はてなキーワード: 社会主義とは
共産主義(マルクス社会主義)とケインズ社会主義を混同するなよ。ニューディーラーというようにニューディール政策を掲げるケインズ社会主義者。
あと資本主義といっても1980年代以前は政府が金の動きの調整をしていたケインズ社会主義であって自由主義ではないからな。1980年代まで自由主義は世界中から放逐されていた。
自由主義/新自由主義は一度大規模経済危機を迎えたら、企業が保身に入る。金をため込んで、景気を落とし、設備研究投資をやめて産業力を劣化させる。
またとにかく政府が何もしないのが望ましいという緊縮主義だ。だが不景気でも緊縮するために景気を激烈に落とす。
また不景気で労働需要が弱いため、労働者の立場が非常に弱くなり、業突く張りブラック経営者がのさばって労働者をひたすら馬鹿にしたり、報いもない努力することを叫ぶ。
「今の資本主義=新自由主義資本主義」が間違ってるからなんだわ。国が何もしないのが望ましいというな。
労働者は景気が良くて労働需要が高い時に強い立場になれるぞ。人手不足倒産の懸念を通じてな。
それには国が金を回すように誘導して景気を良くしないとならない。
国が金を回すというのはケインズ社会主義であり、1980年代以前の高度成長期の日本の経済スタンス。ケインズ社会主義をやめたのと、新自由主義が一度大規模経済危機を起こしたら長期不況を作るだけの存在だから格差が開くの。
1930年代以前は自由主義でした。しかし自由主義は世界恐慌に対処できないとケインズ社会主義とマルクス社会主義に転じました。
1980年代以前はケインズ社会主義(右)、マルクス社会主義(左)と別れていました。
そして、ケインズ社会主義は自由主義から見て変化がすくないから保守、マルクス社会主義は変化が大きいからと革新となりました。
ですがケインズ社会主義(右)を新自由主義がのっとったから、かつての保守政党はありません。保守政党としての自民党は郵政選挙で滅びたのです。
1930年以前の自由主義から見ればケインズ社会主義まごうことなき左で、それがゆえに世界は発展しましたよ。
自由主義/新自由主義から見ればケインズ社会主義は左で、マルクス社会主義は極左です。
もう右の主流派は中国韓国北朝鮮、左の主流派は性的マイノリティ―とか経済と関係ない明後日の方ばかり見ています。
だけど、経済政策としてみるなら左の弱者寄りのケインズ社会主義に移行すべきということが言えます。
所詮右か左かというのは強者より、弱者寄りぐらいの意味しかない。
ついでに言うと大昔は自由主義一本だった。だけど自由主義だと世界恐慌の後の長期不況をどうすることもできなかった。
そこでケインズが「きちんと政府が金の流れを調整するべきだ」と訴え、とマルクスが「世界恐慌のようなバブルとその崩壊を防ぐために政府がすべて計画する経済が良い」と訴えた。
そうした世界はケインズ社会主義(右)とマルクス社会主義(左)となっていた。
マルクス社会主義は失敗したがケインズ社会主義もオイルショックのような重要資源の供給不足でケチがついた。
なので、ケインズ社会主義よりもさらに右である自由主義が新自由主義として復活した。だがバブル崩壊で再び長期不況に陥った。
新自由主義はケインズ社会主義の残渣が悪いと公的セクターの縮小と、法人税、累進所得税の減税を進めさまざまな構造改革をしていった。
この時点では右は新自由主義に乗っ取られ、左は経済政策の依り代を失ったため何も考えず新自由主義になった。つまり経済政策では両方とも新自由主義になったため経済政策としてみると右左ともかつての基準で見れば極右になってる。
https://anond.hatelabo.jp/20200521211842
当初政府はその問題を、不況と同じレベルで考えていたらしい。時代に適応できない事業が淘汰され、自殺者が増えても、全体としてはやがてバランスが取れていくだろうと。
「エコシステムってやつね。何かが壊れたり死んだりしても、時代に沿った形で自然に復元し、バランスが保たれるはず、そう考えたのよ、政府は」
