はてなキーワード: かぐや姫の物語とは
宮崎駿は原作からかけ離れたアニメを作ることで有名だが、高畑勲はもっと恐ろしい。
高畑勲は原作と別の存在としてアニメを作るのではなく、原作を再解釈し、異なる意味を与えるアニメを作る。だから高畑勲アニメを視聴してから原作を読むと、「アニメとは別モノだね」ではなく、「アニメはおおむね原作通りだったね」という感想を抱きつつ、知らず知らずのうちにアニメの解釈で原作を読んでしまう。
『火垂るの墓』の原作は野坂昭如という作家の自伝的な小説で、それ故にこのアニメは3層構造の原作になっている。
清太=作者なのに、死んだはずの清太が戦後に小説を書いて直木賞を受賞し、歌手デビューしたり、国会議員になったり、テレビのレギュラー番組を多数抱えているのは明らかに矛盾している。
野坂昭如の妹は小説の通り亡くなったが、兄は小説と違い生きている。
高畑勲のアニメでは、そのあたりの冷ややかな視線をさり気なく盛り込まれている。
高畑勲は原作のメインプロットを尊重しながら、原作者に対しこれでもかと悪意をぶつけている。
アニメでは子供時代と大人時代が交互に描かれていたが、原作には大人時代が存在しない。
アニメ版の子供時代の描き方は高畑作品としては珍しく、キャラクターがとても『かわいく』描かれている。このかわいさはジブリアニメとしては異質で、悪く言えば観客に媚びた絵柄とも言える。
一方で大人時代の絵はだいぶ様相が異なる。27歳のタエ子は令和の基準で見ると40代から50代のように見える。成人した子供がいてもおかしくない顔をしている。
自分探しの旅に出て田舎体験する夢見がちなアラサー女と、幻想の世界の可愛らしい少女漫画のキャラクターを残酷に対比させ、「お前らの自己認識はこんな感じの少女漫画キャラだろうけど、現実はコレだよ」と突きつけ、夢から覚めない都会の女が最後は『農家の嫁』になるというハッピーエンドともバッドエンドとも分からない結末で物語は終わる。トトロで田舎を知った気になる人たちへの痛烈な皮肉とも言える。
ジブリの経営を傾かせるほど金と時間と才能を注ぎ込んだにも関わらず、作られたのは昔話そのままのかぐや姫で、公開当時の観客は拍子抜けした。
それは『かぐや姫の物語』というタイトル。教科書にも載ってる原作は『竹取の翁の物語』という題名だ。
竹取の翁の物語はタイトルの通り、竹取の翁が竹藪でかぐや姫を拾った、という形でお爺さん視点で物語が語られる。
一方かぐや姫の物語はストーリーの骨格こそ原作に忠実だが、感情移入する対象が かぐや姫になるように作られている。
『ドラえもん』をのび太視点で描くかドラえもん視点で描くかでぜんぜん違う話になるように、かぐや姫の物語はさり気なく視点をずらして「かぐや姫という異質な存在が周りのみんなを翻弄する話」から「かぐや姫が社会に翻弄される話」にすり替えている。
あまりに見事なテーマのすり替えで、多くの観客が昔話とは別物の作品を見せられているとは気付かなかった。それ故に映画の評価はイマイチで、「作画は凄かったよね」としか語られない映画となった。
しかし水木しげるが妖怪のイメージを上書きしたように、ウォルト・ディズニーがヨーロッパの民話をアニメ化してイメージを上書きしたように、今後数百年のかぐや姫の解釈は高畑解釈で上書きされるだろう。
書く。
[コナンが超人すぎる。普通の人にはラナを助けられない。ダイスとモンスリーはずるい] ← 古代人の生き残りだから理由があるだろ(全部は見てないけど)足指の動きがおもろい。昭和の少年のふとももと足指を鑑賞するアニメ。
[クラリスがピュアすぎる。あんな娘存在しない。ルパンが奇麗すぎる。五右衛門がナンパすぎる] ←アニメファンは気づいていたのに上映館が少なくテレビの金ローで枠とった。999やヤマトなどはタイアップ曲がものすごく浮いていてバカにされてるのにカリシロは歌までしっかりよくて全体のヨーロピアンな雰囲気がよい。わざわざヨーロッパ(今より円が安いころ)いかなくても実写や特撮と戦えるところをじっくりみせてもらった。ハイジでためてた高原ヨーロッパの清涼感からするとあれくらいはキレイじゃないとダメだろ。人は添え物。というか地上波でモンキーパンチのセックスアンドシーフみたいなやつだせるわけねえだろが(原作レイプ1)
[死んだのに生き返るなんて原作と全然違うじゃん。あと、土鬼どこいった]←原作派のいいぐさじゃん。まあ俺も原作の後半のきれいなジャイアンみたいなやつらをたたきのめす現地民ナウシカ好きだけど。映画は、ほぼクロトワの映画やぞ
[パズーがホストかってくらいホスト。見張りの時飛行船の上でやってるよあれ]←今のホストってあの程度でいいのか?なら50代男性マジで全員おまえらより男子力たかいわ…おまえら全員誘い受けなんだな…
[声優。トトロの息臭そう]←25年たってもスキャンダルおこさない声優っていいよね(鈴木なんとかとか櫻井なんとかとかだったら今頃大変なことに)トトロはおまえら世代でいうピカチュウ。ちょっとおぼえて書いてやるとめちゃ絵が上手い人っていわれる
[ニシンのパイは実際見るとグロいよねぇ。あと、パンツ]←宮崎駿のパンツ罪を直視したければパンダコパンダを見ろ。あいつはロリ。あとこの辺から堂々と原作レイプしはじめるの巨匠とはいえどうかとおもう。
[なんで豚になるんだよ] ←書いてる宮崎の自画像1。鳥山明とおなじで一生フィギュア・ジオラマつくっていたかった性癖がでてて割と好きだが。それより、併映が問題。覚せい剤スキャンダルをおこしたチャゲアスのOnYourMarkが封印されてるの解せぬ。オタクだの表自戦を名乗って「作品評価と作者の行状は切り離せ」いうならまっさきにこいつを騒ぐはずなんだが?性犯罪ばっかりなのおかしいよな。
[タタラ場で働く女たちの服装が乱れているのが気になって集中できない]←若者のリビドーがあれで騒ぐならおまえら日活ロマンポルノみたら爆発しちゃうんじゃねえの。緊縛そば打ちでも見てろ。26年前の映画がいまだに歴代興行収入7位にいる。ちなこれつくったときの宮崎57。女性から異議なし。ジャージでもどうでもいいんだよ。働く女性の表現、トロフィーワイフ化されてない女性表現として宮崎にしてはとても正しいほうだ。
[カオナシって結局何だったん] ←ネットで強いくせに人前では「ア」しかいえなくなるおまえらそのものだよ
[動く城のハウルでよかったんじゃない?タイトル] ←もはやそこしかケチがつけられんのか… まあ観客全員ハウルが抱くから(開始3分で)あとは多少カエル化しても宮崎と大泉洋と経験豊富なばあさんズがなんとかしてくれます
多少原作レイプみがあって重病女性をおこらせたがゲドではもっと盛大に怒らせている
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原作をいい方向にレイプ。というかわりと文章通りなんだがデコの可愛さは民衆にはまだ早かったんや
