はてなキーワード: DANとは
この続き書かないの?もう年明けてるけど。
「少数民族の権利を尊重する考え方はリベラル」というトンデモな自己定義で他者(Mukke氏)を“サヨク”呼ばわりしたうえ、「これのどこが左翼なのかちゃんと説明してみ?」という反論から話をずらしながら逃げまわってもう1年になりますね。
わたしを左翼っつったら左翼の皆さんに失礼だと思うんだけど - Danas je lep dan
仕事が忙しいのを言い訳にしておりますが、ブクマのペースは特に変わってないようだし慰安婦問題について長々エントリを書く時間はあるらしいのが不思議。
ブクマでもいろいろな人からツッコまれてるし多分本人もここからの正当化は無理だとわかってる(そのくらいの知性はあるでしょ)と思うけど、この程度の損切りができない人が政治問題や外交問題についてリアリストぶって左派の態度を揶揄してるのは本当に痛々しい。
つい最近隣接分野でこんなやりとりがあったけど結局真摯に文献提示しても「気にいらねーから読まない」って態度とるのはなんなんですかね。
http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20150208/p1
このエントリで触れた、同性愛の病理化の歴史についての主なソースは、風間孝&川口和也著『同性愛と異性愛』(岩波新書)です。平易で、かつ情報盛りだくさんで、いい本ですよ。おすすめ。
http://kyoumoe.hatenablog.com/entry/20150209/1423489280
文献に関してですが、トランスジェンダーの方の意見がブクマにありました。
はてなブックマーク - 「どこかの同性愛コミュニティから『ノーマルは差別的だ』っていう意見が出てきてるわけじゃなく」? デマを流さないでくださいよid:kyoumoeさん。 - みやきち日記
岩波新書の同性愛と異性愛を推奨みたいだけど、あれはひどかった http://blog.goo.ne.jp/kuborie/e/0bf72de60958fb338400532e9a3d73e9 読む価値あまりなし。少なくとも絶対に読み返さないと思って、無償で人にあげた
またこういう意見もありました。
はてなブックマーク - LGBTの方に質問です。「異性愛をノーマルと呼ぶこと」及び「同人…
「LGBTの方に質問です」ってところでカチンとくる炎上案件。十把一絡げにすんな/言葉でいちいち目くじら立てないけど、この質問の仕方はダメよ。まず、Tの人はノンケだってことに留意すべきですねー。
「どこかの同性愛コミュニティから『ノーマルは差別的だ』っていう意見が出てきてるわけじゃなく」? デマを流さないでくださいよid:kyoumoeさん。 - みやきち日記
「ノーマルカップリング」「ノマカプ」「NL」などの語について、ブログでだってTwitterでだって、批判しているLGBT当事者はいっぱいいるよ。id:kyoumoeさんの特殊アイに、そういう意見を極力見ないようにする回避機能がついてるだけなんじゃねえの。
「LGBT」という表記一つでこれほどの意見の相違が出てきます。
議論の踏み台として提示された文献を自分で吟味もせず他人の書評に乗っかって価値が無いと切捨てて見せてるわけですよ。
http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20150210/p1
最後に、同性愛イシューやLGBTイシューを本当に「わかりたい」と思っていらっしゃる方々のために、おすすめ書籍のリストを挙げておきます。カーリル | 日本最大の図書館蔵書検索サイト等で探してみられてはいかがでしょう。本は怒らないし冷静だし、情報量も多くて、うちのブログなんかよりよっぽど有益ですよ。
『同性愛と異性愛』(風間孝&川口和也、岩波書店)(レビュー)
『図解雑学 ジェンダー』(加藤秀一 他、ナツメ社)(レビュー)
『<同性愛嫌悪(ホモフォビア)>を知る事典』(ルイ=ジョルジュ・タン編、明石書店)(レビュー)
『LGBTってなんだろう?--からだの性・こころの性・好きになる性』(藥師実芳 他、合同出版)(レビュー)
『ステレオタイプの社会心理学 偏見の解消に向けて』(上瀬由美子、サイエンス社)
『セクシュアリティの多様性を踏みにじる暴力と虐待』(アムネスティ・インターナショナル編、現代人文社)
『同性愛者における他者からの拒絶と受容』(石丸径一郎、ミネルヴァ書房)
『Biological Exuberance: Animal Homosexuality and Natural Diversity』(Bruce Bagemihl、St. Martin's Press)(レビュー)
『Homosexual Behaviour in Animals: An Evolutionary Perspective』(Sommer, V. & Vasey, P. L. 編著, Camblidge University Press)(レビュー)
『It Gets Better: Coming Out, Overcoming Bullying, and Creating a Life Worth Living』(Dan Savage & Terry Millor [編]、Dutton)(レビュー)
『咲-Saki-』界隈からホモフォビアをなくそう - Danas je lep dan.
僕は自分のブログにさえ自分がゲイであることを書けないヘタレなゲイで、カジュアルなホモフォビックな言動には本当に悩まされいて、見るたびにされるたびに「つらいなぁ」「もぅマヂ無理。アンフォローしょ・・・/エンきろ・・・」ぐらいな生き方をしています。それやめてよって言えない、うまく伝える自信がないので、見過ごしてきた。そしたら今回のid:Mukkeさんの記事があって、ホモフォビアを「ネタ」であるとしてスルーしてはいけないって丁寧に論述していて、とても驚きました。なにに驚いたかって恐らくLGBT当事者ではないMukkeさんが、『咲-Saki-』という作品に限った話をしているのに本当に丁寧になぜダメか、どうしていくべきかを書いていて、この問題に関することを過不足無く書かれていて、なんというか助かったんですね。
LGBT当事者としてこのような記事を自分が書くべきだったと思わずにはいられないくらい良い記事なのですが、一方で当事者としては色んなエピソードを盛り込みすぎてこんなにうまくまとまった記事にならないと思うんです。本当に僕は豆腐メンタルなので、腐女子がホモってツイートするのを見てうわって傷つくし、僕の言動がオネェっぽいみたいなからかいかたをしてくる人がいた日には1週間ぐらいくらーい顔して、「偉くなったらあいつからの仕事絶対断ってやる」みたいなくらーい発想を温めながら傷が癒えるのを待ちます。ほぼ初対面の人間に「君、彼氏いるの?笑」みたいなことを聞かれた日には、「えー、なんでそんなこと聞くんですかぁ?セクハラですよ〜笑(たとえいたとして、誰がお前のような無神経な人間に教えるか!死ね!!)」ってなりますし。・・・とまぁ、こんな感じになってしまうので、今回の記事で救われました。ありがとうございます。
出来たら恩返しをしたいのですが、他のマイノリティが似たような被害にあった時にそれは駄目って言えるようになることだと思うので精進していきたい所存です。
あ、増田だったらLGBT関係のこと書いたことありました。割と喧嘩腰ですね。
もしかしてお前そっち系なのか!?そんなんじゃねーよwwwとか。
お前にホレそうだぜって言ったら気持ち悪いやめろって言い返すとか。
文脈的には軽いギャグ程度の意味合いなんだろうけど、そういう要素が出てきたらとたんに冷める。
ああこの作者もそういう人間なんだなって。
お約束的な感じで軽く流すのが定番っぽくなってるけどそれも気持ち悪い。
別に自分が同性愛者だからとかじゃない。異性愛者だけど嫌悪感を覚える。
軽々しくネタにするようなことじゃねーよ。
っつってもかくいう自分も、大学のときにあるきっかけでこうなっただけで、それまでは同じようにネタにしてたしネタにすることについて何も思ってなかったから、あまり偉そうなことは言えないんだけど。
自分みたいに何かしらの劇的なきっかけがないと、本当に心の底から嫌悪感を抱くようにはならないんだろう。
そうだねー軽々しくネタにすべきじゃないねーと表面上で取り繕う人間はいくらでもいるけど、実際のところそういう場面に遭遇したらケロッとして同じように笑う人間ばかりなのが現実。
最近はやりのLOD(Linked Open Data)のデータフォーマットについてメモ。
例はWikipediaのコピペ。もっと違いが分かりやすい例があると良いのだが。
<rdf:RDF xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"> <rdf:Description rdf:about="http://en.wikipedia.org/wiki/Tony_Benn"> <dc:title>Tony Benn</dc:title> <dc:publisher>Wikipedia</dc:publisher> </rdf:Description> </rdf:RDF>
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@prefix dc: <http://purl.org/dc/elements/1.1/>. <http://en.wikipedia.org/wiki/Tony_Benn> dc:title "Tony Benn"; dc:publisher "Wikipedia".
