はてなキーワード: 年寄とは
http://zuisho.hatenadiary.jp/entry/2015/02/22/025905
男性は「相手が嫌な事を自分の為に我慢してくれるかどうか」で相手の愛情を計る人が多い、と思う。
創作にしろ実話にしろ、既婚男性のノロケは「嫁がこんな嫌な事を我慢してくれた、我慢してくれるくらい愛されてる俺って幸せ」というパターンが多い。
このエントリの前半部分からしてそうだ。「嫁が苗字を変えた、それで嫁は苦労したらしい」と言うのを「ノロケ話」として書いている。
「結婚時に姓を変えるのを嫌がる女性が多い」と言う情報は割と知れ渡るようになったけど、
これを(意識的にしろ無意識的にしろ)「ノロケネタ」「愛されてる俺って幸せと実感する為のネタ」として使ってる男性は多いんだろう。
「姓を変えるなんて嫌な事を我慢してくれた嫁、それだけ愛されてる俺」という。
でも別姓が選べるようになったらそう呑気にノロケていられなくなる。当然「我慢せず」別姓にしろと言ってくる女性も出てくる。
そこで、その女性は「我慢する」気がない、俺を愛していれば我慢する筈なのに、我慢しないなんて俺は愛されてない!
或いは別姓にした男性の友人知人に「お前は嫁に愛されてないんだな」と言う男性も多そう。
夫婦別姓に反対するのは男性の方が多いってのは、こういう事じゃないかなー。
年寄ならまだしも、若い層なら今時家制度的に「俺の姓になったから嫁は実家を捨てて俺の家の一員になったのだ」とか本気で考える人はほぼ居ないだろうけど
「嫁に我慢をさせた」ことで満足している、って部分は今でも大きそう。
まあそうなるよね。
んでもってこれが世界にテロが起きるほぼ唯一の理由だと思うよ。
人間は苦痛を感じそして絶望したときにテロを起こすよ。そういう環境の全員ではないだろうけれど、確率として起こすし、テロというのは事実上防げない。テロの被害を食い止めるコストは、テロをするコストよりも圧倒的に高い。数億倍のレバレッジだと思う。つまり、テロを起こそうと人間が本気で結審したらふせげないし、その被害はデカい。
それが俺が社会福祉政策に賛成するほぼ唯一の理由だ。俺は自分の身がかわいいのだ。
俺は多分一生生活保護を利用しない。俺が生涯のあいだ健康保険で受ける便益は健康保険に支払う金額を超えることはない。
それでも社会保障強化に賛成するし、その為に税金も払うし、毎年寄付もする。それは俺がテロの標的になりたくないからだ。
「人間は平等な権利があるから社会保障を強化してくれ」なんて言わないでほしい。
小学1年生の夏休みから、めちゃくちゃうまい風景画を書いてくるやつがいた。
クラスメイトもそれを楽しみにしてて、今年はどんなのかと毎年寄ってたかって見に行ってた。
でも今考えるとあれ自分で書いたんじゃねーんだよな。
明らかに親かだれかが書いたのを持ってきてただけだった。
そいつがあからさまに絵のことで威張ったりとか見せたがったりとかをしなかったのはそういうことなんだろう。
実際あんだけうまければ普段の図工の授業でももっとその才能が見れたはずだけど全然見れなかったし、あんだけうまい絵だったけど特に何も賞とかもらってるとこも見たことないし、先生も表立って褒めたりせずにむしろちょっと苦い顔してたような気もするし。
よく考えたらおかしいもんな。
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20140430/1398896502を読んで、昔聞いたどこからどこまでが本当のことかわからない話を思い出したので、書こうと思う。
正確にいえば、「韓国に住む韓国人」を好きになれないと公言している。
その理由としては、外向きには、戦時中に私の曽祖父母から財産のほとんどを騙し取った外国人の詐欺師が戦後にその詐欺師の故郷の韓国へ逃げていったことを挙げている。
だが、もう一つ他人には言い難い理由があるのだと、私は幼い頃昔話を聞かされた。
(私にとっては)昔、私の大叔父の妻、私の義理の大叔母となった人を騙して貶めたのは今は韓国と呼ばれる土地で生まれ育ち今も韓国で暮らす人達だから韓国人を好きになれないという話を。
