はてなキーワード: ジェンダーとは
お前の言った事はただの「お前の個人的な好み」なんだから社会的な物差しで優劣を決めているわけでもなくルッキズムになんら抵触しない 一切問題ない
ルッキズムのほとんどが人選の場での個人的好みの反映だろうが♠️
「優しい人が好き」とか「真面目な人が好き」とかと言っていることは何ら変わりないんだよ
ソイツにとっちゃ好みの異性を測るのに大事な物差しが性格だっただけで、お前にとってはおっぱいが基準ならそれで何の問題もねーの
それらはルッキズムじゃないじゃん♣️
「黒人以外の人が好き」「フクシマ出身者以外が好き」「シスジェンダーが好き」
会社名を背負ったアカウント持ってる部下がそういう思想だって知ったら、
お前は公言を許すんだよな? やってみろよ
ポイントは♠️と♣️の所にある
♠️ルッキズムに抵触するのは何か、「社会的な物差しで優劣を決める」は何を意味するのか。俺は批判したが、この部分のお前の説明が足りてないと感じるね。説得したいなら更に突っ込んで主張してみろ
♣️ルッキズムと性格の好みを区別するのは何か。それは、合理性だ
ロシア人だからと言って職責を果たす上でマイナスになる合理的な理由はないから、ロシア人を入社面接で弾くのは偏見に基づく差別だ。恋人や結婚で幸せな共同生活を営む上で優しさや真面目さの合理性は明白だ。しかしオッパイの大きさがなんの意味がある? ただの偏見以上のなんであると言うんだ??
https://twitter.com/atonton28/status/1572055495074287617
https://twitter.com/atonton28/status/1572055496718438400
最近は三木那由多先生や高井ゆと里先生など、哲学分野でも男性ではない方々の活躍が目立っており、人選のジェンダーバランスもある程度マシになっていくことは期待できると思いますが。
>俺が興味があるのはあくまで文化と性の関係であってフェミニスト文脈ではない
なるほど。
俺がここで主に興味あるのは、文系概念に対する理系知識の導入だ。
かつて人文学では、文化というのはヒトと動物を乖離させるものと理解され、ヒトの生まれつきの本性というのは教育によって如何様にも変化するとされた。「子供は真っ白なキャンパス」などという言葉が事実のように扱われ、男の子を女の子のように育てることで男性の暴力性を去勢することができるとすら考えていた時代があった。もちろん事実は違い、文化とは、ヒトの生物として性質の一形態であり、教育は人間性を変化させる万能の道具などではない。
ヒトの進化適応に関する理解や、脳科学の発展と解釈を踏まえたうえで、これからの社会人文学は理論を作らねばならない。
(フェミニズムに批判的なのはこの点で、根本的に80年代理論であるフェミニズムは理系概念の理解が全くできてない。全ての性差を"ジェンダー"という変更可能な概念に回収せんとする理解で全体が構成されてしまっている)
お前は「あなたが正しいかもしれないが、正しくないかもしれない」という言い方で、文化が現在の生物理論から離れたものである可能性や、教育が万能の道具としての効果を発揮する可能性を、わざと留保している。
それは科学って立場からは認められないものだ。「炭を殴り続けたら炭素が分解して酸素にになる可能性がワンチャンあるかもしれない」「月を実際1億人で調査すればウサギを発見できるかもしれない」と言うようなものだ。
お前がそれについて無知であることは、事実が未定であることではない。
そこを胡麻化すことはぜひともやめて欲しい。
あと、お前はやはり、文化がもたらす性癖の変化に興味があると言いながら、性癖が増えることと性欲が増えることを混同しているようだ。文化は所詮ヒトとしての本性の上にのっかっているのであり、ヒトを変えたりはしないのだということを、再度確認してもらいたい。
外国人のプロフィールにhe/himとかshe/herとか書いてあるのが何なのか疑問に思ったことがある人はいますか?これは希望する代名詞と言って他人が自分のことを話しているときに自分はこの代名詞で呼ばれたいという意思表明です。
