はてなキーワード: 価値とは
ってうか、AKB出馬して勝てねーよ!とかコメント付きそうだから、もう1個あたま捻ると、
握手させまくったらええやん。
それで勝てるかは知らんけど、握手券の為にCD100枚も買うファンもいるわけだろ?
こりゃとんでもない賄賂だわ。
この考え方こそがいじめがはびこる原因なんだろうね。
なぜなら「加害者の人権は守らなくていい」なら、理由があればいじめは正当化されることになるから。
「どんな理由があってもいじめは許されない」という建前が崩壊して「理由があればいじめは許される」ということになる。
そんなことを考えながら、荒廃した大地に立ち尽くす少年増田は、古びた遺跡を前にして息を呑んだ。かつて高度な科学文明を誇った「はてな匿名ダイアリー」は、今や無人の遺跡群と化し、忘れ去られた技術が眠る場所となっていた。しかし、その遺物には莫大な価値があり、ハンターたちは命を懸けてその秘宝を探し求めていた。
増田は、生きるためにこの危険な仕事に身を投じた一人だった。彼の目には、恐怖と興奮が交錯していた。目の前に広がる遺跡は、はてな匿名ダイアリーの謎を解き明かすための扉だったが、その奥には恐るべき危険が待ち受けていることを、彼は知っていた。
「ここに、何があるんだろう……?」
増田は呟きながら、手にした古いデバイスを見つめた。それは、遺跡内部をスキャンし、危険を察知するためのの道具だった。
その時、彼の耳に奇妙な音が聞こえた。風の音かと思ったが、どうやらそれは違った。音の正体を確かめようと耳を澄ませると、それは明らかに機械の動作音だった。増田は息を飲み、慎重に辺りを見渡した。
弱者男性とは、はてな匿名ダイアリーが生み出した自律兵器の通称であり、遺跡に潜む最大の脅威だった。それらは機械の身体を持ち、無慈悲に侵入者を排除するプログラムが組み込まれていた。増田の装備では、弱者男性に出会ったら最後、生きて帰ることは難しい。
増田は慎重に一歩を踏み出し、遺跡の暗がりへと進んだ。心臓の鼓動が早まる。どれだけのハンターがここで命を落としただろうか――彼はそのことを考えずにはいられなかった。
「大丈夫、俺にはこれがある……」
増田は拳銃を固く握りしめた。それは、彼の唯一の武器であり命綱である。
遺跡の奥に進むにつれて、増田は次第に異常な寒気を感じ始めた。それは物理的な寒さではなく、何か不気味なものが周囲に漂っているような感覚だった。彼はデバイスの画面を確認し、スキャンの結果を確認したが、特に異常は表示されていなかった。
「おかしい……」
その時、彼の前方に突然光が差し込んだ。光源を見上げると、そこには巨大な構造物があった。それは、古代の機械であり、今もなお動作しているようだった。増田は驚きのあまり言葉を失った。これほどの遺物が無傷で残っているなんて、夢にも思わなかった。
「これを持ち帰れば……!」
一瞬の興奮が増田を支配した。しかし、その瞬間、彼の背後で何かが動いた。増田は反射的に振り返ったが、そこには何も見当たらなかった。しかし、彼は確かに感じたのだ――何者かの視線を。
「誰かいるのか……?」
答えは返ってこなかった。しかし、彼は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。再び前方に目を向けると、機械の光が奇妙なパターンで点滅しているのが見えた。
「これは……?」
増田がその光に近づこうとした瞬間、突如として頭の中に声が響いた。
「待て」
その声は冷たく、無機質だったが、どこか人間味を感じさせた。増田は驚いて周囲を見渡したが、誰もいなかった。
増田の心臓は激しく鼓動を打った。その声は、彼の頭の中に直接響いていた。彼は恐る恐る尋ねた。
「守護者……?お前は、何者なんだ?」
「私は、はてな匿名ダイアリーの知識と力を受け継ぐ者。そして、お前が依頼がしたい」
https://anond.hatelabo.jp/20240816222511
なぜこんな業界を守ろうとしたり、あろうことか税金入れようとか国が守ろうとするのか、どこに正当性があるのか完全に意味不明。
今どきあり得ないほど長い納期をさらに書店のミスで守れませんでした、それもクレーム付けられるまで放置してました、でも取次が悪いんですという記事に
