はてなキーワード: マルサスとは
https://www.tokyo-np.co.jp/article/321875
「世界の100人」に宮崎駿氏 米誌タイム、上野千鶴子氏も選出
宮崎氏を「アニメ界の歴史で個人として最も影響力のある監督」と評し、最新作「君たちはどう生きるか」は多くの人を引きつける「名作だ」とたたえた。上野氏については著作が中国で人気となり、フェミニズムの概念を広めるとともに、結婚と出産を巡る重圧に抵抗する中国人女性らの「ロールモデル」になったと紹介した。
マルサス以来誰も出来なかったんだよ。
社会を変えた貢献はそれ以上では。
上野先生が文系のノーベル賞のいくつかを授与されても不思議じゃなさそう。
「パイの奪い合い」っていうけど、日本人ならパイではなくピザでは? https://anond.hatelabo.jp/20230606141141
これ見て「経済のパイっていつから使われてるのだろう」と思ってChatGPTとBingとBardに「いつ、誰が使い始めた?」と質問を投げかけた。英語で。
「アダム・スミスです」「ケインズです」「マーシャルです」「マルサスです」って全く一致した回答がでない
それぞれの回答を個別に検索してもパイに言及した文章は出てこない
Bardで何度か質問した後で「マーシャルです」しか言わなくなった
そこで「経済のパイはマーシャルが最初?」と聞いたら「いいえ、マルサスです」と答えたから「マルサスが最初?」と聞いたら「いいえマーシャルです」だって
その後、自信満々に「マーシャルは「経済学原理」という著名な書籍で経済をパイに例えました。書籍からその部分を引用します」って「国家経済はケーキに例えられる~ホニャララ」って文章が出てきて(いやパイじゃないやん)って思ったけど、ケーキでもいいやってとりあえず検索チェックしてみたけど、一致する文章は出てこない。
パンの原料である小麦を始めとして、農作物を育てるには、窒素・リン・カリウムの肥料の三要素が不可欠だが、ハーバー・ボッシュ法は、窒素を供給する化学肥料の大量生産を可能とし、結果として農作物の収穫量は飛躍的に増加した。このためハーバー・ボッシュ法は、水と石炭と空気からパンを作る方法とも称された[5]。
化学肥料の誕生以前は、単位面積あたりの農作物の量に限界があるため、農作物の量が人口増加に追いつかず、人類は常に貧困と飢餓に悩まされていた(マルサスの人口論)[13]。
しかし、ハーバー・ボッシュ法による窒素の化学肥料の誕生や、過リン酸石灰によるリンの化学肥料の誕生により、ヨーロッパやアメリカ大陸では、人口爆発にも耐えうる生産量を確保することが可能となった[13]。これは1940年代から1960年代にかけて起きた、18世紀の農業革命に続く「緑の革命」の先駆けとなった[14]。また日本などでは従来肥料として用いられてきた屎尿による寄生虫の感染も避けられるようになった。
ハーバー・ボッシュ法は同時に爆薬の原料となる硝酸の大量生産を可能にしたことから、平時には肥料を、戦時には火薬を空気から作るとも形容された。硝石の鉱床が無い国でも国内で火薬の生産が可能となり、その後の戦争が長引く要因を作った。例として第一次世界大戦において、ドイツ帝国は海上封鎖により、チリ硝石の輸入が不可能となったが、戦争で使用した火薬の原料の窒素化合物の全てを国内で調達できた(火薬・爆薬を参照)。
本法によるアンモニア合成法の開発以降、生物体としてのヒトのバイオマスを、従来よりもはるかに多い量で保障するだけの窒素化合物が、世界中の農地生態系に供給され、世界の人口は急速に増加した。現在では地球の生態系において最大の窒素固定源となっている。さらに、農地生態系から直接間接双方の様々な形で、他の生態系に窒素化合物が大量に流出しており、地球全体の生態系への窒素化合物の過剰供給をも引き起こしている。この現象は、地球規模の環境破壊の一端を成しているのではないかとする懸念も生じている[15]。
ハーバーは本法の業績により、1918年にノーベル化学賞を受賞したが、第一次世界大戦中にドイツ帝国の毒ガス開発を主導していたために物議を醸した[16][17]。またボッシュは実用化の業績により、1931年にノーベル化学賞を受賞している。
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普段そんな本読まないけど折角のGWだからユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』を読んだ。
この本を知ったのは中田敦彦のyoutubeチャンネルに投稿されてた書籍解説動画が切っ掛け。
(URL:https://m.youtube.com/watch?v=fud4-L2lnqQ)←一時間で見れるよ。面白いから見よう!
