はてなキーワード: 朝鮮とは
5chに連投コピペで貼られてたんだけど、ググっても元の文章が出てこない。
・すぎやまこういち(1931年東京都生。作曲家。日本バックギャモン協会会長)
・植松伸夫(1959年高知県生。神奈川大学外国語学部英語科を卒業後、TVCM等フリーで活躍し、1986年スクウェア入社)
(要約)
すきやま:
だんだんドラクエ関連のスケジュールだけで1年終わっちゃうみたいな有様になってきちゃって、
あんまり他のことができなくなってきてるんだよね。困ったもんだよ。
ドラクエやると、やれCDブックだアニメだときて、レコードもブラスバージョンやエレクトーンバージョンやピアノバージョンが出て、
そうなると色んな出版社がピアノ譜やエレクトーン譜を出す。そんなことやってるから1年潰れちゃうもんね。
植松:
すきやま:
どうしても大変だと思いながら、「このゲームが好きだなあ」ってことになるとついね。
植松:
まさか本当にやって頂けるとはね。言ってみるもんだなとつくづく思いましたよ(笑)
すきやま:
でも楽しかったね、あれは。FFVも大変だったね。やっと僕も上がったんですけどね。
植松君は働き者だなとつくづく思いましたよ。何曲あるの、あれ?
植松:
60近くはあるかもしれないですね。
すぎやま:
60曲あのゲームの中にあるということは、実際作った曲はその裏にもっとあるでしょう。何曲ぐらい?
植松:
1コーラス作ったという感じで言ったら100曲ぐらいいってるかもしれないですね。
すぎやま:
働き者だなあ(笑)
植松:
曲数が多いというのも一既にいいとは言えないとも思ってるんですよね。
すぎやま:
植松:
そんなでもないんですけどね、それでも10曲ぐらいは少ないかな?
すぎやま:
そうでしょ。やってる時はこの曲面白いなと思うんだけど、終わったあと覚えてる数が少ない感じがしたね。
その原因は何だろうと思ったんだけど、多すぎるというのがあるのかもしれないな。
でもやっぱりどんどん意欲が湧いて、ここはこういう曲にしちゃおう、ここはこうしようっていうのが出てきちゃうものだよね。
植松:
作ってる方としてはまだ足りないんじゃないかという気もするんですよね。完成したあとに自分でやってみますよね。
そうすると、こことここの音楽変わってないやっていうところがいくつかあるんですよ。
だから作った本人は全部曲覚えてるから別に問題ないんですけど、
自分以外の一般の人にとっては多いかなとは思ってるんですけどね。
30曲に抑えようとしたんですよ。IVのときもちょっと多いと思ったんです。
今回は絞り込んでやろうと思ってたんですけど、欲が出てしまいますね。
すぎやま:
僕も曲を絞り込むときは断腸の思いでね。切る作業が大変ですよ。
前にも言ったと思うんだけど、むこうのミュージカルなんかを見ると本当に曲数少ないんだよね。
でも植松さんのやり方でいいなと思うのは、1つの曲をシーンに応じてアレンジを変えて出すケースが多いでしょう。
植松:
すきやま:
働き者なんだよ。FFVの曲は植松さんの趣味趣向がはっきり出てるから、
それがある意味でいい個性になってていいなというのがありますね。
スコットランド民謡をはじめとして、民族音楽への傾斜というのがあるでしょ。
植松:
今回そのアイルランドのリールっぽい曲を入れたのって初めてなんですけど、あれを入れますと
ユーザーの意見なんかのハガキに「アイルランド行ってきて帰ってきたらもうこれだ」というのがあるんですよ(笑)
別にアイルランドから帰ってきて、その影響受けてやってるわけじゃないんですけど。
以前から凄く民族音楽に興味がありまして、入れたかったんですけどファミコンのときとかって難しいじゃないですか。
すぎやま:
ちょっとやりにくいよね。
植松:
いつかやってやろうと思ってたんですけど、あんまり興味本位で民族音楽好きだから
入れるというのも安っぽく見えてイヤかなと思ったんですけどね。
先日、すぎやま先生がうちの職場にいらした時にお話ししたんですけど、今トルコ音楽を習いに行ってまして、
すぎやま:
植松:
日本人だったら日本の音楽ルーツとして民謡とかがあるはずだと思ってるんですよ。
日本に昔からある音楽が自分の血の中にあるはずだって自分では思ってるんですけど、