数十年経った今となっては話してくれた親戚が亡くなり、詳しく知っていそうな親戚は口を閉ざしたまま惚けたため、どこまでが本当の話か確かめられなくなってしまった。
以下、数十年前に私が聞いた話を覚えている限り書く。(以下、義理の大叔母の「義理の」を省略)
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大叔母が娘盛りのある年、姉のように慕っていた遠縁の女性に騙されて、大叔母は売春宿に売られた。
その女性は「よい奉公先を紹介してあげる」「そこで働けばよい嫁ぎ先を紹介してもらえる」と言葉巧みに大叔母を連れ出した。
大叔母は、連れてこられた奉公先(だと思っていたところ)で最初は集団で生活している男性たちのための家政婦みたいな仕事をしていたらしい。
大叔母は大叔母を連れてきた女性から「ここでのあなたの仕事は軍人さんの身の回りを整えること」と言われたのを疑わず、業者の朝鮮族の男性に「そろそろ売春の仕事もしろ」と言われるまで騙されたことにきづいてなかった。
いつのまにか大叔母はその朝鮮族の男性に膨大な借金をしていることにされていて、その借金を返すために移動して回る売春宿で働くことになっていた。
幸い、大叔母は奉公先でよりよい男性に見染てもらうつもりでお高い装飾品をいっぱい持ち込んでいたので、売春をしろと言われた後も幾週間かはその装飾品を差し出して逃れることができた。
家族に連絡を取って自分を迎えに来てくれるよう、装飾品と引き換えに出入りする朝鮮族の人に頼むこともできた。
装飾品がなくなってからは、仕方なく客を取り始めたが、数人目で家政婦仕事をしていたときにできた知り合いが客に来て、それからはその人が理不尽なことから守ってくれた。
大叔父は彼女があまりに美人で聡明で日本語が上手なので一目惚れして、大叔母の借金を全て肩代わりして、売春宿から連れ出して清掃の仕事を紹介してくれた。
さらには、大叔父は日本に帰る時に大叔母を婚約者として連れ帰り、大叔父の故郷で結婚した。
大叔父は大叔母の借金を肩代わりしたときに、大叔母の家族を探し出して大叔母と会わせようとしたらしい。
しかし、大叔母の家族は大叔母が家族のもとに戻るのを望むどころか、売春宿から大叔母を連れ出した大叔父を非難した。
大叔母は家族だった人たちと縁を切り、自分を助けてくれた大叔父と寄り添おうと決意して大叔父の故郷へきた。
大叔母のことがあったから、親戚の年寄は「韓国に住む朝鮮人は決して信用してはいけない。家族でも裏切る人たちだから」と言っていた。
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ここまでが私が覚えている昔話である。
ここからは曖昧模糊としている私の記憶の断片と推測を書かせてもらう。
大叔母が韓国で生まれ育ったと書いたが、親戚によると「優しい母と祖母、大勢の家族に囲まれて、生活に不満を覚えることなく育った」らしい。
大叔母はいいとこのお嬢さんだったとも聞いた気がするが、私の記憶違いかもしれない。
大叔母が装飾品を差し出したくだりや、大叔父が大叔母に一目惚れしたくだりは、妙に言葉を濁された気がする。
話を聞いた当時の私が子供過ぎて言えない内容なのでごまかされたか、大叔母かその息子たちのそうであって欲しいという願望の可能性が高いと思う。
大叔母の元家族が大叔父を非難した理由を、私が問うても親戚は教えてくれなかった。
これは私の推測だが、大叔母が朝鮮族の業者の下で働き続けることで大叔母の元家族に利となるような契約が結ばれていたのかもしれない。
書いてるうちに思い出してきたが、当時子供だった私がこんな子供向けじゃない昔話をされたのはカッコイイと思ってハングルなど外国の文字を書いたノートを親戚に見せたのが発端だったと思う。
ノートの英語を書き写したページを見せたら褒められたのであれもこれもと見せた……今思うと恥ずかしい。
調子に乗ってハングルを書き写したページを開いた途端親戚たちが血相を変え話し出したのだ。
私に話してくれた親戚たちははっきり言わなかったが、大叔母は慰安婦だったのではないだろうか。
