はてなキーワード: 白菜とは
そしたら「白菜が欲しい人は野菜ガチャを回してください、今なら白菜ピックアップ!」とか言われたら怒るじゃん?
ソシャゲ屋がやってることはそういうことじゃん?
嫌なら回さなきゃいいと言われてもそれ普通に白菜売れよに対する反論になってないじゃん?
あとキタサンブラックも。
最初に謝っておくと、収益ではなく収益構造と書くべきだった。すみません。
・約50棟のうち、10棟以上の作付けを諦めた
・2人来ないで売上1000万円の減少
ということなので、単純計算すると売上5000万円規模で雇用は10人ということになる
かなり大きい方だし、よくこんなにほうれん草をやろうと思うなぁとは思うけど
ここは確かレタスの産地でもあるので、周囲からすれば特段驚く規模の売上ではないと思う。
市場出荷の場合、野菜の値段は僕らに決められないのが辛いところ。
肥料費・農薬費・燃料費・種苗費全てが上がって行ってる皺寄せを全て食ってる気がする。
綺麗に作っているというより、綺麗に選別しているという方が正しい。
本当のところはわからないけど、農家が多かった時代には規模拡大したくてもできず、
利益(=単価)をとるために綺麗にすることを選んだ、その名残だと思っている
合わせないとと格下げされてしまうので、選別を綺麗にせざるを得ない。
本当に悪いものは除くとしても、それだけなら選別は倍くらい早いと思う。
当事者がこれをいうと甘えと取られかねないので言いたくないけど、
食料問題は命に直結するので、経済だけで語ることはできないと思う
白菜がなくなったら死ぬかと言われれば死なないわけだけど、コメなら死ぬ。
じゃあどうやって線引きするの?っていうとこれは政治判断になる。
融資が受けられれば生産性が上がる」はそりゃそうだけど、投資金額に見合うだけの生産性向上に繋がらないのでは投資した意味がない
例えばコメの刈取であれば当地であれば9/25頃から始まって10/20までに刈り終われば必要十分だ。
生産性が上がっても、その先の仕事がなければただ暇になるだけで意味がない。
もう一つはモミの受け入れの問題。刈り取ったモミは乾燥施設で水分15%を切るまで乾燥させるのだけど、これが大体一晩かかる。
乾燥施設の能力以上の刈取能力を持っても、これまた意味がない。
農機具への投資は生産性だけで語ることはできず、経営環境によるということ。
でも金融は返せるなら貸してくれるから、この2点を考えず買いたいから買うという機械投資している農家はかなり多い。
他国を知らないのでわからないけど、水田はもう固定資産税・土地改良区の賦課金の合計を割ってくるレベルまで来ていて、
当地では高いのは土地改良区の方で、でもこれは水田である以上水路整備は必要なのでしょうがない。
畑はわからないけど、大規模産地ではかなり高いと聞いているし
あと高知のように施設園芸が中心だとさらに高いと聞いた。こちらは真偽不明。
人手不足は収穫期だけの話だったような
ホウレンソウの場合は収穫箱詰めが作業時間全体の8割を占めると記憶している。当然収穫期だけ人が足りない。
作業効率だけを考えれば外国人はほぼ収穫箱詰めをし続けることになるはずだ。
収穫を中心に作付け計画を立てるのはどの品目も共通かな。いや水稲は別か。
ちなみに、当地の農協のルールではホウレンソウの収穫は出荷前日午後5時以降に行い、
出荷は午前9時までという鬼のルール。いやどうしろと。昼夜逆転?
