はてなキーワード: ジョン・ラセターとは
だから作るなって言ったろうが!!!どうせ3は超えられねえんだから!あのクライマックスにケチが付くから!その通りになってんじゃねえか!!!!!!!!!!!!
まずウッディはあんなポンコツじゃねえ!1,2を幼少期に見てた俺らからしたらウッディはヒーローなんだよ!女を格好良く描くのは一向に構わないけどそのために男を貶めるなよ!!!!!「シュガーラッシュ:オンライン」でも顕著だったけど単純に下手クソなんだよ!!!!!!!
ウッディの決断自体は分かるよ、あいつは気まぐれだから!!2でも帰りたいと美術館行くをコロコロ変えてたし!独善的なのも今までのシリーズ踏まえれば理解できる!そこはキャラが動いてた!!!!!
だけどボニーだよ問題は!!!!あんなにおもちゃを雑にする子じゃねえだろが!「大事にするって約束してくれるかな?」約束はいずこ!?なんでおもちゃがなくなっても気づかねえんだ!?!?物語のために性格改悪されてんじゃねえか!!!海外の感想見たらFワード使って叩かれてんぞ!脚本家は「bonnie fuck」で検索してコトの重大さを認識しろ!!!!
ポリコレを重視したいのは分かる!!!ただやるならとことんやれよ!ボニーが保安官バッジをジェシーに付け替えるシーン必要だったか!?「女の子は女のおもちゃで遊ぶ」って偏見助長してんじゃねえか!脇が甘いんだよ!!!!!
この前ピクサーのひみつ展行ったよ!一つのアニメーションに天才たちが知恵を振り絞ってるのを見て「はえ~すっごい」って思ったさ!!!でも脚本がクソじゃどうしようもねえな!!!!!!きれいな移動遊園地も残念に見えてくるわ!!!!!
予告編もクソの塊だ!!!!!あんだけウッディの決断とか推してたらだいたい結末読める!!!唐沢寿明と所ジョージの対談のやつなんてほぼネタバレじゃねえか!!!!!ドキドキさせてくれよもう少しよぉ!!!!!!
はぁ………期待した俺が悪かったのかもしれん
ジョン・ラセターは死んだんだ。いくら呼んでも帰ってこないんだ。もうあの時間は終わって、僕も人生と向き合う時なんだ。
いや!!!!!!!!!それでも!!!!!!!!もう少し前作を慮るとかはできただろうが!!!!!!俺らはアンディとともに子供時代を過ごしてきたんだ!!!あの別れと自分を重ね合わせて涙したんだ!!!こんなんでウッディが離れていくなんて許せねえよ!!!!!!!
Twitter見たら「傑作だった」って声も挙がってる!多分そいつらは脚本の粗もウッディの決断も素直に飲み込めたんだ!!!人の評価に正しいも間違いもないが、そっちの意見の方が間違いなく「大人」なんだ!!!!
でもな!!!!!!そう簡単に割り切れるもんじゃねえんだよ!!!!俺たちにとっちゃトイストーリーはもういち映画じゃなくドキュメンタリーなんだよ!!!!!!トイストーリー4が許せねえってやつと心のアンディを持ち寄って飲み明かしたい気分だ!!!!!!
まあでも5あるよね?さすがに
そっちを傑作にしてくれたら俺はもう何も言わん
面白い! 以上。
アナ雪の第一印象は、多くの女性が絶賛しているが、私が好きな一部 お笑い芸人さんの評価はイマイチ。っていうか、「特にストーリーは無い」というような評価だった事が強く残っている。
公開当時にネット上で大量に書かれた感想、評論、考察なども結構興味深く読んだ。宇多丸さんと荻上チキさんの評とかも聞いた。
それらを読んだり聞いたりした上で時間が経ってから本編を見たので、完全に真っ白な状態では見れていないのだが、
私の感想としては、少なくない超絶賛には付いて行けないものの、しかし一部 芸人さんの評価は低過ぎると思う。ストーリーはちゃんと有る! むしろ濃過ぎる! 丁寧に煮込まれたスープの上澄みだけを飲んでいるようなモノで パッと見の印象がシンプルに感じられるだけだ。
かなり好き。勿論、素晴らしい作品で、超絶賛される理由も分かる。
んで、ここからが本題なんだけど、
公開当時も沢山の評論や考察はあったんだけど、私が読んだ範囲では それらには書かれていない部分が気になっているんだ。
それをここで書こうと思う。
ザックリ書くと、
「アナ雪って、作中での『運が良い事』が重要な基盤になっているんじゃね?」って事。
まぁ、ディズニーアニメの例によって例のごとく アナ雪も『真実の愛』が重要なテーマになってるじゃん。そして、それが問題解決の鍵じゃん。 それは……、良い。
私が気になるのは、その焦点が「自発的な愛」なのか、他者から与えられる「受動的な愛」なのか、「両方」なのか って事なんだけど、
私は、その「先」も気になるのよ。
つまり、私は、
「エルサの『雪の呪い』は『自発的な真実の愛』でしか解呪出来ない。」という解釈の余地がある事が アナ雪のパワーの源じゃないのか?と思っているんだ。
