はてなキーワード: 社会貢献とは
ワニのメディア展開の件で、大炎上した件について、自分も数年前に似たような感じで
たぶん、目線としては作者、および電通とかの目線なんでよろしく。
自分はWEBデザイナーだ。ちょうど、大炎上した時はリーマンショック云々とかで超不景気で
中小企業がバスバス倒産した頃だ。ちょうど自分の会社も資金繰りがうまくいかず倒産した。
んで、次どうするかなーと失業保険もらいながらニートしてた頃に
その会社でお世話になった企画プランナーの人から連絡があった。
「バナーを作ってほしい」
最初はそんな感じだった。その企画プランナーさんは自分よりも前に退職したんだが
前職はSI系と教育系がメインのお硬い感じのITだったが、その人の仕事だけは特殊で
割とメディア寄りの事をやっていた。イベントとかそういった感じの。
「盛り上がる」ような事であれば何でもやるっていう感じの人だった。
詳細を聞いた所、どうやら、気まぐれで動物を保護して、その動物との生活をブログで公開していた所
結構な人気が出たらしく、今で言う「バズった状態」になったらしい。まだFBやtwitterが一般的になる前(か、なり始め)
会社ではわりとぶっきらぼうなタイプの人だったんで「動物保護とかするんかい」とちょっと以外だったんだが
・お世話になった人だったから
というような感じだった。そんな感じで、ブログのデザインテンプレをちょいちょいと修正して
若干見た目を良くしてあげた。
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その後も順調にブログを運営していたようで、ちょいちょい連絡を貰って現状を聞いていた。
ちょうどブログ本とかが流行ってた時期でもあったんで、広告代理店等から出版化の打診とかも来ていたようだ。
この辺がちょっとワニとかぶるんだが、広告代理店などのアンテナばりっていうのはまじでめちゃくちゃ早い。
アンオフィシャルな状態から仕掛けが入っている。たぶんなんだけど、ワニもそういうどっかしらのタイミングで
ふわっと噛んできたんだろうな。。
話は当時に戻って
「動物を保護しバズった」のは結果としてそうなったわけであって
「動物を保護した事自体」は完全にこの人の気まぐれと善意から始まった事である。
そういう訳で、この企画プランナーさんは、こういった保護されるような不幸な動物達(虐待やらなんやら)のために
何か出来ないか?という事で、募金?のような感じで賛同者を募る事にしたそうだ。
ちなみにこの時点でも動物に興味が無い自分なんで、色々熱心に説明してくれたんだが
「まぁ何か良いことしたい」って感じなんだろなーぐらいなもんだった。
とりあえず、募金の使いみちは出資してくれた方々とブログとかで交流しながら詰めるとして
去勢とかそういうような方向性で貢献できるような感じを想像していたらしい。
これまでハートフルだったブログ読者達の中で「金銭」がからむ事への何かしら不穏な空気が流れだしたようだ。
まぁただこの時点では、大多数は賛同者だったらしく、このプランナーさんも
ぐらいに言っていた。
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さて、この時点で振り返ると、
事の発端は、この人の完全なる善意でスタートしているんだが、この人は企画屋という側面もある事。
んで、実際に多くの人に注目され、ブログ本化の打診も来ている
という状態だった。
そのタイミングで基金を募るという行動は、スムーズに行けばめちゃくちゃ良い方向につながったに違いない。
動物を保護してからの生活をブログで公開し、注目され、基金を設立し
その基金からさらに動物に対して「良い」事につながる活動をする。
そしてそれがブログ本で出され多くの人の手に渡り、さらに相乗効果が生まれる。
トントン拍子で行ければそうなったに違い無い。
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この基金を開設するにあたって、さすがにそういった知識等が無いプランナーさんは
そういった慈善活動等を通して社会貢献を行う事を種としたNPO団体とつながる事になる。
IT系の会社ながら、そんなイベンターや、慈善活動やらをやってる人たちがいたっていう
今考えれば、色とりどりな会社だったのかなと思う。
そのNPO団体の代表さんに相談し、基金を開設するまでのフォローをおねがいすることにしたそうだ。
そういう点に関しては、このNPO団体のおはこといえる部分だろう。
それのプロフェッショナルな訳だ。
なんとなく始まったブログから、実際にこういった具体的な活動に繋がった事に
自分も、ただブログバナーだけの協力だったり、話を聞くだけレベルの携わり方だったが
何か嬉しく感じた。
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そんな中ちょっと事件が起こる。保護していた動物が死んでしまったのだ。
ちょっと身バレにもつながるんでファジーに書くんだが、このブログのスタートは
「虐待等で傷ついていた動物を、このプランナーさんが保護した」という事からスタートした
ブログだった。その動物を世話や交流を綴っていくという感じのブログだったと思う。
この基金開設のタイミングが自分はよく分かっていないんでアバウトなんだが