<http://en.wikipedia.org/wiki/Tony_Benn> <http://purl.org/dc/elements/1.1/title> "Tony Benn". <http://en.wikipedia.org/wiki/Tony_Benn> <http://purl.org/dc/elements/1.1/publisher> "Wikipedia".
<http://en.wikipedia.org/wiki/Tony_Benn> <http://purl.org/dc/elements/1.1/title> "Tony Benn" <http://en.wikipedia.org/wiki/Tony_Benn>. <http://en.wikipedia.org/wiki/Tony_Benn> <http://purl.org/dc/elements/1.1/publisher> "Wikipedia" <http://en.wikipedia.org/wiki/Tony_Benn>.
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世間では頭の良さという尺度がいささか重視されすぎているように思われる。
dankogaiは頭が良くなりたいという質問に対して毎回「本当に頭の良さの問題なのか?頭が良くなる必要はあるのか?」と問いかけている。
私のスタンスとしてはdanに比べれば頭の良さを重視している気がするものの、やはり頭の良さにこだわっている人間があまりに多すぎるという点では同感である。
例えば、人を叩くときのことを考えてみよう。そういえば、なぜみんな他者のことを「バカ」と言ってたたくんだ?何故なのか?
他者を否定するのであれば、悪い部分を否定すればいいのであって、なぜ「バカ」という問題に帰着させるのか?
また、自分が失敗したときに「俺はなんてバカなんだ」「バカなことした」と言う人が非常に多い。これは本当に理解不能で珍妙な社会現象に思える。
そんなに頭脳に拘るのであれば、その頭脳を駆使して冷静に原因分析すればいいのに、そうすれば頭の良さだけが原因じゃないのが分かるはずなのに、と思うのは俺だけだろうか?いやそんなはずはない。
会社の人事ではコミュ力や協調性や根性(継続力)が重視されているのは周知の事実である。社会にでればそれらの能力が重視されることは誰でも知っている。
それなのに、こと自分が失敗したとき、他人が失敗したときになると、なぜか頭の良さという問題にすべてを帰着させてしまうのである。
どうやら村上は、この本のアメリカ版をそのとき初めて目にしたらしい。
日本では『1Q84』は2年を掛けて3巻に分かれて発表された(村上は2巻目で一度終わりにしたが、一年後にもう数百ページ付け足したのである)。
アメリカでは、一巻のモノリスとして組まれ、秋の読書イベントに発表が設定された。
YouTube ではきらびやかなトレーラームービーを見ることができ、
一部の書店では発売日10月25日に深夜営業が予定されている。
Knopf は英語訳を急がせるため、二人の訳者に手分けして翻訳をさせた。
村上にこれほど長い作品を書くつもりがあったかと尋ねると、なかったという。
これほど長くなることが分かっていれば、書き始めなかったかもしれないともいう。
彼はタイトルや冒頭のイメージ(この作品の場合は両方だった)が浮かんだ時点で、机の前に座り、
毎朝毎朝、終わるまで書きつづけるのである。
といっても、この大作はごく小さな種から生まれた。
村上によれば『1Q84』は、人気を博した彼のショートストーリー『四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』(英語版では5ページ)を増幅させたものに過ぎないという。
「基本的には同じなんだ」と彼は言う。
「少年が少女に出会う。別れてしまった後、二人は互いを探し合う。単純な物語だ。それを長くしただけ」
筋書きを要約することすら、少なくともこの宇宙で人間言語をもって雑誌の1記事で書くとすれば不可能だ。
青豆という少女が、タクシーに乗って東京の周縁に掛かる高架の高速道路を行く。
そこで渋滞に巻き込まれ、身動きがとれなくなる。
チェコスロバキアの作曲家レオシュ・ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」だ。
「渋滞に巻き込まれたタクシーの中で聴くのにうってつけの音楽とは言えないはずだ」と村上は書く。
運転手は青豆に変わった迂回路を提案する。
高架高速道路には非常用脱出口が設置されている、そして、普通の人には知られていない脱出口への階段がある、と彼は言う。
本当に絶望しきっているのであれば、そこから地上に降りることもできる。
青豆が考えていると突然、運転手が村上一流の警告を口にする。
「見かけにだまされないように」と彼は言う。
降りていけば、彼女にとっての世界は根底から変わってしまうかもしれない、と。
そしてわずかではない違いとして、月がふたつあった(ちなみに彼女が遅刻した約束というのは暗殺の約束であったことが明らかになる)。
そしてその世界にはリトル・ピープルと呼ばれる魔法の種族がいる。
彼らは死んだ盲の羊の口(詳しく書くと長くなる)から生まれ、オタマジャクシの大きさからプレーリードッグの大きさにまで育ち、「ホーホー」と合唱しながら空中から透明な糸を紡ぎだして「空気さなぎ」と呼ばれる巨大なピーナッツ型のまゆを作る。
この本ではなかばあたりまで、このように浮世離れしたした超自然的ガジェット(空中に浮かぶ時計、神秘的なセックス麻痺など)が繰り出されてくるので、
私は行間にエクスクラメーションマークを置きたくなった。
この数十年、村上は自身が「本格小説」と位置づけるものを書こうとしていると言い続けてきた。
一例として彼は『カラマーゾフの兄弟』を挙げて目標にしている。
その試みこそが、三人称の幅広い視点から描かれた巨大小説『1Q84』であるように思われる。
怒り、暴力、惨事、奇妙なセックス、奇妙な新現実を抱えた本であり、
偶然ぶつかることになってしまった悲劇にも関わらず(あるいはその悲劇のなかでこそ)、
ひとりの人間の脳に詰め込まれた不思議を提示して、本書は読者を驚嘆させる。
驚きを覚える本の数々をこれだけ読んだあとでもなお、私は村上の本で驚かせられた。
そのこと自体が驚きだったと村上に伝えると、彼はいつものようにそれを受け流し、
自分の想像力を入れたつまらない花瓶でしかない、と言い張った。
「リトル・ピープルは突然やってきた」という。
僕は物語の虜だった。選択したのは僕ではなかった。彼らが来て、僕はそれを書いた。それが僕の仕事」
明晰夢を見ることがあるかと尋ねると、
覚えていられたことはない、という。
目覚めたときには消えている、と。
ここ数年で覚えていられた夢は一度だけ、それは村上春樹の小説のような繰り返す悪夢だったという。
その夢の中で、影のような未知の人物が「奇妙な食べ物」を料理してくれていた。
食べたいとは思わないが、夢のなかでは彼はそれに興味をひかれていて、まさに一口入れようというとき目が覚めた。
2日目、村上と私は彼の車の後部座席に乗り込み、彼の海辺の家へ向かった。
運転したのはアシスタントの一人である身ぎれいな女性で、青豆よりわずかに若かった。
私たちは東京を横切り、青豆が『1Q84』で運命的な下降をした高架高速道路の本物へと向かった。
カーステレオではブルース・スプリングスティーンがカバーした「Old Dan Tucker」がかけられていた。
車中で、村上は冒頭のシーンを思いついたときに考えていた緊急脱出口のことを持ち出した(青豆と同じように実際に渋滞に巻き込まれていたときにそのアイデアを思いついたという)。
実際の高速道路で、小説中であれば青豆が新世界に向けてくだっていったであろう場所を正確に特定しようとしたのである。
「彼女は用賀から渋谷に行こうとしていた」車窓をのぞきながら彼はいう。
「だから多分このあたりのはずだ」
と言ってこちらを向いて念を押すように
「それは現実じゃないけれど」
と付け加えた。
それでも、彼は窓の方に戻って実際に起こった出来事を話すように続きを語った。
キャロットタワーと呼ばれる、およそ巨大なネジが刺さった高層ビルのような建物の前を通り過ぎた。
村上はそこでこちらを向いて、もう一度思いついたように、
「それは現実じゃないけれど」と言った。
日本に滞在した5日間のあいだ、私は村上の東京にいたときとは違って、実際の東京で落ち着くことができなかった。
村上の東京、それは本物の東京を彼の本というレンズで見たときの姿だ。
客席の上の方で二塁打が打たれるたびに注目した(私がもらった天啓にもっとも近いものは、枝豆を喉につかえさせて窒息しかけたことだった)。
また、私はローリングストーンズの「Sympathy for the Devil」とエリック・クラプトンの2001年のアルバム「Reptile」をかけながら、神宮外苑という村上お気に入りの東京ジョギングルートをゆっくりと走った。
私のホテルは新宿駅に近い。そこは『1Q84』でも重要な役割を果たす、交通機関のハブ的な場所だ。
登場人物たちが好んで使う集合場所、中村屋で私はコーヒーを飲み、カレーを食べた。
そしてフレンチトーストとタピオカティーの向こうで東京人たちが交わす会話に耳をひそめた。
そうしてうろつくあいだに、村上小説が極度に意識しているものごと、すなわち、偶然かかる音楽、上昇と下降、人々の耳の形といったものを、私も極度に意識するようになった。
