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伊東園ホテルズのマスク未着用宿泊拒否をめぐる案件について : マスク未着用途中降機乗客の記録
まあ、マスク付着用は宿泊拒否の理由にはならないはずだ、との主張そのものは法的に正しく、正当だ。
しかし、そのように主張する行為は、感染症対策として行政が人々にお願いしていることに反しており、不当だ。
マスク着用がコロナ予防に資するのはもはや全世界の共通認識だ。
現在の政策は「人々の合理的な自助努力をお願いする」ものであり、その期待に反するという意味で不当だ。
不当だけど、お願いでしかないので野放しにせざるを得ない。伊東園ホテルは法的には強引でかなり微妙なことをしたと思うが、
政府のいうことにおとなしく従う日本人の国民性への期待だけで、
自粛だの要請だので、感染症対策っぽいことをやってきたかもしれないが
本来、こういう面倒な輩を法的なルールでコントロールしてこそ感染症対策だ。
めんどくさがらずに、とっとと旅館業法を改正して、感染症予防措置の項目を設けるべきだ。
もちろん合理的な対策を講じれば、開催によるコロナリスクはかなり最小化できるだろう。
なぜならば、この一年、日本でやってきた対策というのは、合理性のひとかけらもないものだった。
ただひたすら恐怖に訴えて活動の自粛をうながすやり方だったからだ。
人々にコロナの恐怖を植え付けて、マスコミを通じて、おびえさせ
燃え盛るような夜の真っ赤な都庁を映し出し、いずれはニューヨークやイタリアと同じ地獄に向かうと国民を煽った。
それによって、何ら法的な強制力ももたない政府が国民に自粛を呼びかけるだけで、
人出を減らすことに成功した。
人々の視点からみれば怯えて自粛することが成功体験ともなった。一方で、飲食業界を奈落の底に突き落とした。
恐怖をあおる戦術はいまも継続中で、医療崩壊の現場と人々への影響がセンセーショナルに報道されている。
コロナに怯える人は、ソーシャルな場に拒否反応を示し、リスクを過大に見積もる一方、
怖がったところで仕事柄、人と接触を回避できず生活が成り立たない人々もいる。
そうすると認知的不協和を引き起こし、受忍せざるを得ないリスクについて過小評価するようになる人が当然現れる。
そこで、怖がる人と怖がらない人にふるい分けられ、必要以上に自粛するグループと、ソーシャルディスタンスを軽視するグループに二極化していったともいえるかもしれない。
後者のタイプは、恐怖に耐性ができたこともあり、恐怖作戦は絶対に効かない。行動を変えようがない。
にもかかわらず、政府と報道機関はさらに恐怖をあおることでなんとか変心させようとしているようだ。
その煽りの余波は、むしろ自粛を続ける人たちをさらに刺激し、ビビらせる一方で、
疲れて認知的不協和に耐えきれなくなった人から次々とリスクを過小評価するようになり、ますます恐怖作戦が効きにくくなる悪循環に陥っている。
他方、運よく自粛環境に恵まれた人は、報道がますます怖いことを言ってくるようになってきたという印象でしかない。
この一年ですっかりコロナ恐怖に煽られた俺からみれば、バッハ会長は鬼である。
「バッハよ、お前の目には、自宅療養を強いられた末、突然亡くなった家族の姿が目に浮かばんのか!」みたいに
なにもかもが論理的なつながりがなくても、恐ろしいものを煽るものとして合成されてしまう。
いまさら合理的な対策などを説得されても、恐怖から自粛した体験しか持たない俺にとっては、
何を聞かされても鬼でしかないのだ。
感染症を科学的に理解し、リスク回避を合理的に考える絶好のチャンスだったのに、
それができなかった。
この一年、十分に科学的素養を蓄え、啓もうされていれば、オリンピックに対するここまでの拒絶意識は生まれなかったような気がする。
オリンピックを開催することがもはや止められないのであれば、
できうる対策をとったうえで開催した場合、どのような結果になるかについて
結果を予測する、というのは、あらゆるリスク管理の最初の第一歩のはずだけど、
緊急事態宣言の延長の可能性を記者から問われ、「仮定の話には答えられない」と答えた首相の発言はそれを象徴している。
