はてなキーワード: 補正とは
胸のない人間に合うブラジャーってあるの?胸がないって言ってるのに何に合ったら合うことになるの??
そんな疑問を持ってワコールの3D測定に行ってきた話をまとめようと思う。
私は、いつ胸が大きくなるんだろうと疑問に思ってたらそのまま大きくならなかった為にブラを買うタイミングもなく中学2年男児みたいな体つきのまま大人になっておばさんになろうとしている人間だ。
成人後家族で温泉に行った時は病気を疑われた。言われた時は悲しかったが、脱いだら鶴太郎みたいな体なもので、女鶴太郎を見れば病気を疑うのも無理はないだろう。ちなみに今は体のラインが変わって水で戻した鶴太郎みたいな体をしている。私もヨガをして新鮮な鶴太郎になりたいものだ。
まあそんな体だから人生で胸囲を測ってもらったことがない。下着屋さんで測ってもらうと自分が思ってるよりサイズアップするというのは胸の質量が計測できる97%の人間からのありがたいお言葉で、乳首ガード用の胸当てとしての役割の布をつけてサイズアップすることはない。
とはいえ、可愛いブラという奴をしてみたいのだ。可愛いブラって奴はそれなりに高い。調べると安めの物で飲み会1.5回分ぐらいの金額はする。鳥貴族なら多分2〜3回は行ける。失敗覚悟で計測もなしに手当たり次第に買うということはできない。しかし店員さんに測ってもらってお前に着せるブラジャーはネエ!!!と言われたらいくら鶴太郎を自認していても泣きわめく自信がある。
ということでワコールに赴き3d計測をしてきた。詳しくない方に簡単にいうと機械で全身を3Dスキャンしてその数値を基にブラジャーのおすすめをするというものだ。人に見られることがないので気軽に計測できる上に体のラインが客観的にわかるのでブラジャーだけではなくお腹やお尻を補正するガードルの販促も同時にできるなかなかに最新の機械である。
さて結論からいうと胸のない人間は3d測定をしても数値は全く参考にならなかった。
というのも数値上では自分の体はEカップになるのだそうだ。乳首の横に脂肪ではなくあばら骨がある人間がEカップになる。
Eカップ。
カップ数と言うのは胸下の周囲と、乳首の位置での周囲の差で決まる。私の場合はあばら骨のテーパーがかなりあるようで胸下のあばら骨の周囲が63.2cm、乳首直下のあばら骨の周囲が84cmとあばら骨の差だけで20cmが発生しているようなのだ。
マジで?
むしろ背中が隆起してる可能性を疑い3Dスキャンをぐるぐると回してみたが当然ながら背中も表(ヘソがついてる側)と同じく平らであった。
検索によるとEカップというのは容量で言うと片乳当たり大きな梨1個相当の容量、高さで言うと大体6〜7cm程度のお山らしい。
店員さんも親身になって様々なブラを提示してくださったが、裾野だけが広がる標高0cmの胸を前になすすべもなく最終的に店員さんもお力になれず申し訳ございませんでした、と退散していった。
こうして私の初測定は終わった。
胸のない人に合うブラはあばら骨の発達具合に寄ってあるなしが決まってくると言うことがわかっただけでかなりの収穫だったと言えるだろう。
特殊詐欺の受け子、それも俳優が警察官役を演じての犯行なんて悪質極まりない直球の悪事だよね?
なのに「食えなかったのかな」「俳優業は厳しい」なんて詳細もわからないうちから勝手に良い方に事情を推しはかってもらえてることになんだかモヤモヤ。
普通の人にはない認知度・好感度を持つ芸能人ってやっぱりちょっとずるい。
池袋の交通事故で叩かれてるおじいちゃんよりよっぽど上級国民だよ。
カラオケ番組でピッチ補正をしてるのは詐欺だとか言うばかみたいな増田があったけど、そもそも作りものを見てるという意識がみんな薄いのかな。
芸能人が私たちに見せる姿なんて本人の本当の姿とは何の関係もないのに。
それでも勘違いさせてしまうのが芸能界が見せてくれる「夢」ってやつなのかな?