実際、彼の小説中の説明をもとにして料理本を出版した人もいるし、
登場人物が聞いた音楽のプレイリストをオンラインでまとめている読者もいる。
村上は、明らかに喜んだ様子で韓国のある会社が西日本への『海辺のカフカ』旅行を企画したこと、
ポーランドの翻訳者が『1Q84』をテーマにした東京旅行のガイドブックを編集していることを教えてくれた。
村上は読者から彼が生み出したものを現実世界で「発見」したという便りを受け取ることがよくあるという。
たとえば、彼が作り出したと思っていたレストランや店が東京に実際ある、など。
ドルフィンホテルというのは『羊をめぐる冒険』で村上が生み出したものだが、札幌にはそれが複数ある。
『1Q84』の発表後、ありえない名字として作り出したつもりだった「青豆」という名字の家族から、村上は便りを受け取ったという。
ここでの要点と言えるのは、現実に漏れ出す虚構、虚構に漏れ出す現実というものが、
村上の作品についてはほとんどの場合、作品そのものだということだ。
作家活動の初期には、「日本人という呪い」から逃れようとしているとさえ語った。
その代わり、十代の若者として、西洋の小説家の作品を貪ることによって、文学の感受性を培った。
その中にはヨーロッパの古典(ドストエフスキー、スタンダール、ディケンズ)もあったが、
彼が生涯を通して繰り返し読んだのは、とりわけ20世紀のアメリカのある種の作家たち、
レイモンド・チャンドラー、トルーマン・カポーテ、F. スコット・フィッツジェラルド、リチャード・ブローティガン、カート・ヴォネガットなどだ。
処女作に取りかかったとき、村上は奮闘し、標準的でない解決法に行き当たった。
そうやって自分の声を獲得したと彼は言う。
今更だが、はてブで http://www.atmarkit.co.jp/fjava/column/andoh/andoh53.html が人気だったのでまとめてみた。(末尾Eは英語)
まずはその記事にあった、16あるけど購読するべき15の開発者ブログ一覧(一部追加あり)
で、偏ってるんじゃないのとか、あれないよね、みたいなのとか、その時の http://reader.livedoor.com/ranking/hot.html とかから集めた、14しかないけど購読するべき15の開発者ブログ
あと、企業ブログじゃないけど、 http://reader.livedoor.com/ranking/subscribers.html から、これも購読するべき15の開発者ブログ
さらに、 http://gihyo.jp/dev/serial/01/alpha-geek にある、もっと購読するべき15の開発者ブログ
まだまだ、 http://geekdb.jp/ とか、 http://jibun.atmarkit.co.jp/lcom01/rensai/comrade01/comrade01.html とか、 http://bizmakoto.jp/bizid/kw/newgenchronicle.html とか、 http://web-engineer.buyuden.net/buyuden/ とか、これでも購読するべき30の開発者ブログ
あとは個人色強め、社会派、学者派、ビジネス派もある、これは好きにすべき15の非開発者ブログ
これ無いとかこれ違うとかあったらよろしく
※7/12『砲火の中ではためいて』追加
曲 http://www.youtube.com/watch?v=B1b2hnivTDk
元の歌詞 http://ja.wikisource.org/wiki/%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3
『さざれいし』
すだれを押し上げて
手を伸ばす君 内裏のこと
どうか来てほしい
松原まで来てほしい
お水をあげよう
庭のさざれいし
苔むすまでも可愛い君のね
果てない治世がちゃんと
続きますように
君と君の治世が
万年続きますように
ついでに、他の国の国家もアレンジして見ると、君が代と違い、ヒーローもののアニソンになる。
君が代がいかに独特の存在であるか、いかにJ-POPの原点であるかがわかる。
曲 http://www.youtube.com/watch?v=dMcYz9Vs0jQ
元の歌詞 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%AD%8C
た ち あ が れ
立ち上がれ
市民よ 走れ
理念があるなら
巨大な暴君を
うてよ うてよ うてよ
血塗られた軍旗を
掲げよ
アメリカ国歌 (訂正:0083じゃなくて、小泉今日子 STARDUST MEMORY)
指摘されるまで本気で勘違いしていた。0083にこんな歌があったのかと新発見のつもりでいた。
曲 http://www.youtube.com/watch?v=ucJlI77V4Mk
元の歌詞 http://ja.wikisource.org/wiki/%E6%98%9F%E6%9D%A1%E6%97%97
『Stars Stripes Memory』
Stars Stripes Memory 忘れないでいて
星条旗がはためく この夜を
丘の砦に 掲げられた星条旗
ちょっぴりシャクだけど 砲煙がとまらない
仕方ないでしょ 独立はじめてなのよ
自由の大地の そうよ今これがピリオドなのよ
Stars Stripes Memory 忘れないでいて
星条旗がはためく この夜を
もう一個アメリカ国歌の改変を追加 (機動戦士ガンダム 第08MS小隊)
曲 http://www.youtube.com/watch?v=_XSIe5BRwQs&feature=related
『砲火の中ではためいて』
砲火の中ではためいて
その旗を掲げ続けて
傷ついた あなたの砦に
掲げてあげたい
蒼く果てない大陸(おか)の片隅で
生まれた機運が 今小さくても
あなたの瞳に映る独立を
誰よりそばで 信じていたい
凍りつくような 強い英軍でさえ
その胸に輝く 独立を消したり
そうよ 消したりなんか出来ない
砲火の中ではためいて
その旗を掲げ続けて
傷ついた あなたの砦に
掲げてあげたい
追加
ソビエト連邦国歌 (MS IGLOO 重力戦線 Mr.Lonly Heart)
曲 http://www.youtube.com/watch?v=FfWkT7TPIYk
『Mr.Communist』
また、ルーシから 一つの声 増えた
飛び出すのは強力な同盟
時代の刃に その心を砕き
主義を信じて こんな祖国へ
ねえ、Mr. Communist
閉ざされた瞳に ソビエトの旗が見えますか
焼かれた同志よ
風は運ぶ 行き場もない侵略者(ドイツ軍)の魂
ねえ、Mr. Communist
吹雪吹く大地では 悲しむ労働者はいない
ああ、許されることを知らないまま
消えゆく侵略者(ドイツ軍)よ
終わりもない労働の途中で落とされた
美しい人民の命よ
ねえ、Mr. Communist
同盟を交わそう 破れないように、強固に
もう何ひとつ、失うものはない
労働はじめたら その忠誠で・・・
ねえ、Mr. Communist
閉ざされた瞳に ソビエトの旗が見えますか
ああ、許されることを知らないまま
消えゆく侵略者(ドイツ軍)よ
ゆきなさい
曲 http://www.youtube.com/watch?v=JGheZOKQyFg
元の歌詞 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%AD%8C
『いつも女王が』
さびしい時も かなしい時も
いつも女王が目に浮かぶ
ひとりの時も あいたい時も
遠くはなれていても
たとえスコットランド人が反逆しても
この世の栄光とともに
まぶしく あの日女王が
さびしい時も かなしい時も
いつも女王が目に浮かぶ
暗殺の危機も 反乱の時も
御世の長さが しのばれる
神の加護がつよく
この世の栄光とともに
まぶしく あの日女王が
曲 http://www.youtube.com/watch?v=HDqN551TbH0
元の歌詞 http://ja.wikisource.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%8B%87%E8%BB%8D%E9%80%B2%E8%A1%8C%E6%9B%B2
『義勇軍の歌』
誰だ 誰だ 誰だ
新たな長城を築く影
命をかけて飛び出せば
飛べ 飛べ 飛べ 義勇軍
行け 行け 行け 義勇軍
曲 http://www.youtube.com/watch?v=SXBaxsKeh0w
さらば故国よ 旅立つ民は
ヴィスワの彼方(かなた) ヴァルタを越えて
運命背負い 今とび立つ
必ず父は 帰って来ると
手をふる娘に 涙で答え
故国をはなれ ボナパルトの下へ
さらば故国よ 愛する民よ
故国を救う 使命を帯びて
戦う我ら もえるドンブロフスキ
誰かがこれを やらねばならぬ
期待の人が 我々ならば
故国をはなれ ボナパルトの下へ
曲 http://www.youtube.com/watch?v=e2OIQIhAC5o
元の歌詞 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83%E5%A2%9F%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E5%BE%A9%E6%B4%BB
耕そう! einig Vaterland
働こう! einig Vaterland
東はでっかい宝島
そうさ今こそ奉仕せん!
