2018-07-31

メンヘラ時代日記が出てきたので書いておく

引っ越しのため、片付けをしていたら、

大学時代、紙に書きなぐっていた日記帳の破片が見つかった。

書いた時を思い返すと、こんな状態でよく留年とか退学とかしなかったなあと思う。

捨てるのもなんだかもったいない、だがまたいつか見返したい、

ということで、ここに書き起こしてから捨てる。

今思うと相当追い詰められてたなこいつ…



自分はなぜ生きているのか、なぜこんなに愚図なのか。

人のせいにして現実から逃げて、やればできると先延ばしして、

何でもできるという虚栄心に浸って、本も読まず、有りもしない形での他人の救いを求めて、

慢性的になって、でも一人になるのが怖くて、でも和まりが怖くて、超当たり障りのない付き合い方しかできなくて、

自分能力も上げず言い訳して、引きこもって、全てまわりのせいにして、

なんなんだ、こいつ。

やらない理由なんていくらでも浮かんで、他人否定することばかりして、

何もしていないのになにかしている人に対して、優越感を感じて、虚栄心を満たし、

決して満たされない頭の穴にそれを流す。そんなの意味がない。

言葉ではわかっている。

ああ俺何がしたいんだっけ。今の自分のような人間になりたくない。

心のどこかで感じていたけど、結局周りに流されることしかできなくて、思考を停止させる。

結局そう思っていただけ、何になりたいかなんて考えていなかったと思う。

考えてもなれないと、なれなかったとき辛いだろうと思っていた。

何に対しても自信がなくて、結局他人が良いと思いそうな有りもしない思いを伝えて、

よくわからないまま勉強部活をし、やり過ごす。



進路だって、結局自発的に決めたわけじゃない。

まあ、実家のせいなのかな、父は受験期に自殺母親は過剰に自分自発的行動にケチをつけ、

姉は毎日誰かしらに喧嘩を売り、一人でイライラして、癇癪を起こし、おかしいといえば、号泣する。

自分統合失調症とかかじゃなくて、今思っても冷静に考えても、

実家が異様な空気だったことは確実で、

どこか機能が不全な家族であることは、実家を離れて2年以上たった今でもそう思う。

こういうことを人に話したら、思い切る勇気が無いと言われたが、

有りもしない普通の、ただ居心地のいい空間を求めたからか、

根底にあるのは異質な実家をぬけだしたい、でも進路を全力で否定するような実家という状況を直視した

という状況にならないと第三者の目で見られないと思う。

ただ何をしてこの先生きていけばいいのかわからなかった。

家を抜け出すためにどうすればよかったんだろうか。

家を抜け出すために全寮制の高校にでも行けばよかったか

その希望を掲げて行動する気は湧いてきても消されたと思う。

書いても書いても、実家の居心地が悪かったからこんな事になった。ということが出てくる。

もういいじゃないか、それには囲まれていないんだから

でも周りを見るといままでにそんなことが無いように見えて、とても眩しく感じる。

実際は一人ひとり違うと思うが。


でも、きっと世の中の人間はここまで卑屈な思いを経験することがなく、生まれ死ぬんだろうな。

人間なんて、意味もなく生まれて、意味もない行動をして、意味もなく死ぬ

死んだら認識したものも、作ったものも、もう認識できなくて、

結局たまたま自分という意識を持つよくわからない一つの何かでしかない。

なのに、なんでこんなに気分が悪くなるだけのよくわからないものが湧き出てくるんだ。

卑屈なだけなのか、生来のものではないと思える自分意識できるだけ、まだマシだと思う。



結局の所、自分の頭に湧いてくる、気にしていること、死ぬほど辛いことなんて、

文字にすれば過ぎ去ったことでしか無いことで、もう現実にはないことで、

書いても自分の頭が整理されるだけで、なにも生産性のないことだと思う。

こういうことを書き始めてから1年ぐらいかな、もうなんだかわからない。

心の病や心理学の本を読み漁った結果、

認知的不協和」「誇大妄想」「自己欺瞞

つまるところ、この3語で、自分気持ち悪く感じていることは説明できると思う。

これを以上として見るなら、誰にも当てはまるんじゃないか、あっても何も問題ないんじゃないかと思うが、

まあ、心が長持ちしないし、一般にはそこまで尖った人間は目立っても相手にされないだけで、世渡りが下手なんだろう。

こう書いてみて、再び思うが、哀れな一人の人間の、治しにくい、典型的問題しか無いということがよく分かる。

何なんだろう、これからどう生きていこう。

今まで生きてきて行動してきたエネルギーなんて、

こうして文章化されるまでもやもやしていた「わだかまり」に対してでしかなく、

何も頭に入ってなく、成長していないと思う。これもまた経験なのかなあ。

何がある、何が残った、何が楽しい。んなもん今はわからん



ふと思い出したが、父親自殺したあと精神科に言ったことを思い出した。

精神科に行く前から上述のような中身の人間だったのでもっと早めに行ったほうが良かったと思う。

それはさておき、治療していた頃のことを思い出して書いてみよう。


認知行動療法らしいことをしてもらったが、

欺瞞欺瞞を重ねてきた人間の本当のトラウマなんて、簡単には認知できないと思う。

紐解くのは本当にエネルギーを使う。

PTSDは残ったものの、根底にあるのは慢性化したもので、自殺したこと関係ないと思う。

自殺するような人間がいる家庭ということが、なんだかなあ)

まあ自分欺瞞をつくって、それを重ねて、それを壊して、いまも壊し続けていると思うと、

はじめから今まで、自分の行動が本当に虚しく感じる。

こういう人間は外に注意が向いているようで、全く向いていない。

自分欺瞞から作った、自分勝手自分公理系を注ぎ込んだ、

自分だけの度が強い色眼鏡を堂々と掛けていて、映る像は自分思い込みが強く入っている。

欺瞞はさておき、人間みんなそうなんだろうと思うけど、度が過ぎると心が持たない。


どうしても自分の色眼鏡を変えたくないっていうのは、自分が間違っているのをどうしても認めたくないってことかな。

臆病な自尊心尊大羞恥心に包まれていることを自覚しなければなならない。


なぜ認めたくないかっていうのは、

自分経験上では、それを変えようとしたところで、目指すものはない。対象があったとしてもイメージできない。

今まであった「不安」に浸っている方が、安心できるからだ。

そこを指摘しても、うまく言って洋画、うまく言っていなかろうが、

「今までこれでやってきた」が与える力は測りしれない。

認知的不協和自己欺瞞(しごく勝手で都合のいい解釈)で簡単解決したと思い込み

それを重ねると誇大妄想に至る。

今、自分が逃れられたとは言えないが、それがわかっただけでもこういうものを書いた価値はあると思う。


まあ、今は適当読書したい。




とダラダラ半日かけて書いたことを思い出しながら書いた。

読み返すと恥ずかしくなるけど、こういうものを書き続けてきたからこそ、

今は比較平穏状態でいられると思う。

やっぱ自分の頭の中を出力するのは大事だね。タイピング早くなるよ!

大学生活はこういうのをPCやら紙やらに書き込んで、

時間をふんだんに使って、小説や専門書、映画漫画を漁ったなあ。

自分で何かを書くようになってから

どんな作品しろ人間である作者がそれに時間を掛けて制作したってことが、

少しでもわかるようになったので、少しは成長したと思う。

今は読書するのはもちろんけど、何かしら一人で作ってみたり、未開の地に旅行しに行ったりしたい。

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