はてなキーワード: マスオさんとは
そのドアを開けるとマスオさんがいた。
「あ、ども」
「あ」
僕はマスオさんの斜め向かいにある角が少し破けたパイプ椅子に腰掛けた。
ヤニで変色したボロボロの三段ラックには古雑誌やコンビニ漫画が積まれていた。
「朝日…」
「ん?」
「いや…やっぱりマスオさんは朝日新聞出版の漫画じゃないのかなぁと思いまして…」
「アハハ、意外かい?」
「い、いいえ!別にそういう訳ではないですけど」
「好きなんだよね、彼岸島」
「い…意外ですね」
マスオさんは吸っていたタバコをグイと灰皿に押しつけるとすぐにまた新しい一本に火をつけた。
「たがわ?」
「のらくろって知ってるだろ」
「のらくろを世に送り出しのが田河水泡さ。最後にアニメ化されたのは昭和62年だから君は知らなくて当たり前だよ」
「僕とは直接関係ないけど長谷川町子は田河水泡の弟子だったのさ」
「田河水泡がのらくろを描いた時代は戦前だった。歴史の教科書なんかで見たことあるだろ?のらくろ二等兵とかさ」
「田河も時代に翻弄された漫画家の一人だった。戦時統制の中で漫画なんかけしからんという理由で連載を中止させられたりね。それなのに現代では戦意高揚を目的とした漫画だったと非難する声まで上がったりさ」
「勝手ですね」
「口だけ出して自分の手を汚さない連中が面倒なのはいつの時代も同じさ」
読んでいたヤンマガを丸めて肩を叩きながら蛍光灯の方へフーと煙を吐くマスオさん。
「戦後、田河は全国の小学校を表敬訪問して回った。それは戦争で焼け跡となった町でたくましく暮らす子供たちにとって夢のような出来事だった」
「憧れの人ですものね」
「鳥山明や尾田栄一郎がやってきたようなもんさ。田河は小学校に向かうと全校生徒の前で用意された大きな布や紙に筆でスラスラとのらくろを描き上げるんだ。それを見ている子供達の顔が本当にいい笑顔でね」
「目に浮かぶようです」
「僕はたまに思うんだ。漫画の人は漫画に生かされているのではなく漫画そのものが生きているんだとね。それを紙とペンで世に書き写すのが漫画家の役目なのかもしれない。田河もきっとそうだったんじゃないかな」
「マスオさんはどうするのですか?」
「カツオ…くん?」
「ああ、僕の甥さ。学校の勉強は苦手なようだけどなかなか賢い子でね。きっと大物になると思うよ」
マスオさんはヤンマガをポイッとラックに返すとすっと立ち上がり首を回しながら腰を叩いて笑った。
「僕たちの物語は続くだろうね、これからもずっと。まだあの黒電話とブラウン管がある平屋でさ。誰かが見てくれてるからとか描いてくれるからとかそういうのもあるけど、それだけじゃないそこで生きる僕たちそのものの証としてね」
「証…」
えっ!?
って思って調べてきちゃったぞ
婿養子(聟養子[1]、むこようし)とは、養子縁組と同時に養親の娘と婚姻を行う養子縁組の一形態またその養子縁組を行った養男子[1][2]。
日本では特有の系譜観のもとで家父長制的家督相続を目的として中世以降に成立した制度で、明治民法には規定が存在したが第二次世界大戦後の民法改正で削除された[2][3]。
なお、日本語では民法に定められていた婿養子の規定が削除された後も、俗に妻の氏を婚姻氏とした娘の夫の呼称として用いられることがあるが養子縁組がない限り姻族1親等にすぎず法的地位が全く異なる[2]。
今の日本語でいう「婿養子」は単に嫁の実家で暮らすマスオさんやそれに伴って嫁の名字になるような夫のことで、嫁の親と養子縁組結ぶことではないよ。
徴兵制度。それは就職・採用活動と名を変えて今でも日本社会に延々と受け継がれている。
卒業年度の翌日である4月1日。この日に正社員の職を得ていない者は社会の枠からはみだした者とみなされ、批難・嘲笑の的だ。徴兵検査で落とされた者、良心的徴兵拒否をしたものには社会は徹底的に厳しい。再チャレンジの芽は徹底的に摘まれる。
大学卒業後に半年間世界を放浪してリフレッシュした気分で仕事を探すなんてとんでもない。「ちょっと旅行に行くから徴兵検査を先延ばしにしてくれない?」なんて戦時中に言う奴がいるだろうか。
我先にと徴兵検査の列に並んで、上官殿に踊れと言えば踊り、歌えといわば歌う。兵士を目指す者として当然だ。徴用されるまでには何度も何度も別の列に並ぶのは極めて一般的である。
苦労して徴兵検査に合格したとしても彼らを待っているのは帝国陸軍ゆずりの初年兵いじめだ。古年兵は初年兵より常に偉く、常に正しい。
「兄より優れた弟なぞ存在しねえ!!」と。
一流大学でコンパイラの最適化を研究していた初年兵よりも、HTMLすらまともに書けない古年兵の方が圧倒的に正しい。よって彼らから礼儀作法や精神論などを徹底的に叩き込まれる。おじぎの角度や名刺の渡し方が何よりも重要なのは言うまでもない。