そこを除けばできる人とできない人の差は10%くらいで、稀に飛び抜けてる人がいるくらい。
できない人も他の作業であればできたりするので、稀を期待しなければ一人当たりの売上という考えは妥当でしょう。
しているところはあるが、まともに給与を払うためには
露地野菜であれば一人の従業員あたり1ha=3000坪ほど、水稲であれば8ha=24000坪ほど農地が必要になると思うから
農地集めに全ての成否がかかっている。
これを集約できるかといえば、外部から来た人間ではほぼ不可能だし、農家というより不動産屋みたいな・・・
話は逸れるけど、一人でこれだけ広大な面積を必要とするのだから、
「農業が基幹産業であれば過疎化が進むのは避けられない」という秋田県知事の発言は的を射ている。
あとは集落営農という方法があって。集落で法人を作るということだけど、これがうまく行っている例は少なかったと思う。
ああ、一個言い忘れた。
1000万の売上が消えたら、満額加入していれば800万、
種代肥料代農薬代引いても700万以上がまるまる”純利益で”出るはずだ。
昨日さ晩ご飯お腹が空いたので何か作って食べなくちゃと思って、
私は顆粒昆布だし派なのよね。
もちろん風味豊かな香り高く濃く深いネスカフェ級の美味しいフィジカルな昆布で出汁取った方がマジでいい香りがするからやりたいときはそれで出汁を取りたいんだけど、
張り切って残りの昆布も食べよう!ってなるけど、
上手く使い切れないこともあり、
でさー
そのお出汁で炊いただけなのに
要するに美味しそうな良い香りのする
まあ鍋とまではいかないけど、
そんなのをちゃちゃっと作ったの。
味付けも塩のみの潔さ感がまたよくない?
でさっしょく実直に実食したんだけど、
そりゃー顆粒昆布だし使ってたら
昆布だし味なんだし!って言われそうだけど、
実際そうなのよね。
シンプルな味付けに、
こういう時ちょっとパンチあるヘビーな食べ応えを求めてやまない食べ盛りな谷まりあちゃんを上回るような食欲が爆発する時ってあるじゃない!
それに十分応えてくれる、
鶏の味だダイレクトに舌に伝わってくる
ピュアオーディオ師匠の家の電気は直接電柱を自宅に引き込んでつ買う電気だといい音が出るような気がすると同じように、
ピュアガスコンロは都市ガスの大きな地下パイプから枝分かれして私の住む住居へダイレクトにつながれているから
ものすごく美味しい味が引き出せる火を出せるのよ。
ピュアガス界のスピリチュアルな話しってあんまり聞いたことないけど、
じゃプロパンの方がダイレクト感はもっとあるんじゃね?って言われるんだけど、
人は人として、
プロパンガスと都市ガスとで沸かしたお湯の味の差を判別できないように、
結局ピュアガスで沸かしたところとて
話し変わるけど、
よく銭湯とかで
薪で沸かしてます!って自慢のお湯自慢をしている銭湯があるけど
薪か灯油とかなんかの沸かしたお湯の違いが分かるのかしら?って思うのよ。
少なくとも私は分からないけど、
どちらにしても温まるのは間違いないところね。
って話戻すけど
薪で沸かしてるその薪感は私感じたこと無いのよね。
だから結局、
都市ガスかプロパンガスとで沸かしたお湯の味が違うって言ってるのは都市伝説なのよ。
都市ガスだけにって。
まあそんな美味しくできた、
私は満足感が限りなく満足度に達したのよね。
美味しかったわー。
我ながら本当に美味しかったので、
またこの奇跡のレシィピを再現しようと思ってもなかなか再現出来ないってのが
奇跡的に目分量で入れた適当な味付けが超絶美味しいときってあるじゃない。
それを自ら再現できないように、
そんな悲しい思いをしたくなかったので
私は最低限水の量だけはハッキリして見届けることが出来たの。
この水の量だけさえ間違いなければまた再現性の高いレシィピが出来ると思うんだ!
ペキカン!よ
キッチンドリンカーと区別するためにあえてキッチン居酒屋って言葉を今開発したところよ。
私知らなかったんだけど、
次はどんなシンプルなそう言う鍋までには至らないけど、
食材もさ少なくて多くても3種類!