いや、分からんよ。 旧来型通りクリストフから与えられたであろう「受動的な愛」でも解呪可能なのかもしれない。
でも、無視出来ない描写もある。エルサの良心+妹への贈り物であるオラフが愛が何であるかを知っている事だ。
これは少なくともエルサは愛が何であるかを知っている証拠だし、アナに対して「受動的な愛」を与えている。でも、アナの呪いは解けていない。
また最終盤、エルサが自身の愛を自覚することで氷の魔法を制御出来るようになることも重要だ。
では、仮に「エルサの『雪の呪い』は『自発的な真実の愛』でしか解呪出来ない。」という前提で本編の描写を見てみよう。
まず、最序盤、城の中で二人が雪遊びするシーン、この時点で雪の魔法がアナの心臓に当たっていればアナは為す術無く死んでいたよね。
だって、幼児に自発的自己犠牲的愛なんて期待出来る訳が無いんだから。
これはトロールの長がエルサの魔法を強く警戒する事とも整合性がとれる。子供に対しては致死性の呪いになるからだ。
両親がエルサを自室に閉じ込めるのも危険性を顧みれば已むを得なく、エルサからすれば妹を殺しかけた訳だから強い反省からくる自傷的な引き篭もり、恐怖も理解できる。
つまり、最初にエルサが「運良く」アナを殺さなかった事が最終的なハッピーエンドの結果を生んだのではないか?
日に日に強くなる自分では制御出来ない魔法。閉じ込めるという対処法。最初の被害者は自分より幼く弱い近親者。一度、開放されれば国中を巻き込む影響力。
エルサの雪の魔法は「感染症」のメタファーでもあるのではないか?……
これは”エグゼクティブ・プロデューサーのジョン・ラセターが、難病である1型糖尿病と10歳で診断された息子からエルサのキャラクター作りにインスピレーションを得たと語っている。”
事とも整合性がとれる。
つまり、アナ雪は 表層の魔法とファンタジー+家族再生の物語。中層のディズニープリンセスからの脱却といったジェンダー論。下層の人類の「感染症」との戦いの歴史。対処、献身、治療、回復。の三層構造のストーリーが極めて高い次元で昇華されているため大きな感動を産んでいるのではないか?
そして、ハッピーエンドの核を「運が良い」事に放り投げているので説得力が損なわれず説教臭くさえない。
ただし、無意識の不安は残る。が、アナ雪の場合、コレさえ長所にもなっている。
これを「正義の主人公(達)の努力と理性と決断による悪に対する『必然的勝利』」という構成に出来れば、物語としての強度も視聴者の快感も高まる。が、
同時に説教臭くもなってしまう。作中の「問題」解決の条件と能力に焦点が集まり、説得力が損なわれやすい。
ズートピアとベイマックスは両方とも素晴らしい作品だが、どこか説教臭く、アナ雪に比べ説得力が薄いのはこのためだ。
主人公(達)に「運」の影響が無い作劇は、安心で子供向けにもしやすいが、ややもすると『答え合わせ』になってしまう。
が、主人公(達)に「運」が有りすぎても御都合主義展開になってしまう。
アナ雪はこのバランスが絶妙で、ディズニーアニメとしてはギリギリまで「運」が良く、更にそれを最初の「室内雪遊び事故」一点に絞ってるのが凄い。
要は アナ雪 超良かったです。好き。
ズートピアは素晴らしいし良かったけど、完全には好きになれない。
なりません。
受賞はおそらくズートピアだろう。
あるいはファインディング・ドリー。
ディズニーがピクサーを買収するのは2006年。90年代末から2000年代初期、ディズニー作品はパッとしなかった。良作はあるが、大作かと言われると…という感じ。作品テーマが明らかにマンネリズムに陥ってみえたのもこの頃。過去作のオリジナル続編のOVAを乱発したりしてな…。ジョン・ラセターの介入によって今のディズニー作品が存在すると言える。ちなみに2002年でディズニー作品からのノミネート作はリロ・アンド・スティッチとトレジャープラネット。
モンスターズ・インクが2001年(ノミネート)。その次のファインディング・ニモが2003年(受賞)。2002年はピクサーの新作が公開されなかったのだ。アカデミー賞はその年にアメリカで公開された作品が審査対象になるので、この年にピクサー作品はなかった。なおピクサーは06年以降1年に1作は必ず新作を公開している。
それから15回のうち
03、04、07、08、09、10、12、13、14、15年の10作品
千と千尋の神隠しが洗練された表現形式と優れたエンターテインメント性を兼ね備えた映画だったことは疑わない。
しかし、アカデミー賞の受賞までいったのはタイミングの問題が小さくなかったのだろう。
長編アニメーション部門ができて二回目という時期もあっただろうか?