もともとはトランスジェンダーのような見た目から性別が分かりにくい人が自主的にやっていた文化なのですが、一般社会では一般的な風習ではありません。なのでトランスジェンダーの人達が私の代名詞はこれこれですと意思表明をすると変なんですね。ただでさえ変な人だと思われているのに追加で変な人だと思われてしまうわけなんです。そこでシスジェンダーの人達がこの空気を変えようと思いつき始めたのがシスジェンダーでも代名詞を表示するという行為です。トランスジェンダーの人にあなたが代名詞を表示するのはおかしくないよ、ほら私達もやってるから、と安心感を与えるための行いです。
ここで普通の人であれば気付くのですがなぜそもそも無性の人称三人称単数代名詞が存在しないのでしょう。They/themにその役割を担わせようという動きはありますがあまり大きくはありません。普通に考えれば代名詞を減らす方が合理的ですが彼らは感情でしか動けないのでそんなことはお構いなしです。私の代名詞は私のもの!間違えたら許さない!と自分が王か貴族にでもなったのかというほどおかしな現状が生まれてきています。
日本人のみなさん。代名詞を表示している人を見かけたら笑ってやってください。そして英語圏の高慢な馬鹿どもに思い知らせてやるのです。あいつらは馬鹿です。付け上がらせないようにしましょう。
すなわち、身体男性、性自認も男性、ビジュアルは女性、性愛の対象は元のゲームの中では違うのかもしらんが二次エロ創作ではいつも男とヤってたからたぶん男、
まあゲスな言い方すれば「女装ホモ」なんだろうけどたぶんもっとポリコレ的に正しい名称があると思うけど
そういうものとして描かれていたキャラがポリコレとTRAの圧力によって無理矢理「トランス女性」だった事にされてしまった。
これでまたファンがこの無理矢理なキャラ改変にブチキレて、それをポリコレTRA勢が「トランス差別だ!トランス差別だ!」と騒ぐいつものお決まりのパターン。
これで俺がちょっと前の黒人エルフや黒人人魚の時も(実際は何十年も前からだが)指摘してきたとおり、「人種」も「ジェンダー」も同じポリコレ権力の勢力が棒にして振り回してるのだが、
いつもポリコレ権力と対峙してるのがフェミの天敵でもある表自ミソウヨキモヲタである事もあって、なおかつ今回のブリジットは国内のキモヲタ界の話だから更にそうなるんだけど、
「敵の敵は味方」と勘違いしたのか、いつもならTRAを激しく批判してるツイフェミの人々が、もうひとつの天敵であるはずのTRAと一緒になってポリコレ棒を振り回してオタク叩きしてるのがアホらしくてたまらない。
差別じゃないものを勝手に差別だと決めつけて、何を言っても聞く耳持たない手口とか、完全に一致してるのだが。
エルフや人魚の時は人種問題だったからポリコレとTRAは別ものかのように誤魔化せたかもしれないがブリジットはがっつりトランスジェンダリズムのゴリ押し直球なんだから
まさかいいかげん気づいたものだと思いたい所なのだが。エルフや人魚の時は、誰も「黒人がエルフや人魚の役をやるのは許さない」なんて一言も言ってなく、黒人が主人公の新作を作ればいいのに既存の作品をわざわざ改変する事しか考えてないからポリコレは嫌なんだと言ってるんだよ。
つまり、「ポリコレのゴリ押しに反対してる」のを「黒人を差別してる」と決めつけてレイシスト呼ばわりしてくるのがポリコレ主義者なんだ。
TRAも、誰もトランス女性そのものを拒絶なんかしておらず、性自認だけでOKになったらトランスじゃない男が便乗してきたりとかで女性の安全がヤバいし、つまり「トランスジェンダリズムに反対してる」のを「トランス女性を差別してる」と決めつけてくるんだよ。
完全に一致してんだわ。
あと表自キモヲタが何かゴチャゴチャ言ってたけど、ツイフェミもたいていオタクなんだし、「オタク的な表現を規制せよ」とは誰も言っておらず、公共の場にはふさわしくないとか、あと、単にセクハラとかの描写がヤダという個人の感想にすぎないのに、
表自キモヲタは自分らが日頃フェミに対してやってるのと同じ事をポリコレからやられてるんだという構図にさっさと気づけよな。
さらについでに言うと、ツイフェミもまた、格差社会を批判してるだけの非モテ弱者男性の俺らを「女をあてがえと言った!」などと言ってもいない事を勝手に言ったと決めつけて攻撃してくるんだが
