はてなキーワード: フォロワーとは
20代後半で母親と実家(賃貸)暮らし、尚且つ中卒でフリーター、趣味は2次元、腐女子、貯金なし、恋人いない歴=年齢
高校中退とかではなくそもそも高校自体に勉強が嫌いで通っていない
何でそんなに人生楽しそうなんだよ
こっちは結婚して(結婚自体には後悔はない)、今後のキャリアどうしようかって毎日悩んで憂鬱なのに
貯金しなきゃなとか、住宅ローンがとか色々と考える事多過ぎるのに
何でそんなにお気楽に生きれるんだよ
フォロワーよりも歳上だけど、あの時の自分はかなり人生に焦ってた
そもそも、呟きを見ると中卒であること自体に焦りも無いし、ずっと無資格非正規でもこのままで何とかなると思ってるみたいで凄い
自分が毎日悩んでる事って実はくだらない事なのか?と思い始めて全てを放棄して投げ出したい衝動に駆られる
生きるのって辛いね
Twitter で、フォロワーが別のフォロワーと会ったというツイートをすると気が狂いそうになる。
なんで Twitter で知り合っているのか。なんで自分はそこに入れなかったのか。同じ孤独な人同士ではなかったのか。
せっかく Twitter でゆるい繋がりと思って相互フォローになったのに、自分以外の人と会うことが許せない。
どうせセックスしてるんだろ。そしてまた自分は他人から見捨てられる存在になったのか、と、惨めな気持ちになる。
一方で、「なんでこんなに気が狂いそうになるんだ?」とも思う。多分世間の人は「どうだっていいじゃない」と言うと思う。
どうだっていいこととして許容は絶対できないけど、なんとなくその気持ちもわかる。
これって何かの病気?
https://blog.tinect.jp/?p=80847
この作品集の登場人物たちには「東京をやっていこうとしている」という言葉がよく似合う。彼らには「東京」への過剰適応、いや、「東京」への依存というべき性質がみてとれる。それで自分自身を救おうと頑張っているのに、実際には足元をすくわれている。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20230307/1678181885
そうしたわけで『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』には、自分の物語を生きている主人公がいないようにもみえる。主人公たちは、他人のことをよく見ていて、他人を見上げたり見下したりしている。自分自身のことも冷ややかに見ている……ようにみえるが、実際のところ、この登場人物たちは自分自身が本当に欲しいものがなんなのか、目星がつけられていないようにもみえる。「東京」をやっていく能力や背景が足りなかったのが表向きの躓きにみえて、実のところ、自分の物語、自分の執着についてこの人たちは把握できていないのではないだろうか。その結果として、東京という物語に人生を乗っ取られたマリオネットのように欲しがり、行動してしまう。
https://amamako.hateblo.jp/entry/2022/01/28/195109
そしてそうであるがゆえに、「正しさ」を求めてフォロワー数という神を信じる行為が、むしろその神に振り回され、「自分がどうあればいいのかわからない」という不安を生み出し、そしてその不安を解消するためにさらにフォロワー数という神にすがるという、負のスパイラルが生まれるのです。つまり、構造的に「フォロワー数」というバイオモドキ神は、その神にすがる限り、メンタルを悪化させ、「メンヘラ化」を促進してしまうわけです。
https://note.com/sizes/n/n3a481a971253
我々が求めていたものは一体なんだったのか?と考える。作業窓だったはずのDiscordで陰口を叩き合うこと?「#絵師進化録2022」をミュートワードに設定しながらいそいそとクロッキーを始めること?切磋琢磨していたはずの相互の絵描きが抜け駆けして、いつの間にかリムーブされること?とてもそんなふうには思えない。人生は有限で、他者に捧げれば縮減する。どれだけの人間が、あなたの人生を略奪していったのか?
