はてなキーワード: 狩猟とは
ワヌの属するワヌ科はもともと水生の動物であったがある時期を境に生活環境を陸上に移して追跡型の狩猟者となった肉食獣のグループである。
待ち伏せ・忍び寄り型の狩りに適応したネユ科の動物に対して、ワヌ科の動物は、細長い四肢など、持久力重視の走行に適した体のつくりをしている。
ワヌの特徴としてヒトと同じく社会性を持つ生き物であることが挙げられる。意思疎通をするための感情や表情も豊かで、褒める、認める、命令するなどの概念を持っている。ヒトに飼われているワヌは、人間の家族と自身を1つの群れの構成員と見なしていると考えられ、群れの中の上位者によく従い、その命令に忠実な行動を取る。この習性のおかげでワヌは訓練が容易で、古くからヒトに飼われてきた。最古の家畜とする説が有力である。子ワヌを入手して飼う場合には、親ワヌの元でのワヌ社会に対する社会化教育と新しい飼い主と家庭および周囲環境への馴化(じゅんか)との兼ね合いから、ほぼ6週齢から7週齢で親元より直接譲り受けるのが理想的とされる。
モンハンライズを発売日に買って今日までずっとやってたんだが、ただ一つの致命的な問題点を除いて神ゲーだった。
いい感じにバランス調整されてたり、不便なところが徹底的につぶされてたり、マジで神ゲーだった、途中までは。
リオレウスやディアブロスなど強めの中堅モンスターの狩猟や新要素百竜夜行などで徐々に盛り上がり、最初の古龍戦(中ボス)を済ませ、さあ次はなにがくる?と思ったところで、唐突に終わった。
どういうことだかわからなかったが、強いモンスターやラスボスやHR解放などは来月実装らしい。
なんでだよ?
何で発売直後の一番盛り上がってる時期に途中までしかできないんだよ?
女の子にチヤホヤされたくて、セックスしまくりたいと思ってからフェミ仕草を身につけた。
元々、下心しか持ってなくて恋愛工学の一環レベルでしかフェミニズム理解してないけど、そんなので十分。
というか、どっちかというとジェントルメン風を装って、
エアコンの風の当たりを気にしたり、お会計はさくっと払っておいたりみたいな
あと、今の世の中、男同士のちんこ見せ合いホモソーシャルとか嫌われるから、
絶対につるまない。臭くなる。そんな暇あるなら、女友達と会おう。
「増田くんといると、落ち着くんだよねー」という言葉を引出したら勝ち。
「俺もこんなに楽に過ごせる子はじめてかも」とか適当なこと言って、回収。
ま、ここまで聞き出せても回収しない予備軍みたいな子を山ほど作っておくんだけどね。
俺について来いみたいな男よりも、寄り添ってわかってくれる風の男の方が今はニーズが高い。
恋愛工学的な狩猟的なやり方よりも、牧場育成みたいな感じだから時間かかるけど、
まぁその分だけ変な地雷女とか踏み抜かないし、友達付き合いとしてやってける子だけが彼女になるし、
付き合った後も楽なので、回収した後は、なかなか良い感じ。
サスティナブルっていう概念は理解してるけれど、ヴィーガンは全面的に肉食禁止だから考えが直結しないんだよね。
栄養摂取を動物性に依存するのは止めましょう、ぐらいの主張だったら理解できるんだけれど、ヴィーガンの主張って「動物を殺すことは残酷!現代人のすることじゃない!」ってのが大半な訳で。
あとは自分の読解力不足なだけかもしれんけど、全面的に動物を食べなくなったら畜産業自体が廃れてしまうと思うので、必要な分だけを捕る狩猟のスタイルが自然で畜産業が不自然という主張ならば理解できるけれど、畜産業を肯定しつつヴィーガンが正しいって意見は理解が出来ないかもしれん。