Amazonから仕入れて間に合わせるぐらいの誠意見せろや、と煽りがつくと「利益ないから意味ないだろ!カスハラ!」的なことを増田がほざいているが
どう考えてもこの場合意味がないのは「書店」の存在であるし、利益がないのは書店経由で買った挙句納期も破られフォローもない消費者のほうだ。
初めからAmazonから本を取り寄せれば圧倒的に速い納期で確実に届く。それだけ求めるなら書店の存在に何の価値もない。そんなことはみなわかっている。
そのうえで書店を守る()ためにわざわざ書店経由で買ってくれた相手に不義理をして放置し納期を破っているのだ。
それでも一円も損はかぶりません。自分のミスだけど余計な手間もかけたくありません。
カスハラ云々言い出すなら、契約に違反しているのだから損害賠償を請求できるともいえる。
しかし謝罪もせず他人事のように「取次が悪いんです、社会が悪いんです」
それを長文でネットに公開。書店業界は腕組みして「うーむ、構造的問題である、みんなで議論しよう」
しかも単なる労働者の愚痴ではなく経営側が顕名でこの理屈を述べ、業界人も批判しない。
外部から批判されると延々と供給側の理屈を言うだけ。自発的に業界構造を調べ理解し納得しない消費者はレベルが低いと。
といわれると取次が悪い、取次が寡占していて古い構造に固執していてどうしようもないと。
だったらその取次を一回全部潰して別の流通システムを構築する以外に解決方法は存在しないだろ。
連載が始まったらクソ素人共に偉そうな口調で批評され続けるんだぞ
プロの先人にキツめに批評される程度でゴタゴタ言ってたら続けらんねーからよ
そもそも漫画家は編集の注文を請けて面白おかしく描いて客を集めて広告的価値を生み出す下請け
顧客コミュニティを維持できれば生き残れるはず。「今欲しいんだけど入手困難」という商品があったとして、増田百貨店会員になってちょっと手数料払えば底値ではないけど高品質のものが継続的に入手できるという価値が実現できたら会員にならない?「米が欲しい、でも近所のスーパーの棚は空、だけど、増田百貨店の外商に言えば入手できる。」みたいな基本的な価値が提供できれば生き残れるはず。地方で、高級宝飾時計とか高級呉服とか欧州車とかが欲しいかどうかと考えるとこういう需要はたぶんなくなっていくのでは。でも別の需要があるはず。
お前より技術ができて、ビジネスも出来るやつなんてそこら辺に居るからな。技術しか取り柄がなくて社会が悪いだの、つまらん事やってるから金よこせって言ってる奴よりも、前者の奴の方がそりゃぁ何倍も価値あるだろうよ
この体験談には、教育に対するさまざまな見方が反映されています。以下は、いくつかの観点からその教育の良し悪しを考察します。
良い点:
1. 責任感の育成: 子どもに対して「自分で決めたことは自分で責任を取る」というメッセージを伝えており、自己責任を学ばせる点では教育的です。これは、将来的に自分の行動や選択に責任を持つことが求められる社会で役立つスキルです。
2. 現実的な経験の提供: 公文を通じて、宿題をこなすことが必要であるという現実的な課題を経験させています。結果として「やらなければ結果が伴わない」という現実を理解するきっかけを与えています。
3. 選択の自由を尊重: 親が無理強いするのではなく、子どもが自ら選んだ道に沿って進ませるという姿勢は、子どもの自主性を尊重する良いアプローチとも言えます。
悪い点:
1. 厳しすぎる対応: 6歳の子どもに対しては少し厳しすぎるアプローチかもしれません。この年齢の子どもは、まだ自己管理能力や時間管理能力が未熟であり、過度に厳しい制裁(退会)がかえって逆効果となる可能性もあります。子どもが「挑戦したい」という気持ちを尊重しながらも、もう少し柔軟なサポートがあったほうが良いかもしれません。
2. 感情への配慮不足: 子どもが泣き出したときの対応が冷淡すぎると、子どもが「失敗すること=絶対に許されない」という認識を持つ危険があります。これがトラウマとなり、将来的に挑戦すること自体を恐れるようになるリスクもあります。
3. モチベーションの低下: 子どもが自ら「やりたい」と思ったことに対して失敗したとき、あまりにも厳しい結果を与えると、今後の挑戦に対するモチベーションを大きく損なう可能性があります。
結論:
