はてなキーワード: 分散とは
新型コロナウイルス感染拡大で生活様式や働き方が変わった人多いと思う
在宅勤務に対する絶賛の声はもう聞き飽きたほどだ
でも未だに東京に住むことに対する愚かさに言及する声はほとんど見ない
リモートワークして思っただろ?
在宅勤務に切り替えれない企業がぶっ叩かれるように、東京オフィスに拘る企業もぶっ叩かれる始めるかと思ったんだが、全然そんな声は聞こえない
そもそもちゃんと地方に分散していれば満員電車なんてないし、保育や介護問題も多少はマシになるだろうに
東京にオフィス構えてる企業に勤めて、東京近郊に住んでる人らに対する批判はまったく聞かない
東京に住んでることくらいしかマウンティングできることがない(そもそもマウンティングできるようなことでもないけど)はてな民に言っても無駄かもしれないけど
さっき同人一本でみんなそっちに流れた、みたいな言説のやつと意見交換してたんだけど、結局分散型だよなあ。やっぱ。
ただ疑問に思うのは、00年以降は絵師のうまさが加速してゆく時期で、しかしその頃がPC-98にもないような(これもだいぶ語弊がある)鋭いシナリオ展開を見せた時期なわけで(その頃のエロゲユーザーではないが、アニメ原作などを見ると多様な文化性が伺える)。すると絵師の腕が上がったから比較されて見放された、とは一概に言い切れなくなってくる。
やっぱり、どの時期に一挙に衰退したか、が定かじゃないんだよね。エロ系動画配信とSNSがたけのこのように勃興し始めたあたりがピークアウトの時期なのかも。2007~2008年付近だろうか。
で、このころテキストサイトが衰退してブログが全盛期になったということを考えると、「テキストメディアの変遷時期」にあたったように思えるわけ。
岡村の風俗発言で、社会背景を考えて、貧困を考えろとか、社会構造上の搾取だとか言ってるけどさ。
それを散々無視してきて、風俗発言の時にはいきなり社会背景かよ。
はてなでもそうじゃん。東京以外を地方地方とか言ってバカにして、
その社会背景など一切考えず、田舎が悪いとかよく言ってるじゃん。
社会背景を考えろと言うなら、全国に国の権力機構を分散させて、
機会を対等にすることを考えずに、田舎田舎とか言ってバカにしてるくせして、
明らかに、家庭の収入によって偏ってるから、これも実力ではない。
それなのに、学歴を実力だと勘違いして、自己責任とか言ってるのに、
一体全体、この岡村の風俗発言を批判している奴らの頭の中身はどうなってるのさ?
普段、お前らが言ってることに合わせると、
省庁はマジで分散が必要だと思うわ。直下型地震どうするの?という文脈で、申し訳程度に文化庁やら消費者庁の移動は議論になっていたが、そんなことしてるうちにこの危機じゃないか。今この状況で一番リスクの高い東京に厚労省置いておいて、クラスター発生させたらどうなるんだよと。
母親の言動を見ていると、老後の面倒を見てもらいたいと言うのなら、少しは周りがケアしてあげたいと思われるように行動したら良いのにと思う。ここまで愛想を尽かされて、未だ面倒を見てもらえると思ってるのだろうか。
僕のことを投資回収に失敗した(または奪われた)息子だと思っているようだけど、明確に違うと言っておこう。身から出た錆だ。
僕の母親は、幼少期から尽く僕ら兄弟の短所を取り上げてはもう一方と比較をしながら怒る人だった。主によく怒られるのは僕の役目なので、怒られないようにと意思表示を控えるようにすると、お前は弟と違い主体性のかけらもないというのが常套文句になった。子どもながらにして彼女の子育て方針は大変嫌いで、今も変わらず尊敬とは真逆に位置する子育てに関する反面教師である。後々弁解を聞いてみると、かわいい対象は弟、頼る対象は僕なのでしつけのためによく叱ったということらしいのだが、未だによく意味がわからない。
