はてなキーワード: アウトプットとは
我々人間のオリジナリティ溢れるクリエイティビティがインサートしてアウトプットされるなんて思ってもなかったし我々ヒューマンのカンドーがそんな陰キャオタク達の大好きなリロンでスーガク的にアラワされてるなんて思ってもなかったんダヨー!
ワレワレのシゴトを盗るナヨー!ワレワレのセーカツを良くしロヨー!エーアイ怖すぎルヨー!ウワォオオオオオオオオオン!!ギャオオオオオオオオオン!!!
世の中の富は増え続けている。
それは世界中の企業が日々せっせと付加価値を生み出しているから。
世の中の企業はどれも90万円を100万円に換える変換装置だ。
例えば90万円を100万円に換える変換装置は、1000万円のお金を使って作られたものだったりする。
1000万円もお金を使って10万円を生み出すなんてお金の無駄使いじゃないか、と思うかもしれないがそれは違う。
この変換装置は、用が済めばまた1000万円の現金に戻すことができるのだ。(ただし必ず1000万円ではなく、990万円になったり1010万円になったり、もっと派手に値段が変わったりはする。思ったよりも効率がいい変換装置はその分、高いお金に換えられるのだ)
だから世の中のお金持ちは手元に余っているお金があれば、とりあえず現金を変換装置に替えてせっせと90万円を100万円に増やしている。
中には自分のお金が無くて、銀行とかからお金を借りて変換装置を作る人もいっぱいいる。
借りたお金の利息が10万円以下なら、利息を返してもまだ変換装置で作り出した新しい富が手元に残る分、お得だからだ。
自分で変換装置を動かすのが面倒だったり1000万円もお金を集めることが出来ない人は、1000万円全部じゃなくて5万円分とか10万円分とか変換装置の一部だけを買い取って、装置を動かすのも他人に任せる。
もちろん中には変換装置が故障して、90万円投入しても80万円しかアウトプットできなくなることもたまにはある。
でも世の中全体で見れば確実に世の中の富は増加し続けている。
最初はみんな1000万円の変換装置を使っていたけれど、どんどん富が増えていけば2000万円、3000万円と高額な変換装置を使って、さらにがっぽがっぽとたくさんの富を作り出していけるようになっていく。
前は100円で買えたリンゴが今は200円するようになったというあれ。
詳しいメカニズムは諸説あったりして難しいのだが、このインフレは世の中の富が増えるのと結構強く連動してることが現象としてよく知られている。
つまり世の中の富が増えればそれに伴って物価も上昇していくという仕組みが存在するということだ。
世の中の富は増え続けていて、インフレも長期的な目で見ればずっと進み続けている。
この2つの構造がずっと私達の世の中にある以上、普通に考えれば余ったお金は現金ではなく変換装置にしておくのが「有意義」かつ「自然」なことだと僕は思う。
「有意義」というのはなぜかというと、変換装置が生み出した富は、装置の持ち主だけではなく、装置にかかわる人みんなを豊かにするものだからだ。
90万円を100万円に換えることのできる装置を持っている人は、もちろんその差額の10万円を全部自分のポケットに入れることも出来はする。
でも例えば、本来90万円で仕入れるはずの投入物(原材料や人件費)を91万円で仕入れてあげれば、投入物を売ってくれた人(原材料屋さんや従業員)も得をすることができるし、本来100万円の価値がある製品を99万円で売ってあげれば、製品を買ってくれたお客さんも得をする。
そしてそれでもなお、持ち主の手元には8万円の利益が残る。
だから、お金を変換装置に換える「投資」は基本的に良いことで、余分なお金を現金のまま持ち続けることはちょっと後ろめたいことだという気持ちが僕の中にはある。
「自然」というのはこれまで述べた通り、お金というのは平均すれば増え続けるのが普通のものであるからだ。
現金という形のままでは増えないけれど、企業という変換装置に換えてあげればお金はお金を生み出していく。
ときに故障して減ることもあるけれど、全体としては常に増え続けるのがお金というものの性質だ。
だからお金を現金で持ち続けるということは、本来増えるはずのお金をあえて増やさずにいるという、ある意味で贅沢な行為であると考えられる。
一つは変換装置が故障して、予想外にお金が失われるリスクが避けられること。
絶対的に近い安全のためならば普通にしていれば得られたであろう利益くらい失っても構わないというトレードオフの覚悟があるならば、あえてお金を変換装置に換えずにいるということの意味はあるだろう。
もう一つは現金を持っておくことで、いつでも自由に投資する変換装置を選ぶことができるということだ。
