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2015-07-16

男の求める美人像と、女の憧れる美人って、微妙に違うよね

男ウケするのは、グラドルみたいに胸が大きくて癒し系コンサバな子

女ウケするのは、モデルみたいにオシャレでカッコイイ子か、お人形みたいに無機質な子

(もちろん例外はあるけど、傾向として)

んで、女が「女ウケする美女」に憧れてたりしてると

男は一斉に「女は嫉妬して、本当の美女(男ウケする美人)を褒めないで

まり美人じゃない女(オサレモデル美女)を誉めそやすんだろw」って揶揄するとこがあると思う

でも、男がジャニ叩きとかして、健さんとか寅さんみたいな男を褒めてたとしても

なぜか「男の嫉妬」とは揶揄されない

2015-07-09

カリオストロの城』が30年以上も前の作品とは思えない

ルパン三世 カリオストロの城

いつ見ても古くささがないと言うか

上手く言えないけど

例えば寅さんとか見るとかなり強烈なそういう時代感というか

そういうのを覚えてしまうだけど

(もちろん寅さんのそういう時代感も大好き)

あれが30年以上の作品とは思えない。

すごいなと思う。

2014-07-08

見たくもない映画を見て、読みたくもない本を読むべきか

観劇趣味とは言っても現代劇が好きでシェークスピアとか興味ないのに、見てないとなんか観劇を語れないみたいに言われて悔しい……

とかみんなあるよね。

いや、劇なんか見たことないけど。

映画が好きで……」

(なんか言われる)

「いや、邦画が主で」

(なんか言われる)

寅さんちょっと釣りバカ日誌ならテレビで……」

ちょっと否定される)

北野武座頭市くらいなら……」

(名作を押さえておけ的な発言)

ていうかね、好きな物見てたらいいよ。

人それぞれ。

2014-06-05

http://anond.hatelabo.jp/20140605123517

そう朱引線。

それ言うと、両国含めて、隅田川東側になるとすでに微妙

スカイツリーも昔の区切りだと武蔵国ギリギリのはず。少し外せば葛飾じゃないのか。

明治維新ときに、東京府ではなく品川県だった品川イメージの高さには嫉妬する。

小菅県だった柴又もうまく寅さんイメージアップしたなと思う。

俺も同じ小菅県。ようするに俺の地元イメージアップできなかったので田舎のまま残ったという俺の嫉妬の話。

話のスケールが小さいね、すまん。

2014-02-23

ネーミングの力

 90年代学校教育特に教師に対するバッシングは凄まじかった。反体制ムーブメントと共にマスコミも便乗し、その結果教育現場生活指導的な部分が過剰に規制され、体罰の禁止、テストや競走の順位付け禁止というある種いびつな現象を生んだ。

しかゼロ年代後半からモンスターペアレント」という言葉が出現し、その言葉バッシング対象を親側にスライドさせた側面は確実にあると思う。

学校側に理不尽要求をしてくる厄介な人達存在する、という事は現場では以前から認識されていたが、そういった人種を上手く言い表せる言葉がなかった為、言及のターゲットとして焦点を当てにくかった。

しかし「モンスターペアレント」という言葉が出現したことにより、その言葉の響きと人種を一括りにできる利便性からマスコミや言論の場で頻繁に使われるようになり、その結果教師バッシングを終結させ、バッシング対象を親側にスライドさせる動きとなった。

このように特徴のあるヒト、モノ、コトを一括りにできる便利なネーミングの存在は、争点をまとめやすく言及のターゲットとして焦点を当てやすくなり、言論の流れを変える力がある。

ストーカー」という言葉がある。手塚治虫の「ブラックジャック」には若きブラックジャックが思いを寄せる女医を毎夜毎夜帰り道に危険が無いように後ろからついて回っていたという描写がある。結果的に暴漢から女医を助け、「いつも見守っていてくれたのね」と女医が感動する美談としてストーリー上では語られている。当時は美談としての解釈も可能だったのだ。しかし、現代では間違いなく犯罪者いである。

本人としては善意からの行動であったとしても、「ストーカー」という言葉は単にその行動を表す言葉であるため、言葉と共に性犯罪者というイメージ勝手に付随され、女性側としては恐怖と嫌悪感対象しか無くなってしまう。「ストーカー」という言葉存在する以前は多様な解釈が可能だったのが、以後は一括りに扱われ一つの解釈しか出来なくなってしまった。