このエピソードは、責任感や自己管理を育てる面では一定の教育的価値がありますが、子どもの年齢や発達段階を考慮したアプローチが必要です。6歳という年齢を踏まえると、もう少し柔軟で、失敗を受け入れつつ成長を促す方法がより適切かもしれません。教育は、失敗を通じて学ぶことも重要ですが、その際には子どもの感情やモチベーションを考慮した対応が求められます。
登大遊っていうけしからんおじさんが、日本とアメリカでは「エンジニア」って言葉の意味が全然違う、日本では「言われたものをつくる人」だけど、アメリカでは「ソフトウェアが使われるであろう全ての領域についてだいたいなんでもわかっていて、自分で決める人」だと言ってたのを思い出した。
https://www.youtube.com/watch?v=Uww1CZTXfXs&t=1459s
ITがつまらなくなったってよりは、ITなんてものはもともとつまんないよ。
ITがなんでつまんないかというと、(自分たちの課題がなんなのかもよくわかっていない阿呆な)顧客に要求されたものをつくるのが仕事だから。
それが90年代くらいからなんでおもしろくなったかというと、「IT」をやめたから。
コードを書ける程度に頭の良い人たちが、他人に言われた通りにコードを書くのではなく、自分たちで自らビジネスを営むことに目覚めたから。
「ビジネスパーソン」が試しもしなかった新しいやりかた + 動くコード で古いビジネスの習慣をどんどんディスラプトしたから、シリコンバレーみたいな面白いうえに儲かる世界ができあがった。
これは「テック業界」みたいな言葉で、(特にSIer的な意味での、顧客に要求されたものをつくることが仕事の)従来の「IT」とはやんわり区別されてることからもわかる。
つまりコードを書くことを「IT」だと思ってて、「IT」を一瞬面白いと思って、今は「IT」がつまんないと思うようになった元増田は、もともとつまんない奴だったわけ。
(余談だけど、ここ2,3年のシリコンバレーの崩落も、儲かった結果「ビジネスパーソン」の割合が増えちゃって、「他人の言う事を聞かず自らビジネスをやる、コードを書ける人たち」の割合が減っちゃったからかもね)
せっかくソフトウェアを書く能力を持ちながら、その能力を僅かな給金で他人に売り渡してしまうのは勿体ない。
だいたい、ソフトウェアについて知らないどころか、普通のビジネス日本語会話ですら怪しい阿呆な「ビジネスパーソン」の要求通りにソフトウェアを書くのって苦痛じゃない?(それについては元増田も同感のようで、マネーの虎だとか胡散臭いだとかさんざん馬鹿にしてるけど。このへんに関しては自分も結構同感で、最近はほんとつまんないtoB SaaS増えたなって思う)
最近では「つまんない「IT」」の象徴だったデカいSIerですら、「顧客に言われたとおりにソフトウェアをつくる」のではなく、「顧客と一緒に課題を深堀りして、新たな価値を創造する」を商売にするところも増え始めた。
かつてはスタートアップの専売特許だと思われてたリーン・アジャイル・デザイン思考を使いこなす大企業も増えてきた。
この先鋒にはみんなが馬鹿にしてるデジタル庁や東京都デジタルサービス局の姿がある。
つまり、かつて「スタートアップ的」とされてたツールやマインドセットが浸透するところには浸透してきて、世界が「大企業とスタートアップ」ではなく、デカい小さい若い年寄政府民間に関係なく、シンプルに「面白い奴とつまんない奴」って構造になってきたってわけ。
元増田の言う通り、つまんないものはつまんない。なぜならばそれは偽物だから。
価値に反応があると思ったら大きな間違いだ
増田さんは、頑張りすぎなんですよ。
前に進むための一歩が全部打ち砕かれたと感じるのは本当に辛いことだと思います。無理をしすぎて、自分を追い詰める必要はありません。どんなに頑張っても、思うように結果が出ないことってありますよね。でも、その頑張り自体が無駄だとは限らない。たとえその結果がすぐには見えなくても、それが増田さんの成長や経験の一部になっているんですよ。
それに、少し立ち止まることも大事です。諦めたり、休んだりすることは決して悪いことではありません。人生って、時にはちょっと休憩が必要なんです。無理をせずに自分のペースで進んでいいんですよ。