流石に書籍の内容は難しく、読了までに丸5日はかかったけれどその価値はある体験だった。結構難解かつグロテスクな内容なので余裕があるときにおすすめ。
読了後、内容の復習も兼ねて前に見た中田敦彦の書籍解説動画をもう一度視聴した。
俺はあれだけの濃密で膨大な内容を3本1時間の動画にまとめた中田の手腕に感心したし、YOUTUBE大学のファンなのでこのチャンネルやオンラインサロンを否定するつもりではないと予め記しておく。
また今回見たのが上の動画だっただけでこれからする主張は他のチャンネルの動画にも当てはまる。
その上で、解説動画を見ることは読書をすることとは別物、言ってしまえば別格の体験だと感じた。
以下その理由。
なお『サピエンス全史』読んでない人には伝わらないところが多々あると思うがご容赦を。読んでくれ。
中田敦彦の動画も話に出すから見てない人は下に行く前に見てくれると嬉しい。
それでは。
動画内で解説されていた本の内容をものすごく短くまとめると次のようになる。
20万年前に東アフリカで誕生したホモサピエンスは、認知革命で得た「想像上のものを実際にあるかのように扱う」能力を以て他人類を絶滅させ地球の覇権を握った。
その後、得た認知能力を基盤として農業革命と科学革命に至り飛躍的に文明を発展させていった。
しかし発達した文明がもたらした幸福と自由は人間以外の生物の膨大な犠牲の上に成り立っている。
また生化学や工学等の科学の進歩によって人間はいつか人間以上の存在を創り出し、地球の頂点の座を取って変わられるかもしれない。
とこのようになる。
以下は動画内では触れられていなかった内容の一部殴り書き。(再三になるが読んでない人はマジで意味分からないので注意)
・狩猟採集時代のサピエンスが世界に進出することで他生態系に与えた破滅的影響
・食糧の増加とそれに伴って増える食い扶持を満たす農業の無限地獄
・脳の記憶能力を凌駕する膨大な生産物を管理するための記憶媒体、文字。
・認知革命の虚構によって成り立った団結と秩序、そして差別とヒエラルキー。
・”貨幣”という概念のヤバさ(普遍的な転換性と信頼性及び浸透力)
・帝国の拡張と科学の発展によって人類史上初めて築かれた将来への信頼
・国家と市場経済が個人を支配する過程で奪い、与えたもの。時間、地域コミュニティ、人権、職業、想像上のコミュニティ、平和。
・神になった動物が問われる「我々は何を望みたいのか?」
軽く書き連ねるだけでもこれだけの内容が動画の中では触れられていなかった。
繰り返しになるが認知革命を軸としてサピエンス全史をまとめきったこの動画のセンスには脱帽するし、この動画を見ることで俺の中で新しい発見も生まれた。
だがしかし、これは認知革命一本だけでまとめられる程度の内容ではなく、認知革命も一つとして含めた様々な要素が複雑に積み重なった壮大な本なのだ。
”帝国”についての事前の理解がなければ、その後に続く科学×帝国×資本主義の最強コンボの強さが分からない。
狩猟採集時代のサピエンスの生態系破壊を知らなければ、環境破壊は産業革命以後だけの近代の現象と勘違いしてしまう。
中田敦彦はサピエンス全史が読まれない理由として「話が長く、脱線するから」と言っていたがその脱線は後の章への伏線であり、その長さは意味のある長さなのだ。(中田自身はそのことを百も承知だろう、とは思うけど)
膨大な内容を動画に納めようとすると、どうしても内容に影響のある圧縮をしなければならない
だからその動画を見ることは読書にはなりえない。これが理由のひとつ。
どういうことか、俺の読書を例に取る。
まず俺は本を読んでいた5日間の中で50回以上google検索をした。
話についていく上でどうしても必要だった知識もあれば、本筋に関係ないけど興味本位で調べた単語もある。
前者は誰でも分かる平易な言葉に言い換えられていた。後者についてはそもそも出てこなかった。
ヒトラーやキリスト教の話は出てきても古代シュメール人や16世紀オランダの話が動画内になかったのは我々視聴者がそれを聞いてもピンと来ないからだろう。
シュメール人やオランダのことを知らなくても本の粗筋を頭に入れることはできる。
そういった”無駄”を削ぎ落とすことはは”わかりやすさ”への親切な最適化なのだ。
だがそれは同時に新たな知識との出会いの鍵を失うことを忘れてはならない。
だから解説動画を視聴者することは読書したことにはならない。理由のふたつめ。
俺は読書の途中で考えごとに耽ること度々があった。
食糧が増えることで人口が増加したのであれば(マルサスの人口法則というらしい)、食糧含め最低限度の生活が保証されている筈の先進国の少子化は何が原因なのか。教育コストや生活レベルの上昇によって現代人の考える”食い扶持”は昔のそれより遥かに大きくなったのか?