この出来事が強く影響していたのは間違いない。
「こういった悲しい事をなくす為の基金にしよう」
という思いは本物だった。
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実際に基金を募るため、NPO団体側としても人々を集めるための動きに出るようになる。
ここで善意のこじれが出てくる。
このNPO団体のスタンスとしては「外部」という形で協力しているというスタンスだったんだと思う。
なんで、この一連の活動に関して
「こんな素晴らしい活動が行われているんです。みなさん知ってください!」
という感じで、中核にいるというスタンスではなかったんだと思う。
このNPO団体は、そういった事を「外部」としてサポートするプロフェッショナルだったわけだ。
そして、そのNPO団体が作ったバナーに掲載された文言が「感動の物語」という一文だった。
この一文がトリガーになる。
動物を保護し、その交流の中で生まれたたくさんの出来事、そのハートフルさに人が集まる
しかし、そんな中動物は他界してしまい、そんな悲しい出来事を起こさないようにしたいという思い
というアウトラインは、外部が纏めるならば「感動の物語」の一言でしか無いだろう。
NPO団体は外部からの目線でそういったワードを選んだんだと思う。
この活動の中心になっている人たちが自分達で「感動の物語」と称している
ように写ったんだと思う。
んで、このバナーを見て自分は「この文言大丈夫なんすか?」っとプランナーさんに訪ねたが
「そうなんだよね。ちょっとこの文言大丈夫なのかなっておもうんだよ…」
とぼやいていた。ここで、じゃあこのプランナーさんが「修正」を出せば良いと思うかもしれないが
このNPO団体さんも完全に「善意」と「前職のよしみ」という感じで協力をしてくれているのだ。
そして、そういった基金設立というようなノウハウに関しては、完全にNPO団体さんの方がもっている。
という訳でこのプランナーさんは、そういった力関係から、このバナーのワードに関して
口を出さなかったようだ。いや、たぶん気を使って言わなかったんだろう。
というような感じだったんだろう。
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さて、そんな不安満点のワードが盛り込まれたバナーは案の定大炎上する。
・感動商法の金集めなんじゃないのか
そういったような意見が多く寄せられたようだ。
ブログのコメント欄も大荒れで、掲示板でもスレッドが立つ等炎上をしてしまう。
そういった負の感情の連鎖っていうのは本当にものすごいエネルギーで
これまで積み上げてきたものを一瞬でふっとばすかのようだった。
ワニの件でも「嫌儲」というキーワードがあったが、「お金」が絡むと本当にすごい事になる。
まったく事実無根な事ばかりが書かれまくるのだ。
このプランナーさんとしてもブログ本の出版というようなメディアミックスを行う事も
頭の中にあったのは間違い無い。
しかし、それは最後の最後にきれいな形でそうなれば良いし、そしてその活動でそういった不幸な動物達に対して
目が向き、世の中が変われば良いと思っていたのも間違い無い。
この「基金」自体でお金を集め儲けようなんて思っていなかったのは、本当だ。
もちろん、このプランナーさんも個人のブログという形でやってたんで、人間臭いところもあったんだろう。
そしてNPO側の情報がネット上にさらされる。代表者の名前、経歴等
なんというか「疑い」の目というのは本当に怖いなと感じた。
「急にプロっぽいクオリティになる金銭が発生している可能性がある」というような疑いをかけられいた。
金銭は発生していないが、まぁ本職の人間がやってるんだからそうだろう。
※プロっぽいクオリティと言われて、内心ふふんと思ってたりしていたが。
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そんな感じで、あることないこと書かれて、一気に燃え上がった。
こんなはずでは…とプランナーさんと話す。
これはもう、経緯をもっと詳しく書き、ブログ読者達にしっかりと理解してもらうしかない。
そうなったプランナーさん、読者にむけてのメッセージを書くことにした。
そして自分はその文章が大丈夫かどうか読者目線で見てほしいとおねがいされた。
んで、そのプランナーさんが出してきた文章は、そのブログでの口調が反映された文章だった。
「謝罪や釈明ならば、もう少し社会的な感じの方がよいのではないか?」
というアドバイスをした。自分としては、プランナーさんが出してきた文を見た時に
その意見を受け、プランナーさんは文章を硬い感じの文章に書き換えた
的な。
んで、これがまた大炎上する。「急に会社っぽくなりやがった!」と。
もうこれに関してはエェぇぇエエエ……!!って感じだった。
疑惑の目ってマジに怖すぎ。
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誰かにすがりたいっていう感じだったんだろう。
自分もなんとか協力したいという思いもあったが、それ以上に、この大炎上騒ぎが本当に
怖くて怖くてたまらなかった。
画像も、ブログCMSの容量制限から設置が出来ず、自分の管理している個人サーバーに
このままだと、ブログソースまで解析されて、自分までやり玉に上がってしまう!!!