何か対策を行うにあたっては、見込まれたリスクをある程度は受容せざるを得ないことは間違いないはずだ。
https://anond.hatelabo.jp/20201130133515
これのブコメ見て無性に怖くなったので俺に足りない栄養素があれば教えてほしい
俺の食生活を書いていく
朝
コーンフレークorフルーツグラノーラを牛乳ぶっかけて食う+チーズ
昼
夜
卵は2個入れる
これに加えて一日一回納豆1パックと魚肉ソーセージ一本、野菜ジュースを1/3ボトル飲む
で、味に飽きてきたらすき家の朝定食やマックのソーセージマフィンで外食
この食生活だと〇〇の栄養素が足りなくて病気になるってものがあったら教えてほしい
本当に怖い
あと、先に書いておくが米を食うのは難しい
リビングにもダイニングにも朝起きるとネズミの糞が落ちてるし、お菓子とかは齧られてるので米を買うとネズミに重点的に狙われると思って買えてない
青汁とかも飲んだ方がいいんだろうか
追記)
2月の下旬、全公演のチケットを取るくらい楽しみにしていた舞台が半ばで公演中止になって、呆然としたまま突然の大千秋楽を迎えることになった。
3月、友達が死んだ。東京から遠く離れた地元へは帰れなかった。小学校のころから一緒に趣味の絵を描いて遊んできた友達だった。
4月からこれまで、エンタメが消えた世界は本当に寂しかった。楽しみにしていたことが全部なくなってカレンダーはスカスカになった。これまで楽しくやってたはずの仕事も全然楽しくなくなった。在宅勤務で昼間から家にいると時間が止まったような気がした。そのうち仕事もほとんどやらなくなって、毎日散歩して空ばっかり見てた。なんにもなかった。
ずっと寂しかった。ひとりはさみしい。実家は飛行機の距離で、仕事はフルリモートで同僚と顔を合わせることはなくなった。それが楽だという人もいると思うけれど、それが辛いと思う人もいて、自分は後者だったという話だ。
劇場では一般的に十分と言われるであろう感染症対策をしてはいるけれど、伝染るときは伝染るんだろうなと思った。一週間の行動履歴は観劇で埋まったし、まあまあのトンチキ感がある作品タイトルで、これいま感染したら一時期の舞台クラスタみたいに晒し上げられたりめちゃくちゃアクティブな人みたいに叩かれそうだななんて思いながら、それでも劇場に通った。
病気で死ななくても、心が先に死んでいく。心が死ぬのはとてもつらかった。病気でもなんでも、死んでも別にいいと思ってしまうくらい。友達が死んでから先に行かれてしまったなという思いがずっとあった。少し前にやっと手を合わせる機会をいただけて、なんとなく、残された側はそれでも生きていくしかないんだなと感じた。生きていかなきゃいけない、そう思っていても、からっぽのまま空を見上げていた時期、うっすらとした希死念慮はずっとすぐそばに漂っていた。楽しいことがないのに生きていくのはつらかった。
やっぱりこの人生には舞台が必要だった。春からからっぽになってなんにもなかった心が一気に満たされて、楽しい、好き、幸せ、久しぶりにそういう気持ちがぶわっと溢れてきた。大事なものにやっと再会できて、ああ、自分には必要なんだって思った。
少年漫画の設定に合理性を求めるのは筋違いだとわかりながら、そこを趣味として読み解くために考えてみると、今のコロナの状況や他の感染症に対する各国政府の態度で「政治とはこういうもんである」って思える。
無惨も自身のことを「災害のようなもの」言ってるし、他にもこの事に言及してるブログをみたことがあるけど、最大の理由は「被害の規模が小さい割にその時代の科学技術では手が付けられない」から「歴代の朝廷や幕府は黙認してきた(戦国のような統一政府がなかった時代は地方政府では対応不能だった)」ということなんだろうな。
産屋敷が大量の鬼殺隊員を抱えて鍛錬できるほどの金は裏でどっかから流してるのかもしれないけど、政府として公に対処するには「(劇中では)関東一円限定で被害者数人規模で起きる殺人事件に対して公金を出して命知らずを募る」より他にやることがある、ということなのかも。
