はてなキーワード: フェイスブックとは
フェイスブックがゆるいつながりってのは難しいんじゃないか
お昼にニュースサイトで記事を読んだ。
http://blogos.com/article/86647/
下記引用
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チャゲ&飛鳥の飛鳥が、覚せい剤の所持疑惑で逮捕された。本人は、薬物疑惑を否定しているという。このニュースを見て、この人を警察が逮捕して裁判などを行う事に、何らかの意味があるのか疑問に思った。むしろ、薬物の使用で逮捕などしない仕組みの方が、世のためではないのか。
というのも、そもそも覚せい剤の使用が、他の殺人や詐欺などの犯罪と同じ様な種類の物に思えないからだ。どちらかというと、アルコール依存症や、うつ病などの”病気”に近いものだと思える。その場合、必要なのは、なぜ病気になったかというのを裁判で解明していき、刑務所で反省させる事より、一刻も早い専門医による治療という事になるだろう。
それにも関わらず、現在の法律で、薬物使用が明らかになれば即刻逮捕となってしまう。つまり、「自分は、ひょっとすると薬物中毒かもしれない!」と自覚した人も、結局、一人ではどうする事も出来ない。そして、行き着く所まで行ってしまうしかないのだろう。(ひょっとしたら、何らかの制度はあるのかもしれないが、一般的な認知度はない。)
飛鳥の場合も、数カ月前に薬物使用疑惑が雑誌に出ていた。もし、その地点で飛鳥がリハビリ施設にでもはいっていたらどうだろうか。飛鳥本人の体だって、早期の治療を受けられた方が良いに決まっているし、薬物の入手先(暴力団?)の飛鳥購入分の売上だって施設にリハビリをしていれば、その間はゼロだった可能性もある。つまり、早くに治療したいと手を挙げられる環境を整える方が、薬物中毒者の体にもメリットがあり、薬物業界全体の売上を減らす事ができるはずだ。
なので、薬物に関しては、密輸を試みるなど、流通させようとした人のみを逮捕し罰するだけで十分に思える。そして、個人で使用してしまった人は、病人として扱い、なるべく薬物を購入させないようにサポートしていくという形の方が良いのではないだろうか。
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この件において、飛鳥個人のみにスポットを当てれば罰則は必要ないという気持ちは湧くのは1万歩譲ってわかるとしよう。(個人的には全然わからないが)
だが、購入者に対する罰則を完全になくしたらどうなるだろうか。
刑罰により少なからず抑制されていたであろう需要が跳ね上がり、ドラッグ市場の流通が活気を帯び、薬物中毒者が増え無害な方に対する様々な犯罪を呼び起こすだろう。
人様に何かを主張するのであれば最低限それくらいの想像力はあってしかるべきだろうと感じたが、まあネットの記事だしこんなものかと思いなおした。
そして、コンテンツの品質が低いから業界がなかなか浮上しきれないんだよ、テレビとか紙媒体の校正とかすごいよな、なんて同じ業界で働くものとして案じていたが、
ライターがフェイスブックのアカウント晒していたので確認してあんぐりした。
しかも、彼女のメインの仕事場であるシュレッダーのある位置は冷房が直接当たる。
今日暑かったので、エアコンを28度で付けたらカーディガンを着てしまった。
カーディガンを着てしまったら、ムチムチの二の腕、細すぎない手首、ぽっこりお腹という幼児体型スペシャルセットが見られない。
何より、この仕事で最も重要と言われる上半身と下半身の間のベルトラインが隠れてしまい俺の業務に支障が出る。
最近、仕事中おパンツが見えているのに気付いたのか、ベルトライン付近のガードが固くなっている。
しかし、全く何やってんだ、頭隠して尻隠さず、胸元のガードが疎かになってるぞ。
「黒ブラ確認!よかった!」
法事じゃないんだぞ。
おパンツだけでは飽きられると思って早速ジョーカー使っちゃっうのか?
