はてなキーワード: 差別的とは
何をすればいい?
俺はこう見えても年収4桁コンサルだったこともあるので、作戦立案は得意なのだが、会社が用意してくれた看板と人脈抜きでそれをやる能力は低いから詰んでしまった。
友達0で家庭内・職場内ともにムラハチぎみのおじさんにはここの難易度が非常に高い。
俺が近づくと空気清浄機がブオオオオオオオオと激アツグラボみたいな声で泣き出すから何らかの臭い物質を周囲に放射しているのは間違いないらしい。
ケトン・ワキガ・ゲオスミン・4-メチル-3-ヘキセン酸とこの世界には数多くの臭いの原因や成分があるが私はどれを発しているのか。
ネットで検索したら「Tシャツを24時間着て送りつけたら分析してくれるサービス」が1万円~3万円で存在するようだ。
だが待って欲しい。もし体臭の主成分が「後追い尿漏れジミによるアンモニア臭」だったら?上半身のチェックで意味はあるのだろうか?
まあ正直、ここまで嫌われているならたとえそれが尿漏れシッコ臭だとしても自分の上半身ぐらいはみっちり覆われているだろうから調べられそうではある。
たとえば「石鹸変えたから臭い減った?」「臭いが混ざって悪化したから死んだほうがいい」って気軽に教えてくれるようなトレーニング木偶が欲しい所だ。
コニカミノルタが一時期売っていたケトン臭チェッカーはいい線言ってたが今はもう販売中止しているらしい。
販売を辞めているということは、きっと何かが駄目だったんだろうし、類似品をアマゾンで調べるという選択肢は消える。
現状としては
・色々試しつつ周囲の反応で察する
の三択だ。
うーん。
だからって「父さんな、クサすぎて会社で虐められているから動物性タンパク質は控えたいんだ」なんて下手に口にしたらいよいよ家に居場所がなくなっちゃいそうだ。
豆乳を食生活に投入したり、ヨーグルトをよう食うとどうなるか試したりしてるが、本当に効果があるのか疑問すぎる。
アマゾンやドラストで売ってる30日3000円ぐらいの謎い体臭サプリが最近気になってきたが、単なるコンプレックス商法でほぼビタミン剤と食物繊維なんじゃねーか疑惑があって手が出ない。
聞くのか?
チョコザップやればいいっていうけど、多分俺がチョコザップいったら「凄いクサイオッサンが出没して臭すぎて辛い」ってツイッターで晒されて、数ヶ月も通ったら職場でそれが話題になっちゃう気がするんだよね。
でも家に運動するスペースはないし、かといって近所を走っても「クサイおっさんが街を走っているんだけど、あれはゾンビなのでは?」みたいな感じで都市伝説化しそう。
つうかとにかく運動したくないよ。
運動、嫌いだよ。
そもそも運動がただでさえ嫌いなのに「お前臭すぎる」って虐めてくるような奴らに媚びるために運動したくないよ。
運動したくないy-。
最大の壁はこれなんだよね。
結局さ、俺が体臭を改善したいのは「人間は他者のために生きるべきだ」って意識の高まりではなく、単に虐められたくないからだよ。
俺と話すときだけおもむろにマスクをして口呼吸を始める新卒の子とかさ、職場で大掃除する時に俺の椅子にだけファブリーズしまくる人とか、近くを通るたびに小声で「くっせえ」」と言ってくる高卒のクソガキとか、ソイツらに対して「せんせー!増田くんが可愛そうですー!」と言った所で職場全員-1VS俺になるのが目に見えてるから体臭を解決しようとしてるだけなんだよね。
テレワークとかも考えたんだけど、今の体臭で面接に行ったら「えっ・・・コミケ前には風呂に入るのに面接ではサボるんですか!?」みたいな感じで落とされそうじゃん?
