はてなキーワード: 大元とは
べつに売りスレ住人じゃないけど
好きなアニメが売れたら「おーそうか嬉しいな、おもしろかったもんなー」ってなるよ。
二期がどうとか以前に、単純に、自分の好きなものが世間に認められたらうれしい。
「自分が面白いと思ったものが、他者にも価値があると認められる」ていう一番わかりやすい確認方法が売上だ。
これが進行すると、今度はアニメ自体よりも、「価値があると認められる」快感の方が中心になって
「売れたアニメが好きなアニメ」っていう逆転現象が起こったり、売りスレ住人になって終わらない戦いをしてたりする。
売上で追認を得られない人だと、売上以外のところに「追認」を求めて
硬派厨になったり(萌え系アニメを一段下に置くことで自分の感受性を追認する)、
高尚厨になったり(自分の好きなアニメに価値があることを理屈で説明づける)、
サブカル厨になったり(むしろ売れることは価値が低く、マイナーであることが価値であるとする)、
売りスレ住人を見下したりする。
まだ入籍はしていないけれど、結婚生活に向けて、新居で必要な生活用品を購入しているところ。
細かな生活用品は彼の了承を得て、ある程度、私が適当に買い揃えているのだけれど、
大型家電となると、彼に相談しないといけないので、勝手に買う訳にはいかない。
付き合って数年経つのだけれど、今までこれと言って大きなケンカとかをした事は無かった。
大型家電を揃える上で、案外意見が思った以上にぶつかるので、正直、ぐへぇ~ってなってる。
お互いに実家暮らし故、一人暮らしの為の家電を買った事が無いので、
そして、お互いの親からアドバイスされた事を頭に植え付けて、それがあたかも一番正しい選択の買い物であるという一直線の思考になっているので、
それがお互いに一致しないと、ぐへぇ~って感じになる。
その事を私の母親に相談すると、そういう時は相手の意見を尊重しときなさいって事らしい。
了承。
お互いに、より良い生活をする為に選択して家電を買いたいという大元は一緒だからね。
今までは全部、大型家電を買う時は私が代金を払っとくよ~と言っていたけど、
今回、とある家電の購入で意見が合わなくて、結局私が折れるカタチになる。
お金はあるけど、その分は何となく支払いたくないので、会計の時はしれ~っとしてようかなと思ってる。
今まで羽振り良く進んで私が支払ってたのに、急にそんな態度取ったら感じ悪いかしら。
私って性格悪子かしら。
二人でより良い生活を送りたいという気持ちは物凄くあるんだけど、どうしても一致しない時って
皆さんはどう折り合いを付けてるのかしら。。
個人的に、女性専用車両の痴漢撲滅に対する有用性には、議論の余地があると思う。
映画館でレディースデー実施館に対し、メンズデー実施館が極端に少ないのも事実だと思う。
仕事に関しての男尊女卑はいまもまだひどいものだとは思うし、それまで否定する人は無知だなァとは思うが、
それとはまったく別に、生活の中のちょっとした「女性優遇」に対して、
違和感や怒りを覚えてしまうのは人間としてごく普通の感覚だろうな、と思える。
女性専用車両にのりこんで乗客を論破したり、彼女や奥さんに議論を吹っ掛けて論破した話は
最近減った気がするが、一時期はずいぶんたくさん見た。
それにしても彼らはどうして、それをきちんと公的に訴えないのかが疑問である。
たとえばJRや鉄道各社に対して抗議文を発表する、女性専用車両導入による経済的損失を論じる、
映画館にメンズデー導入によるメリットを訴える。そうやって、それを「大元の企業と」議論しているという件についてはとんと聞かない。
少なくとも、「身近な女性をやりこめた」話よりずっと矮小にしか扱われていない。
たとえば家の中のルールやちょっとした職場のルールを変えたいだけならば身近な女性が攻撃対象になるのも分かるが、
企業や行政が実行しているルールについて、エンドユーザーでしかない女性を攻撃したところで
うっぷん晴らし以上の意味があるとは思えない。
日本を滅ぼす「女性優遇」とやらを「フェミ」という恐ろしい団体が勝ち取ったのだというが、
それはやはり「フェミ」が大元の企業や体制と戦ったからではないのだろうか。
「女性の抑圧された権利」に敏感なフェミ層は戦い「女性優遇」を勝ち得たというのに、
既存の問題を言葉を変えて表現しているだけに見えるし、大学で勉強してそれに気付かないのは難しいと思うので。
とか逃げだけだと後味悪いし一応分解しておく
これはマルクスがいい加減だった(というか解決できなかった)部分。後に転形問題という大論争に展開する。
大元はリカードの差額地代でええやんと思うのだが、マルクスはそれを捨ててるのでそうもいかない
※細かく言うと本当は価格と価値の話だが、根っこはそういうこと。
環境やインフラによって、人間の生産性は大きく(時には何桁というオーダーで)変わる。ってことは、それによって増えた生産物の一部を環境やインフラを整える原資を出した人が取るってのは別におかしくないんじゃない?
