はてなキーワード: 人妻とは
「イリアス」は捕虜の奴隷女の配分をめぐった交渉がこじれた結果、勇者が拗ねて戦場に出ず、味方がどんどん死ぬところからスタートするので、昨今の倫理観からは問題があり、神話初心者にはこっちをお勧めしたい。「オデュッセイア」も家で待っている妻を忘れてよその女のところで数年過ごすが、まあ魔法をかけられていたということでこっちのほうがマシだ。舞台もあちこち移動するから飽きないし。
ユニークなのは、劇中劇的にオデュッセウスが時間をさかのぼって事件の進展を語る箇所があることで、ホメロスの時代にはすでに出来事が起きた通りに語る手法が飽きられ始めていたのかな、と想像できる。
実は「ラーマーヤナ」とある共通点があるが読んでみてのお楽しみ。
聖書はなんせ二千年前以上の宗教書だから、原典に当たる前に基本的な出来事の流れと時代背景や当時の常識を理解していないと読解が難しい。当時のユダヤ民族の偏見も混じっているし。加えて、ところどころ立法全書的に当時の習慣や禁忌を延々述べる箇所があり、通読はさすがにできてない。新約聖書だけは何とか意地で読破した。
ところで、どうして「創世記」だけを取り上げたのだろう。たとえば物語として盛り上がるのは「十戒」の「出エジプト記」だ。「ハムナプトラ」とかでエジプトが悪役になるのは大体これのせい。いきなりこれにチャレンジするのなら、手塚治虫の聖書物語のほうがいいかもしれない。
犯人探しが不幸を呼ぶことから嫌ミス的な要素もあるし、ギリシア神話の「不幸な運命を避けるために必死になって行動した結果、結局その運命を呼び寄せてしまう」というアイロニーが大好きな自分としては、その典型例なので好物だ(予言を鵜呑みにした結果ドツボにはまる「マクベス」も好き)。
これが面白かったら、アイスキュロスの「オレステイア三部作」もおすすめしたい。何世代にもわたる恨みの念が恵みの女神として祀られることで鎮められるというモチーフは、異国のものとは思えない。
一般教養で唐詩の授業を取ったので岩波文庫でぱらぱらとめくった覚えがある。なにぶん昔のことなので記憶は曖昧なのだが、はっきり覚えているのが王梵志の「我昔未生時」で、天帝に生まれる前の時代の安らぎを返してくれるように願う詩だ。当時は反出生主義が哲学・思想界隈でここまでホットなトピックになるとは予想してはいなかった。
酔っ払いの詩。酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞーという内容。著者は文学者であっただけでなく天文学者・数学者としても知られるが(三次方程式を解いた実績がある)、ここで展開されている詩はひたすら現世の美しさとはかなさをうたったもので、酔っ払いは世の東西を問わず、というところか。イスラム世界の厳格なイメージをひっくり返してくれるので面白い。ガラン版のアラビアンナイトや高野秀行の「イスラム飲酒紀行」とあわせてどうぞ。
フィレンツェを追放されたダンテが苦しみの中生み出したキリスト教最高峰の文学のはずだけれど、とにかく気に食わない政敵を地獄でめちゃくちゃな責め苦に合わせているところを面白がる下世話な楽しみ方ができる。地獄にいる人物は聖書やギリシア神話、歴史上の人物も多く、ヨーロッパの歴史や文学をざっくり知っているとダンテがどれだけやりたい放題やったかがわかるので愉快。
ただし、地獄編の続きの煉獄編・天国編はキリスト教哲学をかじっていないと結構しんどく、しかも風景が山あり谷ありの地獄と比べてひたすら恵みの光が明るくなっていくだけなので、絵的に面白いのは地獄のほうだ。
ついでに、ヒロインがかつて片思いをしていたベアトリーチェという女性なので、ベアトリーチェの美しさを歌う箇所も下世話な目線で楽しめる。妻帯者の癖に未練たらたら。
