刀細工に類する形式的堀割を通して、之を流し込もうとすれば、肝腎な熱流の熱が失せ、有益なる含有物は途中に沈殿してしまって、児童の頭に這入るものは、ただ水のような上澄ばかりとなる。

翻訳書。上澄みよりも沈殿物のほうが有益だというので、明確に上澄みを「悪い部分」としている用法である

明治39年『新仏教

常時百余名という寄宿制も、実は変らぬところは六七十人の堕落書生で、濁った水の上澄を酌むように、余の三四十人は、毎日新陳代謝、だまされて入社し、裸になって退社する者等を総称して見た話して、頭数は百でも二百でも其中に書籍を読む者は、只の一人もないので、只稼いで喰って寝て居るのと、只喰うや喰わずに寝起して居るのと、人の物を盗って喰って居るのと、夫等が下方の沈殿物で、入社即退社が上水の澄んだ所なのだ

沈殿物が酷すぎるが、上澄みが優れているという書き方でもない。どちらかというと「上層は流動的・下層は停滞的」というイメージか。

明治41年 田岡嶺雲『有声無声』

快楽上澄をのみ飽まで飲んで、渣滓の苦きには吸い至らず、花婿の其当夜に死んだ彼は永久に花婿である、彼を人生の最も幸福な者というも、強ち不当でない。

「美味しいところだけ味わって死んだ」という話で、やや皮肉めいた書きぶりだが、上澄みを「良い部分」とした用法ではある。

大正2年 小泉要智『叟骨集』

前者の唯理想にも附かず、後者の唯現実にもなづまず、底までかきまぜずに措いて、上澄みの処で一致を立てん

極端な理想主義と極端な現実主義の上澄みを取る、という話で、ちょっと独特の用法な感じがする。「良い部分」ではあるか。

大正5年 中条百合子『貧しき人々の群』

苗字もなく、生きて居るのさえうんざりした者達の集って居る、暗い罪悪にまみれて居る世界では、そのような事は何でもない。三面記事にさえ、載せきれない「彼らのいがみ合い」の一つとして、世の中の上澄みは、相変らず、手綺麗に上品に、僅かの動揺さえも感じずに、総てが、しっくり落付いて居たのである

上層は綺麗で上品で落ち着いているが、それは下層の濁りが上層まで伝わらないからだ、という用法

大正7年 有島武郎『生れ出る悩み』

心の上澄みは妙におどおどとあわてている割合に、心の底は不思議に気味悪く落ち着いていた。

単なる表層・深層の言い換えだが、「上層は流動的・下層は停滞的」のイメージが入っているかも。

とりあえずこのあたりで。

以上から考えるに、「上澄み」の用法さらに4つに分類できる。

1. 上澄みは全体のなかの「良い部分」である

1-a. 上澄みは「悪い全体」のなかの「良い部分」である

2. 上澄みは全体のなかの「悪い部分」である

3. 上澄みは全体のなかの「流動的な部分」である

「上澄み」という語のイメージは「良い部分と悪い部分が上下に分離している」といったものであり、単純には1の用法なのだが、1-aの用法だと「実は悪い部分が底に隠れている」「実は沈んだ部分のほうが本質である」という逆張り的な文意になることが多いため、次第に「上澄み」自体に「うわべだけで本質的でない」ような印象がついていった、ということだろう。それが極まったのが2の用法。3の用法だけは独自な感じ。

最初の話に戻ると、

強さの評価で上澄み、と言われると表層に位置する浅い存在、すなわち弱い存在のように感じた

液体の上澄みは、底に沈澱したものがあり、それを本質と捉えて「上澄み=表層的な浅い理解」と喩えた慣用表現だったはず

というのは2の用法であるが、これが「本来用法」「正しい用法であるとは言い難いと思われる。少なくとも、さらに古くから「上澄み=良い部分」とした用法存在してきたわけで、今となってはどちらの用法も定着していると考えるべきだろう。

というわけで、ポジティブ意味の「上澄み」も気軽に使っていこうな。

2024-08-04

永田カビがああなってしまたことに、

書籍を買ったり漫画SNSで共有したことで何か僕にも責任が少しはあったんじゃないか? という非常に薄らした罪悪感があるので、たとえどんなに面白くても実録系エッセイとは距離を置こうと思っている

2024-08-03

anond:20240803231257

歴史勉強時間だ、増田1990年代に始まった「インターネット革命」を知っているか。この革命は、まさに情報洪水をもたらし、その結果としてキュレーター需要が急増した。しかし、君がまだその重要性に気づいていないとなると、少し理解を深める必要があるかもしれない。