キャラデザと声優と二人乗りの自動車が最高。原作は馬車だから原作レイプだけど。唯一ブロマンス的深読みができる宮崎作品だが完全ヘテロで夫人に全員メロメロいっちゃうのでワトスンヒロインにしてあげてほしかったんよ(cv内海賢二だけど)…。(完全ヘテロでメロメロ、ではないドリカム編成という意味でオンユアマークはよいぞ)
(ここから追記)バロンと豚猫の階級差がすごいんだけど実は豚猫のほうがかっこいいというこれも宮崎の自己投影がここちよい(そう、俺たちは怠け者が実は好きだ。あれっオレなんかやっちゃいました?の元祖だろあの豚猫)。元増田原作未読だけどもはや東京西部の田園都市線あたりに生息していたラクロス女子を伝える文化遺産として永久保存したほうがいい。バロンはのちのハウルというかわりと連荘ででてきて急にどうしたとおもった
(追記ここまで)原作レイプだけど黒歴史に共感性羞恥をおぼえる腐女子多数。聖司の解釈がブレすぎて最近実写がでてしまう
昔でいうモーションキャプチャーかスターシステムにちかい。男性側アイドルが実はヘテロではないお方だったような気がしてヘテロ役として固定されてしまうのが今みるとちょっと気の毒(龍が如くもジャニー報道でそういう気の毒がまじるんだけど)追記 ギバちゃんが界隈に人気だったのは人気だっただけらしいや、よかったな…
顎でパワセクハラのいやらしさをいっぱつ表現。さすがやで。最後飛びまわるのはちゃんと性交比喩してます。たのしいね。
鴨を鬱にしちゃった。原作が息継ぎないけどこれはいい原作レイプだったとおもう(だって下痢たれてやせほそって死ぬ子供なんか地上波で放映できないじゃん)ちなみに原作者を妹のミルクを盗みのみしたことを一生悔いていた。それを宇野に挿絵かかせて夢野久作がごときまがまがしさですごいからおまえら骨餓身峠でも読んでろ
鈴木色強め
跡継ぎィ… 一番原作レイプがひどかったのはこれ。原作ファン俺も怒ったし原作者が怒るのもやむなし(主人公をホワイトウォッシュしちゃってる)。
原作は2巻が至高。名前が大きな意味をもつ世界で名前をうばわれ意味のない神々に仕える巫女。その庭に遠くから使命を帯びて忍びこんだ黒人おっさんを閉じ込めて飼ってるうちに実在をうたがっていた神の怒りが黒人の上に具現化、なんと巫女をつれて脱出し、…てのを日本人の秘島あたりに翻案したほうがずっとおもしろかったんじゃなかろうか。まあもう二度と許可がおりない(原作者死亡)ので新海が別の方面から達成しちゃったので満足するしかないわな。
映画化は13巻の王子とのブロマンス的なやつなんだけどあの心理描写はなかなか映像化できんとおもう。あと1巻師匠との修行のくだりはぶかれてるのも世界説明がなくて意味がわからんだろ。
のちに巫女とゲドは原作で結ばれるんだが、それも非常にいい話でポテンシャルがあった。
なんで息子にやらせたんだよ…。
宮崎に少女漫画ごときつくらすな感。京兄か新海がやれ(のちの京アニスタッフだったらまことにすまねえというか近藤さんか…)
自画像2。日本には地震とか地震とかあったけどずっとスタジオ入りして毎日絵をかいてた宮崎であった。
原作レイ…、もう名前つかわんでええやろ。おもろいけど。ヒチコックの鳥くらい鳥がこええ。
基本宮崎駿は「ヨーロッパの風景」「多摩の風景」に「世界童話全集」「聖母的スーパー女性像(ババアからロリ、人妻まで幅広く)」と「ダメ男のダメこだわり」をのせてすごいパースと動きでごらんくださいと調理する腕前が世界に誇れる巨匠で、だんだん女性像とかがこなれてきておもろくなるばかりなので次もマジがんばってほしい CGとアイフォンはつかえないけど鉛筆と紙で何億稼ぐ男だからゆるしてやれ
おまえらの新海はどうなるんだろうな
庵野は人間的成長したけどその分特撮部分が不評だったのでもう人間ドラマはあんまりつくらんでええとおもう 庵野は青春の日の幻影
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だが『ジブリの教科書19 かぐや姫の物語』によれば、『君たちはどう生きるか』の中には、高畑勲と思しきキャラクターが登場すると記されている。
宮崎駿最新作『君たちはどう生きるか』で高畑勲が描かれる?…その「驚きの理由」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュースより引用
公開数ヶ月前になってタイ人に関するなんやかやの報道でどうでもいい悪印象を与えてくれた鈴木Pでしたが、「宣伝を全くしない」という前代未聞のプロモーション戦略のおかげで、「宮崎駿の新作を全く前情報のない状態で見る」という稀有な経験を与えてくれたことに感謝します。
これは実に小学生の頃「両親に連れられて『火垂るの墓』を見に行ったら突然なんか知らないアニメ始まった」以来の驚愕の経験であり、その後のジブリアニメが国民的アニメとなっていき毎回公開前に怒涛のプロモーションが行われていった経緯と、その時に見た「となりのトトロ」が私の生涯において不動のベストアニメであることを考えると、奇跡のような経験であるといえます。
ただ、正直あまり期待はしていませんでした。というより期待しないように努めていました。私のジブリへの信頼感のピークは「もののけ姫」とコミック版「ナウシカ」であり、今ではアカデミー賞に相応しい最高のアニメであると評価している「千と千尋」も終わった直後は頭の中「???」でしたし、ハウルでは「??????」、ポニョでは「????????????」となっていきました。
ゲド戦記とアリエッティは私の生涯のワーストアニメベスト1&2です。
「風立ちぬ」「かぐや姫の物語」も、「?」は浮かばなかったものの「ピークを過ぎた老境の作家の遺作としては十分以上の出来だろう」というような妥協した評価に落ち着きました。
この作品が制作発表された時にまず思ったことは「本当に完成するのか?」という心配でしたが、鈴木Pの斬新なプロモーション戦略により完成するまでその心配を思い出すこともありませんでした。ポスターが発表されてからもほぼ忘れていたのですが、「プロモーションをしない」という鈴木Pの方針が話題になってから俄に気になり始め、上記トトロ以来の経験をする決意をしたというわけです。
私と同じ体験をしたい人は絶対にこの連休中に観に行くでしょう。連休中に観に行く予定の人はこの先を読まないでください。
行かなかった人はその後普通にどのような作品だったか、情報を目にすることになるでしょうし、少々のネタバレを食らったところで気にもしないでしょうから、ここから私の感想を書いていきます。ストーリーの核心をネタバレするつもりはありませんが前提となる設定などは普通にバラしていきます。
◆面白い?