人生の価値は、自分自身がどう感じるかに依存しています。お金も、地位も、何かの成功も、結局は一時的なものでしかありません。結局のところ、何が本当に価値あるものかは自分で決めるしかないんです。それが大したことじゃなくても、自分が納得できるものであれば、それで十分です。
令和元年5月13日に二次審査を受け付けていることから、 平成31年4月20日~5月12日の間に、中島康弘に電話をしたものと解される。
その際の状況 社会保険審査調整室の女性職員が、ぷちくらとして出て、 はい、 そんな人いるんでしょうか、ちょっと探してみますね、 あ、いた! 変わりますね、といった言動の後に、
中島康弘が、 はい、私です、不服があるんでしたら手続きを取ってください、といったことから。
発狂しているだろ ・・・ 読ましてもらってますよ、 資料を集めて検討しますよ、 といったのは、決定日の 平成31年3月8日以前である。
中嶋康弘はそれ以後も空に出現し、相当長く、その決定があるからあなたは働かなくていい、と言っていたが、一度、空にめがけて、拡声器で、お前の書いたものに価値はない、と言われたことがある。
高野伸に対して何かありますか? 広汎性発達障害として認めておって、この、 気に入らないことがあると大声を上げるし、服薬をしないと眠れないなどあり、なんていうのは、政府(
厚生労働省)がそんなに簡単に認めるものではないので、この裁決をするときにはだいぶん考えたのではないのですか?
今日もまた、SNSに何かをつぶやいてみたが、反応はなかった。フォロワーはそれなりにいるはずなのに、まるで誰も見ていないかのようだ。この無反応が続くと、自分の存在が薄れていくような感覚に襲われる。
最近のSNSでは、反応を稼ぐことが目的化しているように感じる。いいねやリツイートの数が、その人の価値を測る指標になっている。しかし、こんな文化は本当にクソだと思う。人々は数字に踊らされ、本当に大切なことを見失っているのではないか。
この無反応の中で、私はSNSを続けることが無駄だということに気がついた。反応を求めることに疲れ果て、心の底からの表現ができないのなら、わざわざこの場で自分を消耗する必要はない。SNSは、結局のところ空虚な承認欲求の場でしかないのかもしれない。
世の中は、表面的な反応に満足し、深い対話や本質的な価値を追求することを忘れてしまっている。こんな社会に落胆せずにはいられない。何かをつぶやいても、結局は誰の心にも届かないのだとしたら、一体何のために言葉を紡いでいるのだろうか。
今日もまた、私は虚無感に包まれている。何をどうつぶやいても無意味だと感じる日々が続く。反応を求めることに疲れた今、私はただ静かに、この静寂を受け入れるしかないのかもしれない。
1ヶ月半でリタイヤwwwwアホやwwww
毎月14300円が不要になった、大儲け
そもそも公文など行かせたくなかったのだが本人がどうしても通いたいというので通わせた。
「勉強なんて小学校でやらされるんだから数ヶ月早くやっても意味はない、勉強なんて楽しいものではない、嫌な事など先送りすればいいじゃないか、今は好きなことして日々過ごせば良かろうゲームでもしてなさい、公園で走り回ってりゃいいのだ」と説得したが。
どーしてもと押し切られた
一つだけ注文をつけた、宿題を一度でも落としたら退会
しゅーりょーwwwwwはやっwwww
連日、「宿題したら?」「毎日ちょっとずつやりな」とアドバイスはした
何度も警告したがゲームを辞めない
16時になりようやく始めた
「こんなもの、ちゃちゃちゃーと終わらすでぇ」言うてる
だがお喋りと脱線ばかりで進まない
「集中してやりな」とアドバイスしても聞かない、むふふふふ、時間は刻一刻過ぎていく
まぁすでに間に合わないことは確定している
17時10分、ようやく国語が終わる
「パパ次は算数、出して」
「いいけど、やっても無駄だよ、もう時間過ぎたから公文は退会だから」
唖然とする息子
「え?今日は行かないって事?」
数秒考えて、大泣きし始めた、絶叫
「行きたい、まだ間に合うでしょ!お願い!」
うっせぇバカwしらんがな
「毎日少しずつやるようにアドバイスしたよね?今日もずっと注意してあげたよね?聞かなかったの誰?間に合わなかったら退会するのも最初から言ってたよね?
