というか、俺も20年前の時点で「これからは弱者路線だ」と完全に見定めていた。
10年以上前の俺はその路線を意識してネットで振る舞ってたし、実際、そういう売り方でバズる人もいた。
店長のはルーツがだいたいわかる。文芸的な語りの路線で弱さアピールしてた。
「強い男になれない僕の姿を見て、これこそが現実、これこそが真実」ってやつね。
ちなみに俺は学がなかったので、そういう文芸路線は出来なかったし、大嫌いだった。
それもあったので、店長が弱者アピールをするたびに俺は一方的に攻撃した。
さておき、自分が弱者になるにあたり、本当の弱者とはなんだろうと考えに考えた。
そこで辿り着いたのは
「ネットワークでつながる領域の真の弱者、それは友達がいないこと、仲間がいないことである」
だった。
まず頼りになるバックボーンを持たないこと。
甘えると言っても、ファンコミュニティに入ってしまうと仲間を作ってしまう。
ギャルゲーの女の子であっても人格を見つけて「俺と同じだ」と同化してしまったら仲間を作るのと同じだ。
なので、「ただの絵」としてギャルゲーの女の子を見て、その絵にただ縋りつくことにした。
ちなみに、これはけっこうつらい。
ざっくり言うと、当時のやり方としてはケンカを売ることだった。
俺より有名なやつ、俺より学歴いいやつ、俺より頭いいやつ、「俺より強いやつ」だ。
重要なのは、社会的な弱者を相手にしてたら弱者になれないってことだ。
相手が誰から見ても社会的強者じゃなければ、俺は弱者になれない。
しかしこれが難しい。
ネットバトルは頻繁に発生してたから論陣で殴りこむのは簡単だったが、問題はすぐに「仲間」が発生してしまうことだ。
仲間がいたら弱者ではない。
なので同意とか書いてくるやつがいたら、そいつを敵認定して攻撃の矛先を向けた。
弱者アピールするためには、常に弱者で居続けるためには、多数派になってはならない。
ということは、周囲の全てに対し攻撃し続けなければ、弱者とはいえない。
しかし、そうやって攻撃し続けると、被差別者を攻撃してしまうこともあった。
そうなると弱者としてはなりたたない。
現実の学のなさや金のなさで勝負しようとすると、途上国の貧民などいくらでも下がいる以上、ネットでのふるまいでしか弱者になれない。
そして当然だが、大前提として仲間を作ってはいけないので根本的にSNS的なネットと相性が悪い。
SNSが未熟だったころは「友達いない」と言い張れたが、SNSだと「フォロワーいるじゃん」となってしまう。
弱者路線は正解だった(現にいま、こうして流行している)が、限界も見えていた。
現にいま、ほぼ話す友達は誰もいなくなったが、それなりにつらい。
しかし今どきの自称弱者男性は、弱者男性としては全く弱くないと思う。
「死んだら病院連れて行きますよ」じゃん
そもそも弱者男性を自称する行為には救済を求める要素は全く含まれないが? 自分は弱者男性って言ったとして、何か現実に変化とかある? ネットで自称弱者で投げ銭を募ったとして、...
労働に関するもの以外は社会地位ではない、と