胸ワクワクの団結が GISSIRI
色とりどりの同胞が DOSSARI
ドイツのどこかで 照らしてる
そいつ見つけにゆこうぜ
人民の敵を ぶっとばし
Let's pflügen pflügen pflügen 魔訶不思議
空を駆け抜け 壁を越え
Let's lernt lernt lernt 大団結
不思議な国が始まるぜ
手に入れろ! einig Vaterland
世界でいっとー てごわい統一
追いかけろ! einig Vaterland
東はでっかい宝島
そうさ今こそ奉仕せん!
曲 http://www.youtube.com/watch?v=65w7qAWcXFY&feature=related
元の歌詞 http://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E5%9B%BD%E6%AD%8C
手を携え努力しようよ
統一するのが 幸せの証し
ほら君と統一したい
果てない経済的停滞(やみ)から飛び出そう(東が)
Deutsches Vaterland!
曲 http://www.youtube.com/watch?v=LI06uVTAH4A
元の歌詞 http://ja.wikisource.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%9B%BD%E6%AD%8C
『中興のチュラーロンコーン』
失くした領土すべて 維持した領土すべて
答えの潜むタイ人の血と肉
戦争になれば 血の一滴まで戦うつもり
傷つかないで 僕の国民
この気持ち知るため生まれてきた
七百年と七十年前から独立してる
七百年過ぎた頃にかなり危なくなった
七千年と七十年あとも独立してる
曲 http://www.youtube.com/watch?v=INsPKy3Rzd0
元の歌詞 http://rasiel.web.infoseek.co.jp/mil/fratelli.htm
『私は歩兵』
あるこう あるこう わたしは死ぬ気
統一 だいすき どんどん逝こう
かぶとを かぶれば 覚醒だ
ローマのかぶとで つよくなったきがする
いのちをすてて こうしんだ
あるこう あるこう わたしは死ぬ気
統一 だいすき どんどん逝こう
団結しよう 統一の日まで
兄弟たくさん だいじょうぶかな?
あるこう あるこう わたしは死ぬ気
統一 だいすき どんどん逝こう
恥辱も 嘲笑も 出て行って
ヘタリアなんて だれにもいわせない
統一すれば いわれないはず!
統一すれば いわれないはず!!
【目的】
「日本語読んでたはずなのに、いつの間にか英語読んでた!」というのが理想。
TEDから文章だけでも内容が伝わるダニエル・ピンクのプレゼンを引っ張って来たのですが、実験的にやるにしては少し内容が堅く、マテリアル選択を誤った気がしなくもありませんw
http://www.ted.com/talks/lang/jpn/dan_pink_on_motivation.html
めちゃ長いですが、LanguageがTransformする過程を味わって頂ければと思います。
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最初に告白させてください。20年ほど前にしたあることを私は後悔しています。あまり自慢できないようなことをしてしまいました。誰にも知られたくないと思うようなことです。それでも明かさなければならないと感じています(ざわざわ)。1980年代の後半に私は若気の至りからロースクールlaw schoolに行ったのです(笑)。
In America, 法律は専門職学位です。まずuniversityを出て、それからlaw schoolへ行きます。law schoolで私はあまり成績が芳しくありませんでした。控えめに言ってもあまり良くなく、上位90パーセント以内という成績で卒業graduateしました(笑)。どうもlaw関係の仕事はしたことがありません。やらせてallowed toもらえなかったというべきかも (笑)。
But today, betterではないことだとは思いつつ、wifeの忠告にも反しながら、このlegal skillsを再び引っ張り出すことにしました。今日はstoryはtellしません。主張caseを立証します。合理的で証拠evidenceに基づいた法廷におけるような論証で、how we run our businessesを再考してみたいと思います。
陪審員juryの皆さん, take a look at this。This is called 「ロウソクの問題」。ご存じの方もいるかもしれません。1945年にKarl Dunckerという心理学者psychologistがこの実験experimentを考案し、様々な行動scienceのexperimentで用いました。ご説明しましょう。私が実験者だとします。私はあなた方を部屋に入れてcandleと画鋲thumbtackとマッチmatchesを渡します。そしてこう言います。「テーブルtableに蝋waxがたれないようにcandleを壁wallに取り付けattachしてください。」Now what would you do?
Many peopleはthumbtackでcandleをwallに留めようとします。でもうまくいきません。あそこで手真似をしている人がいましたが、matchの火でcandleを溶かしてwallにくっつけるというideaを思いつく人もいます。いいideaですがうまくいきません。After five or 10 minutes, most peopleは解決法を見つけます。このようにすればいいのです。Keyになるのは「機能的固着functional fixedness」を乗り越えるovercomeするということです。最初、あのboxを見て、単なる画鋲の入れ物だと思うでしょうが、それは別な使い方をすることもできます。candleの台platformになるのです。これがcandle problemです。
次にSam Glucksbergというscientistが、このcandle problemを使って行ったexperimentをご紹介します。彼は現在Princeton Universityにいます。この実験でthe power of incentivesがわかります。彼は参加者participantsを集めてこう言いました。「this problemをどれくらい早く解けるsolveできるか時計で計ります。」そしてone groupにはthis sort of problemを解くのに一般にどれくらい時間がかかるのかaverage時間を知りたいのだと言います。もう1つのgroupには報酬rewardsを提示します。「上位25percentの人には5dollarsお渡しします。fastestになった人は20dollarsです。」Now this is several years ago。物価上昇inflationを考慮に入れればa few minutes of workでもらえるmoneyとしては悪くありません。十分なmotivatorになります。
このグループはどれくらい早く問題を解けたのでしょう?答えはon average, 3分半余計に時間がかかりました。Three and a half minutes longer。そんなのおかしいですよね?I'm an American。I believe in 自由市場。そんな風になるわけがありません(笑)。If you want people to perform better, 報酬を出せばいい。Bonuses, commissions, あるいは何であれ、incentiveを与えるのです。That's how business works。しかしここでは結果が違いました。Thinkingが鋭くなり、creativityが加速されるようにと、incentiveを用意したのに、結果はoppositeになりました。思考は鈍く、creativityは阻害されたのです。
この実験experimentがinterestingなのは、それが例外aberrationではないということです。この結果は何度も何度もfor nearly 40 years 再現replicateされてきたのです。この成功報酬的な動機付けmotivators―If Then式に「これをしたらこれが貰える」というやり方は、in some circumstancesでは機能します。しかし多くのtasksではうまくいかず、時には害harmにすらなります。これはsocial scienceにおける最も確固robustとした発見findingsの1つです。そして最も無視ignoreされている発見でもあります。
私はthe last couple of years, human motivationの科学に注目してきました。特に外的動機付けextrinsic motivatorsと内的動機付けintrinsic motivatorsのdynamicsについてです。大きな違いがあります。If you look at これ、scienceが解明したこととbusinessで行われていることにmismatchがあるのがわかります。business operating system、つまりビジネスの背後にある前提assumptionsや手順においては、how we motivate people、どう人を割り当てるかという問題は、もっぱらextrinsic motivators(アメとムチ)にたよっています。That's actually fine for many kinds of 20th century tasks。But for 21st century tasks, 機械的mechanisticなご褒美と罰reward-and-punishmentというapproachは機能せず、うまくいかないか、害harmになるのです。Let me show you what I mean。
Glucksbergはこれと似たanother experimentもしました。このように若干違ったslightly differentな形で問題を提示したのです。Tableにwaxがたれないようにcandleを壁にattachしてください。条件は同じ。あなたたちは平均時間を計ります。あなたたちにはincentiveを与えます。What happened this time?今回はincentivizedグループの方が断然勝ちました。Why?箱に画鋲が入っていなかったから。it's pretty easy isn't it?(「サルでもわかる」ロウソクの問題) (笑)
If-then rewards work really well for those sorts of tasks。Simpleなルールとclearな答えがある場合です。Rewardsというのはfocusを狭めmindを集中させるものです。That's why報酬が機能する場合が多い。だからこのような狭い視野で目の前にあるゴールをまっすぐ見ていればよい場合にはthey work really well。But for the real candle problem, そのような見方をしているわけにはいきません。The solutionが目の前に転がってはいないからです。周りを見回す必要があります。Rewardはfocusを狭め、私たちの可能性possibilityを限定restrictしてしまうのです。
Let me tell you why this is so important。In western Europe, in many parts of Asia, in North America, in Australia, white collarの仕事にはthis kind of workは少なく、このような種類の仕事が増えています。That routine, rule-based, left brain work, certain kinds of accounting, certain kinds of financial analysis, certain kinds of computer programingは 簡単にアウトソースできます。簡単にautomateできます。Softwareのほうが早くできます。世界中にLow-cost providersがいます。だから重要になるのはthe more right-brained creative, conceptual kinds of abilitiesです。
Your own workを考えてみてください。Youが直面faceしている問題は、あるいはweがここで議論しているようなproblemsは、こちらのkindでしょうか?A clear set of rules, and a single solutionがあるような?そうではないでしょう。ルールはあいまいで、答えはそもそも存在するとしての話ですが、驚くようなsurprisingものであり、けっして自明obviousではありません。Everybody in this room is dealing with their own version of the candle problem。And for candle problems of any kind, in any field, if-then rewardsは機能しないのです。企業の多くはそうしていますが。
