はてなキーワード: 電気グルーヴとは
もう40代半ばになって、学生の頃聞いていた電気グルーヴやKen Ishiiの当時の楽曲を改めて良く聴くようになった。
当時を思い出すとかそういうのではなく純粋に聞いていて気持ち良い。
若い頃は「流行りものが嫌い」で、J-POPなど聞かず、比較的マイナーな曲を聴いていて、その中で刺さったのがテクノ系だった。
しかし今では「流行りものが嫌い」という感情はなく、カラオケに行けばJ-POPで歌われているランキングTOP10の八割は歌えるし、抵抗はない。
なのに、やっぱりたくさん聴くとなると若いころ聴いていたジャンルが主で、かつ昔聴いていた楽曲で良かったものを良く聴くんだよね。
ロックバンドのライブと違ってモッシュみたいなものはないからね、持ち場で延々と身体揺さぶってるんですよ。
そしたらねえ、俺の左側に可愛い女の子がいたんだな。ちょっと影がある感じの。あんまり楽しくなさそうに踊ってるんですよ。でもたまに手を降ってワイワイしてて。
そんなの惚れるよね。
ゲーム感覚で恋愛できる人なら声かけたりなんかするんでしょ?でも俺は違うんですよ。
隣に可愛い女の子がいて、踊ってるっていう、それだけで幸せなのね。
ピエール瀧がガンガン盛り上げてさ、石野卓球のコールで会場が沸いてさ、VJはとってもキレイで楽しい感じなんですよ。昔の曲もガンガンかかってテンション上がってね。
その場にいられるってだけで幸せなのに、隣に可愛い女の子がいるんですよ。
声なんてかけられるわけもなくライブが終わって、ぼんやりと電車に乗って帰ってきたんです。左耳の感覚がおかしいなーなんて思いながらこれを書いてる。
別に後悔もないのね。良いライブに可愛い子がプラスされて満足って感じ。
この気持分かってくれる人のほうが少ないんだろうな。気持ち悪いし。
分からないけれども今までの自分からはとうてい想像もできない出来事がおこった。どこにもかけないので備忘録です。
今年は恋人と別れたばかりで傷心だったが、せっかくチケットもあるし転売も面倒だしということでちょっと無理して行くことにした。
7/24木曜日。暑いのと、待ち合わせで行き違いがあり朝からイライラしたがお昼すぎには苗場着。
テントもいいところへ張れて(貧乏なのでテント生活)、だんだん元気になってくる。この辺りで飲酒を開始する。
前夜祭まで時間があったので、友人カップルとテントでのんびり過ごす。
今年はゲートからオアシスへ行く橋がなくなっていて(去年は行かなかったので知らない)不便。
前夜祭では友人2組と会いたかったのに会えず、結局午前1時には就寝。まじめである。
7/25金曜日。朝から殺人的な日差し攻撃にあい、眠かったけどやむを得ず起床。
越後湯沢まで友人の友人たちを迎えに行く。ここでA君と出会う。
今日は夕方のFOSTER THE PEOPLEまで暇なので、木道亭まで行ってBANG BANGで盛り上がる。
木道から降りるのにA君がだっこしてくれる。ここで初めて言葉を交わす。
ちなみにここまで特に記載していないが、朝からずっと飲酒しっぱなしである。
時間になったのでグリ−ンへ移動、まさかのモッシュピット…!!
