はてなキーワード: マルクス主義とは
半年前の4月22日、日共の志位和夫委員長に直接質問できるという企画があったので参加した。録音しておいたものの文字起こしがやっと済んだので取り敢えずここにupしてみる。
まず状況を説明する。志位氏が演説した(http://www.youtube.com/watch?v=1MHJQph-JOQ)後に、場所を移して若い人達と語らうという企画だった。10代から20代の若者が100人余り入った会場で、手を挙げて当たった人と志位氏が一問一答するという具合に進んだ。その中盤に私が発言できた。以下が司会者(司)、私、そして志位(志)のやり取りの全文。「やっぱり、」とか「あのー、」「まぁ、」といった句は省いてある。
私:あ、いいですか?
志:こんにちは。
私:あ、こんにちは。1,2分ですよね。
司:大丈夫ですか?
私:あ、大丈夫ですよ。端的に、二つ…あー一つ、お願いします。
人間って、論破しても動かないと思うんですよ。いくら正論言っても、人間を動かすのって、論理と感情だと思うんです。で、感情の前には、論理ってすごく弱いと思うんです。いくら・・・平和が大事だっていうのは私も心からそう思います。そのためにはどっかが先陣きって軍縮を進めていかなければならない、そしてそれができるのは9条持ってる日本だ。その論理はとても筋が通ってるんです。
でも、対して、「・・・でも、こないだ実験やった北朝鮮、なんか飛ばした北朝鮮(※)怖いし、自衛隊まだ要るんじゃないかなぁ。」という感情による一言で、論理ってふっ飛んじゃうんです。例えば、もっと言うと、「もし、共産主義が、共産主義社会になったとしたら、俺やる気保てそうにないし、やっぱり資本主義社会でいいや。競争原理社会でいいや。」という意見の前に、私あんまり頭良くなくて、的確な反論がまだ出せてないんです。どうお考えですか?(私微笑む、会場からも笑い)
志:北朝鮮の問題ね。それは、さっきもちょっと話したけれども、北朝鮮の問題をどうやって解決したらいいか。解決の方法を考えた場合にですね、それは戦争できるか、っていう問題なんです。戦争できると思いますか?(聞き取れず:ダイカイシニマッテ)
実は北朝鮮の問題、実際に戦争になりかけたことがあったんです。最近で言いますと1994年なんです。そのときは核兵器問題で大変な危機だった。それで、実際に、アメリカ軍事力行使の瀬戸際まで行ったんです。そのときに、当時の韓国の大統領の金泳三さん、クリントン大統領に直接電話して、そして「絶対に戦争はしない。もしアメリカが戦争をしたとしても、韓国軍は一兵たりとも動かさない。」こう言ったんです。何故かというとね、今、朝鮮半島で実際に戦争が起きたら、これはもう、ソウルから35キロ先が国境線ですから、これはもう凄惨な地上戦になるんです、間違いなく。南北のおびただしい人命が奪われる。だからですね、1994年の核兵器の危機のときに、いわば、韓国の当時の大統領も地獄の底を見たんです。戦争やっちゃったら大変だと。で、これはやめようと。アメリカも、そのときにクリントンは色々考えたけど、やっぱこれは戦争という選択肢は無い、と。ということで、そういう方向に動いていったんです。そういう流れの中で六カ国協議という流れがずーっと出来上がってきて、ともかく北の問題は様々ある。例えば、ロケットの発射は問題です、それから核兵器の実験も問題です、私も厳しく批判する。しかしその批判のし方は、外交的な、非軍事のやり方で、北朝鮮にとって、あなた方の本当にいい道は他の道はないでしょうということを、説得してやっていく以外に無いんです。(聞き取れず:ワカイカンガエテ)そういう方法で問題解決していくのは唯一の道だし、それしか方法は無いんですよ。
ですからね、そういう心配がある方にね、じゃあ戦争できますか、って訊いて下さい。戦争できると思ってる人は――北朝鮮もできると思っていない。韓国も絶対できない。戦争は嫌だと。アメリカもやれると思ってません。中国も絶対押さえようとしている。日本だって、朝鮮半島で戦争起こったら困るでしょ。どの国だって戦争をやらないわけで、実際戦争できませんよ、朝鮮半島で。だからね、その現実をポンとぶつけて。だから北朝鮮で問題があるっつたらね、すぐ軍事で身構えて、ロケット弾だーつって、ああいう軍事で身構えることが一番悪いんです。ああいうことが起こっても、冷静に、外交的手段でどう事態を前に進めるのかっていうことを考えるのが政治の役割だっていうのを、是非言って欲しいなと思うんです。私たちの平和外交っていうのは、何か理想論言ってるんじゃなくて、現実に戦争できないですもん、朝鮮半島で。戦争できないんだったら平和でやるしかないんです。というやり方で、是非お友達に話してほしいな、と思います。
それと、共産主義ね。んー、これはちょっとね、話すと長くなるんですけれども。(会場から笑い)
私:そうです、そこなんです。詳しくはこれに書いてあるから読んでくれ、って「共産党宣言」を渡したって読まないですよね、そういう人は。(会場から笑い、そうだそうだの声)
志:そうですね、これ色んな反論の仕方あると思うんですけれども、これはやっぱり一分や二分で共産主義について分かってもらえるかっつったら、そう簡単にはいかない。ただ、逆に訊いてですね、それじゃあ君は資本主義という制度が未来永劫続くと思うかと、訊いてみて下さい。人間の社会って言うのは、かつて昔むかしは、どの社会も原始共同体っていって、原始的な共産主義社会ですね、それが奴隷制に変わっていく、封建制に変わっていく。資本主義が生まれたのはせいぜい500年位前。この資本主義になって、この資本主義っていうのは、やっぱり儲け第一主義でしょ。儲け第一の、必ず貧困や格差や失業や、様々な矛盾が避けられない、そういう社会なんですね。こっから先もう進まないんだろうか。そう思えてくる。人類にはこの悩み多い制度は最後の制度だって、そういって反論してみてください。そうすると変えられるかもしれない。
それからもう一つ、是非言ってほしいのは、ソ連のような社会は、われわれは、共産主義でもない、社会主義でもない。これはソ連が色んな、チェコスロバキアに侵略したりアフガニスタンに侵略したり、その度ごとに私たちは大論争やって、その覇権主義と闘ってきた。ソ連が崩壊したときに、まぁあなたは、まだ、歳から言ったら、
私:いや、もう30近いっすよ。(会場笑い)
志:まぁそのソ連が崩壊したときにですね、我々はもろ手を挙げて歓迎するっての声明を出しましたけれどもね、そのくらいソ連のやり方ってのは社会主義と縁がないやり方だった。あれはレーニンのときまでは色んな道を歩みながら社会主義の道を突き進んでいましたけれども、スターリン以来はそういう道から脱線してね、社会主義から無縁の専制主義の国家に変わってしまったって、私たちは把握してるんです。これは、そういうことと戦ってきた党なんです。ということを話していただきたいと思います。
それでですね、いくつか反問を投げかけてみて欲しいな、と思います。もう一つ反問という点では、私たちの理論の基礎はカール・マルクスでしょ。カールマルクスがやはりこういった科学的社会主義ってのを具合においてるんです。マルクスって思想家がですね、もう古くなったって思うか、って訊いてみて下さい。そうすると、うーんって考えると思いますよ。今、マルクス主義の講座あったら言ってきてるかもしれないけど、イギリスのBBCが今世紀、20世紀の最大の思想家は誰かっていうことを調査するとダントツで1位、カール・マルクスって名前が挙がるんです。やっぱりね、マルクスがやった資本主義の深い分析と、その分析の中から新しい未来社会が生まれるという理論に対して、今でもその力を否定することはできないですよ。
ですからそういうお友達に対してですね、一つの方法がですね、例えば北朝鮮の問題が出てきた、そのときに「戦争できると思うか?」共産主義の問題が出てきた、「資本主義が終わりだと思うか?」それから、ソ連は社会主義だった?「違うんだよ。」一言でポンと返してですね、それで、そうしますと向こうは考えますでしょ。考えたらその後、大いに勉強したことを話してもらいたい。結論から言っても、中々色んな感情を皆持ってるんだから、言葉だけでは分からない、色んな感情もたくさんあると思うんです。あなたの言うとおりだと思います。理屈で大体わかっても気持ちが動かないとダメだ、本当そのとおりだと思います。それをやるには一定の、ダイアローグが、対話が必要です。すぐに、はい分かったと、皆が分かくらいだったら苦労しないですね。(会場笑い)ですから、その対話が必要だけれども、対話のやり方が、ポンと相手に疑問を投げかけるというやり方で、大いに対話して、結論を出していく、そういう風なやり方で!