Now, これにはcrazyになりそうです。どういうことかというと、これはfeelingではありません。私は法律家lawyerです。Feelingsなんて信じません。This is not a 哲学philosophy。I'm an American。Philosophyなんて信じません(笑)。This is a fact。私が住んでいるWashington D.C.でよく使われる言い方をするとtrue factです(笑)。(拍手)Let me give you an example of what I mean。Evidenceの品を提示します。Iはstoryをtellしているのではありません。I'm making a 立証。
Ladies and gentlemen of the 陪審員, 証拠を提示します: Dan Ariely, one of the great economists of our time, Heは3人の仲間とともにsome MIT studentsを対象に実験studyを行いました。These MIT studentsにたくさんのgamesを与えます。Creativity, and 運動能力motor skills, and concentrationが要求されるようなゲームです。そして成績に対するthree levels of rewardsを用意しました。Small reward, medium reward, large reward。Okay?非常にいい成績なら全額、いい成績なら半分の報酬がもらえます。What happened?「As long as the task involved only mechanical skill、bonusesは期待通りに機能し、報酬が大きいほどパフォーマンスが良くなった。 しかし、cognitive skillが多少とも要求されるタスクになると、larger rewardはより低い成績をもたらした。」
Then they said,「cultural biasがあるのかもしれない。Indiaのマドゥライで試してみよう。」In Madurai, Standard of livingが低いので、North Americaではたいしたことのないrewardが 大きな意味を持ちます。実験の条件はSameです。A bunch of games, three levels of rewards. What happens? medium level of rewardsを提示された人たちは small rewardsの人たちと成績が変わりませんでした。But this time, people offered the highest rewards, they did the worst of all。「In eight of the nine tasks we examined across 3回の実験, よりhigherインセンティブがworse成績という結果となった。」
これはおなじみの感覚的なsocialistの陰謀conspiracyなのでしょうか?No. Theyはeconomists from MIT, from Carnegie Mellon, from the University of Chicagoです。And do you know who sponsored this research? FRBです。これはまさにAmerican experienceなのです。
Let's go across the pond to the London School of Economics。11人のNobel 受賞者 in economicsを輩出しています。Greatな経済の頭脳がここで学んでいます。George Soros, and Friedrich Hayek, and Mick Jagger(笑)。Last month, just last month, economists at LSE looked at 51 studies of 成果主義 plans, inside of companies。彼らの結論は「We find that 金銭的なインセンティブ can result in a negative impact on 全体的なパフォーマンス.」ということでした。
There is a 食い違い between what 科学 knows and what ビジネス does. And what worries me, as この潰れた経済の瓦礫の中に立って, is that あまりに多くの組織 are making their decisions, their policies about 人や才能, based on assumptions that are 時代遅れ, 検証されていない, and rooted more in 神話 than in 科学. this 経済の窮地からget out ofと思うなら 21st century的な答えのないtasksで high performanceを出そうと思うのなら、wrong thingsを これ以上続けるのはやめるべきです. To 誘惑 people with a sweeter carrot, or 脅す them with a 鋭いムチ. まったく新しいアプローチが必要なのです.
And the いいニュース about all of this is that scientistsが新しいapproachを示してくれているということです. It's an approach built much more around 内的な motivation. Around the desire to do things because they matter, because we 好き it, because they're 面白い, because they are 何か重要なことの一部. And to my mind, that new operating system for our businesses revolves around three elements: 自主性、成長、目的. 自主性, the 欲求 to 方向 our own lives. 成長, the desire to get better and better at 何か大切なこと. 目的, the 切望 to do what we do in the service of 大きな何か than ourselves. これらがour businessesのentirely new operating systemの要素なのです.
I want to talk today only about 自主性. In the 20th 世紀, we came up with this idea of マネジメント. Management did not 自然に生じた. Management is like -- it's not a 木. It's a テレビ. Okay? Somebody 発明した it. And it doesn't mean it's going to work 永久に. Management is great. 服従を望むなら, Traditional notions of management are ふさわしい. しかし参加を望むなら, 自主性 works better.
Let me give you some 例 of some kind of 過激なnotions of 自主性. What this means -- あまり多くはありませんが 、非常に面白いことが起きています. Because what it means is paying people 適切に and 公正に, 間違いなく. Getting お金の問題 off the table. And then giving people 大きな自主性. Let me give you 具体的な例.
How many of you ご存じ of the 会社 Atlassian? 半分もいない感じですね(笑). Atlassian is an オーストラリアのソフトウェア会社. And they do すごくクールなこと. A few times a year they tell their エンジニア, "これから24時間何をやってもいい, as long as it's not part of your regular job. Work on 好きなことを何でも" So that エンジニア use this time to come up with a cool 継ぎ接ぎ for code, come up with an エレガントなハック. Then they 何を作ったのか見せる to their teammates, to the rest of the company, in 雑然とした全員参加の会合 at the end of the day. And then, オーストラリアですから, everybody has a ビール.
They call them 「FedExの日」. Why? Because you 何かを一晩で送り届けなければならない. It's 素敵. It's not bad. It's a huge 商標権 侵害. But it's pretty clever. (Laughter) That one day of 集中的な自主活動 has produced 多数の software 修正 that might never have existed.
And it's worked so well that Atlassian has taken it to 次のレベル with 20 Percent Time. Googleがやっていることで有名ですね.Where エンジニア can work, spend 20 percent of their time working on anything they want. They have 自主性 over their time, their task, their team, their 技術. Okay? Radical amounts of 自主性, And at Google, as many of you know, 新製品の半分近く in a typical year are 生まれています during that 20 Percent Time. Things like Gmail, Orkut, Google News.
Let me give you an even more 過激な example of it. Something called 「完全結果志向の職場環境」. The ROWE(Results Only Work Environment). Created by two American コンサルタント, in place at about a dozen companies around 北アメリカ. In a ROWE people don't have スケジュール. They show up 好きなときに. They don't have to be in the office 特定の時間に, or any time. They just have to 仕事を成し遂げる. How they do it, when they do it, where they do it, is totally up to them. ミーティング in these kinds of environments are オプショナル.
What happens? ほとんどの場合, productivity goes up, 雇用期間 goes up, 社員満足度 goes up, 離職率 goes down. 自主性Autonomy, 成長mastery and 目的purpose, These are the 構成要素 of a new way of doing things. Now some of you might look at this and say, "Hmm, 結構だけど、it's 夢物語." And I say, "Nope. I have 証拠."
The mid 1990s, Microsoft started an 百科事典encyclopedia called Encarta. They had deployed all the right インセンティブ. All the right incentives. They paid プロ to write and edit 何千という記事. たっぷり報酬をもらっている managers oversaw the whole thing to make sure it came in on budget and on time. 何年か後に another encyclopedia got started. 別なモデル, right? Do it for 楽しみ. No one gets paid a cent, or a Euro or a Yen. Do it because you 好き to do it.
ほんの10年前に, if you had gone to an 経済学者, anywhere, And said, "Hey, I've got 百科事典を作る2つのモデル. 対決したら, who would win?" 10 years ago you could not have found a single まともな経済学者 anywhere on planet Earth, who would have predicted the Wikipediaのモデル.