連日相談をかけてくるプランナーさんに自分もとうとう疲れてはててしまい
とブチギレてしまった。
あの時のプランナーさんのしょんぼり具合は本当に悪い事をしたと今でも思う。
でも俺も怖かったんだよ…。
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違う部分もたくさんあるんだろうけど、なんというか凄く思い当たる節がたくさんありました。
何ていうか、「一つの事柄」にたくさんの人が携わって行くことで制御が出来なくなっていく感じ。
たとえば「感動」というワードも人によってはまったくの別物なわけだ。
とにかく、何でこうなってしまったんだろうと制御が効かない感じ。
ちょうど、先日の伊集院さんのラジオでも過去に伊集院さんがプロデュースした
バーチャルアイドル?の「芳賀ゆい(はがゆい)」に関して言及していた。
ものすごく分かるわーと思い聞いたわけだが。
以上、何か駄文でした。
今日は、ちょっと日記の目的からはずれてしまうけど、前々から感じていたことを刺激する記事があったので、脱線します。
「働かないおじさんにならないための2つの方法 30代以降は自分の専門性を磨くことが大切」 っていう、東洋経済の記事は、
まあ、いまいち偏ってるね。
人事系の方々が、これからリストラや賃金カーブ見直しをする為に、外壕埋めて、策を弄してる感が丸見え。しかも、本の宣伝付き。
昔のメディア記者の方々は、そういった、公平なバランス感覚があったと思うんだけど、なんで変わってしまったんだろ?
やはり、メディアといっても、非正規社員や派遣社員が現場を動かすようになっているせいなのか?、あまりに偏っていて不思議だ。
もう、いいかげん人間のク○の集団(失礼)とその仲間(コンサル)たちの主張だけではなく、彼らの失策が
いかに、社員のやる気を削いでいるのかを指摘する記事も載せないとバランス悪いですね。
残念なのは、世代間の対立を煽って、漁夫の利を得ようとする人事のあくどさに、どれくらいの人が理解できてんだろうか。
世代間の対立を煽る構図って、大昔は、指導者階級が、アメリカが悪いといって煽った構図と同じ。それを、国内の対立軸に置き換えているだけ。
おそらく昔なら、労働者は団結して、会社と戦うんだろけど、まんまと世代間対立の罠にハマってるなと思う。
そういう意味では、今日本社会にまったく貢献していない経団○とか労○なんて、老害組織の象徴だとおもう。言い過ぎかな?
どっかの過激な政治家が、解体しようって言ってくれないだろうか。
だって、日本社会にまったく貢献していない団体って必要かね?これからの日本に、、、、
「働かない団体にならないための2つの方法 設立30年の歴史以降は団体の社会貢献を磨くことが大切」
って記事でも書くか。
気がするだけだ。本当は彼らもフェミニストなのかも知れない。
フェミニストとフェミニズムがセットのものなのかさえ分からない。
男女同権だとか、男児は間引くべきだとか、フェミニストを自称する人たちは言ってることがそれぞれだ。
だから、「こいつはフェミニストだ」「こいつは偽物だ」と根拠を持って言えるようになりたい。
真と偽の判定ができるようになりたい。
そして偽物に対し「お前はフェミニストを名乗る資格はない」と一蹴したい。
もしかするとそれが真のフェミニストに対する汚名をそそぐ形になるかも知れない。
それはもう社会貢献にすらなるだろう、なあ?
ではそのためには何をすれば良いだろう?