未来は好転するという思い込みが経済の好循環を創るのであれば悲観論が多数を占める日本の今後は?
↑これは悲観論を根拠に悲観論を唱えるマトリョーシカになって面白かった。
↑これを考えて結構自分なりに納得のいく結論が出たのでここに投稿している。
等々、本に関係のあることないこと色々なところに思考が飛んだ。
読破に5日もかかったのは難しかったのもあるが、この考える作業に時間を取られたのも大きい。
先ほど挙げた上2つはググったら同じことを言ってる人がいたし、多分これも探せば既出なのだろう。
というか当たり前のことをアホがドヤ顔でエウレカ!と叫んでいるだけなのかもしれない。恥ずかしくなってきた。
でも思索自体が楽しく脳味噌を鍛えられる体験だったし、その過程で更に洗練された他人の思考に出会うことができた。
何故なら動画は自分の思考が情報を受信することで一杯になってしまうからだ。
本を圧縮した密な情報を、語り部という他人のペースで受け取らなければいけないので脳の処理がそれ以外に使えなくなる。
文字という情報媒体は自分の読む速度に合わせて情報が入るので動画よりも、脳のメモリに余裕ができるのだ。
youtubeにも一時停止機能はあるが、手間で面倒なので考え事をするためにわざわざ動画を止める人は殆どいないのではないだろうか。
第一、書籍よりも情報が少ないのでそれを土台として思考するにも限られてしまう。
話は脱線するが中田のこの動画は「生物学」+「歴史」+「科学」をまとめた本書の外から見た独自性を動画の最初で触れたところが凄いと感じた。これのお陰で内容を理解する下地ができて、話がわかりやすくなっている。
持論になるが解説動画の価値、求められている「わかりやすさ」とは本の内容をいかに単純化するか、ではない。
その本に書かれていない情報を本の中身に追加し、不足を補うことで視聴者の理解の手助けをすることにあると思う。
またyoutubeの動画が視聴者と本の架け橋となるのは素晴らしいことだ。俺自身サピエンス全史を知ったのはこの動画が切っ掛けだ。
だから中田敦彦の動画は最高だ。それは揺るがない。あっちゃんありがとう。
ただコメント欄に動画を見ただけで終わってしまう人がいて、それが俺には物凄く勿体ないことだと感じた。
今回改めて気づいたのは読書という体験の複雑さと楽しさだ。作業ではなく体験として読書にはそこへ時間を注ぐだけの価値がある。
人口抑制論が最初に登場したのは、トマス・ロバート・マルサスの『人口論』(1798)だと思うのね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E8%AB%96
マルサスの考え方に賛同して、J.S.ミルなども人口抑制を主張していたけれど、
「もっと前向きに考えようよ。人口が増えて食料が足りなくなるなら、食料を増やす技術革新をするべきだ」
みたいに言ってて、実際、18世紀に予測されていた危機は、技術革新で乗り切れたという歴史的経緯があるのさ。
基本的に人口抑制するためには産児制限するしかなくて、それは優生思想に繋がったり、女性の地位が向上しないと産児制限は無理だと言われたり、
いろんな人がいろんなことを言ってる(…があまり相手にされてない)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%BA%BA%E3%81%A3%E5%AD%90%E6%94%BF%E7%AD%96