ガチのファンでない人まで同情的な反応をしてるのが何だか異様だった。
他の事件への反応と比べると。
ちなみに彼は声優として放送中含め複数の担当キャラがいたりして別に「売れてない人」でもない。
なにをするにも一般人とは違う有利な位置にいるんだからお金が欲しいなら真っ当な方法を取ればよかったのになあ。
お金のためだったのかすらまだわからないのでなんとも言えないけどね。
本当に残念。
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 ツタ(蔦)
・03 卓球
・04 ガリレオ
・05 兼近大樹 かねちかだいき
・06 [すべて][5答]チリ フランス スペイン イタリア オーストラリア
・07 フィート
・15 ニーチェ
・19 C
・21 ヨシタケシンスケ
・22 CANOE カヌー
・25 [3択]フルート
・26 [国]タイ
・27 10(通り
・28e 遠藤航 えんどうわたる
実家を整理してたら30年ほど前の幼稚園参観日のビデオが出てきたんで家族で見てみたんだけど、
まーーーうるせえうるせえ。
一応それなりにお育ちのいいエリアで当時も小学校受験する子がそこそこいたし、
後にお受験幼稚園なんて呼ばれるくらいには民度いい幼稚園なんだけど。
何より親がみんな下の子(赤ちゃん)連れてきてるから余計うるせえ。クソデカ大声で説明する先生本当に大変そう。
それでもなんかの工作?が終わったあとに園庭で遊ぶ頃にはみんなの嫌いなキエエエエーーーー!!!の大合唱だった。
これを見て思ったのは昔の子どもは静かだったとかだいたい嘘。絶対懐古補正入ってる。
子どもは今も昔もキーキーうるさいしテンション上がったら騒ぐし腹立ったら泣く。個体差はあったとしても全体的な傾向として。
じゃあなんで急に子どもの声が騒音扱いされるようになったかというと、全体的に静かになったからじゃないかと思う。
昔は公園でキャーキャー騒ぎながらボール遊びしてた。近所のおじさんちにボールが飛んでってガラスが割れるシーンは子ども向けアニメでは定番だった。コラーッ!で済ませてくれる神成さん優しすぎる。現実ではどうだったんだろうね?
なんなら全国で夜中に暴走族がブンブンかっ飛ばしてたし、工事現場の騒音配慮とかもなかった(と思う、多分)。
あと吠える犬多くなかった?もう野良犬はそんないなかったけど庭に繋がれた外飼い犬がしょっちゅうわんわん吠えてた思い出。
なんていうかうるさくて当たり前だった。よく言えばおおらかな時代だけど民度が低かったとも言える。
相対的に子どもの声が響くようになったのかなと。データも何もない個人の感想ですが。
あとはあまりにもうるさい子どもは鉄拳制裁が飛んできたのもある。時には知らんおっさんからも。今なら余裕で暴行罪。
子どもはうるさいし騒ぐもんだから常に許容しろとまでは思わない。あまりにもうるさかったら言っていいと思う。
自分は店員にチクることもあるし直接言うときもある。はしゃいだキッズにおもくそ足踏まれた時とかね。親に慌てて平謝りされるだけでトラブったことはない。
当たり前だけど激昂したりクソガキとか躾がどうこうとか余計な言葉を添えると絶対に揉めるしこっちが悪くなるので、あくまで落ち着いた口調で簡潔に丁寧に言うのがポイント。ネチネチやり込めるのもだめ。
内心クレーマーキチガイ扱いされてるかもしれない、というか多分されてるけど謝られて静かになればこちらの希望は達成されてるし別にいい。
自分と同世代と思わしきアカウントが「今の子どもはうるさい!自分たちの頃はもっと静かだった!」とか言ってるとうわー老害だー!ってなる。
そこらへんの成長システムは毎回毎回仕様が変わってるしなんならエンゲージはアプデでサイレント変更されてるから何が正しいのかみんなわからん
エンゲージは最初は「成長固定」を選べば60%なら1レベルアップごとに60pたまって100pたまるごとに1上がるみたいな非運ゲー方式だったが
1.3.0から「各レベルごとにその確率で成長するが、成長するかどうかはセーブデータ開始時に決まっている運ゲー」方式にサイレント変更された
この変更がバグなのか、最初の仕様がバグなのかアナウンスないからなにもわからん
エンゲージの内部レベルの話は普通にプレイする上ではどんどん得られる経験値が減るので無限強化はできないが、
東京には文化があるらしい。美術館や博物館、企画展、立派な図書館、大型書店、映画館、百貨店、各種イベントの開催。
おれは絵には興味がない。
科博と東博には上野散策ついでにたまに行く。展示物への関心というよりは、博物館の空気を吸うのが楽しい。ボーッと突っ立ったりフラフラ歩き回り続けても許される、異常者にならない空間なら別に博物館でなくたっていいかもしれない。
欲しい本があればネットで買う。そもそもあんまり本は読まない。
