はてなキーワード: グローブとは
・黒の革ジャン
こんなに便利だったとは思わなかった。秋・冬・春ずっと着れる。
2万円くらいだったけど元を取りすぎている。
・KINTOの水筒
変なカフェでまずい飲み物を買わなくて済むようになって嬉しい。
あと見た目が良い。
暖かいしチクチクしない。赤チェックは無地の服、ベージュは激しい柄物を着るときに使ってる。
・白のダッフルコート
かわいい。カシミアで軽くて肩こらなくて良い。
・お高い腕時計
水深なんとかみたいなやつを買ったらガサツな自分でも壊さず使えてて有難い。
見た目もかっこいいし毎朝着けると気分がしゃっきりする。
これも高かったけどだっせえ安物のスーツケースを持つと気分的に萎えるので
本当に買って良かった。サイズは機内持ち込みギリギリで、国内も海外1週間程度もいける。軽い。最高。
・歯列矯正
買ったものじゃないけど圧倒的に垢抜けたので本当にやってよかった。まだ終わってないけど。
上は裏側にしたから見た目も変じゃない。もっと早くやればよかった。
ペーパーフィルターで出てたゴミがなくなって良い。洗うのもそんなに面倒ではない。
あと見た目がおしゃれで何かアガる。
「boxing」「boxer」が一般的な単語ですが、現在の英和辞典にも「pugilism」「pugilist」の単語が有り「拳闘・ボクシング」「拳闘家・ボクサー」と訳されています。「pugilism」がラテン語からの派生と明記されていますから、「pugilism」等の方が古い言葉なのかもしれませんが、一方で英和辞典には「box」には「平手・拳の一撃、ビンタ、殴打、張り手」などの意味が含まれるとされています。
古代ギリシャ語「puxos(箱)」の言葉自体が「握り締めた拳」の意味を持ち、ラテン語では「拳で戦う」という意味の「pugilatus」から競技としての「pugilism」という言葉が生まれたと解くサイトも有り、紀元前688年の古代オリンピック第1回大会から第38回大会迄「pugilism」が競技種目に有った様子も伺えます。
「pugilism」から「boxing」への言葉の移行は、1200年頃のイギリス(一説にはイタリア)の或る神父が「pugilism」を復活させ、「boxing」と名付けて青少年に授けたのが名称の始まりと言われるが、定かで無いとする曖昧説が有る一方で、近代ボクシング誕生は18世紀、イギリスのジェームス・フィッグが1718年のロンドンに「ボクシング・アカデミー」を開設し門弟に教え、彼の弟子ジャック・ブロートンが1743年世界最初のボクシング・ルールを作り、グローブも考案したと有ります。この様子からすれば、現在の「boxing」の意味は1700年代前半に確立し現在に至ったと考えるのが妥当だと思います。
Web2.0時代を振り返ると、ネットでパソコンさえあれば、ブログなりプログラミングなりで生産することが可能であり、
それまでの土地や機械を持っている層へのインパクトが強かった。
次第にクラウドに移行していくと、個人では所有するのが困難なサーバーの必須度合いが強くなったことで、
階層を超えることが難しくなったように思う。
それまでの工場機械と比べて手続きすればクラウドをとりあえず使えてしまうので意識しにくいが、実際になにかしようとすると個人では払いきれない金額になる。
10万くらいあれば、とりあえずパソコンを買って始められるのも、それまでの物理的な機械を所有していないと触れないのとは違っている。
10万そこそこで鉛筆で世界を変えることが出来るように錯覚するし、それに類似するようなことが見受けられる。
野球だとバットとグローブとボールを手に入れられればプロ野球選手になれるわけではないのと同じで、
10万のパソコンを持っただけで、年収数千万を得られるわけではない。