僕が社会人になると、今度は彼女の周囲のトラブルやら不安やらがあるたびに電話を連呼してくるようになる。仕事中だろうがこちらの都合はお構いなしに、1時間以上脈略なく話し続け、最後は怒鳴り散らしてくるヒステリックぶりである。ある時は夫婦喧嘩を仕事中に持ち込んできて、勝手にブチ切れ失踪する始末で手に負えない。故に彼女からの便りはロクなことがないので、電話が来るたびに今でもトラブルかと焦ったり憂鬱な気持ちになったりする。
僕が結婚し、今後の子育てのことを考えて妻側の親の力を頼りやすいように妻の実家寄りの A 県を拠点に選ぶと、今度はそれが気に食わないらしく 僕の実家の B 県寄りの場所に住めと、会うたびにチクチク言ってくるようになる。じゃあお前は育児を手助けしてくれるのかと聞くと、ウェットな付き合いは嫌いだと言う。
子どもが生まれ、子どもを連れて僕の実家に帰ると、昔から僕ら兄弟を遊ばすのが上手だった父親は、いつも率先して子どもと一緒に遊んでくれる。当然子どももすぐに心を許し懐くようになる。子どもというのは鏡みたいなものなので、こちらが開放的で歩み寄ると懐いてくれるし、そうでなく距離感を設けると向こうも警戒心を持ちなかなか懐いてくれない。自己防衛心が強くいつも他人の顔色を伺って生きている母親には当然子どもたちは警戒するので、なかなか懐かない。それがまた気に食わないらしく、立地が離れて会う頻度が少ないせいだと攻撃してくるのである。2〜3ヶ月に1回は帰っているので、じゃあ毎週なり毎月なり帰ったらいいのかと聞くと、ウェットな付き合いは嫌いだと言う。
子どもが大きくなり、さらに一人増えたので、部屋の狭さが問題になってくる。部屋を広げようと思うと賃貸の家賃は馬鹿にならないため、僕らも持ち家を具体的に考えるようになる。 B 県での生活は僕にとっても家族にとっても馴染んでいることと、育児状況を考え、今の立地周辺に物件を探し始める。
一応筋は通そうと、会った時にその方針を僕の両親に伝えると、母親は案の定 B 県に住めとか、間とって都内にしろとか言ってくる。なお、後述するが、妻の実家を建て替えて二世帯化するというプランもこの時点で考え始めた。が、炎上不可避事案なのでまだこの時点では出したり引っ込めたりを繰り返した。
次に、 B 県に新居を構えた弟夫妻は優しいのにと、お決まりの比較を話に織り混ぜてくるようになった。うんざりだ。弟夫妻はともに実家が同じ路線上の B 県内で、夫妻の実家が B 県と A 県とで離れてる僕らとは状況が異なる。百歩譲って比較するにしても、彼らも奥さん側の実家に近い立地を選んでいる。勝手に自分の都合の良いように解釈しないで頂きたい。
しまいには、自分はパートしつつ祖父母に頼らず自分の腕一本で兄弟二人を育ててきたので甘えるなとか、妻の仕事を辞めさせて専業主婦にしろとか言ってくるのである。
前者はかなり現実歪曲が入っている。まず親父はだいぶ家事育児するほうだった。母親はというと、数年もの間パソコン通信やポストペットにはまりネット依存から昼夜逆転生活となり、肥満や肌トラブルをはじめとした体調悪化と家事放棄を招いた。親父の堪忍袋の緒が切れ、離婚騒動が2回ほど起きたことがある。よく腕一本で育て上げたなどと言えたものだ。ちなみに今はジャニオタである。
後者は、もしかすると、女性のキャリアに関心の欠片もなく、昭和の頃の価値感で生き続けている彼女に、確かに共働きを理解しろというのは難しいのかもしれない。ただ、老害の如く自分の価値観を今の世代に押し付けないでほしいし、ジャニーズのビデオばかり見ていないでニュースを見たり読んだりして、少しは今の世の中を学んだほうがいいと思う。
さて、そこまで注文付けるなら少しは金銭面なりの支援なりしてくれるのか。当然そんなわけはなく老後を考えなきゃならないから出さないし、物件贅沢してるんじゃないかと言ってくる。加えて、10歳離れた親父の方が先に亡くなるだろうから、購入予定の家なりで自分の老後面倒見てくれるつもりなのかと聞いてくる始末である。