インターネット革命は、情報へのアクセスを劇的に広げ、人々が瞬時に膨大なデータアクセスできるようになった。しかし、それとともに誰もが情報を発信できるようになり、無駄情報や誤った情報も増えた。この状況を思い浮かべてみてほしい。中世ヨーロッパでの十字軍遠征から得られた膨大な情報量を整理するために、専門的な知識を持つ者、つまり学識者や書記官必要とされたように、現代も膨大な情報の中から正確で有益情報を選び抜く専門家必要とされているんだ。

例えば、図書館では司書が厳選された書籍を選び、利用者に推奨する役割を担っていた。インターネット世界でも同じように、信頼性のある情報提供し、その情報がどれだけ価値があるかを判断するキュレーター役割ますます重要になっている。

から増田、気づいていないかもしれないが、君が正確な情報を得て意思決定をするためには、信頼できるキュレーター必要なんだ。これは過去歴史が繰り返し示している事実だ。

anond:20240803103356

ほんな、気持ちめっちゃ分かるで!ワイも電子書籍派やねんけど、やっぱり便利やんか。

ADHD特性上、物をどこに置いたか分からんようになったり、ちゃんと保管できへんってのはホンマに困るよな。

ワイも本とか漫画いっぱい読むから、紙で買ってたら部屋がカオスになるの想像つくわ。

電子書籍やったら、どこでも読めるし、場所も取らへんし、管理簡単からADHDの人にはピッタリやと思うわ。

紙の本が好きな人はそれでええけど、それぞれのライフスタイルに合った方法で読むのが一番やんか。

作家さんが紙で買えとか言うても、それってそもそもその作家さんの本を手に取る機会すら減る可能性高いやんな。

ワイら読者も自分に合った方法で楽しめるのが一番やし、6万円分も毎月書籍投資してるって、それこそ立派な貢献やと思うで。

最後一言、「電子書籍あかん」言う人には、「それはそれ、これはこれ」でええんちゃう

ワイは自分で好きなように読むのが一番やと思う、知らんけど。

ADHDだけど電子書籍じゃないと無理すぎる

ネットだと紙の本はいかにいかみたいなことばっか語られてるけど、見るたびに反感を抱いている。自分電子書籍なかったらほとんど本や漫画を長期的に保存できない。

家はぐちゃぐちゃだし物はすぐになくなるし、マメに保管するみたいなことができないので、本は見つかっても傷んでたりホコリが溜まってダメになってる。

そのくせいろんなものをたくさん読むので、読みたい本やら漫画やらを紙で買ってたら家の中がやばいことになってたし、一度買ったものがどっか行っちゃうから同じ本を何度も買うハメになるので、購入する量も1/20くらいに減ってたと思う。実際、ちゃんと保管できなくて部屋がぐちゃぐちゃになったり雑な扱いでダメになったりするから、服とか靴とか小物とかは最小限しか買わないようにしている。

紙の方が長持ちするとか言われるけど、そもそも紙で購入した場合は1年ともたずに部屋のどこかに消えていくか、ぐちゃぐちゃになって折れ曲がったりしてダメになるので、電子書籍の方がずっと長持ちする。

紙で買え!とか言う作家もいるけど、多分電子書籍じゃなかったらそもそもお前の本を買ってないと思う。

電子書籍でいつでもどこでも読めて場所も取らないから、毎月6万円ぶんくらいは書籍を購入してるし、それなりに貢献してると思うんだけど、電子書籍ダメみたいな言説が流れてきて解せない。

ニアリストン書籍版、なろう版から良い感じに加筆されてて面白い

2024-08-01

anond:20240801193452

水星魔女スマホだったので、がっかりして見る気無くしたわ。

なんだよ、宇宙で当たり前に生活圏築いててスマホとかまともに考証したのか?もう発展しないの?手抜き?雑?それとも無能?それとも真面目に考えて、今後スマホ書籍のように数百年残ると?