草食系男子」も大きな力を持った言葉だ。命名者の当初の意図とはニュアンスが違うそうだが、現在定着している意味は「女性積極的になれない男性全般」といったところだろう。

ハッキリ言ってこの手の男性は大昔から存在している。決して最近になって現れた兆候ではない。

男はつらいよ」での寅さんは、いくら女性から積極的に誘われたとしてもあと一歩のところで女性口説き倒してモノにすることができないウブで女々しい一面を見せているが、観客からはそこがいい、味のある男と好意的にとらえられ支持され続けていたのだ。

しかし「ストーカー」同様、現在この手の男性は「草食系男子」以降多様な解釈がされずに一括りに扱われ、「オスとしての本能を失った情けない男性」という一つの解釈しか出来なくなってしまったのである

事程左様に人々の言動の流れを変えるネーミングという大きな力。使いやすからといって安易に使用すると、魔女狩りのような悪質なレッテル貼りの一端を担ってしまう可能性がある。言葉にはそういった力を持つ場合もあるのだ、という意識は常に持っておく必要があると思う。

2013-11-06

"ダメな大人"の授業がもっと増えても良いと思う

こちら葛飾区亀有公園前派出所、つまりあれだ、ダメ警官両さん漫画だ。

こういう書き方は誤解を招くからみんな1巻から読むといいよ

んで、ラーメン屋で古い単行本を読んだ時に、ひどく記憶に残ったシーンがある。

確か、NHKともう一チャンネルしか映らないような離島で、小学校教員両さんが代行する。

さんざダメな大人について語った後に

『でも、そんなやつでも何とかなっちうから人生面白い

と続けて、教室みんなで笑う。

こういう「ダメな大人だな~」って言いながらも、それを笑えるのは、教育で出来ると思う。

両さんは紛れも無くダメな大人で、大原部長が怒り心頭で探しまわったり、島流しされたりするオチが多いけど、

次週にはしれっと現れる。

駄目だ駄目だと怒鳴られながらも、頼りにされたり、馬鹿にされたり、信頼されたりする。

そういうのを、もっとリアルな授業でもやれば良いと思う。

全国を渡り歩きながら絵本を書いて回る(但し生活費は親の脛を齧ってる)大人とか、

全国には、なんでこいつなんとか生きて行けてんだろうってダメな大人が沢山いる

芸能人で近い人を言えば、みうらじゅんとか、

将来的を考えて老後資金とか貯めてないような

まあざっくりいって「あー、大酒飲んで酔っ払って階段から落ちて死んだか。良い人生だったなあいつ」って言われるタイプの人。

そいつらは才能があるから出来るんだろ、

ってわけでもない。才能がなくてもそんな奴いっぱいいる。

幸せだったり、不幸せだったり、金があったりなかったり、

でも、大抵グダグダしながらも、税金払ってなかったり、年金ナニソレみたいなやつでも、生きてはいる。

そういう世界も、日本の中には、ある。

自分がそうだったから判るけど、人間追い詰められると視野が極端に狭くなる。

「そこ」から逃げるのに、白線の外側に踏み出すのが楽だと思う瞬間が間違いなく、ある。

いま、ベランダから外に飛び出せば、死ぬかもしれないけど、怪我すれば流石に休めるだろ、そう頭をよぎることがある。

ブラック会社なら辞めればいいじゃないかとか、いじめ自殺なら逃げても良いとか、そうじゃない。

どこに逃げて、どうすれば良いか判らない。そんな選択肢が見えない。

普通は、常識的に考えて、社会人としての責任自覚を持ったマトモな大人は、そんなことはしないと言い続けられれば、

その中にいる人間には、それが常識普通でマトモな社会人の行動なんだと思い込む。

そして、自分が出来ないのは、自分が悪いからだと、本気で思う。

そんな中で、逃げるのは許されていない。

でも、僕はあの時、ラーメン屋で読んだ両さんを思い出した。

ダメな大人が、ダメなままでも、何とかなっちうから人生面白い

そう言って笑った両さんを、豪快な笑顔を、破天荒な行動を思い出した。

そうして、僕は白線の内側に踏みとどまった。

