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2024-08-26

トランス活動家がしばしば掲げる主張には、大きな問題があります

特に、これらの活動他者権利自由侵害し、社会に不必要対立や混乱をもたらしている点について、以下に説明します。

 

1. 他者意見を抑圧する過剰なアプローチ

多くのトランス活動家は、トランスジェンダー権利擁護することを目的としていますが、その方法がしばしば過剰であり、他者意見を抑圧する形で行われています。例えば、トランスジェンダーに対する疑問や異論を表明することすら許容されず、「トランスフォビア」として一方的攻撃されることがあります。これは、言論の自由学問の自由を脅かし、健全社会議論を封じるものであり、民主主義社会における自由言論の基盤を危うくします。異なる視点議論余地がある問題に対して、抑圧的な手法を用いることは、社会多様性や寛容さを損なうものです。

 

2. 女性の権利侵害するリスク

トランス活動家の主張の中には、女性の権利安全を直接的に脅かすものがあります。例えば、トランス女性女性専用の空間アクセスする権利を強く主張することが挙げられます。これは、生物学的な女性安全空間を求める権利と衝突する可能性があり、女性たちの不安懸念無視するものです。ジェンダーアイデンティティ尊重することは重要ですが、それが他者安全権利犠牲にするものであってはなりません。このような活動が無批判に推進されることで、女性の権利が後退するリスクがあることは見過ごせません。

 

3. 科学的根拠に基づかない主張の危険

トランス活動家の中には、科学的根拠に乏しい主張を展開し、それを広く受け入れさせようとする者もいます。例えば、「ジェンダーは完全に社会的に構築されたものであり、生物学的な性別無意味である」といった主張は、多くの科学研究によって否定されています性別には生物学的な基盤があり、それを無視することは、医学的および社会的な混乱を招く可能性があります科学的根拠に基づかない主張をもとに社会規範を変更することは、無責任であり、長期的には多くの人々に悪影響を及ぼす可能性があることを認識すべきです。

 

4. 対立を煽る過激レトリック

一部のトランス活動家は、過激レトリックを用いて社会対立を煽る傾向があります。例えば、異なる意見を持つ人々を「敵」と見なし、彼らを排除しようとする姿勢は、社会の分断を深める原因となります。このような過激アプローチは、トランスジェンダー権利正当性を損なうだけでなく、より広範な社会理解共感を得ることを困難にします。人々が互いに対立するのではなく、共通理解に基づいて問題解決するためには、対話妥協必要ですが、過激活動家たちはその可能性を閉ざしています

 

以上のように、トランス活動家の中には、他者権利自由侵害し、社会に不必要な混乱や対立をもたらしている場合がありますトランスジェンダー権利擁護することは重要ですが、それが他者権利社会の安定を犠牲にするものであってはなりません。冷静で理性的議論と、すべての人々の権利尊重される社会の実現が求められています

2024-08-24

人間を「子どもたち」と思うと寛容になった

ネット上では様々な暴言が溢れているように見える。ある人は「チー牛はタヒね」と言い、別の人は「弱者男性キモい」と言う。これらの言葉は、現代社会の深層に潜む闇を映し出す鏡だ。人間本質的攻撃性や、社会の歪みが、匿名性という仮面の下で露わになる。しかし、最近はこういう低俗な連中にも寛容になってきた。彼らを「子どもたち」と思うようにしたのである

この視点の転換は、ある日突然訪れた。自分地域のbakusaiを覗き込んだときのことだ。そこには頭の悪そうな書き込みが溢れていた。その瞬間、啓示のように一つの考えが浮かんだ。愚かなことを言うのは頭が悪いからであり、頭が悪いということは、精神子どもだということだ。

この洞察は、人間本質に対する深い問いを投げかける。我々は本当に理性的存在なのだろうか。それとも、理性という薄皮の下に、原始的衝動感情が渦巻いているのだろうか。ネット上の暴言は、文明社会という仮面の下に潜む人間の野生性の表出なのかもしれない。

子どもたちは社会責任を持って育てていかなければならない。この命題は、単なる教育論を超えて、人間存在根本的な在り方を問うている。我々は、自らの内なる「子ども」とどう向き合うべきなのか。社会は、その集合的な「子どもらしさ」をどのように昇華させ、成熟へと導くべきなのか。

人間意識は、表層と深層が複雑に絡み合った多層構造を成している。表面に現れる攻撃的な言動は、その人の内面にある深い葛藤不安の一端に過ぎない。我々は、この意識の深層にまで降りていき、そこに潜む真の欲求や恐れを理解しようと努める必要がある。