別の友人は途中で抜けて、A君と2人最後まで盛り上がる。すごくすごく楽しかった。
終わってからハイネケンブースまでの間にお互い興奮しすぎてハグ。
友人と合流するもすぐにお別れし、FRANZ FERDINANDまでヒマだけど、疲れたのでグリーンで電気グルーヴを見ることにしたらA君も一緒に。
2人きりだったし周りもすいていたし真っ暗だし…で、さきほどの興奮が冷めやらず後ろから抱っこ&キス攻撃(肩と首と頭)。
最終的には普通にキス。公衆の面前で…!(はじめての経験その1)。
富士山の途中で友人が戻ってきたんだけど、ずっとキスしていたので、口をふいてから友人とハグしていたA君が印象的だった。
友人に「富士山の後になんて言ってるの?」と聞かれたけど電気グルーヴを聞く余裕がなかったので「わかんなかったねー」と返す。友人は不思議な顔をしていた。
その後私はフランツ、みんなはBASEMENT JAXXを。
終演後オアシスで合流して、寝る組と遊ぶ組に分かれる。私は遊ぶ組で、レッドでA君としばし遊ぶ。
そこからの記憶があんまりないんだけど、気づいたらテントに向かっていて、
A君と手をつないでいて(いったん離れちゃったんだけど、A君が後ろに手を開いて待ってくれていたのがキュンポイント)、
自分のテントでなくA君のテントにいた。(はじめての経験その2)。普通にラブい夜を過ごす。
7/26土曜日。恒例の暑くて目が覚める。というかふつうに4時くらいまでオールナイトフジやってるし、ラブい感じで寝るのが久しぶりだったのでぜんぜん寝れなかった…
途中覚醒してばかりでA君には悪いことをしたと思う。何度も髪の毛にキスされて結構キュンときたけど、私お風呂入ってないんだよねーってずーっと思ってた。
でも起きてからA君が気まずそうにしていたので(すぐ隣に友人のテントがある)、すぐに身支度をして自分のテントに戻る。
友人カップルに朝帰りの様子を目撃されているのがわかっていたけど眠くてフラフラ歩いていたので気づかないフリ。戻って30分ほど並んで即シャワる。
例によってARCADE FIREまでヒマなので、無駄にヘブンまで行って昼寝のち川遊び。
起きてからみたJAKE SHIMABUKUROがよかった。男性の友人とA君が野太い声で「I love you JAKE!」ってしょっちゅう言っててウケる。
クレイジーなヨーコオノをチラ見して、ARCADE FIREでしめ。クリスタルパレスに寄ってみたけど、私とA君は帰ることに。けっきょくその夜もA君のテントに泊まる。
7/27日曜日。今日でA君とはお別れ。昨日とは打って変わって朝から恋人のように過ごす。着替えとシャワーに自分のテントに戻るときも「See you soon!」と別れる。
Soonと言いつつ、今日は荷物の片づけもあるので合流できたのはお昼過ぎ。
移動中も恋人のようにずっと手をつないで移動、アウスゲイルだけみたんだけど、始まる前にトイレへ行ったら友人たちの場所に戻れなかったので、後ろの方で2人でみていた。
ああもう今日でお別れなんだなあと思うとすごく寂しくて、何度も手をギュってにぎった。
夕方ほんとに全員集合して、ワールドレストランの木陰でのんびりして、私は帰る時間が来てしまったのでそこでお別れ。
帰る時間は説明していなかったのでA君すっごくびっくりしていて悪いことをしたなあ。
みんなからちょっと離れたところでハグ&キスをして「本当にあえてよかった」というようなことを言い合ってお別れ。
以上が私が体験したはじめての出来事でした(ワンナイトラブ的な)。
恋人以外とこんなことをする人間になるとは夢にも思っていなかったのでびっくりしたけれど、
A君とは音楽の趣味も合うし、何よりいままでのフジロックの中で一番エキサイティングでとっても素晴らしいフジロックを過ごすことができたので後悔はしていない。
A君と私の間のディスコミュニケーションを感じる方もいたかもしれないけれど、実はA君は外国人で日本語があまり得意でない。
しかもフジロックの2週間後には帰国が決まっていたので、まあ彼の友人たちからしたら「日本人ちょろい」と思われているだろうし私でもそう思うけど、