そのなんかベストな組み合わせを
私考えてみるわって
もう結構白菜鶏モモ肉シメジってところが3強ってところなんだけどね。
うふふ。
鮭おにぎりにしたわよ。
食べ損なったら食べ損なったで
昆布だし水も作っておくとこの時期、
お鍋とかにもすぐ使えて便利な
それをちょっと拝借して今朝は昆布だしウォーラーってところかしら、
案外イケるものよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
お節旋風とか商魂たくましいというか、
もうさハロウィーンをこえて、
クリスマスも越えてお正月の事を考えなくてはいけないぐらい日本人ってお節料理好きだったかしら?って
もうこの時期のお節推しがグイグイすぎて
日本はお節だらけになるかお節ならけにならないかの二択しかないわ。
カレーに飽きたら食べるものだというイメージしかないんだけど、
絶対にローストビーフとか美味しいおかずだけ先にやられちゃって食べられちゃうから、
そう言う渋いおかずがあとに残ってしまうのよね。
なんかもっと好きなモノだけを詰めたカスタマイズできるお節があったら
受けて作る側は大変だろうけど
そんで白菜とかも添えてあってって
別にそれでもいいんだけど、
お節ってそう言った意味では
一瞬迷って華やかな見掛けの体裁にいわゆるインスタ映えるだけ映えてテンションが上がるけど、
正直言って買ったりしないわね。
一瞬上がったテンションとともに一瞬でションテンが下がってしまうから
安泰人ってすぐに冷静になれるものなのよ。
好きなモノだけが詰まったお節だったら本当になににしようかしら?って
結局また迷ってしまって、
もう迷うことはないわね。
通常のお節なら
さっきも言ったように渋めのあんまりちびっ子が喜ばないフジッコの昆布の結んだやつとか
そういうのが残っちゃうのよね。
かと言って
上手く出来るような気がしないし、
シースーのパックのを中華鍋にほおりこんでシースーチャーハンにするのとはまたワケが違うのよ。
いまやもう
お節の有効性というか
そこまでしてお正月お店が閉まって危機迫る且つ鬼気迫る年明けって食糧難にはならないのよね。
まあ昨今の今頃からの時期のお節旋風ってのが
まだ野球もどっちがどのチームか優勝していないクライマックスどころの話しでもないまえに、
そもそもとして、
お節旋風の前に
どちらかと言うと、
そっちの方が年賀状描くイラストがギリギリまで決まらない方が危機迫る且つ鬼気迫るって感じなのよ。
オリンピックの「オ」かコロナ禍の中の渦の「渦」って感じが今年の漢字一文字になるかもしれないし、
あれ私思うんだけど、
漢字一文字に色々な一年の思いとか出来事とかを詰め込むなんて負担が大きすぎると思うのよ。
企業とかがさー
よくやってる伊藤園杯の川柳みたいに募っているけど募集していない体裁で
ローランドさんの言い方で言うと
この世の中は二種類の人間に分けることができて
そのローランドさんと夏井いつき俳句師匠がエヌエイチケーで街ブラしている番組のイメージしかないわー。
シリーズ化して欲しいんだけどって切に切望しているところよ。
だから世の中に
お節はあんなに余計に具だくさんなのに、
今年の創作四文字熟語大会ってのをどっか開催してくれないかなーって思うわ。
それなら私伊藤園のお茶に書いてある川柳全部読むもん!ってぐらい
応募作も全部読んじゃうし、
二つの団体が揉めて仲直りして1つにまとまるプロレスの団体みたいになるまでがセットってところまで
開催し続けて欲しいわ。
お節もいいけど、
私はありだと思う派よ!
うふふ。
お節にサンドイッチの詰め合わせでも良いと思ったけど
それならそれそのまま持って出掛けてピクニックできるじゃない!ってことに今気付いたわ。
そんなに粗熱も急いで取らなくても、
置いておいたら
いい温度になる飲み頃に。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
月のさーイラストを考えるのって、
私がイラスト描くってワケじゃないんだけど
なにかこうさー
で、
ここはお馴染みさくさくっと検索してキノコワールドとかキノコランドとかキノコエキスポとかキノコシャングリラとかっていう
なんか11月にふさわしい秋と言っても秋でもなく冬でもなく、
ちょうどいいこの時期の移ろう季節の通過点的な。
私のこのワードチョイス、
キノコワールドとかキノコランドとかキノコエキスポとかキノコシャングリラとかって可愛くない?
ぶれちゃうわ。
そんでさ、
レオナルド・ディカプリオのデカプリオ!って言ったらもうそれ下ネタじゃない?
あぶないあぶない!
