はてなキーワード: マスオさんとは
実の父から「『軒を貸して母屋を取られる』という諺の意味を知っているか!」と知識マウントを取りつつ反抗的な私に対して牽制しようとする発言をいただいたが、その文脈で言うと私は母家にいる方だし知ってるから知識マウントにもなってない。
で、なんでそれを言い出したかって言うと、家族で飯を食ってて、父がリビングから出る際に「自分はいずれ戻ってくるからドアは開けっ放しの方が楽」と利己的な理由でドアを開けっぱなしにしてしまいリビングがクソ寒くなるので家族がいちいち閉めなきゃならず、実際は数秒どころか数分は返って来ず最悪そのままトイレとかまで済ませてこようとしてしまうこと食事中に何度も私から注意されたから。
自分の決めたルールは自分にとって合理的に見えればよく、「他人がどう感じるか」はいくら説明しても理解できない。
父にとっては私が実家を乗っ取って追い出そうとしているように見えているらしい。
一方、父は母方の実家の近くに住みちょっとしたマスオさん状態で、祖父が認知症で施設に入るや否や、祖父の管理していた土地を勝手に使い始めて実効支配しようとして家族から怒られている実績がある。
おそらくそんな自分の姿が私にも投影されているのかもしれない。もしくは子供(37)が口答えするなと言いたかったのかもしれない。
現時点で体力や認知能力に対して要介護認定をもらうような状態にはないが、(特に自分の関わらない事柄への)記憶力の著しい欠如や思考放棄がここ数年目立つようになり、私の中では後期高齢の精神的な子供という位置付けになった。
先日は父が予定していた時刻を数分遅れそうになっただけで、焦りからか車の運転が無言で乱暴になり事故りそうになったりと、家族への実害が起こりかねない状況も見えてきた。
しずかちゃんだけ野比しずかになってて、のび太はのび太のままで色々吹き上がってるが
なんで野比しずかなのか?→選択的夫婦別姓なのでそちらのせいになることを選んだだけでしょう
なんで野比しずかになったことに疑問を持たないの?→どっちでもいいことに対してなんで疑問を持たないといけないの?
としか思えないんだよね。ただ、興味深いのは
この話ってどんな感じになるんだろうか。もともとの原作が昭和のものだから、当時なら婿養子はあまりいなかった。もっと遡ると普通にいた。
マスオさんなんかいい例だし、昔の戸籍を見ると割と婿養子はいたけど、それも家の姓を守るためなので、どこか男尊女卑の匂いはする。
昨日とある増田に書き込んだところ、他の増田に「セックスのことばっかり考えてるんじゃないの?」とコメントいただいた。
よく、高度経済成長以降に近代の家族制度が変容したことが語られる。
1961年の農業基本法の趣旨の一つは、大家族による人数をかけた従来の農業経営に機械化のメスを入れるものだった。
こうして農村部を中心に最後まで残っていた江戸時代以来の大きな家族というものが解体され、教科書で習うような核家族化が進む。
はてなでよく家族形態や婚姻形態の変化や現状の課題が俎上となるけど、その淵源の一つにこの法律を位置付けられる。
私はよく、こうした大家族から各家族への変化を「サザエさんのような家」から「クレヨンしんちゃんのような家」への変容と紹介する。
何と無くイメージできると思うが、一つ世帯に三世代が住みさらには「オジオバ」「オイメイ」が同居する形態は、近年かなり少なくなったと思う。
サザエさんの時代はまだこれが一般にイメージしやすかったのだろう。
クレヨンしんちゃんの時代になると、みさえは熊本、ヒロシは秋田からやってきて埼玉で家族を作る。
郊外に住宅が広がって平成狸合戦ぽんぽこみたいになる世代。ニュータウンの時代。
オマセなカツオくんや多感な年頃のワカメちゃんに、サザエさんやマスオさんはどう対処するのか。こればっかり考えている。
こうしたとき、波平さんやフネさんがいるってことはとっても重要だ。
きっと波平やフネは、それぞれの立場で子供達に姉のしていることを時に上手く見せないようにしたり、時が来たらしっかり教えたりとかしていたのではないか。
少なくとも、大家族の形態ではそうした機会を持ちやすいのではないかと考えている。
一方、クレヨンしんちゃんの家庭ではなかなかこういうことは難しい。
初期クレヨンしんちゃんで、みさえとひろしが夕食の時に今晩セックスしたいかどうか子供にバレないように特定のサイン・符丁を出して確認し合う場面がある。
しんちゃんがこれに気づいて乱入してきてギャグになるのだが、非常に象徴的なシーンと思う。時代は変容していることがここからはわかる。
核家族では、子供への教育や性生活といったものが、夫婦に集中して責任としてのしかかるのだ。
もちろん家父長主義的な家族形態に戻るべきという主張をしたいわけではない。