映画は割と観るけれど、イオンシネマでもやってるような、どこでも観られるようなビッグタイトルや話題作ばかりだ。ミニシアターで観たのは『音楽』と『のんのんびより ばけーしょん』だけ。
百貨店に行って買い物をする事はない。普通のもんを買うならわざわざプロパーで買う事もない。限定品とかを追うほど金が余ってはいない。屋上でボーッとするのは好きだ。バカだから高い所が好きなのかもしれない。服は試着せずにネットでサイズ詳細の数字を見て買う。
イベントにも縁がない。ライブとか行ってみたいな〜とは思うけど、音楽を聴くだけならスタジオ盤でいいんじゃねとか、密集した人の群れが嫌だとか、色々理由をつけて行かない。
東京とは言っても23区ではないので、都下は東京じゃねえみたいな人からはグチグチ言われるかもしれない。ガチ田舎の人からも東京は東京だろと、角が立つかもしれない。
何にしても、トーキョートーキョーと騒ぎ立てられるものの正体はなんなのか、おれはあまりピンとこない。挙げられる代表例を体験していないのだから当然だ。文化資本が云々みたいな、無自覚に享受してるものはあるかもしれない。
おれの生活の文化レベルが低いのだろうか。出費として無視できないほど頻繁に、また珍しい本を買い、かつ美術館と博物館に足繁く通い、かつマイナーな映画まで網羅し、かつイベントへの参加も欠かさないという人はどれだけいるだろうか。どれか一つ、あるいはいくつかを満たすなら、別に東京ではなくても良い気もする。
違うと言えば違う。
四方を見渡しても山がある。スーパーまで遠い。駅前徒歩1分でも土地はタダ同然。
でもAmazonが届かないことはない。イオンシネマもある。話題作は観られる。イベントがあれば山を隔てて真隣の東京へ行けばいい。毎週毎日ライブやら何なやらへ行くわけでもあるまいし。
無性にバーキンが食べたくなった時には困る。ベッドタウンほどではないにしても家が建っている場所は割と集中していて、夜中に絶叫出来るような場所は近くにはないかもしれない。
祖母は近所のゴシップに熱心だ。中野の育ちだと言うので、田舎の問題なのか世代の問題なのかは謎だ。何にしても無視すればいい。ムラの習慣に付き合わないと村八分を食らうガチ田舎もあるかもしれないが、そればかりでもないはず。勝手な想像に過ぎないけれど。
長期的に住んだ事は無いから、もっと詳しい事情はあるかもしれない。給料安いとか。
おれはあまりトーキョーを感じる事はないけれど、唯一実感するのが散歩している時だ。
都心を歩くと楽しい。文化を感じるとか、そういう事ではない。理屈抜きにしてただただ歩いていて楽しい。
単に慣れない街を歩いているからか。武蔵境や国分寺辺りを歩いていても30分かそこらで飽きる。うっかり中心市街から外れれば延々と続く住宅街か、車のディーラーやファミレス、コンビニがセーブポイントのように点在する国道が繰り返される。無間地獄だ。
日野を歩き回るのは中々楽しかったけど、それは夕闇通り探検隊補正が多分にある。この聖地巡礼もまた東京の文化とやらの一つなのかもしれない。
都心を歩いていると、なんとなく町ごとの雰囲気というか、特色のようなものを感じる。フラフラと歩いて景色の移り変わりを楽しんで、そして景色が移り変わり続けて尚も駅前のように華やかな景色がずっと続く。
神田と上野の間辺りを歩いてると、特にそう思う。市ヶ谷の神田川?沿いも、聖橋の辺りとかすごくトーキョーだな〜って思う。それが文化かどうかは分からないし興味もないけれど、歩いてるとなんだか楽しい。
正直に言えば、どこか残念でありほっとしている。
※
対馬市長は先日、最終処分場への文献調査候補地として、応募しない旨の宣言をした。
もともと、核廃棄物の処分場はもう十五年くらい前から誘致をしてはどうかという動きがあったのだ。当時は調査を受け入れるだけで10億円が支払われると言われていた。
しかし、前市長はこれをバッサリと切り捨てた。このときは市民運動というほどでもない、変わり者が少数でわめいていただけだったので、それですっかり火は消えてしまった。その後、前市長の後継を取った現市長が就任。
二期目の市長選では対抗馬として核廃棄物処分場の誘致を謳う候補が立候補したものの大差で現市長が当選したのである。
ただし、この時の対立候補は対馬となんの関係もない大阪の右翼活動家で刑務所服役復帰戦のような様相があり、本気で当選する気はなかったと思われる。
いずれにせよ、現市長は『最終処分場誘致派を下しての当選』という事実を得てしまった。実際は堅実な市政への評価と、なにものともしれない右翼活動家への嫌悪もだいぶんあったのだけど。
※
しかし、原子力に関するどこかの組織に旅費を全部出して貰って、どこかを視察してきたらしい。
日本に最終処分場などないのに、何を見てきたものか。酒宴などの歓待を受けたのか否か。日当や土産代などの現金を受け取ったのか。
それもしらない。
もしかしたら、貧しい旅行で勉強だけして帰ってきた可能性もある。