そのうちに、義母の病気や、義祖母の不幸、父の痴呆進行、子どもの障害発覚、などが同時点に重なった。どちらの家に看病に行こうにも子どもたちがいるので思うように動けず当時は正直かなり大変だった。
今回分かったことなのだが、車30分以内で行ける程度の近さでも有事の際は結局住み込む必要が出てくるので、ドア一枚で繋がっているくらいが理想なのだ。色々考えた結果、各家庭が分散して住むよりもいずれかの世帯の拠点を寄せたほうが、つまり二世帯化したほうが、結果的に動きやすくなるだろうという結論に至った。で、どちらに寄せるかを考えた結果、今お世話になっている子どもの療育の施設に近く、育児に協力的な妻の両親側に寄せる案に当然ながら分が出る。そもそも僕の実家は 3LDK マンションなので二世帯は不可能だ。妻の実家は二世帯を建てられるだけの十分な広さの土地があった。
僕の両親への説得をリベンジし、最終的には親父から、おそらく自分が先逝くことになるだろうからその後の母親を介護してほしいという条件付きで、なんとか承認された。誰もが自分以外の心配をしている中、母親は、もし父親の認知症が進んだ場合の介護側の、つまりは彼女自身の心配に終始固執していた。あとは、お前はマスオさんか、だとか、お前だけ A 県で新居はずるいと嫉妬してたりしていたが、もう話を通せた後なので何も聞かなかったことにした。
ということで、妻の実家を建て直して、二世帯生活をスタートさせた。この他にも、この後にも、語り切れない量のいざこざが勃発しており、今もなお僕の母親との関係性は最悪である。
正直、先の短いひねくれ人間よりも未来のある子どもたちに最大限のケアと投資をしてやりたいと考えているので、今でも妻の実家との二世帯を選んだのは最適解だと疑っていない。母親とのトラブルは定期的に来る災害みたいなものだと割り切るようにしてはいるものの、もう正直縁を切りたい気持ちである。
どのような形で「感染拡大下の教育」が可能になるのか - 極論としての試案/天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
http://mazmot.hatenablog.com/entry/2020/05/01/163839
子供の安全(ひいては子供をきっかけとしたクラスターの回避)は大切だが、
現在の長期休校状態は、感染のリスクと教育機会の損失のバランスを欠いていると思っている。
収束するかどうかは予測困難なためその是非を問う議論は決着しない。
現在感染は収まっていないのだから、感染がある中での教育を最優先に、一刻も早い登園再開を願う。
感染が収まった場合と感染が再開した場合についてはプランBとして並行すればよい。
自学能力が高い高校生以上は、そもそも登校しない選択もありうる。
"密集を避けるべき感染拡大状況と真っ向から対立する集団化がどうしても要求されるのが小学校なのだ"
という記載を受けて、「感染拡大下の教育」の課題である小学校の感染対策について考えてみた。
自学能力がまだ備わっておらず登校が不可欠かつ
だいたい10歳未満の児童のケアが感染症と共存する教育の肝になるだろうと思う。
校内でウィルスに触れないこと、触れたら落とすこと、これだけだ。
ちなみにウィルスに触れる機会、つまり接触については以下が簡易。
「人との接触」ってどうやって数えればいいの?/コロナ専門家有志の会
https://note.stopcovid19.jp/n/n1d0745601527
"「一人の人が相手と1m以内の距離で2〜3往復の会話をしたら、1接触と数える」"
また濃厚接触となる会話の目安は、マスクなしで15分以上となっている。
互いに距離をあけ、15分以上発話し合わず、何かに触れたら手を洗う。
大人には簡単な配慮だが、小学校低学年では対応は可能だろうか?