「カリオストロ」「ラピュタ」のような痛快冒険活劇ではありません。「ナウシカ」のような設定をしっかり作り込んだ異世界ファンタジーでもありません。しかし、見ている最中「最高傑作」という言葉が何度も浮かんだのは確かです。「トトロ」や「千と千尋」を上回るか?と言われると、難解で観念的すぎる部分はありますが、明らかに上回っている部分もあるので、評価を決めるにはまだ何度も見る必要があります。というかすぐにでももう一度見たいです。
◆この作品を見るべきか否か?
文字通り宮崎駿の集大成なので、ジブリ映画で育った人間なら見に行かないという選択肢はありえないでしょう。ハウル以降は見なくてもいいと思いますがこの作品を見ずに日本のアニメのことを語ることは不可能です。というか、確実に「トトロ」や「魔女宅」などと同じように日本人のDNAに深く刻まれる作品になるでしょう。
◆良かった点
・文字通り集大成なので過去の宮崎アニメの要素が全て入っている
風立ちぬ→トトロ→千と千尋→ハウル→ポニョ→コナン→カリオストロ→ラピュタ
と怒涛のようにどこかで見たような風景、展開が続きます。二番煎じではありません。
本人にしかできないセルフオマージュであり、過去作を踏まえた上で、それが国民的記憶として共有されているからこそできる唯一無二の表現です。
そして、あらゆる影響を生み出してきたオリジネイターにしかできない圧倒的イマジネーションがあります。
主人公のモデルは少年時代の宮崎駿自身であり、半分自伝的な物語になっているが故に、少女を主人公とした「千と千尋」などより真に迫ってくる情感があります。
何より宮崎駿がインタビューで度々口にしていた母親に関する憧憬が、作品として昇華されているところが素晴らしいです。
コンテを描きながら公開日を決め、締切に追われながら作られた過去の作品は、若い頃は力技で最後まで渾身の力で作りきっていましたが、近年の作品においては終盤明らかに息切れが感じられました。今回は明らかに時間をかけてストーリーが練り込まれており、「ハウル」や「ポニョ」で顕著だった「えっこれで終わり????」という感覚は一切ありません。
「既存のストーリー構成の枠にはまらない」という手法は「千と千尋」の方法論を踏襲しているので唐突な展開の連続に難解さを感じる人もいると思いますが、終わってみれば一本筋の通ったストーリーになっており、深く考察する価値がありそうです。
「千と千尋」で確立した「ゆきて帰りし物語」のフォーマットを発展させ、導入はよりゆっくりと自然に、異世界に入ってからはよりぶっ飛んだ展開の連続で飽きさせません。結末も「これしかない」という納得感のあるものになっています。
・泣ける
「火垂るの墓」以外のジブリ映画で泣いたことはあまりないですが、様々な要因からくる深い感動で終盤は涙が止まりませんでした。米津玄師の主題歌がその感動に拍車をかけてきます。ズルいと思うぐらい良いです。
◆悪かった点
・なんか説教くさそう
説教くさそうなのはタイトルだけです。少年時代の宮崎駿が「君たちはどう生きるか」を読んで感銘を受けた、という以上のことは原作との関連は読み取れませんでした。原作を読み返し、何度も見て考察したい点です。
観客が作品本体の話で盛り上がるのではなく、作品の中に自伝的要素を探しはじめてあーだこーだやりはじめると失敗作の証拠で、かつは黒澤明の『夢』、ジョージ・ルーカスのプリクエル、コッポラの『ゴッドファーザーPart3』なんかもそうだった。作品として強度が弱くつまらないからこういう現象が起きるのだが、たとえ自伝だったにせよ、作家の人生のうち我々に見えているものなんか0.01%もないわけで、作家が何に何を投影したかなんて全く関係ない観客が正確に理解できるわけもなく。
老境に入ってからの作品といっても『かぐや姫の物語』とか『アイズ・ワイド・シャット』とかそんな現象は起きなかったでしょ? 優れた作品とはそういうもの。作品本体の話で盛り上がれるもの。
かぐや姫:竹から生まれた美しい女性かぐや姫の物語。彼女は、天界の使者から来た「月の使者」と共に暮らすために地球にやってきたという伝説があります。
ふむふむ……ふむ?
浦島太郎:鬼と友達になった男の物語。彼は鬼が住む海底に連れて行かれ、そこで年月を過ごします。彼が帰還した時には、数百年が経過していたという伝説があります。
鬼……?
鬼……??