一度「雅楽(古来の宮廷音楽の総称)」の“ひちりき”(雅楽用の竹製の管楽器)を習いに行ったことがあるんです。
そうすると自分の中に流れている血というよりも、逆にそれがすごく新しい、
ブライアン・イーノのシンセサイザーの音楽に近い印象があったんですよね。
すぎやま:
笙(雅楽用の管楽器)のハーモニーなんかは音の響きが非常にシンセサイザー的な新しさがあるよね。
植松:
そうなんですよ。だからこれはものすごく面白いけど、自分にとっての血ではない気がしたんですよ。
雅楽は朝鮮からのものですけどね、そういうルーツみたいなものを考えていったら、
逆にヨーロッパの民族音楽がすごく自分にピンとくるものがあったんです。
自分にとってピンとくるものを追っかけていく方が面白いんじゃないだろうかと思って、
最近は自分が日本人だから日本古来の音楽をどうのこうのという考えはなくなってきてるんですよね。
すぎやま:
僕ら日本人で日本の文化の中で暮らしていると、いつかは三味線音楽や琴の音楽が耳に触れてるわけ。
和風喫茶やレストラン、エアラインなんかでもいつの間にか聞こえてくる。
アメリカで生まれ住んでるとそれは耳に触れないで大人になっちゃうでしょう。
僕らは耳に触れてるから、知らない間にそういう音感は身についてると思うの。
町の音楽「ミーファー」ってメロディがいくときに、もう1つの声部が「ミーミー」とそのまま引っ張って、
ミとファが平気でガチャーンと使ってるのがあるでしょう(トゥールの村などの音楽)。
植松:
バッテンなんですよね。
すぎやま:
植松さんはあれにある種の美しさを感じるからやってるわけでしょう。
で、僕も日本人だから聞いて「あ、ここいいな」と思ったんですよ。
「ソーミーファー」というのと「ソーミーミー」というところでミとファがぶつかっているのは、
西洋音楽のエフメジャーセブンの中のミとファのぶつかりの意味とは全然違う意味のミとファでしょ。
それは江戸時代の三味線や琴の音楽でしょっちゅうやってることなんだよな。
「ラファミミファミミファファミ」といってるときに、1は「ミミミ」といってミとファがぶつかってるという、
そういうテンションに美しさを感じるという江戸時代の音楽家らの伝統みたいな感覚の流れがあるんだよね。
あの部分を聞いて植松伸夫もやっぱり日本人だと思ったんですよ。
で、僕もアレをイヤだと思わずに、あぁこれいいなと感じて、僕も日本人だなと再確認したんです。
植松:
ミとファの半音でメロディと伴奏が平気でぶつかることがしばしばあるんですよね。
自分でもああぶつかってるな、クラシックの音楽のテストなら絶対にバツだなと思っても、
その響き欲しいしと思ってそのまま残すこともあるんですよ。
すぎやま:
それが間違いか間違いじゃないかというのは、感覚的にそのぶつかりが許せるかどうかなのよ。
いいと思うかどうかなのね。だから西洋音楽なんかも近代音楽以降はガンガンぷつかるでしょう。
それが前後の関係や音楽全体の姿からいって、感覚的にこれが美しいと思えるものはマルなのね。
ミとファのぶつかりあいが美しいと思える感受性があってやったものであれば間違いじゃないんだよ。
ただそれが自分一人でいいと思ってるだけで、世の中全員が気持ち悪いと思ったら
植松:
難しいですよね。音楽を学問にした人というのは、かなり強引だと思ってるんですよ。
どうやって音楽の点つけるんだろうって未だに僕思ってるんですよね。
小中学校を通して音楽というものを学校の教育に取り入れて100点取った人は偉い、
大人になって楽器を手にしなくなっちゃう人が多いんじゃないでしょうかね。
すぎやま:
音楽教育というのがどうあるべきかというものは、これはもっと考えなくてはいけない問題で、
植松:
すぎやま:
笛を吹いたことについて点数つけることよりも、笛吹く楽しさをわからせるのが大事だよね。
だからファイナルファンタジーとかドラゴンクエストの音楽というのは大事なんですよ。
植松:
ドラゴンクエストの音楽が好きになってコンサート行きますよね。
すぎやま先生なんかのコンサートはフルオーケストラでやってらっしゃるでしょう。
それはものすごい影響力だと思うんですよね。
子供がオーケストラを生で聞くチャンスが普段あるかというと、少なくとも僕は子供の頃そんな経験はしてないんですよ。