ダメな大人でもなんとかなる。

別に会社に損害だしたって、俺には関係無い。

だって、うちの上司戦車アパート潰しに来ないしな。

そう考えて、少し笑えた。

から、ここにいる。

たとえあの回が寅さんのような回だったとしたって、

寅次郎だって、そうとうダメだ。ありえないだろ。

でも、なんだかんだいって妹のさくら寅さんを暖かく迎え入れてくれる。

男はつらいよみて酒を飲むのが好きなのは年を取ったせいかもしれないけど、

でもダメな大人が居て、ダメなことをしても、ダメなままでも生きていける程度には、日本は豊かだろう。

エリートエリートらしく働いてくれたらいい。

俺がダメなままで、ダメな大人であっても、ダメだなーって言ってくれたらいい。

そして、俺がそうだったみたいに、全国の子供達に、理想的な家庭とか道徳とかそんな話ばっかりしないで、

ダメ人間ダメなままで勤労の義務納税の義務も果たさずに好きなコトやってるのを見せてやったらいい

人生落伍者は、落伍者なりにテキトー人生を生きている。

もちろん成功して幸せな家庭を築いてくれればそれがイチバンだけど、

失敗したって適当人生なんとかなるんだよ、

そう教えてくれる授業がもっと増えても、良いと思う。

2013-11-03

売り上げを3倍に伸ばす即売会の売り子マニュアル

近所のホールでやっていた全国うまいもの市的イベントにいってきた。

デパートでよくやっているような物産展田舎にきましたよ的なものだ。

そこでほしいかどうかわからない人になんとなく買わせる気にする方法があることに気がついた。

1 目立つ

 適当な普段着を着くるお客さんとはちがって目立つ服装がいい。それだけでも確かめにくる人がいる。

 看板ディスプレイ方法も工夫の余地あり。レギュレーションの中で目立つように振舞う。

2 声かけ

 バナナ売りの寅さんのごとくの流暢な売り文句まではいらないけれども、目の前を通った人には声をかける。

 何があるのかを簡潔にアピールする。

 それだけで興味がなかった人が小間のほうに顔を向ける。なれた人だとこのまま会話に持ち込むことができる。

 「シャッチョさん!」「オジョーさん!」とか言いまくってもいい。

3 お試し

 試食が中心となる。とにかく食べさせる。感想を聞く。食べてみて、買わないと悪いなと思わせたら勝ち。

 試食品のにおいも看板になる。

伝統的な売り方なのだろうが、賑わいの中では効果的に使える技だ。

これまでの体験からするとお盆年末同人誌即売会でも使えた技だった。

島中のピコ手サークルさんはこれをやるかやらないかで売り上げが大幅に変わってくると思う。

実際、黙って座っているよりも、立ってお客さんと同じ目線キープしてしらみつぶしに声をかけると面白いほど売れた。

看板や値段や商品説明をはっきりと書いたPOP効果がある。見本誌もお試し効果が高い。

無料配布として、しおりとかラミネートで作れるグッズを配るのもよかった。

これはやっていないけど、コスプレして売るというのも目立つと思う。

コスプレできないなら、男ならスーツできめるとか、女性ならゆかたとかそんな晴れ着に近いものでもかなり効果が高いと思う。

小奇麗に目立つことが肝心だ。

ということで、売り上げを3倍に伸ばす即売会の売り子マニュアルでした。

3倍は保証できないけど、「目立つ」「声かけ」「お試し」の3つをぜひ試して、

みなさんも売り上げアップを目指してくださいねそんじゃーね

2011-08-20

【追記】「人生を楽に生きる8つの方法」は半分ウソだと思う。

人生を楽に生きる8つの方法

http://chaos2ch.com/archives/2982681.html

これを読んでいたらもやもやしてきたので書く。



4つだけは本当だということじゃない。

8つすべては「真実」に近いと思う。

実践できれば楽に生きれると思う。

それがいいとか悪いとかいう問題じゃない。

ただ、この理論だけでは結果的に不十分だとおもう。



いったいなにを欺いているのか?