This is the 大きな battle between these two approaches. This is モチベーションにおけるアリ vs フレージャー戦. Right? This is 伝説のマニラ決戦. Alright? 内的な motivators versus 外的な motivators. Autonomy, mastery and purpose, versus アメとムチcarrot and sticks. And who wins? Intrinsic motivation, autonomy, mastery and purposeが ノックアウト勝利します.まとめましょう.
There is a 食い違い between what science knows and what business does. And here is what science knows. One: Those 20th century rewards, those motivators we think are a 当然 part of business, do work, but only in a surprisingly narrow band of circumstances. Two: Those if-then rewards often 損なう creativity. Three: The 秘訣 to high performance isn't rewards and punishments, but that 見えない intrinsic drive. The drive to do things 自分自身のため. The drive to do things それが重要なことだから.
And here's the best part. Here's the best part. We already know this. The science confirms what we know in our hearts. So, if we repair this mismatch between what science knows and what business does, If we bring our motivation, notions of motivation into the 21st century, if we get past this lazy, dangerous, ideology of carrots and sticks, we can strengthen our businesses, we can solve a lot of those candle problems, and maybe, maybe, maybe we can change the world. I rest my 立証。
danさんが、「これは、すごい。」と言ってること、数日前に「ハァ?」と言ってたのとhttp://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51269222.html同じロジックじゃない?
それでは、なぜ「戦争」が選ばれたのか。
は、数日前、http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51269222.htmlで否定した藤沢さん
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51566751.html
と同じロジックだ。
藤沢さんの記事をあなたの言葉でまとめると、「核兵器の登場で戦争することが経済的に合理的でなくなった」になる。また、核兵器は首脳陣と民の戦争による経済的利益も一致させている。だから、戦争は経済的に合理的だから行われるというロジックだと核兵器は否定できない。むしろ、すべての国が核を持てば平和になるという結論になる。
私は
戦争の原因は百万通りもあるとしても、その中で「錯誤」と「不合理」が含まれないものは一つもないようです
と近い考えなんで、核の拡散には反対です。
英語コンプの馬鹿でも投資ゼロでTOEIC900に達するたったひとつの方法
http://anond.hatelabo.jp/20090716175613
の中の人です。
告白すれば、ホッテントリになることは予期していた。
ていうか、載せるつもりで書いた。
ところが文体だの体裁だのはてブ民が釣られやすいような文章にしたため、
内容が多様なニーズに応えられてないなぁ、と。
500users程度を予想してたんだけど2000超えちゃったし、
社会的責任ってほど自惚れてはいないが、少しだけ、ね。
「その単語が覚えられないんだよボケ」
という人が多い。(ここでも書いたんだが…補足ぐらい読めよ阿呆)
http://anond.hatelabo.jp/20090716181957
アクティブボキャブラリーって言って、実は日本人って「書くときに使える単語」がものすごく少ない。
作文時には使わざるをえないので、単語の定着率も飛躍的にあがります。
またDuoを引き合いに出しちゃうと、例文の和訳を見たらその英訳を思い出すという練習も非常に効果的です。
リンク先にあるように、まぁゼロに近い状態から覚えるんだったらDuoがいいです。
長文(って受験業界じゃよく言われるが、本当はこんなの長文でもなんともないが)を
だいぶ覚えてきたけど穴がないかチェックしたいなら、ターゲット。
[book][english]単語帳DUO 3.0をひと月で終えるために
http://d.hatena.ne.jp/bambix/20070417/1176800683
motivationって「やる気」「意欲」って意味もあるけどさ、辞書引くと大体は「動機」が最初にくるじゃん。
上がるも糞もないんじゃないか?実際、君は本当は英語なんて要らないと思ってるんじゃないか?と聞きたい例えばさ、君が大学一年生で上京して安アパートに住んだら、なんと隣の部屋が金髪爆乳アメリカ人だったとするじゃない。
君が巨乳フェチで外人とぜひ一度セックスしたいとも思っていて、かつ相手が日本語が苦手だったら、確実に勉強すると思いますよ。
大学三年になって、勉強したい分野が見つかって、でもそれはアメリカの方が明らかに進んでると分かって、
じゃあそっちに進学するかって話になったら、やっぱり君は勉強すると思いますよ。
「英語習得を目的にしない」、まぁこれが習得への近道なんだと思うけどねぇ。
幸か不幸か、日本ってぶっちゃけ英語なんて出来なくても全然生きていけるからね。
やっぱり具体的な「学ぶ理由」は要ると思うよ。
島国だから「外国で何ができるか」「外人は何をしているか」「何を考えているか」を知りづらいんで、まずそこから調べてみるのもいいと思う。
まぁ元記事が「TOEICで高得点を稼げる程度の英語はほしいなぁ」と思ってるビジネスマン・学生向けだからってのが理由なんですが。
FMyLifeも、最低それくらいの文法知識は要るよ。
逆に言うと、あんまりくわしくやりすぎるのもどうかなって思うけどね。
ここでも書いたけど、
http://anond.hatelabo.jp/20090716192227
http://anond.hatelabo.jp/20090716193731
文法をガチガチで丸暗記しても、書けないのよ実際。
めっちゃアカデミックだったりレトリックきかせちゃってるような気取った(うぜぇ)文章を読む仕事や、
京大阪大あたりを受験しようかと思ってる人は、正直「慣れ」だけじゃしんどいです。
なんですげぇ難しいところだけ「読むために」文法を使うんですが、
まぁそこらへんは受験英語とやらの真骨頂で、伊藤和夫先生だの富田一彦先生だのの出番ですよね。
逆に言えば、そのレベルでない限り構文を分解してるのはアホなんです。
文法そのものを覚えるよりも、「読む」「書く」「話す」時に文法知識をどう運用するのかが重要。
元記事を「金なぞいらん」「単語覚えろ」ばかりに注目していた人が多かったみたいだけど、
「読み慣れる」「聞き慣れる」「書き慣れる」「話し慣れる」ってのを並行して、
有機的に学んでいってほしいってことの方が重要なんだ(書き方が悪かったってのもある)。
よかったじゃん。
それが分かるような人に教えることなんて何もないだろうけど、一応。
ここでもやっぱり書いているんだが、
http://anond.hatelabo.jp/20090716192227
うん。分かってるよ。
まぁそこでも書いている通り、英字新聞だのwikipediaだのブログだの有名な教科書(原書)だのでも読んだりしつつ、外人の友人に英作文を見てもらえばいいじゃない。
TOEFLレベルのライティングだったら、大卒の外人さんなら十分です。友人の作りかたは既に書いた。
あとアルファブロガー様たちはやっぱりいいこと言ってると思ったので、貼っておく。
英単語が覚えられないたった一つの決定的な理由
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51133522.html
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20081103/1225671650
まぁdanさんの意見はまっとうではあるけど、最初の最初はやっぱり単語帳使った方が効率いいと思うけどねぇ。
ていうかロングマン派だったのかってオモッタ
finalventさんのは結構ハイレベルなこと求めてますよね。
まぁ題名に「TOEIC」とか入れちゃった時点でこの水準は関係なかったから書く必要もなかったんですが
あなたの文章が馬鹿にされていないかチェックする6つのポイント
http://anond.hatelabo.jp/20081227153032
・「まあ、○○と言われたらそれまでだが」で文章を締めくくることが多い。
こういうふうに相手が言ってないことを事前に決めつけて言うのは「憶測メソッド」っていうんだっけ? こういうふうに書く奴って思いこみが激しいんだよね。
・タイトルが思いつかず、「○○について考えてみた」に妥協したことが一度でもある。
タイトルが思いつかないというより、結論が決まってないという点を指摘したいのかな。
・「○○なのかなあ」と疑問を放置することがよくある。
これはブログだったら別にいいと思う。コメント欄やトラックバックってもんがある。
・文章に行き詰まったら、とりあえず別の文章から引用しておけば良いと思っている。
これはいかんね。逆に引用文は単なる手段で内容と関係ないDanメソッドもどうだろ。
・「○○だと思う」を一段落中で三回以上使ったことがある。
これは別にいいんじゃないか。自分の考えだということを明言して断言しないのは悪い事じゃないぞ。
・「要するに」を一段落中で二回以上使ったことがある。
これはまとめきれていないことだからまずいよね。
追加。
・読点(、)を打ちすぎる。呼吸が短い、論理的判断力がないと思われるぞ。
このところ「頭がいい」「勉強ができる」等の話題が盛り上がっているようですね。まったく、"頭の良いみなさん"にとってはくだらないですね!