当事者からすると「ちょろい」というよりはすごく興奮して同じ感動を味わうことができて、こうなったのもそこそこ自然な流れなのであんまり気にしていない。
もうこんな素晴らしい体験をすることもないんだろうなあと思うとちょっと寂しいけれど、世の中何が起こるかわからない。もっともっと素敵な経験ができるといいなーと思います。
※この話は実話を元にしていますが、あくまでフィクションです。
当時は、勉強しながらよくラジオを聞いていた。友人たちがよく聴いていたのはAM放送のほうだったのだが、音質も悪くて、トーク主体の番組が多い気がしてどうも性に合わず、俺はもっぱらFM放送を聴いていた。
あの頃の大阪のFM放送といえば、5年前に開局した80.2MHzのFM802が斬新な放送スタイルで一大ムーブメントを形成しており、FMが流れている店は大体FM802にチューニングされているといった風潮だったが、洋楽主体とはいえ、基本的にチャートインするようなメジャーな楽曲ばかりを流す802は俺には物足りなかった。
なにしろその頃の俺はYMOを経て電気グルーヴを聴き始めた頃で「テクノ」と名のつく音楽に飢えていたからだ。
ネットもない時代。サブカルに半分足を突っ込んだ引っ込み思案の中学生には情報もないし、それを補う行動力もない。しょうがないのでCDレンタルで、とにかくそれっぽい音楽を、BUCK-TICKやカシオペアや姫神、ようするにシンセが使われている音楽ならなんでもいい、といったところまでストライクゾーンを広げて、片っ端から聴いて、なんか違うよなあ、と思いつつ、飢えをしのいでいた。
そんな時、周波数75MHz付近にラジオ放送欄に存在しない局が存在することに俺は気づいた。
音質はかなり悪く、兄から受け継いだ馬鹿でかいラジカセのアンテナを限界まで伸ばしてようやく視聴可能というその謎のラジオ局は、だいたい19時頃から受信可能になり、深夜3時頃にぶっつりと止まる、明らかに海賊ラジオ局なのだが、俺はすぐさまその局に夢中になった。
なにしろ、その局は、俺が全く聞いたことも無いようなレイブ系テクノばかりをCMもトークも無しにノンストップで延々と再生しつづけるという、まさに狂気のラジオだったからだ。
それからというもの、家に帰って飯を食うと、勉強と称してそのラジオを聞くのが日課になった。
そのうち、音楽の合間に海賊ラジオの主とおもわれる若い男のコメントが一瞬はさまれる事に気づいた。
彼は「○○MHz、バンブーラジオ」とだけボソリとつぶやくとすぐに次の曲をかけた。
バンブーラジオのレイブ系テクノの垂れ流し(いわゆる今は中古CD屋で100円以下で叩き売られているジュリアナ系コンピのようなノリと思ってもらえば良い)は、それほど当時の俺の嗜好に合っていたわけではなかったが、TUTAYAで借りたチックコリアよりはよっぽどテクノっぽかったし、中には心の琴線に触れるような名曲もあったのだ。
その度に俺は、この曲は何という曲なのか、どこに行けばこの曲が入ったCDを買えるのか、切実に知りたかったが、なにしろ曲名を読み上げもしないバンブーラジオなのだ。それを知ることはできなかった。
そんなある日、いつものようにバンブーラジオをかけると、珍しく人の声がした。おそらく生放送で、バンブーラジオ局の主とその友人とおもわれる若い男が二人で楽しそうに会話している。
「FM放送なんて簡単だって、日本橋でパーツ買ってきて、ちょっと改造したらええだけやん。3万もあればできるで」
みたいなことを言っていた。俺は、個人でFMラジオを開局するという、そのとんでもない発想に興奮し、乗り気でない友人に替わって、自分にその方法を教えてもらえないものか、とすら思った。
「そうだ、リクエスト受け付けてみるか」
と言い、おそらく主の自宅の電話であろう、電話番号を読み上げた。
俺の胸は高なった。「同じテクノの好きな人間と話すチャンスかもしれない!」
電話番号をメモしたものの、しかし、実際に電話をかけるとなると、躊躇した。俺は無知なただの中学生で、しかも主のかける曲名、ましてやそのジャンルが何というのかすらまったくわからなかったからだ。(当時はディスコでかかるような曲、という程度の認識だった)