ところがそうはいかなかった。専門家の試算によると、復元が不可能なほど、人も事業も経済的な理由で死ぬことがわかった。あるいは海外に身売りする企業が増えるだろうと。実際、その兆しが見え始め、政府の支持率も落ち始めた。
焦った政府は、そこで本格的に救済措置を検討し始めた。それまでも単発的な給付金や貸付などは行っていたが、それでは間に合わなかった。
「結局いろいろあった後に、有望な事業は国が保護することになったの。うーん、半分国営化みたいな感じ?」
その経緯についてもっと詳しく聞きたかったのだけど、サタさんは「カショウに聞いて」と言って、説明を端折った。
一方、個人に対しては、継続的な給付金、つまりベーシックインカムが検討され始めた。
「その話が出たとき、もうみんな大盛り上がりだったわよ。そんなのできっこないって言いながら、本心ではみんなワクワクしてた。でもやっぱりね」
そうはいかなかった。財源が足りないのは明白だった。
「ベーシックインカムの話が出るずいぶん前に、政府はマスクと一時給付金を配ろうとしたの。でも、IT化の遅れのせいで、あちこちでトラブルが起きたの」
IT化の遅れ。これはカショウも言っていた。簡単にいうと、それまで政府は、既存の産業やエコシステムに気を使いすぎて、新しい技術を取り入れることができなかったらしい。あと、かたちを伴わない情報やデータを軽く見ていたのも、IT化が遅れた理由のひとつだったと。
「そんなときおとなりの国がね、ITの専門家――専門家って言っても学者というよりガチでコード書くプログラマのほうね――を招き入れて、マスクをみんなに、均等に行きわたらせることに成功したの!」
その様子を見た役人か誰かが、本格的なIT化と、配給制を検討することを政府に進言したらしい。そこではじめて、その技術的価値に見合う予算が組まれ、実務的なプランや技術の選定が行われた。どういったリーダーやエンジニアが必要かも、“おとなりの国”を参考にして割り出し、その発案者は政府を説得した。
「そんな案、コロナ以前は絶対通らなかったわ。政府は、それまでの社会の基盤となっている業界を優先せざるを得なかったから。でもそのつながりを断ち切ったのがコロナだったの。コロナが新しい可能性のリミッターを外したの」
古い社会的基盤を維持するために、新しい可能性は活躍の場を奪われていた。そのことをサタさんはリミッターと表現したらしい。サタさんは、配給制のバックグラウンドに、労働力不足があったことにも触れた。
「外出や人との接触も制限されるじゃない?そしたら、必然的に労働力も減るのよ。労働力が減ればつまり……、モノが減るの。外国との行き来もできないから、輸入も難しくなって……」
つまり、資源は限られている。その資源を過不足なく、国民に行きわたらせるには、現金よりも物資のほうが有効との考えで、配給制が有力となった。
「もうみんなガッカリよ。SNSは荒れまくって。配給制って、戦争の貧しいイメージしかないじゃない?あと、社会主義っぽい感じ?完全に私たち、管理されてるような?」
しかし政府へのネガティブなイメージは、数年後にはまったく真逆のものに上書きされることになった。
「着いたわ、ここよ」
サタさんは大きな建物を指さした。その配給所は、この一帯の集積所も兼ねていて、ここからさらに小さな配給所にも送られるらしい。サタさんたちは、たまたまこの大きな配給所の近くに住んでいた。
「よくここで買い物したのよ昔は。いろんな服屋さんとかレストランが入ってて。懐かしいわ」
今は、積み上げられた荷物以外は人も物も少なく、がらんとしている。
サタさんは並んだ端末のひとつに、自分の小型タブレットをかざした。
「指輪型とか時計型とかあるけど、私、指輪も時計も苦手なの。だからずっとスマホ型のを使ってるの」
サタさんのタブレットに、荷物の格納場所が示される。その案内に沿って、僕たちは移動する。
「よう!サタちゃん」
初老の男がこちらに笑顔を見せる。作業着らしい服装に身を包んでいる。サタさんも満面の笑顔とあいさつを返す。