出すのが早過ぎるぞ。
入社していきなりジョーカー使ってしまなんていう視野の狭さが後々命取りになるんだぞ。
http://anond.hatelabo.jp/20140418231831
1分で分かる2ちゃんねる乗っ取り騒動について
http://anond.hatelabo.jp/20140419142915
ジム・ワトキンスのクーデターから始まった一連の祭りでは、今まであまり光が当たってこなかった西村博之以外の運営陣に話題が及んでいる。それが西村の彼女とされる女性だったり未来検索ブラジル社の社員だったり旧サーバー管理者の同級生だったりどっかの広告マンだったりして。2chというと、日本中から有象無象のユーザーが集まって構成されているイメージで、それは運営ボランティアと呼ばれる人たちも変わらないと思っていたけど、実は身内で固められていて利益を分かち合っていた。このインナーサークルのメンバーやその周囲の今までの書き込みやツイートを覗くと、金のやり取りで揉めてたり、性格の好き嫌いで切った切られたが見られて、何か非常に人間関係がドロドロしてそうで面白い。この面白さはちゃんとまとめれば、ザッカーバーグのフェイスブックの物語や、アップル社のジョブズの物語を超すこともできる。今回の祭りで名前が上がった人たちに個別インタビューを取って2chの成り立ちから裁判から金の流れから色恋沙汰まで何から何まで全てまとめた本にすれば、確実に大ヒットするし映画化も間違いない。
「ツイッターって知ってる?」
「うん、短文つぶやくやつでしょ」
「じゃあ、フェイスブック知ってる?」
「うん、友達みんなやってる。食べたやつを投稿するやつでしょ。」
「じゃあ、はてなって知ってる?」
「知らない、なにそれ。」
「うーんとね、この記事のBってやつだよ。」
「ああ、これね、何に使うの?」
はてブなんかでたまに見かけるmochimasaって人がtogetterにまとめられていた。id:augsUKさんやid:blueboyさんなんかと議論してる人ね。
なんか匿名じゃなくて半実名みたいな感じの人だったんだね。でも自分でのせたと思われるフェイスブックアカウントのツイート部分を削除してたりするみたいで、やっぱり実名は知られたくないのかな?でも書いてたことに負い目がないんなら、なんで削除とかするんだろうね。堂々してたらいいのに。
あとどうでもいいけどこのまとめ見てもこの人って他人のこと批判するのが好きみたいなんだけど、こういうことするとやっぱり面白く思わない人を増やすよね。このまとめの意図もよく分かんないけど自分も他人のミスは大目に見ないとなって思ったわ。
今日4/7、辞書アプリである大辞泉(小学館、開発:HMDT)バージョン2.0が有料アプリとしてリリースされた。以前のバージョンの大辞泉を持っている方はアップデートしないことをオススメする。
重要なお知らせ
大辞泉は、バージョン2.0からは有料アプリとなりました。2.0から購入された方は、すべての機能がご利用いただけます。大辞泉を、バージョン1からインストールされており、「利用回数の制限を解除」するライセンスを購入していない場合は、利用回数が0になった時点で、検索などの機能が使えなくなります。
『大辞泉』は、バージョン2.0からは有料アプリとなりました。バージョン1のときにインストールされた方は、無料アプリとしてダウンロードされたと思います。これにより、バージョン1からアップデートされた方は、いくつかの相違点が発生します。
すでに「利用回数の制限を解除」ライセンスをご購入済みの方は、特に差異はありません。今まで通りすべての機能がご利用いただけます。
まだライセンスをご購入されていない方は、現在の利用回数が0になった時点で、検索などの機能が使えなくなります。バージョン1では時間経過とともに利用回数が回復しました。これは『大辞泉』の大きな特徴でした。ですが、バージョン2.0以降では利用回数は回復しないことにさせていただきました。引き続きご使用になられるときは、「ストア」画面よりライセンスを購入してください。
「大辞泉」は当初、「デジタル大辞泉」の名で普通の買い切り有料アプリとしてリリースされた。HMDTが開発をし、小学館が配信していた。
競合アプリである大辞林(三省堂、開発:物書堂)の2500円に対し、デジタル大辞泉は2000円と安く、年3回の辞書データ更新を保障していた。
2013年5月、デジタル大辞泉は新アプリをリリースし注目を集める。名前からデジタルを取った新アプリ「大辞泉」はなんと無料だったのだ。26万語が無料!すばらしい!