シェアリングエコノミーなど出てきて、個人の新しい稼ぎ方と言われるものの、資本構造は結局変わってない。
来月、彼等は結婚式を挙げる。
都内の豪奢なホテルに500名以上の人を招き、祝宴を開くのだ。私自身も参席が認められている。あの病院長の息子と言うだけあって、祝賀ムードに沸き立っていた。王妃となるそのお方はヒラヒラと美しい白衣を纏ってみせた。此方を振り返る様は少女のようだ。最終フィッティングが終われば二人は閨を共にし明日への準備を行うだけとなる。
その最終日にIは私を呼んだ。
「勿論、お祝いして下さいますね」
頭を下げて肯定すれば彼女は和かな笑顔を見せた。花のようなお方なのだ。
「良く尽くして下さいました。勿論貴方にも感謝を捧げなければ」
「私に感謝など滅相もございません」
「では一つだけ、最後にお願いを」
「何なりと」
返答を聞いた彼女はそっと私の手を取り、白き指で指の節をなぞる。
頭が真っ白になり何も言えず硬直する。いつの間にか肘まであるグローブを身に付け
無垢なその言葉は淡々と、残酷に告げられる。無慈悲な美しき乙女は、鈴の鳴るような声で続ける。
「此方へどうぞ、歩いてらして。」
時期院長、と一言付け加えて。ぎこちなくなった呼吸を整えると深く息を吸う。ほんの僅かな距離に黒髪の乙女は立っていた。美しい。純白の衣装に身を包んだ彼女はマリアとも見まごうような光を発している。ベールを下ろし表情は隠されてしまっているが、その輪郭は華奢そのもの。
コツ、コツと床が音を立てる。期待に満ちた瞳に自分自身が映っていた。
命じられた通りに差し出された白魚のようなか細い手を取り、口付ける。貴方を裏切らないという忠誠の証。見上げれば彼女の笑みが降り注ぐ。
それも全て明日から袂を別つ事を約束している身だった。決意を固めた彼女は、少し寂しそうにも見える。不安も期待も入り混じる表情で立ち上がった私をみつめた。
そして彼女は私の名を口にする。
「怖くはありません。」
「ええ。何の不安が御座いましょう」
彼女は、底知れない物を抱えている。それが何か解き明かしたかったのかもしれない。
果たして全てを払拭して差し上げる事が出来るだろうか。乙女は瞳を閉じて口付けを待つ。顔を近付け、唇が触れる寸前で止める、つもりでいた。
柔らかな唇の感触に思わず言葉が途切れてしまう。それは、私ではなく院長に捧げられる筈の純潔だ。
「言わないでください、何も。震えてしまいそうです」
あつい熱が喉奥から込み上げる。この方は自分の物では無い、筈なのに。何故こう悲しみとも苦しみともつかない感情が押し寄せるのだろう。契約一つで関係性に何か変化が訪れる訳では無い。秩序の保たれた今迄通りの関係が続いていく筈だ。それなのに、何故。肩を知らず抱き締める。
「…離したくありません」
離してしまえば、貴方はきっと遠くへ行ってしまう。私は一人取り残された心地で祝福するのだ、二人を、遠くから幸せそうに。それが出来たらどんなに良いかと思う。二人の幸せな結末に彩りを添えられる存在であれたら、どんなに。唇を噛み締めた。
浅ましい感情を隠していたのに。一度矜持を失えばどれだけ虚しさが胸を占拠するか分からないのに。そんな私の心を察したのか緩く背中を撫で始めた。
「御免なさい、無理強いを致しました。私の過ちです。どうか許して」
一つ口付けを頬に落として白衣を纏いし娘は去って行く。光だと思われたその姿はいつの間にか影で覆われて、此方を振り返りもしない。明日、貴方は私と同じように同じ唇で院長に口付けをするのですか。愛を誓うのでしょうか。女々しい想いに嫌気がさす程。気付けば首元には汗が流れ「どうぞ、逝かないで下さい」と叫ぶように懇願していた。
そこで、私の目は醒めた。はあはあと乱れる吐息。指先は闇の中で情けなく震えている。
それは現実を映した悪夢だった。記憶を辿ってみても愛したその人がどんな結末を迎えたのか思い出せそうに無い。まるで穴が空いたように、一部分だけが脳裏から欠けてしまっているのだ。無理に思い出そうとはしなかった。
