ぷらいべったーの件など見ていて思う最近の性自認主義やらトランスジェンダリズムについての事
私は長く自分の女性性が苦手で、身体違和はないのに女性な事が苦しかったけど、それは母親のミソジニーをぶつけられた結果だった
母親は娘が可愛い子供から女に育つことを嫌悪して、女の子らしさを徹底的に嫌って、私に女である事の嫌悪感を植え付けた
髪は伸ばさせて貰えず、スカートは穿かせてもらえず、高校まで服は他人のお下がり、初めて自分の服を買ってもらったのも美容室に行ったのも高校入学の時だった
二次性徴が早かったのにブラを与えられたのも結構胸が大きくなってからだった
元々はスカート穿きたかったしキラキラ可愛いものが好きな子供だった
それを全部抑え込まれ、自分で選んだ服はけなされ、自我の強かった自分は他人と違う格好をする=男の子っぽい格好をする事で自意識を保っていたように思う
恋愛=妊娠、穢らわしい!という嫌悪感、女という性への嫌悪感を刷り込まれたため、女性的なものが生理的に苦手になってしまった
自分の身体に違和感はないのに女性である事が、世の中の女性と違う事が辛く、自分のアイデンティティーがどこにあるのかずっと混乱したままだった
心は男なんじゃないかと悩んだ
性自認主義、トランスジェンダリズムを無批判に肯定することの怖さはこういう所にあると思う
「自己」というものは周囲の影響を受けながら長い時間をかけて作られていくもので、30歳超えてようやく何とかわかる、くらいのものだと感じていて、10代なんてまだ全然自己認識は完成していない
そんな中で自分の生まれ持った身体を無視して「性別は自分で決めるもの」と言われたら自己の形成は非常に困難になるのではないか
また、自己認識が未熟なゆらぎの大きい時期に不可逆なホルモン治療なんて事は虐待でしかないと思う
自分が10代、あるいは20代の早いうちにトランスジェンダリズムに傾倒していたら、不可逆の治療をして後悔したかもしれない
身体違和、性別違和は、その人の育った環境の様々な要因を丁寧に分析する必要があって、必要なのは手術ではなくメンタル治療ではないかと思う事が多い
私が思うのは、生まれ持った身体に準ずる区分を徹底しつつ、どんな容姿でもファッションでも好きにでき、それを肯定され、容姿や好みでバカにされたり扱いが変わらない社会
ジェンダー解体という考えになるのかな、それが望ましいのではと思っている
自分が生まれ持った身体を受け入れられないというのは凄く苦しいことで、それは自認を変えれば良いというものでは決して無いと思う
子供にはまず身体の違い、区分というしっかりした「軸」を与え、安心して自分の身体を受け入れる認識の土台を作ってあげなければいけないのではないか
フェミもメンタル治療でどうにかなればいいのにね
だからいわゆるトランスジェンダーは「自ら進んで」逆の性別を選んだ人たちのことなんだよ 他人に影響されて自らの性別を訝しんだり自意識揺らぐのはトランスジェンダーですらない...