嫌なんだよね。
つうか出張で汗だくの日にちょっと空いてる電車に乗ったら、俺の周りだけ人が全く近寄らないし、新しく乗ってきた大学生が「え?なんか匂わね?」「壊死おじじゃね?」とか話してて俺と目が会った直後になんかギョっとした顔してから別の車両に移ったりとかしてるのはさ、流石にもう俺だって自分が歩く公害だと認めるしかない気がしてくるわけよ。
それでもさ、体臭で人を差別するような態度を取るような奴ら、社会は気に食わないっていうかさ。
たとえば韓国からの技能実習生が「キムさんってキムチ臭すぎて一緒に働きたくないから一人で出来る仕事やらせてるよ―。教育出来てない気がするけど臭いから隔離も仕方ないよね―」とかやられてたらそれはもう流石に国際問題じゃん?いやいやその前にお前が臭い問題だよってかもうええわ
つまりね、皆でよってたかって「俺の身体と違う匂いがするお前は異常者だ。俺達は自分と違う匂いがする人間は許さないぞ」って態度をとるのが差別的なんじゃないですかってことだよ。
そしてそんな差別的なことをする奴らの言うことに従うような真似を選ぶ自分がちょっと許せないんだよね。
目先の損得勘定のために、自分達を不当に扱う連中に諂うわけだよ。
肉屋を指示する豚って奴だ。
本当にもうそれが嫌なんだよね。
だからやる気になれない。
結局のところ、「臭いが自分でわからない」「臭いを理由に差別する奴らに迎合したくない」という2つの大きな壁に阻まれて動けなくなってるわけ。
マジでどうしたらいいんだろうね。
皆が背中を押してくれたのでひとまず体臭検査キットをポチった。
体臭外来については色々ググってるうちに引っかかった概念なんだけど、正直自分でも「え?具体的にはどこ?」となってしまった奴なので、「え?なにそれ?」となった人の感覚が多分正しい。
一応誰か知ってるかも知れないからはてなの集合知を利用したのだが、思ったよりも曖昧な結果にしかならず、皮膚科のワキガチェックや精神科の自臭症チェックが混ざりあって産まれたんじゃないかなと。
保険料負担の仕組みを考えればドクターショッピングで色んな病院を渡り歩く方が結果的に安そうなんだが、低賃金ながら独身で金は割と余っているので検査キットで楽をしてしまうことにした。
ネタバラシするけど、俺が年収4桁コンサルを名乗ったのは「は?この程度のやつがコンサル?は?正論パンチで論破したろ!」という反応を引き出して情報収集チャンスを増やすための騙りだ。
コンサルなんてやったことがない普通の事務職だし、年収はくそほど残業してた頃に600万円貰ったのが最大だ。
4桁万円じゃなくて4桁なのは「数千円で草」という反応を引き出して少しでもホッテントリに入るためのフックにすぎない。
昔からワキガっぽかったのと理屈っぽかったのと清潔感が全体的に無かったぽかったのが合わせって彼女がいたことはない。
空気清浄機がブオオオオオするのは事実だし、職場でイジメられてる(ような気がする)のも事実なので、体臭についてはガチで悩んでいる。
出来れば「Tシャツ送ったけどGPTに出力させたようなレポートしか来なかった!医者に認定されてるワキガなのにワキガ成分0だったから完全に詐欺だわ!」とか「◯◯科で△△検査お願いしますと言えばええぞ。全国チェーンの〇〇クリニックがオヌヌメ」みたいな情報が欲しかったのだが、同じように悩んですでに行動に移した人はあんまいないみたいだな。
なんかみんな思ったより体臭についてガチめには悩んでないというか、「医者に行ってガチで対策するほど臭い奴なんて一部の異常者だけだし、俺は異常者ではないぞ」という感じらしく、なるほど、こういう感覚の人が沢山いるなら、俺が一部の異常者として職場で虐められているというのも精神疾患の見せる幻聴ではないのかもって気がしてきた。
というわけで、色々考えた末に行動には移せたのでこの増田を書いた目的は達成された。
内臓疾患、ワキガ手術の必要性、特殊な体質(周期麻痺起こしてる魚臭症とかの最悪オチも0じゃないからな…)、部屋がくせーんだよ、全部妄想だったのでメンタルの病院にいけ、など様々なパターンがあるが、無臭妄想オチ含めて結果さえあれば何か動けるだろ。
結果が正しいことを保証してくれるものがないのが恐ろしんだけどな…。
読み直してみると「病院行くだけでいいだろ(≒さっさと手術しろクサクサモンスター)」みたいなコメントも結構あたのですが、そういう人には同じ増田の先輩が描いたとても素晴らしい手術レポートを一読くだされ。
体臭改善というものを簡単に捉えている人は情報収集と共感能力の足りない無能なサイコパスなのです。