そうすると、ある意味ですごく羨ましいんですよね。小学校2-3年という頃に、N響の音が年に1回、生で聞けるわけでしょう。
すぎやま:
他のオケなんかのコンサート数えると、20-30回やってるよ。全部ドラクエじゃないにしても、1コーナーとかね。
だから、あちこちに頼まれて棒振りに行く仕事もやってます。それは大事なことだからね。
植松:
すぎやま:
しかし、いつもゲームの音楽作るときに、昔の大作曲家の作品聞くじゃない。
とてもかなわないなと思うことが多いね。
植松:
すぎやまさんがそんなこと言ったらこちらの立場はどうなるんですか(笑)
すぎやま:
昨日久しぶりにバレエ見ようと思って神奈川県民ホールに「くるみ割り人形」見に行ったの。
チャイコフスキーのド天才めって感じだよ(笑)。とんでもない天才だね。
植松:
チャイコフスキーは僕もすごく好きですね。音楽は誰が好きなんですかなんてインタビューとかであるじゃないですか。
すぎやま:
とんでもない大天才だよね、あの人は。
あの時代で20世紀の音楽家が考えて書くようなヴォイシングやってたりするわけよ。オーケストレーションのうまいこと。
植松:
この前、西田敏行がロシアに行ってチャイコフスキーの足跡を辿るという番組をテレビでやってたんですよ。
僕もチャイコフスキー好きだから見てたんですけど、チャイコフスキーはホモであるというのを聞いて、
「ああ良かった」と思ったんですよね(笑)
すきやま:
その良かったというのはどういう意味なの?
植松:
チャイコフスキーも人間だったんだなというね。ま、噂なんですけどね。
すきやま:
モーツァルトなんか完全にいってるよね。大天才でも大欠点があるという。
植松:
チャイコフスキーにしろモーツァルトにしろ、メロディが非常にわかりやすいんですよね。
クラシックって難しいから嫌いという人が多いですけど、そんなことないと思うんですよ。
すきやま:
ベートーベンとかブラームスあたりはみんなそうだよ。いいメロディもってるよ。
植松:
すぎやま:
植松:
だからドラクエなんかはオーケストラでやっても子供が聞けるんですよ。
すぎやま:
ドラクエにしてもFFにしてもメロディ大事にしてるからそこに強みがあるでしょう。
他にもFFでは民族音楽的なのがありましたな。デデンッデデンッ…てやつ(笑)
植松:
すきやま:
だからそのうちトルコも出てくるぞ(笑) FFでは吟遊詩人というジョブがあるじゃない。
吟遊詩人がマップの中のトルコやアイルランドみたいなところへ行ったりするとそこの音楽を覚えて、
それを戦闘中に唄うと何かが起こるみたいなことがあれば面白いんじゃない。
植松:
すぎやま:
増えるね(笑) でも吟遊詩人というジョブがあるから使えそうな気もするね。
植松:
一度何かに絡めてやってやろうと思ってるんですけどね。
どうしても容量がそういう余分なところまで回らないんですよ。
すぎやま:
植松:
すぎやま:
ダンジョンも違う?そんな気もしたんだけど。
植松:
いや、ダンジョンという曲は1曲しか用意してないんですよね。他で使ってるのを使いまわしてるんです。
すぎやま:
でもなんかすごく多い気がしたな。
植松:
実際多いんですよね。飛空艇は1曲ですし、チョコボは2曲だし。
すぎやま:
チョコボはまた面白いね。あの音楽と動きを見事にシンクロさせてて良かった。
植松:
あそこらへんはプログラマなんかと楽しんで作ってましたよ。
すぎやま:
植松:
ヘタクソなやつが最後はコンサートピアニストぐらいにしてくれと言われたんで、
最初はメトロノームにも合わせられないようなところから始めて、最後はドビュッシーまで弾けちゃうんですけど、
あのドビュッシーの曲(月の光)をみんなあんまり知らないんで、ガッカリしちゃったんです。
すぎやま:
グリークとかチャイコフスキーのピアノコンチェルトみたいな方がコンサートピアニストみたいな気がするからね。
植松:
そうですよね。最後のが弱かったのが残念だったな。
すぎやま:
植松:
息抜きというやつですね。でも結構一生懸命やっちゃうんで、息抜きできなくなっちゃうんですけど。
すぎやま:
作ってる本人はいいんだよ。遊ぶ方は息抜きできるんだから。植松さんはドラクエは上がったの?