それでも旅費を利益関係者に出させたというのはいかにもまずかったのではなかろうか。議会でも反対派議員から突っ込まれていたし、それはそれとして今後揉めるかもしれない。
とにもかくにも、議会で正式な議題として『処分場の誘致』が上がってしまったのは事実である。もちろん、誰だって別に核廃棄物や処分場が欲しい訳ではない。それに伴ってついてくる金が欲しいのだ。
その額たるや、文献調査を受け入れるだけで20億円。
ざっと検索したところ、対馬市の年度支出額はおよそ250億円程度であることがわかる。
すでに文献調査受け入れを表明している北海道の寿都町の年間予算規模が60億円ちょい、神恵内村に至っては20億以下だ。
これが500億円とかなら、もっとグッと賛成に傾いたかもしれないが、提示額がいかにもしょっぱすぎる。
中には「文献調査だけやって20億を貰い、本格的な設置は断ればいい」と堂々と言うものもいたが、それで国から怒られるくらいなら最初から応募しない方が市長としても、市役所としてもいいだろう。
なんせ、国境離島として国から沢山の税金を貰ってどうにか回しているのだ。国の機嫌というのは、往々にして自治体を殺すことがある。
つまり、20億円があまり見合っていない気がする問題があるのだ。
だから推進派がいくら勢いを出しても、反対派を黙らせることはできない。
なんせしょっぱいのだ。
20億あればあれもこれも、とはならない。少なくとも市民に実感のある使い方は全くできないで消える金額でしかないのだ。
さらに、対馬は住民の半分くらいが水産か観光で飯を食っている島だ。
この人たちの家業にはマイナス補正がついて回る。なんせ、処分場や核廃棄物と記念写真をとりたい。推したい、みたいな変わり者はとても少なそうだ。最大限、好意的にみて「気にしない」。最悪「対馬産の物は徹底的に避ける」人が出てくる。実際はその間のグラデーションのどこかに皆が分布される。
逆に、仕事の恩恵を受けそうな土木業者も兄弟なり親戚、友人などの近しい者がかならずそういった職に就いている。
だから、みんな微妙なのである。推進派議員はあまり勢いが出せない。
対して、反対派議員は誰はばかることなく大声で反対運動を展開する。
それに伴って、推進派議員が「心ない言葉を投げかけられたので、市民を訴える」だのワケのわからない展開に発展したのだが、それは横枝だ。
対馬という島は歴史的に、ずっと国家中央の差し出す意向を飲んだり誤魔化したりして過ごしてきたのだ。騙したことは沢山あるが、面と向かって国家に反逆したことはないし、大きい島には必ずついて回る独立運動も皆無である。
推進派議員も熱心に燃えさかり続ける老婆などがいたが、全体的にはトーンダウンしていき、最終的な採決では賛成10、反対8で決定した。
※
『核廃棄物の最終処分場として、文献調査の受け入れを進める』のが議会の結論となった。
『意見書提出権にもとづいた市長への、議会としての意見の提出』であったわけだ。
実のところ、市議会でどう決定しようとそれは、『市議会としてはこう思っていますよ』という枠をはみ出ないのだ。
もちろん、市政というものは市民の為に行われるものであり、市民を代表する市議会の意見というのはかなり重要な物だし、常に尊重されている。たいていの場合においてはそのまま通る。
それでも対馬市長はこれを突っぱねた。
理由として、風評被害がすでに起きかけていること。市役所に様々なところから苦情の連絡があっているらしい。
そして、観光や水産業が年に200億円近い経済規模を持っている点。風評被害で一割売り上げが減れば、それで20億の交付金は吹き飛んでしまう計算になることを上げ、最後に住民の合意形成がなされていないと告げた。
確かに現状で推進派と反対派が分かれているのなら、当然まずは見送ってみるというのは一般的な判断だろう。
もっとワンサイドに推進へ傾けばともかく、議会でさえ半分に近い票が反対だったのだ。仮に市民の半数が内心的反対者なら、市長の経緯と立場から現状維持が当然だと思う。
利益を得る者は一部で、大勢が不利益を被る危険があるのだから。
これは、まあ逆に言えば市民がもっとずっと大勢賛成して誰も反対など言えないほどの金額が約束されるのなら受け入れに傾いていた可能性は高かろう。
対馬といえば小さな離島と思われがちだが、長崎県の面積の2割以上は対馬が占める。案外にデカいのだ。経済規模もそれなりにデカいし、特産品もある。マグロやアナゴは景気も良い。
分散した20億円の余波など個人にはいくらも入らない。今時は田舎の集会所を建て替えるのにも一億円がかかる時代だ。
もっと、もっと巨大な、皆が涎をたらして狂う対価が必要だったのだ。
そうして、それが提示されない以上、対馬市には縁がなかった。保守的な田舎の住民が変化を突きつけられて、ストレスに耐えられなかったというのもある。
個人的には、誘致が決まればいち早くニューモに手紙を送るなどして、自分の山を買わないかアピールするつもりだったが、土地成金の夢はあっという間に醒めてしまった。