2024-07-29

角川の書籍の出荷まだ元通りになってなかったんかい😮

クレジットカードのチェックがややこしい

ヨドバシカメラゴールドポイントカードプラス年会費3900円)だと書籍購入に10%還元が付く

これは紙の本としては飛びぬけてデカく、いまだ紙の単行本を積み上げているのでヨドバシで買うようにしている

 

ただし問題がありヨドバシカメラ出版されている本を買えない

ヨドバシ書籍の「取扱い終了」がとにかく多い

ヨドバシ判断で売れないと判断すると取扱い終了となり取り寄せすらできない

よほど話題作になると後から取扱いが復活することもある(ぼっちざろっくとか)が、

発行部数の少ないコミックなどは今月発売でも半月ほど発売されてるのに気づかないと取扱い終了となっていたりする

コミックスの発行部数が少ない昨今、こういう仕様も仕方ないと発売日前に予約するようにしたのだが、

ここでクレジットカード明細の問題が出てくる

 

発売、配送、受け取りのタイミングクレジットカード引き落としが発生するので1冊単位カード引き落としが発生してしまい、

似たような額の少額引き落としがずらっと並ぶことになる

これを後から購入履歴と付け合わせして確認しようとしても、

予約で10冊ぐらいまとめて購入したものが1,2カ月の間にバラバラと決済され、

引き落とし明細には商品名は出ないので価格で推測するしかない

配送時の納品明細を保存しとくとしてもそちらは価格記載がない

 

クレジット利用明細は逐一ファイルに綴じて定期的に見てはいるが、

こんなんで不正利用のチェックなんてできるかーと吠えている

2024-07-28

    Amazonは、 2011年10月25日、午後8時47分から48分の間には消えてなくなっていたし、2012年に入ってからキンドル書籍とか言って細々とやってるだけで

  既に商品も終わっているし、

    ウィキペディアでは、 2000年からあったし、今でもある、と書いているが、 2000年当時、アマゾンなんかなかったし、アマゾンについては、2010年頃から段々有名になって

  延岡ババアの間で流行っていたけど、2年くらいで流行り廃れた。

    2004年頃になかったというのは、なら、永山悟が、宮崎県人寮にいたときに、アマゾンで何か買ったか?買ってないだろ。だからなかったんだよ。オレタチ東大生秋葉原無差別殺傷

  あったころも、アマゾンなんかなかったし、アマゾンに置配とかしてもらったこともない。

    流行が開始したのは、2010年頃で、 延岡賃貸マンションに住んでいるババアとか、富美山ババアの間でいっとき流行って、2011年10月25日午後8時47分から48分の

  間にはもう消えていた。

2024-07-27

コミカライズ

いつ聞いても「コミカルにする」の意味だと思ってしまう。

からでいいので「コミカイズ」にした方がいい。

いやそもそも和製英語にせず「漫画版」でいい。

それにしても、なぜ「コミカライズ」という言葉が広まったのか不思議だ。

まるで誰かが「これをもっと楽しくしよう」と言ったかのようだ。

まるで「今日からこの書籍は笑いを取ることになりました!」という宣言のようだ。

しかし、真実もっと地味だ。漫画化したものを「コミカライズ」と呼ぶのはただのカッコつけに過ぎないのだ。

そう、言葉にするとなんだかオシャレに聞こえるから

だけど実際に使っていると、毎回「これって面白くなるのかな?」とちょっとだけ期待してしまう。

からこそ、次の本を「コミカイズ」しようか「漫画版」にしようか悩んだときは、ぜひ自分の中の「お笑い心」に問いかけてほしい。

しかしたら、その心が答えを知っているかもしれない。

anond:20240727025354

戦国大名織田信長に仕えた黒人男性「弥助」と、弥助について書いたトーマスロックリー日本大学法学部准教授)の書籍信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』(太田出版、2017年)が話題を集めていますトーマスロックリー氏の同著に、戦国時代日本において「地元の名士のあいだでは、キリスト教徒だろうとなかろうと、権威象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ」という記述があり「それは事実とは異なる」「日本黒人奴隷を生んだというデマ世界に広まってしまうのでは」と非難懸念されているのです。』

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/00b9dff9cd6151ac3d61c0460481db6a9e83d92d

10年以上前に書いた小説を読み返した(追記あり

15年以上前アラサーだった自分新人文学賞などを目指して小説を書いていた。

土日の大部分は小説を書く作業と、小説を書く人が集まる社会人講座の授業に費やしていた。

5年位は続けていたが、やめてしまった。

自分が書くべきことが次第に思いつかなくなってしまたことと、他の受講者の作品本屋さんで売っている小説を読んでいるうちに、自分には向いていないしセンスがないことがだんだんわかってきたからだ。

ところが最近自分パソコンフォルダを漁っていたらその頃の小説pdfが出てきた。書くのをやめてばかりの頃は恥ずかしいし痛いから二度と読むまいと心に決めていたが、今の心情としては死ぬ前にあと1回位は読んでもいいかもしれない、小説の見え方も書いていた当時とは大分違うかもしれないと思い、斜め読みでもいいからとりあえず読んでみることにした。