この方法には2つのウソが隠されていると思う。

リンク先で語られている内容よりも

語られなかった内容に注意してほしい。




上のリンククリックした人は、それだけでかなり頭がいい。

つの方法を抜き出してみよう。


1、今に生きる

過去を悔やんでたらればを繰り返したり、起きてないことをあれこれ憂いたりするのは時間と労力の無駄遣いで非生産的

今の自分の状況や気持ちに行動原理をおく。


2、人や社会に期待をしない

求めたり「こうあるべき」とイメージを持ったりすれば、現実との差異にがっかりすることになる

基本は人生自己責任


3、他人は自己投影

自分が見ている他人は、他人という物質に反射して映った自分だと考える。

それが心地よくないものなら自分が変われば良い話


4、事象を引き寄せている(選んでいる)のは自分

その出来事を通して味わいたい思いや学びたいことがあるからそれを引き付ける。

災難ととるのではなく自分の選んだものと思って構える


5、自分がいなくても世界は回る

自分が思うより他人や社会自分を見ていない。

こうしなきゃ、こうでなきゃ、というのは自己満足であって、大抵の場合は不必要


6、ワクワクするものごとを選ぶ

自分の選択で他人が困っても、それは他人が対処すべき問題。

選択の連続人生で、自分の心がワクワクする方を正直に選ぶのが一番スムーズ。これができないと葛藤ジレンマに苦しむ


7、自分の行いは必ず帰ってくる

自分の行動は、空へ向けてボールを投げるのと同じ。

きちんと受け止めないでぶつかった時に、痛いと言って責任転嫁しようとしても事は進まない。

自分が受けたい言動をとればそのまま返ってくる。


8、物事は全て中立

「悪い出来事」「縁起の良い場所」なんてのは本当はなくて、全て中立な物事に自分意味付けをしてるだけ。

たとえば同じ場に居合わせ災害にあったとしても、ある人はたまたま見舞われたと感じるし、ある人は自分宗教の教えを遵守しなかったからと捉えるかもしれない。

自分の見方で世界が変わる。





方法自体はほとんど正しいとおもう。

ぐうの音もでない。

いろんな本を読んだり、テレビを見たり、人と話したりすれば

わりと納得できる考え方だなーと。

(というかこれがわからないとしんどい)




しかし、正しいということとそれが妥当であるということはまた別の問題だと思う。




でも、とりあえず

この方法実践することで人生が楽になる

ということはほぼ間違いないと思う。


世界じゅうの人がみんな

この方法を身につければ

きっと生きやすい世界が目の前に広がると思う。






ちょっと想像してみよう。



  • 過去のことは水に流してくれるし未来絶望しなくてもいいし(今に生きるから
  • あーしろこーしろとうるさく言われないし(人や社会に期待をしないから)
  • 相手を責める前に、まず自分の非を疑うようになるし(他人は自己投影から 以下略
  • 現状を肯定できるようになるし
  • 構ってもらえなくても大丈夫だと思えるし
  • 楽しいことを選ぶことを肯定できるし(仕事は厳しくあるべきなんてことも言わない)
  • 相手のことを慮ることが、自分をいたわることだと気付けるし
  • いいとか悪いとかい価値観に縛られなくなるし





現在あなた人生をおびやかす何者か

(親、兄弟、親戚、同級生、上司、同僚、社会のしくみ、政府日本テロリスト、なんでも)が

もし、これらの特性を身につけたならと考えてみよう。

こりゃパラダイスだ!

ぼくたちはお互いがお互いを認められるような

真に寛容な社会を実現できる!

誰と遊んでいようが楽しい

よーし!あの丘の上まで競争だ!




