「立場」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 立場とは

2024-04-08

ラニーノーズファンnoteを発端に流布する「推し活かくあるべき」論

しゅんき氏の、ラニーノーズRunny Noizeに対するファンとしての失敗に関するnotehttps://note.com/syunki0910/n/n0bbc0a2e4b96)が話題になり、

それにより「推し活は、推し理想と違った場合は呑み込んで応援するか離れるかしかない」という言説が出回っているが、私は少し違う意見だったためその旨を記す。

 

まずはじめに自分スタンスを明らかにしておく。

以下はしゅんき氏が記事内で挙げた、何らかの推し活をするうえでのファンパターンだ。

 

好きな人に対して、好きすぎて狂信的になり、全肯定人間になる人
②好きすぎて、愛を拗らせて文句ばかり言ってしまう人

 

この2パターンがいて、両者は分かり合うことができないということには共感をする。そして本記事は、②であることが多い立場から発言である

 

また、こちらの記事https://note.com/syunki0910/n/n9e7ab2259c1c)の嫌われた原因の項目で書かれている、「自分の振る舞いはおかしなことではない」という点も、一部は理解することができる。

私のスタンスは、

・人には他人を傷つけたりその自由意思を妨げない限り、発言自由担保されるべきである

プロアーティストが生み出した作品に厳しい意見がつくことは(誹謗中傷言葉選びによっては許容されないが)ある程度想定されることであり、その発信自体は叩かれるべきではない

 

というところだ。

前置きが長くなったが、以上のようにしゅんき氏に一部共感するところがある人間視点から問題分析したいと思う。

 

1.言動自由が認められるのは、ファンアーティストも同様である

 

しゅんき氏は、noteの中で、「人がどんな感情を持つのもどんな行動をするのも、基本的には自分勝手である勝手に人に感動したり怒ったりするのだ。誰でもそうだ。人間はそういうものなのだから別になんの問題もない。」と述べている。この一文はまったくその通りである。だから推しに不満を持っていても、不満を吐き出しながら応援する」という行為自体問題はなく、「推し活は~すべき」ということには当てはまらない。

特に規模が大きいアーティストになればなるほど、様々な葛藤を抱えながら応援しているファンはいる。私が今回記事を書こうと考えたのは、冒頭に述べた「推し活のファンの在り方二元論」に異議を唱えたかたからだ。あのような言説が広まると、多くの葛藤するファンが「自分推し応援する資格はない」と自分を責める原因になりかねない。「どんなスタンス応援しようと自由」なのである

 

ただし、それはアーティストも同様であるということだ。

今回、しゅんき氏は、以下のように述べている。

 

僕はあまり媚びずに正直に意見する。
向こうは仕事なので、客から意見は聞かなければならない。
聞いて受け入れなければならないが、
必ず反映させる必要はない。
場合によっては、「それは誤解で、こういう理由があって、こういう思いがあって僕たちはこのような行動に至りました」などと釈明しても良い。
ただし、
「客の意見は一切聞かない!!褒める時だけ喋れ!!」というのはあまり傲慢である

 

これは、「アーティストはかくあるべき」という押し付けであり、アーティスト個人に対する自由意思の妨げである

もちろん、客の声をよく聞き向上に努めるスタンスは、商業的に正しいとされる。これがたとえば、利益創出を目的とした企業それ自体相手であれば、もう少し理屈は通る。しかし本件の相手アーティストとはいえ個人である。私は洲崎氏という方を本記事で初めて知ったが、どういうスタンス活動するかは自由であり、それが利益に繋がるか繋がらないか、繋がらない場合どうなるかはファン判断することではなく、本人自身所属会社が考えることである

存じ上げないうえで例とはいえこのようなことを述べるのは申し訳ないが、たとえば「今はコントより音楽活動比重を置きたい」と思っており、作品の完成度が低くなった場合も、それはアーティスト自身自由である

しゅんき氏が「ファンとはこうあるべき(たとえば本人が提示していた①のような全肯定であるべき)」「作品への不満は言ってはならない」ということを強要されるのをおかしいと思うことと同様に、人の創作活動アーティスト活動強要することはできない。

しゅんき氏がそれを傲慢だと述べるのも自由だが、洲崎氏が傲慢と思われても構わないと思うこともまた自由なのである

 