これも自分らがTRAや表自キモヲタからやられてるのと同じ事を俺ら非モテ弱者男性にやってるんだが、どうせ一生気づかないだろうな。
ブリジットを無理矢理「トランス女性」に改変された事件はまた、これも俺がずっと指摘し続けてきたとおり、
ポリコレとかTRAとかの偽善者インテリエリートリベサヨの皆様は、本人達の自認では自分らが最先端の革新的な思想の持ち主だと思ってちょうしこんでるのだが、
「性の多様性」という観点からすれば、「身体男性、性自認男性、ビジュアルは女性、性愛の対象は(二次エロ創作だけかもしらんが)男性」というブリジットは本来めっちゃ「性の多様性」を象徴する存在たりえたはずなのだが
ポリコレTRAの権威はそれを「多様性」とは認めてくださらないわけ。
あくまで「トランス女性」と限定しなければ「多様性」じゃないって、多様性が無いのはどっちだよ。
女みたいな格好してる男はそれだけでもう「男」じゃなくて「女」だ、なんてのは、古臭い男尊女卑の家父長制のホモソのマッチョイズムなのだが。
昭和の時代は例えば青とピンクから選べと言われたら男の子なら青、女の子ならピンクを選ばなければならず、男のくせにピンクを選ぶなんてのは「オカマ」呼ばわりされ、「お前は男らしくないから女だ」と決めつけられ、「女扱いされる」ということはすなわち「人間扱いされない」ということを意味した。
何重にも差別なんだよ。女性もセクシャルマイノリティも、そういうの抜きにしても単に趣味がマイナーだったりちょっと個性が強かったりするだけの個人も、全てまとめて差別されるんだよ。
それが平成の世になり、ほんの少しずつだが、「ピンクが好きな男の子がいてもいい、女の子が青を選んでもおかしくない」という風潮になりつつあった。
昭和の時代に「男なら野球とバイクが好きじゃなきゃならない」とかいう風潮があってもそういう「男らしい趣味」には全く馴染めなかったから、「オカマ、女、すなわち人間扱いしなくていい存在」とされ、徹底的に差別され虐待された昭和世代の俺としては
これからの世の中は俺らの頃と違って「多様性」が尊重される良い世の中になるんだなと思ってちょっと嬉しかったのだが、そんな甘い期待はすぐ裏切られた。
昨今騒がれてる某宗教と某政党のアレによって意地でも昭和のマッチョ主義に逆行させたろうという非常にウヨい保守的な思想に基づいた陰謀が進行していたからでもあるんだが
そんな平成のバックラッシュは令和のより強力なバックラッシュと比べれば、今思うと牧歌的なもんだった。
しかもあの強大な某政党と某宗教のタッグによる陰謀すらも長閑に見える令和の大バックラッシュは、ウヨじゃなくリベサヨが主導してるのがまた救いがたく恐ろしい。
平成よりも、いや昭和よりも強力な勢いで、「男らしくない男はすなわち女だ」とされてしまう。
ほんとに、かつてのブリジットのような人物は存在することが許されない、そんな男か女かわからない奴なんか完全に「女」としなきゃ存在することを許さない、
つまり「性の多様性」など存在せずこの世には「男」と「女」の二種類しかいない、とするのがトランスジェンダリズムの思想なのだ。
よって「性に多様性なんかない、男と女しか存在しない」などというトランスジェンダリズムと一致する主張をもって「トランスジェンダリズムを論破したった」つもりになってるような保守派からの批判は的はずれすぎてスベってる。
「性の多様性」は間違っていない。
口では「性の多様性ガー」とか言っておきながら、やってる事は「性の多様性の否定」という矛盾だらけだからTRAを批判してるんだよ。
俺の場合はな。
っていうか「性の多様性」の前にまず「個の多様性」なんだけどな。
インテリはデカイ視点でしかものを考えない癖がついてるから、「個」というものを無視しがちなんだよ。
だからウヨとかサヨとTRAとかの極端な思想にすぐ捕らわれて思考が硬直化するんだよ。そんでまた、俺はブリジットもブリジットが出てくるゲームも何も知らないんだけど、
今回の騒ぎのまとめを見たら、ブリジットは故郷の村の迷信のせいで子供の頃から女装させられてたのだが、故郷の迷信が間違ってる事を証明したがってた?