植松:
実は最後のダンジョンの手前でFFVのアレンジCDの仕事に入っちゃいまして、まだなんですよ。
すぎやま:
上がってないの!?
植松:
今日までに終わらせるつもりだったんですけど。
すぎやま:
僕は対談頼まれたときに、12月中だと聞いてそれまでにFFVを終わらせる自信ないって言ってたんだけど、
元祖プロゲーマーを称してるからには面目にかけても上がろうと、しゃにむにやって上がりましたよ。
途中でやんなっちゃうゲームだと上がれないけど、やってて楽しかったから相当寝不足になりましたよ。
植松:
今回はアマチュアの勝利ですかね。スクウェアのメンツって、単独で独立して音楽で食っていけるか、
絵で食っていけるか、企画で食っていけるかという連中がまだ1人もいないんですよね。
すぎやま:
植松:
いえいえ。平均年齢がまだFFチームでいうと25ぐらいなんですよね。
すぎやま:
ドラクエチームもそうですよ。皆さん若い。僕1人だけ飛び抜けてるんだ。
植松:
結局若い、何かやってやろうという奴らが集まってるんですよね。
そいつらが泥まみれになって一緒くたになって限度知らずの頑張りをするんですよね。
全てのプロの人がそうというわけじゃないんですけど、中にはお金と割り切って仕事をする方もいらっしゃいますよね。
そうするとある程度から先の気力とか頑張りを越すというのは難しいというのがたまにあるじゃないですか。
そういうことが5のチームには無かったんですよ。
とにかく最後の最後まで、〆切のマスターを任天堂に送る朝まで、どこまでできるかということをみんながやったので、
そこらへんの適当なプロの人を集めて作っても、ああいう気合いの入った作品は出来なかったんじゃないかなと思うんですよ。
今になってやってみると、あそこをこうした方がいいというのはうのはいっぱいあるんですけど、
終わった時点ではもうこれ以上はできない、とみんなが思ってるんですよね。僕もあのときはそうでしたしね。
すぎやま:
結局世の中を見てると、FFにしてもドラクエにしてもそうだけど、
好きで好きでとことんまで頑張るという人が集まってるところのゲームがヒットしてるんだよね。
植松:
統一教会を背後に置くことで、人格攻撃的な手段に移行してるんだが、当人らは気付いて無さそうだな
しかもこれ、ネトウヨが怨敵朝鮮に操られていた、という揶揄にもなってて、「日本すげぇ」と同じようなポルノに仕上がってるんだが、最前線使い捨てのリベサ垢は飛びついてホルホルしちゃってるんだよな
これ、仕掛けてる方は入れ食いでホクホクだろうな
ここ最近、急にオタク関係の諸々を、「あれもこれもそれもどれも統一教会だったんだー、な、なんだってー」みたいな話が増えたけれど
あれ、リベサとしては、どういう効果を狙ってんのかね?