大家族のデメリットを克服しようとして現代がある(とナイーブかもしれないが信じたい)。
ただ、平成狸合戦ぽんぽこに一抹の寂しさを見るように、個人的にはここにはかつてへの憧憬がある。だからサザエさんとマスオさんのセックスばかり考えてしまう。
今を生きる現代人として、現代にとってより良い、より楽しい、よりポジティブな、より効率的な、より費用対効果のある家庭像あるいは地域社会像というものを常に思索しながら、自分も家族と日々を過ごしていきたい。
眠れないので書き殴る
捻くれた家族の中で育った
暴力を振るう母
無関心な父
意地悪な姉
姉と同等に意地悪なわたし
父は婿で、いわゆるマスオさん的なポジションで、ずっと自室に引きこもっていて、私や姉が殴られていて泣いていても一切自室から出てこなかった。
思えば家族喧嘩は、いかに相手が傷つくか、そういう言葉の殴り合いだった。問題はいつも解決しない。
いつもギスギスしていて、さらに私は、1番子供で語彙力も無くて非力だったからいつも見下されて、殴られていた。殴られた次の日には、誰も何事も無かったような態度に戻る。
家にいるのが辛くて就職時に家を出た。
夫と喧嘩した時、夫が傷つく言葉を無意識に探している自分に気づいて死にたくなった。
喧嘩の解決になる訳でもないのに、目の前の人が傷つく言葉を探してる。なんて私は性格が悪いんだろう。夫が泣いてしまった。どうしてこんな酷い言葉が言えたんだろう。
夫と夫の家族を見てると、惨めになる。
お互いを尊敬してて、家族で助け合ってて、いつも感謝しあってる。うちの家族には無い。足の引っ張り合いもしない。もちろん暴力もない。
母曰く、謙遜しただけと言ったが、その時の義母の顔が忘れられない。
私は惨めだった。
こんな人間でごめんなさい。
3.小田真理とか佐藤敏夫みたいに別の意味を持つ単語と同じ読みになる
この辺はまぁ、わかる。
旧姓が神宮司だったのに配偶者が山田...みたいなのも心情は察する。
でも、嫌だって言ってる人の理由ってだいたいこの辺に含まれないよね?
アイデンティティが、とか夫の所有物にされる、とか。正直理解できん。
そんなに名字に縋って生きてんの?名字が変わったら自分じゃなくなるの?それはそれですごくね?
男はいいよねって言われるから書いておくけど俺は長男で他に男兄弟はいないけど
結婚するとき「名字どうする?俺どっちでもいいよ?」って言って妻の方になってるから。
婿養子とかそういう話でもなく、ただ本当に名字っていう符丁が変わっただけ。
手続きは確かに面倒だし、なんで変更にこんな金かかるんだって思ったし、
母親の言動を見ていると、老後の面倒を見てもらいたいと言うのなら、少しは周りがケアしてあげたいと思われるように行動したら良いのにと思う。ここまで愛想を尽かされて、未だ面倒を見てもらえると思ってるのだろうか。
僕のことを投資回収に失敗した(または奪われた)息子だと思っているようだけど、明確に違うと言っておこう。身から出た錆だ。
僕の母親は、幼少期から尽く僕ら兄弟の短所を取り上げてはもう一方と比較をしながら怒る人だった。主によく怒られるのは僕の役目なので、怒られないようにと意思表示を控えるようにすると、お前は弟と違い主体性のかけらもないというのが常套文句になった。子どもながらにして彼女の子育て方針は大変嫌いで、今も変わらず尊敬とは真逆に位置する子育てに関する反面教師である。後々弁解を聞いてみると、かわいい対象は弟、頼る対象は僕なのでしつけのためによく叱ったということらしいのだが、未だによく意味がわからない。
僕が社会人になると、今度は彼女の周囲のトラブルやら不安やらがあるたびに電話を連呼してくるようになる。仕事中だろうがこちらの都合はお構いなしに、1時間以上脈略なく話し続け、最後は怒鳴り散らしてくるヒステリックぶりである。ある時は夫婦喧嘩を仕事中に持ち込んできて、勝手にブチ切れ失踪する始末で手に負えない。故に彼女からの便りはロクなことがないので、電話が来るたびに今でもトラブルかと焦ったり憂鬱な気持ちになったりする。
僕が結婚し、今後の子育てのことを考えて妻側の親の力を頼りやすいように妻の実家寄りの A 県を拠点に選ぶと、今度はそれが気に食わないらしく 僕の実家の B 県寄りの場所に住めと、会うたびにチクチク言ってくるようになる。じゃあお前は育児を手助けしてくれるのかと聞くと、ウェットな付き合いは嫌いだと言う。