「前言ってたやつ。届いてたよ」
彼はそう言って、僕たちをその場所まで案内した。
配給所では、必ずこういったおじさんを見かける。彼らはたいてい、荷物を下ろすのを手伝ったり整理したりしている。
すでに紹介したとおり、この世界では、生活のための労働というのはほとんどない。たいていはロボットによって自動化されている。
じゃあなぜ、彼らはここにいるのか。
それは、ちょっと説明がむずかしいのだけど、彼らのパッションとしか言いようがない。
つまり彼らは、ここで作業を手伝うことを喜びとしているのだ。誰かと立ち話をすることを楽しむものもいる。黙々と作業するものもいる。
いずれにせよ、誰かからの感謝の言葉や、あるいは作業そのものを、自分の喜びとしている。
カショウと行った盛り場なども同じで、過去にそういった経験のある年配の男女が、食事や飲み物の提供を手伝っている。配給所や盛り場に限らず、こういった自主的な労働は、あらゆる場所で見られる。
「昔はみんな、生活のためとか、それが普通だからって理由でしかたなく働いてる人が多かった。労働は苦痛だと思ってる人がほとんどだった。だけど今は、楽しみや自己表現でさえありえるのよね、働くことが。自由だから」
おじさんが笑顔でそう言った。
おじさんのような有志の労働には、ポイントが付加される仕組みになっている。ポイントは、この世界の通貨のようなもので、モノやサービスなど、何とでも交換できる。僕たちは基本的に政府の配給とサービスだけで生活ができるので、ポイントはまさに、趣味や嗜好品のためのおこづかいと言える。
「昔のポイントカードのなごりね。もうちょっと気の利いた名前なかったのかしら」
ポイントが使われるシーンとしては、誰かのハンドメイド家具やアート作品と交換したり、何か作業を頼んだ時に、その謝礼として送ったり。たいていは個人間取引で利用される。
おじさんは振り返って棚のひとつを指さした。
「これだ。降ろしてやる」
配給物資だけでなく、個人間取引の荷物もここに届く。サタさんはうれしそうに小包を受け取った。
おじさんは自走式のカートにすべての配給物資を積んでくれた。3、4日分の食料や生活雑貨なので、そこそこの量がある。
「前回は雑穀を頼みすぎたから、今回は減らしたのよ。その代り、今回はペーパー類がかさむわね」
「配給制も、最初の頃はめちゃくちゃだったが、こんなに細かく調整が利くようになるとはな。便利なもんだ」
「最初はね、あれが足りないとか、システムのトラブルとか、大混乱だったわよね」
「機械化が追いつくまでは本当にモノがなかったしな。でもあっという間に、人間の労働力の不足を機械が埋めてくれた。それに今は……、ストレスが少ないから、ストレス解消のために無駄に消費することもなくなった。そんな気がするんだよな」
「リミッターもはずれたしね」
「ん?リミッターって?」
サタさんはフフフと笑ってごまかした。
「ほんと!何もかもストレスなくてラクになったわ。昔ほら、オンラインショップのサービスで定期購入ってあったじゃない?あれを政府が一括でやってくれてるような感じね、今の配給制って」
そう。配給制と言っても、一律で配給されるわけではなく、その家庭の消費傾向が反映されているので、不満を感じることはほとんどない。
各家庭ごとに一定の枠があり、その枠の中でならどんな組み合わせで発注してもかまわない。そしてその消費傾向はコンピュータに記憶され、次回からの配給プランに反映されるので、放っておいてもある程度その家庭の生活傾向に合った物資が届く。
「ただ、昔ほどバリエーションがないのは寂しいわね。昔はね、石鹸ひとつとっても、いろんな企業が、いろんな色や香りのものを売ってたのよ」
「今は需要の大きいものしか作らないからな、政府の一元管理だから」
「技術や品質、コスト的に洗練されたものしか作らないとも聞きました」
僕も勇気を出して、会話に参加してみた。
「昔あった企業の、すべてのノウハウや技術を結集させて作ってるからな。どの製品も、最高のところでコストと品質のバランスが取れてる。まあ、どれも無難で個性がないと言えばそうなんだが……」