2.自身理想への解像度を高め、相手は変えられないことを前提とした行動をする

 

しゅんき氏の初期のnoteの中には「自分はこういう人間である」という記述、そして自分がなぜ間違っているかからないという記述があった。

1でも述べたとおり、間違っているわけではないという点は共感する。ただし、その自分を周囲が受け入れるべきだと考えると、それは今回のような事態を生む。

 

見る限りしゅんき氏のなかには2つの欲求理想(細分化すれば3つ)の状態があると思う。

 

1つは、アーティストと良好な関係を築き、ライブに参加し続けること(これは2つに分けられる)

もう1つは、SNS上で忌憚なく自由発言をすること。

 

この2つは、現状の方法では両立することが困難である。そして氏は両立できないことについて、「相手が譲歩し両方の欲求を満たしてくれるよう振る舞うべき」だと考えている。

ここが今回の一番の問題であると考える。よく言われるように他人は変えられない。だから自分がやり方を変えるしかないのだ。

 

そのとき方法はいくつか考えられる。

 

SNS上の振る舞いを改め、嫌われないような言動を心がける

SNS上の振る舞いを優先し、良好な関係は諦める。現場では交流を求めず作品だけ楽しむ

③完全に降りる

 

そして、④は(今からはもう難しいかもしれないが)、「欲求が両立する方法を考え、折衷案的振る舞いを見つけること」だ。

 

これは会社にたとえるとわかりやすい。

自分にはやりたい仕事があり、就職することができた

しか職場仕事の進め方が合わなかった

 

こういった場合、人は④の方法を取ることが多いのではないだろうか。

・この職場自分仕事の進め方を浸透させた方がいいと考え、同僚には仕事の仕方を合わせてもらえるよう交渉する。後に実績で報いられると信じ、その場の人間関係軋轢覚悟する。

・合わない場所にいることはしたくないが1年ほどは我慢できそうなので、転職のために1年は必要な実績を積むことにする。そのために時に妥協し時に我を通すなど状況に応じて変える。

・人と良好に働くことを優先したいため、同僚の進め方に合わせる。関係を構築してから徐々に自身意見を述べるようにしていく。

 

以上の違いは、「進め方へのこだわり」「実績」「人間関係」様々な要素がある中で何を優先するかだ。自分価値観点検し、どこにどれだけ比重を置き、逆にどれが不足していると耐えられないか、どれくらいなら耐えられるかを見極め、自分にとって心地の良いバランスを探っていく。それが人間関係であり人の営みではないのだろうか。

 

ここで、すべてを満たそうとただ声高に叫んだところでそれが叶えられることはないだろう。しかしゅんき氏は、自分欲求すべてが同等に叶えられるべきであると考えている。

欲求複数持つことや叶えようとすることは問題ではない。問題は、他人環境は変えられないという点への無自覚さと、自分の中の優先順位不明瞭なことである

自分にとってもっと理想的な状態は何か。それが実現するためにはどのような振る舞いが適しているかを「相手が変わる」という選択肢を除き、「自身妥協点」や「自身が新たに身につける思考や振る舞い」を考慮したうえで計画し、実行に移す。

 

こうした行動が、氏には必要だったのではないだろうか。

 

とはいえ、まだ若い方が以上のようなことを考えて振る舞うことは難しい場合が多いだろうと思う。

そしてこうした振る舞いを自身が二十歳そこそこの時に身につけていたかというとはなはだ疑問であり、だからこそ私は、こうした記事を書いている。

擁護ではなく、この記事もまた、私のお気持ち表明だ。

 

推し活・ファンはかくあるべき

 

なんてものファンダムのなかの「べき」論は幻想だと思っている。ただそこは人の営みであり、アーティストも含め、心の通う、自分と違う人たちが多くいる場所だ。

迎合を覚えろという意味ではなく、ただ、自らの思い通りにならないことを理解したうえで、なるべく心地の良い落としどころを見つけていくこと(あるいはそれを試すこと)を、私は若い方に推奨したいのかもしれない。

anond:20240408151842

ASD解雇事由に気軽にできないよ

普通に職務規定違反もなく普通に就労して仕事ができているのにASD解雇事由にしたら差別に当たる

本当に人雇う立場なの?それともこんな低レベル人材が人を雇う立場についてるの?