私が秘書を務めるあの医師も夢を見るのだろうか。例えば、オペ中に失敗して権威を失う夢など。その喪失感は計り知れないだろうと想像し、また瞳を瞑った。今日のうちは眠ってしまうに越したことはない。先程の夢も、緊張が見せた物に違いない。だが、意識すればするほど睡魔はどこか遠くへ行ってしまい目が冴えるばかりだった。
同僚やら後輩たちがこぞってロードバイクってやつを乗り始めた。
楽しいからお前も買えよって言うけど、あれ10-20万もするのな。
昔ママチャリを盗まれたときにクロスバイクっていうのを5万くらいで買った。
けっこう速いし、ギヤがたくさんある。
クロスバイクよりずっと速いんだぜー50km/h出るし、距離だって70kmとか走れるぜとかいうけど、
いやいやその距離走るならバイクのるだろ、と(原付2とリッターSS持ち)
しかも50km/h出ちゃうのにプロテクターもなし、うっすいヘルメットでピタっと
したやつ着るのはなあ。
ただ、輪行ってやつ。小さくパッキングして電車で移動するやつ。あれは楽しそう。
小さく折り畳めるやつで、車のトランクに積みっぱなしにしたいね。
【追記】
ロングライドの楽しさ、パーツ沼にハマることなど、まさにいま同僚がハマってる状態です。
リッターSSに乗ってまして、それこそ趣味はソロツーリングでして、プロテクター付きのジャケットやら
クロスバイクを買ったときも、30km/hちょっと超えでこんなにスピードでるのかあぶねえなあ、と思ったくらいでして。
奨学金は今年中に返すよ。その代わり娯楽もしないよ。漫画もゲームも全部売ってきたよ。
結婚したけどさ、苦しいよ。
趣味は読書とラジオだし、服も買わない、旅行もしない。食べ物には金使う。
仕事は楽しいよ。むしろ能力以上にありがたい仕事をさせてもらってるよ。恵まれてるよ。
いやでも金の問題が常に脳の片隅にあってむかつくんだよね。
小学校のときにほしい自転車買えなかったときとか、ゲームはも新聞配って買ったとか、バイトしてグローブ買ったときとか、進学は新聞配らなきゃ金が足りないとか。
それでも就職して、まがりなりにも一般人の皮をかぶって生活できてるのは奇跡だよ。俺の運がマジでいい。
幸せは相対的なもんだよ。周りの友人に恵まれれば恵まれるほど、劣等感と焦りばかりが止まらない。脳みそには金の心配がこびりついてる。
メタボ解消のため思い切って20万超えのカーボン製ロードバイク買った。
楽しくて毎週走ってるけど、ある程度快適に走ろうと思って周辺のツール等々そろえていくと、思っていた以上に金がかかった。
ざっと挙げても以下のとおり(実際はもう少し細々としたものも買ってる)
■ウェア類
ヘルメット \25,000 (命を守るため)
サイクルキャップ \6,000 (ヘルメット取ってもカッコ悪くならないように)
財布(ナイロン製) \1,300 (普段使いの革の財布は汗でボロボロになるので)
グローブ \1,000 (手の平が痛い)
ジャージ \6,700 (なんとなく)
シューズ \19,000 (速く走りたい/遠くまで走りたい)
サイクルコンピュータ \6,000 (モチベーション維持のためGPSでどこ走ったか見たい)
サドルバッグ \3,200 (予備チューブ等を携帯するため)
SPDペダル \6,500 (速く走りたい/遠くまで走りたい)
鍵 \8,600 (盗難防止、軽くても丈夫なやつ)
ベル \4,900 (道路交通法対応、見た目ダサくならないやつ)
■メンテナンス用品等
グリス \900 (ペダル交換のため)
合計で 15万弱
幸い、独り身で自由に使える金はそこそこあるので大きな問題はないんだけど、こんなに金かかると思わなかった。
ロードバイク乗ってる人ってだいたいこんな感じなのかな?