いくつか考えてみた
◆密集についての対策
◆会話についての対策
・授業の合間の休憩を10分以内にする
・自律して手洗いを行えない児童に対しては、登校後、下校前に手洗い指示を行う。
(登校後は授業を受けているだけのはずなので、自分の席、自分の筆記用具にしか触れていなければ手洗いを強制しなくてもリスクは高くない。
休み時間ごとに手洗い場に並ばせる手間のほうがデメリットが大きい。自分でこまめに洗える子は各自で。)
・子⇔子感染に関しては会話の機会=休み時間を濃厚接触条件より短時間に区切る
・教師⇔子に関しては教師の側から感染リスクを避ける行動をとる
(日によってメンバーの組み合わせがランダムにならないようにする。誕生月や出席番号で分ける。)
◆その他
・一時的に数分密集するだけなら低リスク(トイレ、玄9)ただしトイレでは手を洗う
・校内での食事は避けたほうがよい(給食の救済難しい。パンと牛乳の持ち帰りなら可能では)
特殊なシステムを導入せずとも、大人側の配慮次第で小学校登校は可能ではないだろうか?
いやいや現場はとか、様々個別の事例生じうるのは承知のうえで、感染対策しつつ登校する方策を否定しないでほしいと思う。
3月北海道では全国に先駆けて緊急事態宣言を出す状況となったが、保育園と学童保育は通常通り運営された。
@nabeteru1Q78
昭和天皇は、自分の命と地位が惜しくて、沖縄戦、原爆投下、ソ連参戦を招いた戦争犯罪人だし、本当に国民に申し訳ないと思ってたら、最高の戦争指導者として責任を取る手もあった。マッカーサーに対して命をかけて国民を守ったなどというのは虚偽であり、とんでもない。
まず生まれついて自分の地位を選べなかった立場の人に「命と地位を投げ出して国民を守れ」と臆面なく言えるのは差別主義者以外の何物でもないし、
あそこで聖断が出来たのだからもっと早く出来たはずだとか、近衛上奏文一つで沖縄戦/ 原爆投下/ソ連参戦の責任を問うとか、そんな薄っぺらい歴史観に囚われてしまうのは、nabeteru氏もまた大貫俊夫氏の言う「一つの出来事によって歴史の大きな流れを一括りにとらえたいという欲求」の奴隷だからだ。(中世のペストに関する3つの誤解 https://bit.ly/3d77mff)
昭和天皇実録、および山田朗氏による実録批判、宮中祭祀から昭和天皇の実態に迫った原武史氏の著作など、多面的に昭和天皇の生涯を追えば、そんな言葉は出て来ようがない。
昭和天皇が単なるお飾りに過ぎないとか過度な平和主義者であるとのイメージが誤りであることと、昭和天皇が戦争犯罪人に値することがイコールであるかに述べることは欺瞞的だ。
実際は、nabeteru氏は山田朗氏の著作すら読んでいないのではないか。読めば分かるが、山田氏は天皇が戦争犯罪人だなどという主張は1ミリもしていない。
山田氏はむしろ、当時の日本においては複雑な戦争を遂行するだけのシステムが存在しなかった、権限も責任も縦割り分散型で、全てを統括しているかに見える天皇の存在も建前で、むしろシステムの阻害要因ですらあったと述べている。山田氏の実録批判とは、そのようなものだ(山本七平の「日本にはミリタリズムが存在しなかった」にも通ずるものがある)。
原武史氏の著作は、戦争への不安と皇太后への恐れから、それまで宮中改革に熱心ですらあった昭和天皇が宮中祭祀すなわちカルト的な神がかりに没頭してゆき、虚実の区別すら怪しくなりリアルポリティクスからの逃避をはかり、またそこから立ち直る様を描いている。天皇の存在や言行に大きく宮中祭祀が影響することを描いている点で、現在の天皇制をも批判の射程に含むユニークな観点だが、天皇が守ろうとしたのが「自分の命や地位」などではなかったことは明らかだ。