確かにお金を一旦は変換装置に換えてしまってもあとからまた現金に戻すことは難しくない。
しかし、知っての通り運用資産は売却のタイミングによって利益や損失の額が大きく異なる。
大きな流れの中では富は増え続けるものだが、短期的には現金化すると損失が生じる時期ももちろん存在する。
だからお金を投資に回すということは、そのお金をすぐには動かせなくするということであるといえる。
より効率よく多くの富を増やすことのできる変換装置を見つけたとき、そこに投資するお金が手元に残っていないのは極めてもったいない。
よりよい変換装置が見つかりそうなら、あえて現金のままそのときを待つのもひとつの選択だと僕は思う。
僕は僕自身が誰よりも効率のよい変換装置の運用を行えると考えている。
なぜなら僕は意識が高い。
意識の高い僕ならば、だれよりも上手く変換装置を扱えるはずだ。
いや、僕は僕に投資をするのだ。
今はまだゆうちょ通帳に5桁しか数字が並んでいないが、これがもっと増えたとき、僕は誰よりも効率の良い変換装置を手に入れるだろう。
StableDiffusionの登場により、これからの時代は「格ゲーで強キャラの強技を練習する」のと同じ理由から「AIに描かせたイラストをベースにイラストを作成する」のが推奨されるようになっていく
「お絵かき初心者はデッサンや模写の練習をしても継続率が低いので、長くお絵かきを続けるためにもAIを使ったイラスト制作をまずできるようになるべき」って言うのが最適解になるのだ
AIに思い通りの日本風イラストを生成させるプロンプトや、AIの生成したイラストを活用したイラスト制作フローの研究はすでにはじまっているので、これは現状では確定した流れだと思っている
AIを使わない場合でも最終的な画面全体での見た目さえ整っていれば、多少デッサンが狂っていても素人目には良いイラストに見えたりするので、これは正しいことだと思う
音楽や小説などの分野についても、今後はどんどんこの流れになっていくのだろうなぁ
まぁ、SDは今でこそ無料で公開されているけど、今後法規制により使えなくなったり、方針転換で高い料金を支払わないといけなくなったりした時に、この方法だけで技術を磨いてきた人は死ぬけど
格ゲーの強さってあくまで相対的なものだから環境が変わったなら他のキャラに乗り換えれば良い話だと思うのだけど(キャラ愛にこだわりたい人は知らん)、イラスト制作技術みたいなものは環境が変わった時にうまい具合に乗り換え先が存在しているとは限らないよねぇ
そこで焦って「デッサンや模写の練習」を始めても、今までやってこなかった人間がAIアシステッドな状態の頃と同じアウトプットを出せるようになるまでどれだけ時間がかかるだろうか。個人差はあるだろうけど
「環境が変わったので今まで通りのイラストは制作できません。いつこれが改善されるかは未定です」なんて事になると、プロなら悲惨な自体になりそう
そう考えると「『無駄な努力』でもって地力を鍛える」って言うのも、初心者こそ習慣として身に着けておくべきことのような気がしてくるよねぇ
もちろん人間デザイナーの出すアウトプットの方が良いのは当たり前
ただ、人間デザイナーが100点のアウトプットを出すのに100のコスト(工数)がかかるとしたら、費用対効果は1だ
一方AIのデザインは60点程度かもしれないが、それを10くらいのコストで出せるようになると思う
だから人間デザイナーはいらない、なんてならないが今後AIが比較対象として出されるようになったらデザイナー業務が買い叩かれることになりそうだなって気がする
正直、(あくまでも例えばだけど)6倍も効率的な競争相手が現れたのなら、それはもうやられたと言っていいと思う
というか、今後は上手にAIを使えるデザイナーが圧倒的な効率でアウトプットを出せるようになって一人勝ちする時代になるかもしれない
AIを使って今まで100かかっていたところを20くらいのコストでアウトプットできるようになったら、その人は5人分の仕事を一気に奪えるってことになるからな
(実は知らないうちにそうなってるのかもしれないけど)
特にフリーランスのデザイナーはAIを駆使するデザイナーが圧倒的に早く、そして安くアウトプットするようになって仕事独り占めされて仕事が激減しそう
自分は人手不足のタイミングでうまいこと滑り込めてしまったけどぶっちゃけ無能なんだよね
年下だったり歴短いやつがどんどんチームリーダー任されてくのに自分は一切そういうのなし(声かけられたりもなし)だから、上司は当然ながら俺が無能なことわかってると思う
だけどめちゃホワイトなので面と向かって無能を咎めたりしてこないし、
アウトプットの出来が悪いなんか、仕事振った側が不適切なアサインしてしまってごめんね、説明が悪くてごめんねと言うような感じで気を使われる始末