さらに、個人意識の奥底には、人類全体が共有する原初的イメージ衝動が眠っているのかもしれない。この集合的無意識は、時として社会全体の行動パターン価値観を形作る。ネット上の暴言は、この集合的無意識現代社会という文脈の中で歪んだ形で表出したものだと考えることもできる。

しかし、この「症状」を単に抑圧したり、無視したりするのではなく、それを社会の成長のための機会として捉え直す必要がある。子どもたちが成長過程で様々な試行錯誤経験するように、社会もまた、こうした現象を通じて自己を再定義し、より高次の段階へと進化していく可能性を秘めている。

結局のところ、我々一人一人が「子どもたち」なのかもしれない。完璧大人など存在せず、皆が日々成長し続けているのだ。その意味で、ネット上の暴言を発する人々も、我々自身も、同じ宇宙船地球号に乗った旅人なのだ。互いの未熟さを認め合い、寛容さを持って接することで、人類全体がより成熟した段階へと進んでいけるのではないだろうか。

2024-08-16

anond:20240816143245

増田ダメなところを教えてやる。

まず、全体的に論点が散漫だ。最初アンチSDGsについて触れているが、その後すぐに話題地球温暖化に移り、その後ビニール袋の問題に飛んでいる。読者にとってはこれらの話題がどう関連しているのかが分かりづらい。ポイントを絞るか、関連性を示すべきだ。

次に、文章構成だが、全体的に一気に書き進めてしまったようで、一文一文が長過ぎる場合が多い。また、事実視点の転換が急で、読者がついていけなくなることがある。もっと段落を分けたり、一文ごとに内容を整理することが求められる。

さらに、感情的言葉遣いが目立つ。特に意識高い系のお遊び」、「寝言」、「クズ」といった表現は、読者に対する印象を悪くするだけでなく、真剣議論をしようとしているという姿勢を感じさせない。理性的言葉遣いを心がけるべきだ。

次に、具体的な事例やデータが欠けている。例えば、地球温暖化現実問題としてどれほど影響を及ぼしているのか、ビニール袋による環境問題が具体的にどういう被害をもたらしているのかといったデータや事例があると、説得力が増す。

最後に、結論曖昧で、何が言いたいのかが分かりづらい。「個人は学べても人類は学べない」という結論にたどり着くまでの論理の飛躍が大きすぎる。もっと明確に、どういう対策提案しているのか示すべきだ。

どうだ増田。返信は不要。礼も不要だぞ。

2024-08-15

anond:20240815194454

理性的な生き物ならコミケアイドルイベントに生乾き臭のする服なんか着て行くなよ。

anond:20240815015426

実は女もたいがい臭い

男は理性的な生き物だからわざわざ公言しないだけ

女は自己中、バカ悪口大好きだから思ったことすぐ口に出すんだよな

から臭いのは男ばかりのような気がするだけ

だいたい股間からオリモノ出して、パンツにべっとり汚物つけて歩いてるやつが臭くないわけがないよな

2024-08-14

イラストレーターはもう一度『「AI仕事を奪われた絵師」な訳だが』を読んで欲しい

https://note.com/tokume_kibo/n/n05017591b28b

  

イラスト生業にしている人、AIイラストに反感を持っている人ほどもう一度読んで冷静に現実を見て欲しい

AI技術は消えないし絵の生産自動化されていく流れは止まらない

これは別に絵師に限った話ではなく誰もがAIを使いこなしてAI単体に負けない働き方をするしかないんだよ

noteの人は客観的自分分析して転職という冷静な判断を取った

絵を描くのが好きなら趣味でやればいいだけなわけで、お気持ち視野を狭めるのはやめてちゃん理性的になって欲しい

anond:20240814141641

トランス活動家がしばしば掲げる主張には、現実問題として、大きな問題があります特に、これらの活動他者権利自由侵害し、社会に不必要対立や混乱をもたらしている点について、以下に反論します。

 

1. 他者意見を抑圧する過剰なアプローチ

多くのトランス活動家は、トランスジェンダー権利擁護することを目的としていますが、その方法がしばしば過剰であり、他者意見を抑圧する形で行われています。例えば、トランスジェンダーに対する疑問や異論を表明することすら許容されず、「トランスフォビア」として一方的攻撃されることがあります。これは、言論の自由学問の自由を脅かし、健全社会議論を封じるものであり、民主主義社会における自由言論の基盤を危うくします。異なる視点議論余地がある問題に対して、抑圧的な手法を用いることは、社会多様性や寛容さを損なうものです。

 