世のウィルスや感染症でもしぶとく生き残ってるやつは「隠れるのがうまく、そんなに急いで殺さない、そして限られた規模でしか感染しない」あるいは「感染はシャットアウトできないがほぼ安全な対処法が確立されてる」やつばっかだもんな。
経済と感染症対策のバランスというのは、「じゃあ幾らくらいなら」を考えるものだけど、ただ、みんなが同じ確率ではない、政治家なんかの重要人物ボーナスや、お金の流れの上流にいるんで貰える金額倍率で増えますボーナスがある訳で。
みんなが同じバランスを望む訳ではないんだよね。
飲食店における感染対策について以前から疑問に感じる点がある。
ただ、いくらアクリル板を立てまくっても、ほぼほぼパーティ同士の間を仕切るにとどまっている場合が多いのではないか。
4人掛けのテーブルであれば、その4人が食事しながら会話することで生じる飛沫を防ぐことが、感染症対策として最も重要なはずだ。
ぼっち同士をいくら仕切っても意味はない。咳をする以外は喋らないのだから。
時短などやるよりも、4人掛けテーブルなら4つに、6人掛けなら6つにアクリル板で仕切るべきだ。
当然大皿の食事の共有はNGだ。どうしても大皿を頼みたいのであれば、マスクをした一人がアクリル板の外側から配って回ればいい。
PV稼ぎ乙とか便乗タヒねとか嘘松とかもうなんでもいい。疲れた。吐き散らしたかっただけ。
これを書いた私はCOVID-19の病棟医だ。日々増える患者数に目を回し、文字通り命を削っている。こんなご時世になるまではよく遊ぶオタクだった。
COVID-19の猛威は止まることを知らない。
感染者数は増え続けるし、なのに人類は出歩くし、私達は制約をかけられながら暮らしている。
通勤以外の外出禁止。県をまたぐときは事前申告で許可が下りたら行ってよし。家族に移すといけないからシャワーを浴びずには帰れない。そもそも家に帰れない。子供の小遣いに毛が生えたような手当をもらって、最前線に立たされている。
もちろん読んでる。時間が許せば当直室のテレビで背徳感を感じながらリアタイ視聴したりもする。
私の推しの話をしたい。彼の名は夏油傑という。額に縫合糸ついてる方じゃなくて、中身まで本人の方。
かわいそうなほどに生真面目で、なのに人間の醜さを受け止められるほど大人じゃなかった哀れな子。強者の義務だと言い聞かせてきたがある日耐えられずにほの力を醜い弱者に振るって皆殺しにしてしまう。かいつまんで言えばそんな子。詳しいことは単行本の8巻あたりを読んできて。
私の末路に彼を見た。
コロナ禍に話を戻そう。
私の置かれた状況は冒頭に書いたとおりだ。私の命を削って、無責任に不要不急に出歩いてはCOVID-19を拾ってくる人類を救命している。仕事以外のほぼ全てに不可をつけられた私達が、それを謳歌する人類のために力を振るう。そんな滅私奉公が当たり前のようにのさばっている。
あれ、一緒じゃん。
私はあんなにイカれてない。あの日の少年より10歳以上歳食ってるだけのことはあるかも知れない。医療者ぜんぶ仲間みたいなおめでたいおつむもしてないし、まだなんとか醜さを受け止めて立っている。
でも。
病魔を払う私達は、屍になってまで平穏を届けないといけないのか。
幸い私の身の回りではCOVID-19で死んだ医療者はいない。けど時間の問題だと思う。現に世界では犠牲者も少なからず出ているわけで、たまたま見かけてないのは運がいいだけかな。
防御服があったって罹る時は罹る。大量のエアロゾルを浴びながら挿管して人工呼吸器を回すのなんて、ほんとは誰もやりたくない。そもそも訳のわからないものは医師だろうがなんだろうが怖い。
なんで私はこんな目に。やめたいとも思ったし、目の前の患者が、出歩く一般人が、憎いと思ったこともある。無責任な一般市民を見下す私がここにいる。
そういう仕事を選んだのは私だし、新興感染症と戦うのはいつか向き合わないといけないお題目だ。けど。もう疲れた。
出なくていいなら家で過ごしててくれればいいものを。
よくメディアで「コロナ禍」っていうものの言い方を見かけるけど、今起こってることって、ようするに「疫病」だよね。
この時代だからこそちゃんと「疫病」っていう言葉を使ったほうがいいと思うんだ。
戦争、飢饉、疫病に人類はもう何千年も苦しんで、対策をしまくってきたわけじゃない?