※この日の9日前、2012年4月13日午前に北朝鮮が「人工衛星の打ち上げ」と称してロケットを発射した。発射のおよそ2分後に空中で爆発し、破片は黄海上に落ちた。北朝鮮が発射計画を発表したときから、国連安保理決議1874号等に違反していると各国から中止要請が出ていた中での強行だった。(参考記事 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AB%E7%99%BA%E5%B0%84%E5%AE%9F%E9%A8%93_%282012%E5%B9%B4%29)
志位氏の発言後半部分の「(聞き取れず:ダイアロードガ)」とした部分を「ダイアローグが」に訂正。はてブでご指摘いただきましたwacokさん、ありがとうございました。まだまだ私は学習が足りないようだ。
マルクスについて知らなければならない最低限の常識さえもないのに政治を語るって何?
共産主義は資本主義の止揚された姿なので、マルクスは先進国で共産主義革命が起こると主張したが、実際に起こったのは発展途上国のロシアであった。また社会主義の、まず原始共産制から階級分化が起こり、やがて共産主義社会の到来で階級対立がなくなるという考えは、キリスト教的な千年王国待望論で、それは科学というよりも宗教的信仰であるという批判もある。また、階級が消滅した後の世界についてマルクス主義は具体的なことをほとんど何も語っていないが、闘争のない一切が平和と幸福に満ちた停止した社会とすれば、それは皮肉にもマルクスが否定したユートピアのように聞こえる。未開社会やサルのような動物の社会でも、順位制という身分制度があり、原始共産制は見られない
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科学哲学者のカール・ポパーは、反証可能性を持つかどうかを「真の科学」であるかどうかを見分ける基準として提唱しており、それ故彼は精神分析学は科学ではなくて疑似科学に過ぎないと断じた。
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犯行動機の構成と成員カテゴリー化実践 : いわゆる「足利事件」における精神鑑定をめぐって(II 自由論文) - 文献詳細
松木 洋人
大貫 挙学
CiNii 論文 - 犯行動機の構成と成員カテゴリー化実践 : いわゆる「足利事件」における精神鑑定をめぐって(II 自由論文)
Amazon.co.jp: 冤罪の軌跡―弘前大学教授夫人殺害事件―(新潮新書)
「所謂変質状態ノ基礎状態テアル生来性神経衰弱症」「表面柔和ニ見イナカラ内心即チ無意識界ニハ残忍性『サディスムス』的傾向ヲ包蔵シテ居リ両極性相反性ナル性格的傾向ヲ顕著ニ示ス」と鑑定した
1952年 5月31日 控訴審終了。Nに懲役15年の有罪判決。
1981年 4月27日 青森地裁弘前支部で一審終了。Nが部分勝訴。
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/1981/1981_6.html
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/1986/1986_7.html
http://anond.hatelabo.jp/20111013154558
でもさ、やっぱり本一冊書くくらいショックな事なんだ。
今、検索して調べてみて思った。
けど、こういうのとも、ちょっと違うかもなあ・・・
江戸時代の遊郭と言うのは、地域や年代によって差はあったと思うけど、おおよそでも、今のお金に換算して100万から150万くらいは遣わせてからじゃないと、2人きりになれない仕組みらしい ( 杉浦日向子情報など )
2人きりになってからでも、関係が持てるとは限らないらしい
なんていうか無茶苦茶っていうか
江戸時代の物流や情報や人の流れや、経済の状態を考えると、日本の中でも、中央と端っことだと、今でなら先進国とアフリカくらいの距離感みたいで、東北で餓死してる人がいる時期が(いつもではないと思うけど)あっても、お金が余りまくっている所もあったりするような状態だったようで・・・
でも、江戸時代は、明治以降のマルクス主義史観みたいなもので、庶民が虐げられて飢えてたイメージが植えつけられてるけど、米の流通量から考えても、みんな米を食べてたのではないかとも言われてて、比較的みんな豊かだったようだけど。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=169882 江戸時代の貧農史観への疑問
http://www2.ttcn.ne.jp/kazumatsu/sub226.htm#1 江戸時代の百姓は本当に貧しかったか?
あぁ、何書いてんだろ
どうでもいい事なのにスマソ
マルクス主義は、観念哲学や宗教に対して唯物論哲学を掲げて対抗したように
既存の経済学や歴史学に「観念論的な社会科学」というレッテルをはり、
それに対してマルクス経済学・歴史学のみを「唯物史観」=「真に科学的な社会科学」と位置付けて対抗したんだよ。
唯物史観の特徴は、自然界に物理法則が存在するのと同じく、人間社会の歴史にも法則があると主張することで、
その法則の中心は、人間社会は奴隷制へ、封建制へ、資本主義へと変容して最終的には共産主義へと至る、というもの。
という部分なんかは、まさにこういうマルクス主義の特徴があらわれてるね。
詳しくないけど、著者の著書リスト見るとマルクスのことも書いてるね。
ググった限りではマルクス主義者かどうかは判断付かない。グレー程度。
まあ、ルソーとマルクスとヒトラーは同じ思想を持っていたという説もあるくらいだから、
そういう人がフランス革命を書くとそうなるよね。
フランス革命の勉強がしたくて、図書館でタイトルが目に付いた『フランス革命の思想と行動』(河野健二)という本を借りてきました。
京大の教授だったそうだから、まっとうなことが書いてあるんだろうと思ってかりたんですが
書き出しが
資本家的生産様式が成立する歴史的過程は、封建的生産関係およびそれに本質的に依存する特権的商業・高利貸資本の拘束のもとから、生産者(農民・手工業者)が解放され、上昇することを主要内容としている。このことは現代の歴史学が確認しているところである。ところで、生産者はの解放および上昇は、若干の経済史家が説くような漸次的な行こうとして、あるいは、直線的な発達として現れるものでは決してなく、権力闘争をも無い方する高度の政治闘争を通じて、その所産ととしてはじめて現れる。この点も科学的な歴史認識が達成した「成果」として、われわれの前にある。
なんてはじまるので、なんだか驚きました。
「現代の歴史学」とか「科学的な歴史認識」とかいう言葉がナンダコリャな感じ。
1.これが書かれたのは1956年らしい(1995年出版、を見て借りたけど、再収録だった…)のだけど、この文章ってやっぱり55年分古いかんじしますか?
2.この人ってマルクス主義者? ここでいう「現代の歴史学」だとか「科学的な歴史認識」とかいってるのも、マルクス主義と関係ある?