怖すぎるんで

人事とか人材管理の専門部門ないの?

anond:20240408150200

雇う立場だろうが雇われる立場だろうが発達障害は色々と問題の種になるので、確認できるなら確認しといた方が心構えもできてええやでという話では? 人を雇う側の割には見通しが甘いね

anond:20240408145847

しらんけどASDであろうが人を雇う立場に立てているのだから何の問題もないよね

増田とかブクマカとかって

なぜか仕事できる人の立場から語りたがるよね

仕事できる人がこんなところにいるはずないのに

2024-04-07

強襲者は強者たれ

被害を訴えるにしろ、正当な論戦を張ろうとしようとも、自分は鬱だとか精神障害だとかいかに自分は「持ってない」かだとかをつらつら並べちゃダメなんだよ。

まずはその盾を捨てろ。攻めたいんだろ?なら矛の両手持ちしかねーよ。自分弱者です~ってバリア張りながら相手は打倒したいだなんて傲慢がすぎる。

強者しかできない。弱者は黙るのしかないのか。なんて話じゃない。主張したいなら、お前のその関係ない属性はいったん脇に置いとけ。余計な色を付けるな。

そういう仕草が望むか望まざるかわからないが体に染み付いてしまっているのには同情する。普段生活ならその行動様式は大いに役立つのだろうさ。だけど攻める立場に立ったのなら、逆効果だよ。卑怯者だよ。哀れさを餌に自分を有利にしようとしてるだけ。無意識でも悪いし、でも多分意図的だよな。

いい年した人間からするんだけど、いい年した人間からやめようぜ。

お前の松葉杖はいったん置いて、主張の一本足打法打席に立て。

anond:20240407180659

権力がどうこうはパワハラだろ

パワハラを利用したセクハラはあるが、社会的立場が下の者が上の者にセクハラすることもある

公務員福祉で関わった重度障害者セクハラされるなんてよくあることだよ

公務員のほうが上の立場だけどセクハラセクハラ

新入社員上司金玉さわったらセクハラ

追記新人が入ったら職場の1人がおかしくなった

面接したとき大人しくて真面目そうだなと思って採用したパートさんが、新しいバイトが入ってきた途端に偉そうに振る舞うモンスターになった。

新人くるまではその人は特に変なところはなかった。

そのパートさんは自分より先に職場に入った人達に対してすごく大人しいのに、新人に対してはアゴで「アレもってきて!」「さっき言ったじゃん!」「遅い!」とかキツい言葉が多い。なんか今まで見たことないくらいイキイキしてる。

「まだ入ったばかりの人だから優しく接してあげてね」「自分仕事に集中してね」と注意はしてる。なのに妙に新人のこと横目でチラッチラ見てる。多分何か注意してマウントとりたくてとりたくてたまらないんだろう。

そもそもそのパートさんは新人教育担当じゃない。(のに横からしゃしゃり出てくる)

自分より先に入った人達には大人しい(腰が低い訳ではない。挨拶の声も小さい。)

新人仕事できないわけでもない。むしろ若くてテキパキ動いてくれてる。

新人バイトが日に日に疲労の溜まった顔になっていく。多分今月末で辞めるんじゃないかと思う。

人を見るには自分より立場が弱い人間に対して丁寧に接してるかよく観察したほうがいい。

いくら人出不足とはいえ、こんなヤバい人を採用してしまった自分の見る目のなさに落ち込んでる。

追記

パートさんは30代独身女性

仕事ちゃんと出来ている

初対面では地味で大人しいと思ったけどどうやらこだわりが強く神経質っぽい

多分こういうタイプ進化してお局になるんだと思う

anond:20240407154250

このボヤッとした正論がChatGPTっぽいね

お互いの立場理解し合いながら、適切な利用方法を考えていく必要があります

前は、有料の資料や素材を買って絵を描くのが一般的でした。しかし、最近では生成AIを使って無料で絵を作る人が増えています

そういった人たちが、AIを使って絵を作っているにもかかわらず、AI部分的に使って絵を作った人を批判するのは矛盾していると思います

自分たち無料の素材(ネットにアップされた絵を勝手学習用の素材として使用)を使って売ってお金を稼いでいるのに、他人にそれを禁止AIではなく有料の資料を買って使えと批判するのは公平ではありません。