そのカラクリはこうだ。
簡単に説明すると、利用可能回数の上限が決まっていて、検索すると1減る。画像を表示すると3減る。動画を再生すると10減る。回数が足りなくなると、機能が一部使えなくなる。減少した回数は、時間が経つと回復する。
大辞泉がソーシャルゲームになった理由 | HMDT Blog(645はてぶ)
なんでこうなったかというと、まず背景としてあったのが、App Storeにおいて有料アプリが売れないこと。たとえば、今日のApp Storeのトップセールスランキングを見ると、100位までの中に有料アプリは、、、0!100位を超えるとかろうじて有料アプリがポツポツと出てくるものの、ほんの一握りだけ。つまり、売り上げを立てているのは、ほぼすべてアドオン課金タイプのアプリ、ということだ。
「いや、有料アプリだって売れているものはあるよ」「逆に言うと、有料アプリランキングの方が手薄だからランキング上げやすいよ」という意見があるのも知っている。85円のアプリを10,000本売る、というビジネスモデルだったら、それはありだ。でも、辞書アプリはどうしても単価が高い。この戦略はとれない。
とにかく、アプリはユーザに触ってもらえないと話にならない。うちで作るアプリは、触ってさえもらえれば、気に入ってもらう自信はある。だけど、2,000円のアプリでは、このハードルがとても高い。だから、無料にした。無料にするしかなかった、と考えている。
今度からは、HMDTが企画、開発、配信まで全部やることになった。アプリ名も、そのものずばり『大辞泉』でいく。これを国語辞典アプリの決定版にする、という気概を込めた。
配信元がHMDTに移った事で、いままではやりにくかった大きなチャレンジをいくつもてがけることができた。
すべての辞書機能を無料開放しつつ、その使用に回数制限を設け時間回復するという画期的な手法がソシャゲ風だなんだと少し騒がれた。
まるでソーシャルゲーム? 一定時間ごとに「利用可能回数」が増える、基本無料の辞典アプリ【大辞泉】(40はてぶ)
[iPhone, iPad] 大辞泉: 無料で2000円分の辞書機能が使えます!ユニークなシステムで新登場! - たのしいiPhone! AppBank(38はてぶ)
「大辞泉」アプリが基本無料で再登場 ソシャゲ風課金システム採用 - ITmedia ニュース(10はてブ)
ソシャゲっぽい無料モデルを導入した『大辞泉』は辞書アプリ界のパズドラとなれるか? | TABROID(タブロイド)(22はてぶ)
新アプリリリース時、利用可能な回数上限は15ポイントだった。減った分は15分で1ポイント分回復する。待てない場合は85円で1回だけのフル回復ができ、2000円で回数制限そのものを解除できた。
旧アプリである「デジタル大辞泉」を購入していると、「大辞泉」も無料で全機能が使用でき、歳時記などの追加コンテンツも移行できた。
(ちなみに「デジタル大辞泉」は今もAppStoreに顕在。公約である年3回の辞書データ更新は未だに守られ続けており、iOS7にも対応した。)
利用可能回数の最大値を5に変更しました。
当初15ポイントだった利用可能回数制限が5ポイントに減らされた。それに伴い、10ポイント消費だった辞書内の動画再生が3ポイントに減り、新たに600円で「利用回数の最大値を50に拡大」が追加された。
理由はこうだ。
この最大値の切り下げには、色々な議論がありました。ライセンサーからの強い圧力があったのも事実です。ただ決定的だったのは、利用回数の調査結果です。実際にユーザが、連続してどのくらい検索を行っているのか、調査してグラフにしたのが下の図です。
1回しか利用していないユーザは55%、半数以上にのぼります。5回以内のユーザをカウントすると、92%になり、大部分のユーザは5回以内で問題ないんですね。それとは逆に、15回全部使い切るユーザも一定数いることが分かります。
