はてなキーワード: 漂白とは
新田恵海つんによく似たAV女優が今も乳首の色が茶色すぎると言われてるのをみた
俺が定期的に見に行ってる整形ブログでは乳首脱色するために漂白剤を乳首に塗ったりレーザー当てたりって繰り返してるのだが、歯の矯正レベルで必要なことなんだろうなって理解できた
シスヘテロ対人性愛者の男が自身の加害性を許してもらいたがってる様子には反吐が出るが、しかしフィクトセクシュアル当事者としては、「二次元」や「萌え」という文化が内包するセクシュアリティの部分を漂白されることに対する危機感もある。
「愛する人と人生を共にするのに性別なんて関係ないけど、尻の穴に性器を突っ込むなんて不潔で気持ち悪いよね~」みたいな言説がカジュアルに蔓延して喜ぶ同性愛者はいない。LGBT運動の一部としても、そのような「オシャレに、カジュアルに消費される活動」から落とされる「汚い」部分を、敢えて「まるでチキンレースのように」表現する人々もいるが、それを「ゾーニングを守れ」と安易に断罪して良いとする倫理観は、マジョリティにとって都合の良い価値観だろうと思う。
柔軟剤の香りが衣類に残り続ける仕組みは企業秘密で詳細は分からないのですが、洗剤メーカーの特許内容から推察すると、
(布)---(接着成分)-ウレタン結合-(香料)-ウレタン結合-(香料)
という構造を形成し、体温や汗で徐々にウレタン結合が加水分解される際に、香料が放出される仕組みのようです。
1. ドライクリーニング。有機溶媒で布から接着成分を落とす。
2. アルコール漬け置き。エタノールやメタノールなどのアルコール溶剤で布から接着成分を落とす。
3. 塩素系漂白剤漬け置き。塩素でウレタン結合を分解して香料を落とす。
4. クエン酸や重曹での漬け置き。酸やアルカリでウレタン結合を分解して香料を落とす。
5. スチームアイロン。熱でウレタン結合を分解して香料を落とす。
それ以外の服なら、
白髪染めの洗髪料が風呂場の床(と浴槽の縁のところ)に付いてしまっていた。
ふだんは、なるべく飛び散らないようにし、かつ、常にお湯を流し続けて洗髪料が残らないようにし、さらに、最後にブラシと洗剤で軽く全体を洗ってから出るのだが、急いでいたのでサボってしまっていた。
で、そのときは気づかず、出張中に家族から指摘があって、36時間後ぐらいに清掃にとりかかった。
どうなることかと思ってググったら、
などが紹介されていたのだが、結果的にはカビキラーでほぼ完全に落ちた。
黒くなっている箇所にカビキラーを少し多めに噴いて、上からサランラップをかけて、1時間ぐらい放置。それだけ。
ちなみに床は樹脂製。
ググると、「ラップと床の間にウェスやキッチンペーパーを挟む」と書いてあるけど、そんなことはせずにカビキラーの上から直接ラップをかけた。
オタクゆーのは社会不適合者でな、人付き合いとかコミュニケーションが苦手なんや。
人間関係が築けへん、まともに意思疎通もでけへん故に、社会的な成功とは無縁の、孤独でショボクレた人生を送るわけや。まぁ例外はあるけどな。
そこで一念発起して、前向きに努力してくれればエエんやが、大抵は現実逃避、妄想の世界に逃げるわけで。
それがアニメ・マンガ・ゲームなんかのいわゆるオタクコンテンツやな。
虚構の世界を疑似体験することで、現実社会での欲求不満を解消するっつーこっちゃ。
それ自体はストレス解消、人生楽しく生きるための娯楽、悪いことやあらへん。
ところがオタクは現実社会で報われんがゆえに、オタクコンテンツに異常に入れ込んでまう。
そうしてオタクは、自らの価値観を共有・補強するために同好の士で固まるんやな。
そこんとこは宗教と変わらんな。まぁ布教とか信者とか、親和性は高いわけや。
また、帰属意識の強さは、商売にも利用されて、オタク相手のビジネスも結構ごっつい市場なっとる。
また公的機関やら自治体が人集めやPRにオタクコンテンツを利用するっちゅーのもよう見るようなりましたな。
そこで問題なるんが、オタクコンテンツは現実社会のアンチテーゼであるがために、非現実的・反社会的であることを宿命づけられとるちゅーこっちゃね。
つまり、コンテンツそのものが社会的な良識とは相容れない価値観によって形成されとる訳で。