東京、配信者、絵描き、題材は違うが、似たものを論じている記事を読んだ。
何かしらの成功に憧れた結果、心身をすり減らしてしまう。そんな人たちに向けた警句でもあり、救いの手でもあるのだろう。
自分も、ツイッターでそういった人をしばしば見るし、(紹介した記事ほど上手く言語化はできないけど)似たようなことを考える。それで、老婆心からつい声をかけたいなあと思う。基本ROM専で特に接点もないからしないけど。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20190222/1550830348
それでも、人間の行動・発達・人生には多かれ少なかれの寄り道があってもおかしくないはずですし、症例として事例化すべき人と、症例未満のものとして目をつむるべき人の境目はつねに曖昧であるはずではないか、と私は考えています。
ただ、上の記事が言うように、多くの人間はある程度そういう所があるんだとも思う。
例えば、昔は陽キャ&リア充って感じのサッカー少年、そして今は自立した立派なサラリーマンをやっている順風満帆そうな人を想像してみてほしい。
そんな彼だって、東京でSAPIXがどうとか言って受験戦争をする者の如く強いサッカークラブに憧れたり、フォロワー数を伸ばすために色んなことをする超てんちゃんの如く練習法を変えたり、さいとうなおきやディープブリザードの言葉を聞く絵描きの如く有名選手のインタビューを見たりしていたのかもしれない。また、社会人になっても、周りの社員にサッカー少年時代のようなコンプレックスを感じるときはあるかもしれない。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20190217/1550390275
その一方で、実際にバカッター案件となるような炎上を起こしている学生は非常に少ない。たとえ年間10人やそこらの若者がバカッター案件をやらかしたとしても、それは1000万人のなかの10人程度のことである。交通事故のリスクに比べると、バカッター当事者になるリスクはずっと低い。
多分、僕たちが思ってるよりインターネットで身を崩す人はずっと少なくて、みんな適量用法を守って嫉妬や渇望に付き合っていると思う。
でも、そうじゃない人のためにこういう記事があるべきとも思う。
もうほぼ残機ゼロみたいなとある作品に長年オタクとして住んでいるんだが、この数年は色々あって俺の感覚ではオタクがごっそりといなくなった。
もうこれ言うとわかると思うけど、初代があまりにも最高爆売れ過ぎてその後のシリーズがパッとしない感じになっちゃったわけよ。人気はあったけど、たしかにストーリーに無理矢理感があったのは俺も否めないなと思う。
それでもそれぞれのシリーズで残ったオタクはいた、ライブも行ったな、カフェも行ったな、楽しかったなおまいら。俺はめちゃくちゃ感謝してるんだけども、特に女性オタクはグッズにバンバン金使ってくれる(もちろん男性も使うけど、現地や普段の呟きとか見てても女性の方がかけてる金額がダンゼン多い)からこまめに新グッズが出てたのもありがたかった。女性オタクのランダムグッズへかける情熱すごいよな。
それが、多分だけど、俺の感覚だけど、一番新しいシリーズになった時、本当に今までがなんだったんだ?ってぐらい人がいなくなった感じがした。それまでは新シリーズになるたびに批判や担降り的な感じで薄まってはいたけど、一番新しいシリーズでは薄まったとかじゃなくて、いなくなった。本当に。実際に新しいのは見ない、もういいや、別作品じゃん、みたいな、それまでは習慣的に見てた人が本当に見てないような状態で、ツイート(今はポストだがツイート時代なので)でも一切触れない人を結構見かけた。その作品繋がりで知り合った人たちも、もう別の作品のことばかり呟いていた。俺は気まずいながらも作品について呟いた、シリーズを支えたかった。
しかも残念なことに金払いのいい女性オタクがその後のグッズを買わなくなり、最近は残ってる人で内輪状態になっているらしい。俺はあんまり買わないから、フォロワーさんに聞いた話だけど。みんなグッズ売りに出してるよーとか、中古や持っていった、とか聞くと、どうしてそんなにすっぱり辞められるんだ?と俺は寂しくてしかたがないんだが。作曲家の事件もまあ影響はあったかもな、、、あの時曲を守りたいがために擁護したオタクに嫌気がさして去ったり距離を置いたオタクもいた。