結納式は自分の親が席を用意して(15,6万ぐらいか?)、彼の親が結納金50万をうちの親に渡して、それをそのまま私たちにくれた。気前の良さにびっくりした。結婚式は両家の親が折半して150万円ずつで、300万円の式。これも自分たちだけで食事パーティー的なもので済まそうとしていたのに、親が用意していてくれたことにびっくりした。ご祝儀は350万ぐらいになった。新婚旅行や車を買ったり新居の家具をそろえたりすることに使った。3LDKの新居の頭金を両方の親から500万と1500万の合計2000万出してしてもらった。自分たちは彼のアパートにしばらく住んでお金を貯めてから引っ越そうとしていたが、彼の親に、少し金は出すからちゃんと家を買えと言われ、家を購入できた。このとき、うちの親からも500万もらえるとは思わなかった。(500万でも返済額がかなり変わる)
こんな感じで親たちは自分たちを送り出してくれた。その後も子供が生まれたり、初節句だったりと何かと10万単位で金をもらい続けている。
金の面だけじゃない。日中の子供の面倒はほぼうちの親にまかせっきりだ。平日は8時過ぎにうちの親に子供を預けに行って、親には9時に幼稚園に連れて行って14時に迎えに行ってもらう。その後水泳、ピアノ、公文に連れて行ってもらって、それらが終わるころ、自分とバトンタッチの生活だ。
なんだかんだ言って、結婚して以来、親の存在のすごさをヒシヒシと感じている。もし、両親が健在でなく、これらの援助がないまま結婚していたら、結婚式もなく、新婚旅行もいかずに、狭いアパート(自分たちの給料ではマンションは無理)と保育園に給料のほとんどを吸い上げられ、時間の余裕もなく貧乏とストレスとプレッシャーで発狂していたはずだ(こういう人たちが多く存在していて、なおかつ、みんな頑張って生活しているのが驚きだ)。もしくは、結婚せず子供を作らず同棲だけしてそのまま年だけ取って最後は孤独死していた可能性も高い。
世代格差とかいって「年寄ずるい」みたいな意見もあるが、それは結婚していないからだと思う。自分がもし結婚していなければ、親は死ぬまで金を自分たちにくれることはなかっただろう。親は単純に自分の子供に金をやりたいのではなくて、一人前になった自分の子供に金を渡すことによって、家族の繁栄のためにつかってもらいたいと思っている。結婚すれば、金を持っているにも関わらず子世代に金を放出しない親は少ないだろう。
そんなこんなんで、今の生活には、余裕がある。余裕があるといっても、高級外車に乗ったりブランド物の服を子供に着せたり、有機食材にこだわった生活をしてるわけではない。普通の生活(西友やユニクロの生活)を、余裕をもってしているという感じだ。貯蓄もしている。この貯蓄は子供世代に渡す予定の貯蓄だ。
まだ30前半なのに、次の世代のことを考えて生活をすることになるとは、結婚前は想像だにしていなかったが、家族を持つということはそうことなのかもしれない。
いわゆる「ぼっち」ほど世に埋もれている存在は無いのではないか。
集団のなかで浮き、誰からも相手にされない私たちぼっちが、世間にさえも忘れ去られている情けなさ。
ぼっちの中にも小中高生ぼっち 会社ぼっち 年寄ぼっち等々いろいろな種類があろうが、ここでは学生ぼっちの生態について、自分の経験をもとに明らかにしたいと思う。
朝。
家の中に誰もいなくなったことを確認してからゆっくりと起床する。
窓から見える青空はこんなに清々しいのに、自分の心身はどっしりと重たい。
味気ない一日がまたやってくると思うと、学校へ行く気も失せて、このまま家で2ちゃんかハテナでもやろうかと考えるけれども、授業をサボっては学費を出してくれる親に申し訳ないし、単位を取れずに留年したらいよいよ先が真っ暗になる。
だから今朝も重い腰を上げるのだ。ただ、いつもと少し違うのは、今日が俺の誕生日であるということ。周りにだれもいない誕生日。
はぁーっとため息をついて、やや遅めの朝ごはんを食べながらテレビをつけると国会中継がやっている。
この人たちは、ぼっちの自分とは天と地ほどの差があり、お金も地位もこれ以上ないほど恵まれている。その境遇ゆえか時には図に乗って、不祥事を起こしたり失言したりして世間の人々から非難をあびるけれど、意地悪な質問に対しても根気よく答える仕事ぶりをみていると、ぶらぶらと安逸な生活をおくる自分などよりは、よほど真面目に努力しているじゃないか、と思ってまた自己嫌悪に陥る。