この過程によって「新人の自分のほうが優秀な部分もあるはずだ」といった反逆思想は矯正され、「大学で学んだ事など社会ではなんの役にも立たない事が分かりました。先輩のやり方をそっくり踏襲させていただきます。」といった優秀な兵士に育っていくのだ。
そうした思想矯正研修を無事に修了したら初めて配属部署が決まる。間違っても初年兵が自分のやりたい事を選べるなどと思いあがってはいけない。
仕事よりも面子が大事なので、それを守るためにルールが沢山あるのは当たり前。上司や先輩が残業しているのに先に帰るなどはもっての他だ。毎日夕方に家に着いて家族とご飯を食べるなんて夢は諦めた方がいい。そんなのはサザエさんの世界の話だ。マスオさんにしか許されない幻想だ。初年兵諸君は決して惑わされてはいけない。
日々乗っている快適な満員電車が人身事故で遅れたとしても会社に遅刻するのは決して許されない。長い列に並んで遅延証明書なるものを貰っても効果はあまりない。叱責のセリフが「遅刻した事には変わりがない。2本前の電車に乗っていれば間に合っていた。」などといったありがたい小言に変化するぐらいである。
ちなみに開始時間には非常に厳しいが終了時間には無頓着だ。仕事が長引いても延長証明書などは発行してくれないのでプライベートの予定は最初から入れないように気を付けよう。
もし君が「荷物が家に届く予定なのでそれまで自宅で作業してから出社します」なんてメールを送ろうもんなら、係長、課長、部長クラスまで集まって反逆思想矯正のための対策会議が開かれることだろう。
(他にも上司より高いランチを注文してはいけないなど、数限りないルールがあるのだがキリがないので割愛させていただく。)
さて・・・このような数限りない理不尽に耐えている会社員はさぞかし高い給料を貰っているに違いないと皆は考えるだろう。
否っ!全くの反対っ・・!
過去20年で他の先進国の賃金がどんどん上昇して行っているのに比べて、我が国の賃金はどんどん下降している。
専門職にいたってはわが国の賃金は他の先進国の半分以下といった水準である。大企業でも昇給はすずめの涙。入社二年目になったら住民税が引かれるので手取りはむしろ減るのが当たり前だ。
答えは簡単。ここまで書いた全ての事を逆にすればいいだけだ。
俺は小さい頃から鉄道が好きで、鉄道関係のサークルに所属していた。
工学部なので元々女子は少ないが、俺には短大1年生の愛美という彼女がいた。
彼女は俺にとって色々な初めてさんだった。
JR東日本から『土日きっぷ』というフリー切符が発売されていて、俺と愛美は東北地方へ行った。
俺は愛美の膣内にリモコンローターを入れて、東北新幹線と併結して走る山形新幹線に乗り込んだ。
時々ローターをONにすると愛美はモジモジし始めた。
福島駅で東北新幹線と切り離される頃には虚ろな目になっていた。
新庄駅から陸羽西線で酒田に出て、在来線特急『いなほ』に乗り込む。
愛美の足取りはおぼつかなく、スカートから覗く内股を愛液が伝っていた。
新潟へ向かうその特急は乗客が少なく、乗った車両には俺達の他に乗客は4~5人しかいなかった。
俺はチンポを出して、愛美のびしょ濡れのパンツを脱がして挿入した。
お互い反対方向の様子を警戒しながら電車の揺れに合わせて腰を振った。
愛美は感じても声が出せず、泣きそうな顔をしていた。
「はふん・・・」
ずっとローター責めをされてたせいで、生肉棒を入れられたら5分でイッてしまった。
駅で穿き替えたスカートはスリットが入っていて、混雑する電車内で挿入できるように改造してあった。
俺達はわざと遠回りになる山手線外回りで、俺のアパートのある新大久保まで合体しながら帰った。
アパートに入った途端、愛美は俺を押し倒し、騎乗位で腰を振った。
「1日ずっと焦らされたら狂っちゃうよー」
大声で喘いでイキまくった。
そんな事をしていた俺達だが、今は夫婦だ。
駅に着くたびにプラットホーム側のカーテンに僅かな隙間をあけて、その方向に合体部分を向けてセックスした。
何人か覗いていた。
興奮した・・・。
1階は駐車場とバスルーム等と両親の部屋、2階はLDKと和室。
俺達夫婦と生まれるであろう子供たちの部屋は3階なので、遠慮なくたっぷりセックス出来る。
俺は現在空いている子供部屋にNゲージの鉄道模型を広げて遊んでいる。
夜は特急電車の先頭車両の模型をコンドームに入れ、目隠しをした愛美の膣に挿入して、愛美はその車両を当てる遊びをしている。
「これ、なーんだ?」
「アン!スーパーあずさ!E351系」
そう言ってグリグリする。
「アアアーン!」
「次はこれ!」
「あ!いやん!山形新幹線・・・最初のつばさ・・・400系・・・」
形も何となく肉棒に似てる。
膣から『400系つばさ』を抜くと、愛美は俺の400系を引っ張り出して、ぱくっ!
