だからさっさと漫画喫茶いくなり書店いくなりして「しゅごキャラ!」を全巻読んできな。特に6巻な。つい先日発売したばっかの最新巻だ。
でさあ、結局マッチョとかウィンプとかって何なの? 「ウィンプ」と「マッチョ」を分ける明確な違いって何?社会で成功したかどうか?それとも承認されているかどうか?
でさあ、しゅごキャラ!の6巻では、歌唄っていう敵キャラがこういうことを言うわけ。
そうよ私は強い! 優しさという甘さを捨てたから! 中途半端なあなたには分からないわ! あたしはずっと歌で戦ってきた!勝ち抜いてきた!
やさしさを弱いコトのいいわけにしてるあなたは、負けたって何も感じないのよ!
それに対して主人公のあむちゃんがこんなことを言う。
悔しいよ。負けて悔しい人なんていない。
でも、負けが...傷つくことがおわりとは思わない。
負けた数だけ、「次はがんばろう」って、また頑張れる
あたし...いつもふわふわしてあいまいで、ほんとうの自分なんてよくわかんない。
足りないものだらけのダメな子かもしんない
でも、信じてる あたしはあたしの中の輝きを
で、このあとあむちゃんはアンロックされてダイヤとキャラなり出来るようになるんだけど、何いってるのかよく分からないと思うから、とりあえずしゅごキャラを買って読んできなよ。
ウィンプな人たちは何に絶望しているわけ?自分の不遇を嘆いてるの?不遇に対して高尚な論理付けをして、マッチョの言うことに立ち向かおうとしてんの?
でもさあ、それって無駄じゃない?別にウィンプでもいいじゃん。「ウィンプだけど何か?」ってさあ。そもそもウィンプという位置づけそのものが絶望的存在であると認めることが、自分自身の否定につながっていて、だから自分に何の自信も持てず、想起する過去も全て絶望にしか感じられないわけでしょ?
それにさあ、よく考えたらこの世の中に「マッチョ」なんて存在しないでしょ。「マッチョ」なんていうのは、みんなが作り出した理想の人間像にすぎないものであって、そこにdan君が乗っかってくれたからみんな「dan君はマッチョだ!」って思いこんでいるわけでしょ。
みんなが「dan君はマッチョなんだ!」って叫んでるから、dan君がマッチョにならされてるだけ。欲望なんて、手に入れられないから欲望なんでしょ?欲望を手に入れた人間なんてこの世の中にはいないし、欲望を手に入れなければマッチョにはなり得ないのだから、その意味でマッチョになんて誰もなれないよ。君たちは勝手に、自分の頭の中にある理想像に「マッチョ」という名前をつけて、それにdan君という実像を当てはめているだけだよ。
いい加減気がつこうよ。みんな劇場に踊らされてるんだよ。今頃劇場の管理人は「踊ってる踊ってる」って指咥えながら見てるよ。結局さあ、みんな「社会の歯車」じゃなければいいんでしょ?もうこんな不毛な議論やめようよ。もっと一人一人が必要な人間として認められるようにしていこうと考えようよ。みんな「私が死んでも代わりがいるもの」って考えてるから、「あー俺ウィンプだもうだめぽ」とか言ってるわけでしょ?
マッチョなんて、ワープア(=ウィンプ)が生み出した想像だよ。ウィンプはマッチョなる存在が世界に存在することを仮説することで、自分たちの不遇を引き立てたいだけじゃないの?存在するのは「ウィンプじゃない人」と「ウィンプ」であって、マッチョなんて何処にもいないよ。
まあいいや、みんなしゅごキャラを買ってこよう。ラカンとかジジェクとかどうでもいいから。ありもしない「マッチョ」について論じても、何の意味もないから。だから「しゅごキャラ!」を読んで、自尊心を回復させよう。君たちはみんな、誰かに必要とされて生きているんだ。だから、その意味ではみんなウィンプなんかじゃない。それを自覚するところから、新しい議論は始まるんだ。