はてなキーワード: となりの山田くんとは
101回目のプロポーズが放送されたのも
ちびまる子ちゃんのアニメとともに「おどるポンポコリン」が大ヒットしたのも
B'zが「太陽のKomachi Angel」で初めてオリコン1位を取ったのも
プリンセス・プリンセスの「Diamonds」がCD作品でミリオンセラー第一号となったのも
尾崎豊が亡くなったのも
キリン一番搾りが発売されたのも
カルピスウォーターが発売されたのも
Tokyo Walkerが創刊されたのも
朝日新聞で「となりの山田くん(ののちゃん)」の連載がはじまったのも
ロッテオリオンズが千葉ロッテマリーンズに改名したのも
ぜんぶ平成なんだよね。
かといって不感症というほどでもない。
そろそろ働いて社会とのつながりを感じたいと思うけど、
いま生かされている以上、人並みとまではいかないが、
多少は感じることはできている。ただロマンスは足りない。
こうした状況に甘んじているのは、
きっと自分がそういう文学でありたいと願っているからだと気付いた。
ダサさの極みを承知の上で、好きな小説は「ライ麦」と宣言するし、
きっと真面目すぎてストレス過剰だった自分を変えた一冊だと思ってる。
鬱屈した思いがわかりやすくレジスタンスな行動にあらわれてる、
そのホールデンが痛快無比だった。
真面目はやめようそして座右の銘は「適当」(となりの山田くん)
それが広く大衆に認められうるのは、
学友に「お前終わってんなぁ」と言ってくれた男がいた。
氏は貧困家庭で苦労していたため、稼ぐというモチベが高かった。
軽音サークルでパンクは形じゃなくてハートなんだよ的なオリジナル書いたり、
そういうのではなく。
右よりも左に惹かれるのは臆面もなく理想論を語り続けるからじゃなくて、
アート界隈にもいっぱいおるやろけど、
ささやかな反抗心は持っておきたい。
反ポピュリズム。
焦燥感を抑えるために自己正当化の物語をどう構築するかが大事で、
昔の『となりの山田くん』はたまに笑えるものもあったし、書籍版で読んだ『サザエさん』も面白かった。
それに比べて最近の作品は、いくらなんでも新聞という安全圏にアグラかきすぎてないだろうか。
今でも覚えているのは、『あんずちゃん』という名の暗黒時代である。
あれは本当にクソすぎて、もはや安心感すら漂うレベルのクソさだった。
その後、鳴り物入りで『ちびまる子ちゃん』がやってきたが、なんとこれもただの駄作になってしまった。
仮にも新聞の一部だし、朝からそんな刺激のあるものは求めてないから、
結果的に山なしオチなし意味なしとなってしまう。そういう事情であれば、まだ理解はできる。
しかし、ただつまらないだけならともかく、時折前衛的というか意味不明な作品が出てくる。
今やってる『おーい栗之助』に至っては、下手すると意味のわかる回の方が少なくなりかねない勢いだ。
4コマ描いてると心を病むのか?
「映画の種類による。アニメでは現実世界をデフォルメする必要があるが、女性は現実的な傾向があり、日々の生活をやりくりするのに長けている。男性はより理想主義的な、ファンタジー映画に向いたアプローチができる。男性監督が選ばれることは偶然だとは思わない」
という発言を見て海外に向けてこれを発信するのはなんとも恥ずかしいと思った
ジブリ映画で宮崎以外が原作のファンタジー映画は全て女性作家によるもので、男性原作の作品の映画はは少ない、西村が改悪してしまったマーニーも女性作家原作だし、世界に名高い名作ファンタジーを監督が原作レイプして驚くほどの駄作にしたゲド戦記、千と千尋もアニメ化がかなわなかった女性作家のファンタジーの影響を受けたと宮崎が言ってるし、他にもハウルの動く城、魔女の宅急便、耳をすませば、猫の恩返し、アリエッティ、ファンタジーではないのはおもひでぽろぽろと海が聞こえるくらいだ
男性原作はとなりの山田くん、風立ちぬ、火垂るの墓、コクリコ坂とファンタジー以外ばかり
何故この環境で仕事をして女性はファンタジーに向かないと思えたのか不思議なくらい女性に片寄っている
世界を見てもハリー・ポッターにアナと雪の女王、日本を見ても鋼の錬金術師や精霊の守り人や十二国など女性の大ヒットファンタジーは目立っている
この環境なのに、この記事のまとめを見に行くと女はファンタジーに向かないのに適材適所なのに本当の事をいったのにフェミが糞といった自分の性別が男なだけで女より優れていて凄いと思いたい情けない男の書き込みにまみれていて、私女だけど女のファンタジーってドロドロしてて男作家の方がーといった名誉男性も参戦しており、なんか日本の地獄の一端を見た気分になりそっと閉じた。