2020-04-17

じぶんのためだけに生きるの難しすぎませんか

誰かのために生きていたい.

無論,その「誰か」ってのは不特定多数の誰かでなくて,自分がその人のために生きたいと思える「誰か」.

というか,自分のために生きるの難しすぎひん?

三大欲求さえも結構辛くなってきている感がある今日このごろ.我慢してても困るのは自分だけだし,それを追求しても悦ぶのは自分自身.

すべての行為の結果が自分という枠を抜け出ていかないことに,飽きたとは違うけれども,なんかもうどうでも良くなってきている気がする.

誰かのためになにかしたときに,その行為によって誰かは嬉しいと思うかもしれないし,悲しいと思うかもしれない.

けどそれは,少なくともその時点においては,自分から行為がなければなかったものだし,そういう意味で結果が自分以外の環へと出ていっていると感じる(伝わるのかこの感覚?).

金持ちいくら金を稼ごうとしても満たされない感じ?

いくら札束があっても,それによって満たされることはない,みたいな.自分が与えた価値が形を変えて戻ってきているだけ?(でも価値を誰かに与えているからこの喩えは少し違うのかも)

「誰かのためだったらきっと頑張れる」という宗教に浸っているのかもしれない.というか,「自分のためだと頑張れない」と思いこんでいるのかしら,とも思い始めた.

頑張れなくなりそうなとき誰かのために!と思う支えさえあれば,なんとか頑張れそうな気がする.

「誰か」ってのは,つまり一般化すれば「困難なときの心の支え」のことであるらしい?


自分一人で頑張っている現在,心の支えがなくなっている.じゃあ私の心の支えって,何かしら.

もう少し若かった頃は「誇り」「プライド」「生まれ意味」みたいなところに帰着していた気がする.

こんなにウダウダ生きてて恥ずかしくないのか?もっとエリート意識を持って人々を~的な.

ここでも結局,私を支えてくれる「誰か」という結論になって思考が途切れてしまう.

誰か.

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