子どもが生まれ、子どもを連れて僕の実家に帰ると、昔から僕ら兄弟を遊ばすのが上手だった父親は、いつも率先して子どもと一緒に遊んでくれる。当然子どももすぐに心を許し懐くようになる。子どもというのは鏡みたいなものなので、こちらが開放的で歩み寄ると懐いてくれるし、そうでなく距離感を設けると向こうも警戒心を持ちなかなか懐いてくれない。自己防衛心が強くいつも他人の顔色を伺って生きている母親には当然子どもたちは警戒するので、なかなか懐かない。それがまた気に食わないらしく、立地が離れて会う頻度が少ないせいだと攻撃してくるのである。2〜3ヶ月に1回は帰っているので、じゃあ毎週なり毎月なり帰ったらいいのかと聞くと、ウェットな付き合いは嫌いだと言う。
子どもが大きくなり、さらに一人増えたので、部屋の狭さが問題になってくる。部屋を広げようと思うと賃貸の家賃は馬鹿にならないため、僕らも持ち家を具体的に考えるようになる。 B 県での生活は僕にとっても家族にとっても馴染んでいることと、育児状況を考え、今の立地周辺に物件を探し始める。
一応筋は通そうと、会った時にその方針を僕の両親に伝えると、母親は案の定 B 県に住めとか、間とって都内にしろとか言ってくる。なお、後述するが、妻の実家を建て替えて二世帯化するというプランもこの時点で考え始めた。が、炎上不可避事案なのでまだこの時点では出したり引っ込めたりを繰り返した。
次に、 B 県に新居を構えた弟夫妻は優しいのにと、お決まりの比較を話に織り混ぜてくるようになった。うんざりだ。弟夫妻はともに実家が同じ路線上の B 県内で、夫妻の実家が B 県と A 県とで離れてる僕らとは状況が異なる。百歩譲って比較するにしても、彼らも奥さん側の実家に近い立地を選んでいる。勝手に自分の都合の良いように解釈しないで頂きたい。
しまいには、自分はパートしつつ祖父母に頼らず自分の腕一本で兄弟二人を育ててきたので甘えるなとか、妻の仕事を辞めさせて専業主婦にしろとか言ってくるのである。
前者はかなり現実歪曲が入っている。まず親父はだいぶ家事育児するほうだった。母親はというと、数年もの間パソコン通信やポストペットにはまりネット依存から昼夜逆転生活となり、肥満や肌トラブルをはじめとした体調悪化と家事放棄を招いた。親父の堪忍袋の緒が切れ、離婚騒動が2回ほど起きたことがある。よく腕一本で育て上げたなどと言えたものだ。ちなみに今はジャニオタである。
後者は、もしかすると、女性のキャリアに関心の欠片もなく、昭和の頃の価値感で生き続けている彼女に、確かに共働きを理解しろというのは難しいのかもしれない。ただ、老害の如く自分の価値観を今の世代に押し付けないでほしいし、ジャニーズのビデオばかり見ていないでニュースを見たり読んだりして、少しは今の世の中を学んだほうがいいと思う。
さて、そこまで注文付けるなら少しは金銭面なりの支援なりしてくれるのか。当然そんなわけはなく老後を考えなきゃならないから出さないし、物件贅沢してるんじゃないかと言ってくる。加えて、10歳離れた親父の方が先に亡くなるだろうから、購入予定の家なりで自分の老後面倒見てくれるつもりなのかと聞いてくる始末である。
そのうちに、義母の病気や、義祖母の不幸、父の痴呆進行、子どもの障害発覚、などが同時点に重なった。どちらの家に看病に行こうにも子どもたちがいるので思うように動けず当時は正直かなり大変だった。
今回分かったことなのだが、車30分以内で行ける程度の近さでも有事の際は結局住み込む必要が出てくるので、ドア一枚で繋がっているくらいが理想なのだ。色々考えた結果、各家庭が分散して住むよりもいずれかの世帯の拠点を寄せたほうが、つまり二世帯化したほうが、結果的に動きやすくなるだろうという結論に至った。で、どちらに寄せるかを考えた結果、今お世話になっている子どもの療育の施設に近く、育児に協力的な妻の両親側に寄せる案に当然ながら分が出る。そもそも僕の実家は 3LDK マンションなので二世帯は不可能だ。妻の実家は二世帯を建てられるだけの十分な広さの土地があった。
僕の両親への説得をリベンジし、最終的には親父から、おそらく自分が先逝くことになるだろうからその後の母親を介護してほしいという条件付きで、なんとか承認された。誰もが自分以外の心配をしている中、母親は、もし父親の認知症が進んだ場合の介護側の、つまりは彼女自身の心配に終始固執していた。あとは、お前はマスオさんか、だとか、お前だけ A 県で新居はずるいと嫉妬してたりしていたが、もう話を通せた後なので何も聞かなかったことにした。
ということで、妻の実家を建て直して、二世帯生活をスタートさせた。この他にも、この後にも、語り切れない量のいざこざが勃発しており、今もなお僕の母親との関係性は最悪である。
正直、先の短いひねくれ人間よりも未来のある子どもたちに最大限のケアと投資をしてやりたいと考えているので、今でも妻の実家との二世帯を選んだのは最適解だと疑っていない。母親とのトラブルは定期的に来る災害みたいなものだと割り切るようにしてはいるものの、もう正直縁を切りたい気持ちである。