赤ずきん:狼に襲われる少女の物語。彼女は祖母を助けるために森に向かい、そこで狼に出会います。彼女は狼に食べられてしまいますが、狩人に救われます。
一休さん:禅僧の物語。彼は、賢さとユーモアのある返答で有名であり、その教訓は広く愛されています。
うさぎとかめ:ウサギとカメの競争の物語。カメは遅い歩みで進み、ウサギは速く走りますが、カメが勝利するという教訓があります。
うん。
たぬきと狐:たぬきと狐の友情の物語。彼らは互いに認め合い、冒険を共にしますが、最終的にはお互いの性格の違いによって離れ離れになります。
……うん?
その時の所感を思い出話も兼ね、ここにエントリーを残そうと思う。
拙い文章だしまとまりの無い雑記で恐縮だが、もし興味があれば最後まで付き合っていただけると幸いだ。
そこまで興味ねえよ、って方は『デルタの羊』(著:塩田武士)を読むか、
『アニメーション制作進行くろみちゃん』(制作:ゆめ太カンパニー)を観れば良いと思う。
大分アニメ業界をマイルドに表現しているが、ある程度リアルな現状が分かるだろう。
大学を卒業後、国家資格が必要な仕事でそれなりに安定した生活を続けていた。
そのうち、毎日の仕事に退屈さを覚え、自分の好きなことに関われる仕事をしたいと考えるようになった。
そう決心してから実行に移すまではそう遅くなかった。
一度だけの人生、自分の想いには素直になりたいと思って転職をした。
中途採用の面接は驚くほどアッサリとうまくいき、無事志望していた制作会社に入社することができた。
他にも経験したポジションはあるのだが、書きすぎると特定されかねないのでここで留めておく。
そうして入社したアニメ制作会社に、新卒時代の仕事よりも長い年数身を置くことになる。
一般企業からすれば規模は小さいように見えるが、業界内からすれば大手制作会社といえる。
今の職場で、制作に携わったアニメをオタクじゃない先輩に話したら「あー、あのアニメ作ってたの?」って
言われるほどには結構作品自体の認知度は高いし、結構覇権認定された作品も制作していた。
会社についても、そこそこアニメオタクからは話題に上がるほどだ。
毎年新卒の制作進行が複数人入社するし、抜けた数だけ中途採用ですぐに補填できるほど、
ひとことで言えば「縁の下の奴隷」と称すのが正しい。
制作進行という仕事について、「立派な名前は付けられているが、テレビ番組のADと変わらない」という認識かもしれない。
概ね合っている。
付け加えるとすれば、漫画の編集者の仕事の一端も担っていると言って良い。
漫画の編集者は、大体一人の編集者が一人の作家を面倒見るものだと思う。
アニメの制作進行は一話につき約10~30人の原画担当、そして数人程度の作画監督、
監督の追っかけまでするのはスタジオによってまちまちだろうが、概ね他社も似たような状況だ。
クリエイターからすれば、アニメ自体に何の付加価値も与えていない使い捨ての道具程度にしか見られていないが、
実際のところ制作進行が居なければどんな作品が作られるだろうか。
高畑勲監督作品『かぐや姫の物語』のように、制作期間と制作費をドブに捨てた「儲からない作品」のできあがりだ。
制作進行、制作デスク、ラインプロデューサー、こういった旗振り役が存在するからこそオンエアのスケジュールに沿ってアニメ作品は作られる。
全く軽んじられている仕事に見えて、実はアニメ制作の仕事においては重要な役割だ。
給料は中堅拘束アニメーターや演出の拘束費よりも、自分の新卒時代の月給よりも少ないのに。
また、大手のアニメ会社といえど、社内の作画スタッフだけで作品を作れるかと言ったらそういうわけでもない。
フリーや他社のアニメーターに声をかけて「うちの仕事しませんか?」と営業するのも制作進行の仕事だ。
これについては、大変なおもいをしてアニメーターに罵倒されつつも満身創痍で人集めしていたかと思うと
実はそこまで酷い目に遭ったことは少なかった。(全く無いわけではない)
結構ウチの社名と参加タイトル出しておくと集めやすかったというのが他社スタジオに籍を置いていた先輩の感想だ。
他にも、「外回り」といって作画担当の上がりをアニメーター宅やスタジオまで回収しに行く仕事もほとんど無かった。
会社のブランドによるアニメーターの集めやすさ、物理的にしんどい外回りが不要であること、これらは大手ならではの強みだろう。
アニメ業界にいる人間は大体低賃金で働かされるという問題が取り沙汰されるのは、業界の外の人間にとっても聞かない話題では無いと思う。
年齢が50代後半を迎えたベテランにも関わらず、相変わらずボロアパートに暮らしている人間は少なくないし、
税金を未納しているほど経済状況に困窮しているアニメーターも知っている中で若干名存在する。
キレイな上がりを出して作品に多大な貢献している人は月に50~100万、中堅でも安定している上がりを出せれば20~30万と、
作品に対して一定以上のクオリティを保っていれば普通に生活できているのが実情だ。
そんな実情なのに生活に困っているアニメーターは、新人である以外に思い当たる大きな要因としては以下の三つだと考えられる。
①病気のためしばらく仕事ができていない(激務だし生活サイクルが安定しないので、結構体を壊しやすい)。
②上がりは平均程度なのに性格に難があるから、次の仕事に繋がりにくい(この手の人は作品の納期がヤバいと起用される傾向にはある)。
③そもそも上がりのレベルが落書きだから仕事を干されている(なおかつスケジュールも守れないパターンも割とあるのでかなりタチが悪い)。
性格に難があったり、上がりを出すまでが遅くても使われ続けるアニメーターって、結局押さえるべきクオリティを押さえられている。
にも関わらず「アニメーターは低賃金だ! 彼らの生活を安定させろ!」と騒ぐのは業界をよく分かっていないモグリの発言だ。
新人アニメーターの生活を安定させろという話もあるが、これについても新人なら新人なりにキャリアの無いうちにフリーにならず、