http://anond.hatelabo.jp/20081221200806
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51155897.html
http://d.hatena.ne.jp/higayasuo/20081223/1230002249
...etc
「頭がいい」という単語を聞いて思い出したのは昔読んだ、塩野七生の文章でした。
塩野七生の「男たちへ」(文集文庫)の第1章「頭の良い男について」(http://www.amazon.co.jp/gp/product/4167337037)にこんなことが書いてあります。
つまり、ここで言いたい「頭の良い男」とは、なにごとも自らの頭で考え、それにもとづいて判断をくだし、ために偏見にとらわれず、なにかの主義主張に凝り固まった人々に比べて柔軟性に富み、それでいて鋭く深い洞察力を持つ男、ということになる。
この前後の文章もおもしろのですが、「頭の良い男」について抜粋しました。ぶっちゃけ、この基準はかなり高いですね。
さて、この方(http://anond.hatelabo.jp/20081221200806)をこの基準で判断してみましょう。
まず、「そう思って生きてきた」という言葉から察するに、「自らの頭で考え」てはないですね。
いきなりアウト!おもいっきり偏見にとらわれていますね。
さらに、柔軟性はあまりなさそうですね。さらに、洞察力は多少はあるかもしれませんが、「鋭く」も「深く」もないですね。残念!
でも、心配することないですよ、これは塩野七生の言う「頭が良い」の基準に照らし合わせてみただけですから。
それに、この基準に照らし合わせて合格点をもらえる男はそうそういないですから。
ところで、読書家であらせられるDanさんは水村美苗は読んでも、塩野七生は読まないんでしょうか?
そんなことはないですよね!たぶんお好みではないだけですよね。
さて、この手の話題は「くだらない」の一言で捨て置くべきとこですけど、この手の話題があまりに多いですね。
そして、自分では独特であると思っている持論をふりまわす人もまたしかり。
「脱オタファッションはスーツだ!」とか。これまた塩野七生に言わせれば、論外でしょうね。
詳しく知りたい方は塩野七生の「男たちへ」「再び男たちへ」あたりを読んで下さればわかるはずです。
「本人はもの凄い名刀を持ってるつもりだろうけど、それ、木の棒だからwww」
と笑って消費していくのも一興ですが、せっかくですからちょっと思うところを述べてみましょう。
この手のくだらない文章に接する都度思うのが、「この人はきっと本をあまり読んだことがないのだろうな。」という印象です。
話題を盛り上げるために、あえてそんな印象を抱かせるように書いてある場合もあるんでしょうけど、そうでない方が多いのでは?
もし「あえて」ならば、その方はなかなかの策士で文才がありますね。
今回の「勉強が出来る=頭がいい?」なんて問いですが、これ、小説なりなんなりでもよく取り上げられる話題ですよね。
山田詠美の「僕は勉強ができない」(http://www.amazon.co.jp/gp/product/4101036160)なんてそのままじゃないですか。
きっと人々は文明ってヤツが生まれてから、この問いを何度となく繰り返してきたはずです。少なくとも「学校」ができてからは。
私は塩野七生の「頭が良い」の定義がなかなか気に入っているので引用しましたが、他の人のでもいいでしょうね。
荘子もこの問いについてはいろいろと語ってくれています。ただ、「頭が良い」ではなく「道」についてだけど。
探せば、この問いについて多くの主張を古今東西、古典から現代に至るまでにたくさん見いだすことができるはずです。
つまり、いままでさんざんいろんな人が考えてきたことなんですね。「だから、自らは考えなくてよい」というのではありません。
もちろん考えるんですが、こういう「論理だけでは考えきれないこと」に関して、
たかだか数十年の経験をよりどころにして、数分間の考慮の結果を主張する前に、
何千年と人類が考えてきたことをちょっとは参考にして欲しいなぁと思うのです。
いままで人類が考えてきた遺産を参考にしないなんてのはなんとももったいない。
その結果、「勉強が出来る=頭がいい」と結論付けるなら、それもいいでしょう。
ただ、そのときはこんな薄っぺらな文章http://anond.hatelabo.jp/20081221200806にはならないでしょう。
というわけで、薄っぺらな文章を書く前に、人類の遺産を少しは頭の隅っこに入れてみてはいかがでしょうか?
長々とくだらない話におつきあいいただきありがとうございました。
ちなみに、私は「頭の良い人」でもなければ、「読書家」でもありません。
そうなりたくはありますが。
だからさっさと漫画喫茶いくなり書店いくなりして「しゅごキャラ!」を全巻読んできな。特に6巻な。つい先日発売したばっかの最新巻だ。
でさあ、結局マッチョとかウィンプとかって何なの? 「ウィンプ」と「マッチョ」を分ける明確な違いって何?社会で成功したかどうか?それとも承認されているかどうか?
でさあ、しゅごキャラ!の6巻では、歌唄っていう敵キャラがこういうことを言うわけ。
そうよ私は強い! 優しさという甘さを捨てたから! 中途半端なあなたには分からないわ! あたしはずっと歌で戦ってきた!勝ち抜いてきた!
やさしさを弱いコトのいいわけにしてるあなたは、負けたって何も感じないのよ!
それに対して主人公のあむちゃんがこんなことを言う。
悔しいよ。負けて悔しい人なんていない。
でも、負けが...傷つくことがおわりとは思わない。
負けた数だけ、「次はがんばろう」って、また頑張れる
あたし...いつもふわふわしてあいまいで、ほんとうの自分なんてよくわかんない。
足りないものだらけのダメな子かもしんない
でも、信じてる あたしはあたしの中の輝きを
で、このあとあむちゃんはアンロックされてダイヤとキャラなり出来るようになるんだけど、何いってるのかよく分からないと思うから、とりあえずしゅごキャラを買って読んできなよ。
ウィンプな人たちは何に絶望しているわけ?自分の不遇を嘆いてるの?不遇に対して高尚な論理付けをして、マッチョの言うことに立ち向かおうとしてんの?
でもさあ、それって無駄じゃない?別にウィンプでもいいじゃん。「ウィンプだけど何か?」ってさあ。そもそもウィンプという位置づけそのものが絶望的存在であると認めることが、自分自身の否定につながっていて、だから自分に何の自信も持てず、想起する過去も全て絶望にしか感じられないわけでしょ?
それにさあ、よく考えたらこの世の中に「マッチョ」なんて存在しないでしょ。「マッチョ」なんていうのは、みんなが作り出した理想の人間像にすぎないものであって、そこにdan君が乗っかってくれたからみんな「dan君はマッチョだ!」って思いこんでいるわけでしょ。
みんなが「dan君はマッチョなんだ!」って叫んでるから、dan君がマッチョにならされてるだけ。欲望なんて、手に入れられないから欲望なんでしょ?欲望を手に入れた人間なんてこの世の中にはいないし、欲望を手に入れなければマッチョにはなり得ないのだから、その意味でマッチョになんて誰もなれないよ。君たちは勝手に、自分の頭の中にある理想像に「マッチョ」という名前をつけて、それにdan君という実像を当てはめているだけだよ。
いい加減気がつこうよ。みんな劇場に踊らされてるんだよ。今頃劇場の管理人は「踊ってる踊ってる」って指咥えながら見てるよ。結局さあ、みんな「社会の歯車」じゃなければいいんでしょ?もうこんな不毛な議論やめようよ。もっと一人一人が必要な人間として認められるようにしていこうと考えようよ。みんな「私が死んでも代わりがいるもの」って考えてるから、「あー俺ウィンプだもうだめぽ」とか言ってるわけでしょ?