いずれにせよ、何がnabeteru氏のような人を誤らせていくかというと、歴史に対する問いが「昭和天皇は戦争犯罪人であるか否か」に終始するからで、歴史はそのような問いに答えを出すための道具ではない。
一日2〜3リットルくらい飲む。
でもさすがに30目前にしてこの量は糖分とりすぎで健康によくないと思うので、ちょっとずつ摂取量を減らしていかないといけないなと思いはじめた。健康とかあんまり詳しくない素人ですが、バカなりに考えて試行錯誤してみてます。
まず、赤いラベルのコカ・コーラは1日1本までにして、残りはコーラゼロにした。
でもコーラゼロは人工甘味料だからとりすぎたらそれはそれで健康に良くないらしい。
なんだよ一生コーラ飲めないじゃん。。
それぞれ健康に良くない物質がはいってるけど、閾値を超えなければ害はないはず。
ということで均等にとっていけばリスクは最小限にできる。
ということでしばらくこれでやってた。
リスクを分散してるだけで最悪全部が爆発するリスクもある。ということには薄々気付いてたけど何かしらの言い訳をつけてコーラが飲みたかった。
香料のみ入ってるだけで純粋な炭酸水なので健康に悪い可能性は少ない。
1.コーラが飲みたい
2.炭酸の刺激が欲しい
3.喉が渇いた
のうちのどれが理由かを自問自答すること。
友達なんだけど。
元々精神的にちょっと不安定で不安感が強いというか、そういう感じ。
優しくて繊細で思いやりがあるから、増田にとっては些細でなんでもないようなことで傷付いてる。大変だろうなと思う。これは本心で思ってる。
いやでも2日に1回は多くない? 多いんだわ。下手すると連日電話がくる。さみしいさみしいって。誰かの声を聞いてないと不安って。
いや、うん……そうだね……そうかな……? そう……。
いやでも2日に1回は多いよ。減らしてくれ。せめて分散してくれ、他の友達に。
たぶん、増田が電話拒否せずに、いつでも繋いでるから余計かかってくるんだとは思う。
いつでも相手してくれるから優しいって言われるけど、別に優しくはないんだろうな。だって全然不安に共感できないし。
増田には何も分からぬ。夜に不安で眠れなくなるとか、特に理由もなく涙が止まらなくなるとか、体が1ミリも動かせなくなるとか、死にたくなるとか。
でもそういう友達は多い。言い方悪いかもしれないけど、精神的に不安定な人にめちゃくちゃ好かれる。
前に、「あなただったらこちらがどれだけ落ち込んでても引っ張られないって安心できるから」って言われたことがある。
確かに絶対引っ張られない自信はあるけど、そんな話半分みたいな聞き方で安心できるの?
その不安どうやったら解消されるの? そもそも解消できるタイプの不安なの?
そんなに何度も何度も考えても解消できない悩みや不安、もう考えない方がよくね?
っつーか世界平和について考えるより先に自分の将来考えた方がいいだろ、現実的に。悩みのスケールが大きすぎる。
実は話半分どころか1割くらいの思い入れでしか聞いてない気もする。その話100回聞いたわ。200回かも。
なんか、うつ病とかの人に「頑張れ」って禁句らしい。ネットで見た。
だから電話では基本的に全肯定してる。ちゃんと起きて活動して偉い、家事もできたの? すごいじゃん、いつもより眠れたんだよかったね、って言ってる。
でもこれが正しいのかも分からない。増田の言葉で友達がスポイルされちゃったら申し訳ねえな。
全ての人の憂いがすっかりなくなればいいのに。まあ無理だけど。
仲のいい友達の連絡を鬱陶しく思っちゃうのが嫌だなーと思うし、まさかコロナの自粛からこんなことになるとはって感じ。
はっきり言うべきかなと思いつつ、これ言ったらめちゃくちゃ傷付けそうだなー思い上がりかなーとも考える。
でもまあここに書いたしなんとなく整理できたから、また話5%くらいで聞く生活に戻るかも。自分の力及ばないことは考えすぎない方が精神衛生上いい。