フィッシュオイルの件は必要不必要が個人差だとしても、接種している層がヴィーガンを名乗るのは不自然だと思うよ。
今まで論理性の無い感情論を押し付けるヴィーガンと接する機会しか無かったせいで嫌なイメージが付いてしまっているけれど、環境保全の観点から納得できる理由があるのであればもっと聞きたいとは思う。
腑に落ちた。
全然元の話題と関係ないけれど、差別はなくならない。学歴の低いヤンキー怖いし、こちらが性的対象にしていない同性から性的対象としてみられるの(可能性ってだけでも)怖いし、動機のよくわからない暴力が時々起こる精神障害怖いし。こういう自分の生きてきた過程にしみついた差別意識って、なかなか抜けない。
で、どうすんのかっていったら、まず吹聴しないこと。広めないこと。
広めなければ、世代を経るにしたがって、差別意識はなくなるんじゃないかな。例えば在日の人に対する差別って、自分の中にはあまりなかったりする(と思っているだけかもしれないけど)。
あるいは精肉業に対する差別もそうで、何なら自分で狩猟してるのかっこいいと思ったりする。
たぶん親世代は違うと思う。
個人として吹聴しないこと。
じゃあ、アフリカとかパプアニューギニアの腰ミノ付けて弓矢持った狩猟採集民族の部族民数十人くらいに1億円ずつばら撒いて(わずか10人くらいの経済圏に10億円投入したとして)
「これで何でもいいから商売始めて、1億+αで金稼げ、原資1円でも割ったり使わなかったら軍隊に連絡してお前ら民族浄化な(政府が株に金突っ込んでるのと同じ構図)」って脅しつけてやったとしよう
そいつらができる経済活動といえば、狩猟しかないわけなのだから、それまで自分たちで食べる分や、なんかほしい生活用品買いたいから肉や毛皮を市場に売りにいくかってくらいの「企業活動」しかしてない奴らが、何でもいいから余るほど投資したんだから利益あげろ、と言われて、いきなり狩猟民がいきなり起業したり、不動産投資したり株式投資したり金融活動始めるか?
死にたくないから捕まったり怒り狂った象やライオンに返り討ちにあうかもしれないリスク覚悟で、象やライオン密猟して象牙引っこ抜いたりはく製にしたりし始めて売り飛ばし始めるだろ
だって、利益を出せる経済業種が彼らには「狩猟」しかないのだから、年々ハードル上げられる税金+配当を払うには、そもそも法を守っての経済活動なんか間に合わなくなるわけで
それで、狩猟民が頑張って1億1万円の利益を何とか出せたら、「じゃあさらにインフレコントロールするために1億9990円税金で取って、今度は2億円やるから、2万以上の利益出せよ、出せなきゃ軍隊に連絡してお前ら民族浄化な」ってさらに毎年させられて、嬉しいとか以前に生活して結婚して子供育てようなんて奴出てくるか?
死ぬ覚悟でお前らの言うこと聞かねーよ!って、弓矢で襲い掛かってくるだけだろ
MMT理論をかいつまんで言えばこんな頭おかしい理屈なわけで、それを言ったら「法規制とイノベーションの間に相関関係はない」とか机上の空論喚く奴らが出てくる
じゃあその理屈でいけば、犯罪ということ以外を除けば最も最大の利益率を叩き出せえてイノベーション産業は原価恐らく数十円で利益は驚異の3万倍くらいの麻薬栽培だとか文字通り直接金を分捕ってきた分だけ売り上げになる銀行強盗だとかになるわけだが、そんなもん現実的に考えてやる頭のおかしい日本人なんていないわけで、しかもそれは極論だとか屁理屈だっていうだろ?