少なくとも2011年の今現在

これらの方法に従うことで楽に生きられると思う。





でもそれは「従うことができれば」の話。





つの方法としてまとめられた人生訓は

実際、どこの場でも目にする。

人生論」でも、「大往生」でも、「論語」でも、「エセー」でも、「徒然草」でもなんでもいい

長く広く読まれている「人生の教え」的な本を読んでると

最後にはだいたい前の8つくらいに収まる

(代わりにどっかの社長の話を聞いてもいいし、テレビ美輪明宏さんの話を聞いてもいい)。

昔の人は偉いなあと思う。




そういう感じの本はいろいろ読んだ気がする。

もちろん、まだまだ読み足りない。

なにせぼくはまだ今年から活字に触れはじめたばっかりだ。

きっと死ぬまで読んでも読み足りないのだけど

個人的には、ぼくの考えを

そういう本が「間違っている」と指摘してくれることを期待して

かばうんざりしながらもそういう本を読んでいた。




今のところ、ぼくの考えを「否定してくれる」本は見つからない。

いや、正確に言うと、否定してくれはするけども

それが納得できないのだ。

ぼくの読解能力がないだけならそれでいいんだけど

もしヒマならちょっとぼくの考えを聞いてほしい。






まず1つめのウソ

ぼくが言いたいのは

すべての人間がこれらの方法を実行するのは不可能だということだ。






古今東西のえらい人がみんな同じ結論にたどりつくなら

さっさとそれを実行すればいいのに

なんで同じ内容の本ばっかり書かれていくんだろう。

なんで大昔の本が現在ぼくらの胸に響くのかと聞かれたら

それが人間全体に広くみられる普遍的な問題だからじゃないかなあと思うけど

じゃあ、なんでその普遍的な問題が

大昔から今まで解決されないままなんだろう。




般若心経の新訳を読んだ。

あれもやっぱり8つの方法の言い換えみたいなもんだ。

聖書だってそんなに変わらないかもしれない。

ぼくらはなんで2000年も前の真理がいまだに実行できないの?






そりゃあれじゃないの?

本などの論理的なものほとんど触れないような

感覚で生きている人がすごく多いからじゃないの?






父ちゃんは「男はつらいよシリーズ」が好きで

こないだシリーズDVDツタヤで片っ端から借りてきて

大笑いしながら観ていた。



その中の一作で寅さんの「おいちゃん」が

実は若い頃は文学をやりたいと思っていたと話すシーンがある。



おいちゃんは父親にこう言われたらしい。





「団子屋に文学なんか必要ない」





男はつらいよシリーズフィクションだけれど、

しかに団子屋に文学はべつに必須ではないとおもう。

団子屋は文字より数字数字より団子が読めればいい。

団子屋が文字を読む必要がないなら、

本なんてまったく読まない人がいてもおかしくないんじゃないだろうか。





これは団子屋だけの問題か?





勉強するくらいなら技術を磨けと教えられた人は

かなり多く存在してるんじゃないのか?

それでなんの不自由もなく生きていけたなら

感覚だけで生きていくことを恥じることもない。

それどころか、論理的なことをバカにさえするかもしれない。




ぼくのお父ちゃん電気会社に勤めている。

難しいことはわからない。

バック・トゥ・ザ・フューチャーを何十回も観てるのに

なにがどうなっているのかいまだに理解できてない。

過去に戻ったり未来に行ったりすると

物語の内容がつかめなくなる。



でもそれがどうした?

父ちゃん電気会社に勤めている。

たんまり儲けている。家族を養っている。

バック・トゥ・ザ・フューチャー理屈がわからなくてもなんの不自由もない。




熱心な仏教徒

敬虔キリスト教徒のうちで

その「教え」に追随する人はいったい何人いるの?



わかりにくいな…。

例えば新興宗教信仰者なんかだと

ただ一つの「救われた経験」を足がかりにして

熱心に信仰する場合があるみたいだけど

その最初の救いを信じていたら

つのまにか犯罪者の仲間入りをしていたことだってあるみたいだ

オウム真理教の元信者のそういうエピソードを読んだことがある)。




大昔の日本の百姓のいったいどれだけが

仏教意図を理解していたんだろう。

念仏を唱えれば救われる」って

そそのかされただけじゃないのか?




文学がわからない団子屋。

バック・トゥ・ザ・フューチャーがわからないお父ちゃん

教えがわからない「熱心な」信仰者。

念仏を唱えるだけの百姓。

そういう人たちがいるかもしれないと思ったことは?




まり、ぼくが言いたいのは

人生を楽に生きる(たった)8つの方法でさえ

読めない人がいるかもしれないということだ。

読んだ人に待ち受けているのは

やるかやらないかの差でしかない。

でも、読んでない人はどうすりゃいい?

つの方法論理的にほとんど正しい気がする。

で、その論理を理解できなかったら?ほったらかし?