こんなに衰退するんだって驚いた、これが全くなんの動きもなかったならしょうがないけど、映画とかもあったし、イベントもコロナの影響はあったがあったし、そもそも新シリーズが続いていた頃から客離れがだんだん加速し始めていたのは、なんでなんだろうか。普通逆とまでは言わないが、何かあるたびにオタクが減り続けるの、なんでなんだろうな。
一番の収入源であるライブグッズも在庫があんまりないし、グッズ買いまくってたオタクはもう灯火ぐらいしかいない、男オタクはいわゆる無限回収する人少ないし、イベントで頼りになる男オタクもみんな他所に行った、前まで活気のあったタイムラインもみんなアカウント変えたりしていなくなっちまった。
Twitter(現X)で、趣味のつながりで10年以上相互フォロー状態の人間が無数にいる。
以前はオフ会などで直接会って交流をし、それなりに活発な付き合いがあった。
出会った当初大学生だった私も、就職し、結婚し、今では子育てをしている。
以前ほど趣味にのめり込むこともできず、今は界隈の中心にがっつりいるわけではなく、幽霊部員のような感じだ。
まず大前提として、結婚して、子育てするだけが人生ではないと思う。その選択が素晴らしく崇高なものでもなく、独身で子どもを作らない選択も尊重されるべきだとも思う。
こうした原則を頭では理解していながらも、出会って10年以上、社会的な立ち位置が変わらず、言動も特に変わらず、冷笑しつづけるネットユーザーのような旧友を見ているのが辛くなっている。
変わらない趣味の投稿の合間にフェミ叩きをし、エアプの子育てについて的外れな物申し方をして失笑されている。
ずっと地元の人間とだけ交流をし、視野狭窄の「地方都市マイルドヤンキー」を嘲笑する文化が以前はあったように感じる。
その「地方都市のマイルドヤンキー」感が、そうしたフォロワーたちに出てきて正直きつい。
女性登場人物がレイプされるアニメを嬉しそうに拡散しては「そこに痺れる憧れる」みたいなはしゃぎ方をしているのは流石に小学生の親としてこたえるものがある。
以前のように、共通の趣味を無邪気に語り合える日はこないと思う。正直寂しい。
繰り返すが、決して結婚して子育てしているのが偉い、といった話ではなく、居心地のいいネットでずっと同じノリを繰り返すのではなく、年相応の社会性や見識をもってほしいと思った話だった
IT屋で極端なバカは少ないからじゃないの?(いないとは言わない)
あとAdobeも積極的にAI取り入れてるし、アニメ制作にもとりいれてるし、
あたおかな皆様のお気持ちに配慮して搭載しないとか言ってんのマジで日本企業だけだと思う
つか生成AIが広まった頃、AIを正しいことをいう先生とみなす子が出そうで怖って思ったが、
AIが学習するために詰め込んだレベルのテキスト(無償)で世の中だいぶまともになりますわ
あと、AIが学習するために詰め込んだレベルのテキスト(無償)でだいぶお仕事楽になる
https://togetter.com/li/2254023
LGBT界隈で持て囃されていたキラキラトランスジェンダーの本性が暴かれた衝撃の事件。
「女の子になりたい」
アラサー男性が口紅に挑戦するエピソードが大反響を呼び、一躍5万超フォロワーの人気エッセイストとなった「いちとせしをり」
「可愛いってだけで許されてる女を滅○刺しにしたい」
「自サツするなら強カンでもしちゃえばいいのに」
可憐で健気なポエムからは想像もつかない、いちとせしをりの過去ツイートが明るみになる
芋づる式に裏垢も見つかり、大量の女性への殺意や蔑視、性加害発言…あまりのキャラの違いに騒然となった
・鬱病や元恋人の女性が亡くなったことで精神的に荒れて女叩きをしていた(?)
・別に女になりたいわけではなかった
〇インプレッション数が多いだけの一般人が専門家面して本を出す。
編集も売れるから売ってるだけでしょ。だから判断基準がフォロワー数なだけだし。
面白い人から書籍化するのであればフォロワー数なんて気にしない。
というか、俺も20年前の時点で「これからは弱者路線だ」と完全に見定めていた。
10年以上前の俺はその路線を意識してネットで振る舞ってたし、実際、そういう売り方でバズる人もいた。
店長のはルーツがだいたいわかる。文芸的な語りの路線で弱さアピールしてた。
「強い男になれない僕の姿を見て、これこそが現実、これこそが真実」ってやつね。
ちなみに俺は学がなかったので、そういう文芸路線は出来なかったし、大嫌いだった。
それもあったので、店長が弱者アピールをするたびに俺は一方的に攻撃した。
さておき、自分が弱者になるにあたり、本当の弱者とはなんだろうと考えに考えた。
そこで辿り着いたのは
「ネットワークでつながる領域の真の弱者、それは友達がいないこと、仲間がいないことである」
だった。