ネトウヨ(右翼)と勝手にラベリングしたうえで、統一教会(朝鮮)をちらつかせれば、きゃつばらは野党に下るに違いない
みたいな感じかね
彼らが完全に頭オカシイのは
オタクは統一教会が絡めばフェミに恭順し萌え規制を受け入れる、なんてアリエナイのに、突然統一教会とか言い出して、斜め下にオタクdisを始めた点
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/korekichi_san/status/1442819707896168449
そうそうたるお左翼様が、陰謀論よろしく「オタク=統一教会」を展開してるぜ
その口がQアノンやらJアノンやら語るんだから、へそが茶を沸かすよな
自陣営にいろいろと暴走があって、コロナで一発逆転どころかワクチンは優等生国家、野党の支持率は2桁に届かず、妄想に縋りつく位追い込まれてんのかね
その生命線である石油を外国勢力によって抑えられてしまった日本は外国勢力を打倒して奪うという選択肢を取らざる得なかったんだな。だって他の選択肢はほぼ間違いなく「今の日本」には繋がることはない選択肢であったろうから
石油は元々ほぼ全てを輸入で賄っていたから、外国勢力によって抑えられてしまったという表現はおかしい。
そもそもABCD包囲網で日本が石油禁輸となったのは、国際連盟を脱退してまでして満州事変を起こして満州国を建国したのが原因だ。満州で石油が採掘できる訳でもないから、満州など放棄すればよかったのだ。それ以前に、朝鮮や台湾の統治すら不完全だったのに、満州に攻め込んだのは無謀と言わざるを得ない。
満州は現在では中国の領土となっているので、満州を放棄して国際連盟と協調するという選択を取ったとしても「今の日本」には十分に繋がり得るであろう。
お前ら朝鮮人どもは、他所の国で悪さをしすぎた。北朝鮮拉致問題や金大中事件や統一教会、街宣右翼に朝鮮ヤクザ、パチスロといった警察との癒着は「バレなきゃセーフの精神」を体現した結果じゃないか。だから、お前たちの「上にトラップを仕掛けたら勝ちの精神」は両班制度の劣化コピーを日本に持ち込み、そして日本社会の上級国民(マスコミ、政治家、財閥、東京、早稲田、新卒一括採用)といったシステムを悪用してきた前科がある以上は、養護ができぬのだ。マスコミ共が、どう考えても「金をもらって」韓流ヘビーローテーションをやっているのに、それを明示することなく、あまつさえネトウヨという「社会的な負け組」というレッテルをはられて、哀れな「消して救済されることのない、被差別階級にされ」てなお、ネトウヨは消えないのは、あきらかに朝鮮人が日本を利用とする『用日』をしてきた過去があるからだろ。朝鮮戦争で「金儲け」したことを韓国に文句を言われる筋合いはない。なぜなら、日本が努力しなければ韓国は存在してないからだ。そして、原爆で日本を揶揄するのは、許せない。なぜなら、ヒロシマ・ナガサキがなければ、朝鮮半島に原爆を落とされていたからだ。その歴史を誤認して、アメリカを味方につけ、日本を貶めるという手法で、美味しい思いをするという手法を昨今まで続けることができたのは、両班メソッドを駆使できた環境にあるからじゃないか。そう「インターネットができる」まではな。インターネットが、朝鮮人の夢を殺してくれた。
日本が富国強兵して周辺アジアに侵攻したのは、放っておくと欧米にとられていずれ日本も欧米に植民地化されてしまうのを防ぐために周辺国を強くしようって意図だったよね。
実際、日露戦争がなければ満州はロシアにとられていただろうからその後に朝鮮→日本と占領されてもまったく不思議じゃない。
日露戦争で勝ったことは他の欧米にもかなりの牽制になったんじゃなかったっけ。
もちろんその後に関東軍が暴走したというのはあるけど、日本もイケイケドンドンの一枚岩だったわけじゃなくていろんなタイミングで日本政府はちゃんと迷っているよね。(結局関東軍の力が強くて今に至ったが)