サタさんはさっきの小包を開けて、中から半透明のなにかを取り出した。鼻元に近づけ、においをかぐ。中に鮮やかな花が埋め込まれているのが見えた。明らかに量産された配給品とは違う、“誰かの作品”だった。
そう言って、それをひとつおじさんに手渡した。かすかに清々しい香りが漂う。
「いやぁオレはこういうのは……」
「じゃあ奥さんに。ふふふ」
おじさんにお礼を言って、僕たちは配給所を後にした。自走式カートの後を、僕たちはゆっくり歩いた。
「ああいいにおい」
サタさんはその間ずっと、“誰かの作品”を鼻に押し当てていた。
だけど未婚率が上昇している。
非正規化で安定して子供を持てないようにした新自由主義の結果だが。
右翼、左翼というのは、しょせんフランス革命時の議会に端を発して、強者より、弱者よりぐらいの意味しかない。
ケインズ社会主義(右)とマルクス社会主義(左)が競争していて、自由主義が放逐されていた時代には意味があった。
だけどケインズ社会主義がオイルショックで難癖ついて、ケインズ社会主義よりさらに右の新自由主義になった。
そしてバブル崩壊が起きた後、企業は保身で金をため込み、設備・研究投資をしなくなり不景気かつ産業弱体化を招いている。
まず食料を無料化する。
タワー型の立体農業を都市部に作り、再生エネルギーによって野菜を作る。
ベーシックインカムを導入する。
もちろん貯金してもいいし、今まで通り働いて稼いで趣味に使ってもいい。
ここまでで働かずして食料が手に入り、住処を得ることができる。
少子化対策最大のネックである経済力というハードルを1つ消すことができる。
死ぬまでブラック企業に言いなりになるようなことはなくなるし、
クビをチラつかされる不利な交渉も無くなる。
そうすると働かなくなるのではないか、と思われるだろう。
安心してほしい。
好きな趣味や勉強、交友関係を遊びたいのなら働かざるを得なくなる。
贅沢を知った僕たちは必ず労働に帰っていく。
楽しく生きるために稼ぐ労働になる。
決して暗いものではないはずだ。
新たな仕事に挑戦する機会も倍増するだろう。
端的にいうと資本家とマフィアに捕まり続ける今の地球文化ほどつまらないものはないし、
そろそろ古典的資本主義社会から脱却し、この世のパラダイスを作ろうではないか。
もし実現したらあらゆる人間が芸術や持てる才能を発揮する時代が到来するはずだ。
PS:ローマや地下資源豊富な国を引き合いに出すけど僕の言う条件と全然違うじゃん。
・ローマ
娯楽は自分で調達しろという話と違う例を持ち出さないでほしい。
ベーシックインカムだけじゃ1月に1冊しか本が買えないんじゃ死んでしまうから結局働かざるを得ない。
僕の21世紀では完全循環型都市だから何か資源を外に売ることで得る富じゃない。
そういった完結した世界の中でそれでも娯楽を、プラスアルファを、消費したいなら、働けという世界が僕の21世紀なんですよ。
なぜかというと社会主義の中に資本主義を部分的に取り入れた全自動化再生都市はまだこの世に存在してないからです。
もう少し21世紀の遊び心を取り戻してください。
コロナ下の日本におけるトップダウン型の政策は、不明瞭な感染対策と歩みの遅い経済対策を生み出した。
この不安定な情勢で出てきた「検察官定年延長問題への抗議」は、ついに現代政治の限界を露わにしたように思える。
政権とそれに寄り添う人々は「定年延長決議自体は何も問題ない」というが、
国民が怒りを露わにしているのはそうした局地的な法律問題ではなく、今まで少しずつ溜まっていた「政治への不信感」によるものだ。
今の国民は、「与党vs野党」「保守vs革新」「自由主義vs社会主義」なんて図式には一切興味がない。
求めているのは、その政党が取る行動が強権的なのか協働的なのか、透明性が高いのか低いのかという「安全・安心感」という目線でしかない。
強権主義に陥らず、国民に説明責任を果たし、反対勢力に敬意を持って接しさえすれば国民は納得すると私は思う。