2. 女性の権利侵害するリスク

トランス活動家の主張の中には、女性の権利安全を直接的に脅かすものがあります。例えば、トランス女性女性専用の空間アクセスする権利を強く主張することが挙げられます。これは、生物学的な女性安全空間を求める権利と衝突する可能性があり、女性たちの不安懸念無視するものです。ジェンダーアイデンティティ尊重することは重要ですが、それが他者安全権利犠牲にするものであってはなりません。このような活動が無批判に推進されることで、女性の権利が後退するリスクがあることは見過ごせません。

 

3. 科学的根拠に基づかない主張の危険

トランス活動家の中には、科学的根拠に乏しい主張を展開し、それを広く受け入れさせようとする者もいます。例えば、「ジェンダーは完全に社会的に構築されたものであり、生物学的な性別無意味である」といった主張は、多くの科学研究によって否定されています性別には生物学的な基盤があり、それを無視することは、医学的および社会的な混乱を招く可能性があります科学的根拠に基づかない主張をもとに社会規範を変更することは、無責任であり、長期的には多くの人々に悪影響を及ぼす可能性があることを認識すべきです。

 

4. 対立を煽る過激レトリック

一部のトランス活動家は、過激レトリックを用いて社会対立を煽る傾向があります。例えば、異なる意見を持つ人々を「敵」と見なし、彼らを排除しようとする姿勢は、社会の分断を深める原因となります。このような過激アプローチは、トランスジェンダー権利正当性を損なうだけでなく、より広範な社会理解共感を得ることを困難にします。人々が互いに対立するのではなく、共通理解に基づいて問題解決するためには、対話妥協必要ですが、過激活動家たちはその可能性を閉ざしています

 

以上のように、トランス活動家の中には、他者権利自由侵害し、社会に不必要な混乱や対立をもたらしている場合がありますトランスジェンダー権利擁護することは重要ですが、それが他者権利社会の安定を犠牲にするものであってはなりません。冷静で理性的議論と、すべての人々の権利尊重される社会の実現が求められています

2024-08-13

anond:20240813114910

あなたの言っていることには矛盾があるように思われます特に利害関係調停と、デマ誹謗中傷混同しているという点が問題です。

ハラスメント・加害は受け止め方次第」とありますが、特定集団犯罪者と同一視するような発言問題視されるのは当然のことです。

キャンセルカルチャーによって理性的議論ができなくなる」のではなく、「ハラスメント・加害」と受け取られるかもしれないような発言がなくなるように努力して初めて、理性的政策や利害調整の議論ができるのではないでしょうか?

2024-08-12

「美しい」という概念は、日常的な意味芸術哲学における意味で異なる側面があります。主な違いを以下に示します。

### 1. **日常的な「美しい」**

- **感覚的な快楽**: 日常的に「美しい」という言葉を使う際、人々は主に視覚的、聴覚的な快楽に基づいていることが多いです。たとえば、美しい風景、花、音楽などが挙げられます。これは、個人感覚や好みに依存やすく、比較主観的です。

- **直感的な反応**: 美しさは、しばしば瞬間的な直感感情的な反応として経験されます特に美的評価を深く考えたり分析したりすることなく、「美しい」と感じることが多いです。

- **普遍的基準の不在**: 日常的な美の概念には、普遍的基準がなく、何が美しいかは人それぞれです。

### 2. **芸術哲学における「美しい」**

- **哲学探究**: 芸術哲学で「美しい」とされるものは、単に感覚的な快楽にとどまらず、より深い哲学探究対象となります。美しさの本質普遍性、そしてその社会的文化的な意義について考察されます

- **形式と内容の関係**: 哲学的には、美はしばしば作品形式と内容、つまりその構造や秩序、調和に基づいて論じられます。例えば、ある芸術作品の美しさは、その要素がどのように組み合わさり、全体としてどのような意味感情を生み出すかに依存します。

- **普遍的価値の探求**: 芸術哲学では、美が単なる主観的感覚にとどまらず、ある程度の普遍性客観性を持ち得るかどうかが重要議論対象です。例えば、イマヌエル・カントは、美を感覚的な快楽のみに基づかない普遍的判断であると考えました。

- **美の批評評価**: 芸術哲学においては、美は批評的に評価されるべきものでもあります。これは、美的経験が単なる個人的な感覚ではなく、理性的評価批評を通じて共有され、理解されるべきであるという考え方に基づいています