どこかのスタジオに籍を置けば実はある程度解決できる話に過ぎない。
じゃあ稼いでいるアニメーターって具体的にどんなアニメーターだろう、と聞かれたら真っ先に以下の三点が挙げられる。
①納期厳守
②安定したクオリティの上がり
①さえ守っておけば仕事は来るし、②だけが強みな人も生活できるレベルで稼げる、③については納期を平気で破ろうが高い拘束費を貰って仕事ができる。
③をできる人が居なくても①と②を心がけられる人が居さえすれば生活なんてできるし、一ヶ月程度の休暇を取ったとしても生活している人だって居る。
制作の人間からすれば、あまりクオリティ追求しすぎず納期を守ってくれさえすれば文句は無い。
その理由は次項で話そう。
原画担当が演出指示に従って構図とキャラ等の位置関係等を下描きする工程。
最近では3Dモデルを使ったレイアウトを制作会社が用意して、その上に作画担当が描くパターンもある。
出来上がったレイアウトを演出担当が指示通りに描いてくれているか、
もしくは気が変わったからこういう風に直してくれという指示を挟む。
あまりに酷い上がりだったらこの時点でリテイク指示して作画に差し戻し、もしくは制作進行にブチ切れる。
演出の指示がしっかり作品の雰囲気や世界観に沿っているか確認する工程。
監督が演出を兼任している、監督の業務負担が重すぎる、演出の力量が高い、などの時には
作画監督(作監)が②③の工程で出た修正に加え、絵柄の統一を図る。
基本的に①で出てくる上がりは作監以上のクラスの人間が描かない限り、全く絵柄が作品に合っていないパターンが圧倒的に多い。
というか原画担当にキャラクターデザインの通り描かせたら時間がかかってしょうがないので、
総作画監督(総作監)がキャラを大写しにしていたり、動き方が大事なカットを修正する。
これに関しては、必要最低限なカットだけを修正させることで、総作監の業務負担を減らすことになっている。
④もしくは⑤の工程が終わった戻しのカットを、基本的には①の作業者が清書する。
演出、監督、作監などのメインスタッフが起用NG出したり、作業者のスケジュールが合わないなどの場合は、
別の作業者を制作進行が第二原画担当を探してお願いすることになる。
エンドクレジットに出てくる第二原画はそういった「レイアウト作業者の尻拭いをしている人」という認識でいると良い。
上がった原画がしっかりレイアウト修正を反映しているか演出がチェックする。
問題なければ、動画検査に回して動画会社や社内動画に描いてもらう。
これでも直っていなかったら作監にまた修正をお願いすることになる。
細かい工程は少し省いたが、一覧で見てみてもご推察いただけると思う。
上がりが上手ければ上手いほど、③~⑦の工程で省ける箇所が増えるのだ。
その省ける工程のおかげでアニメ制作がスムーズに動き、それができる作画担当はアニメ業界において重宝され、
貢献度に応じて対価が支払われるようになる。
作画担当のそうした活躍は拘束費の引き上げ、作監以上への格上げ、更には演出や監督デビューにも繋がる。
中にはずっと絵を描いていたいということで、生活が少しくらい苦しくても作画のままでいるアニメーターもいたりはする。
ここが前項で述べた「クオリティを重視し過ぎなくても良い」と言った理由だ。
昔のアニメに比べて、今の時代のアニメだからこその進化がある。
出来上がった作画に光の陰影だとか、無機物ののっぺり感を抑える処理。
これを撮影班や美術担当が加工することで立体的でリアリティや臨場感を与えてくれる。
『鬼滅の刃』を制作したufotableが、自分が思うにこの技術力は随一だと思っている。
あそこは動画については、海外の動画会社に撒いているので動画枚数にこだわりがあるというわけではない。
その分、撮影や特効によってリアリティのあるごまかしで、キレイな上がりになっているように見せている。
少し話題は変わるがtwitterのTLを巡回していたときに「あの作画やべえええええええ」って3Dモデルが動いているだけのカットを
絶賛していて、アニメ観ている人ってその程度の認識でしかないよなあって少し落胆してしまった。
演出助手になっても、制作デスクを担当しても、上がる給料は少ない。
それでも嫁と二人暮らしで、嫁の方もフルタイムで働いていたのでこれまでは問題無かった。
先立つものがなくなる不安で仕事にも集中できなくなり、再度新卒時代に携わっていた国家資格が必要な仕事に戻ることにした。
アニメ業界は、左うちわで稼げるようになるまでの時間が途轍もなくかかる。
特に制作側で入った人間は一層そこに至るまでに苦労を強いられる。
これを詳細に語ると当時を思い出して気が滅入るので、箇条書きで記載する。
・上がりの納期を守ってくれる作画が知り合ったアニメーター数百人中両手で数える程度しかいない。
・今でも当時の罵詈雑言の日々が夢に出てきて真夜中に起きる。
同年代の新卒社員と中途で入った自分とで、自分の方が給料が高い、なんてこともあって
大手の制作会社でも決まった給与テーブルが存在しないパターンがある。
あと、規模さえ考慮しなければアニメ制作会社の面接は驚くほど簡単に通りやすい。
簡単なコミュニケーションや、自分がこれまで経験したことをありのまま受け答えして、
最後の質疑応答でアニメ業界に興味ありげな質問さえしておけば大体通る。
落ちたらよっぽどのコミュ障か、社会不適合者レベルだとも言えるのではないだろうか。
そんな割と適当な業界でもあるので、ある程度新卒で働いてから考え直しても良いと思う。
10社転職してから入った人も居るような業界だし、思った以上に門戸は広い。
それでもアニメ制作会社に入りたいのであれば「アニメが好きなこと」と「アニメを作るのが好きなこと」は違う、
これは肝に銘じておいたほうが良い。
入りたての頃、自分が制作に関わったアニメのオンエアが観れなかったほど、アニメが嫌いになりかけたことがある。
そこを経て色んな感覚が麻痺し始めてから、真のアニメ業界人の一歩だろう。