未読。後述のラテンアメリカ文学とかジョイスとかは読んだんだが、そこに出てくる過剰なものや糞尿譚も結構楽しんだので、いつかは読みたいと思っている。
四大悲劇と「ロミオとジュリエット」はざっくりと読んでおくと、いまにも受け継がれているネタが結構あることがわかって楽しいし、意外と下ネタのオンパレードなので当時のイギリス人に親しみを持つことができる。ついでに上記のうち二作は黒澤明の映画の元ネタでもある。
興味深いのは、劇中劇というかメタフィクションが必然性を持って登場することだ(父を殺した叔父の目の前で、その殺人の場面そっくりの劇を演じて動揺させるシーン)。すごく先進的だ。かっこいいぞシェイクスピア。
基本的には正気を失ったおじさんが繰り広げるドタバタ劇で、下巻では著名になったドン・キホーテをからかう公爵夫妻までも出てくる。これだけだと精神を病んだ人をおちょくる悪趣味な書物だとしか思えないのだが(というか最初は時代遅れの騎士道精神を批判するために書かれた)、昨今はドン・キホーテに同情的な解釈が主流。最近テリー・ギリアムが映画化した。
自分が道を踏み外した元凶。誰だこんな子供を人間嫌いにする本を児童書の棚に並べたのは。クレヨンしんちゃんを夕方アニメにするレベルの蛮勇だ。四部作だが、最後の馬の国では人間という存在の醜悪さをこれでもかと暴き立てており、おかげさまですっかり自分は人間嫌いで偏屈な人になってしまった。作者の女嫌いの影響を受けなくて本当に良かった。
とはいえ、当時のアイルランド支配はこれほどまでの告発の書を書かせるほどひどかった、ということは知っておきたい。
夏目漱石「吾輩は猫である」に出てくる。基本的にはふざけた話であり、著者が自分の誕生から一生を語り起こそうとするがなかなか著者自身が誕生せず、しかも物語の進捗が遅いせいで半年ごとに本を出す約束なのにこのままでは永遠に現在の自分に追いつかない、みたいな語りで笑わせてくる。挙句の果てに著者が途中でフランス旅行に出かけてしまう。英文学というジャンルがまだ黎明期なのに、こんな愉快なのが出てくる懐の深さよ。
だが、これだけふざけているのに、登場人物の一人がうっとうしい蝿を「この世の中にはおれとおまえと両方を入れる余地はあるはずだ」といって逃がしてやるシーンはいい。
未読。「毛皮を着たヴィーナス」と「眼球譚」は読んだんだが。バタイユどんだけおしっこフェチなんだよ。自分もお尻とかブルマーとか競泳水着が好きだから笑わないけどさ。
個人的にはとても好き。人生できっと何かを成し遂げられるはずという万能感ある思春期に読みたい。主人公の行為は決して褒められたものではない。様々な悪事を働き、幼い少女を妊娠させたうえ捨ててしまう。このシーンのせいで、もしかしたら二十一世紀には読み継がれない古典になってしまうかもしれない。しかし、主人公が最後にたどり着いた境地の尊さの価値は失われることはないと信じている。現世で最も美しい瞬間とは何か、あらゆる物質的な快楽を手に入れた主人公が見つけた答えを読んでほしい。後半はギリシア神話を知らないとつらいかもしれないが、そのためにギリシア神話入門を読む値打ちはある。
未読。同著者の「赤と黒」は貧乏な青年がひたすらのしあがろうとする話で、あまりピンとこなかったのだが、文学サークルの友人から最近来たメールに「訳者を変えて再読したら面白かった」と書いてあった。
さえないかわいそうなおじさんが好きなので好き。ロシア文学というものは、名前がややこしいうえに同じ人物が様々に呼ばれるので敬遠されがちなのだが(イワンが何の説明もなくワーニャと呼ばれるなど)、登場人物をメモしたり、ロシア人名の愛称の一覧を頼りにしたりして飛び込んでほしい。このハードルさえ超えれば最高の読書体験が待っていることは保証する。ロシア文学はいいぞ。