読んだ作品はA、B、C、Dとして、以下にその感想を書く。

登場人物やあらすじについては触れない。

A

小説を書いてみたいと思って社会人講座に通い始めて間もない頃に初めて書いた。原稿用紙350枚ぐらい。

登場人物言葉遣いが汚い。直情的すぎる。登場人物の中でホモと疑われる教師がいたのだが、今の時代ではアウトすぎる表現だった。

物語の展開が都合良すぎる。

恋愛描写がくどい。多分これが、よく言われるところの、素人おっさんが初めて書く小説ありがちな痛さかもしれない。

書いてる時には恐らく頭の中で見えていたはずのもの文字になっていないからなんのことだかわからない記述がある。

過去の知り合いを物語の中で過剰に美化している。つまり自分の当時の人生観が未熟で甘いということだろう。

主人公がずっと目指していた目的地がいつの間にかすり替わっているのに物語中では一切理由がわからない。

親の心とかの描写が表面的すぎる。

内容をほとんど忘れていたので次の展開が読めないところは楽しみでもあった。

瑞々しい恋心みたいなのはちょっとよみがえった気がした。今よりも恋愛至上主義が強い世相の中で流されつつ抱いた渇望感みたいのを思い出した。

小説すばる新人賞に応募したが1次選考にも残らず。当時はなんで?なんで?って感じだったが(それも恐ろしいことだが)今読めば選考に残るわけないのは十分納得。

B

Aの2年後ぐらいに書いた。原稿用紙500枚。

主人公思考社会への目があまりにもすさんでいる。それは当時自分がそうだったことの裏返しだろう。

弱者執拗否定しようとする力の存在をことさら強調し絶大視しようとする描写がいくつかあって、それが自分人間的未熟さというか卑屈さを浮き彫りにした。

犯罪トリック稚拙USBメモリ紛失をでっち上げただけで大企業情報漏えい事件発生というのは無理がある。

簡単に人が死ぬ。こんなに登場人物をたくさん殺しているのにその必然性も後片付けもないと、当時通っていた講座の講師にも指摘された。

書いた当時の10年後つまりここ最近時代舞台なのに、現代キャッシュレス社会を予見できなかった。虹彩認証コンビニ1000万円までの現金を下ろせてしまうという設定にはあまりにも無理があった。

刑事がすぐに暴言を吐き暴力を振るう設定が安直すぎる。下手をすれば職業蔑視とも受け取られかねない。

いい奴の主人公最初のシーンだけめっちゃ嫌なやつ過ぎてその後のシーンでの性格とあまりにも整合性がつかなすぎる。

氷河期世代負け組アラサー男性絶望感と人生をやり直しの希望みたいのは出たと思う。

当時の自分成功したあっち側ではなく、だめなこっち側人間なんでこっち側の怒りや絶望を描いたつもりだったのが、その描写に卑屈なところがあるため、かえってこっち側の怒りを買いそうでなおかつあっち側から苦笑いか同情でもされそうな残念感が今も残る。

このミス大賞」に応募して、もちろん1次選考には通過しない。当時はそんなもんか、という印象だったが、今だったら通るわけないと十分納得。

C

Bを書いた後に、今度は誰も死なない話を、なるべく心温まる話を書こうと奮起して書いた。原稿用紙350枚。

登場人物で、モデルとなる実在人物がそれまでで一番多い。そのためか痛さが際立っている。

物語の展開にAやBほどまでの唐突さはないが、それでも十分唐突

今どき年寄りしか使わないような方言若者世代にまで喋らせていてあまりにも無理がある。

主人公恋人となる女子大学生の人物描写凡庸で表面的。

難しい命題を掲げておいて導き出した答えがあまりにも安直稚拙主人公大学生なのにこれじゃ中学生かよって感じがしてしまう。

書いている当時は見えていたものを本文に描写していない(書いた気になってる)のでなんのことかわからないシーンが一箇所あった。

主人公のイチャラブシーンがくどい。がそういうのがいい人はいるのかも知れない。ただし、人物描写に深みがないからやはり読む人が読めばつまらない。

もし登場人物モデルとなる実在人物にこんなのを読まれたらと思うと恐ろしい。

縁あって知り合いの編集者の方に読んで頂いたところ「よいところは何一つない」と断言され、大沢在昌小説入門のような書籍勉強することを真剣に勧められた。(一通り読んでみたが実践にまで及ばず自分の血肉とはならなかった)