道のりは前途多難だが、アニメで成し遂げたいことがあるならば健闘を祈る。
( 2019年冬アニメ1話ほぼ全部観たから感想書く その1 からの続き )
AmazonPrimeVideoのみ見放題
鬼ごっこ。Clover works(旧A-1 Picturesのスタジオ)によるサスペンス作品。原作は週刊少年ジャンプ連載の漫画。神戸守とA-1によるノイタミナ枠といえば「すべてがFになる」だけど、本作もほぼ同じスタッフ(まだ観てない)。
日常→非日常までの流れがすごい綺麗。1話はちゃんと2回観てね。無邪気な子どもたちの会話シーンに流れる、流麗だけど緊張感のある音楽(音楽:小畑貴裕)と、音楽のないシーンを織り交ぜて不穏な感じを徐々に演出していく。
そして例のシーンにおける容赦のない作画。特にCloverWorks作品は表情のアニメーション作画が強烈(スロスタ、ダリフラ、青ブタとか)で、本作も非常にエモい。特に人外の表情もいけるクチだったのね。その後の、諸星すみれの絶叫がこわかった。そのあと力強くて優しい曲が流れる演出好き。
作画で言うと、細かい仕草の作画が丁寧。5~12才の子どもたちが甘える仕草。甘えん坊~自立した子まで丁寧に書き分けてる。あとメイン2人の恐怖を、全身使って描くシーン。
そして2話以降、遠くの物陰から二人をこっそり覗き見ているようなカットが急に増える。これが非常に強烈な緊張感を醸し出しててキツイ。
そういえば、カメラをフィックスしたカット演出って神戸守監督結構好きなんだっけ。神戸守が絵コンテを担当した「宇宙よりも遠い場所」の7話、8話でもちょくちょく使ってて好きな演出。
よりもい8話で「ついに流氷を見た4人が順番に短いセリフを言っていく際、喋るキャラに一人ずつピントを合わせる」という超エモい演出があったけど、ああいう被写界深度を駆使した演出が本作でも見られるのが嬉しい。
AmazonPrimeVideo独占
半世紀前に連載された手塚治虫のマンガを再アニメ化。制作はMAPPAと手塚プロ。ゲゲゲの鬼太郎よりもグロくてシリアスな時代劇。犬夜叉からギャグを引いた感じ。割と長編の作品ゆえ、シナリオはある程度改変しているみたい。魔物の数が48から12体に減ってる所とか。1話につき1妖怪なのかな。
時代劇専門チャンネルで放送されている本作は全体的な作りも時代劇っぽい。キャラ原案が浅田弘幸(最近だと「あかねさす少女」のキャラ原案)で、あの濃いキャラデザが時代劇っぽさによく合っている。手塚治虫っぽさは感じにくいんだけど、OPのどろろの顔とか急に手塚治虫っぽくなる感じは狙ってやってるよね。OPED両方凄く良いのでぜひ観てね。特にワンマン作画のED。浅田弘幸の挿絵すっげえ綺麗。
あと背景が良い。「かぐや姫の物語」ほどではないけど、おとぎ話の世界にいるような雰囲気がある。世界観的にも「蟲師」に似てる(2話の「妖怪よりも人間のほうが…」っていう古典的モチーフとか蟲師っぽい)。どろろの背景を担当したスタジオPabloの、筆っぽさが残ってる背景いいよね。最近だと「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」とか。
池頼広による劇伴は和楽器を使った曲がメインだけど、それでいてすごくJazzyでおしゃれだったり、重厚な戦闘BGMだったり。同氏が劇伴を担当してるTVドラマ「相棒」シリーズっぽさを感じる。
国家間戦争を描くタツノコプロのロボアニメ。スタジオ設立55周年記念となるオリジナル作品。
キービジュアルとかキャラデザ的が可愛いのと裏腹に、タツノコらしい硬派なシナリオ。ガンダム作品くらいキッツい話なので注意。
王国のお飾り首長こと主人公が自国の将来をどうするのかっていう視点とは別に、自国の兵士視点、敵国の兵士視点でそれぞれ戦争を描いていく。群像劇→戦闘→群像劇→…。3話では王国の戦争孤児と帝国軍の兵士が仲良くしてたり。戦争モノの作品は個人的に兵士たちの何気ない会話が好きで、本作で言えば主人公は側近と、王国軍の兵士は戦闘前にワイワイと、帝国軍の兵士は偵察で王国内をウィンドウショッピングしてるシーン。ああいうシーンが、彼らに感情移入するキッカケになるよね。特に本作の登場人物はみんな割といい人として描かれてるのが印象的。「こんな戦争、いつまで続くんだかなぁ…」とは帝国軍兵士のセリフ。
その戦争は基本的に人型巨大機動兵器を使う。基本的に3DCGで描かれるんだけど、デザインや挙動、戦い方がすごい。1話ではVR模擬戦、2話では中隊~大隊による大規模戦闘。量産機による小隊を最小単位とする戦闘がメインで描かれてる。1話の模擬戦では5vs5で、近距離:中距離:遠距離=1:3:1。武装も近接用の打撃武器、サブマシンガン、ライフル等バリエーションがあって、威力もそれぞれ描き分けてる。機体はホバリングで高速移動が可能なんだけど、姿勢制御用の羽根みたいなスラスターが機体の前後に展開されてて、停止する時ちゃんと慣性制御してる。すごい格好良かったのが狙撃機で、移動時は狙撃銃を縦に持ってたり、攻撃時頭部が変形したり、放った弾丸が緩やかな放物線を描いて着弾したり。めっちゃかっこいい。かといって狙撃機=強いでもなく、それぞれのバランスを考えた戦闘演出になってる。2話以降もエース機による無双(なんだ!あの機体の動きは!?)ではなく戦術的な展開にフォーカスしてる(敵も戦術を練ってくる)のが面白い。あれだけの機体数を画面内で動かしまくるシーンは壮観。
OPを観ての通り、「王女の笑顔」と「一兵卒の笑顔」という対比構造が物語の中心に据えられている。王女の笑顔…周りの人間が、彼女の笑顔を守ろうと尽力している。そういった努力の象徴。お花みたい。そういえばニコニコの生放送特番で「タイトルが敢えてカタカナになっているのは意味がある」的な発言してたけど、花の名前だったりして。対して一兵卒ちゃんの笑顔...何もかも失った彼女の、悲しみや虚無感の象徴。持つ者と持たざる者。支配階級と労働階級的な?