リクエストしようもないし、そもそも俺が知りたいのは、いつもかかる曲の曲名のほうなのだ。
そんな質問をするために自分が電話していいものか…さらに言うと、携帯もない時代に、固定電話のある真っ暗な居間に降りていって、見知らぬ、それも違法めいた事をしている男に電話をかけるというのも、何かすごく悪いことをするような感覚があった。もし電話しているところを厳しい母親に見つかったら、と想像すると、俺の興奮は急速に冷めていった。
正確には一回だけ鳴ったが無言電話だった。もちろん犯人は俺ではない。
そのうち、主とその友人も飽きてしまって、元のノンストップ放送に切り替えた。
残念な気もするが、まあ、また機会もあるだろう、俺はそう思って納得することにした
バンブーラジオはその後も放送を続けていたが、やがて、いつもの時間でも休止していることが多くなり、放送があっても、まったく関係ない、違う個人運営のラジオ放送(素人くさい女DJがJ-POPをトークの合間にかけるといったもの)を中継していることが多くなった。
季節は冬になろうとしていて、受験本番の日が近づきつつあった。
ある時、習慣でバンブーラジオにラジオを合わせると、聞き慣れたレイブテクノが聞こえた。
ああ復活したんだな、良かった。
と俺は思い、そのまま聴き続けたが、合間にいつも主がはさむ「○○MHz、バンブーラジオ」の名乗りに変化があった。
俺は驚愕して、眠い目をこすりながら放送を聴き続けた。深夜2:00頃だろうか、音楽がふいにフェードアウトし、主のボソボソ声に切り替わった
「最近忙しくて、ちゃんと放送ができなくて申し訳ない。この放送は、○○(大阪の地名)から放送してるんですが、なんかどうも電波が岸和田あたりまで届いてたらしいですね。どれぐらいの人が聴いてくれていたかは知りませんが、今までありがとうございました。」
「放送を辞めるのは、神戸に引っ越すからで、そこでも放送を続けるかは正直わかりません。やりたいとは思ってますけど、設備の問題もあるので。」
「ではそろそろお別れです。スイッチを切ったら、屋根のアンテナ外して、これでバンブーラジオは本当に終わりです。」
そして、数秒のブザーの後、放送は止まった。ヘッドフォンからはホワイトノイズが流れていた。
あの時、電話しとけば良かったなあと俺は少しさびしくなったが、実は、その時にはそれほど感慨はなかった。
なぜなら、俺は既に電気グルーヴのテクノ専門学校シリーズを手に入れて、自分の好きな音楽がクラブ系テクノミュージックというものであることを知ることができており、またテクノ専門学校のセールスがそれなりに良かったのか、ソニーミュージックの海外インディーズレーベルを中心としたリリースラッシュ(AphexTwinやBlack Dog、デトロイトテクノ系アーティストなど)もあって、大きなCDショップに行けば、簡単に好きなテクノミュージックが手に入るようになりつつあった。
なので、好みの合わないレイブ系のラジオが終わっても、わりとどうでも良かったのだ。
それから1ヶ月もしないうちに、1.17 阪神・淡路大震災が起こった。
俺の家の被害はガスが止まったぐらいで大したことはなかったが、尼崎に住んでいた叔父一家が被災するなどして、大混乱だった。親戚全員の無事が確認された後、俺が真っ先に思い出したのは神戸に引っ越したバンブーラジオのことだ。
ラジオで読み上げられる無数の被災者の名前を聞きながら、俺はバンブーラジオの主の無事を祈ったが、もちろんそれを確かめる方法はなかった。
その後、志望校に合格し、春から始まる高校生活を前に、期待と不安で宙ぶらりんになっていた俺は夢を見た。
大阪の電気の街、日本橋に入学祝いのお金を握りしめて、FM放送のための機材を買いにいく夢だった。
何故か、ピエール瀧とバンブーラジオの主が同行してくれて、俺に色々とアドバイスをくれる。
棚に並べられた、無線機の列を眺めながら、俺はこれから始めるFM放送の構想にワクワクしている。
目が覚めた。そして、朝日の中、それが夢だとわかった時、本当の寂しさが襲ってきた。
俺の好きな音楽を一緒に楽しめる友人は、本当は一人もいないのだ。