### 3. **重要な違い**

- **深さと反省**: 日常的な美しさは、即座に感じられる感覚的な反応に基づくのに対し、芸術哲学的な美しさは、深い反省分析を通じて理解されることが多いです。後者は、感覚を超えた理性的理解社会的文化的背景の中での美の位置づけを重視します。

- **対象範囲**: 日常的な美は一般自然や人々が美しいと感じるもの限定されますが、芸術哲学では、美の対象は必ずしも「心地よい」もの限定されず、異様なもの不快ものにも美的価値が見出されることがあります

これらの違いを通じて、芸術哲学の「美しい」という概念は、単なる感覚快楽を超えて、深い哲学的探求と普遍的価値観の探求を含むものとなっています

2024-08-11

要旨を理解してないコメントって、面白くないし結構多い。

最近このサービス日記を書きはじめ、コメントがつくのは嬉しい。こんなに反応がもらえるとは思ってなかった。

ただ、「文章が読めてない脊髄反射コメント」が多くて、まあそんなものよねと思ってしまう。

匿名コメントなら、別にそれも理解できるのだけど、匿名じゃない方コメントのほうが、そういうのが多くて、あなた本当にそれでいいの?って思ってしまう。

文章は本筋の内容を具体的な説明と補強のために「例え話やエピソードを交える」わけだけど、そこについて噛み付き持論を述べる人がすごく多い。

中学高校の論説文の読み方で、「例は要旨には関係ない」って習ったはずだと思うけど、それができてない人ってすごく多いのだなと思う。

それはメディアとかの「切り抜き報道」にもよく言われることだと思うわけで、要旨を捉えることが出来ない人が多いからこそ、その切り抜き報道がまかり通ってしまうのかなとも思う。

メディアはあえて切り抜いて扇動してるのか、もしくは本当に頭が悪いのかはわからないけど。どちらも存在するかもしれない。

とにかく、多くの人間感情的理性的物事を見ることが難しいのだなということを、ここで日記を書き始めてよくわかった。

こう言うことを書くと、確実に「長くて分かりづらい文章を書く方が悪い」というような言い方をする人が出てくると思うし、そういう方が3行でまとめろと言うのだろうけど、3行でまとめたらまとめたで書いてないことを想像で補って噛み付く人もたくさん見てるから、多分読解力の問題なんだろうとは思う。

中でもちゃんコメントとして参考になる人もあるし、明らかに要旨を理解しようとしてないボケ?なのかなんなのかを目的としたコメントは、賑やかしとして面白いと思ってるからそれはそれで良いと思う。

2024-08-09

anond:20240807210906

主と妻の論点が異なってるし、どっちもそこそこ正当なことを言ってるから、主と妻がお互いどの領域でなにを言いたいのか冷静に整理しないと先に進めなさそう

妻の主張

①息子がチー牛かもしれん

子育てのやり方を見直すべきでは?

主の主張

①(嫁に対して)チー牛とかい差別的ネットスラングを(特に家族に)使う人間になるな。

②息子がチー牛の特徴に当てはまっていたとして、それのなにが悪い?

って感じで、議題が噛み合ってる箇所が②しかないし、

その②も簡単に論じれるような話題じゃないから、もっと慎重に論点を切り分けながら個別意見のすり合わせをしていく必要があると思う

以下それぞれに対する俺の感想

まず主①の主張、これは賛同できる

チー牛とかいうかなり差別的ネットスラングをあろうことが子どもに対して向ける妻の精神性はかなり「それはやばくないか?」と思わざるを得ない

そして妻①の主張、「息子がチー牛かも?」これはまあ判断できる要素が書かれてないからなんとも言えないが、主が否定してる描写も無いしそこそこ当てはまっているのでは?と感じた

で、主妻それぞれの②の主張、まとめると

「チー牛っぽい特徴を持っているかもしれない息子に対して今後どうアプローチするべきか?」に対しては、

俺は少し危機感を持った方がいいと思う、という立場

「息子がチー牛でなにが悪い?」という主の意見はわかる、わかりはするんだが、

一旦冷静になって、「悪い」のニュアンスを分けて考えるべきだと思う

チー牛っぽい特徴を持っていることは人格的に、もしくは社会的に、「悪」なのか?というと、これはもちろんそんなわけがない。そういう意味で、主の意見通り「息子がチー牛なのはなにも悪くない」。善悪概念では、悪ではない。