んで、忘れてもらっちゃ困るんだけど、あなたの希望する教育機会、チャンスは与えた
だけどやらなかった、チャンスを捨てたのは自分な、これはだけは覚えといて
先々、勉強したかったのに親がやらせてくれなかった、とは思わないでね、これ重要
パパは無理やりやりたくないことをやらせるつもりはない、自分が望む事をやりゃいい
ゲームしたけりゃゲームしてなさい、だけど目も頭も悪くなることは教えてやるが
それをどう判断するかは自分の問題、強制はしない、自分で考えて選択してくれ
公文に行きたいと言えば行かせてやる、だけど金をドブに捨てたら自動的に頭が良くなるわけではない、それも何度も教えた、頭良くなりたけりゃコツコツ学習しなきゃ身につかない、
それができないならやっても無駄だ、終わり、チャンスはやった、キミがそれを棒にした、それだけ覚えといて、人のせいにしないでね」
6歳の知能では言い返せまいw
諦めて泣き止んだ
公文やる前から足し算引き算は勝手に習得していたし、掛け算、割り算の概念もすぐに理解した
外遊びでも器用だし異常に体力がある
結果、万能感、自信過剰、ナメてる
小学校入学し、周りが先に進んでおり世界が広い現実を目の当たりにして挫折するが良い
その方がキミのためだ
時間や約束は守る、守れなかったら自分に大きな不利益を被る、わかったか?そういうことだ。
28600円で学べたと考えりゃ安いものだ
私も丙5号証のケース記録(板橋区が特に採用した証拠)から受ける印象はこの世で最も参考にならない記録に該当するものと解する。理由は、平成30年4月24日以降の
受給者の具体的生活動向の記載が完全に欠落しており、平成31年に入ってからもほとんど記載がみられないこと、他方で、令和2年以降になると、記録量が増えているが、起案者が
自分の話ばかりしており、読む価値はない。なぜこのような悪質な書類が背後でつけられているのか、それ自体について唖然とするばかりという他ない。法廷意見が示す通り、起案者が、自分の
いれずみが新しいかどうか、形式としてしっかりしているかどうか、時間単位で時間の無駄かどうかといった観点から、さらに複数の機材も活用して書いている、自分の話ばかりをした性格の物件である
自立更生免除の決定は処分に該当し、それにも裁量権の逸脱がある場合があると解する。平成29年1月の判例は枠組みに採用しない。本件は、令和2年3月26日にケース診断
会議を開催し、4月14日に聞き取りを実施し、令和2年10月1日にも開催し、11月18日にパソコンの18000円を認め、12月10日に処分をしている。この経緯に処分の濫用
はない。
しかし、事実経緯は次のとおりの理由で認められない。丙5号証の記録から分かる通り、本件記録は、平成30年5月から令和元年10月の間に受給者がしていた具体的生活動向を
一切記録できておらず、1つの読み物として完全にその価値を欠くものと言わざるを得ない。専ら福祉事務所に都合のいい、極めてくそつまらない事実だけを記載できていることの限りでこの世で最も
参考にならない記録に該当するものと解される。受給者は平成30年4月16日に、風邪で受診する際に、医療券をもらいにいっているがそれも記録していないし、受給者が荒川河川敷で何かを
しているのも平成30年6月から開始されているがその事項もこの書類には何も書いていない。令和3年6月9日のケース診断会議には、受給者は定期的に風俗を利用すると書いているが、
定期的というばかりで、いつ頃利用したのかは全く書いていない。
本件の証拠書類一式は、 ヤクザが自分の現時点でのイレズミの良し悪しについてひたすら書いているだけのもので、これを読む価値はない。また、世間一般の人がなぜこれらの書類が、
それこそ別枝でキレてる経営者クンが言うように、例えば広告収入と無関係な建前バックエンドDBが自動で支出スケールして何の顧客価値があるんだという話でしょ
顧客価値つまり四半期純益が伸びるのは支出が減った時か売上が増えた時だから技術は本質じゃない じゃあITって何なんだよという巨大なインド像がここにいるわけ
工学系の就職先である、自動車やモーター、半導体だのプログラマだので相対性理論だの古典力学だの使わんでしょ。