ポーは大好きなんだけどどうしてこれを代表作に選んだのかはよくわからない。個人的には王道の「黒猫」とか「アッシャー家の崩壊」とかを最初に読むのがいいと思う。中学生の頃、狂気や暗鬱さにどっぷり浸っていた頃に読んだのだが楽しかったし、作中の詩が今でも世界で一番好きな詩のひとつだ。ちなみに、東京創元社のポー全集には、ポーのユーモア作品もいくつか収録されており、意外な顔を知ることができる。もっとも、今読んで面白いジョークかどうかまでは保証しないが、こじらせ文学少年・文学少女としては必読か。
最高の昼ドラにして非モテ文学。俺は愛されずに育った、俺は永遠に誰からも愛されない、だから他人の幸福を破壊してもいい、的な気分に一度もでもなった人は何としても読んでほしい。
映画「マチルダ」の中で児童書に飽きた天才少女がこれを読もうとする場面があるんだけど、これ小学生が読む本じゃないだろ。単純に難しいのではなく、とにかく話が脱線しまくる。まともにストーリーが進まずに、著者自身のクジラに関するうんちくが延々と続く箇所もある。雑学隙の自分は楽しく読んだが。
敵のクジラを殺してやろうとするエイハブ船長の狂気についていけるかどうか。
自分が人妻萌えを発症した元凶の一つであり、世界文学初のカーセックスシーンがあることでも知られている(自動車ではなく馬車でだが)。ストーリーは夢見がちな女性が夫に幻滅して若い男やチャラ男と浮気し、サラ金から借金を重ねて自殺するという「闇金ウシジマくん」的なノリ。妻の浮気を知ったさえないボヴァリー氏の哀れな反応は必見。自分が寝とられ文学が好きになってしまった元凶の一つ。
深刻に考えすぎかも?
女子高生って検索するとき、ほんとにリアル女子高生を探し求めてるわけじゃないんよね
生活に身近な存在(ジャンル)を検索したほうがときめくとか、生活から遠い存在はそもそも検索ワードにも思い浮かばないとか、雑に言うとそんなとこ
なんとなく、見た目(コスや容姿や化粧や体格がそれっぽいの)とかをフィルタしたいときに、キーワードとして混ぜることもあるかな
人妻とか女教師とか警婦とか、入力したとしてもリアル存在なんて求めてないし
ナンパとか奴隷志願とか薬漬けとかオイルマッサージとか洗脳とか媚薬とか個撮とか盗撮とか、こういうシチュにしてもやっぱ同じで、「ごっこ」って分かってて混ぜ込む
そういうキーワードでノイズをカットしてるとでも言えば伝わるかな
自分にぜんぜんかかわりのない存在やシチュって、やっぱ惹かれないし、想像が性欲に追いつくまでに何ステップもかかるし、シンプルに面倒なんよ
今までは、単に非モテだからリアル女性とセックスができないんだと思ってたわけよ。二次元の彼女たちには精液絞り取られてるわけだし。
しかしそうでもないっぽい。ウマがあっていい雰囲気になった女性ができた。このまま関係が続いたらこの人とセックスするのかな?と思うと急にしょんぼりして、萎えた気持ちになった。
なぜかと考えてたら、俺セックス好きじゃねーわって気づいたという。いや、厳密に言えばセックスは好きだ。エンターテイメントとしてのセックスは。つまり、巨乳のドS人妻に射精を我慢させられたあとに思い切りズコバコするとか、そういうのだ。気持ちのつながった人とコミュニケーションとしてするセックスは楽しいと思えない。物足りない。セックスに求めるものが違っている。
非モテをこじらせたからなのか?よくわからない。モテる男でもエンタメとしてのセックスしかできないやつはいるっぽいし。この間文春リークかなんかされた若手俳優とか。ファンの女の子を性奴隷みたいにしてたと告発されてたやつ。
なんか俺人間としてだめな感じがすごいわ……
ユーモアとある種の秩序があった面白いインターネットをダメにしたものランキング。
大体今のゴミみたいな風潮を作ってしまった大戦犯。芸名で活動する芸能人やペンネームで活動するクリエイター、