増田は良い子のお友だちも見たり読んだりしているところで決してそういう所ではなかったわよね。
でさー、
なんでそうなったかって言うと
みかんの花咲く丘公園駅前商店街のポスターをパソコンできっから描けるでしょ?作れるでしょ?って言われたの。
私は縦を首で横に振らなかったんだけど、
だが断ったの。
まあ、
そんなポスターって言っても
商店街のガラガラ抽選会のA4フライヤーをパパッと作れば良いんだけど、
そうなると秋と冬の中間のキノコのイメージがなんだかしっくりくるのよね。
でもさー、
パソコンつかえるかー?って言われても私はソンナコトできないから紙に書いた雑なアイデアを切り貼りして、
下絵の下描きみたいなのを作って、
本当にパソコンの出来る人に渡してってところまでが本番なので、
じゃそれならそうと言ってちょんまげ!って怒りそうだったわ。
そっかそれだからそれにふさわしいに値するルービー缶6缶なんだーってなるほど納得ワールドなのよ。
でも私もそのチラシの仕上がりが楽しみであり
今夜は祝杯にキノコ鍋でもこの先、
生きのこるためにしっかりと採れたてフレッシュ秋の旬を食べておきたいところよ。
ルービー缶6缶だけだと思いきや、
レオナルド・ディカプリオのデカプリオ!って下ネタかよ!って
言っちゃいそうなほどの勢いで言わなかったけど、
立派などんこシイタケで
でも、
ネギが鴨ってくるほど、
今でしょとは言わないけど目の前にあったから買う手前雑炊って思っちゃったのかも知れないわ。
鍋のシーメーは雑炊にしなさい!って
だからあとはちょっとご飯と軽めに炊いて雑炊に鍋へ投入用として確保して飯盒炊飯しておけばオッケーってローラも言いそうなぐらいの勢いでよく似たオッケーって言い方でご飯の準備もしたいところよ。
ほっぺでたこ焼きは作らないけど!
そして!
もうペキカン!
味の決め手はミツカン!
わたしのかんがえたさいきょうのなべ、
それぞれのスタメン入りした鍋がベンチ入りしたわけなの。
こりゃもうルービーも進むわーって
実は今シーズン初のベーナーだったりして。
でね、
そのどんこシイタケを持たせてくれた八百屋のおやっさんのところで白菜も一緒に買おうと思って、
カッツ白菜を買おうとしたら、
白菜は一玉丸々買って食べるのが一番美味しいんだから一玉買ってけ!って言うの、
というか半ば半ギレで、
4分の1のカッツ白菜を目の敵にしている感じなのにじゃあなぜカッツ白菜を売ってるのかしら?ってそこはそこはかとなく謎だけど
私はテニスコートを平らにならす重いコンダラ級のようにぎっしりと詰まった重い、
居酒屋の目利きのお店がいったい何を目利きしているか私にはさっぱり分からないけど
ぎっしり詰まったみっちみちの白菜1玉を選んで持たせてくれたのよ。
私あんまり白菜4分の1以上重たいものを箸のそのクダリの話のように持ったことなかったから、
1玉丸々の白菜ってなんて重いのかしら?って
もうコレ私が魔法使いだったら、
でも良く考えてみたらシンデリラって帰りのバスどうしたのかしら?
私がもし魔法使いならもう少し25時手前ぐらいまで終電を延長してもらって
そして走りながら白菜が外側から葉っぱが1枚1枚落ちていくの。
で翌朝それを追いかけてくるお城の王子様が居所をわかりやすくするのよ。
北海道の冬の厳しさをおまえら本当は知らないだろう!ってところを歌詞に滲ませているところが私好きなのよ。
話戻すけど、
そこは白菜で
本当は西洋の野菜じゃなきゃダメなのよ!シンデリラ!って童話の世界に無理矢理白菜を持ち込もうとしたいところでもあるわ。
まともに読んだことすら無いのに名前だけやたら有名なぐりとぐらの童話の絵本ですら
白菜を煮たり切ったりして美味しく調理するイメージがありそうなほど
矢野顕子さんが歌う食事シリーズの曲で白菜鍋できたよーってラーメン食べたくなる歌のようにそう思うわけ。
で、あとさ、
これは噂で名高い手間がやたら掛かる割りには、
私のぐりとぐらのイメージって美味しい白菜鍋を作ってくれる妖精さんってところかしら?
だから私は一瞬ファンタジーの世界には白菜は似合わないかも知れないけど、
もっともっとこれから白菜が安くなってくる季節のシーズンでもあり、
日本でなかなか売ってお目に掛けることのないボルシチにかかせないビーツを見かけないように
欧米とかそういう、
当たりやすいってことで、
なんかそのアーチェリーのウイリアム・テル師匠に戦いを挑んだ人側たちも
ぎゃくに、
え?そこリンゴじゃないの?普通リンゴの方がカッコよくね?って思うほど
やっぱり西洋とか欧米とかには馴染みのない白菜みたいなのよね。
もっともよね。
まあ今夜の鍋や鶏の水炊きにするわ。
うふふ。
やっぱり中のハムが厚くなって食べ応えがアップしているところが胸熱!