「フルーツバスケット」でおなじみ大地丙太郎監督によるタイムスリップラブコメ。原作はブロッコリーの恋愛ADV。タイムスリップ先は明治時代の日本で、攻略対象は歴史の偉人(イケメン)。森鴎外や泉鏡花等文化人が多い。
転移タイプの導入が流行っているのだろうか。去年の作品だと夢100は夢の中の世界に飛ばされた主人公が世界を救う旅に出る話で、BAKUMATSUは(主人公が不在だったけど)別の世界線に存在する日本を救う話。で、これはもうちょっと規模の小さいお話。今期で言えば「不機嫌なモノノケ庵」みたいな感じ。モノノケが見える能力を活かして、身の回りに起こる出来事を解決しながらみんなと仲良くなっていく。
お正月にフルバ一気見してたんだけど、大地丙太郎監督のアニメはほんとテンポ感が気持ちいい。基本的にラブコメなんだけど、話の縦軸は多少シリアス。でも「あ、結構シリアスになりそう」っていう絶妙なタイミングでガスを抜くっていうか、緊張と緩和の波が穏やかになっていて、最後までほっこりした雰囲気で終わる作品になっている。そういえば今年放送されるフルバのリメイクも、本作と同じトムス・エンタテインメント制作なのね。
背景も含めて、全体的にコスト抑えめな作品。この時代を描いた作品は去年いくつかあったけど、背景の緻密さでいうと これ(明治)<ニル・アドミラリの天秤(大正)<天狼(大正?)という感じ。また、多用されるデフォルメ顔は引きの画になった際キャラの顔が崩れるのを防ぐため積極的に使ってるのかもしれないけど、文脈が破綻しないくらい表情が豊かでかわいい。
現代→明治のタイムスリップなので文化の違いに主人公が驚くシーンがちょくちょくあるんだけど、一瞬で順応する適応力の高さ。そんな物怖じしない主人公が周りをを引っ張って行く感じが好きだし、なんやかんや付いていく菱田くんや、付かず離れず二人を見守る森さんも好き。
現代版「徒然草」。東京都練馬区の江古田駅ら辺に住んでいるフリーターの女性視点で描くルポルタージュ。
1話ごとに監督、キャラクターデザイン、声優、アニメスタジオなどすべてが変わるオムニバス形式のショートアニメ。構想12年らしい。d'アニメストアでは、各話を担当した監督x江古田ちゃん役の声優による対談を加えたロングバージョンが配信されている。1話は大地丙太郎監督。江古田ちゃんが送る日々から切り取られたワンシーンがテンポよく描かれていく様はまさに「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ」みたいな感じ。いやぁ、あるあるだわー。そしてきっつい。なお1話の対談で大地監督が言ってたけど、「ショートアニメ、しかも1話だけで表現できることなんかねえよ!」とのこと。今の所2話の人間味溢れる江古田ちゃんがめっちゃ好き。2話…監督:杉井ギサブロー 江古田ちゃん:朴璐美 脚本:岡田麿里。既に各回の監督やキャストは発表されているので、興味がある人はチェックしておこう。一番楽しみなのは高橋丈夫x小清水亜美の回。
AmazonPrimeVideo独占
たつき監督率いるirodoriの新作。ニコニコ動画等で配信されている自主制作アニメのリメイク。けもフレみのある低コスト志向な作品。けもフレ同様ポストアポカリプスな世界感なので、少女終末旅行みたいな灰色の廃墟が背景として登場する(軍艦島っぽい)。好き。
エンドロールがたつきから始まりたつきで終わるあたり、「たつきの、たつきによる~」って感じが伝わってくる。
まず説明的なセリフを極限まで削って伏線を散りばめるシナリオうまい。良く分からないようで要所はちゃんと理解できるし、後のシーンを理解するのに必要な因子を事前に描いておく手法も、絵の中に必要以上な情報が含まれていないからこそって感じがある。
また島を離れる準備をするシーンを見ると、一連の動作を短いカットに分け、的確につなげて描く演出になっていて、けもフレでいえばジャングル回で橋を作るシーンみたいなテンポ感のある、分かりやすくて間延びしない絵になってる。結果として「はじめこそよくわかんないけど、すんなり観ていられる上に話の輪郭が分かりやすい」という印象に。
手さぐれ!でも思ってたけど、キャラの芝居が細かくてかわいい。1話2:00頃「階段登ってて振り返るリナコの仕草」とか、2話14:30頃「リンの帰還をリツが耳で察知する仕草」とか。
作品の世界観こそシリアスだけど、割とゆるいパートから戦闘パートまで振れ幅が大きい。そしてそれらを彩る音楽がかなり良くて、特にシリアスパートの曲がエモい(音楽:高橋哲也)。
アメリカの刑事ドラマ。スタジオぴえろ制作のオリジナルアニメ。アメリカの警察組織と凶悪犯罪者の戦いを描くサスペンス?ミステリー?ハードなストーリー。
制作こそ日本だけど展開やセリフ回し、登場人物等アメリカの刑事ドラマっぽい。作品の雰囲気を印象づける背景も、遠景に映る建物デザインや道幅、街路樹の種類や植えられている間隔等すべてが新鮮に感じる(聖地巡礼という文化は海外にもあるんだろうか)。葬式の後3人で歩くシーンなんか、街路樹の枝の描き方がヤバイ。あんなに主張の強い街路樹あんまり見ないよね。色味もキャラのデザインに対して全体的に淡いし(各キャラのビビットな差し色がめっちゃ目立つ)。
キャラクターのお芝居も全然違くて、例えば泣きの演技も「伏し目→手で顔を隠す→天を仰ぐ→涙をこぼす」みたいな、日本のアニメでは中々見ないような「あ、ここ海外ドラマでやったやつだ!」という印象が強かった。
そしてかなりアクションシーンがかっこいい。刑事ドラマのアクションということで、1話は激しいカーチェイス。激しい動きなのにまさかの手描き。手描きの車によるアクションシーンを観たのは「ルパン三世 Part5」以来かも。アニメ映えするアクションというより、「カーアクション映画らしさ」にこだわったアクションになっていたのが印象的。カメラの使い方とかカットの割り方とか、ぶつかってスピンする車の動きとか。先のアニメ「SSSS.GRIDMAN」が「特撮らしさ」を追求したアクションだったように、本作もそういう趣向を強く感じた。
昨日5日は高畑勲監督の月命日でした。
講義の合間にジブリ第7スタジオ跡(現在は別の企業オフィス)を通って、4年半ぶりに都立野川公園へ。高畑監督が『かぐや姫の物語』制作中にスタジオを抜け出して自転車で通っていた場所。懐かしい。
訃報から2ヶ月、夕暮の園内を散策しながら感慨に耽りました…。 pic.twitter.com/oheBBZHkzx— 叶 精二(Seiji Kanoh) (@seijikanoh) 2018年6月6日