ぼくは8つの方法を否定したいわけじゃない。

くり返し言うけど、これらを全ての人間が理解して実践できたら

そりゃあもう素晴らしいことになるとおもう。



でも、現実はそうじゃない。

つの方法をはじめとする人生訓が何を語っているか、よりも

何を語っていないかをもっとよく考えたほうがいい。

この人生訓がなぜいいのかということを

絶望的なまでに理解できない人がいる。

そういう人たちは人生訓が提示されるたびに足場が少なくなっていく。

要するに勉強ができない、感覚で生きている人たちをないがしろにしているのだ。

このたぐいの人生訓すべてが。

掛け算までしかからない子どもに、方程式の素晴らしさを説いているようなもんだ。

上から目線で「こうしたらいいのに」と言ってしまってることになる。

いつまでも掛け算のところでつまづいて

文句ばっかり言ってる子どもはほったらかして先に授業を進めるべきなの?

掛け算のところに戻って教えなおしたほうがいいんじゃないの?




やっと言いたいことの一つが終わった。

冗長になりそうだけど

もうひとつ言いたいことがある。

更に絶望的な想定だ。






理論としては正しいのに極少数の勝ち組しかトクにならない?







さて、こんな文句をどこかで見たことがあるだろうか。

  • 時間は戻ってこない。目の前のことに集中しよう。(今に生きる 以下ry
  • 現実は甘くない。
  • 人のせいにしない。自分の態度を改めよう。
  • 自分ごまかさない。自分うそをつかない。
  • あなたがいなくても代わりはいます
  • 他人の選択で自分が困っても泣かない。
  • 責任を取りなさい。
  • 運、不運のせいにしない。





つの方法をもうちょい過激に言い換えてみた

(まちがってたら言ってください)。

なんかさぁ…

内容自体はそんなに変わらないのに

急にうっとうしくなった気がしない?



どこかで見たことあるなあ…

これどこで見たんやろう…

ああ、そうか






就活の時の企業パンフレットに載ってたわ。





「これ、うちの経営理念やわ」っていう人いる?

こういうことを上司先生や親に言われて

「だから頑張れ」で締めくくられて説教されたことある

その時どんな気分がした?

殺したくなった?

泣きたくなった?



人生を楽に生きる8つの方法

その2つめのウソにして、絶望的な想定はこれである

正義づらした誰かに強制されるのだ。

それが「楽に生きる」とは真逆の事態を連れてくる。

底辺を鼓舞搾取)するための大義名分になってしまう。

ぼくみたいなゴミクズ人間はそのことがよくわかる

(このたぐいの説教は何回も何回も聞かされているから)。

から近づきたくないのだ、こういう人生訓には。

うんざりするのだ。自己嫌悪するのだ。



この想定のたちの悪いところは

その大義名分が「間違ってない」というところだ。

誤解なら間違ってると指摘することはできるけど

これは単に曲解しかない。

各々の解釈の違いでしかない。



冒頭に述べたとおり、8つの方法

ほぼ正しいと思う。楽に生きるためならね。

え?

間違ってないなら実行できない人が無能怠惰なんだから仕方ないって?



wikipediaによると2009年の時点で日本ニート総数63万人

しかだんだん増えている。

彼らがみんな死んでしまえばいいと思うの?

賢くて強い人だけ生き残ればいいと思ってるの?

ニートだけじゃない。実際働いている人でも

これらの大義名分に苦しめられている人はいると思う

(実際これだけの説教レパートリーがあれば人格破壊するには充分すぎるとおもう)。


1つめのウソで挙げた、感覚で生きている人を合わせると

この方法に従えない人はかなり多いんじゃないかと思う

統計を出すつもりはないけど)。




1つめのウソで言及しているような

感覚で生きていて、なおかつこういう人生訓に苦しめられている代表選手

DQNとか低学歴低賃金職人とか派遣社員とかだ。


2つめのウソで言及しているような

搾取され支配され無能呼ばわりされている代表選手

ニートとかひきこもりとか普通会社員とかだ。



こういう人たちはまとめて死ぬべきなのか?