様々な政治形態がある世の中で、ポピュリズムが一定数の支持を集める理由はまさにこれであり、
現在のローテクで時代遅れな政治形態では、倍々で膨らむ経済と加速するグローバル化に対処できないことが分かっており、
目の前の魅力的で人々に寄り添う(ように見える)リーダーに、どん詰まりの状況を解決してもらいたいからである。
だが「強い」の意味が昔と違う。
現代の「強さ」は相手を言い負かす能力ではなく、相手と手を取り合う能力だ。
現在の日本の政治は、与党であれ野党であれ、それが出来ているだろうか。
基本的に政治グループは一番強いグループには一番バカが紛れ込むんだ。
バカはただ強いグループに属してれば馬鹿でもおれつえーとできるからと。
昔は左翼が強かったが、バカが集まって自沈した。その後右翼が強くなったが、これまたバカが集まって自沈した。森友事件が大事にならなかったら今でもどうなってたか。
あと右翼も左翼も国民と関係ないことばかり取り扱うようになってしまった。
そもそも右翼、左翼というのはフランス革命時代に右側に強者ブルジョアより、左側に弱者民衆よりの議員が陣取っていたことの名残。それだけでは強者より、弱者寄りぐらいの意味しかない。
経済において右翼、左翼というのは、ケインズ社会主義(右)とマルクス社会主義(左)が競っていた時代の考え。なおこの時代自由主義資本主義は世界恐慌の対処ができなかったからと世界中から放逐されていた。
ケインズ社会主義がオイルショック対応ができないからケチがつき、マルクス社会主義は冷戦崩壊して消え去って自由主義資本主義が復活した。右のケインズ社会主義よりさらに強者より、右に触れた。
けども自由主義資本主義は例えば1990年バブル崩壊や2008年リーマンショックで、企業がビビって金をため込み不景気にすることの答えはない。せいぜいコウゾウカイカクダーザイセイキンコウダーと石を投げるが、30年たっても経済は良くならない。
経済こそがある意味一番大事だ。メフォ手形によるヒトラーの台頭も、リフレによる安部の台頭も経済こそが第一であるから。けど安部は少し経済を復活させたと思ったら消費税増税を繰り返して経済を落とし続けてる。そこにコロナが来襲した。
そして現在の右左の区分では経済の問題は解決できないし現代では有害無意味な概念。現在は右左も主流派は両方自由主義資本主義だから。
もともと世界は自由に何でもしたらいいんじゃないか!という世界でした。
1930年に大恐慌があり不況がありました。一部の国の指導者が扇動と軍事の天才だったために周辺の国も巻き込まれて大戦争になりました。
そこで「国がきちんと金の動きを調整したらいいんじゃない?」というケインズという天才がありました。もう一人「景気動向があるのがダメだから国が全部生産調整をしたらいいんじゃない?」とマルクスという天才が現れました。
そのもと自由主義資本主義は放逐され、世界はケインズ社会主義とマルクス社会主義の二つに分かれました。
ケインズ社会主義は大変うまくいきましたが、政府が大きくなりやすく、かつ、オイルショックによる世界的な石油不足によっておかしいんじゃないか?といわれました。
そこで再び自由主義資本主義が復活しましたが、日本では1990年バブル崩壊、欧米でも2008年リーマンショックという大規模金融危機がおき、企業は保身に入り不景気になりました。
2020年にコロナという大疫病が起きて大規模危機が再び起きました。さて日本と世界はこのまま自由主義資本主義の不景気を続けるのか?ケインズ社会主義を復活させるのか?が問われています。
昔の社会の歴史の事業で、コルホーズ、ソフホーズっていうのが出てきたと思うけれど、なんであれが歴史で重要視されているかというと、あの集団農場の農民は都市部に移動することが禁じられた、身分制度そのものであって、共産主義をまるっきり否定する政策だったからなんだ。
ソ連っていう国は、そういうところがあって死んだ。社会主義みたいなイデオロギーのせいというより、スターリンのせいかもしれないけど。