ほんとうは鈍行で行きたかったのに寝転んでいたら遅くなったので、しかたなく急行に乗ることにして駅へ走る。
おい、なにネガティヴになってるんだ、きょうも気楽な時間をすごせるのだ、自分は恵まれている、寂しくなんかない、寂しくなんかない、さびしくなんかないんだ。全身をなでる爽やかな風が気持ちを前向きにしてくれた。
電車の中はあまり人が多くなかった。サラリーマンはもうとっくに会社で仕事をしているのだろう。
昼。
席に座り、授業がはじまるまで本を読む、ふりをする。
「おれさー、けさ、抜いちゃったんだよねw」
「おまえ、汚いってw」
「そんなこと言うお前だって、まじめな顔して、実はエロそうだよなw」
「たしかにw こいつ、『授業レポート』とか適当な名前のフォルダつくって、その中にエロ画像とか入れてそうww」
「wwwww」
男子学生のくだらない会話を聞いておもわず吹き出しそうになるが、ぐっとこらえる。
「あっ、○○ちゃん、おつかれー」
「てか、きのうバイトでさー」
「じつは、きょうね、この下、あったかパンツなんだよねー あはは」
たわいのないお喋りをひそかに聞いて、若い女のうつくしい声に心酔してから、俺はなにげなくトイレへ行くふりをして席を立ち、楽しそうにする女子学生たちの姿をちらと拝見する。
ほんのりと染めた茶色や正統派の黒色ヘア、ワンピースからスーツまで十人十色の女の子ファッション、胸の大きさもまな板から爆弾まで多様だけれども、一生に一度の若さだけは共通しているので、匂やかな乙女の香りはだれの身体からも漂っている。
授業が始まると、先生が、「たまには出席とっておかないとねー。今日は出席カードを配ります。」と朗らかな声で言う。
今日も頑張って登校してよかった。先生からの出席カードが誕生日プレゼントだと思った。
昼下がり。
学校近くのだれもいない公園で、けさ自分でつくったサンドイッチを口に運ぶ。
いつもはそばにいるスズメも今日は忙しいのかどこにも見当たらない。
水色に澄みわたった空の下、かすかな風に揺れる木々の梢のどこかに、いつものスズメの巣があるのだろうと思いながら枝のあたりを観察していると、サンドイッチの具がぽろりと下に落ちてしまったので、スズメさんがあとで食べられるように、人の踏まないところへそっと置いておく。
ああ、きょう一日、まだ誰とも喋ってないなぁ。
バイトもサークルも何にもやっていない自分は、この生活をみずから選択したのだから、文句を言う資格はない、いや、願ったり叶ったりの生活を享受している分、俺はむしろ幸せ者なのだ。
人とかかわるのが苦手な為にえらんだ孤独道は、やがてやってくる就職という二文字をじわりじわりと重たいものにするけれども、今が安楽なかぎりは変化の意欲が沸くわけもなく、ただただ現状に甘んじ横着している。
しかしこの体たらくのままで社会へ飛び出たら、スキルも協調性も何もない俺は組織の中であぶれるか潰されるかしてしまうだろう。
社会に出るのは軍隊に入るのと同じこと。ああ、こわい、こわい、死にたくないよ。
余計なことを考えて思い余った俺は、次の授業までの時間がまだ残っているので図書館へ向かう。
手にとった数冊の本を机に置き、帰路につく学生を窓の内からじっと眺める。
心なしかその表情は嬉しそうにみえる。あたたかい家庭が待っているのか、バイトに楽しみなことでもあるのか、友達と遊びに行くのか、それとも、デートだろうか。
夜。
この日最後の授業がようやく終わり、いったんは帰ろうとするものの、電車内でトイレへ行きたくなったら困るから一応いまの内に、とおもう。
夜まで授業を受けている学生はあまり多くはないので、トイレの中には誰もいなかった。
しーんとしている。
まぶしすぎるほどの明かりがいっそう静けさを増すようだ。
俺はおもむろに個室の中に入った。
外ではできない性格だけど、今日は誕生日だし、まあいいか、と思ってズボンを下ろす。
スマホでアイドルの画像を探して、ふーっと深呼吸して、それから一気に動かした。
