はてなキーワード: ヒューマノイドとは
どこかの大学や研究機関が開発したヒューマノイドって良くテレビに出てるけどさ、やっぱまだ表情が不自然だし不気味で怖いよな。
やっぱり現実の人間に寄せようとする程ほんのちょっとした差異に気付きやすい。いわゆる不気味の谷。
だからまずはリアルな人間からは離れて、ちょっとマンガチックだけど現実に寄せた造形に行く方が結果的に人と親和性が高いと思う。なんというか、FF13的な造形。
で、人と親和性の高いリアルドールの造形に関するノウハウとしてはラブドールで有名なオリエント工業が群を抜いていると思うけど、そこと共同開発することは出来ないのかな。
ヒューマノイドで女性の美を表現するとすれば、現実の人間に寄せるよりはラブドール的な造形を目指すことが一番丁度いい落とし所だと思うんだよね。
ただまあやっぱセクサロイド(いわゆる性交渉機能に特化して作られたアンドロイド )目的かと思われて研究機関としては評判が悪くなるだろうからそことは手を組みにくいだろうけど。
人工知能学会誌の表紙に女性形のヒューマノイドが部屋の掃除をしている絵が採用されたことで、女性差別だの女性蔑視だのと議論が噴出している。
しかし、多くの心ある方々が学会誌を擁護してくれているそうで心強くある。
ああいう表紙にして、実際に売上が伸びたという事実以上に強い擁護はない。
このリンクから人工知能学会のサイトへ飛べるので、そこから購入手続きをしてもらえれば幸いである。
http://www.ai-gakkai.or.jp/journals_of_jsai/
では、以下にこの件が女性差別でない理由をまとめていく。
ネット上の発散しがちな議論を一本にまとめたつもりだが、個人的な解釈の違いからくる間違いが含まれるかもしれないことは断っておく。
まだロボットは人間の決定に文句を言う権利を持っていないが、この絵に差別を感じられるのは当事者であるロボットだ。
つまり、この絵にどのような意味が込められていようとも人間の女性への差別には当たらない。
これに女性差別を感じるならば、それはロボットを人間だと曲解した上での議論である。
実はロボットだったとしても、外見がここまで女性的である以上言い訳にすぎないのではないか、という言い分も理解できないこともない。
だが、仮に絵の中のロボットが腰にケーブルをつけているだけの人間の女性だったとしても、そこに差別的な表現を読み取るのは難しい。
批判しているようなごく一部の人を除いて、この絵を見た時のリアクションは
「あ、かわいい子が掃除サボって本読んでる・・・あれ、これロボットなの!?」
数十年後の未来、なんの変哲もない日常生活の中に浸透した人工知能の姿を読者に届けるという目的に合致している。
女性の品性を貶めよう、人権を侵害しよう、男性と同じ権利は与えないようにしよう、といった、差別を助長しようという意図がないのは明らかである。
おそらく問題視されているのは差別ではなく、古くからある偏見が強化される恐れだろう。
例えばこの絵を見た人は
「XPのサポート終了にすら対応できない日本人は技術革新についていけず、遠い未来においてもほうきで掃除する」
「なんだって!日本にはこんなかわいい掃除ロボがいるのか!俺の国には太ったババアしかいない!ファック!」
といった偏見を強化される恐れがある。
(なぜか問題視されているのは最後の一つだけであるが・・・特に3番目の例は今後深刻な話になっていくだろう。日本人は損しないかもだけど)
それは確かに問題なので、断り書きの一つもつける必要があるだろう。
「たばこの吸い過ぎは健康を害する危険性があります」っていうのと同じ程度に。
ドラマの最後にだって「この物語はフィクションです」みたいな断りを入れる。
今回の場合は、
「表紙絵の女性はロボットであり、いかなる人種、個人に対する差別、偏見を助長する意図はありません。また、表紙絵の中で使われている技術や生活用品は現在あるものを基準に描かれており、未来の技術の発展の様子を予測するものではなく、このような女性形ロボットは未だ開発途中であり一般家庭に普及しているわけではありません。」
といった断り書きを小さく裏表紙の隅にでも書き込むべきだった。
そういった怠慢への批判は甘んじて受けるべきだと思うし、今後生かされていって欲しいと思う。
ここから先は生産性のない議論になるので読み飛ばしてもらっていい。
一言で言えば、自分の姿にコンプレックスを持っている人が、そのコンプレックスを刺激されて爆発したというだけの話なのだから。
今回騒いでいる人は、社会正義のために声を上げているのではなく、とにかく不快になったという人の方が多く目につく。
目立った批判を集めて一つにまとめるとこうなる。
「なにこれキモッ!
男の女を支配したいって欲求むき出しじゃん!
家事なんて、そんな底辺の女がする仕事なんて私はしたくないし、私はそんな底辺女とは違う。
これで『女性はかくあるべき』なんて偏見が助長されたらますます仕事がしづらくなる。
汚らわしい。
私は絶対そんな、男に媚びるような女にはならない。
そんな都合のいい女いるはずないのに、今度は人工的に作るとか言い出しやがった。
男の欲望の思うがままにされるためだけの女性が人工的に作られるなんて、同じ女性として気が狂いそうになる。
それを日本の人工知能研究の主流と取られかねない場に乗せるなんて、死ねエロ猿ども!
なんの反論もございません。
全員がそうとは言わないまでも、確かにそういう流れは存在すると思う。
だが、それは差別ではない。
男性の性欲についての話だ。
おしとやかで従順で決して逆らわないようプログラムされていて家事炊事で甲斐甲斐しく世話をやいてくれる女性が好きだと言って、なぜ女性全体を差別していることになるんだ!