マルクスは政権をとった後のことはあまり具体的なビジョンを示していないが、歴史をみれば、確実に暴力のツケがやってくることがわかる。
プロレタリアートが権力を奪取する手段として暴力は便利この上ないのだが、ポルノ並みの中毒性がある諸刃の剣でもある。暴力革命を成し遂げた政権がその後に示す暴力性は凄まじいし、反動勢力も含めて人民全体に暴力癖がしみついてしまう。中国を例にとると、偉大なマルクス主義者の毛沢東も晩年は文化大革命などで大荒れだったし、鄧小平も結局戦車でカタをつけた。最近では反政府側のチベット暴動なんかも然り。(中国についてはもともと暴力革命の伝統があるので、鶏が先か卵が先かの論かもしれないが。)まさに「剣をとる者は剣によって滅ぶ」ということであろう。元増田のいう「誤り」がどういうことを指すかはわからないが、臨床的観点から副作用がきつ過ぎる故まず採用しないのが賢明であろうとは言えると思う。
※あくまで「とあるゼミ」について。 他は存じあげません。 教えて下さい。 お願いします。
論文とは「問い」である。(率直な疑問をテーマにしてこそ良い論文になりやすい。)
論文には以下の構成がある。※この日記は序論の「問題」と「研究目的」に対する考察(PLAN)でしかない。
問題と研究目的や研究方法の提示、用語の定義を述べる必要がある。
引用文献だけではなく、使えそうで読んだ(参考にした)本を述べる。
近年、娯楽コンテンツをテーマにする流れがとあるゼミ内であったようなので、注意点を述べる。
これは、社会的背景に迫らなければ動機以上に有意義なテーマにならない、ということである。
疑問に思う(QUESTION)→「考察(PLAN)」→調査(DO)→考察(CHECK)→発表(PRESENTATION)の流れでは「PLAN」に該当するプロセスで基本だが、大抵の大学生は多忙を理由にして調査への過度な期待をして失敗を繰り返しているという意味で最重要プロセスでもあると考える。
失敗の例として具体的には「自分の研究がなにをいいたいのかがわからなくなる。」といったものがある。
そこで、対策として社会的背景へ迫るPLANの例として娯楽に対する考察を以下に提示する。
そもそも、娯楽の意義を知らなければならない。無論、娯楽はストレス(抑圧)発散のためにある。
社会的なストレスとは労働といった規範に関連するもの。学生は学業が社会的なストレスになる。
知識の外部性を最初に指摘したのはマルクスだった、といえば牽強付会に聞こえるかもしれないが、彼は労働についての断章と呼ばれる『資本論』の草稿(経済学批判要綱)で次のように書いている
自然は機械をつくらない。それは人間の頭脳や手の生み出した器官であり、知識の力が対象化されたものだ。固定資本の発展は、社会的知識がどれほど生産の直接的な手段になり、社会的な生活の条件がどれほど一般的知性によってコントロールされて生産に適応しているかを示している。
これはネグリ=ハートが『帝国』で、マルクスが「非物質的労働」を視野に収めていたことを示す証拠として引用した文章だ。これに続く部分で、マルクスは社会的知性が科学技術による生産の条件だとものべている。そしておもしろいことに、こうした社会的知性は生産だけではなく消費によっても生まれると説いている
池田信夫 blog : マルクスとソーシャルメディア - ライブドアブログhttp://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51671941.html
知識の外部性、社会的知性、一般的知性 というものがあることがわかる。
おそらく書籍を読解していく上で【知性やイデオロギー】等の違う言い回しで多くの似た概念に出くわすと思う。※注意は必要だが、以降は「規範」として解説する。
私たちは幼少より社会的な規範や市場的な規範を様々なものを通して学ぶ。
娯楽も例外ではない。例えば、女の子はおままごとを通して家庭の内部規範を、男の子はロボットやヒーローのおもちゃで外部規範を学んでいく。
ここから、「娯楽コンテンツは虚構的である。つまり、それ自身に本質的価値はない。」ということがはっきりわかった。
実をいうと、「エンプロイー(従業員)」という概念は近代になって生み出されたもので、時代を超越した社会慣行ではない。強い意思を持つ人間を従順な従業員に変えるために、二十世紀初頭にどれほど大規模な努力がなされ、それがどれほど成功したかを見ると、マルクス主義者でなくてもぞっとさせられる。近代工業化社会の職場が求めるものを満たすために、人間の習慣や価値観を徹底的につくり変える必要があった。
これらのどれ一つとして人間の自然な本能ではなかった(もちろん、今でもそうではない)。したがって「従業員」という概念が—また、近代経営管理の教義の他のどの概念であれ—永遠の真実という揺るぎないものに根ざしていると思いこむのは危険である。
「経営の未来」に従業員の未来を見る - アンカテhttp://d.hatena.ne.jp/essa/20080310/p1
「従業員」という一見当たり前の概念についても長い歴史で観ればつい最近確立された規範であり、社会問題を伴う。
つまり、「娯楽という概念」にも労働を代表する外部の概念が抑圧・弊害や規範として間接的に関わってくるため、視野を広めて(ここでは労働をキーワードに)考察をすることが重要ということである。
(※今回は閲覧できるようにwebをソースにしましたが、実際はキーワードに関する書籍を読解し、参考・引用してください。)
娯楽コンテンツについて調査するならば、調査対象においての労働観(学業観)、社会観、消費観を知る必要があるだろう。
むしろ、引用するしないに関わらず参考文献範囲を研究テーマの外側まで広げていかなければ、根源的な問いに対する調査の切り口が見いだせない。
娯楽コンテンツを研究テーマにした場合は袋小路に入ることになる。
しかし、研究テーマの外部の考察をすれば必ず研究に活きてくる。まず発表に際して学生間での質問に引けをとることはなくなる。
一見言わなくても分かると思われることも、しっかりと問題の本質、動機、仮定、構造の説明ができるかどうかは別問題ということである。
えーと日本は中国(現在の中国ではなく、中国大陸のあのへんって意味)に強い影響を受けている国で、
文化レベルでいえば歴史の9割くらいは中国の下にあったのはそのとおりで、実際中国の文化はすばらしいよ。
でも、それを踏まえても「嫌中」ってのはごく普通のことだよね。(だって、現在の中華人民共和国が嫌いなんだから)
天皇って文化にも確かに影響はあると思うよ、うん。でも天皇自体はもう完全に日本文化だよね。
よーするに、俺はラーメンは好きだけど刀削麺はあんま好きじゃない。それだけの話じゃないのか。
別に、嫌中の人間だって二郎でニンニクマシくらいするだろう。中国が嫌いなくせにおまえラーメン食うの?みたいなこと言われても。
まー、あと「中国」が一つの継続的国家みたいなこと言うのはさすがにおかしいよね。
人種も勢力も替わりまくりだし。現在の中華人民共和国は歴史のほとんど無いに等しい新参国家だよなぁ。
マルクス主義以降、新しいイデオロギーを取り込みまくったせいで「伝統」とか「文化」なんて消えたい放題でしょ。
中国の研究者が日本の大学に「中国史」の研究に来るんだよ最近、自国よりよく資料が残ってるから。
・「人口を維持しよう」って発想が間違ってたのかもしれないね。
・じゃあ、老人が死に絶えるまで耐え切れば丁度いい人口構成になるんじゃないか?
・ぶっちゃけ、若い世代をどう絞ってもカネは出そうも無い・・・。
・そこで発想を変えるんだ!
・もう、この際老人たちのカネとは別の通貨を作ってしまうのはどうだろうか!
・地域通貨と同じ発想で、「若年者通貨」を発行しちまえばどうだ!