ガワだけ使うなり漂白するならまだしも、ナマで世間様に開チンしたら猥褻物チン列罪でっせ。
そういうわけで、世間様がオタクコンテンツをキモイ、不健全だ言わはるのは当然のことであり、この程度問題ない、っちゅーのはオタクバイアスですわナ。
表現規制をやめろと言うのも間違いで、むしろ規制されるべき表現がオタクコンテンツであり、我々は迫害されるがゆえにオタクなのである、ちゅーことですわ。
https://ai-novel.com/novel.php
私は貧乏人 →私は金持ちになりたい! →私は「節約」したい!! というわけで、早速本題に入っていきましょう。
1:貯金箱に入れるお金を増やす 2:毎月のお小遣いを少なくしてもらう 3:スマホ料金プランの見直し 4:生命保険を見直す 5:光熱費を下げる 6:通信料を減らす 7:車の維持コストを下げたい 8:保険の見直し 9:固定資産税の支払い方法を変える 10:クレジットカードの利用明細を見るようにする 11:ポイントカードを活用 12:クレカ以外のキャッシュカードを活用する 13:口座を分けることで出金手数料が減る 14:ATMの利用回数を減らしてみる15:銀行ではなく郵便局を利用する 16:コンビニで現金払いしない 17:電気屋さんで買わない 18:宅配便を送る際に、できるだけ営業所止めにする 19:新聞を取っていない 20:不要な公共料金の引き落としを止める 21:使わないクレジット機能付きカードは解約する 22:コンビニでは楽天ペイを使う 23:銀行には行かない 24:クレジットカードで買い物はしない 25:無駄な飲み会に参加しない 26:余計なものは持たない 27:着道楽をやめる 28:服はセール品を買う 29:必要なもの以外は買わない 30:不用品は捨てる 31:欲しいものは自分で作る 32:月々の無駄な支出を削ってゆく 33:毎日の生活の中で無駄を見つけて省いてゆく 34:生活のサイクルを整える 35:家電は壊れたら買い換えない 36:冷蔵庫は2ドアタイプにして容量を増やした方が安い場合もある(私の場合)
(オーブンは使ってないけど、あったら便利かなと思ってます。お菓子作りとかにも使えそうな気がして……。まぁ、今の所、一度も作っていないのですが。笑)
39:掃除機を頻繁にかけなくても大丈夫 40:トイレットペーパーの芯を捨てる 41:ティッシュの空箱をゴミ袋へ入れる 42:生理用ナプキンを紙製から布製に変える 43:食器洗浄器を使おう 44:炊飯器は保温機能をオフにしよう 45:冷凍食品はなるべく避けよう 46:レトルトは極力食べないようにする 47:米は定期的に研いで水に浸けておく 48:食材は新鮮なうちに使い切る 49:洗剤は液体よりも粉状のものの方が良いらしい 50:風呂場や洗面台、台所の水垢汚れを取る 51:排水溝の髪の毛を取り除き、週に一度くらいクエン酸入りの漂白剤に漬け込む 52:エアコンの温度設定をする 53:お湯を沸かす時、IHクッキングヒーターやガスコンロなど、自分の好みのものを使用する 54:お鍋でご飯を炊き、お皿に移す時にラップをかける 55:お弁当を作る時は前日に仕込んでおく 56:お弁当箱やタッパー、ジップロックなどの保存容器を用意する 57:前日の夜に翌日の朝ごはんの下ごしらえをして、翌朝すぐに調理できるようにする 58:お弁当のおかずに前日作ったものを詰める 59:おかずの材料費を抑えるため、その日の夕食に使う 60:買い物に行く時間と手間を節約するために、まとめ買いする 61:スーパーのタイムサービスやバーゲンセールを利用する 62:買い物かごを持って歩く時間を短縮するため、カートを使って移動距離を短くする 63:値札シールは剥がす 64:レシートは捨てない 65:ポイントカードを活用する 66:現金払い
起きたら洗濯機回したまま放置してたことを思い出して確認すると白T何個かに色移りしてて絶望する。
漂白の奴入れて問題の服だけ再度洗濯するも効果は望めず諦めてインナー化。
洗濯の間に日課のリングフィットアドベンチャーと朝シャンを終わらす。
昨日半分くらい見て寝落ちした樹海村というホラー邦画を見るもクソつまらんという感想で終わる。