5歳の息子がいる
妻はフルタイムで働いていて、時短勤務なのに私よりいい給料をもらうとてもできた妻で、家族3人それなりに幸せに生活していたと思う
平日の朝は私が息子を保育園に送り、妻が夕方に迎えに行く、私は19時すぎに家に着き、一緒にご飯を食べて息子とお風呂に入り、息子を寝かしつけて私は自分の時間を過ごす
休日は、だいたい土曜日は私と息子が二人でどこかに出かけ、夕方に家に帰る、妻は家でゆっくりしたり片付けをしたりする
日曜日は3人で買い物に出かけたり遠くの公園に遊びに行ったりした
私は息子と二人で遊ぶことが大好きで、息子が乗るストライダー(キックスクーター)の練習をし、乗れるようになったら5駅隣まで一緒に出かけた
電車で出かけて中華街で肉まんを食べたり、みなとみらいを散歩したり、釣り堀に行ってフナを釣ったり、スワンボートに乗ったり、プラネタリウムに行ったり、動物園にはなんども行った
他にもたくさんたくさん遊んだし、楽しいことがいっぱいあったんだ
それが、年が明けたあたりから少しづつ息子が二人で出かけるのを渋るようになってきた
前日までに何をして遊ぼう、どこどこに出かけようって約束しても当日朝にぐずるようになり、イヤイヤながら出かけるかどうしても嫌だと出かけないようになった
そういう時は決まってママがいいと妻に甘え、何かに理由をつけてどうしても出かけたくないと言った
なぜ息子が嫌がるようになったのか思い当たることはあって、私の息子に対する接し方が嫌なんだと思う
妻は、私が息子のことを叱る時、息子の言い訳に対して子供なんだからと受け流さず、理詰めにネチネチ叱るのが嫌なんだろうと言っていた
出かける時も息子のしたいことよりも私のしたいことを優先して、息子をないがしろにしているんだとも
そんなつもりはなかったが、妻の指摘はもっともだと思った
以前はてなで読んだ4歳の娘のわがままに切れそうな母親に対する鴻上さんのアドバイスを読んで、まさにこれだと思ったしすぐに実践しようと試みもした
でも、「パパはいや、ママがいい」「パパは嫌い」と直接言われたり、妻と息子がいるリビングからでた直後に「パパもう行った?」と妻に言っている息子の声が聞こえると、どうしても冷静な心を保てなくなる
私が息子の近くに行っても無反応なのに、妻がきたら喜んで飛びつく息子を見たらどうしようもない悲しい気持ちを抑えられない
今日、上記のようなことがあり、ダメだとわかっていながらも「パパはもう○○とは遊ばないし、なるべく近くに寄らないようにするから安心してね」と言ってしまった
それまでニヤニヤしていた息子の顔が無表情になったのが印象的だった
意地になって自室にこもっていたら息子は寝てしまった
ダメだとわかっていながらそんなひどいことを言った自分が悪いとわかっている
息子が生まれて少したった頃から今日まで、私の生活の中心は息子だった
仕事から帰って息子が寝るまでの間は、ほとんど息子との時間だったし、休日は丸一日息子と遊ぶ為にあった
どうしたらいいかわからず妻に相談しようと思ったが、疲れが溜まっているようで寝てしまった
ここに書けば誰かアドバイスをくれるかと思って藁にもすがる思いで書いた
息子に入れ込みすぎていたのかなと
息子より私が息子を欲していて、付き合ってもらいすぎていたのかなと思っている
でも今更、息子のいない休日を楽しく過ごすすべが思いつかない
どうしよう
関係ないが、今の気持ちが学生時代に彼女に振られた時のどうしようもないあの感じに似ていて、経験してきたはずなのにどうしたらいいのかわからない
今日昼間に会社ではてなを開いたらたくさんコメントが付いていて本当に驚いた
家に帰ってコメント読もうと思ったらトップになってて腰が抜けるくらいびっくりした
この記事を投稿した翌朝、息子に「昨日はひどいことを言ってごめんね」と謝ったら「僕の方こそひどいこと言ってごめんね」と言ってくれた
昼休みに息子が好きな食玩(ホネホネザウルス)を買って、妻の代わりに早めに会社を出て迎えに行き、二人でスーパー銭湯に行った
妻は普段残業できないのでここぞとばかりに残業してきた為、二人で前日の残り物で夕飯を済まして息子の大好きなポケモンXYを見ながら寝た
前日のことは特に話さず、お互いに楽しく過ごせたと思う
こんなに厳しくも暖かいコメントをもらえるとは思っていなくて、全て大事に読ませてもらいます
コメントを読んで、私はメンヘラ気質があり重くなりがちだと自覚しようと思った
自分のことを毒親なんて思ったことはなかったけど、そうなりかねないということを肝に命じて接しようと思った
息子のやりたいことをちゃんと聞いて、できるだけ尊重していけるようにしようと思った