まず頼りになるバックボーンを持たないこと。
甘えると言っても、ファンコミュニティに入ってしまうと仲間を作ってしまう。
ギャルゲーの女の子であっても人格を見つけて「俺と同じだ」と同化してしまったら仲間を作るのと同じだ。
なので、「ただの絵」としてギャルゲーの女の子を見て、その絵にただ縋りつくことにした。
ちなみに、これはけっこうつらい。
ざっくり言うと、当時のやり方としてはケンカを売ることだった。
俺より有名なやつ、俺より学歴いいやつ、俺より頭いいやつ、「俺より強いやつ」だ。
重要なのは、社会的な弱者を相手にしてたら弱者になれないってことだ。
相手が誰から見ても社会的強者じゃなければ、俺は弱者になれない。
しかしこれが難しい。
ネットバトルは頻繁に発生してたから論陣で殴りこむのは簡単だったが、問題はすぐに「仲間」が発生してしまうことだ。
仲間がいたら弱者ではない。
なので同意とか書いてくるやつがいたら、そいつを敵認定して攻撃の矛先を向けた。
弱者アピールするためには、常に弱者で居続けるためには、多数派になってはならない。
ということは、周囲の全てに対し攻撃し続けなければ、弱者とはいえない。
しかし、そうやって攻撃し続けると、被差別者を攻撃してしまうこともあった。
そうなると弱者としてはなりたたない。
現実の学のなさや金のなさで勝負しようとすると、途上国の貧民などいくらでも下がいる以上、ネットでのふるまいでしか弱者になれない。
そして当然だが、大前提として仲間を作ってはいけないので根本的にSNS的なネットと相性が悪い。
SNSが未熟だったころは「友達いない」と言い張れたが、SNSだと「フォロワーいるじゃん」となってしまう。
弱者路線は正解だった(現にいま、こうして流行している)が、限界も見えていた。
現にいま、ほぼ話す友達は誰もいなくなったが、それなりにつらい。
しかし今どきの自称弱者男性は、弱者男性としては全く弱くないと思う。
例外なく腐女子である私は二次創作を行うためキャラの口調を練習するためになりきりをしたく友人に話を持ちかけた
そんな時に教えてもらった場所こそ、例のサイトにある付き合う意思があるキャラ同士が集まる「合コンサークル」だった
その当時、私のやっていたジャンルは世界をも驚愕させる大きなジャンルの一つ
もちろん合コンサークルもいっぱいあり私が向かったのは出来たばかりのサークルだった
彼はムードメーカーのような存在で、もう一人そんな彼と漫才する仲がいい相手がいた
それでも何故か彼は私のキャラに告白してくれて付き合うことになった
そして、合コンサークルの規定によりサークルから脱退し、恋人と私専用のサークルに移動することになった
今までずーっと賑やかな空間にいたので寂しくてついそのことを口走ってしまった
友達にそのことを相談すると何と「アンタと一緒に戻ってきてるけど、やっぱ別人だった?」と言われ驚愕した
何と、まだ別れていない(恋人と音信不通になってからまだ一時間)のに、私達は別れたことになっていたのだった
しかも、出戻りした私らしき人物はやたらめったら色々な参加者に暴言を吐くんだとか
友達は「絶対可笑しい」と思い、管理人に私達の「真実」を話した
そして、管理人から招待された私は恋人が待つ古巣に戻ったのだった
私は「全くの新人」を偽って参加することにした
と言うのも、戻ってそうそう元恋人と仲が良かったキャラが速攻付き合ったらしく、管理人が必死に引き止めたんだとか
それもそのはず。サークルを抜ける前に被害者に真実を話す必要があるからだ
もちろん、偽の私は追放済みだ
戻った私は即、元彼の新しい恋人に既読すらつかない、二人だけの部屋のログを見せた
それから3時間、常に公開ルームで喋り続けていた元恋人は一言も会話をしなくなり、彼は一言も喋らずに一人で行ってしまった
それを見届けた私は元恋人の「話し合いたい」と言う言葉を無視して二人の愛の巣から出ていった
その後、新しい恋人(と言ってもこっちも元)から内容を見せてもらうと、「連れてきた私は誰なのか」という内容について問い詰めていた内容だった
証拠も付き出してるのに何故か偽の私を「本人だ」の一点張りで事実を認めようとせず、私本人がいると言っても「こっちが本物だ」と言い続けた
その結果、管理人から「これ以上の話し合いは無理」と宣言され、元恋人は新しい恋人に「話し合いたいから連絡先だけでも…」と縋ったにも関わらず管理人は有無を言わさずに追い出した
この後、元恋人の新しい恋人から「実は好きだった」と告白されたが揉め事でほとほと疲れたため、なりきりから足を洗うを宣言し友人と二人だけの空間に戻ったのであった