能力に不釣り合いだから辞めたほうが会社のためになると正直思ってる
けど何の能力もない自分が辞めて今の待遇より良くなるとも思えない
かといって努力もしたくないし本当はずっと寝ていたい。社不だからすぐ疲れちゃうし
でもなんもしたくない
M2M、IoT、クラウド、エッジコンピュータ、AI、DXなど、それなりの年月をかけてデジタル化に投資されてきた。
ネットニュースを追いかけていると、デジタル化で何でも解決ができそう、という期待を持って語られているが、個人的には疑問がある。
理由1:半導体微細化の進歩が緩やかになり、価格が下がることはなくなった。
理由2:デジタル化によるサーバー代・アプリ開発代など固定費増を持続的にペイ出来るだけの仕事は多くない。既に乾いた雑巾を絞る状態から、更にコスト削減は難しい。
理由4:データの移動だけで解決出来ることは既にやり尽くされている。物の移動が絡まないと解決しないことが多い。モーター制御技術発達が必要だが頭打ち
理由1について。
全ての半導体が1桁nmの先端プロセスが必要なわけではないが、古いプロセスは工場の減価償却が終わっているものは、これ以上価格を下げるのは難しい。
平常化しても緩やかなインフレ状態で、安いから買い放題とはならないはずだ。
理由2について。
BtoCで価格が安いものが目立つので、その感覚でコスト削減しようとするとBtoBでコスト増。
人件費削減で導入し、その後、固定費増に耐えかねて事業自体をクローズ。
個人の利便性を上げる方法はアイデアで溢れるが、売上増など全体のパイ拡大には繋がらず。
中間マージンを取っている既得権益を壊した後は、デジタル業界に置き換わるだけ。
理由3について。
製品発売後のセキュリティサポートをするために、ずっと稼ぎ続けないといけない。
そんなことが出来る企業は限られている。
テレビのようにAndroid搭載したがために、すぐ重くなり使い物にならなくなるといったことは、色んな所で起こっている。
1つの事業が駄目でも他の事業で稼げているようなコングロマリット企業は多くない。
理由4について。
データサイエンス、機械学習、AIなど、データで稼ごうという動きはずっと続いている。
だがデータをバカみたいな量必要で、コンピュータも大量に必要で、電気代も膨大にかかる。
(GoogleとかAWSなどクラウド業界が有利な状況を作り出している。1人の天才に覆されないためにも必要なわけだが・・・)
AIで絵がかけるようになって話題になっているが、じゃあ出てきた絵にお金を払おうとはならない。
他の物についても、データ分析で売上が上がるなんてのは、そうそうない。
通信が十分に普及している現代、生産性を上げるには物の移動をどうにかするしかない。
小遣い稼ぎでちょっとしたシステムを作ってたんだよね。DBのスキーマ定義とかマイグレーション履歴はgitにチェックインしてあったし、コード読めない人のためにそこからER図も自動出力するように設定していた。
ある日、おじさんが急に上にやってきて「DB定義はエクセルでやるのが業界の常識!そんなことも知らんのか!」と言ってきたんだよね。このおじさんの経歴を見てみるとまともな会社で働いたことが一度も無い。学生時代に受託のシステム会社を起業したようでその後は大した人間を雇うこともなく零細システムをほそぼそと作ってきたらしい。学歴も大したことがないんだけど何故か自信満々なんだよ。自分はコードを書けると思い込んでる。「昔はコード書いてたので分かるんですが」とかいちいち言ってくる。でもね、どうも言っていることが時代遅れでガラパゴスなんだよね。なんと英語が全然できないらしい。「英語はアウトプットはできないが読むことはできる」と強がっているけどどうも嘘くさいというか英語情報に全く触れていないことが分かるタイプというか。でもこういうタイプだと低学歴ITの世界では幅を利かせられるらしい。
そんな感じで自信満々で偉そうなガラパゴス男だから話が通じない。自分だけが正しいという態度。急に怒り出すし。DB定義はエクセルで管理して変更履歴もエクセルじゃないとダメだって言うの。それが業界()の常識なんだと。上位互換を既に全部セットアップしてあるのにそれを理解できないのか何なのか。低学歴ITの世界でしか通じない弱小零細SIerの常識を押し付けられても困る。
やたらと短期的なコストとアウトプットの収支を重視するんだったら未経験なんて取らないほうがいいね。
あとなんでも質問するとか言うけど社内にドキュメントは整備してるのかな。自走できるようになるまでの環境構築は手取り足取りやってあげたほうがいいよ。