損する人のほうが多くないか



そう考えたら、「人生を楽に生きる8つの方法」が最後の答えだと思えない。

この考え方を否定してもらいたくてそういう本を読んでいた。

でも納得できない。

これでは救いにならない。

でもいつまでも状況に進展がない。

だれか否定してくれよ。

「おまえ間違ってるよ!」って。




1つめのウソについては別の解決策が見当たらないし探そうともしてないけど

(ぼくは感覚で生きる人間ではないからあまり真剣になれない)

2つめのウソはぼくにとっては生死に関わるまさに死活問題だ。

そして、その解決策をこの場で披露することを許していただきたい。




働きたくない働きたくない働きたくない

枠組みを作ろうと思う。

ぼくみたいなクズ人間ものほほんと生きていける枠組みだ。

ほとんど働かなくてもいいような枠組み。

楽観的な言い方をすると、これは収益を生み出せるかもしれない。

そうして、口やかましい人たちを黙らせる

(ぼくはこれが実現できないとリアルに死ぬしかなくなる)。

http://auauai.tumblr.com/post/9080858048

幸せものさしの種類がもっとあってもいいと言うのなら

生き方の種類だってもっとたくさんあってもいいはずだ。




これはブログでも書いてるけど

やりたいことはphaさんのギークハウス構想に似てると思う。



クズ人間を数人集めて家を借りよう。

クズ人間がお互いのクズ性を認めあう場所だ。

クズであることを糾弾されないリアル空間だ。

リア充は入っちゃいけない。怖いから。

ネットのような優しい空間であることを目指す。

優しくて閉鎖的な空間だ。

個人的にはなるべく一人でいたいんだけどそのためのコストが高い。

でも家の外にはクズ人間の敵がわんさかいる。

そういう人と連帯を組むことはしたくない。

じゃあ、ぼくが怖がらずに近づけるのは

同じ穴のムジナであるしかいない。

落伍者うつ病患者社会不適合者、怠け者…

そういう人たちととりあえずお互いを認め合う。

自信を少しずつ取り戻す。

まずはそこからだ。

だって生きていていいんだという相互理解をつくることだ。




心底、世の中に絶望していた。

人生訓の本にはそうあるべき人の生き方が載ってたけど

どれも納得できなかった。





太宰治とかの救われない小説

共感をもたらしてはくれたけど

やっぱり現実はしんどいままだった。





鴨長明吉田兼好良寛みたいに

山の中に草庵でも建てて住もうと本気で思っていた

(いまでもその選択肢を考えてる)。





いくら本を読んでも

現在の恐怖と、わずか数年後の不安を解決してくれるものすらなかった。






でも最近考え方が変わった。

それもやはり本を読んで変わった

(次に挙げるだめ連の本とはまた違う本だ)。






だめ連の本によると

一人の時に負うコストリスク労働量も精神的負荷も、

連帯すると分散される(当たり前か)。

家賃10万円の家を10人で借りたら一人1万円だ。そういうことだ。

だめ連はけっこうハチャメチャなことをやってたみたいだし

近隣の人の援助もあったらしい。

それはちょっとできるかどうかわからない。

でもぼくらにはインターネットというツールがある。

それもだめ連の時よりも更に強力に整備、普及されたものだ。



ニコニコ動画の「歌ってみた」からプロデビューする人がいたり

レゴ作って2chスレ立てるだけでプロビルダーになる人がいたり

自分の顔を毎日撮って繋げただけの動画Youtubeで何万再生もされたり

「ありがとごじゃいます」って歌って動画として公開するだけでテレビに出演できたり



要するに「好き」とか「やってみた」とかの

草の根レベルのちょっとしたアイディアを発表するだけで

負け犬から注目される人になる可能性がぐんと高くなっている。

ということは

そういうしょーもないアイディア収益化する可能性があるのだ。



リスクコストのかからなくて

ちょっとでもおもしろそうなことはなんでもやってみりゃいいのだ。

社会不適合者が集まっているということだけでもちょっとおもしろいかもしれない。



誰が許さなくても本当は関係ないんだよね。

自分が感じる心苦しさより欲求が勝てば、そっちの選択のほうがワクワクするものなはず



冒頭のまとめスレにはこんなレスもある。

心苦しさを飛び越えるほどの、欲求があればぼくらは動ける。

外にある楽しいことに手を出すのは怖いしめんどくさいけど

ネトゲくらいならちょっとやってみようかなーなんて思える。



とりあえずヒマならその家に集まってみて

生きるのに向いてない人がリラックスできる場をつくる。

なんかちょっとやる気出たり、アイディアわいてきたら

そういう人たちの「好き」とか「アイディア」を片手間でネットに発信してみる

(ぼくもいくつかアイディアがある)