定義を変えるだけで比較ができないとかいう経済理論の時点で、それもう理論でもなでもねーだろ、定義を変えれば、日本人全員死んだって天皇家が一人でも残ってたら日本国は滅びてないから日本は滅亡しないっていう風になるのと同じで、そんなものそれこそ信用ができない
人間は高度な社会性動物だと言われるし、現代社会は協力が基本だ
しかし協力形態によってどれくらいの人間を追い出すべきかが違う
だから自己責任論と反自己責任論の争いは重要であり高度な文化的進化なのではないだろうか
論とかではなく物理的に棒で叩いて追い出したのだろう
これはリスクがある割にリターンはすくない
農耕化や戦争の影響で無能も頭数として重要な世界になると話は変わる
どんな無能でも、開拓や戦争に突っ込ませれば十分に元は取れるから飼っておくのだ
統治システムの維持は有能なやつがやり、余りにイノベーションのリスクを取らせる
これは成功すればwin-win、失敗すれば社会だけが口減らしで得をする
ギャンブル的ではあるが単純に回すことができる
イノベーションは特に有能なやつらが資源を投入して行う事業であり
システムの維持運営も最低限の有能さがあるやつらが忠実に行う必要がある
戦争も高度化し、統治や維持が基本で、無能は足を引っ張るからいらない
家でおとなしくしていてほしいはずだが
完全に自己責任となったら無能は暴れだしシステムの破壊に向かうだろう
だが完全に自己責任論がなくなったら下層で働く人間はいなくなるから
理解ある彼くん現象とは、精神疾患や引きこもり等の女性が『女性の生きづらさ』『困窮した状況から立ち直った方法』をテーマに描いたコラムや漫画の中で『理解ある彼氏』が最終ページ辺りに唐突に登場し、男性パートナーの経済的・精神的な支えによっていきなりすべての問題がなんとかなってしまうというある意味デウス・エクス・マキナ的な超展開パターンがあまりにも多いため、皮肉や嫉妬を込めて『理解ある彼くん現象』とか『そ理彼(そんな私にも理解ある彼くんがいますの略)』などと言われるようになったネットスラングである。
逆に障害者や引きこもり男性の人生にこのような『理解ある彼女』が登場し経済的・精神的に支えられ人生におけるセーフティネットとして機能するケースはそ理彼に比べると極めて稀で(健常男性だったパートナーが結婚後に鬱病を発症したケースや数十年前の国民皆婚時代の話であれば例外的にないこともないが)、自由恋愛化した現代日本においての生まれながらの性的価値の差による男女の非対称性の象徴としてよく扱われている。
また、男性の自殺率などを持ち出し『男性と女性どちらが本当の弱者であるか』というテーマの議論でもよく議題に上がる内容だ。
ちなみにこれは『無能の世界』の男女の対比の話であって、例えばそこそこ良い大学を卒業していたりコミュニケーション能力が高かったりと男だろうと女だろうと現代社会で就業や恋愛や結婚に特に困ることのないような五体満足の男女とは全く別次元の社会問題であることは予め頭に入れておいてほしい。
解説するが、理解ある彼くんの正体とは『一応定職にはついているが健常者の女性に相手にされなかった冴えない非モテ男性』のことである。
恋愛競争に敗北したチー牛顔の彼らは『無職や障害者のメンヘラ女性を養う』という戦略を取ることでギリギリの境界で恋愛競争に振り落とされないように必死にしがみついているのだ。
男としての性的魅力は低いが『優しい』『メンヘラ相手でも面倒を見れる』『嫁を養えるレベルにはまともな経済力』という属性がたまたま彼女らのセーフティネットとしてマッチングし、双方の妥協と打算の歪な結果生まれたのがあの物語なのだ。
しかし、この構図は同時に、後世の男性に対する重大な加害行為ではないだろうか?
この漫画で描かれる多くの『性を売ることでしか生きていけない無能な女性』というのは、言い換えるともし彼女がたまたま男であれば生きていけない人間だったということだ。
この『性を売る』というのは売春行為だけでなく当然恋愛での優位性を利用して婚姻等の社会制度の中で『理解ある彼くんに面倒を見てもらう』ことも含まれる。
男性パートナーに依存して生きていくということは、大人として成熟していけば結婚、出産などのイベントからは多くの場合逃れられないだろう。
そして、精神疾患や発達障害などは高確率で子供に遺伝してしまう。
私が『理解ある彼くんに支えてもらいか弱い女性が幸せになったお話』を見たときに一番違和感を感じるのは、彼女らの間に生まれるかもしれない男の子、つまりは不幸の再生産による後世の男性に対する加害行為があまりにも見て見ぬ振りされすぎではないだろうか?という点だ。
生活や承認のために様々なものに目をつぶって『ただ女だから生きていけた無能な女性』が『男だというだけでは生きていけない無能な男性』をこの世界に生み出すことはあまりにも残酷ではないか?
生き方が多様化した現代社会、中には「私は理解ある彼くんと無能な女性の間に生まれた性的弱者の無能な男性であるが、それでも趣味や宗教に打ち込むことによって幸せな人生を送ることができた。」というような男性も、ミクロレベルにはいるのかもしれない、だがそんなレアケースが生まれることを期待して恋愛や生殖のような生物としての根源とも言える選択肢を生まれながらにして当人の意思とは関係なく奪われた弱者を生み出すことは果たして人道的であろうか?