生成AIの利用は複雑な問題で、一概に良し悪しを判断することは難しいです。お互いの立場理解し合いながら、適切な利用方法を考えていく必要があります

ポン出し勢が、自分AIで出力した絵を参考にして描いた背景などがAI一部使用扱いになった作家を叩いてて、お前らにその人を叩いたり問題ない資料を買えって命令できる権利あるの?って思った

新入生「応援団に入りたいっす」 2回生「じゃあ第一応援歌やって」

新入生「わからないです」 2回生「じゃあ今年は不合格来年最終チャンスをやる。心を入れ替えたかどうか見てやる。一学年下と同格で最上級生の立場にはなれないが、魂があるなら、ユーチューブで覚えてこい」

新入生「はい!失礼します!」

友達は選べ」の不快感

「選ぶ」立場上から目線なのがどうも不快感なんだけどお前見て判ったわ。相手を対等に見てない時点で別れて正解 anond:20240407064847

anond:20240406144858

純粋に疑問なんだけど、いい歳こいた既婚のオッサンが「ちょくちょく婚活話題にする」理由ってなに?

あんたの人生に1ミリたりとも関係ない話やんか。

どういう立場からどういう理由話題にしてんのか知りたい。

2024-04-06

NHK理想的本箱でのびっくり発言

NHK教育テレビ理想的本箱 君だけのブックガイドを眺めていたら、驚くべき発言に衝突した。

小澤征爾さんのボクの音楽武者修行を紹介していたのだが、そこで、

ヨーロッパから帰ってきた後の小沢さんは不遇の時期を過ごし再度海外にいった。このころについて小沢さん自体未熟だったといっている」、

みたいなことをいっていました。

おそらくは不遇といっているのはN響が関わった事件のようなことを言っているのではないかと思います

かに小沢自体がそういっているのですが、しかし、それは振り返ってのことだし、ましてやNHKはなんの反省もないのか、

唖然しました。

さすが国営放送だけのことはあると。

歴史捏造するとはまさにこのこと。NHK立場からきちんとN響事件は総括すべきであると思われます

もちろんこれはN響だけの問題ではなくNHK自体問題も含めてということです。N響に対してのガバナンスということではいまだにどうなんでしょうか?

追記あり: 好きな人告白したのに返事がなくてつらい

相手は前の職場出会った人。

送別会の帰り道二人で話してて、やっぱり好きだなと思って酔った勢いメッセージ告白した。翌日返信が来なかったのでやらかしたと思って忘れてくださいと送ったら、昼頃に「今日ご飯行きませんか?」と言われ、仕事終わりに会うことに。普通に話していたけれど、解散する前に「メッセージの件何も言わないんですね」と言われてしまい、最終的に対面で告白することになった。彼いわく、「お酒のせいにして無かったことにするなら関係はもう続けられない(友人としても)と思っていた」とのこと。結果的にいい方に転んで良かったが、そんなことを言っても保留されているからつらい。即フラれて関係がぶっ壊れるのが一番嫌だったからそうならないのはありがたいけど、最近こちらがアプローチをする一択になっていて本気で毎日悩んでいる。

前の職場は人数が少なく、かつ男性は9割既婚者。残る1割も同世代ではなく、あまり関わりがない。私は大学卒業した4月から、1年間の契約でその職場で働いていた。まあ色々あって、9月半ばから立場業務内容が変わった。慣れない仕事に戸惑いながらもなんとか追いつこうと必死になっていたときに、件の男性と接近した。

彼は9月から再び働き始めたものの、前年度から仕事をしていた先輩だった。そのため職場の色々な決まり仕事をある程度把握していたので、困ったことがあったら聞いてくださいね!と言ってくれた。しかし彼は正規雇用ではない。故に職場には居づらかったことも多かった、と後に話してくれた。

私の職種はとにかく人を相手にし続けるため、時と場合でかなり忙しさが違う。特に私の勤めていた勤務地はかなり人の対応が多い地域だった。

私は当然パンクした。もう二度と立ち上がれないんじゃないかと思うぐらいパンクした。ぶっ壊れた。一人でいられる部屋に籠ることも増えた。そんな折、彼が手を差し伸べてくれた。