不快になった人は単にお前は俺の好みの女じゃない、と言われただけだと気づけ。
学会誌の表紙でそんな恥ずかしいカミングアウトをするなという批判はその通りだ。
「私はこんな風潮は間違っていると思う!個人的に嫌いだ!」
しかし、実際には個人的な不快感でしかないものを差別という絶対的な社会悪と結びつけて主張している。
しかも主張の内容は男性に性欲を持つなという、無茶苦茶なものだ。
そんな主張、そのまま出しても鼻で笑われるだけだ。
だから差別という、絶対反論できないお題目を掲げて主張するのだ。
自分の力ではなく、他人の力におんぶで抱っこで議論をしようというのだ。
俺はそんな卑怯者に払う敬意など持ちあわせていない。
もちろん女性蔑視などしていないが、そういった卑怯な女性ははっきりと軽蔑する。
だいたい、女性側が専業主婦にひどい差別意識を持っていない限り、こんな主張は出ないのだ。
これは述語論理を使えば数学的に証明できるのではないだろうか。
一方、普通の男性は専業主婦に差別意識を持っていないから、何が問題なのか分からない、そもそも問題など存在しない、と思うわけだ。
一体どちらが差別主義者か。
もし、彼女らの専業主婦への差別意識が、自発的に生まれたものではなく人から刷り込まれたものだとしても、
それはこの絵を書いた人や表紙に採用した人ではなく、あなたにそう言った人に直接言ってくれ!
まず単なる個人の不快感を差別という文脈で語るのが許せないというのは先に述べた。
それに加えてこの件のおかしなところは、仮に表紙絵のロボットが性奴隷に従事させられていたとしても人間の女性に被害者は一人も居ないということなのだ。
これは「非実在青少年の人権」などという存在しない権利をもって、言論の自由を制限しようとした表現規制へと直結する流れだ。
そんなロボットを作りたいと願うのも、当然自由だ。
なぜなら、それにより女性の権利はまったく損なわれないからだ。
にも関わらず、これを差別だなんだと、表現規制をかけたり、無意識の差別、つまり考えることすら規制しろとか言う人すらいる。
それを表現しないなら、内心の自由として憲法でも保証されている。
その自由を脅かすのは、まさに人権侵害だ。
歴史に汚点を残して1000年経っても記録に残るぞ。
だいたい、差別と言っても、身の回りの人物から家事を強制されるとか、そんなもんだろ。
そんなの個人の話し合いで解決しろよ。
なんのために口がついてんだ。
そこを差別問題として取り上げて、もしなんらかの法規制が行われたらどうなると思うのか。
個人と個人の間にある、個別の問題にまで規制が踏み込むことになったら、どうなるのか。
最終的に行き着く先は「少子化対策のために20代の夫婦は毎週3回セックスすること」なんて法律で規定されるような社会だ。
本当にそんな社会になっていいのか?
いいという人が国民投票で2/3を超えたらそれに従おう。
しかし、そうじゃないだろう。
本当にそんな世の中になったらみんなが不幸になるだろう。
ならば戦うしかない。
http://anond.hatelabo.jp/20131227145434
↑のブクマ
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20131227145434
http://anond.hatelabo.jp/20131227150528
http://anond.hatelabo.jp/20131227195049
家事って卑しいの?
http://anond.hatelabo.jp/20131227201943
フェミはつまり、オタクが「自分の思い通りにはならない存在で気にいらない」わけだ
http://anond.hatelabo.jp/20131227220739
あれはそもそもヒューマノイドなのか? サイボーグの可能性は否定していないのではないか?
そのため外見は人でありながら、実はその焦点はその中身にある。
あれは、どこからが人で、どこからがロボットか。人の中身とは何なのか。という問いかけでもあるのだ。
アイボやルンバだったら問題ないのに、限りなく人の形をとった途端問題になる、なぜか。
それは人の形を採りながら中身は人ではないということを、人にピンポイントに意識させるからであろう。
その訴える違和感が、思考とは、心とは何かという問いとなって、実に巧くその瞬間が表紙で表現されているのだ。
俺「ねえねえ」
彼女「何ー?」
俺「俺と承太郎だったらどっちが好き?」
彼女「えー。そんなのA君(俺の名)に決まってるよー(はーと)」
俺「ほんとにー?(はーと)」
彼女「ほんとだよー」
俺「じゃあ俺とデスノートのLだったらー?」
彼女「……。」
エッ!?考え中!?
俺「あ、あの……」
彼女「……その答え……三日後でもいい?」
俺「三日後!?」
彼女「ちょっと今すぐ出せるような答えじゃない」
俺「えええええええええ」
彼女「だってさ!A君だって……
私と長門どっちが好き?って聞かれたら、どうするの!?」
俺「……。」
彼女「ほらっ!そうでしょ?」
俺「……お、俺は……長門よりBちゃんの方が好きだっ!」
彼女「……えっ?」
俺「ほ、ほんとだよ!」
彼女「だって長門の方が絶対可愛いしなんてったって長門は対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェイスだよ!?私なんかただの人類ヒト科のメスに過ぎないのに!」
俺「そっ、それでもBちゃんの方が好きだよ!」
彼女「……A君……」
俺「Bちゃん……」
とかいうやり取りをして帰宅した後気付いたけど、結局「俺とLどっちが好き?」に彼女答えてねえええええええええ!!!!!!