・2011年現在40歳以下の人間だけが使える通貨!みたいな。
・日本の経済圏を二つに分けて、ジジイはジジイの経済圏で生きればいいし、若者は若者で別の経済圏を作ればどうだろう。
・年金やらなんやらの社会保障も若年者の間だけで構築しちゃうんだ!
・最初はしんどいけれど、結局労働力がないと社会は廻らないので一致団結すればやれるさ!
・マルクス主義のブルジョアープロレタリアートの構図を年寄りー若者でもう一回やるんだ!
・若者総決起だ、なにせ労働力は基本的にこっちが持ってるんだから!
自意識問題について。
まあ思春期には、「自我」がどうしようもなく膨れ上がる。みんなそうだ。
このころに、つまり言葉が一定の水位を超えてあふれ出す時に「思考」が始まる。
そして、現実ではなく、「自己意識の中では」自分は「自由」な存在だということを突然発見する。
若者の「思考」の最大の仕事は自分を正当化すること、そして自分を世界の絶対的な主人公とすること。
そんなわけで、14~15歳前後から、世界のすべてを自分流に解釈し、
自己意識の中で激しく「俺は誰でもない俺だけの存在だ」という感覚を確認しようとする。
要するに、思考の自由がやってきて、はじめて人間は「自分という存在のかけがえのなさ」を実感することになるわけだ。
おめでとう。
しかし、ここには問題がある。
第一に、それは「意識」の内側だけの自由であって、その人を取り巻く現実は、やはり親や社会のルールによって縛られ、拘束されている。
自力で現実的な自由の条件を獲得できない大抵の場合、当分は内的な「自由」で我慢するしかない。
第二に、自分自身を世界の絶対の主人公と見立てたいのだけれど、
この望みは誰もが同じようにもっているものだ、ということに気づかないわけにはいかない。
「周りの奴らは馬鹿ばっかで、俺の考えてることはわかんねーんだよ」という人も、
「俺は誰でもない俺だけの存在だ」ということが、誰にもあてはまる平凡な事実だということに薄々気づいている。
「思考の自由」が、人間に「自分だけは特別な存在である」という新しい真理を教えるのだけれど、
その自意識を満たしてくれる「クリエイティブ」で「他者が賞賛」するような職種で成功を収めないかぎり、
そして「別の生き方」を選ぶようになる。
そこにいたるまで我々は自意識問題という名の厨二病を煩い続ける。
ヘーゲルはこの「俺は誰でもない俺だけの存在だ」という「自己意識の自由」の三類型ということを言っている。
第一の類型は「ストア主義」。
人々は醜い承認争いをしているが、そんな競争はつまらないものだと「俺だけはよく知っている」と考える自己意識のことだ。
このことで自己意識は、自分の価値と独自性を、内的に確保する。
「お前ら必死だなw」って奴だ。
人の意見の弱点を見つけてはこれを相対化しようとする人が懐疑主義者だ。
どんな意見もちょっと観点を変えればみな相対化されてしまうということを「俺だけはよく知っている」と考えて「自己意識」を確保しようとする。
この2つは、両方とも自分の意見、態度、生き方を留保しておいて他人の価値を低く見積り、
第三の類型は「不幸の意識」。
若者は独自の強力な世界観、理論に出会うとその世界にどんどんのめりこみ、世界や人間のどんなことにも「立派な」ことが言えるようになる。
しかし、この高尚な世界観が要請する理想の姿と現実の自分の姿の間で、引き裂かれる自己意識が発生する。
これらはすべて「自分の心の内側だけで、自己価値を確保しようとする試み」だ。
人間の自己価値は「他者の承認」を必要とする。だけど、それは結構きつい。
だから、人間は自分の中の「自由な思考」のうちで自己価値をつかもうとする。
でもそれはたぶん無理だ。
現実はどうしようもなく存在していて、そのうざったい自意識にうってつけの現実なんて向こうからやってこない。
その不可能性が頭ではなく身にしみた時こそが、めでたく厨二病卒業の時となる。
おめでとう。
起業しろだの海外行けだの、挙げ句の果てには「まだ日本なんかに期待してるの?」ときた。
優秀な人は自立して好き勝手すりゃいいさ。どこ行って何して金もうけて悠々自適に生きればいいさ。
でも俺ら凡人は、とくに日本的心性を持った人々は、他者と依存して、なれ合いと共感の中で生きていたいんだよ。
個人主義よりも集団主義で行きたいの。「アメリカンドリーム」は米国のものであって、のんびり暮らしたいだけなの。
頼むから、経済成長至上主義を振りかざさないでくれ。もう成長や競争はいいんだよ。中国に「経済」で負けてもどうでもいい。
経済成長をいっぺん棚上げにして、その上で日本が自活できるか本気で考えてよ、頭の良いアルファブロガーさんたちよ。
なんでこんなに資本主義を無条件に受け入れているのか。マルクス主義者じゃなくても資本主義はいい加減やめよう、って気にならないの?
資本主義をやめることは不可能なのは事実だけど、さらに加速させようとか意味不明。起業しろ?まずはシュンペーター読めよバカ野郎。
極論だけ書く。
もう授業なんて出るな。出席取る授業は代返してもらえ。試験ができればそれで良いだろ。レポートは適当に友達と情報共有してなんとかこなせ。あ、でも、感謝の気持ちは、忘れないようにな。
その理由。
日本の大学の授業は、一部の例外を除いておおむねクソで、教授にやる気はなく、教える気もなく、一時間半という貴重な時間を浪費する。それは東大や京大でも同じだ。上から下まで基本的に授業は終わってる。だから、同じ内容で、もっといい授業を探そう。それはどこかの私塾にあるかもしれないし、書籍にあるかもしれないし、PodcastやiTunes Uにあるかもしれない。OCWってのもあるだろ。あと自主ゼミっていう手もあるな。iTunes Uは英語?まあ、それぐらい勉強しろ。「同じ内容で、最善の結果を得られる授業を探せ」。これがキーワード。だから、その授業が提供している内容が、最善と思えないなら、授業には出ちゃいけない。
バイトするな。これは厳しいかもしれない。なんせ経済がアレだから、親に仕送りしてもらえない人もいるだろうな。でもバイトはなるべくしない方が良い。
大学生のバイトは明らかに搾取だ。もっといい仕事はいくらでもあるのに、とりあえず働かなきゃ、とりあえず実績を作らなきゃ、とりあえず社会に出なきゃという焦りを利用して搾取してる。資本主義は搾取とか、資本家は搾取してるとか、そういう古式ゆかしきマルクス主義みたいなことを言うつもりはないが、バイトだけはやめたほうがいい。大学生の四年間という貴重な時間を空費するには、時給何百円だ千円だってのは、あまりにも見合わないぞ。
じゃあどうすればいいのか?