ここから、多くのユーザの使い勝手はそのままにして、ヘビーに使ってくれているユーザに新たな選択肢を与えたい、ということを議論した結果、最大値のデフォルトを5にして、最大値拡大のアドオンを追加する、という落としどころを見つけました。これでさらに利用してくれるユーザが増えてくれると嬉しいです。
ライセンサー(小学館?)からの圧力とあっては仕方ないが、残念な改悪だった。
「利用回数の制限解除」通常2,000円→セール価格1,400円
その内容は冒頭にも載せた通り、アップデートすると利用可能回数制限の時間回復がなくなり、0ポイントとなると辞書機能は使えなくなった。
理由はこうだ。
有料化へと至った経緯
『大辞泉』は無料アプリとしてリリースすることで、14万を超えるユーザにダウンロードしていただきました。また、時間経過とともに利用回数が回復する、ソーシャルゲーム的な手法を取り入れる事で、大きな注目を集めました。この手法は、スマートフォンアプリ市場において、ユーティリティタイプのアプリの新たな活路を見出す事を目的としたものでした。
しかし、この成果を収益に結びつける事はできず、事業の継続が困難となりました。さらに、ライセンサーからも現在の状況を憂慮した、強い働きかけもありました。このような状況のため、無料アプリとしての展開は終息して、有料アプリとして再出発させていただく事となりました。ご理解のほどをお願いします。
ほぼ同じ文章が大辞泉アプリのフェイスブックにも掲載されている。HMDTのツイッターは去年12月の1度目の改悪(バージョン1.6)以降、バージョン1.6.1.や1.6.2リリースの際も今回もツイートがない。普段リリース報告をしたり、上記のようにアプリに対して説明(釈明)していたHMDTのブログも未だ沈黙している。
私が知る限り事前予告はなかったと思う。残念だ。
彼氏が音信不通になって早数か月、だんだん慣れてきたし、暇を持て余してることもあって、以前知り合った人に連絡してみた。
それでまぁその人に限った話じゃないけど、結局、彼氏がいてもいない風に思えてくると、前のチャラチャラ遊んでいた自分に戻っていくような気がしてきた。
彼氏がチャラチャラしてた私を変えてくれたー!って思ってたけど、でもそれは彼氏が彼氏であるあいだだけで、それが終わったのかなって感じになると、じゃあちょっと遊んでもいいかという考えがまた芽生えてくる。
抜け出せないものなのかなぁ。
彼氏がいるあいだでさえ3週間とか放置されると寂しくなって、元セフレと会ったりしちゃったし。(付き合いたてのころで、スタイルが急激に変わったのに慣れなかったからだと思いたいけど)
セフレとかそういう類の知り合いとは全部きったようで切れてない、のはフェイスブックで友だちだからなんだよね…。
定期的にお互いの状況みてるし、べつに解除したいほどコメントしあったりしないから、どうでもいいっていうか。でも、フェイスブックで繋がってるから、たまに見ると、あぁそういえばいたなってなるんだよね。
彼氏もどれが元セフレとかまでは知らないから、表面上はただの友だちだし。
本当にチャラチャラ遊ぶのやめたかったら、たぶんそういうのも全部、なくすべきなんだろうなぁとは思うんだけど、形はなんであれ友だちを自分から切るっていう行為が嫌でできないんだよね。元カレの親とすら連絡取り続けてるし。
もともと苛められっこで友だち少なかったせいかな?
一緒にクラブいこーねって誘われたら2つ返事でOKってかんじだし、彼氏からの連絡待つは待つんだけど(自然消滅なのかもしれないけど一応)、じっとして待ってられるかなぁ、ってそろそろ自分のことが心配になってきた。
万が一彼氏に振られてるんだとしたら、しばらくは誰とも付き合いたいと思えないだろうし、こんなんだから自分には付き合う素質がないんじゃないかとも思うし。
「トカイイシキタカイ民」とは、ツイッター仲間の造語で、マイルドヤンキーの真逆で、
「マイルドヤンキーを発見した、と大騒ぎしている、都市部高学歴民」のこと。
ありきたりだが、質問項目をチェックして、あなたのトカイイシキタカイ民度をチェックしよう!