政治屋や医者、弁護士などの肩書で攻めてくるやつ、うさんくせえ情報商材屋など含む。
ネットのゴミが気軽に絡めるようになってしまったせいでまるで自分も同じ世界に住んでいると勘違いしてしまうゴミが増えた。
また、○○さんもやってるし~ということでネットの世界に気軽に来るゴミが増えてしまった。
2位.女
男子校のような下らないノリが全てだったが女が表立って流入したことで崩壊した。
男も男で女の目線を気にしだすと真面目ぶるアホに変質してしまうのは小学校から変わらない。
ネットからユーモアが消えた一番の原因。女が悪いのではなく住み分け機能がないのがいけない。
個人サイトに戻るか、永遠にガルちゃんに引きこもっていて欲しい。
3位.老害
50代以上はまともな判断能力を失うから発言をしてはいけない。
もう世代じゃないののに世の中にいっちょ噛みしてやろうかという物申すマンが最も多い。
4位.ガキ
何かアホみたいなことを言ってボコボコに叩かれるまでが存在価値。
私、世界の増田は、家庭内で妻ちゃんに不快な思いをさせてしまい深く謝罪致します。
まず、私が妻サイドが激怒したと訴えるパンティーの臭いを嗅ぐ行為をした経緯を説明しますと、私がパンティーを拾い上げようとした際、オリモノのしみがいやらしく動いて見えたもので、私は、そこで、アラっと思ってしまい、パンティーの臭いを嗅いでしまいました。増田内で「パンティーの臭いを嗅ぐと浮気してるかどうかがわかる。それに妻ちゃんならある程度いっても大丈夫だろう」という噂があったのです。
私が妻ちゃんのパンティーの臭いを嗅いでしまった事は紛れもない事実であります。しかし、人妻といえば一般的にどスケベなイメージがあるということも事実であります。よってここは一つ喧嘩両成敗ということで、水に流して頂けないかと思っている所存でございます。
10年前にツイッターで知り合ったシンママ(ツイッターでは人妻と自称)がいた。
当時自分は19で一回り以上も年上に興味はなかったが、向こうが積極的に絡んできてそのうちSkypeで相互オナニーする流れになった。
童貞のくせに生意気にも、向こうの盛り上がりに対して冷めてしまいその後フェードアウトしたが、もし畜生になりきれていたのなら今でも続くような関係が持てていたのだろうか。
きっとSkypeじゃ我慢できない、と言い出せば彼女は喜んで若者の筆おろしを請け負っただろう。
当時送ってこられた自撮りは当時は歳なりの容貌だと思ったが、自らがアラサーとなった今だからこそ女を保とうとする努力が理解できる。
そうしてセックスを通じて彼女が女でいることを保つことに関わることで、自分ももっと豊かな情緒、男としての魅力を育めたかもしれない。
自らのどうしようもない幼さに一滴のカウパーをこぼす。
当時、私はプロポーズをして返事ももらっていたのだけど、まだ義親への挨拶はしていなかった。
マッチングアプリで出会った女の子とセフレになったのは、そういう時期だった。
とはいえ私は婚約者のことを嫌いなわけではなった。むしろ好きだった。可愛らしいし、なにより一緒にいて居心地がよかった。
けれども、プロポーズに対する返事が曖昧すぎて、相手が結婚に踏み切らないことに業を煮やしていた。
そんなとき、ペアーズでめちゃくちゃ体の相性のいい女の子と出会ってしまったのだ(これが後から大事になるので、覚えておくように)。
1日中セックスをしたこともあった、一緒に旅行にも行った。楽しかった。
私は、婚約者に対する「好き」という感情がだんだんと薄れていくのを感じていた。
そういう関係が2か月ほど続いたとき、婚約者にも変化があった。
結婚の意思を固めたらしかった。改めて結婚したい、と彼女から言われた。
私は、セフレに乗り換えるという選択肢を頭から捨てきれないまま、いいよ、と言ってしまった。