自分で仕事をもぎ取れ。この世にフリーランスとして関われる、割の良い仕事はいくらでも転がってる。あなたがこの春から通うことになる「立派な大学」に比べれば、しょーもない学歴の奴でも、立派に稼いでる人はいくらでもいる。確実に成長できて、自分の仕事を拡大できるような仕事を自分で取ってきた方が良い。
だから、覆すようだが、「自分の仕事を拡大する」ことの第一歩としてバイトすることは、むしろ推奨する。が、「その先」が見えないバイトはダメだ。たとえ大学生活の間だけでやめるつもりでも、きちんとその先、十年単位で食っていくためのキャリアプランを考えられるようなバイトに関わること。時給は関係ない。最初の時給がたとえ0円でも、のちのち何百万、何千万という富を生み出す仕事もある。もっとマッチョな言い方をすれば、今の時給がどうあれ、その「バイト」をのちのち何百万、何千万という富を生み出すような「仕事」に、あなたが、「変える」のだ。そういうバイトに関わることは、将来のリスクヘッジにもなる。
ここで扱うのは極論だから、「サークルには入るな」と言うけど、サークルを全否定するつもりはない。楽しければそれでいいじゃん、とは思う。実際、入るサークルによっては、結構、楽しい。
が。
いずれ就活のESに書くため、実績を作るため、みたいな打算で参加するようなバカは、サークルに入るな。それだけは言っておく。
だいたい、「サークルで○○をしました」なーんてESに書く野郎はどうして絶滅しないんだ?おまえのサークルが、おまえの世界のすべてだったのか?そんなしょうもない学生生活だったのか?残念な奴だな。そんな小さい世界で、チマチマ箱庭いじってるようじゃ、なあ。
それから、自分のプライベートタイムまで浸食してくるようなサークルもダメだな。
嫌々入ってるようなサークルのやめ方は、「四畳半神話体系」を参照のこと。
友達を作るのもダメだ。友達って「作る」ものか?無理すんなよ。ぼっちでもいいじゃないか。無理して友達を作ろうと躍起になってる奴ほど、ぼっちになるからな。かわいそうに。
ぼっちはぼっちどうしで集まるし、「リア充」がどうの、とか、気にしてる暇があったら将来のこと考えようぜ。
もう就活なんてすんな。残念ながら、就活する奴は負け組だ。結局「名も無き大学生」として生きるしかなかった、無名の学生たちの墓場だ。一人の人間として扱われたいのであれば、墓場に行ってはいけない。生きる道を選ばなければならない。そのために、大学生活四年間+αの期間には、できるだけ布石を打っておくこと。大人と一対一で渡り合うこと。企業と一対一で渡り合うこと。交渉すること。何があなたに利益をもたらし、金を生み出すか、知っておくこと。どういう仕事をすれば、何円の利益が出て、何円が懐に入るのか考えること。資本は、肩書きは、なぜ必要になるのか。何が信用を生み出し、それを持続させるのか。それらをよく考えよう。生きながらにして墓場に葬られ、石の下で腐らないために。
間違っても、「就活のために勉強」とかしちゃいかんぞ。「よりよい墓」を探したってなんにもなるもんか。
自分にはどんなオプションがあって、それらをどう行使すべきなのか、自分の頭でよく考えること。
「当然」とされていることを、疑うことから始めよう。
惑わされるな。
「誰にも当てはまること」なんて、ないんだから。
じゃ、がんばってね。
http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E5%B7%A6%E7%BF%BC%E3%81%A8%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8D-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-488C-%E9%88%B4%E6%9C%A8-%E8%8B%B1%E7%94%9F/dp/408720488X/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1255857512&sr=1-1
いつの時代にも青春に特有の不安や「自分探し」があるのではないか。世間でいうほど絶対的貧困状態に置かれた若者は多くない(フリーターは被扶養者であることが多い)。かつての新左翼も政治運動としてはナンセンスで、全共闘はマルクス主義というよりアナーキズムに近かった。60年安保も、学生のエリート意識による「集団的なストレス発散」だった。
こういう若者の不安を食い物にする連中はいつの時代にもいるもので、著者が企画した対談で『蟹工船』ブームを起こした雨宮処凜やモリタクなどの「貧困ビジネス」は、ちょっとした成長産業だ。しかしかつての新左翼や原理などと同様、こういうカルトは何も解決しない。ただ新左翼は日本の高度成長の最中にそれを批判する見当違いのお遊びにすぎなかったが、いまロスジェネの直面しているのは日本社会の本物の病だ。
ところが雨宮・モリタク的な貧困ビジネスは、彼らに迎合して再分配によって問題が解決するかのような幻想を振りまく。NHKの「クローズアップ現代」で「“助けて”と言えない30代」という番組が今年最高の視聴率を記録したそうだが、メディアにとっても貧困や自分探しはおいしいビジネスだ。しかし若者を孤立させているのが「新自由主義」による「自己責任」論だとかいうのは、お門違いもいいところだ。それはかつて新左翼が「日帝」とか「独占資本」などの藁人形を相手に闘ったのと同じである。
思えば「アプレゲール」が実存主義を語り、全共闘が疎外論を語ったのも、自分探しのバリエーションだったのかもしれない。最近は哲学ネタもつきたので、社会学がお手軽な不安の理論武装になっているようだ。こうした意匠は時代とともに変わるもので、経済成長で解決するわけではない。雨宮的なアジテーションは、『しがみつかない生き方』みたいな人生論と大差ないのだろう。本書がこの点を指摘したのはおもしろいが、中身は二次資料の切り貼りで読む価値はない。
自民党はもうちょっとうまいネガキャンの方法があったのではないか?と考える途中で思いついた論点
一部のフェミニズムは「セックスワーカー」とか言って、肯定したりする。
社会学やってる人とかに多い。
特にマルクス主義的フェミニズムと言われる領域にいる人たちは、
「女性が働く権利」という視点から、働く機会均等の社会を作らなければいけないと思って動いてて、そういうことになる。
これは、もちろん一理ある。
格差は是正しなければいけない。社会が実際に運営されている以上、その運営に基づく法の倫理や道徳は思考されなければならない。
そういうのをわかった上で、
私は、新地やキャバで働く人のことを「彼女の権利だから」と肯定する気にはなれない。
想像や思考によって語られた言葉が、漏らしてしまう感覚や感情を
少しは、知っているからだと思う。
男性が暴力の話を嬉しそうにするとき、私はいやな気持ちになる。
暴力を受けとったときの痛さをなんにもわかってないくせに。とか思ってしまう。
(でも、暴力を受け取る強さを私が持っていることも知っている。私たちは、受け取った暴力を快楽に変える心的な構造を、生理的に持っている。)
私は「語り得ないものについて沈黙すべきである」というヴィトゲンシュタインの言葉が好きだ。
「語り得ないもの」とは、決して論理的に整合しないもの、ということを意味しているだけではない。それは、形式的に論理的にだけ物事を語ることが、現実に言い表されるべきであったものから断絶した意味を構成し、言葉を宙づりにしてしまうということがわかっているからこそ、「語り得ないもの」とし、その領域を守るべきだという倫理の一種の形態である。
ここで、また現実的な話に戻ると、
遊郭では、私の想像に及ばない且つ経験したことがないことが毎日起こっている。
それに対して、私はどうして介入をすればいいのか。
それとも、介入などはおこがましいから、私は彼女らとは違った場所に「棲み分け」をして、「私には何もできない」からと沈黙することがいいことなのか。
いまは答えがわからない。
沈黙は、認識しないということとは違う。認識をしながら語らないという決断があり得る。それは、私たちが先験的にどんな能力を持っているかということではなく、今から何を行動するかについてを決める能力を持っているかということに価値を置くことにもなる。
開始時刻に少し遅れて着いたんですが、600人収容の講堂はすでに立錐の余地もない状態。
中継会場も立見席しかない状態。
こんな「ウルトラ怪獣大行進」というか「フェラーリVS朝青龍VSミトコンドリアVS標題音楽」のような異種格闘技戦企画にこれだけの人があつまるなんて驚き。
まるで興味のなさそうな大学生カポーが座席でいちゃついててむかついた。
シンポジウムはあずまんがひととおり趣旨を語った後に、『アーキテクチャの生態系』で名をあげた濱野智史の基調講演その1で幕開。
この手の議論になじみのない人に配慮したせいか、ネットに広がるアーキテクチャ(地平)はリアル世界の建築アーキテクチャと違って無限だよ、という話とある意味アーキテクト(設計者)がないネットは「人工」でありながら「自然」だよというベーシックな話を平易に語ってた。
すかさずあずまんが「ようは自然に見えるから人工のアーキテクチャに対して批判ができなくなってるのが問題なんだよね」とそんなこと濱野氏はひとこともいってないのに強引にまとめる。
まぁ、彼らの議論はそういうところにあるんだからいいかと思うけど、会場から微妙な失笑も。
つぎはうのたんの基調講演。
白いスーツで登壇した宇野タンですが、緊張してるのかビビッてるのか異常な早口でまくし立てる。
挙動不審といってもいいくらい。
内容は「ゼロ年代の想像力」をふまえつつ、アーキテクチャもいいけど、倫理的・実存的な問いも大切だからその両輪でいこうよという話にきこえた。相変わらず「母性のディストピア」がどうとか「悪い場所」がどうとかマッチョな説教がうざかった。
だんだんわけわかんない話になってきて、会場が「空気嫁よ」というふいんきに満たされる。
これもすかさずあずまんが強引うまくまとめる。
あずまん頭いいよ!!