彼は親身になって私の話を聞いてくれて、「何か困ったらまた教えてくださいね」と優しく微笑みかけてくれた。いい人だ、と思った。彼の柔らかい雰囲気はとても好感が持てたけれど、その時既に恋に落ちていたかと言われると別にそうでもない。何を考えているかが全く分からなかったから。

時間が経って仕事にもやっと慣れてきた頃には、私の生活の軸の中に彼が存在するようになった。職場の人にもよく「付き合ってるんですか?」と聞かれたし、上司には「距離が近すぎてあらぬ誤解が生まれしまいかねない。少し離れて欲しい」と注意されてしまった。

私は仕事をこなす中で色々と彼にサポートしてもらうのが一番やりやすかったから、とにかく男女の雰囲気が出ないよう努めることにした。彼も上司から同様の注意を受けたらしく、一緒に帰っているときに「怒られちゃいましたね」と笑っていた。彼に不快な思いをさせていないように見えたのが救いだった。今思えば、この頃にはもうだいぶ彼を意識してしまっていたのかも知れない。次第に彼から仕事の後にご飯に誘われ、およそ週3回ほどご飯に行く仲になった。

二人で行動していると監視されたり、色々と嫌なことはあったが何とか1年間仕事をやり切った。その間何度も「付き合ってるんですか?」と聞かれた。話のネタとして面白いからという理由で彼にも何度か「また言われました」と話していたが、彼が「そういうことにしちゃえばいいんじゃないですか」と言うようになった。正直ドキリとしなかったと言えば嘘になる。

ただこの頃私には恋人がいたので、踏み込む勇気はなかった。恋人がいるのに恋愛対象になりかねない人とご飯に行くなと言われたらそれはそうなんだけれど、ひとっっっつもエロい雰囲気になんてならなかったから許して欲しい。一応異性とか関係なく、先輩後輩という意識が強い職種でもある。……全部言い訳みたいに聞こえると思うけど、実際多分言い訳。双方に対して不誠実すぎるので、相手への自分気持ちに気づいたときに別れた。

正直、めちゃくちゃ正直、だいぶ長い間、こっちが相手を好き!って言うよりあっちが私を好きだったと思う。職場の人たちにもずっとそう言われてきたし、そもそも人の好意って分かりやすときはだいぶ分かりやすいから…ああ、この人私のこと好きなのかな?と思うこともあった。

なのになんでこんな私がひたすら追う側になっているのか…………理解できない………………だからと言って冷めることは一切ないんだけれど…………………………というかこうなるまで恋愛に発展しなかったの、もしかして両方超奥手…………………………?私は性交渉経験がないので性交渉から恋愛に発展させる技術もないし、ずっと前から私たち関係って詰んでたのかな……………………………というかそういえば相手側が自分をどう思ってるか全然聞けてないな、はぐらかされてるかも知れない。好意に気づいてたかと聞いたら「貴方はそういう感覚がない人なんだと思ってた、割り切っているのかと」と言われ、「友人ではない。でも何かと言われると形容しがたい」と評価されるに留まっている。ちなみに私は「職場にいた時(業務時間内)は相棒だと思っていました」と返した。

どう思っているか聞きたいな……でも下手こき続けてるから「やっぱ無理だなと思ってます!」とか言われてしまうかもしれなくて、それが一番怖い。付き合えなくても友人(?)でいたい、それぐらい前提として尊敬できる素晴らしい人なんだ……どうすりゃいいんだ………………ウダウダ書いたけど聞きたいのはそれだけなんだよ………………誰か教えてよ………………………………………………あとどうやったら彼女に昇格できるのこれ

追記(?)した https://anond.hatelabo.jp/20240407114923

anond:20240406204017

えんな

お前は書き込む側で俺は採点する側

絶望的なまでに立場が違うということを受け入れろ

痴漢という単語過剰反応するの、弱者男性感あっていいよね

痴漢の話で誰かが盛り上がっていると、冤罪云々を匂わせて逆張りしたがる人いるでしょ?