そろそろヒーコーもホッツが季節到来!
新しい急須が欲しいなって急遽思うけど、
なかなか買い替えるには踏み込めないわね。
今使ってる急須、
とってに水抜きの穴が空いてて
それは良いんだけど
洗ったときにまだその中に水が残っていて、
振ったらチャポチャポ言うのが玉に瑕なのよねー。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
子供の頃、宝物のビックリマンシールそっちのけで貪った『コウくんのお母さんの水餃子』を死ぬ前にもう一度食べたい - Togetterとブコメを読んで、いろいろ思うことがあったのでつらつら書く。旧満州出身のアラサー日本永住者です。
中国のご家庭では手作りが多いが、テイクアウトもある。ただし我が家では「外の水餃子は何が入っているかわからないから」という理由で一度もテイクアウトしたことがない。
作る頻度が高い割にご家庭ごとの味にもばらつきがあり、私の母などはいまもこれ!という領域にたどりつかないらしく、YouTubeを見て餡を研究している。
また、日本のように、キャベツor白菜と豚肉、というフォーマットは決まっておらず、セロリやピーマン、ズッキーニ、小松菜等々、汁気のない野菜ならなんでも入る(試したことはないが、トマトを入れる餡もあるとか)。私のお気に入りは、ニラ・炒り卵・春雨・干しエビの餡。もちろんにんにくは入れない。
件の記事ではお母さんが作っていたが、我が家では餃子といえば家族総出で作るもの。小学生のころまでは餡を父、皮の生地を母、皮作りは私、包むのは父母、と分担されていた。水餃子はしっかり包まないと、茹でる際に餡が流れ出てしまうので、包むことができるようになったのは中学生以降だった。
で、一度に作る量も多い。餃子のサイズにもよるが、大人ひとり頭20個ほど食べ、残りは冷凍するか、茹でて食べ切れなかったぶんを翌日焼餃子にする(これが日本の焼餃子とはまた違って、もちもちした皮がカリっとしておいしいのだ)ので、3人家族なら50〜60個は作る。皮を寝かせる時間をカウントしなければ、餡を作り始めてから茹で終わるまで30分弱で済む。
祖父が餃子大臣だった母方の実家では、餃子を作るとなると必ず子や孫を電話で呼び寄せるため、一度に100個以上作ることもめずらしくなかったと思う(餃子以外のおかずも出る)。
先程母方実家の例を挙げたが、中国人にとって、餃子といえば、大勢人を集めて食べるもの。日常的にも食べるが、中国人に「いつ餃子を食べますか?」と聞けば、返ってくる答えは八割方、「旧正月」だと思う。
旧正月といえば、家族が全員集まり、大勢でにぎやかに食事をするイメージである。一度、餃子を作る、となれば、たくさん作って、大勢で食べて、何ならお客さんにおみやげとしてタッパーで持たせて……なんてイメージが、餃子にはつきまとう。
父を筆頭にコミュ障が3人寄り集まった我が家も例外ではなく、父と母は兎角、他人を家に呼んで、餃子を食べさせたがる。人生のほとんどを日本で過ごしている私は、流石に客好きのマインドは受け継がなかったが、それでも、父母のお客様が家に上がるのも、餃子をたくさん作るのも大好きだ。
ところで、知り合いの、90過ぎた日本人男性から、ある日こんなエピソードを聞いた。
曰く、「壮年の頃に、30代の中国人夫婦と知り合った。二人は日本への国費留学生で、夫と私はともに書が趣味ということもあり、友人としてよく親しみ、年賀状のやりとりをした。夫妻は、何度も、晩御飯を食べていってください、と私を家に招いた」。
「それで?」
そのおじいちゃまに、なぜ、と聞く気は起こらなかった。聞けばよかったのだと思う(なお、ご老人は勿論ご存命である)が、聞く勇気が湧かなかった。ただ、心がすこしひんやりした。日本人って、やっぱりすこし冷たいのかもしれない。
だからコウくんのお母さんは、たくさんの小学生男子たちが美味しそうに餃子を食べてくれてうれしかったのだと思う。ほんとうに。