ウノたんのえらく冗長な話を一発で簡潔にまとめる力。おそるべきプレゼン力。
つまんなかったのか「だいたい今日の趣旨とか聞いてない。宇野とか濱野とかよくしらねーし。
いろいろ言ってるけど、あんまり新しいことを語っているように思えない。だいたい今も昔も批
評の場所もないんだよ。マルクス主義が失敗した時点で!」とツン発言。
なんかこのシンポジウムはどこに行くんだろうと思ってたら中継画像が切れる。
復旧の見込みがないので、立錐の余地のない本会場に突入。
しかし、全般的にこのシンポジウムはロジが最低だった。
ついたときには磯崎新が「アーキテクチャ、アーキテクチャってうるさいよ。なんでもアーキテクチャっ
ていうな。定義汁」といい、続いて宮台も「俺も今日の趣旨は聞いていない」と切り出してあとはハイエ
クがどうこうと好き勝手しゃべり、「今日のシンポジウムは失敗なんじゃないの」とまでいう始末。
たしかにそれぞれが好き勝手なことしゃべって論点がまったくぼけてしまい失敗したようにみえたけど、が一番悪いようにも見えた。
宮台の散漫で冗長な話をいっしょうけんめいあずまんがまとめては一本の論点に集約させようとしていた。
結局、あずまんがいうところの「アーキテクチャ」に関してそれぞれがひとつにまとまった問題意識をもっていたわけではないので、あ
まり議論はかみあわず、お題に対してそれぞれが好き勝手にしゃべる場になっていたのは残念だけど、それなりに「アーキテクチャ」
をめぐる「論点」が総花的に提示されたようにも見えて有意義だった。
なぜか「ひろゆき(2チャンネル管理人のね)と公共性」が途中からメインイシューになってたけど、これも「アーキテクチャ」を
語る上ではずせない要素なのかもね。
あと、ウノタンは最初の基調講演と1回しょうもない発言をしたあとはずっと黙ってた。
どうも場違いだったようにも見えた。うのたんの最後のコメントは聞かずに帰った。
3時間立ち見だったので腰が痛い。
付記
うのたんは最後に「6割はどうでもいい話だった」といいはなち、「大文字の公共性はある」と叫んで行ったらしい。
うのたんのいう公共性って「ジャニーズドラマも仮面ライダーも純文学もアニメも語れる俺こそが島宇宙を越境した公
共性の司祭だ。みんな俺になれ」っていう程度のことでしかなくね。
うのたんは会社員はやめないほうがいいと思う。
http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20081208/1228726052
普通に、知らんやつに、「お前」とか命令形で言われるのは儀礼的におかしいと思うのだが、それでも「無限の応答責任」が生じるのが「知識人」というやつか。それこそもう一度問うが「そもそも、なんでネットの馬鹿どもとコミュニケーションなんかしなきゃいけないんだ。 」
http://twitter.com/naoya_fujita/status/1042662107
なるほど、なぜだろうか。言葉遣いの悪い「言論的な野蛮人」をコミュニケーションの外に排除してはいけないのは。では、どっちもどっちで片付ける「論理的な野蛮人」をコミュニケーションの外に排除してはいけない理由はなんだろうか。
そもそも「ツイッター」というつぶやきサービスやミクシィは公共的なのか。私的/公的という範疇が融解しているから、なんでもかんでも「公的」にすんなよ、別けろよ、という僕の思想というか主張があるのだが、君たちは「藤田直哉」の思想について不勉強で無知な馬鹿だ。
http://twitter.com/naoya_fujita/status/1042663811
たぶんこれはメディア論(かっこわらい)の人たちが「じゃあなんで『私的』なことなら大学ノートに書かず『知らんやつ』が読めるところに書いてんだよ」っていうのにうまく答えられなかった程度の話でしょう。無論そんなこと、君の思想を逐一知ってる義務はないということ程度に、知ってる必要ないことだけどね。
逐一、発言を拾っていくつもりだったけど、めんどくさいから止める。
まずあの、
基本的な立場として僕は「南京はあったし数は30万は行き過ぎだけどそこそこはあっただろう」ということをまぁ認めるよ、という立場です。
「30万は行きすぎだけど」ってところだけれども、君にそれを判断できるほどの情報があるわけ?((ぼくにはないよ))南京事件以前の南京城内外の人口がどれくらいで、南京事件以後の非難区、非難区以外の城内外がどれくらい、とかそういうことを踏まえたうえで言っているわけ?『南京戦史』であるとか、南京事件資料集((その手のはわりと多いので、どれと具体名を挙げるのは遠慮させていただく))であるとかを熟読してそういっているわけ?
無論、そんなわけないでしょう。この人がそう言っているのは、『バランス感覚』、(別に誰が見るというわけではないだろうけど)誰もが納得してくれる『おとしどころ』としていっているわけでしょう(その『おとしどころ』で不興をかっているわけだけれども)。だいたい、君はその正当性の担保をどこに求めるつもりだろうか。言説に「善」(つまり道理)はないのに「正」(つまり公正さ)があるとでも言うつもりなんだろうか。であるならば、言説の公正さとは何で、誰がそれを決めるんだろうか。それとも、君に対して礼儀正しいか、そうでないかが、公正さの基準なの?