Twitterなどで男女論で議論しているフェミニストやこのような論説に異を唱えているアカウントを追っていると、(勿論漫画化などされていない)暗数も含め『無能な女性が理解ある彼くんと結ばれることで不幸な人生を歩むであろう男の子を生産する』パターンはかなり多いように見える。
現代の発達障害者の男女の生涯未婚率などを比較すると、統計としてもより顕著になるだろう。
もしかすると、この歪な関係の男女の間に生まれてくるのが運良く女児である可能性もある、その場合、その娘は母親と同じように将来『理解ある彼くん』を生やすことで幸福や承認を掴むことは可能なのかもしれない。
しかし、結局は彼女らの子孫から男の子が生まれてしまうまで問題を先送りするだけのことだ。
弱い男性が恋愛や人間関係の中で淘汰され苦しまざるを得ない現代の構造は誰が悪いという話ではない。
それが自然の摂理、といえばそれまでだし、ほぼ全国民が見合い結婚をしていた数十年前の方が生物としてはおかしかったのかもしれない。
これは黒人の奴隷制や昭和時代の女性蔑視な法体制のように国家による責任でも、ましてや『彼らを選ばなかった女性』の責任でもないだろう。
国民に自由を与えた結果、たまたま彼らは選ばれなかっただけだ。
LGBTや黒人のように歴史的な道徳的優位性もなければ、彼らは被害者ですらないだろう。
しかし、そんな歴史の都合は本人達の苦しみとは何一つ関係ない。
100年前であれば、現代では考えられないような碌でなしの男ですら皆何も考えず結婚できていたのだろう。 労働者階級が農民中心の時代では、現代では無能扱いされる彼らも無能ではなかったのかもしれない。
もっと昔の狩猟時代であれば、生きることに必死でこんなことは考えすらしなかったのだろう。
たまたま時代と自己の存在がミスマッチしてしまった不幸な存在が現代の無能な男性なのである。
社会は自動化が進み労働環境は複雑化し続け、教育費は高騰。経済格差は今後も広がり続ける。
無能な社員を雇い続け海外からは『日本式経営』と揶揄される現代の終身雇用形態も合理性のもといつ終焉を迎えるのか誰にもわからない。
きっと無能男性に対して厳しい社会は今後も長い間続いていくのだろう。
社会が形を変え、自殺率や幸福度が更に悲惨な状態になり、無能な世界の男女格差がどれだけ広がっても、きっと彼らは被差別階級にすらなれないのだろう。
情報化によって無能な男がどんな惨めな末路を辿るのか、現代はこんなにもはっきりと知ることができてしまう。
今の世界は、無能な男が笑って胸を張って生きていけるほどまだ優しいものではない。
政治的な正しさなんて概念も、そこまで万能ではない。 『多様性』なんて甘い言葉にきっと苦しむ彼らの存在は含まれていない。
現代における政治的な正しさにおいては「どんな人間であれ恋愛や生殖の権利はあるし、か弱い彼女らがパートナーに救済され子供を持つことは何一つ間違っていない」という主張の方が圧倒的に正しいのだろう。
しかし、どんなに取り繕っても現代の自由経済・自由恋愛社会というものは性淘汰と優生思想の理のもとに機能していて、結局は彼女らの救済の物語とは性淘汰の苦しみを後世の男性にすべて押し付けているだけではないだろうか?
実の子供というのは親にとっては可愛いものだ。 それは多分、種としては出来損ないの息子であったとしてもだ。
理解ある彼くんと無能な女子との間に生まれてきた子供の存在意義を無理やりこじつけるとすれば、それはきっと弱い女性と冴えない男の人生に多少の彩りを与える愛玩動物なのであろう。
彼らの存在は、さしずめカップルが寂しさを紛らわすためにペットショップから貰ってきた去勢済みのポメラニアンと何も変わらないのだ。
悲しいことに、愛玩動物として生を全うするには人類は幾分賢すぎる。
もし今後このような物語を見たとき、少しでも思い出してほしい。
か弱い女性が『理解彼くん』に救われた明るい物語の陰には、その皺寄せにより生涯苦しみ抜かねばならない後世の男性がいるかもしれないことを。