奇しくもこの考え方は

人生を楽に生きる8つの方法の6つめに従ったやり方だ。

楽しいことだけを追い求めて生きていくことが可能かどうか確かめたいのだ。



収益化ができてしまえばあとはどうとでもなる。

しかし、生きるのに向いてない人がラクになれる場所

SNSでの付き合いで世界のツラさを「ごまかす」だけじゃない場所だ)

これができるだけでも意味はあると思う。



もうだから早く家借りよう。

とりあえず、ツイッターmixiメールかなんでもいいから連絡をください。

http://twitter.com/yukkun1986/

http://mixi.jp/show_profile.pl?id=25533767&from=navi

breed0902@gmail.com

ぼくは幸運なことに個人情報晒すことはあまり怖くない

(悪いことをまったくやってないってことじゃないけど)。

これが実現できないと絶望するしかない。

ぼくにとっては個人情報なんか出し惜しみしてる場合じゃない。



ぼくらクズ人間同士でつながろう。

もうイヤやねん。働きたくないねん。怖すぎるねんこの世界

たすけてくれよ。「私も怖かった」って言ってくれよ。

怖いよねー(*´・ω・`)(´・ω・`*)ネーって慰め合おうよ。

別に住まんでもいいのよ家には

慰めとか遊びとかアイディアの拠点にするねん。

もう疲れた。

もう待てない。

もう泣きたくない。

誰かが泣くのも見たくない。

ぼくが許せないのは自分と誰かが死ぬことそれだけだ。

きみは死ぬな。

どんなに腐ったような人間でもかまわんから生きてよ。

ぼくだって生きててもなんの価値もない。

それでも生きれるようにしたいのよ。

ぼくもきみも。

これがぼくらの「楽に生きるための一つの方法」じゃないかと思うんだ。




追記

コメントに返事を書く!


なげーよ。

ごめんなさい。短くしようともしてませんでした。

短く的確に書ければいいなと思います

書いていくだけでその練習になればいいななどと虫のいいことを思ってます


誰も強制してないし、できない奴を馬鹿にしてもいない。自意識過剰自分以下を眺めて満足したいだけでは?/「5. 自分がいなくても世界は回る」の「自分」は語り手を選ばないからこそ「楽」につながる

途中で途切れてしまうのでトラックバックとして書きます

2011-01-15

http://anond.hatelabo.jp/20110115230036

言い方が曖昧ですいません。

その具体的なしゃべり方というものがどういうものかわからないので質問しました

よく言われる「じゃん」「じゃね?」が気に障るという感覚はわかりますが、気取ってるととられる東京弁って具体的にどんな感じなのか

下町言葉寅さんのような例がほしいなと。

2008-10-06

[]

ベージュジャケットベージュチノパンはいたら寅さんになってしまった。

どういう色を合わせればいいんだろう・・・

2008-02-17

http://anond.hatelabo.jp/20080216211648

 これはたぶん、「相手が悪かった」のだと思いますよ。

 日本アカデミー賞投票をしている人たちのうち、

かなりの確率の人が松竹とか東宝のような所謂「メジャー会社」の関係者だって言われてます。

 だから、キネ旬とかブルーリボンとか、他の賞では評価されている作品が無視されている場合、その作品は独立系の会社制作されていることが多いです。

 あと、役者さんも、若手の人よりは、高倉健とか吉永小百合とか、メジャー会社に「専属」だった過去がある人の方が、断然有利。

 で、オダジョー氏を破って賞を獲得した吉岡秀隆氏なんですが、「専属」でこそなかったものの、松竹寅さん映画に16年間も出演していた経歴の持ち主です。たぶん、メジャー会社関係者の人たちにとって、吉岡氏はこの世代の俳優さんではほとんど唯一の「自分たちが育てた俳優」です。で、票も彼のところに流れがちになってしまうのではないでしょうか…

 吉岡氏は2年前にも主演男優賞を獲得していて、しかも、その時の作品も「三丁目の夕日」なワケで、さすがにひいきの引き倒しというか、本人も気まずそうにしていましたね。

2007-06-02

昔は寅さんみたいな雰囲気があったなぁ

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