10時くらいになるとママチャリ漕いでワークマンに。ダメになった白Tシャツの代わりと黒のフリースジャケットを買った。2000円ちょっと。
お昼くらいに家に帰って掃除をしたりルパン三世の最新話を見てたり嫌儲やはてブでニュースチェックしてると両親が自宅に来る。実家のこたつ布団を新しくしたので古い奴を届けてくれとお願いしてた奴だ。
ついでに一緒にくら寿司に行って奢ってもらう。1年ぶりくらいのお寿司。新しく買ったフリースジャケットを早速着ていった。昔からテレビっ子家庭だったからこの前の水ダウの企画の話とか佐久間宣行のYoutubeが最近おもしろいんだよねーみたいな話をする。
両親と分かれると徒歩で近所の大型ダイソーに。おしゃれっぽい食器とか洗剤類とか充電池とかいろいろ買う。
そんで同じ足で家電量販店行ってスマートウォッチを見たり洋服屋さん行ったり無印で雑貨見たり夕方までブラブーラ。
途中結婚相談所の看板が目に入るも「わきまえろ」という心の声に従い視線をそらす。
家に帰るとはてブで子供部屋おじさん記事を見て「あーこれ多分とーちゃんがかーちゃんより先に死んだ世界の俺だわ」ってなって悲しい気持ちになる。
夜はコンビニのネギ塩豚カルビ丼の再現レシピを作る。なかなかいい感じにできた。レモン果汁をちょっと入れすぎてしまったかもしれない。
最近ヘビフロッグという動物系Youtuberにハマってるので過去動画を延々と見る。
「あーそういえば明日会社でプレゼンなんだよなぁ喋るの苦手なのに辛いなぁ」とか「そういえば最近日本株ETFにちょっと投資してたけど選挙でまた落ちるかもなぁ」とか考えながらあまり良い気持ちじゃない状態で眠りにつく(予定)
どうだ、これが弱者男性の一日だ。
怖いか?
まず全体的な所感ですが、性的指向(セクシュアル・オリエンテーション)と"ふるまう性"(ジェンダー・エクスプレッション)の議論を混同されているように思います。フィクトセクシュアルという言葉自体が新興的なもので、まだなかなか定義の定まらないものですが、おそらくは性的指向に近い概念を指す言葉ではあるのでしょう。そこには実際のところ多様なあり方が共存しているものだとは思います。ただ、ここで私が述べたかったのは、フィクトセクシュアル(として概ね括れる文化圏)の人々が持つ、"ふるまう性"に関する独特の文化のことです。
「アバターの格好を否定されたら、主体性を持って自分のあり方を選択した中の人が悲しむ」
こんな風に言っているブックマーカーがかなり多く、いた。それはフィクトセクシャル的な分離の考え方ではありえない判断ですよね?
これは全く誤解していると言わざるを得ません。むしろ、「アバターの格好を否定されたら、主体性を持って自分のあり方を選択した中の人が悲しむ」という言説こそがまさに、フィクトセクシュアル的な"ふるまう性"のあり方に即したものであると私は思います。フィクトセクシュアルの性のあり方は、単なる「分離」とは異なると思います。私はしばしば「漂白」という言葉を使います。私が以前に書いたエントリが参考になるかもしれません。→anond:20210925104708)
Vチューバを採用する問題と、職場の水着ポスターの問題は、前者が「私たちの論理」で後者が対人性愛者の論理で捉えられるべき範疇にある。現実の水着ポスターの問題を解決した対人性愛者の論理を空想のキャラクターに当たり前のように適用するのはフェアじゃない。そうして生じた問題はそもそも、野蛮さも危険さもないVチューバとしての自己表現を歓迎するフィクトセクシャルの常識では起こらないのだ。
「私たちの論理」も、対人性愛者の論理も、適用可能範囲自体には特に制限はありません。私が言いたいのは、その論理が「誰のためのものか」ということです。「AかつBが原因」であるとき、「Aを排除すれば、Bだけでは問題は起こらないのだから、Aこそが真の原因である」と強弁するのは、Bにとっては非常に都合の良い論理でしょう。しかし、Aの立場からすれば「Bを排除すれば、Aだけでは問題は起こらないのだから、Bこそが真の原因である」と強弁することも可能なはずです。そこをフェアに議論して欲しいと言っているのです。
ならば、「助かる」はどうなる。
そこはまず、私が既に述べている