が、チー牛っぽい特徴を持っていることが、今後何か不利益に働くか?と言われると、これは「だいぶ不利益に働く」と言わざるを得ない。良不良の意味では、不良。

そういう意味で、「なにか対策を打つべきなのでは?」という妻側の意見の方に賛同する。

そうだな、「学歴差別は不当」と「低学歴は苦労する」は両立するのに似てるな。

主は「生理的に無理」とか「キモい」とかそういう言葉即物的だと言って一笑に付してるけど、

人間理屈や正しさよりもかなり感情第一印象先入観で動きがちで、なんならたとえ理性的であろうと心がけている人でもなんだかんだ生理的感覚に引っ張られるものなので、

生理的に無理」「キモい」と感じられてしまうような人間に対する世の中からの扱いはかなり悪くなってしま

これが不当な差別だっていうのはわかる、わかるんだが、人種差別とかと違って、本能に根差しものとして指摘すればなくなるわけじゃないんだよ ある程度根拠のある差別と言ってもいい

学歴差別を無くしたからといって、学力方面での高学歴低学歴の差がなくなるわけじゃないのと同じ

妻がいう通り、チー牛という言葉がそういう「感じ」を上手く言い表しているんだよね

昔は「ネクラ」とか「オタク」という言葉にその「感じ」が含まれてたけど、「オタク」がもっと価値中立言葉浄化されたから、代替としてチー牛という言葉が生まれただけ

チー牛という言葉を無くしても、その「感じ」がなくなるわけではない

妻はなんというか、チー牛というスラングがそこまで差別的言葉だっていう認識が薄いんだろうね

からもちろんチー牛という言葉を使うこと自体咎めたほうがいい

ただその「感じ」があること、その「感じ」に世の中から差別的な目が常に向けられていることとは別に議論した方がいい

じゃあどうすりゃええねん、と言われると、

そうだな、そうだな……

俺もチー牛だからそのへんはあんまりよくわかんないな……

ただなんとなくは、「父性」が鍵のような気がしている。

母親が過干渉父親が無関心気味の家庭が「そう」なりがちというのは各所で言われがちで、

やっぱり教育家庭における「男らしさ」の不足が原因の一端なんじゃないかな?とは思う

男らしいとか女らしいとかそういうのはジェンダー平等に反してるだろ、と言いたいのはわかるが

なんだかんだ現代でも男は男らしい方が得するんだよな

男女平等を主張してる女たち自身が男らしい男を嗜好するし、男同士であってもそうだから

男女平等ジェンダーバイアスの解消というのはお題目としては立派であっても現実に即してはいないんだな

優しさとか誠実さとか生真面目さは世の中を渡っていくにあたってそこまで大きなプラスになる「見た目」ではないんだよな

これらを持つこと自体否定してるわけじゃなくて、もちろん大事ものなんだけど、無害性のアピールしかならないから、

必要な時に(時として他者のために)他者に対して強く出られる能力責任を引き受けたりする能力リーダーシップイニシアチブを取る能力と見かけ上相反してるから、やっぱりなにかしらそういう芯の強さを育む機会が必要だと思う 無害性オンリーでは人間評価だと下の上止まりになってしまう おそらく中の下にもいけない

運動部に入れろとかそういう感じに近いけど、部活強要するわけにもいかないし、親にできることってどれぐらいなんだろうな……

まとめると、

•「チー牛」はその「感じ」を端的に表していることばではあるが、かなり差別的なので息子に向けるのはやめたほうがいいと伝える

•息子がチー牛的素質を持っていること自体は、すこしなんらかのアプローチを考えた方がいい

って意見かな。

なんか内容を見るだけだと夫婦自体が悪そうに見えてしまうけど、そこも見直したほうがいいのでは?

anond:20240807210906

主と妻の論点が異なってるし、どっちもそこそこ正当なことを言ってるから、主と妻がお互いどの領域でなにを言いたいのか冷静に整理しないと先に進めなさそう

妻の主張

①息子がチー牛かもしれん

子育てのやり方を見直すべきでは?

主の主張

①(嫁に対して)チー牛とかい差別的ネットスラングを(特に家族に)使う人間になるな。

②息子がチー牛の特徴に当てはまっていたとして、それのなにが悪い?