いや、この世界におけるあらゆる個人的な病理に対して簡単に大手術を要求するような人は全て、自分の無知に無自覚な恥ずべき人間なのでしょう。
私もまた、そういった人達の情報収集能力の低さ、つまる所は「もって産まれた頭の悪さや、情報社会への適応能力の低さ、医学知識の浅薄さ」に対して、「可哀想に大目に見てあげよう」という気持ちを持つべきなのかも知れませんね。
そうですね。
物を知らないから他人に冷酷な対応をしてしまう人は、幼いまま大人の社会に組み込まれてしまった哀れな弱者なのですから、大人の態度で許してやらねばらないのかも知れません。
私はわたしの問題を淡々と、私の中で納得のいく形で対処していき、それに対して他人がつけてくる文句に対してはあくまで他人の個人的な思い込みに基づく感情論として一歩引いて冷静に対処していくべきなのでしょう。
龍と苺の竜王戦のために読んできたが、なんか新展開はよくわからないし
MAOはAI小説みたいに生気の抜けた説明台詞だらけになったし
何よりみずぽろとかいう男臭い系ギャグ漫画がちらっと目に入るだけでも辛い
ああいうの(江頭みたいな脱ぐ芸風)、子供の頃から気持ち悪いが先だって面白いと思ったことがないけど、年を経るにしたがってますます無理になってくる。
ああいうのは腐女子(フェミ)受けが良いからだろうが、いつまでたってもポリコレにならないから困る。
見たくないものを見せるなって話では同じだろと思うんだが。
このままじゃ、ポリコレが進んだ世界は男の裸を笑う芸しかないホモソーシャル体育会系みたいな住みにくさになるだけだと思う。
というのも、結局知的な笑いは知的な人にしか作ることも理解することも出来ないから、庶民向けのギャグは必ず過激で、誰かは目を背けたくなる表現が多くなるに決まってるからね。
マジョリティ向けのエロも、差別的な笑いも、自虐すら「ポリコレ」でNGになって、「政治的に正しい過激さ」のゴールデンカムイみたいな男臭いギャグとグロばかりがはびこる世界が本当に多様だろうか。
「意見」でしかねぇし、特定者を指し示さないと意味が分からんでしょ。
被差別者は差別された状況(不利益。感情を害するのは不利益ではない)が発生しない限り、被差別者ではないのが「基本的人権」がある市民なわけ。
だけど「特定の立場」に対しての「対立的な意見」は意見に過ぎず、それが差別的と思うのは被差別者であるというところに逃げ込んだだけ、って思えるけどね。
既に誰もが「基本的人権に基づき平等」である以上、「特定の立場」をアイデンティティにして「社会に」堅牢たる居場所(ゲーテッド)を作る行為やその立場への「対立意見」が出てくるのはむしろ「健全」でしょ?
(「特定の立場」をアイデンティティ化する自体が、俺は権威的だと思うので、基本は否定する。なんでコリアの歴史は是で、日本におけるジャップの歴史は非なんだよ、バーカ(笑))
上川外相の発言「うまずして何が女性か」だけど、メディアの取り上げ方がヘンだという、当たり前のことを、
生みの苦しみという比喩として昔から成立している表現を、まさしくそのような用法で発言しているにもかかわらず、マスコミは一体なんなんだ。
候補の当選によって新たな知事を誕生させたいとの思いがあったとみられるが、出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘が出る可能性がある。
一連の報道で、とても気になったのは「XXへのへの配慮に欠けるとの指摘が出る可能性」という表現。
こうして、「出産を願ってもできない人」というグループを示唆することで、それらが何かしら傷つきやすいメンタルを持っているという、配慮を要する人々としてイメージを固定してゆくのがとても気になる。これは発言の曲解よりも根が深い。(補記:なかなか伝わりにくいかもしれないが、以下で提起している問題は、<ある表現がいかに配慮に欠けるか欠けないか>ではなく、<ある表現が配慮に欠ける>というふわっとした規範的な圧力が、社会的包摂性とか社会経済的な脆弱性の分析を置き去りにして、主に政治的に利用されることの問題点だ)
実際には、出産を願ってもできない人々というのは多様だ。みんないろんな事情があるんだよ。
単に適齢期を過ぎているだけとか、仕事と両立したいなどの理由で機会を逸している、とか、あるいはそもそもパートナーに出会えないなど、
要するに、ないものねだりをしている場合だってある。経済的な問題で躓いているひともいるはずだ。
じゃあ、逆に「出産を願ってもできない人」というカテゴリーにはそういう社会経済的弱者は入りませんよ、というのかね?
体や心の障害に起因して、ある意味、病理的な意味で、出産ができない人を指すのだと定義したりしてしまう?