今起こってることって、歴史の大きな流れから見れば、繰り返していることじゃない?
なんらかの感染症が大爆発して、グローバル化のせいで世界全体が疫病の大流行になることは、予測していた人がいたわけじゃない?
でも人類の大部分がその人の話は聞かなかった。
どんなウイルスが流行するかはそのときになってみないとわからないかもしれないけど、「疫病」にいつかまた人類は苦しむと自覚して、そのときの備えをもっとすることはできたと思うんだ。もちろん、「たられば」だけどね。
で、その備えが足りなかったから、政治経済医療の制度が「疫病」に対応できてなくて、みんなバタバタして、先が見えなくて自殺してしまう人も出てくる。
「コロナ禍」という言葉遣いをメディアがするとき、それは「一過性の稀有な出来事」を指している気が、なんとなくするんだよな。
喉元過ぎれば熱さを忘れるってこと。
危機を煽るだけ煽っておいて、過ぎ去ったら何事もなかったかのように忘れる、いつものやりかただってこと。
そうじゃなくて、今起こってることは、人類がずっと苦しんできた典型的な苦しみのひとつ、「疫病」だってこと。
この苦しみはこれからもなくならないし、各自が死なないようにずっと備えていかなくてはならないってこと。
そういうことをちゃんと認めて、「疫病」っていう言葉を正面から使っていったほうがいいと思うんだ。
明治時代の統計を見ると、赤痢とかコレラとか結核で、コロナウイルスとは比較にならないくらい毎年人が数千人、数万人単位でバタバタ死んでる。
そのときにくらべると、その手の「疫病」はずいぶん克服されたわけだ。
でもそれは、新しい「疫病」に今後自分は絶対にかからないということではないよね。
だから、『「疫病」にかかったら、おれもおまえもけっこうあっさり死ぬかもよ?』てことをお互い忘れないように、「疫病」というちょっと禍々しい言葉を積極的に使っていったほうがいいと思うんだ。
都庁が無情のコーン再び設置 「これでは弱者の敵だ」 困窮者はよけながら食品受け取り
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.tokyo-np.co.jp/article/69870
どうか同東京新聞のこちらの記事の地図でも見て頭を冷ましてほしい。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/69436
・しかし利用者を歩道に並ばせると(大江戸線の出入口が目の前にあり、他の歩行者も含め)密になる可能性もあるので、利用者は敷地内に並ばせた。
要は、感染症対策の観点から、利用者に限り敷地内での整列を都が認めたが、支援団体は許可を取ってないので境界線をはっきりさせた、という話でさ。
まあ、そこをコーンで仕切ってしまうのはいかにも官僚的発想だが、それを「排除」と表現するのはあまりに公務員憎しが過ぎる。
雨天時に、それでも食料支援のブースが敷地内に入れてもらえなかったとかなら批判に値する(その可能性は大いにありうる)が、今回のケースはそうではない。
1.死者2000人は特別な対策を取った結果である。おそらく今年のインフルエンザ死者数は感染症対策の結果3000人を下回るだろう。
アメリカで25万人死者が出ていることを考えると、我が国でも対策を取らなかった場合数万人の死者が出た可能性はある。
2.死なないとしても医療機関が圧迫されれば医療従事者に負担がかかり、他の病気への対応力も下がる。
病院で対応しない決断をするとしても、家庭内看護に人手を取られ結局経済は停滞する。
3.「家庭内感染しないよう十分に感染対策すればよい」というのが机上の空論である。
家庭内で各部屋を隔離したり、換気をこまめにしたり、近距離で話さないなどの対策を行うのは職場や公的スペースよりはるかに難しい。
4.5.欧米各国でも消費喚起キャンペーンは様々な形で行われていた。
GoToキャンペーンと感染拡大に直接の関係が無いとしても、他に確実な方法が無い以上は感染拡大を食い止めるためには行楽地や飲食店の人出を減らさざるを得ない。
「これでは弱者の敵だ」 困窮者はよけながら食品受け取り:東京新聞 TOKYO Web
https://www.tokyo-np.co.jp/article/69870
【独自】困窮者に食品配布会、無情の三角コーンやポール 東京都庁と歩道の境界に「入るな」警告? :東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/article/69436/
記事中では、
とあるが、単に都が敷地内に並ぶことを許可するようになった、という話であって、
団体が都庁の敷地の使用許可を取っているわけではないので歩道で食料配布を行うしかないが、列が歩道に出てしまい密にならないよう(一般の歩行者もいるので)、感染症対策の観点から便宜的な措置を行った、というだけじゃないの?
日本人スゴイが行き渡ってるのかコロナは雑魚ってイメージ付きすぎてるのはやばいよね
新型コロナウィルスで、一つ良いことがあったとしたら、職場の飲み会が激減したことだ。
アレは本当に嫌なので、なんとか換えて欲しい。具体的には以下の8点。
すぐ終われ。次の日に差し障る。2時間もかけて食べる量の料理じゃないし、心底早く終わって欲しい。料理も勿体つけずキビキビ出して。
1時間で終わってくれたら、みんなハッピー。正直時間の無駄なんだから。
店も回転が良くなれば儲けが出ると思う。
居酒屋は、分科会の方針に従って、30分コース、1時間コースを主流にして。お願い。
2.下戸は料金安くする。
料理は少ないし、コスパは最悪。3000円もあれば高級なご飯が食べられるのに、嘘みたいに貧相な料理で酒飲みにつきあわされるだけなので、正直苦痛。5000円の飲み会? 死んでも嫌。
そもそも居酒屋の料理ってなんであんなに量が少ないの? バカにしてるの?
アレのせいですごい気を使う。感染症の温床なんだから禁止して。
なんで金を払って、上司の説教と同僚の悪口を聞かされなくちゃいけないんだよ。しかも不参加だと不参加者の悪口大会が始まるのではないかと思って参加しなければならず精神に悪い。
5.年に3回以上やるの禁止。
毎週毎週飲み会とかバカじゃねえの? 初任給の手取りが15~6万なのに、月に4回、二次会まで行ったらそれだけで貧乏になるわ。いいかげんにしろ。
6.2次会、3次会の禁止。
挙句の果てに、2次会? 3次会? 死んでも嫌だわ。それで終電超えでタクシー料金? そんな金ねえよ。
次の日は仕事なのに開放されず深夜割増のタクシーで帰宅とか、本当に笑えない。
なんで飲み会をやりたくないのに幹事しなくちゃいけないの? バカなの? しかも業務外。
死んでもやりたくない。そもそも下戸だから飲み屋のことなんか知らんがな。幹事は2次会の場所まで予約? 強制参加ですか?
8.むしろ参加したら金をくれ。
これ。参加したくないのに参加させられてるんだから、お金が支給されてしかるべきだと思う。
言いたいことも言い尽くしたので寝る。