って感じで、議題が噛み合ってる箇所が②しかないし、

その②も簡単に論じれるような話題じゃないから、もっと慎重に論点を切り分けながら個別意見のすり合わせをしていく必要があると思う

以下それぞれに対する俺の感想

まず主①の主張、これは賛同できる

チー牛とかいうかなり差別的ネットスラングをあろうことが子どもに対して向ける妻の精神性はかなり「それはやばくないか?」と思わざるを得ない

そして妻①の主張、「息子がチー牛かも?」これはまあ判断できる要素が書かれてないからなんとも言えないが、主が否定してる描写も無いしそこそこ当てはまっているのでは?と感じた

で、主妻それぞれの②の主張、まとめると

「チー牛っぽい特徴を持っているかもしれない息子に対して今後どうアプローチするべきか?」に対しては、

俺は少し危機感を持った方がいいと思う、という立場

「息子がチー牛でなにが悪い?」という主の意見はわかる、わかりはするんだが、

一旦冷静になって、「悪い」のニュアンスを分けて考えるべきだと思う

チー牛っぽい特徴を持っていることは人格的に、もしくは社会的に、「悪」なのか?というと、これはもちろんそんなわけがない。そういう意味で、主の意見通り「息子がチー牛なのはなにも悪くない」。善悪概念では、悪ではない。

が、チー牛っぽい特徴を持っていることが、今後何か不利益に働くか?と言われると、これは「だいぶ不利益に働く」と言わざるを得ない。良不良の意味では、不良。

そういう意味で、「なにか対策を打つべきなのでは?」という妻側の意見の方に賛同する。

そうだな、「学歴差別は不当」と「低学歴は苦労する」は両立するのに似てるな。

主は「生理的に無理」とか「キモい」とかそういう言葉即物的だと言って一笑に付してるけど、

人間理屈や正しさよりもかなり感情第一印象先入観で動きがちで、なんならたとえ理性的であろうと心がけている人でもなんだかんだ生理的感覚に引っ張られるものなので、

生理的に無理」「キモい」と感じられてしまうような人間に対する世の中からの扱いはかなり悪くなってしま

これが不当な差別だっていうのはわかる、わかるんだが、人種差別とかと違って、本能に根差しものとして指摘すればなくなるわけじゃないんだよ ある程度根拠のある差別と言ってもいい

学歴差別を無くしたからといって、学力方面での高学歴低学歴の差がなくなるわけじゃないのと同じ

妻がいう通り、チー牛という言葉がそういう「感じ」を上手く言い表しているんだよね

昔は「ネクラ」とか「オタク」という言葉にその「感じ」が含まれてたけど、「オタク」がもっと価値中立言葉浄化されたから、代替としてチー牛という言葉が生まれただけ

チー牛という言葉を無くしても、その「感じ」がなくなるわけではない

妻はなんというか、チー牛というスラングがそこまで差別的言葉だっていう認識が薄いんだろうね

からもちろんチー牛という言葉を使うこと自体咎めたほうがいい

ただその「感じ」があること、その「感じ」に世の中から差別的な目が常に向けられていることとは別に議論した方がいい

じゃあどうすりゃええねん、と言われると、

そうだな、そうだな……

俺もチー牛だからそのへんはあんまりよくわかんないな……

ただなんとなくは、「父性」が鍵のような気がしている。

母親が過干渉父親が無関心気味の家庭が「そう」なりがちというのは各所で言われがちで、

やっぱり教育家庭における「男らしさ」の不足が原因の一端なんじゃないかな?とは思う

男らしいとか女らしいとかそういうのはジェンダー平等に反してるだろ、と言いたいのはわかるが

なんだかんだ現代でも男は男らしい方が得するんだよな

男女平等を主張してる女たち自身が男らしい男を嗜好するし、男同士であってもそうだから

男女平等ジェンダーバイアスの解消というのはお題目としては立派であっても現実に即してはいないんだな

優しさとか誠実さとか生真面目さは世の中を渡っていくにあたってそこまで大きなプラスになる「見た目」ではないんだよな

これらを持つこと自体否定してるわけじゃなくて、もちろん大事ものなんだけど、無害性のアピールしかならないから、

必要な時に(時として他者のために)他者に対して強く出られる能力責任を引き受けたりする能力リーダーシップイニシアチブを取る能力と見かけ上相反してるから、やっぱりなにかしらそういう芯の強さを育む機会が必要だと思う 無害性オンリーでは人間評価だと下の上止まりになってしまう おそらく中の下にもいけない

運動部に入れろとかそういう感じに近いけど、部活強要するわけにもいかないし、親にできることってどれぐらいなんだろうな……

まとめると、

•「チー牛」はその「感じ」を端的に表していることばではあるが、かなり差別的なので息子に向けるのはやめたほうがいいと伝える

•息子がチー牛的素質を持っていること自体は、すこしなんらかのアプローチを考えた方がいい

って意見かな。

なんか内容を見るだけだと夫婦自体が悪そうに見えてしまうけど、そこも見直したほうがいいのでは?