このアイドルは、俺と大して年齢が違わないのに、すでに社会に出て、一生懸命仕事をして、いっぱいお金を稼いで、多くの人から認められて、愛情で包まれて、前向きに生きているけれど、ここで彼女に世話になっている俺は、誰からも認められずひたすら孤独に苛まれ不安で満たされながら何の役にもたたない暮らしをしている。
なんなんだ、この差は、彼女と俺とは何でこんなにも違うんだ、不公平だ、不平等だ、不合理だ、不条理だ、ああもうどうにでもなれ、俺は知らない、俺は知らない、ままよどうにでもなっちまえばいいんだ、このやろう、このやろう、あああああぁぁぁ
常になく疲労がたまった帰り道はひとしお寂しく感じた。涙さえあふれてきた。街灯の光がその滴を反射させそうだったが、俺は人目もはばからずに哀しんだ。寂しい。寂しい。ほんとうは、さびしいんだ。
ここに書いた例は自分の体験に基づくが、むろん潤色しているところはあるし、これらがすべて同日に起きたのではない。種々の出来事を一日分に集約した。
自分の経験など足元にも及ばぬ凄絶なぼっちストーリーも世界のどこかにはあるかも知れない。
そういうぼっちに密着して、『THE BOCCHI』とか適当に名前をつけて映画化すれば反響を呼ばずにはおかないと思う。
ぼっち学生の就活以後の末路にまでスポットを当てればいよいよ涙を誘うことまちがいなしであろう。
まさかこんなに長くなるとは思わなかった。あまり知られていないぼっちの日常をテキトーに書こうかなぁくらいに思っていたら図らずも愚痴っぽくなり、しかも下手な小説みたいな形になってしまった。
休み中のまして孤独な今の時期に、文章にして吐き出したら心が落ちついた気がする。
今更だけど、あれって、存在する価値あるんですかね。内容が間違っているのはともかく、偏っていたり、貧相だったり、おまけに「これ本当?」って思う所ほど参照先がない。英語版が完璧とか言うつもりはないけど、日本語版はずっとひどいまま。改善する気配もない。声優とかタレントの記事はただひたすら面白エピソードだけで埋まってる。経歴も単に出演作を並べているだけ。そうかと思うと、勉学に必要なものほど重要な記事がないか、適当。内容が充実されるって言うより、単に横膨れしているだけって感じ。ぶっちゃけ無くなっても、誰も困らないだろうな。大学のレポートの参考とか言う人もいるけど、あんなの代わりになるやついくらでもあるじゃん。
毎年寄付くれってうるさい割には、何に使っているのか、説明もない。英語で資料があります、じゃなくて、日本円で払っているんだから、日本語で説明しろよ! マジで日本の管理者の生活費に使われているのかね。それだったら払わんよな。
調べてみると、世界中に財団の支部みたいのがある割には、日本には存在しないみたい。記事数だけは多いのに、他の言語版で数が少ない所は結構支部がある。日本語版のやつら、やる気ないのかね。オープンストリートマップとか、きちんと活動しているのに、ウィキペディアはいつまでも適当。あれじゃ2ちゃんと変わらんよな。
あと、なんとかカンファレンスって、2009年と2013年に実行されたみたいだけど、またやらないみたい。4年毎なの? つーか、あそこでも寄付を集めているの知っているけど、きちんと財団に届けてるの? 誰かの懐に入ったりしてない? 徹底的に調査しないと信用できないわ。内容も、4年準備したものには思えんかったけど...。
少子化対策が重要だ、ってのは単純膨張によるGDP拡大(つまりマーケット拡大)って話と、年金システムの維持って話の二つがある。
前者については、日本の国土の自然人口が3000万人程度と言われてるなかその4倍の人口をかかえているわけで、これ以上増やしてもしょうがない(自然負荷が高すぎる)という側面もある。
後者については、老人たちに楽をさせるために若者で支えましょうって話。
どっちにせよ、少子化対策が云々っていうのは、ねずみ講が破綻しそうだから何とか新規会員獲得しなければ、みたいな話に聞こえてうさんくさいと思ってる。
ホットエントリに入っていた。 http://diamond.jp/articles/-/28606
自分の負担は軽くできるのだろう。だが、介護の必要な老人を生かし続けるための負担の総額は変わらないか、社会(=他の誰か)に負担させるための追加のコストはかかるはず。
介護の必要な高齢者を、それでも生かし続ける意義ってなんだろうか?