てな背景があるらしいじゃんよ。
それを「実はもともとトランス女性だったから結果オーライ」って事にしたら、故郷の村の迷信もべつに間違ってなかった事になってしまわないか?
このへんが皮肉にも、「自分たちは先進的なつもりで実態は古臭い男尊女卑の因習に逆戻りしてるだけ」というTRAの現実の姿と一致してしまっているな。
アホくさ。
ブリジットの女性自認を、日本かぶれの差別主義キモオタどもへの9.11だと喜ぶトランス支持の外人さんたち
https://togetter.com/li/1946396
『GUILTY GEAR -STRIVE-』ブリジットの性別についての公式発表を喜ぶ反応まとめ
https://togetter.com/li/1945899
俺はあくまで、TRAとポリコレのゴリ押し戦略に反発してるだけで、奴らのやり方が気に入らないからといって、キモヲタ界隈における「男の娘」の扱われ方が正しかったと言いたいわけではない。
逆に言うとキモヲタが正しくなかったとしても、だからといってポリコレTRAが正しい事にはならないわけだし、
キモヲタが間違ってるとするならばポリコレTRAはもっと間違ってるというだけの話だ。
俺はあくまでも監視して通報する目的でキモヲタの二次元エロをいろいろチェックしているわけだが
あくまでも監視目的で某シブで誇張抜きで万くらいのエロ絵師をフォローしてたりするので、元ネタのゲームや漫画やアニメは知らなくてもそれをネタにした二次エロ創作だけは知ってたりするから、
アイマスのアイドルとかもデレステにハマる前に思ってたイメージとずいぶん違うなと思ってよく思い出してみたらそのイメージはだいたい二次エロ創作で歪められたイメージだったりするのだが
そういう事があるから通報目的で監視するのを怠ってはならないのだが
ブリジットとかの「男の娘」の流行り始めの頃とか考えてみると、だいたいが「男」が「男の娘」のア◯ルを岡したりしまくって「メス落ち」させるとかのマッチョな内容ばかりで、
「男の娘」のそのチ◯コは何のために付いてんだよ?と疑問に思っていた。
要するにキモヲタもまた、「男らしくない男」はすなわち「女扱い」するべきであり、「女扱いする」という事はすなわち「人間扱いしない」という事を意味するという、男尊女卑マッチョ思想だったというわけだ。
ただ最近の「男の娘」キャラは、やはり何のゲームのキャラなのかは知らないんだけど、アストルフォだとかポイズンだとかが出てきて、
こいつらたいてい自分のほうから男を「掘」ったりしてるから、最近はけっこう流れが変わってきたのかなと思う。
それともマゾが増えただけか。
それはとりあえずどうでもいいとして、
初期の「男の娘」ブームにおいて「男の娘」は「女のかわり」でしかなく、「女のかわり」に「女扱い」すなわち「非人間的な扱い」をしてもいい存在と位置付けられていた「男の娘」はやはりキモヲタ文化が女性差別的である証拠でしかないけれども
そうだとしても「男の娘ではなくトランス女性である」というふうに改変したからといって女性差別じゃなくなるわけではないのだから、
ホストがジェンダーの食物連鎖の上の方にいることに対してなんにも言わない時点でなんの意味もねぇんだよな
まずホスト界隈をすべて叩き潰してからほかのことに着手してくださいよ
性的搾取がどうたらっていうけど、水商売やら風俗のギャラ考えたら半年も働いたら昼食探すくらいの余裕はできるはずなのに
きっちりホストにハメられてっから一生金ないだけだろ? まずは金がなくてしかたなく性的サービス業に従事する状態をどうにかするより
https://www.tokyo-np.co.jp/article/198925
【ニューヨーク共同】米デューク大(ノースカロライナ州)女子バレーボール部の黒人選手は29日までに、ユタ州でのブリガムヤング大(BYU)との試合で、同大ファンの白人男性から黒人差別の言葉や脅迫を受けたと明らかにした。対応を怠ったと批判されたBYUは謝罪し、白人男性を出入り禁止にした。
しかし、アメリカでは一滴でも有色人種の血が混じった人は白人扱いされないと聞いた。
見た目が白ければルーツを聞くこともなく一発出禁で良いのだろうか?