からしゃしゃりでて何くだらんこと言ってんだろ、と思うんだが、本人は自分の弱い立場をどうにかして挽回しようと必死なんだろうね

こうでもしないと女にドヤ顔できないか

いや〜弱者男性かわいそう

ストリップ劇場で働きはじめた

スタッフの方

問題に感じてるんだがエッチという感覚自分の中にない

もともと動物の体が綺麗と思って好きでショーも動物の体として見てる

お客さんやってるだけならそれでもよかった 好きなもの見出してるだけでもよかったけど

なんか働くとかい自分社会的立場とか肩書を得るにあたってちゃんと考えようと思って

あと特にいま働いてる系列AV女優さん多いか

好きな系列劇場はそうでもないんだけど そのぶん踊り子さん自身感覚とかついてる客層も違うのかもと考えた

なんもわからんけど あと仕事に照明があるからできるならちゃん演目解釈をしたいか

それでストリップ歴史とかをいろいろ調べてるんだけども…

まず男性女性感覚が違いそうというのと

社会的に性産業がどうとか そういうのを考えなきゃいけなくて

すごいよくわからなくなってきた わからんという日記

ぶっちゃけ女性反差別は無理では?(小声)

「昔のフェミは曲がりなりにも『差別はよくない』って前提(お題目)のもとでいろんな所に加害して回ってたけど、

最近フェミは(男性トランスジェンダー、そして自分たちリスクだと感じるあらゆる属性への)差別積極的肯定するレベルまで堕ちてしまった」……って言われて、「言われてみるとそうかも」って思える人向けの愚痴です。

自衛のための差別をやめるつもりはない。パターナリスティック保護や慈悲的差別をたくさん受けたい!」という最近フェミニズムが、果たしてフェミニストに特有思想なのか、それとも広く女性全体の中央値なのか分からなくなってきた。

相変わらず、実際には女性男性差別しているシチュエーションなのに、「一部の男性性犯罪をするのが悪い!」と被差別側に“反省”を要求するケースはあまりに多いけど、

そこで差別正当化する人のことをフェミニスト扱いしてしまうのも、それはそれで『フェミニズム』をなんでも入れていいゴミ箱扱いしてしまっている。

フェミニズムは差別主義だ」とか「第n波フェミニズムは、差別主義親和的フェミニズムなんだ」とかじゃなくて、「そもそも女性は本当は反差別実践するつもりがなくて、

(かといって保守主義は“正しくない”というのが風潮だからフェミニズムが彼女らの受け皿になっている」と捉えた方が、もしかしたら実情に沿った理解なんじゃないか……?

万が一仮にそうだったとしたら、そりゃ反差別主義立場から知的誠実さの観点からも「女性(というジェンダー)は差別主義者で嘘つきのカス!」くらいキツく批判されてしかるべきだと思う。

けれどもそれ以上に、建前では反差別を唱えているけど内心では差別の保存を良しとする人が相当数いる状態で、みんなが建前だけを信じて「よし、みんなで差別のない社会を作ろう!全会一致だ!」になってしまうのも結構マズくないか

(たいへん厚かましくて不正義ではあるけれども)差別必要とする生の女性の声は、誰かにきちんと拾い上げられて「ここに差別必要としている人がいます!」と堂々と主張されるべきだ。

今みたいにコソコソと「これは必要区別から差別じゃなくてぇ…」みたいな欺瞞を繰り返すんじゃなくて。

anond:20240405215234

うーん。これは違うと思うなあ。

元増田が嘘をついてる、表現おかしいとかではなく、日本という国が罪を犯した人間に対して間違った接し方をしているという意味で。

他人相手気持ちを代弁して引き出してやるってのは、相手気持ち誘導する洗脳のような部分があると思うんだよね。

本人の中にある言語化出来ない違和感専門家勝手に推察してるやって態度がそもそもよくない。

まして相手地位権威があると、立場の弱ってる人間は今すぐ救われたいと相手の出した答にそのまま従ってしまう。

ちょっと極端な例を上げると

相談者「うーん……これは何かがおかしいっていうのは感じるんだよなあ……この人間ぶっ殺しゾーンっていうのがひっかるぞ……専門家相談してみよう」

専門家「ここからは私の推察になってしまうのですが、これはクソデカ力士が住んでいるのではないでしょうか」

相談者「なるほど!クソデカ力士が住んでいたのか!人間ぶっ殺しゾーンはただのノイズ!」

みたいな形で専門家の与えた答によって本人の中には薄々あったはずの答がかき消されて、専門家が与えてくれた答だけが真実だったことに書き換わるリスクがあるんじゃないかって。