マッチョなんて、ワープア(=ウィンプ)が生み出した想像だよ。ウィンプはマッチョなる存在が世界に存在することを仮説することで、自分たちの不遇を引き立てたいだけじゃないの?存在するのは「ウィンプじゃない人」と「ウィンプ」であって、マッチョなんて何処にもいないよ。
まあいいや、みんなしゅごキャラを買ってこよう。ラカンとかジジェクとかどうでもいいから。ありもしない「マッチョ」について論じても、何の意味もないから。だから「しゅごキャラ!」を読んで、自尊心を回復させよう。君たちはみんな、誰かに必要とされて生きているんだ。だから、その意味ではみんなウィンプなんかじゃない。それを自覚するところから、新しい議論は始まるんだ。
またブクマコメにいろいろと、というのは最後にまとめるとして。
http://d.hatena.ne.jp/repon/20080306#1204807516
これのブクマコメには、「長すぎて読めない」といっぱい書かれています。でも、考えてみれば、どんなにペナペナで内容薄くて会話文ばかりでページの下半分は全部空白、みたいな「誰でも読める」ラノベでも、たいていこのエントリよりは長いわけです。よって、「読めない」のは長すぎるからではない。
このエントリが読めないのは、
・もともとの弾さんとreponさんのやりとりからすっかり乖離したメタな話になってしまっていること。
・メタな話だとしても、その中でも論理展開がメタメタであること。
からでしょう。ほめている人でさえ具体的な内容にほとんど触れてないのはその証拠。
順に見ていきましょう。
(1)「決断する」とはどういう事でしょうか?→「何らかの判断を主体的に行うことである」
ここに異論がある人は少ないと思います。
(2)決断は、本質的に論理性では解決できない「問い」から発する
→また「決断」を要する場面というのは、パズルのような論理的判断が下せる問題ではなく、
合理的な答えが複数あり、その中の一つを無根拠に選ばなければならないような事態に
あるような場面です。
これは「選ぶべき答えが明白なら、『決断』なんて不要だ。よって、『決断』とは、『無根拠に選ばなければならないような事態』にすることだ」ということでいいのかな。
ふつう決断といえば、成功の確率とか、成功した場合のリターン、失敗した場合のリスクを見積もってするもの(よって無根拠ではない)だと思うのですが、ここはとりあえず置いておきましょう(保留1)。
(3)ひとは「決断すること」を迫られる状況で、成長することがあります。「決断をすること」を迫られる状況が、教育的な効果を生み出すのです。
(パスカルの賭けってこんな意味じゃなかった気がするがなあ。)
→市場にも適用「その事業の成功の有無とは別に、その人は成長する」
これも、「そんな考え方もあるかな」というレベルでなら賛同できるでしょう。
(4)「決断すること」が有効なのは、「教育的な効果」を期待できるときだけ。
問題は上記、この部分の節のタイトルです。
まず命題として、『「決断すること」が有効なのは、「教育的な効果」を期待できるときだけ。』は明らかに偽です。工事現場で鉄骨が空から降ってきて、右によけるか左によけるか決断しなければ、教育効果云々以前に死んでしまいます。雪山で吹雪に閉じ込められて、決死の覚悟で下山することを選ぶかその場で助けを待つか、といったケースもそうでしょう。『「決断すること」が有効なのは、「教育的な効果」を期待できるときだけ。』というのは、まるで学校の授業のように、「誰かが教育目的で課題を出してくれている」ケースでしかありません。
と、誰が考えているのでしょうか? 日本の裁判員制度について言えば、少なくとも最高裁判所は直接にはそうは言っていないようです。
「陪審員制度が市民を成長させることがある」という命題が真だとしても、そこから「陪審員制度は市民を成長させるためにある」は導けません。
ていうかこういう発想自体、どこかに「教育目的で課題を設定する先生」がいるという前提に立っているのではないでしょうか。それは誰? 将軍様?
まして市場は、我々を成長させるためにあるわけじゃないでしょう。日本が現在資本主義的な経済を採っているのは、そうすると競争で生産性が上がるとか、あるいはそんなのは既得権益を得た資本家が政府を牛耳っているからだとか、いろいろ意見はあるでしょうが、「教育のため」と主張する人はまずいないと思います。
ところがreponさんは、
「市場は教育のためにある」→「教育の目的は二極化を目指したものではない」という二重の飛躍をやってのけ、『「負けた」ものを救う措置が必要』と主張します。
『「負けた」ものを救う措置が必要』という主張自体には異論はないんですよ(BIがよいかどうかは議論の余地がありますが)。でもここまでの議論からこの主張を持ってくるのには無理がある。むしろ「ベンチャーを立てるとか、いろいろ挑戦できた方が社会全体の利得が上がる。でもそれで失敗して人生終わりじゃ誰も挑戦できないから、セーフティネットは必要だよね」という主張の方が筋は通っているでしょう。もちろんこれは典型的なマッチョ理論ですが。
「この金は自分一人で稼いだカネだお前ら手を出すな」と品性なく喚く人間は、教育と言うことがどういう事なのかを理解できていないのかも知れません。
学校の授業のゲームで「子ども銀行券」を取り合っているのならそうかもしれないけど、「市場は教育のためにある」ことが証明できていないので、この文には意味がありません。
ていうかそれ以前に、『「この金は自分一人で稼いだカネだお前ら手を出すな」と品性なく喚く人間』って誰のことなんでしょう。弾さんもfromさんも、BI推進派です。
そして。
教育的効果を発する「決断」は、自分を「問われるもの」として「問う」者を想定し、自身が「問い」に応える立場に立つとき、はじめて成り立つのです。
まったくそのとおりです。これについてはまさに上で、『どこかに「教育目的で課題を設定する先生」がいるという前提に立っているのではないでしょうか』と書きました。
まったくそのとおりです。で、それって将軍様?
つまりね、全体主義的権力を想定して論を進めてきたのはreponさんの方であり、弾さんじゃないんですよ。
実際には、幸い日本には、「真の目的が教育的価値であるということを隠しながら裁判員や市場で市民を教育してやろう」と思うほどの有能な権力は存在しないようです。
学校を卒業したらそこはもはや学校ではなく、ゲームを仕切ってくれる先生はもういない。だからこそ、
・32歳あたりで自分を決めるべき
・そんな会社なら、やめたほうが良かったんじゃないの?
もちろん、このアドバイスが正しいかどうかはまったく別な話です。fromさんがここで書いてるようにいつまでも自分を決めないほうが気分よく生きられるのかもしれないし、あの時代、会社を辞めてたらもっとブラックな会社にしか就職できなかったかもしれません。そういうリスクやリターンを勘案して、どう行動すべきかを決めるのが「決断」でしょう。
さて、ここで上記の「保留1」に戻ります。
ふつう決断といえば、成功の確率とか、成功した場合のリターン、失敗した場合のリスクを見積もってするもの(よって無根拠ではない)だと思うのですが、ここはとりあえず置いておきましょう(保留1)。
reponさんによれば、
正しい方向を目指したから正しい方向に向かったのではなく、正しい方向と信じてその方向に向かい続けたからそれが正しくなるのです。その方向を目指したのが最初は単なる偶然に過ぎなかったのかもしれない、という事実を自身に隠蔽することで、「自分は正しい道を歩いているのだ」と信じ込むことが出来ます。
とのことですが、「最初は単なる偶然に過ぎなかったのかもしれない」という命題と、「すべて偶然だ」というのとはまったく別の話です。
だからさ、弾さんにしろfromさんにしろ「何も考えずにまず行動しろ」なんて言ってないってばよ。
この、まず行動する、という主体確立が最悪の形であらわれたのがファシズムでした。ファシズムの要求するものは、つねに行動の形式それ自体です。内容はどうでもいいのです。内容が空虚であるが故に、そこに向かって突き進むという形式を要求できるのです。
reponさんの文章には、
→ 市場は教育のためのものであるから、敗者は救われなければならない。
→ 空虚であるがゆえに、決断主義者はファシズムに突き進むのだ
という飛躍があります。(1), (2)ともに、最初の命題は真なのでしょう。でも次の「→」は論理的につながっていません。
こんな破綻した文章をブクマコメで賞賛している人は、ちょっと自分のリテラシを疑ったほうがいい。
あとは余談ですが、
でも、「問う主体」として想定されているdanさんが言えば
だれかが書いてたと思うんですけど、弾さんは将軍様じゃなくて軍曹さんでしょう。今の社会でたまたまうまくいった人が、ある程度成功の秘訣を知っていると想定するのはおかしくない。とはいえ、弾さんといえど人生は一度しか生きていないのですから、実は弾さんが現在の地位を得られた要因はほとんど運で、気付いてないのは当人だけ、という可能性も十分に考えられますが。
長くなったし引用も多いけど、reponさんのもとの文章よりかは読みやすいんじゃないかな。
というわけで今日のまとめ。
Marco11につける薬はない
以上。
ありゃ、ツリーの付けるところ間違えたんですが、これ、修正しても直らないんだっけ?
なんつーか、じじぇくよめとかけんとうはずれのこめんとがつきそうなよかん。いまのしゅだいはじじぇくじゃないっての。…というこめんとをいれておいたことをしょうめいするために、ぎょたくとっとこう。