ジェンダーもこれほど多様化する中で、見た目が男性のようでも心の性別が女性であったり、自分が男性であることに確信が持てなかったりする人もいる。
ぷらいべったーの件など見ていて思う最近の性自認主義やらトランスジェンダリズムについての事
私は長く自分の女性性が苦手で、身体違和はないのに女性な事が苦しかったけど、それは母親のミソジニーをぶつけられた結果だった
母親は娘が可愛い子供から女に育つことを嫌悪して、女の子らしさを徹底的に嫌って、私に女である事の嫌悪感を植え付けた
髪は伸ばさせて貰えず、スカートは穿かせてもらえず、高校まで服は他人のお下がり、初めて自分の服を買ってもらったのも美容室に行ったのも高校入学の時だった
二次性徴が早かったのにブラを与えられたのも結構胸が大きくなってからだった
元々はスカート穿きたかったしキラキラ可愛いものが好きな子供だった
それを全部抑え込まれ、自分で選んだ服はけなされ、自我の強かった自分は他人と違う格好をする=男の子っぽい格好をする事で自意識を保っていたように思う
恋愛=妊娠、穢らわしい!という嫌悪感、女という性への嫌悪感を刷り込まれたため、女性的なものが生理的に苦手になってしまった
自分の身体に違和感はないのに女性である事が、世の中の女性と違う事が辛く、自分のアイデンティティーがどこにあるのかずっと混乱したままだった
心は男なんじゃないかと悩んだ
性自認主義、トランスジェンダリズムを無批判に肯定することの怖さはこういう所にあると思う
「自己」というものは周囲の影響を受けながら長い時間をかけて作られていくもので、30歳超えてようやく何とかわかる、くらいのものだと感じていて、10代なんてまだ全然自己認識は完成していない
そんな中で自分の生まれ持った身体を無視して「性別は自分で決めるもの」と言われたら自己の形成は非常に困難になるのではないか
また、自己認識が未熟なゆらぎの大きい時期に不可逆なホルモン治療なんて事は虐待でしかないと思う
自分が10代、あるいは20代の早いうちにトランスジェンダリズムに傾倒していたら、不可逆の治療をして後悔したかもしれない
身体違和、性別違和は、その人の育った環境の様々な要因を丁寧に分析する必要があって、必要なのは手術ではなくメンタル治療ではないかと思う事が多い
私が思うのは、生まれ持った身体に準ずる区分を徹底しつつ、どんな容姿でもファッションでも好きにでき、それを肯定され、容姿や好みでバカにされたり扱いが変わらない社会
ジェンダー解体という考えになるのかな、それが望ましいのではと思っている
自分が生まれ持った身体を受け入れられないというのは凄く苦しいことで、それは自認を変えれば良いというものでは決して無いと思う
子供にはまず身体の違い、区分というしっかりした「軸」を与え、安心して自分の身体を受け入れる認識の土台を作ってあげなければいけないのではないか
差別やジェンダーロールの話してるとこへこういうのぶっこんでくるバカがいまだに多いけどさ
「スクリーニングとして正確かどうか」の話なんかしてねえんだよ
あの散々騒ぎ倒した医学部の男女差別にしたって、統計上は一定の妥当性ぐらいあるんだから
それから警察が在日とか変な髪型の奴とか集中的にマークしたって誰も怒らねえはずだよな?
あのBLMとか何だったんだよマジで