こんなツイートがあった。
「かぐや姫の物語」の制作現場となった、ジブリ第7スタジオが入居していたビル。#ジブリがいっぱい発表会#かぐや姫の物語 pic.twitter.com/RqLZHOkSBk— キャッスル (@castle_gtm) 2018年4月21日
画像を見ると電柱に「○町2丁目」とあり○は左右対称の文字に見えるので【中町】【東町】【本町】のどれかと推測。
亜細亜大学から野川公園の間で片側1車線で歩行者用信号がある交差点を重点的に調べた結果
これを読んでというわけないじゃないが、最近(でもないが)ハッピーエンドとかバッドエンドとかがわからなくなった。
例えば、『秒速5センチメートル』とか、私はハッピーエンドだね~と思ったけれど、世の中では胸糞らしいし、『かぐや姫の物語』も私はすごい上級のハッピーエンドじゃん……!と感動していたら、ツイッターでものすごいバッドエンドって言っている人がいて驚いた。
というか、見る側にとっての、ハッピーエンドになるための目標スコアが高まりすぎていて、なんでもバッドエンド扱いにしすぎじゃないのか?という。
で、結局、思ったのは、私の思う"ハッピーエンド"ってハッピーどうこうよりただの私の"好きエンド"なんじゃないかってことだ。
物騒な言い方だが、私は人の死ぬ話が好きだ(スプラッタものとかではなく)。報われない話が好きだ。結ばれない恋の話が好きだ。
で、そういう要素があると、私的には"ハッピーエンド"になるのである。
逆に、たぶん世間的にハッピーエンドなんだろうなあと思っても、個人的に好きではない話とかももちろんある。そりゃ誰でもそうだろって話ではあるが。
例えば、『ゆりかごを揺らす手』とかは、ベビーシッターの金髪美人の思うままになって終わったらそれはそれで好きかもと思うし、『耳をすませば』も『秒速~』みたいにウダウダして何もないまま終わってたらもっと好きだった気がする。
ただの、アンチハッピーエンドなのかもしれないが、とにかく、個人個人でハッピーとかバッドとか変わる基準ではなく、これからは「私が好きなエンド」基準で生きていこうと思った。
ヒット作品、何かの賞を受賞してる作品、クリエイターがよく挙げている作品、ネームバリュー等々……要するに「よく語られてる作品」をリストアップしていたらあっという間に100を超えてしまったので、ちょっと手を加えて100作品に調整してみた。正直なところ100だと枠が全く足りない。映画だけで絞ってもだ。
オールタイムベストではないので、ここに載ってるから優れているとかそういう意図はないです。
かぐや姫の物語やレッドタートルを「やーいジブリのくせにコケたコケた」とメディアがはやし立てたりしたのもそういう世間の意識によるところがありそう。
映画祭って商業要素の少ない鑑賞会っていう役割とビジネスとしての見本市っていう役割が表裏一体になってるけど、
鑑賞会で褒めてもらったっていうのをビジネス的なセールスポイントにするっていうことに違和感が出てきてるのかもね。
審査員は娯楽作の売り込みをしようと思ってるわけじゃなくて良いと思ったものを推挙してるだけだし。(いろいろあるのかもしれないけど建前ではね)
映画批評がちゃんと機能してれば日本でも他人の推薦するものを見に行くスタイルができてたのかもしれないけど、
批評家が信頼されてないから、なんとなくすごい賞とったから野次馬根性でみんな見に来いみたいなプロモーションになっちゃうんじゃないだろうか。
世界三大ファンタスティック映画祭の存在意義をわかってくれる人とか今の日本でそんないないのかもしれない。
なりません。
受賞はおそらくズートピアだろう。
あるいはファインディング・ドリー。
ディズニーがピクサーを買収するのは2006年。90年代末から2000年代初期、ディズニー作品はパッとしなかった。良作はあるが、大作かと言われると…という感じ。作品テーマが明らかにマンネリズムに陥ってみえたのもこの頃。過去作のオリジナル続編のOVAを乱発したりしてな…。ジョン・ラセターの介入によって今のディズニー作品が存在すると言える。ちなみに2002年でディズニー作品からのノミネート作はリロ・アンド・スティッチとトレジャープラネット。
モンスターズ・インクが2001年(ノミネート)。その次のファインディング・ニモが2003年(受賞)。2002年はピクサーの新作が公開されなかったのだ。アカデミー賞はその年にアメリカで公開された作品が審査対象になるので、この年にピクサー作品はなかった。なおピクサーは06年以降1年に1作は必ず新作を公開している。
それから15回のうち
03、04、07、08、09、10、12、13、14、15年の10作品
千と千尋の神隠しが洗練された表現形式と優れたエンターテインメント性を兼ね備えた映画だったことは疑わない。
しかし、アカデミー賞の受賞までいったのはタイミングの問題が小さくなかったのだろう。
長編アニメーション部門ができて二回目という時期もあっただろうか?
いや、なによりも、運良くディズニー・ピクサーの脅威がなかった年にノミネートできたのである。
そんな中で、様式の異なる海外アニメーションを出品して、ノミネートされるってだけでだいぶすげえことしたってレベルですよ。
いま、ディズニーやピクサーの勢いが衰えないうちに日本のアニメ映画が受賞までいくことはおそらくない。
ディズニー・ピクサーの表現技術が日夜進歩を遂げており、エンターテインメント性も損なっていないのであれば、会員たちにとってあえて海外の異なった様式のアニメーションに受賞させる必要がない。
なにか根底から価値観を覆されそうな、とてつもないものが提示されない限りは。
だからね、千と千尋の神隠しが受賞したからって、簡単に、受賞するか?! って言わない方がいいよ。
しないから。
だいたいね、映画批評家協会賞とかいうの、あれってアカデミー賞の前哨戦なんて報道されるけれど、それならLA映画批評家協会賞をとったかぐや姫の物語がアカデミー賞受賞にならないのはおかしい空気だったと思うんですよね。
ほかにもボストンとかサンフランシスコとか、各地の映画批評家協会賞とやらをとってたんですよ、かぐや姫は。
さらに、各地の映画批評家協会賞でかぐや姫と競い合っていたのは、ベイマックスじゃなかったし。
でもレゴ・ムービーに至ってはアカデミー賞ではノミネート漏れまでしてるし…。
ヒックとドラゴン2でも、ソング・オブ・ザ・シーでもなく、ベイマックスなのだ。
というわけで、まずはノミネートするか?! を期待するのが妥当だと思います。