こうして夫婦の宴が始まるのだ!
当方30代既婚、妻の実家に住まわせてもらっているマスオさん状態。
勤めている会社はそれなりに福利厚生も充実していて、有給も比較的簡単に取れる職場なのだが、個人的理由でほとんど有給が取れない事態になっている。
原因は義母。この義母は「社会人の常識として会社は何があろうと絶対に休んではならない、有給など言語道断」という価値観の持ち主なのだ。
今話題のブラック企業について説明して、社員を適度に休ませることも会社の義務なんですよと穏便に話をしてみても
・たとえ有給という制度があったとしても、あなたが休んだ時点で他の社員に必ず迷惑をかけてしまう。他人に迷惑をかけるのは絶対にやってはならないこと。
・社会人が有休を取っていいのは親が死んだときだけ。私たちの時代はそうだったし、今も当然そうあるべき。
・風邪?怪我?体調管理がなってないからだ当然自己責任だ会社行くべき。
とまるで話にならない。義父は話のわかる人なのだがいかんせん内向的で口下手な人なので義母の押し出しの強さの前には無力。
大変なのが体調崩したとき。風邪ひいて辛くて会社休みたくても休むとずっと説教が続いてむしろ精神的にダメージ受けるので、
頑張って会社行って会社着いたら上司に事情話して有給扱いで会社の休憩室で横になって、落ち着いたら病院行かせてもらっている。
妻はもちろん自分の味方で義母に反論してくれるのだが、この2人似たもの親子でとにかく気が強くて、口喧嘩では相手が根負けして黙り込むまで自分からは絶対引かない性格。
この問題で言い争いになると自分を挟んで何時間もずっと論争が続く。いたたまれない。
とにかくたまに休んで家でのんびりする、とか妻と2人で出かける、という選択肢が非常に取りづらい環境なのがストレス半端ない。
貯金は多少ある。病気すれば飛ぶ程度の、心配する親戚からしたら雀の涙ほどの。
実際ニートの定義のとおり、勉強もしてないし働いてもないし訓練もなんもしてない。
親元で暮らしてるが、たぶん頑張れば親の金に手をつけないままで数年はニートできるかもしれない。
だが親が倒れればそんな金は端金だってのもわかる。
ずっとフリーター生活だったが物欲に乏しかったので少しは溜められた。
最初は1ヶ月くらい開放的な気分になったら働く気でいたんだけどね。
やっぱり性根が働くの嫌で、意外と働かなくてもそれなりに生きてられるみたいだったから。
SOHO的なノマド的なチープな生き方も試してみたが、結局やる気がおきない。
覚悟という言葉は実際のとこ相応しくはないが、ここで人生途切れても大して後悔はない。
ただ今死なれても家族親戚が困るだろうなーということだけ思う。
家に誰もいないときはニコ生やってんの。死ねよって思うでしょ。俺も思う。
昔から性根はこんな感じのやる気おきない感じで、リビングデッドって具合。
若いころは社会の歯車であるリーマンなんかになってやるかって思ってたが、
マスオさんやクレしんのひろしが遠い存在であるように俺はリーマンにすらなれなかった。
今はもう小さい歯車であることに忌避感すらなくなったが、なんというかもっと巧く生きたいね。
ここで「生きたかったね」と過去形にしないあたりがぐだぐだ生きてる所以。
錆びた小さいこの歯車の、せめて錆を落としてくれる人はいないもんかなー、ってさ。
なんだかなあ。