2010-10-04

誰にも言えなかったこと

リアルで言えないからここに書く。 

 小学年の頃からもうすぐ二十歳になる今まで、なんとなくずっと死にたいと思いながら生きている。

この思考の原因はいじめられたことかもしれないし、いじめ発生の要因となった、私の空気の読めなさとか

コミュニケーション能力の低さとかからなる漠然とした他人への恐怖や自分の生きる社会への不安かもしれない。

 本ばかり読んでいた私へのイジメは小1の夏から始まって、でも私は3年になったらクラス替えがあるからと考えて、

暇な時はひたすら本にのめり込むという何も解決しない方法でそれから1年半耐えた。

 小2の秋に、学校から帰ると家に誰もいなくて、でもわざわざランドセルから鍵を出すのも面倒くさくて

玄関先に座り込んでいた時に、ふとクラス替えが終わった後、私は何をするんだろうと考えて、その時私は

自分から「将来の夢」というものが消え去っていることに気がついて、初めてどうしようもなく絶望した。真っ暗だった。

多分、この今のクラスを乗り切っても私が人とうまくやっていくことは出来ない、中学へ行っても高校に行っても私は

イジメられる、きっと就職してもイジメられるだろう、と思った。もう生きたくなくて、家に入って、

包丁心臓を刺して死のうと思った。でも、やっぱり怖いし、まだ色々な本を読みたいし、

だから死ぬのはいつでも出来るのでもっと辛くなった時まで取っておこうと思ってやめた。

でもその瞬間から死は私にとっての救い、最後の切り札となり、生は耐え忍ぶものであって、その褒美が死であるという

認識の下で学年末まで無事学校に通うことが出来た。

 小3になってクラスが替わり、予想通りイジメは終わり、友達と呼べる人も出来た。すごい美少女だった。

私はイジメがなくなって、昼休みに図書室へ行けるようになったことがひたすら嬉しくて、小6になるまで宿題もせずに

ひたすら本ばかり読んでいた。楽しかった。でも常に死にたいという思いが消えることがなかった。

 わざわざ死を選びたい訳じゃない。今の生活はそれなりに充実しているし楽しい

だからこそ、寝るときにこのまま目が覚めなくてもいいや、とか思ったり、誰か私に車でも

ぶつけてくれないかな、とか思ったりして、基本的に無気力に生きている。ずっと。

でもそれをわざわざ態度に出したりはしない。それが甘っちょろくて情けないことであるという自覚もあるし、

多分そんな人は私だけではなく、もっと辛い人も居て、さして特別なことでも無いと思うから。

でも、態度に出さないからこそ、リアル知り合いにそんなことは言えないし、他の人がそんな気分に対して

どう対処しているかなんて聞けない。けどやっぱりこんな状態は辛いから吐き出してみた。

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