これは人口抑制論者にとって、ある意味壮大な社会実験であったのだけれど、評価としては失敗だと思われてる。
一人っ子政策始めたら、みんな男の子ばかり欲しがって男女比が崩れたり(女性の地位が低いとみなされてるせい)、
少子高齢化が加速しちゃったりで、お世辞でも真似をしたいと言い出す国は現れそうにない。
先進国と発展途上国の対立も含めて、世界全体で人口を上手くコントロールできる施策を誰も思いつかない(不可能かもしれない)から、
この二つは似てますよ。
その議論の前に一つ主張すると、学問的な頭の良さと、勉強的な頭の良さは大きく違います。
学問的な頭の良さが「研究し、成果を出す」能力の高さなら、勉強的な頭の良さは「テストでいい点をとる」能力の高さではないでしょうか。
1.まず、答えのあり方について
確かにテストでいい点をとるためには「正しい解を効率的に一つ(またはあるだけ)出す」という能力が求められます。
しかし研究は誰も通ったことのない道を通る行為なので、正しい解というものがあるかもよく分かりません。解が求められたとしても
それは最善の解ではなく、次善の解であったりすることもざらです。さらにいえばそれを求める方法が一つとは限りません。大喜利のように
正しい解に繋がる道はいくつもあったりするわけです。何か定理を証明するにしても、それが正しいかもよく分からないし、証明する方法が一つだとも限りません。
答えがあるかも分からない、考えた答えが最善かも分からないけれど、目的に向かってタックルするところが学問とお笑いは良く似ているのじゃないでしょうか?
2.答えの文脈依存性について
テストの点において、それが一年前に行われたテストか、そうでないかで点が変わることはありません。
ただ、そもそも「面白い」ということが「答え」ではないと思うんです。例えばナイツはきっと40年度にみたら面白くないかもしれませんが
客観的に分析すれば、当時どうして受けていたのかについて一応の理屈がつくわけです。これは彼らがそれなりにいい理屈を出しているからだと思います。
ただその答えの価値、つまり面白さが文脈に依存している気がします。受け取り手がどう思うか、どう感じるかは時代、文脈によって変化していくわけです。
これは学問の世界でも同じです。200年前に重要だったテーマが今も重要である(評価される)とは限らないわけです。
マルサスの罠というものが昔はよく論じられていましたが、いまは全然評価されないとか。逆に突然、重要なテーマが出てくるときもあります。
例えばリーマンショックが起こったら、金融危機に関する研究が盛んになるとか。理屈が通っていれば解は出せるのですが、解の重要性は必ずしも普遍的なものでありません。
普遍的なものもありますが、それはお笑いも同じでしょう。古典落語とかまさにそうですよね。
人口曲線が『予測』出来るようになったのっていつからか知ってる?
走りはマルサスだけど、それ以後だって実は「人口増加」に関しては、グラフ作ってみて
「まー長期的に見てこんな感じに推移するんでね?」レベルで、一国の人口趨勢を完璧に予測するなんて
ほぼ無理ゲーじゃないっすか。
んで、人口対策なんだけど。
個人的に思うのは、左派的な家族解体攻勢や移民法案仕掛けなくても「教育は基本的に無料」
くらいのことやればいいんでないかと思う。教育費用さえ気にしなければガキなんて作れるし。
移民入れるのはもー、世界中でやらかしまくったから無理だし、現状で「ガキ増やせ」も無理。
そんな1かゼロかみたいなこと言われても。教育部分だけでええんでないですかい?