とした議論の射程範囲でもありますが、全く擁護できないわけでもありません。くしゃみやせきに関しては基本的に「忌避すべきもの」という慣わしがあり、「うっかりミュートできなかった」場合には配信者側が謝るということもしばしばありました。(今もあると思います。)それに対して、「気にしないで」という意味で「助かる」という言葉をかける人も大勢いると思います。そこは一概に括れないところだと思います。
そのような話ではありません。「問題を起こすのは対人性愛者なのだから、非対人性愛者に迷惑をかけない範囲で、対人性愛者同士で解決する」のが筋ではありませんか?有無を言わさず巻き込まれることになる、本来は無関係である非対人性愛者の声を「些末なもの」として排除することを、「必要悪」として肯定することをやめてほしいのです。
「女性表象を批判することが問題」だと思われているのではなく、「その表象は、ある意味では、"女性"表象ではない(部分がある)、ということを理解していないのが問題」なんですよ。これは「フィクションだから現実じゃない」というだけの話ではないんです。その表現自体は現実ではないけれども、表現者は現実に存在しているんですよ。そして、表現というものは、表現者自身の投影でもあるんですよ。
大衆娯楽というものが、単に「商品として製造され、消費者が購入する」というだけのシステムであれば、批判の余地がある部分を試験的かつ一方的に批判すればそれで済んだかもしれません。しかし実際にはそうではなく、そこには作者や観客のアイデンティティが投影されていたり、作者と観客のコミュニケーションが成立しているということが、次第に発見されてきたわけです。コミケのような場が受け入れられたり、インターネットの普及によって、素人が誰で創作に携われるようになり、「作者と観客」の集まりはもはや独自のコミュニティとなりつつあります。Vtuberという文化もまた、そうした文脈の延長にあると言っていいでしょう。求められているのは、「あなた達」とは異なる価値観、異なる文化圏に対する、敬意ではないのでしょうか。
「この程度のどこがエロいんですか?」というのは、「1でエロいと思う人もいれば、10でエロいと思わない人もいる」という話ではないんです。「程度の問題」ではないんです。「Aをエロいと思い、Bをエロいと思わない人もいる。Aをエロいと思わず、Bをエロいと思う人もいる」という、価値観の相違の問題なんです。
フィクション表現の場合、対象が「現実ではない」ことから、それ自体が時に女性の解放に繋がる場面もあります。これは「巨乳キャラを批判するのは巨乳女性に対する差別」とか、そういう話ではないのです。一般的には「エロい」とされるような様子を描写していたとしても、そこに「フィクション(人為的な作り物)」のフィルターを通すことにより、「いやらしさ」が漂白されます。だからこそ批判の対象にしたい人々というのもいるのかもしれませんが、私たちの文化圏ではむしろ、だからこそそれが「性の抑圧」からの解放に一役買っていると評価されています。誰も被害者がいないから、安心して消費できるし、肉体的繋がりを持たないから、安心して交流できる。生きた人間と対面して、手探りで交流して行くよりも、遥かに安全で誰も傷つけません。
フィクトセクシュアル(アセクシュアル)の私からすれば、対人異性愛そのものの方が、よっぽど女性を抑圧しているし、差別や性犯罪を助長していると思います。対人異性愛の欲望の実現が、社会に対してどのような悪影響を与えるのか?「個人の自由」で済むのか?本当に被害者はいないのか?という問いを、是非とも心の内に常に留めておいてもらいたいと思います。しかし、対人異性愛がそのような議論に巻き込まれることはありません。「痴情のもつれ」でどれだけ人命が失われようとも、それが「対人異性愛にはやはり悪影響があるのでは?」という問いに繋がることはありません。問題提起そのものが行われないのです。ただ文化的マジョリティであると言うだけの理由で。
「批判するな」とは言いません。しかし、まずはマイノリティに対する敬意を持つことから始めませんか?そして、そのような批判の眼差しは、まずは自分たち自身へと向けてみてはどうですか?そういうことが問われているのではないでしょうか。