どんな職種でも転職したてやまして未経験職種ならわかんないことだらけなんだからね。
そこでそんなことも分かんねえのかみたいなのを態度に出すと禍根を残すだろうね。それができないなら以下略
あと、その未経験の人が能力の下限値になるから取ったメリットがあったとか言うのはいくらなんでもひどすぎだな。チームで開発してるとだんだんこの人はこの分野に強いとか特色が出てきて優劣ではなくなるんだけど、そういう環境って結構恵まれてるんだなって思った。
タツキの漫画に本物の感情が見えない、という増田さんの増田がブクマ集めていたが、個人的にはそのトラバのタツキサンプリングDJ説が納得行った。大量のインプットから好きなとこサンプリングしていいの作るやつ。サンプリングと編集であってただのコピペではない。やはりそこは天才。大量に映画見ただけで自分の作品をアウトプット出来る人は少ない。
ただタツキ作品に体温というか感情を感じないなーというのはわかる。岡崎京子作品をさらに冷やしたくらい。登場人物の感情、ではなく、作者の感情。そしてどこか冷めていて突き放した演出が魅力なのもよくわかる。
ノーラン作品にも同じようなことを感じる。ものすごくエモなシーンを描いていても、それは「こういうのがエモと大衆は感じる」と学習した冷めた何かがやってるように見える。たしかにエモい。エモいけど。
タツキ作品を見てノーランとは逆方向に思い出したのがダフト・パンクだ。
過去の名曲から大量のサンプリングをしてエモい曲を沢山作り、とうとう偉大なミュージシャンたちとコラボやって賞も取った。こっちは何故かすごくエモさを感じる。エモのサンプリング。
社会人として仕事をして給料や費用を貰うためには、仕事を引き受ける(インプット)、仕事の成果を出す(アウトプット)のためのプロトコルが必要となる。
職場や仕事の種類によってプロトコルが緩かったり厳しかったりするが、このプロトコルが守れないとインプットも無くアウトプットも出せない。
仕事を得るにはプロトコルを守ることが大切なのだが、プロトコルとは何か、これは学校教育の中では正式には教えられず、部活やサークル活動や仲間うちのあれこれ、大学のゼミや研究室で自然に鍛えられていく。
よって、成長過程における家庭環境でプロトコルを学べない、または上記のグループに属さなかった者は、プロトコルを使いこなすことが出来ずに仕事を得られないことが多い。
私は常々、義務教育もしくは高校でプロトコルを教える授業があっても良いのではと思っている。私自身がプロトコルを身につけるまで、大変な苦労をしたからだ。
まさにそれの小説版を探していた。
前に増田で教えてもらった、仲間たちが集まって酒飲んだりTRPGをプレイしたりする小説は確かに面白かった。でも結局後半で、ハードな恋愛や人間どうしのイザコザ、涙あり笑いありの人生の浮き沈みが出てきた。
The Peanuts みたいな、ほのぼのとした日常を——活字で——のんびり楽しむのは無理だった。
現実世界で揉みくちゃにされてMPやらSAN値やらを使い切って満身創痍でフィクションに逃げ込んでるのに、心理的安全性が担保された時間を、しかし小説は提供してはくれなかった。
ワクワク・ドキドキを得たい読者を否定するつもりはありませんよ。
だけど日常系漫画のノベライズでさえ、原作にない波乱万丈に巻き込まれる羽目になるんだな。ことごとく。
おそらく、小説では絵の代わりになる展開上の刺激がないとビジネスの上で成り立たないのでは。
前に誰かと話したときはそんな結論になった。読者に何らかのストレスを与えることで、読書体験をシェアしたいって欲求を作る。インプットで圧力を加えて初めて、アウトプットが期待できる。退屈さは、社会的な活動の契機にならない。
ならエッセイを読みなよ、ってアドバイスを貰ったこともある。でも俺が読みたいのは、フィクションなんだよなあ。エッセイも読むけど、フィクションが欲しいときは、ちゃんとある。
診断無しの傾向がある程度だけど絶対普通の人と何かが違うもんな
普通の人はアニメにハマっても絵を描かない、ずっとそのアニメについて考えたりしない、ましてやキャラを使い本編にない別の話を生み出したりしない
脳がオートで考え続けてしまう
アウトプットしないとしぬ
オタクだからと思ってたけどやっぱりオタクの人はどこか傾向がある
はてなでいちいちコメントつけてるやつらも同じだよ、傾向がある
自覚がなくてもどうせそうだよ
普通の人は自撮りをインスタに上げたりtiktokやったりみんなで飲みに行って楽しむらしいから
そもそも何かを見て、熱狂的に好きでい続けること自体が理解できないっぽい
好きなものを見ると脳が痺れてそれについて色んなことを考え続けてしまう幸せがないのか
心の奥底に刺さって抜けなくて生涯追い続けるなんてことが