とりあえず日本におけるフェミニストの第一人者と名高い上野千鶴子氏の出版物を読もうと思う。
その後女性学を志す学者の出版物を日本・海外隔てなく読み漁ろうと思う。
購入が必要な書籍やログインが必要なWebサービスなどは駄目だ。
偽物たちがちゃんと読めなければぐうの音も出ない状態にはならないからだ。
インターネット上で誰もが無料でアクセスできるようになっていなければならない。
偽フェミニストは世界各国にいるはずだからまとめてNOと言ってやりたい。
おれは転売も買い占めも否定してない。合理的に動いた結果なんだから、いいことだと思う。価格発見の機能がうまく働いていて健全ともいえる。ただ、上の図式に当てはまらないパターンってのは、「例外」とは言えないぐらい多いと思う。例外というのは、一般的には外れ値のことで、全体の5%(2シグマ)に満たない集団のことを言うと思う。必要ないけど買う人が5%未満しかいないというのは、ちょっと考えにくい。感覚論でいうと、30%ぐらいいるんじゃないかな? そうなると例外とは言えないよね。
社会貢献である、と本気で思っているのだとしたら、それは申し訳ない。そう思うのは自由だと思う。でも、客観的にみるとそうではないので、あまりその考えに拘泥しない方がいいと思う。
じゃあ今いる会社の女性がさ、出産したとしよう。その人が職場復帰!ってなったら前と同じお給料貰えるかな。
おそらくもらえないよね。休んだ期間があるし、これからも休むだろうと予測できるから。
でもさ、赤ちゃん産むって社会貢献的ではあるわけじゃん。人口減って人手不足。赤ちゃんは社会の宝なわけですよ。ちゃんと育ててもらいたい。
一方今の大部分のシステムは会社に長く勤めて、結果出せるように努めることで評価が上がるシステムになってる。
当然出産しなくていい男は相対的に有利じゃない?ルールが有利。
結果出せばっていうじゃん?休むと思われてるから仕事は短期間のものになりがちだし、男の人は当然このルールに気がついてるから休みたくないよね?2年とか3年、奥さんがすっごく忙しくなったとき子供の世話するためにすごい評価につながりそうなプロジェクト断る?
当然女性はある程度子供が大きくなるまで大きな仕事はできなくなるんだよ。事実上。そこで収入格差が起きちゃうね。だって女の人は評価につながりそうなプロジェクトに最初から入れてもらえないんだもん。
このようにルール上有利、ということにつけ込んでるのが増田の会社ね。女の人が順繰り出産してくれれば、女の人の給料をあげないまま人手が確保できるね。長期の産休・育休で休んだ女性は、今後も給料あげなくていいね。会社ではスキルを積んでるのに、一回休んだし子供がいるからペケだ。
そして女性に序列つければ、女性もその会社に留まりたくなるね。ところでうがった見方だけど、女性管理職、ほんとに男性管理職と同じだけお給料貰えてんのかな?枠を別に設けたから、お給料レンジも別ってことになってる可能性もあるよ。ちゃんと精査した?ちなみに私の前いた会社はそうだったよ。
贈与税は生前贈与による相続税回避の為に、1950年の相続税法と共に創設されたそうだ。ならば贈与税は相続税と同じ税率が設定されればよいのに、なぜ贈与税の方が高いのだろうか。理由を調べたがわからなかった。親から子孫への資産の譲渡は親の死を以て行うべしという価値観が税制から想起されるが、それはおかしいのではないか。以下の会話例で、親から子孫への資産の譲渡は死を待たずに生前に行った方がよいことを示す。
老人「わしは今まで株式会社の大株主をやっていたが、もう年だからわしの子供であるお前に株式を贈与しようと思う。大株主として経営に口出しをすることはなかったが、法令遵守・社会貢献・従業員の福利厚生に関してはしっかり監視してきた。お前が株主になっても引き続き会社を監視してくれ」
子供「わかった。でも、いきなり全株式をもらって大株主になるのは負担が大きいから、株式の贈与は段階的にしてくれ」
老人「そのつもりだ。次の株主総会でお前に株式を贈与することを伝えるからな」
子供「ああ。俺はまだ会社のことがよくわかってないから、俺が株式をもらってからも助言や相談を頼む」
老人「いいだろう。もし、お前が株主に相応しくないと判断したら贈与を打ち切って、株式は取締役に売却するなどして処分するからな」
この会話のように、年老いた大株主が子供と対話を重ねて株式を贈与したら、会社の取締役や従業員は安心だろう。しかし、贈与税による負担を避けるためには、親の死によって相続しなければならない。親が存命中の頃は、子供は親から相続を受ける為に耳障りの良いことを言うだろう。しかし、親が死に全株式を相続した途端に、子供の態度が豹変するかもしれない。子供が過度な株主利益を経営者に要求したり、取締役を好き勝手に選任・解任したり、株式を悪徳企業に売却するかもしれない。こうなっては、会社の取締役や従業員はたまったものではない。
上記の例では説明を簡素にするために相続財産は株式で被相続人は子供一人としたが、不動産などの財産があったり被相続人が複数人であったりしても、資産相続で争議が起こりえることは言うまでもないだろう。こうした争議を避けるために子孫への資産の譲渡は円滑になされるべきなので、贈与税は相続税より低くすべきだ。資産を円滑に子孫へと譲渡できなかったペナルティとして、相続税は高くてもよいだろう。