これがすべての間違いのもとだった。この一言さえ言わなければ、今全く違った現実を生きていた気がする。
ここでの選択肢Aは「婚約者と何事もなく結婚する」であり、選択肢Bは「セフレとの関係継続」である。
「セフレとの関係継続」は、「結婚しつつも関係継続」というスリルに満ちた選択肢は排除しないので、やはりAとBの両取りは可能だったのである。
けれども私はAを、かつ¬Bをも、同時に選択した。// ←まだ整理できていないけど、ここに欲求と信念の矛盾がある気がする。
単純に、道徳的な理由からそうしたような気がする(私は不道徳な行為を選択することが苦手だ)。
そしてここから、亡霊のような後悔がつきまとうようになった。
というのも、婚約者とのセックスが全くたのしくなくなったばかりか、婚約者の顔を不細工だとさえ思うようになったのだ。
私だってそれなりに若いので、「不細工だけど他の部分がいいから結婚しよう」などと思ってここまでやってきたわけではない。
気持ちも通じ合うし、顔も好みだから結婚しよう、と思っていたはずなのだ。なのに、どうしてこうなったのか。
私が今持っている仮説は、「脳の回路が書き換えられた」というものだ。
思い出してほしい、セフレとのセックスはめちゃくちゃ気持ちいいのである。
これがどれだけ気持ちいいのか、文章で伝えるのは難しいが、身体的な快感はもちろん、精神的な満足度がやばいのである。
あえて言えば、「お互いに最高潮の快感を感じていることがダイレクトに伝わってくる」ということだと思う。
相手は、1回のセックスで何十回もイくし、私も支配欲が満たされまくっていた。そして一日に何回もセックスをした。本当に天国だった。
(こんなにイったのはじめて、とか、○○(筆者)じゃないとダメ、とか、もう離れられないとか言うから余計のめりこんでいた)。
ここまで書いて、たぶんこれ寝取られだったんだなと気づいた。
ただし、エロ漫画と違って、墜ちるのは私だ。若い男が、若い女にぞっこんになって脳みそおかしくなったという、そういう話な気がする(いわゆる、快楽堕ち)。
たまたま私に婚約者がいたことで、ますます寝取られにふさわしくなっていると思う。
ということで、今や私は、全く好きではない婚約者と結婚し、満たされない性欲を抱えて生きる、欲求不満な若い夫となった。
セフレとはどうなったのか?
それがこの話のエピローグだ。
セフレに婚約していることを告げると、「もう会わない」と言われた。
そう言われてからも2回ほど会ったのだが、最後に相手の家に行ったときに、
置きっぱなしにしていた服などを渡されて、持ち帰らされた。
そして…これはよくある寝取られとは異なる展開なのだが、彼女(セフレだった人)にも彼氏ができた。
いい話だ。
なぜ私がそれを知っているかというと、上記のようにすでに完堕ちしていた私は、セックスの禁断症状が出始め、
彼女に会わないと死んでしまうと考えるようになった。それで、ストーカーと言われても仕方ないが、彼女に会いに行ったからだ。
彼女は案外気さくに接してくれた。以前と変わらぬ態度で、最近のことを話してくれた。
まあ、話を聞いたことでさらに打ちのめされた部分もあるのだが。
たとえば、
・今の彼氏は、あなた(筆者)と同じくらい気持ちのいいセックスをしてくれる(体の相性がいい)
・あなた(筆者)と過ごした日々は、いい思い出だし「経験値」になった
という感じに、私との思い出が「いい経験値」になるくらい充実した恋愛をしているようだった。
いい話だ。
いかがだったでしょうか。
こんな人もいるんだということで、誰か助けてくれませんか。
このままだと、たぶん鬱になるか、セックス依存症になります。なんなら、また別のセフレを探そうとしてマッチングアプリをやり始めました。
もう依存症になってるのかな?
まじで誰か助けてくれ(妻には相談しない理性は残っているんだなあ)。