4.子供に中学(小学)受験をさせる(つもりである/受験させた)
7.フェイスブックをやっている
8.日経新聞を購読している
10.常に人脈の構築・拡大に努めている
11.スポーツジムに通っている。健康・体力づくりは欠かさない
12.(湾岸タワーマンションや港区の億ションなど)資産価値の高い不動産を購入したい(又は購入済)
14.年収は1,000万円以上ある
16.公立小学校の同窓会にはあまり行きたくない、行く意味を感じない
20.でもマイルドヤンキーに関する記事は、ついついチェックしてしまう。
もう少し気軽に行きましょう。
5~9個該当する:まだまだトカイイシキタカイ民度が足りません。
仕事の事情で、キラキラしてるめちゃくちゃかわいい女子大生と数回出かける(みんな違う子です)ことがありました。
私はシケてるアラサー(女)です。
スマホについてびっくりなことが多かったので、女子大生と付き合いたい殿方は参考にしてください。
なんでもないバス停とか、空き時間があればツーショットの写真を携帯で撮り、ツイッター、FB、ブログにアップ!え、許可もらってません~~涙 無修正の私のシワがきついよ~~涙 あたり前すぎて、変だとかは思わないそうです。彼氏とでもそうみたいです。かっこいい自分の角度の研究と、右手でも左手でも上手にインカムを使いこなせるようになるとスマートでモテるかもしれません。
ブーって振動が常にバッグから聞こえます。携帯充電器は欠かせません。私が学生の時MSNチャットが流行りましたが、あれが四六時中となるとウッとなりますね。既読スルーは基本的にタブーなので、都合の悪そうなメッセージは読まないで後で返信するそうです。既読が付かないときは要注意と思った方がいいですね
■何かあった時は、ツイッターにほのめかす
彼氏彼女で相合フォローして、不満があったりするときはほのめかす→解決が円満の秘訣だとのことです 喧嘩はあまりしないようです
毒吐き用とか、大学の友達用とか、地元の友達用とか、彼氏用とかいろいろあるらしいです。ニーズに合わせて使い分けるようです。基本的には「皆に嫌われず、でもちょっとイケてる自分を演出」しているように見えました。
ツイッター・ラインのほうがいいみたいです。mixiは論外とのこと。
ラインの電話って気が付きにくいので苦手なのですが、基本的に親に携帯代を払ってもらってる彼女たちは無駄遣いはできない模様。
まあごく一部で、一般論として語るにはソースが少なすぎるとは思いますが。みんな神経細やかで、基本的にいい子でした。常に周りからどう見られているか客観視しているような印象がありました。大人だな~と思うけど、そんなに周りの目を気にして疲れないのかしら、とおばさんは思います。
歳をとってきて図太くなってきたこともあってあの人は私のことどう思ってる?とか気にしなくなってきたのに
フェイスブックを見ると、やっぱり自分が仲間はずれにされているんじゃないか?とか思ってしまう。
あ、AさんっていつもBさんの投稿に反応しているんだなとか、Cは私が前にコメントしたときには
そっけない対応だったのに、Dさんにはこんなに親しく声をかけてるんだとか、
べつに自分がAにもBにもC,Dにも、特に関心は高くない(むしろ苦手な部類の人もいる)のに
すごく幼稚で、視野の狭い本当の自分を思い出させるフェイスブック。
なのでたまに覗いてみると、毎回非常に嫌な気分になる。
もう一度言う。見つめたくない自分の嫌な部分を思い出してしまう本当に嫌なサービスだ。
自分にとってどっちでもいい人たちから仲間はずれにされている気分を味わうのだ。
本当に気持ちが悪い。
自分の子供のこととか、体調のこととか、オシャレな写真とかアップして
本当に気持ち悪い。
外見のいい人(もちろん人当たりや人間性も魅力なんだろうが)がちやほやされているのも、ケって思ってしまう。
これは僻みなのだろうか、べつに僻みではないのになんでケって思うんだろう ってかんがえたら
やっぱり僻みじゃん とか自問自答するのとか 本当に気持ち悪い。
リア充的な要素はあるんだよ、掲載してやれること、本当はあるんだからね
って思うんだが、それを出したときの反応をいちいち返したりとか
挨拶したりとか。。。
面倒くさいながらも、それでもみんなに構ってもらえたらうれしいんだろうなとか、
ああ、私べつに仲間はずれにされて
なかったんだ とかって安心するんだろうな っておもうのも 本当に腹立たしい。
いや、本当にいちいちコメントとか返すのが面倒くさいんだって!