回復が見込めない場合もあるだろう。介護を要しないほどに回復しても所詮は年寄でしかない。
間もなく死ぬわけだ。年寄や重篤な障碍者を生かし続けることを是とする根底にある理念は何なのだろうか?
人命大事、人間らしい生活大事だ!その是非を論ずるのは筋違いと言う人もある。それは承知。だが、それでは納得しきれない。
社会不安の除去とかそういうことなのだろうか。見捨てて良い命の線をどこで引くかを決め難いから決めないということなのだろうか。
そうなんだよね。
興味も知識もないけど、必要にかられて携帯は買う、パソコンは買う。
知識がないからお店の人に、どういうのが欲しいのか聞かれても答えられない。
「いいのがいいですか? 悪いのがいいですか?」と聞かれたら、いいのがいいと答えてしまう。
「値段は同じで、これができるのと、できないのがあるけど、どっちがいいですか?」と聞かれたら、じゃあできるほうで、となってしまう。
そしてこの傾向は年寄ほど顕著だと思うんだ。
だから、メーカーも小売りも、新しいのが売れる、流行ってる、うけてる、必要とされてる、と勘違いする。
でも、実際は無知につけこんで新製品を売りつけてるだけだよね。
高校生の娘がいるアラフィフお局と見た目ギャル系アラサー女子社員の会話。
お局「昨日娘の高校に呼び出されてね。アイプチしてたのと、校内で携帯使ってたからって没収されてさ。今時の高校生お化粧ぐらいするよねー。」
お局「携帯だって、持って来ていいけど使っちゃダメなんて、じゃあ最初から持ち込み禁止にしたらいいじゃないの。」
お局「校則にも化粧禁止とか書いてあって、高校なのにうるさくない?今時中学生でもお化粧してるのに。それに化粧じゃなくてアイプチなんだから、それくらいいいと思わない?」
女子「普通ですよね、そんなの。コンプレックス隠しな訳ですし。」
お局「でしょでしょ。たかがそれくらいで仕事終わった後に中学校まで呼び出されるなんて、本当に腹が立ったわ」
ジェネレーションギャップってやつか。
つか何で校則にそんな禁止事項あるのか考えたことねーの?
携帯にしたって通学時に何かあった時のこと考えて、持ってた方がいいと言う学校判断はあるだろう。つかそれこそ保護者から授業中はダメでも、行き帰りぐらいはと言われてんじゃないの?
その娘は放課後に使ったと言うが、じゃあ学校出て使えば良かっただけなんじゃないか?
とか隣から聞こえてきてるだけで会話に参加してないのに、ついツッコミ入れたくなって困った。
大体聞いてれば、この娘も学校側から目を付けられるようなこと常日頃からやってるみたいだし。
夏休みに茶髪にして染め直ししたけど、地毛がそもそも茶色なのでそれで先生にマークされてるらしいとか、禁止されているアルバイトに行っていて毎週月曜日は遅刻だとか。
どっちかってーとこんな親の仕事終わりまで学校で待ってなきゃいけない先生に同情した。ほんと、先生業って大変だなあ。
それにしても高校生が学校に化粧して行くのが当たり前でいいのか?
いや、高校生は興味ある年頃だからわかるにしても、親がそれ認めてしまってる方が恐ろしい。
今からあれこれいじってたら年寄ったら怖いぞ、と説教するような大人しか周囲にいなかったんで、今の「普通」の考え方が、あの会話の通りだったとしたらぞっとする。