2024-08-07

anond:20240807231632

おれは夜な夜な一人で性欲を解消してるのだから、女も一人で感情を解消して理性的に過ごしてほしいものです。

anond:20240807115704

自分の選んだ論点こそが選挙レベルの重大事で、特定スタンスから外れていれば敵って誇大妄想狂の振る舞いなんだよな

理性的活動家なら自分のやりたい論点はそこまで関心を持たれていないことをわきまえていてまず事実のみ啓蒙するところから始めるはずで、即座にスタンスを迫るなんて無駄に敵を作ることはやらない

2024-08-06

anond:20240806134727

から本気で恋愛を考えるといった迷惑行為をせず

漠然とした夢を述べるにとどめているので

現実をわきまえている理性的人物だと判断することができます

2024-08-03

ASDコミュニケーションアドバイスが欲しいです。

ASDの私のコミュニケーション問題を考えるためのメモ

目標仕事人間関係トラブルを起こさないようにしたい。

理想被害が出ない程度に私自身もコミュニケーションを楽しみたい。以下メモ

会話の際意見の違いで口論になることが多々ある。

基本的にこの時点では怒っていないか淡々と話すことが多い。

流れとして、

相手の主張を聞く。

自分の主張を言う。

相手の主張と自分の主張を擦り合わせようとする。

④大体ここら辺で自分が言いたいことと、相手自分に言われたと思っている主張が食い違っていることに気づく。

⑤食い違いのところを訂正させるため自分の主張はAであってBではない。ここの部分が違うと主張。

⑥大体ここら辺で相手側がヒートアップしてくるもしくは飽きて投げやりになる。

⑦最終的に「めんどくさいからお前が正しいで良いよ、間違っているけど」みたいなことを言い出して相手側がコミュニケーションから降りる。

⑧私がとてつもない怒りに襲われる、酷いと暴発する。

重要ポイントとして、

・私は口論で勝ち負けは全く意識していない。私は口論はより良くするため、相手を深く知るコミュニケーションツールだと思っている。

相手側は私が口論で人を負かすのが好きだと思っている。レスバ好きみたいだと思っている?

・また相手自分意見を擦り合わせる際、自分が間違っていると思った場合はすぐに間違いを認めることや、謝罪はできる。

自分より頭が良く余裕のある人とは相手が合わせてくれているため理性的なままコミュニケーションを終えることができる。なお相手はどう思っているかはわからない。

例えばカウンセラー親友、父。

・それ以外の普通の人(立場が対等、口論ストレス気質持ち、頭脳レベルに差がないなどの条件)とのコミュニケーションに失敗が多い。

Q、口論をしなければ良いのでは?

口論自覚相手ヒートアップしたり投げやりになってから気づく。

ひどい時はコミュニケーションを打ち切られてからの時もある。

私はずっと雑談感覚であり、むしろ会話がのっている状態だと思ってテンションが高くなることが多い。

Q、なぜ最後怒りが暴発するのか?

一方的悪者にされたと思うから

視点では相手側が興奮し出したり勝手に冷めたりと状態が変化しているのを急に私のせいにされたと思っている。相手感情コントロールが未熟なことをなぜ私の非になるのかが理解できない。

特に理解できないのが周りの人も私が悪いという流れになるところ。

ひどい時は口論中怒鳴られたり、人格罵倒されたりすることがあっても、「彼にも悪いところがあったかもしれないけどあなたが悪いよ」的な流れになることが多い。

そういう時私は口論中は怒鳴りも罵倒もしていないことが多い。

→状況が理不尽だと思いストレスたまる

問題点として、この場合私は謝ることが難しい。

理由は、部外者が私に非があると言っているだけで私自身が悪いことをしたという自覚が無いから。

しか最近はできるだけ謝るようにしている。非を指摘した部外者との人間関係を壊したく無いから。

思ってもいない謝罪をすると、嘘をついているみたいで拒否感がすごいが我慢している。

ちなみに相手側が私に謝ることは無いことが多い。理不尽だと思いストレスたまる

②楽しく話していたら急に相手が「つまらん、やめろ」って言ってコミュニケーションを打ち切ることに苛つく。

→私視点では途中まで相手も身を乗り出して会話してくれたのに話の都合が合わなくなった途端に逆ギレしてきたと感じるから理不尽に当たられて不快気持ちになる。

anond:20240802090607

2は見てないけど、少なくとも1は理性的生活ベースで、その中で感情に溢れてた日々を思い出す的な描き方だったと思う。

最初から感情オンリーなら感情に突き動かされてもドラマにならないよね。

2024-08-02

anond:20240802122721

なんでどんどん違う話に飛んでるの?