中学の友達にAphexTwinのAmbient Worksを聞かせても曖昧な笑みを浮かべるだけなのだ。そんなわけのわからん音楽よりこれ聴けよ、と渡されたカセットテープにはボンジョビとミスターBIGが90分詰まっている。trfじゃないだけマシだけど、俺にはこの良さがさっぱりわからないのだ。
同じように、誰も、誰一人、AphexTwinの初期アンビエントの空気感や、カールクレイグの無機質なマシンドラムの良さなどわからない。
俺はどうしようもなく一人だった。そしてそれは、春から始まる進学校での高校生活でも同じだろう。いやもっとひどいかもしれない。
夢で訪れた日本橋の無線ショップに、俺は1週間前に実際に行っていた。自分もFM放送を始めればあるいは、と思ったのだ。
膨大な機材に圧倒され、マヌケにも「FM放送をしたい」と馬鹿正直に店員に告げた俺は、表情を一変させた店員に「それは犯罪だからね。帰ってくれる?」と追い出されたのだった。
幸いクラブ系ミュージックはその後、ファッションの文脈を得て一大ムーブメントを巻き起こした。送信機の代わりにシンセを買って宅録するようになっていた俺にもその手の友人が何人もできて、俺は一人ではなくなった。
ブームが終わって、俺が挫折して、シンセを全部売り払った今でも、彼らとの親交は続いている。
彼らとたまに昔話をする度に、俺はバンブーラジオを思い出す。向こうは俺のことなんて知らないだろうけど、今でも俺にとってバンブーラジオの主は、音楽を好きになって最初に出来た頼もしい先輩で、そして大切な友人だからだ。
皆がオフラインになった冬の夜、決してチューニングできないどこかの周波数で、あのアッパーでどうしようもなく頭の悪いレイブテクノが、あの時のままノンストップで流れ続けている。
俺は、まだそういう夢を見ている。
追記:海賊放送と書きましたが、バンブーラジオが本当に違法だったのか、実は知りません。でも電波が飛んでる範囲からして、当時のコミュニティFMに許された範囲は超えていたように思う。あと、念の為書いておきますが、この文章に違法行為を助長する意図はありません。不正電波ダメ・ゼッタイ。いい子は各種法律守ってネットでやりましょう。
やあ。分かるやつには分かると思うが、俺だ。ネット見てると一見真面目でマトモな空間にも2ch的な低俗で野卑た対立煽りがぎょうさんひしめいていて現実から乖離した事実認識が続々と形成されているのが観察できる。
さらに問題なのはその事態を2chと同等の低俗さだと気付いて「いねえ」人が結構というか殆どだということなんだな。いま何が起きているのか、世の中や人の心の仕組みはどうなっているか、その実際の姿が見えているか、
それとも見えて「いねえ」か、その違いは凄まじく大きい。真実を洞察できる慧眼が求められている時代。冬の時代。いま、言葉の究極的な意味で「実際的」な人間が貴重。
さて。
記憶術の話なのだが、そもそも世の中のテクニック本の類は二重にワンパターン化されてしまっていると思っている。1つ目は受け手すなわち読者の問題で勝手にパクリ認定したりそうでなくともあの方法の改変か
といった形でしか物事を理解できない人間が多いこと。理解は単なる既存のフレームワークへの当てはめとする創発のカケラもない受動的な認知モデルはとっくに古くなっているのに。2つ目は書き手の問題で読者と同じくワンパターンにしか
考えられないから世の中の本はしょせんパクリだらけと「ガチで」思っているから自分もそういうパクリ本の量産に加担せんとて書くという輩である。
つまりはワンパターンじゃないミュータントもかなり混入しているのに関わらず二重のワンパターン化の力が強力過ぎて業界全体が完全なるワンパターンのマンネリの泥沼に陥っているかのように大半の人が錯覚してしまうのである。
で。
具体例を言ったところで上記のワンパターン脳には効き目が無いので具体例をあえて挙げないのが俺の習性なのだが、ここではあえて具体例を挙げる。
そうだなイメージが苦手な人もいるだろうからこうしよう。方眼紙タイプの小さなメモ帳を携帯し、そこに罫線にそってテキトーな図形を描き、その内部のマスに記憶したい事項を入れていくってのはどうだ?