ある程度の確からしさがあると認めるのであれば、そこにも強度があると考えれないだろうか。つまり、この確からしさは、あの確からしさよりも正しい、と。その『確からしさ』とあの『確からしさ』はどちらも確かではないから、一緒だ、排除してしまえる、とするのは実に非科学的で暴力的な態度でしょう。
そもそも、こんな風に「公正さや正義を無視するものはコミュニケーションから排除してしまって良い」という風なアメリカ的なポストモダン・プラグマティズム((想定するのはローティやフィッシュだ))をマルクス主義者を自称するぼくが振りかざして、あらゆるものにコミュニケーションは開かれるべきだ、というような(野蛮なコミュニケーション的理性を基にする)原則論・理念をポストモダニストを自称する人たちが振りかざすというのは矛盾した話だと思うけど。
『デリダ的に言うならば』、こんなふうにテーゼがあってアンチテーゼがあってジンテーゼあるというような弁証法的なものの考え方自体がどうなんだろうか。飲み会(ある種の『問答』だな、無論皮肉で言ってるんだけど)なんかでクダを巻いてそれで『思想』((ゼロアカの、でも、ロストジュネレーションの、でも、好きな接頭句を入れてくれよ))を作り上げてしまう、そんな馬鹿みたいな真似がどうかということだ。
http://anond.hatelabo.jp/20081101232814
どれだけ厳しい批判が寄せられているだろうかと恐る恐るみてみたら、好意的な反響が多く、胸をなでおろしています。
増田に書く理由としては、ひとつめ、専門外のことに長く関わるつもりがないこと、ふたつめ、連休の出先で手元に一冊の参考書籍もなく、HDDとネット上のソースだけを参考に書いたエントリなど、歴史を専攻したものとして、しかも専門外のものとして、とても胸を張って提示できるものではないこと、みっつめ、それゆえ、ホームに書いたら全て書き換えるほどの修正をせずにはいられないだろうが、その気力も時間もないこと、よっつめ、しかし、あれを「論文」とすることには憤りを覚えたので、せめて学問を知る人にはトンデモはトンデモであると伝えてみたかったこと、いつつめ、増田であれば上記の点をそれほど気にやまずに済むこと、このくらいでしょうか。したがって、私のエントリはいわゆる「ちらしのうら」です(文献表記がみにくいのもわざとです。すみません)。私はさくっと書き逃げする卑怯者です。内容がいかがわしいのも推敲が甘いのも全て私の責任です。でも、もろもろの言い訳によって逃げられるものではないですよね。ああ。
さて、前回のエントリでは、後半にさしかかったときにから睡魔に襲われ、最後は「藁人形叩き」ばかりになってしまいました。ようやく投稿できたと思ったら、字数超過で記事を分割せねばならず、つづきでは田母神氏の論文タイトルを間違えてしまいました。謹んで失礼をお詫びします。いろいろとミスがあろうと手をいれるつもりはなかったのですが、批判する論文タイトルの間違いはいくらなんでもひどいので、訂正します(ついでに「シンガポール華僑粛清事件裁判記録」後編のミスも直します)。これも後出しですが、原文が縦書きの漢数字は、横書きなので適宜英数字にしています。
では、気をとりなおして「藁人形叩き」ばかりをしていたところに補足してみたいと思います。最後に与太話の蛇足ですが雑感を述べてしめます。
しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
(前回と同じく、はてな記法による引用の出所は、田母神俊雄「日本は侵略国家であったのか」2008年http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf)
第2次世界大戦開戦の時点であっても、カナダ、オーストラリア、南アフリカなどが自治領化・独立した例がありますね。フィリピンでも独立を前提とした自治領政府が成立していましたね。
また、どちらかといえば植民地統治体制の比較の話ですが、自治・独立とまではいかないまでも、現地の住民を支配機構に採用していく次のような例もありました。
「1920年代より英国はビルマに赴任するICS〔引用者注:インド高等文官の略称〕に英国人のみならずビルマ人も採用すべく方針を変え、その結果1939年末の段階で、ビルマにおける全高等文官のうちビルマ人は32.8%を占めるに至った」(根本敬「英領期のビルマ人高等文官(ICS/BSC)とタキン党」『東南アジア史学会会報』63、1995年、17ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004924657)
それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。
1940年代において、宗主国が疲弊し、植民地の独立運動が高揚したのは確かなことでしょう。ただし、歴史学の領分は、「もしも」を考えるというより、その過程をつまびらかにして、それぞれの要因や重要性を検討することにあります。
まず、開戦の詔書には「東亜ノ安定」「世界ノ平和」「万邦共栄」「東亜安定」「東亜永遠ノ平和ヲ確立」という表現はありますが、肝心の戦争目的を述べている部分は、あくまで「今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切の障礙ヲ砕碎スルノ外ナキナリ」(「御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国及英国ニ対スル宣戦ノ件」1941年12月8日、アジア歴史資料センターレファレンスコードA03022539800。引用部分の漢字は適宜新字体を用いました。センターホームページの検索バーに左記のレファレンスコードを打ち込めば該当資料のページへ飛べますhttp://www.jacar.go.jp/)ということであり、「アジア諸民族の解放」、「植民地の解放」、や「独立」といった文言は一切ないことを指摘しておきます。文面上はまさに自存自衛の戦いをうたっており、解放の約束は明文上ではなされていません(ちなみに、みればわかりますが「八紘一宇」もないです)。では、実際、アジア諸国にどう接し、現地住民はどう対応したのか、前回は文献名をあげただけのものから少し引用しておきます。
「ビルマは1943年8月1日主権を有する独立国家となったが,真の独立を求めるビルマ人にとってそれは,’’偽の独立’’,’’メッキの独立’’にすぎなかった。ビルマ人は,独立が’’空虚’’であることを知っていた。この当時の日本人に対するビルマ人の態度は,「愛していなくても我慢して接吻する」ようなものであった」(大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、360ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf原文の注の番号は引用者が削除しました。以下の引用文でも同じ)。
「日本の『朝日新聞』は、この作戦について、「皇軍航空部隊の空襲は一見、印度民衆の苦難を一層増大せしめるかに見えるが、爆弾の雨の中に、皇軍の印度独立運動に対する無限の慈愛と支援が含蓄されている」と書いていた。まことに「含蓄」の深い論評だったと言うべきであろう」(中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要(東京大学)』151、2007年、190ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf)。
「本稿では不十分ながら、日本の大東亜共栄圏=アジア主義のプロパガンダが、そして、その大枠の中で動いたチャンドラ・ボース等の活動が、インド社会との接点を持てずに、空回りしていたことを明らかにしえたのではないかと思う」(前掲中里論文、195ページ。ボースたちについては、197ページの注6、200ページの注22、202ページの注26、208ページの注80も参照)。
インドネシア、フィリピン、ベトナムの抗日闘争について、詳しくは論文本文を読んでいただきたいのですが、結論としては、
「要するに、東南アジア諸国の反植民地・民族独立運動は、太平洋戦争と日本の侵略によって生じた情勢やその他条件を、主体的、積極的に活用して日本に対応し、戦前に比して飛躍的な成長を遂げた。そして、このことは、戦後における東南アジア諸国の民族独立運動の高揚や民族独立の達成の決定的要因となった。この意味において、太平洋戦争と日本の侵略は、東南アジア諸国の民族独立運動史における一大転換点であったということができよう」(谷川榮彦「太平洋戦争と東南アジア民族独立運動」『法政研究(九州大学)』53(3)、1987年、395ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870原文にあった傍点は除いた)。
以上でつっこみの補足は終わりです。現下の情勢については特に言及しません。