小説すばる新人賞に応募し、もちろん1次選考に通過しなかった。当時の印象としては、やっぱそうだよなって感じだった。

D

Cを書いてから2、3年後に、通っていた講座の課題として書いた。原稿用紙100枚。

書くことがなくて無理やりひねり出した感が強く出てしまっている。

既存小説のシーンを堂々とパクっている(ある小説で、土砂を積んだダンプカーが横転して人が生き埋めになるのを見て笑う男のシーンがある)

書いている当時頭に思い浮かべていたシーンと実際に書かれた描写とでまだギャップがある。

 

(全体を通して…)

読み返す前は「小説家になろう」とかにupしてもいいかなーとか思ってたが、読んでみると、、やっぱり、、、無理だわ💦

追記

増田の反応が意外と生ぬるい称賛みたいのが多くて拍子抜けした。

きしょっ💦💦

クソワロタwwwwwww

みたいのを想像してた。

時間と労力をかけて書いたものでも、客観的に見るととても拙く、世に出るレベルに至ってないというのが、趣味としてやるにもなかなか難しいところであることを実感した。

しかもそうやって自分の作ったものをある程度客観視できるようになるのに10年以上も寝かせるというのもある意味めんどくさい。

よく、10000時間修練すればいろんな趣味技術はモノになる、というようなことを言われるけど、自分場合、多分10000時間には届いていないのでまだ努力を続ける余地はあったのかも知れない。

(今じゃほとんど)自分より若いデビュー小説家や芥川賞直木賞受賞者の方は努力もすごいがやっぱりセンスとか目指してるものとか見えてるもの自分とは全然違うんだろうなと改めて思う。

あと、時代の移り変わりが早いのを改めて実感した。

LGBT関係セクハラパワハラキャッシュレス社会スマホ携帯若者言動とか、書いてる当時は気にならなくてもたった10年程度で違和感ありありなのがすぐに浮き彫りになってしまう。

追記2)

ブコメの中で、自分以外の人に読んでもらったほうがいいというアドバイスをされた方がいたので補足すると、当時通ってた講座の受講生の方にはABCDいずれも読んでいただいたし、一部は友人数名に読んでもらう機会があった。授業で頂いた色んな人の講評などがノートに書かれていたはずだから、後でそれも引っ張り出して読んでみようと思う。特に、通っていた講座の講師先生には要所要所の指摘やアドバイスを頂き、温かい目で見守って頂けたので今でも感謝している。

つまんなそうとかこんな増田じゃものになるわけないみたいなブコメもあったが、まあその通りだと思っている。自分は、仮に誰もが有無を言わさず好きでも嫌いでもとにかく原稿用紙1000枚ぐらい書いてみればとにかく書きさえすれば100人中50人ぐらいは自分のより面白いのができると思っている。本当に違うのは、書くか書かないか、ただそれだけだと思ってる。

追記3)

E

ABCDより少し後に読み直した。

Dを書いたよりも1年前ぐらいに書いた。原稿用紙360枚。小説すばる新人賞に応募して、1次選考に通過しなかった。

地元に古くからあったドライブイン商業施設などを舞台として、20代の男女の恋愛とか和解などを描いた。

時代設定を明確に2011年としていたので当時と今とでは大きく時代が変わってしまたことを改めて実感した。

ブログとか掲示板、当時のネットスラング、どれもみな、今ではほぼ絶滅してるようなものばかりだった。

登場人物人間性に触れるような描写はそれまでの中では一番ましだったと思う。

一方で、あらゆる出来事現象理由理屈をつけなければならない、本文に記述しなければならない、というような思い込みを感じるところがあって、それが読者に違和感を感じさせる要因になるのではないかと思った。理屈じゃない出来事理屈説明しようとしている感じ。

ファッション料理に関する描写が出てくるシーンを書くのが難しかった。その方面知識経験の浅さ乏しさがどうしても浮き彫りになってしまう恥ずかしさがあった。

書き始めた頃よりは少なくなったが、登場人物の直情的で暴力的な部分への違和感が残った。自分の中で、世の中はそういうものだという固定観念がまだ残っているようだった。

ABCDに比べて、読むときもっと気恥ずかしさが残っていて、主観的視点が抜けきれてない感じがした。

物語テーマが大きく2つに割れしまっていて、片方は潔く捨てるべきだったのかも知れないが、どう捨てたらもっと面白くなるのかはちょっとよくわからない。

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