ここまで聞いてなんだ「場所法」か等と思った記憶術マニアだとか別に新しくないじゃんと思った一般人だとかはこのエントリを読んでも意味がないことを保証する。
あえてこの方法について突っ込んだ説明はしない。どこが新しいのか、どこが強力なのか、など。何か新しさを感じた人だけやってみたらいい。
で。
なんでこんな話をわざわざしているかというと、新しさってそもそも思い込みを外して見れるってことなんだよな。とくにネット漬けの人。記憶術そのものはどうでもよろしい。
と言ってもネット漬けの人を俺が治せるとは思わないし、せいぜい出来るのはネットから距離がとれている人を呼びかけてネット漬けの人について何か働きかけるキッカケを与えるくらいだな。
そのくらい彼らは思い込みで支配されているしこの世界もまた思い込みで埋め尽くされてしまっているんだ。すごい音楽や絵画ってすごいのは伝わるけど何故すごいかは伝わらないんだよな。
何故が分かると言葉による思い込みが働いて新しさが欠如する。元電気グルーヴの砂原良徳もそういうコンセプトで「take off and landing」を制作したんだ。
ニュースを見て実際の有り様、つまり<実態>だな、それを確認することなく鵜呑みにするのは危険だろう?だがその罠を回避しようとしようとするフリはしつつも結局<実態>から逃げてるんだよな。
そんな時代だからこそ、自分の足で歩いて自分の目で見たことだけ信じている人間の脳のつくりはまるで異次元だよ。たとえば、大前研一氏はそういうタイプの人間だよな。
「中二病でも恋がしたい!」のお陰であちこちで中二病定義論争が最勃発している。本来は思春期的自意識過多の事だったんだけど(ついでに言うと罵倒語でもなかった)、単なる痛いオタク少年を中二病呼ばわりしてバカにするというはてなキーワードから始まった傾向が、ネット中に広まった。
有村悠氏は80年代の小室哲哉&TMNを中二病アンセムとし、id:tunderealrovskiはTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTを中二病アンセムとして扱っている。そこで「思春期の少年の自意識をいい具合に刺激する音楽とアーティスト」を収集してみた。
最近的な意味での「邪気眼系中二病」は意味が違ってくるので、アニソンボカロは除外。
http://www.youtube.com/watch?v=6ssiTuXTNnU
80年台のバンドブームといえばTMNでもBOOWYでもユニコーンでもなく、ブルーハーツこそ中二病アンセムだと思う。リンダリンダや情熱の薔薇など、どの曲も名曲だけど、歌詞の力を考えるとこれが一番だとおもう。
http://www.youtube.com/watch?v=0vJ2JChBLmo
「学校ないし家庭もないし暇じゃないしカーテンもないし」、80年台がブルーハーツとしたら90年代は電気グルーヴ。閉塞した時代の青春をそのまま歌詞にするとこうなる。
http://www.youtube.com/watch?v=o58zjQZY4JI
ナゴム系は中二病アンセムの宝庫。これを歌ってた頃の大槻ケンヂは中学生向けのラジオをやって、中学生向けの曲を書いていた。
http://www.youtube.com/watch?v=49FIk8nPybw
渋谷系は「俺はあいつらとは違う」という、90年代の中学生のハートをがっちりつかんだ。麒麟川島曰く「クラスの一軍は小室、二軍は渋谷系」と言っていた。一方で伊集院光本人は渋谷系を「お洒落軍」とディスってたけど。
http://www.youtube.com/watch?v=Ee_QaBjj08c
80年代がTMNとブルーハーツ、90年代がナゴム系と渋谷系だとしたら、ゼロ年代はバンプ。「ノーヒットノーラン」「ダイヤモンド」「バトルクライ」など、インディーズ時代がとくにおすすめ。
http://www.youtube.com/watch?v=c2y8Ba3WwPY
http://www.youtube.com/watch?v=r--H06eNrRY
ミスチルなんて中二病からもっとも程遠いリア充が聞く音楽の代表のはずなんだけど、桜井和寿氏は結構中二病的な歌詞を書く。伊集院光から影響を受けているんだから当然か。
http://www.youtube.com/watch?v=k-4kmxytbbU
2010年代は神聖かまってちゃんと相対性理論の時代。AKBにも嵐にもももクロにもボカロにもうんざりしている少年少女の受け皿になってくれればいい。ただ、ファン層は20〜30代っぽいけど。