さて、今回のエントリ執筆の目的としては、可能な限り速やかに「論文」が論文になっていないことを示すことでした。大事なのは「内容」とおっしゃるのは結構ですが、学問的に批判可能な形式(もちろん既存の研究にとらわれない革新的な独自形式でも、読者に史料を提示できればかまいません)をとらないものは、「無敵な人」の独自な「歴史観」の告白にすぎないでしょう。それに価値を認めるのは個人の自由ですが、学問や教育の場に持ちこむのはお門違いです。そのような姿勢では、いつまでたっても歴史学における扱いはトンデモのままですよ。もちろん、大学や研究所にいる専門家でなければ歴史の話をしてはいけないということではないです。「昭和史論争」を引き起こしたのは歴史研究者ではありませんでした。しかし、自己の見解を教科書にのるような通説となさりたいのであれば、専門家と同じ舞台に立ち、その批判に応答しなければならないでしょう。「つくる会」はその舞台に立つ気はないと宣言した結果どうなっているでしょうか。今なら学術雑誌に投稿しなくても、インターネット上でいくらでも長文の論文を発表できますよね。
一般に、歴史研究者は、四年生大学で専門的なトレーニングを受け、さらに修士課程二年間、博士課程三年間以上を費やして史料を読み込み論文を紡ぎだしています。それでも、個々の論文の結論で言えることはささやかなことです。また、研究会・学会・書評などの形でお互いに切磋琢磨しています。それぞれが広範な史料に目を通しているからこそ、個々の研究がその時代の歴史像のどこに位置づけられ、どの部分がその時代の特徴をよくとらえられているかを議論できるのです。自分の個別研究が歴史研究の大きな流れのどこに位置づけられるのかをとらえるため、歴史を学ぶ標準的な手順としては、まずは先達がエッセンスを詰め込んだ教科書、概説書を読み、そこから主要な研究文献やレビュー論文、目録等を漁って研究史をたどり、そこで用いられている史料を読み、先人の研究の妥当性を検討したり自己の問題関心を追求していくのです。木簡のように新しい史料が見つかったり、機密文書が公開されたりして史料が増えれば、それがどのように従来の見解に修正を迫り、新たな知見を付け加えるのか議論します。そのような積み重ねのなか、通史は更新され、教科書の記述も変わっていきますが、このことをもって歴史は定まりないものだから最新の研究成果も独自研究も変わりないということは的外れでしょう。それはかえって科学としての歴史学が機能している証拠にほかなりません。
さて、歴史学者全体がイデオロギー的に偏向している、現行の教科書は自虐史観・マルクス主義史観に基づいているという「つくる会」の主張もありますね(それでいて『国民の歴史』のように、専門家の研究から剽窃したりするの会員もいるのは厚顔無恥ですね。参照、尾藤正英『日本文化の歴史』岩波新書、2000年、あとがき)しかし、戦後長く標準的な高校教科書として採用されてきた山川出版社の『詳説世界史』の執筆者には林健太郎(故人への敬称は略します)が含まれていました。日本史にしても伊藤隆氏が編者であった『近代II』を含む、『日本歴史大系』山川出版社、1984-90年、が、受験前に初めて読む通史だった私などには、学会の主流がマルクス主義史観など妄言にしか聞こえません。岩波だから駄目などという意見も見ることがありますが、最新の『岩波講座世界歴史』岩波書店、1997-2000年、では、古代・中世・近世・近代という時代区分はもはや採用されていません。そもそも研究の場では、評価は自分の目で確かめてから下すもので、事前に確定できるものではないのです。
「いずれも〔引用者注:本文でふれられている臼井勝美氏、酒井哲哉氏の研究のこと〕,侵略の時間的連続性〔引用者注:満洲事変から日中戦争へ〕を,陸軍の遠心性,すなわち現地機関の好戦性や暴走に帰さない画期的な研究であった」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、67ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。
「日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する」なんて本質論は、学界ではなされていませんよ。人事面でも、システム設計・運用面でも、上部の問題は大きかったですよね。私みたいなものにも自衛隊に信頼できる友人はいますので、余計に上が軍の失敗を反省するそぶりもみせないのは問題と感じるわけです。
最後に、余計なお節介でしょうが、歴史学入門、史学史についていくつか参考文献をあげておきます。ご興味のある向きは手にとられてみてはいかがでしょうか。
小田中直樹『歴史学ってなんだ?』PHP新書、2004年。(CiNiiの定額許諾を契約している大学関係者は、下敷きとなった論文をDLできるかもしれません。私は今DLできる状況にないので保障はしません)
小田中直樹「言語論的転回と歴史学」『史学雑誌』109(9)、2000年。
http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0002622266
歴史科学協議会編『卒業論文を書く―テーマ設定と史料の扱い方』山川出版社、1997年。
今まで述べてきたような研究の積み重ねに対し、自説の根拠もまともに示さずに自分の意見を広めたいと主張する行為がどういうものか、一度お考えになっていただけたら幸いです。
また見苦しい長文になってしまいました。最後まで読んでくださった方に感謝します。
(追記)さすがに人名の誤記は看過できないのでミスを修正しました。
(再追記)引用文の出典が抜けていたのも直しました。すみません。
(再々追記)直ちに答えられるトラバをいただいたので応答します。ホロコーストの研究の進展について次の文献を参照してください。
芝健介「ホロコーストとニュルンベルク裁判」『史論(東京女子大学)』55、2002年。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008575897
2008年10月25日付朝日新聞朝刊 (一部抜粋)
メルトダウン(融解)的な危機を招いた理由のひとつはバブルが発生してそれが崩壊したためだ。資本主義の歴史を振り返ると住宅バブルは古くからあるが、今回はバブルの坂を上がって行く時に「悪魔的でフランケンシュタイン的怪物のような金融工学」が危機を深刻化させた。表現が長すぎるというのならば「金融工学のモンスター」と縮めてもいい。
グリーンスパン前FRB議長が95年ごろから株式市場のバブルに対策を講じなかった事も、惨状を招いた理由のひとつだ。
この危機を終わらせるためには何が有効なのか。それは、大恐慌を克服した「赤字をいとわない財政支出」だろう。極端にいえば、経済学者が「ヘリコプターマネー」と呼んでいる、紙幣を増刷してばらまくような大胆さで財政支出をすることだ。
大恐慌を克服したのは戦争のおかげだという人がいるが、そうではない。大恐慌当時、私はシカゴ大学の学生だったが、自分が学んでいる経済学と、社会で現実に起きていることとの大きなギャップについて、深刻に悩んでいた。周囲では、3人に1人以上が失業していた。
それほど高かった失業率をひとケタまでに減らしたのは、33年に就任したルーズベルト大統領の政策だ。それは戦争前のことで、戦争の脅威も切迫してない時点で着手されたのだ。
(第1次大戦で敗れたドイツの)ヒットラーは報復戦争の準備をするために、際限もなく金を使った。しかし、ルーズベルトがとった政策は、同じ赤字財政であっても、公共事業や農業支援計画を通じた巨額の支出だった。それが資本主義を救った。
国のお金を何に使うかは、その国民が選ぶべき事だ。しかし、無駄な事業でなく善い目的に使うのが、賢明な国民の選択であることは言うまでもない。
今回の危機の克服に当たっても、時間はかかったとしても結局、財政支出が拡大されるだろう。ルーズベルト大統領の雇用政策も、目標実現に7年かかった。前任のフーバー大統領は、ケインズをマルクス主義者呼ばわりするような人物で、恐慌克服になんら有効な手を打っていなかったことが響いた。本来は(株価暴落直後の)30年から32年までに恐慌対策を打つべきだったのだ。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/7b23d61878dcbf6ad900123f5f3a7186
定額減税が、2兆円の「給付金」という珍妙な形で行なわれることに決まった。これは経済学でよく冗談でいわれる「ヘリコプター・マネー」をほとんど文字通り実行する漫画的な政策である。
あなたが市役所に行くと、1世帯4万円のクーポン券をもらえる。これが他人の金だったらうれしいだろうが、その財源はあなたの税金だ。「埋蔵金」を使うなどというのはまやかしで、そのぶん国債の償還財源が減るのだから同じことだ。つまり4万円の税金で4万円のクーポンを買うだけなので、あなたが合理的ならバラマキ財政政策に効果はない――というのが中立命題としてよく知られている理論だ。
しかし実証的には、この理論は厳密には成り立たない。それは人々が近視眼的で、将来の課税より現在の現金の価値を高く評価するからだ。朝三暮四というやつだ。つまりバラマキ政策は、国民が猿のようにバカであればあるほど効果の大きい愚民政策なのである。
だが先進国の最近の経験は、国民がそれほどバカではなくなってきたことを示している。特に財政赤字が大きくなると、目の前の財政支出が将来の増税をまねく因果関係がわかりやすくなるため、「乗数効果」が小さくなる。さらに北欧などでは、財政赤字を削減することによってかえって消費が増える非ケインズ効果も観察されている。