いや、なによりも、運良くディズニー・ピクサーの脅威がなかった年にノミネートできたのである。
そんな中で、様式の異なる海外アニメーションを出品して、ノミネートされるってだけでだいぶすげえことしたってレベルですよ。
いま、ディズニーやピクサーの勢いが衰えないうちに日本のアニメ映画が受賞までいくことはおそらくない。
ディズニー・ピクサーの表現技術が日夜進歩を遂げており、エンターテインメント性も損なっていないのであれば、会員たちにとってあえて海外の異なった様式のアニメーションに受賞させる必要がない。
なにか根底から価値観を覆されそうな、とてつもないものが提示されない限りは。
だからね、千と千尋の神隠しが受賞したからって、簡単に、受賞するか?! って言わない方がいいよ。
しないから。
だいたいね、映画批評家協会賞とかいうの、あれってアカデミー賞の前哨戦なんて報道されるけれど、それならLA映画批評家協会賞をとったかぐや姫の物語がアカデミー賞受賞にならないのはおかしい空気だったと思うんですよね。
ほかにもボストンとかサンフランシスコとか、各地の映画批評家協会賞とやらをとってたんですよ、かぐや姫は。
さらに、各地の映画批評家協会賞でかぐや姫と競い合っていたのは、ベイマックスじゃなかったし。
でもレゴ・ムービーに至ってはアカデミー賞ではノミネート漏れまでしてるし…。
ヒックとドラゴン2でも、ソング・オブ・ザ・シーでもなく、ベイマックスなのだ。
というわけで、まずはノミネートするか?! を期待するのが妥当だと思います。
主人公が少年発明家って設定だとTVアニメとかに多いんじゃないか。
あと主人公じゃなくて、「近所に住んでるおっさんが発明家」系。コナンの阿笠博士的なやつ。
既にコメントで上げられてるやつ以外で、ざっと思いつくかぎりの映画だと、
『バグズ・ライフ』(ジョン・ラセター&アンドリュー・スタントン):アリの青年だけど
『天才少年ジミー・ニュートロン』(ジョン・A・デイヴィス)
『ヒューゴの不思議な発明』(マーティン・スコセッシ):主人公自身が発明してるかというと微妙だけど
『トゥモローランド』(ブラッド・バード):メインはおっさん(ジョージ・クルーニー)になってからだけど
あと発明とまではいかなくてもやたら想像力と創造性に富んでいる子供の話としては『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』なんかがあるね。
http://twitter.com/hosodamamoru/status/16212042862]
見た次の日に、ディズニーが超ひさびさに作った2Dアニメ「The Princess and the Frog(邦題:プリンセスと魔法のキス)」について、ジョン・ラセターが話してるのをPodcastの英語教材で聞いた。
のでちょっと書き起こしに挑戦してみた。
When I was up at PIXER, when the studios down here(LA), all the studios decided that they were not going to do hand-drawn animation any more. It broke my heart. Because never in the history of cinema has a film been entertaining to an audiens because of its technology. It's why you do with the technology.
And I really felt like they were blaming for performance of the movies on that it with hand-drawn as a pose to computer animatnion.
So when a merger(merged) of Disny with PIXER happened, I returned to the Disny studio with a very first dicidion it may was we gonna bring back hand-drawn animation.
けどすいません、ちゃんとヒアリングできてない。いろいろ違ってると思います。。。でも多分最初のところはだいたい合ってる……と思うです。
私がピクサーにいた時、このへんのスタジオがみんなこれ以上手描きのアニメは作らないと決めていたのは悲しかったよ。だって、映画の歴史上、観客をそのテクノロジーによって楽しませた作品は決してなかった。だから(あくまで)テクノロジーは“共に”あるべきなんだ。
目的じゃないんだ、というふうに読みました。
ソースはこちら:
http://www.eslpod.com/website/show_podcast.php?issue_id=8700327]