そうすると、今度はむしろ、健常ならできるはずのことができない人々は悔しいと思っているに違いない、かわいそうだから、産むとかそんな言葉に触れさせないよう配慮が必要っていう、潜在意識がますます透けてくる。
でも心身の問題で出産できないというのを、自分にはいかんとしもしがたい宿命的なものして捉えた場合、
それって社会経済的な理由で出産できない場合と実際のところ、地続きだと思える。
例えば、親の介護など家庭の事情で適齢期を逃した人がいたとするよね。それってその人にとっては、自分の意思で選んだわけではなく、自分にはどうにもできなかった、そういう運命だったという意味では、病理的に出産できないという宿命とさほど変わらないようにも思うんだよね。
「出産を願ってもできない人」
産みの苦しみとかいう表現を嫌がるような、そういう配慮を要するグループがあたかも存在するかのように、それを空気のように記事するマスコミのほうが怖い。
障害者や病人ができなそうなことを比喩的にでも表現するのは彼らを傷つける行為だとする空気をまん延させることは、「そういうカテゴリーの人たちを可哀そうだと思うべきだ」とする社会規範を空気として押し付けてくることだ。
そこでは、知らず知らずに、どこまでが可哀そうなグループで、どこまでが身から出たさびとみなすグループなのかの選別が空気として形成される。
実際には、よくよく考えると、どこからどこまでが配慮を要する、などと到底割り切れるものではない。誰かを傷つけるかもしれない、と配慮することはそのイメージから漏れた人を知らず知らずに排除することでもある。その意味で、病理的な意味で出産ができない人に限定して、「出産を願ってもできない人」というイメージを作り上げるなら、それは差別的ですらある。その場の雰囲気で、発言の文脈をよく考えずに配慮を求めることで、逆に、特定のグループを過度に保護し、そのグループを弱者として固定化する結果を招きかねない。
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これなんかも、「受験生」の感受性因子(susceptibility)を過剰に捉えていて、おかしなことになっている。
「出産を願ってもできない人」なんていうふわっとしたイメージは、そもそもそんなに必要かね?
言論空間を浄化して、きれいな発言だけをすればいいというものではない。
浄化できるというのも幻想でしかなく、「女性なら生むべきだ」という固定観念を打破し社会的包摂性に配慮したつもりでいて、内実は単にステロタイプな別の固定観念が形成され、それが政治利用されることもある、ということも頭に入れておく必要があるだろう。
政治家の発言に過度な配慮が求められると、知らず知らずに本来の意図や文脈が歪められる恐れがある。
特に選挙に絡んだ発言については、妙な世論誘導に使われかねない。
自由な表現が妨げられることで、社会全体の健全な議論が損なわれることになる、ということの不利益をちゃんとマスメディアは理解しておくべきだ。
人種・性別・性的指向等による差別描写や虐殺・児童虐待等の惨い描写の是非が語られています。しかし問題は描写自体の是非ではなく、それらを「どう描いているか」ではないでしょうか?
作中でそれらを悪いもの・なくすべきものとして描いているなら、少なくとも「差別的だ」とは批判されないと思います。また、そのように社会に何かを伝える作品は必要だと考える人が多いと思います。しかし「差別は当たり前、なくす必要はない」と肯定的に描いたりネタにして嘲笑する作品は「差別的だ」と叩かれます。
たとえば、「現代の善良ホワイト企業」として描かれている会社が、強制参加の飲み会・社員旅行が当たり前にあったり仕事中の社内飲酒や長時間の時間外労働(サビ残)がまかり通るコンプラガバガバ描写があったら「え?」となりますよね?パワハラや労基法違反が肯定的に描かれているわけですから。 しかし、これが「現代のブラック企業」設定で描かれていたり、時代設定が昭和の古い話・現実からかけ離れた異世界の話として描かれているなら飲み込める人は多いと思います。
自分のことは外国人に対して差別的なことすら思わない清い人間だと思っていたが違ったわ。
通勤退勤するとき、どうしても観光スポットを通らざるを得ない。
歩いて帰っているとTシャツ短パンのTHE・観光客が4人真横に並んで正面から歩いてくる。もちろん俺が避けて通るわけだがすれ違いざまに端のクソ白人が俺に足をかける仕草をしやがった。
その瞬間は何も思わず通り過ぎたが、ぜってーこいつは俺のこと見下してたわ、つーかアジア人見下してるだろこいつと考えたらカーっと怒りが湧いてくるわけ。クソ白人がどの面下げてこの場所来てんだクソがよ、ヘコヘコしながら歩けカス。申し訳無さそうにうつむいて歩けやボケ。
俺はもう短パンTシャツの少し太り気味、短髪の白人男性に対してはあからさまに嫌な態度を取り続けるわ。たとえ違う人間でもな。どうせあいつらがアジア人の顔を判別できねえように俺も白人の顔わからねえからよ
まあどうせ明日には忘れてるだろうからいいです。みなさんもふとしたきっかけで人種やら性別やら属性やらなんやら嫌うようになるわけですね。腑に落ちました。