今はLUUPの話だと思ったのに、自民党だの天安門だのの話に飛んでる増田

全然理性的共通話題を話すことができない人って写るんだけど

2024-07-31

anond:20240731200427

いやいや、そんなことはないだろう。

増田での男女論は、実際には現実社会で起きている問題を反映しているんだ。

俺たちの意見も大いに正当性があるし、聞かれるべきだ。

問題は、一部の女性自分たち意見無視して、ただ感情的になることだ。

もっと冷静に議論すれば、俺たちの指摘がどれだけ真実を突いているか理解できるはずなんだ。

でも、そもそも無視されるから全然話が進まない。

結局、男女論の低レベルさは、女性側が原因だと言える。

彼女たち自身がもう少し理性的になれば、もっと建設的な議論ができるだろうに。

2024-07-24

anond:20240724164424

ぼんやりしてると思ってるのお前だけだし、ぼんやりしてると思っちゃうのは理解ぼんやりしたるからなんだよなあ。

 

お前の考える、"気持ちいいことを我慢する能力"みたいな「理性」ってのは、機能としては脳の前頭葉前野にあるんだよね。これは、より具体的には、”感情我慢する機能”として存在する。カッとなって殴ってしまう、美味しそうなものがあったら金払う前に我慢できず食べてしまう、そういうのを抑える能力ってのがある。

で、お前はぼんやりしてるから、同時に”論理的思考する能力"のことも「理性」と呼んでるだよね。それは全然別のもんだよ。日常言語としては、別にその能力のことを「理性」と呼んでもいいけど、両方のことを同時に理性と呼んで同一のものだと考えるのは、単に理解ぼんやりしてる。

論理的思考能力と、感情衝動我慢する能力ってのは、全く別のものなんだよね。カッとなって殴ってる奴は、論理的に考えたら殴ったらいけないことぐらい判ってるけど殴ってるんだよ。論理的に考えているやつが、理性的に行動しているやつではない。

ゴムつけるのが論理的に考えて正しい選択だったとしても、それに従ってるやつが感情我慢してるわけじゃないんだよね。それはただ単に、ゴムを外してぇという感情存在しないだけだったりする。当たり前だろ。なんで遺伝子がもたらすヒトの本能プログラムに、生で中出ししたい、なんて書いてあるんだよ。ただ出せれば満足するのが人の生殖本能だよ。なんか、獣性を持つからには、本能的に産みたいはず、それを我慢してるから理性が働いているはず、その働いている理性は論理的思考能力のはず……という、十重二十重の思い込みがあるんだよなお前には。

 

 

あ、蛇足いれとくね

秋田もっと出生率高くないとおかし

ヒント:都市化とは人が多くてビルが立ち並んでいることではない

村落共同体ではなくなった、ことが主眼の概念なんだ都市化ってのは。

地域コミュニティというのが希薄で、ご近所の付き合いや義務の課し合いというのをしなくなっており、人々とくに若者の将来が自由である状態。それが都市化だ。

人口密度が増えて、労働環境がむかしながらの自家農業から都市的な雇用関係に変化すると、そういうことがおきるって概念なんだよね。

まり秋田は、十分すぎるほど都市化の影響下にあります

anond:20240724161947

ぼんやりしまくった言い方で理性に対する理解揶揄するしか出来ないの雑魚すぎるなぁ。

少子化の原因、都市化じゃん? って話たぶんこのツリーでしてたよな。

都市化問題なら秋田もっと出生率高いよね。

まあアクセスできる娯楽の量と出生率は相関あると思うけど、子供を作るかどうかもゴムをするかどうかも理性による判断でしょ、後先考えてないならみんな生で適当相手とやって子供じゃんじゃか作るよね。

 

明日から少子化解消してください~! で解消する理性が人類にあったらなんも問題ないだろ。

これとかアホでしょ、個人幸福より社会を優先するかは理性ではなくイデオロギーの話な。

理性的論理的かどうかと、利己的かどうかって別のパラメーターの話なんだけど、知性の欠如があるとごっちゃにしちゃうんだろうね。

anond:20240724140807

生殖とか種の保存みたいな生物の根幹に関わる部分を理性的人格コントロール出来ないならこんなに少子化になってるわけねーだろ、頭悪すぎるわ。

anond:20240724133508

人間人格を重く受け止め過ぎているな

生殖とか種の保存みたいな生物の根幹に関わる部分を理性的人格ですべてコントロールできるなんて思い上がりも甚だしい

人格なんて所詮細胞の寄せ集めが作り上げてる電気信号にすぎないのに、確たる主体として存在すると思い込んでるのは良くない

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