ログインしていいね! だけつけておこうかと考えることもあるが
そういうことに左右されている自分というのが本当に嫌。
仕方なく解除しないでいる。
本当に気に入らないサービス。
辞められないところが本当に気に入らない。
早く無くなって欲しい。
http://anond.hatelabo.jp/touch/20140321060847
フェイスブックのタイムラインに出てきて、みんながみんな「なんでこんなことを言うんだろう」「悲しくなった」「不快だ」と言っている。
だけど、私はそんな風に思えなかった。
この記事のどこがそんなに異常なのかと不思議になったくらいだった。
就職活動をしていると、ある程度の常識を求められるというか、「おかしくない奴」であることが必要なんじゃないかという思いに駆られる。
そして、自分はそういう常識が人より欠けているのではないかとも思っている(正確には、去年の6月から始めた就職活動を通して思い知らされた。)。
大多数の人と違う感覚を持っているのではないか、この記事を読んでまたそんな風に思わされてしまった。
私はこの記事の執筆者が批判されるような内容を書いているとは思えない。
社員が就活生に会うのはコストだと思うし、就活生から学ぶことは何一つないっていうのも本人がそう思うのならそうであって、そこに他人がとやかく言うのは違うと思う。
考えてみれば、就活生に会って社会人が得るものとはなんなんだろう?
人事部の人なら面接をするスキルを磨くうえでプラスになると思うけれど、それ以外の人はどうだろうか?
学生の話を聞いて勉強になった、と言う社会人に会ったことは何回もある。けど、具体的に何が勉強になったのかはわからなかった。
その人の個性に触れて、知見が広くなることがプラスなのだろうか。
日本の社会人はほとんどが「元大学生」だと思うし、大学生と話す機会なんて掃いて捨てるほどあったはず。
ただ、社外の人と話すのと、社内の人と話すのと、学生の人と話すのでは会話の内容に大きく違いが出るだろうし、
面接ではその人の内面に迫るようなことを聞くのが普通なので、面接を通じて他人の価値観に触れる、と言う意味では学ぶことがあるというのも頷ける。
しかし、それとてどれほどのことであろうか。
今後何年たっても忘れらないような人物に会うことなんて、一年に一度あるかないかぐらいではないだろうか。
仮に、出会った学生すべてに関してメモを取り、保存しておいて、度々見返すようなことがあったとしても、それがいったい何の役に立つのか?
人生の経験としてカウントされるに過ぎないのではないだろうか。それかその学生と再び会った時に好印象を与えらえるぐらいか。
そんなこと、企業で働く社会人に必要だろうか。その経験を大切にするくらい社会人生活には刺激がないのだろうか。
「些細なことでも勉強になる」「刺激になる」ということを大切にするのはよいと思うけれど、それがどれほどのインパクトを持つのかという観点を私は大切にすべきだと思う。
中学の頃、FF5、6に感動して、ずっと貯めていたお年玉でスクウェアの株を買ってと親に嘆願した。
親は当然しぶり、店頭株なんてダメといい、投資信託の販売が解禁されたこともあり、スクウェア株になるはずだったお年玉は、投信になった。
その投信はみるみる上がり、配当が出て再投資され、しかしいつの間にか下がり、10年以上たった最近売り払った。
あの時スクウェア株にしておけば、などと考えたりするんだが、いざ自分で証券会社の口座を開いたとき、「絶対に時代がくる!」と思いつつもアマゾンの株も怖くて買えなかった。
代わりにS&P500に投資するETFと、中国の資源株を買い、あとは専ら日本株ばかり買っていた。
基本的に、売買益を狙うというわけではなく、この会社はきっと伸びるとの想いで買うわけなので、上がろうが下がろうが売買するべきではないのだが、日本株はリーマン・ショックやドバイ・ショックと、暴落のたびに狼狽売りをしてしまいずいぶん損を出した。
他方、外国株は取引が億劫だったせいで放置され、今では数百万の含み益となっている。
リーマン・ショック後に上場されたGoogle株も、怖くてたった10株しか買えなかった。
次こそ勇気をだして
「コレだ!って思う会社の株は思い切って買うぞ」