たかが1人の人間なんかに社会がそんなにコストを掛けられないっていう態度も分かるんだけど、もうちょっとだけ自分の中から答を引き上げるまでの時間を確保してあげてもいいんじゃないかなあと。

弱い立場の人にだけ偉そうな田舎小役人にはならないでください

anond:20240406102147

神道トップ明治時代でっちあげた国家神道での話だけどな。

明治新政府中央集権ゴリゴリやるためにやっぱり天皇を利用して神格化しただけ。

宮中祭祀を司る立場だったのは確かだけど、法王のような宗教トップですらなかった。

なんだかんだ、その時々の権力者に都合が良いから残された感じ。

NYT:出生時に「性別が割り当てられる」という主張の問題点

https://archive.md/m3u6E#selection-495.0-495.47

身体性別はない」と主張する能川センセイ、ニューヨークタイムズのまともな記事読まなくちゃ!

 

The Problem With Saying ‘Sex Assigned at Birth

「割り当てられた性」が採用される理由ひとつは、敬意に満ちた婉曲表現提供され、特にノンバイナリーやトランスジェンダーの人々にとっては、厳しい生物学現実のように感じられるものを和らげることができるからである。誰かが「出生時に女性に割り当てられた」と言うことは、その人が生物学的に女性であることを伝える、間接的でより丁寧な方法であると考えられている。この用語は、トランスやノンバイナリーの人々との連帯を示すと同時に、伝統的な性の理解時代遅れであるというラディカルな考えを伝えるためにも機能する。

「出生時に割り当てられた性別」の表現は、善意によるものかもしれないが、進歩ではない。私たち礼儀正しさや連帯感の表現に反対しているわけではないが、「出生時に割り当てられた性」は人々を混乱させ、生物学事実について疑念を抱かせる可能性がある。また、私たち伝統的な性に対する理解を正す必要があるから、このような表現が求められるのでもない。

そうではないのだ。セックスは、私たちの種にとって重大な結果をもたらす基本的生物学的特徴であるため、それに関する誤解を助長することには問題がある。

性差健康安全社会政策にとって重要であり、文化と複雑な相互作用をする。女性男性に比べ、薬物による有害副作用経験する確率が2倍近く高いが、この問題女性の薬物投与量を減らすことで改善できるかもしれない。一方、男性はCovid-19やがんで死亡する確率が高く、殺人性的暴行の大部分を犯す。"割り当てられた性 "が死亡数を増加させるわけではない。重要事柄に関する用語はできるだけ明確にすべきである

影響力のある組織個人が「出生時に割り当てられた性」を推進するとき、彼らは、「セックス」、「男性」、「女性」のような、社会で誰にとっても馴染み深く、性の意味合い議論するのに必要言葉を使うことで、市民が辱められるような文化奨励している。これは通常の検閲のようなもので、特定意見公的に支持することを抑制するものではない。もっと巧妙で、そもそもその意見議論するのに必要な語彙そのものを抑圧しているのだ。

より急進的な「割り当てられた性」の支持者は、生物学事実としての性という考え方そのものが疑わしいと異議を唱えるだろう。フランス哲学者ミシェル・フーコーや、最近ではアメリカ哲学者ジュディス・バトラーに関連するこの見解によれば、性とは何らかの文化生産物であり、赤ん坊に男か女かのレッテルを貼った結果である。したがって、「性別」よりも「出生時に割り当てられた性別」の方が好まれるべきであると主張する。

この立場は、人間自然の摂理から免除されていることを暗黙の前提としている。残念なことに、私たち動物である。有性生物は少なくとも10億年前には地球上に存在していたし、人類進化しなかったとしても、オスとメスは存在していただろう。セックスは、分娩室での言語儀式やその他の文化的慣習の結果というわけではない。

一部の学者によって蒔かれた混乱にもかかわらず、私たち性別二元論人間発明ではないことを確信できる。

「出生時に割り当てられた性別」の問題は、確立された生物学事実から会話を遠ざけ、政治的アジェンダを吹き込むことである私たちは、医学的、社会的、法的な問題に関して、意見を明確に述べ、最善の方針を打ち出すのに役立つ共有言語必要としている。その共有言語こそが、たとえ強い意見の相違が残っていたとしても、相互理解民主的な審議の出発点なのである

anond:20240404103033

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん