よくメディアで「コロナ禍」っていうものの言い方を見かけるけど、今起こってることって、ようするに「疫病」だよね。
この時代だからこそちゃんと「疫病」っていう言葉を使ったほうがいいと思うんだ。
戦争、飢饉、疫病に人類はもう何千年も苦しんで、対策をしまくってきたわけじゃない?
今起こってることって、歴史の大きな流れから見れば、繰り返していることじゃない?
なんらかの感染症が大爆発して、グローバル化のせいで世界全体が疫病の大流行になることは、予測していた人がいたわけじゃない?
でも人類の大部分がその人の話は聞かなかった。
どんなウイルスが流行するかはそのときになってみないとわからないかもしれないけど、「疫病」にいつかまた人類は苦しむと自覚して、そのときの備えをもっとすることはできたと思うんだ。もちろん、「たられば」だけどね。
で、その備えが足りなかったから、政治経済医療の制度が「疫病」に対応できてなくて、みんなバタバタして、先が見えなくて自殺してしまう人も出てくる。
「コロナ禍」という言葉遣いをメディアがするとき、それは「一過性の稀有な出来事」を指している気が、なんとなくするんだよな。
喉元過ぎれば熱さを忘れるってこと。
危機を煽るだけ煽っておいて、過ぎ去ったら何事もなかったかのように忘れる、いつものやりかただってこと。
そうじゃなくて、今起こってることは、人類がずっと苦しんできた典型的な苦しみのひとつ、「疫病」だってこと。
この苦しみはこれからもなくならないし、各自が死なないようにずっと備えていかなくてはならないってこと。
そういうことをちゃんと認めて、「疫病」っていう言葉を正面から使っていったほうがいいと思うんだ。
明治時代の統計を見ると、赤痢とかコレラとか結核で、コロナウイルスとは比較にならないくらい毎年人が数千人、数万人単位でバタバタ死んでる。
そのときにくらべると、その手の「疫病」はずいぶん克服されたわけだ。
でもそれは、新しい「疫病」に今後自分は絶対にかからないということではないよね。
だから、『「疫病」にかかったら、おれもおまえもけっこうあっさり死ぬかもよ?』てことをお互い忘れないように、「疫病」というちょっと禍々しい言葉を積極的に使っていったほうがいいと思うんだ。
なんかなー、 『攻撃するときは、死者よりも傷病者が出るようにしたほうが、それに手が懸かるコストのために敵の進軍が遅くなってダメージを与えられる』って戦法をおもいだすんや...
その点北朝鮮は最強だよな
隣の『落ちた電車は(中の人ごと)埋める』国に教育されとるからなー
別に昔の疫病だって今そんなに意識してねえわけじゃん 呼び方の問題じゃねえと思うよ
未知の病気に対する備えって何なん 後出しでテキトーな事言ってんじゃねぇよ