もしこうだったら論はルックバックとつながるところもあっておもしろい。
ちょっと違えばドイツと日本がほとんどの世界を牛耳ってる世界線もなくはないのかなと。
今の中国も似ているなって思う。
以前の日本の場合は物理的に周辺国を強くして自国を防衛しようって意図だったけど今の中国は経済的な面での防衛なのかなと。
アメリカに経済制裁されるとやられてしまうから中国は周辺国(アフリカや南米)をかためて防衛しようとしている。
中国も一枚岩じゃなくて共産党内で派閥あるらしいけど粛清が一通り済んだみたいで最近は聞かなくなった。
ウイグルで問題ありだからアメリカも強く出れるけど、もし中国がまともな国だったらアメリカはどうしていたんだろうな。
プラザ合意なんてのも昔はあったが
上の記事がホッテントリに入っているが、日本が米国と開戦した理由は「既得権益を手放せなかったから」というのが一番シンプルな答えだと思う。
人間は「自分が手にしていないモノを手に入れられないこと」よりも、「自分が手にしているモノを失うこと」の方をはるかに恐れ、激烈に抵抗する生き物だ。例えば現在、韓国が実効支配している竹島を取り戻せと主張するのは右傾向の入った人が多いが、日本が実効支配する尖閣諸島を守れと主張するのは、中道や左傾向の人にも多く見られる。
第二次世界大戦の頃に日本が実効支配していた満州を世界から手放せと言われても、ハイそうですかと簡単に手放せなかった。特に朝鮮、満州は「祖先が血を流して手に入れた領土をむざむざ手放そうというのか!」という論理に抵抗することは難しかった。(※日本の開戦を正当化する意図はない)
この既得権益を手放せない問題は、日本に限らず欧米でもあった。フランスのベトナムやナイジェリア アルジェリアなどかつての植民地をなかなか手放せず、多くの血を流してようやく手放さざるをえなくなった。
「日本が米国との戦争を回避するにはどうすればよかったのか」という思考実験があるが、結局は植民地を獲得する前に戻るしかないと思う。たとえ米国との戦争を回避できても、いずれ朝鮮・満州の独立戦争で大量の血が流れるのは不可避で、より長引いて面倒な事態になる可能性もありうる。
上の記事のブコメで、日本が米国に開戦した理由を「狂っていたから」と表す人がいるが、そういう分析は感心しない。そういう思考は「当時の日本人は狂っていたから戦争したけど、今の私たちは狂っていないから戦争しない」という論理に化けてしまうからだ。
今も昔も人間の知能にそれほどの違いはない。当時の日本にも頭のいい人も冷静な人もいたはずなのに、なぜ開戦してしまったのかという観点から分析しないといけない。
既得権益への執着は現代の日本人にも、日本人以外の外国人にも存在する。既得権益への執着が問題だということを学ばないと過去の戦争の教訓を生かせないんじゃないか。
そりゃ、コリアンが勉強して理系の領域だと「本来なら約束された利益」を台無しにして、文系領域だと「医療系以外の理系だと善戦した」という非対称性があるからだよ。
思い出してくれ、1998年を。あれだけコリアンが努力したのに、LTCM といったノーベル賞受賞者たちが馬鹿な「ロシア国債はデフォルトしない」という誤認から生じた経済学の失態を、自分たちで背負わずに ASEANとかに背負わすことに成功して、ついでに韓国が IMF に朝鮮半島の戦後の成功をボッシュートされたことは懐かしい。哀れな朝鮮人は、マルキストにも国を分断された上に、資本主義者にも玩具にされたのが 1998年でした。かわいそうに。
そんなときに、日本とかいう「戦争で負けて、国は分断されず、共産主義者の防波堤にもされず、ベトコンとも戦わず、自分たちの血で儲けて、ついでに加工貿易からも撤退でアジア危機の影響は薄く、のほほんとしている、財閥は日本資産に依存して暴利を貪る」国が隣りにあったら、チャレンジしたくなるだろ。あまつさえ「サノバビッチを英雄視することで、補償を求める国」が世界中に、大韓民国という先進国水準の『国家』が生まれたのでした。