「産んで」「育てて」「教育する」の三つが、基本的には親の義務だとされてるけれど。
この「教育する」の部分だけを国家が、極めてソフトランディングな形で受け持てば、出生率上昇は結構
まぁ、国家が教育を受け持つってのは実は相当キケンなことではあるんだけどさ、歴史的にね。
でもまー、この辺りまでは妥協していいんでないかと思うよ。移民よかマシって意味で。
移民はマジめんどい。本人たちどーこーもめんどくさいが、国内で吹き上がるであろう反移民攻勢がウザイ。
まーでも、もっと言えばさ。
人口問題って、人口の絶対数の問題っていうよりは年代の偏差の問題なんだよね。
今の年寄りどもがどーにかなる大体30年後には、そこそこ落ち着いてるはずなんだよ。人口予測が出来るならね。
もう、抜本的解決よりも「どーやって耐えるか」に視野を移すという手もある。
フィクションにおける古代文明はわりと人類共通の「黄金時代神話(昔はよかった神話)」によるもので、
「黄金時代」の言葉のルーツはギリシャ神話である。ヘシオドスの『仕事と日々』によると、かつてクロノスが神々を支配していた時代が、黄金時代である。
黄金時代には、人間は神々と共に住んでいた。世の中は調和と平和に満ち溢れて、争いも犯罪もなかった。あらゆる産物が自動的に生成され、労働の必要はなかった。人間は、不死ではないものの不老長寿で、安らかに死んでいった。
その後、ゼウスがクロノスに取って代わると、黄金時代は終わりを告げ、白銀時代が始まった。白銀時代の人間はゼウスに滅ぼされ、青銅時代が始まった。以後、神話の英雄が活躍する英雄の時代、歴史時代である鉄の時代と続くにつれ、人々は堕落し、世の中には争いが絶えなくなった。
そうした理想郷が崩壊した理由を行き過ぎた科学に求めるのはSFの手法で、人口に膾炙したのは Final Fantasy のようなRPGゲームの影響が大きい。また、日本社会はアニミズムに親和性のある社会だったし、RPGゲームが出た頃には初等教育で公害問題を学ぶのが普通になっていたので、「理想郷が崩壊した理由を行き過ぎた科学に求める」ことの下地はあった。
Final Fantasy は、「奇跡の力を独占・横領する、あるいはそれを使うことで暴走する」存在が倒すべき悪として描かれているが、これはニューエイジ思想がファッション化され、エンタテインメントに組み込まれたもの。根底にあるのは科学に対する不信感。正確には科学に対する期待外れ感。これは、マルサス的な人口容量の限界を感じる精神と表裏一体。
科学に対する期待外れ感がフィクション作品にどのように反映されているかは岡田斗司夫「失われた未来」あたりで。
今、生き残っている文明は、環境負荷の増大による文明崩壊リスクを人口制限や科学技術の進歩で乗り越えてきているので、TYPE-MOON作品の「抑止力」と呼べるような精神性を持っているように思う(オカルト的発想だけども)。それがフィクション作品に「古代文明の崩壊」という形で表象している。
ガンダムと日本人 : 小沢一郎はシャア・アズナブル? 異色のガンダム論の新書発売
「小沢一郎はシャア・アズナブル」「ザク=零戦」などのユニークな視点で、日本人や日本の風土を引き合いに出してガンダムの魅力を論じた新書「ガンダムと日本人」(文藝春秋)がこのほど出版された。240ページで819円。
著者の多根清史さんは、季刊のアニメ雑誌「オトナアニメ」のスーパーバイザーを担当したライターで、国際政治学者として有名だった故高坂正尭(こうさか・まさたか)・京大教授の門下生。ユニークな視点の記事を執筆、アニメ分野を中心に活躍している。
第1章では、ガンダムに登場する「ジオン公国」と戦前の日本や世界の状況を比べ、第2章では、ザクを日本の戦闘機の零戦、ガンダムを戦艦大和に例えながら、ソニーの「ウォークマン」など小さなもの好きの日本人、日本製品の「縮み志向」などにも触れている。第3章では、ガンダムの舞台となる「スペースコロニー」に言及し、62年のキューバ危機や、18世紀の経済学者マルサスの「人口論」といった意外なキーワードとともに論じた。最終章となる第4章では、小沢一郎・民主党前幹事長が、自民党が政権を失ったときのキーマンだったことにかけて、ガンダム世界の宇宙世紀を破壊しようとした主人公のライバル「シャア・アズナブル」になぞらえ、類似点などを指摘した。著者の多根さんは「絵空事にすぎないアニメに、いい年をした大人が夢中になれるのかを真剣に考えた。ガンダムを通じて日本のよさを思い出してほしい」と話している。(毎日新聞デジタル)
自民党はもうちょっとうまいネガキャンの方法があったのではないか?と考える途中で思いついた論点