そこは話術で誤魔化せる部分だと思う。
嘘をつくのではなくて誤魔化す。とにかく結論は事実であるから飲み込んでもらえさえすればいい。
もちろん回転群が行列で書けるとかそんなことは一切言わなくていい。
そもそも、小学生の話だ!と言い出したのはベクトル分かってない増田の方であって、その大元の小学校算数的な掛け算順序は、数学的にも物理的にも全く間違ってる単なる会計ルールみたいなもん。
それに対して(間違ってるが)代数構造としての積の順序の話に変えたのも彼であって、それに対して俺はあくまで代数の話の範囲で反論しただけ。
そもそも論の話をするなら、代数構造的にも物理との対応的にも全く意味がない会計ルールの話をしたいなら数学の話はするべきでないんだよね。
日本における飲酒習慣の源泉の一つである茶懐石は言うに及ばす茶の湯で供される空間、料理、器、お酒、お茶、そしてそれらを通じたコミュニケーションを楽しむ場でした
庶民で言うと蕎麦屋や居酒屋もそうです「酒の肴」という言葉がありますがこれは「あて」とも「さかな」とも読みますよね
これは「酒にあてがうもの」として魚が抜群に相性が良いことから生まれた言葉です、これも酒を食べ物がひきたて、食べ物を酒がひきたてるという感性がなくては生まれないのではないでしょうか
(庶民の飲酒習慣が広がった江戸時代の日本に食材のバリエーションが少なかったこともまた事実ですが)
先にも述べましたがあなたがおっしゃるようにそうした酒に対する感性が非常に希少なものになってしまったことをとても悲しく思います。が、近年は逆に豊かなお酒を楽しむ方も増えてきていると実感しています
日本には本物の酒造りを志向する杜氏や酒造会社が数多くありますしついには世界でその高品質が認められるに至りました
洋酒でも勝沼を世界レベルのワイン醸造地とする基礎を築いた高野正誠、土屋助次郎のような人がおり、大正時代に単身スコットランドに学び、世界で名を馳せるジャパニーズ・ウイスキーを生んだ竹鶴政孝のような人がいます
そうしてそれらの酒を豊かに楽しむ飲みてもまた数多くいることも事実なのです
蛇足ですが私の職場では取引先も含めて酒の無理強いもセクハラも見られません、決してスノッブな職場ではないのですが、幸運なのでしょうね
もちろんストレス発散の如く酩酊するものは居ますが皆酒の席だからとやさしく見守っています、決して好ましいことではないですね(笑)
赤ちゃん取り違えの件を簡単に説明すると、1953年にほぼ同時に生まれた赤ちゃんを、病院側が取り違えてしまい、一方は裕福な家庭に育ち、現在では不動産会社を経営するようになった。一方は貧しい家庭に育ち現在まで大変な苦労をしてきたという話です。そこで人生を狂わされたとして、貧しい家庭で育った男性らは、病院側に約2億5000万円の損害賠償を求め、裁判所は病院側の過失を認め約3800万円の支払いを命じた、ということです。
これが取り違えることなく育っていたら、一方は楽に、一方は大変に人生を過ごすことになるだろう、と思われます。そこに起きる違いは、損する人と得する人が入れ替わるということだけです。重要な点は家庭環境が違うと、現状の制度下ではその後の人生が大きく違ってくるということと、そういった重要なことが全く偶然に決定されるということです。中世に生まれるか現代に生まれるか、障害者に生まれるか健常者に生まれるか、あるいは人の子として生まれるか、野良猫の子に生まれるかも偶然に決まります。今回の件では病院は赤ちゃんを取り違えないだろう、という期待があったため、病院側の「過失」を認め、損害賠償の支払いを裁判所が命じました。
ここで疑問に思ったことがありました。なぜ偶然に決まるものを、絶対的なものとして、現状を追認するのかと。法律的な話ではなくて単純な疑問です。訴えた男性らの大元の主張として、人生が狂わされたというのは、(偶然決まった)本来の裕福な家庭に育っていれば、こんなに苦労することはなかったという解釈ができます。つまり偶然決まる生まれつきの待遇の差を当然だと思っているんです。僕にとってこれはなんだかふわふわしています。取らぬタヌキの皮算用というか。例えるなら、私は買えば宝くじに当たるはずだったのだから、当たらなかったのは、他の誰かに当たったからであり、それはおかしいので、当たった人は私に取り分を分けるべきである、といった主張を聞いているような感じです。
大変な努力をされて成功する人もいるでしょうが、その時代、その家庭環境など無数の偶然がその人を形づくっています。決して自分だけでやってきたとおごらないで欲しいのです。
人間にはできることと、できないことがありますが、偶然きまる境遇の差を、相続という形で再生産することは、人間にとって改善する余地のないことではありません。権利を持つ人が生きている間に、何をするかはもちろん自由ですが、権利者が死んだ後、人間としてあらゆる権利を喪失した、「何か」から財産を相続することはとても正義とは思えません。
昔スピッツジャンキーだった経験を活かしてスピッツっぽい歌詞に共通点を見出したので書く。
変態エログロオナニーロック期、セカイ系開き直り媚び期、今の自分見つめなおしました&実験期、
周囲の人に感謝の正拳突き100万回期、と来て今の自分見つめなおしました二期を迎えてるスピッツである。
歌詞表現は手を変え品を変えているように見えるが、大元というか、魂というか、そういった事はあまり変わっていないように思える。
ただし、私が今から書くことはそういう透けて見える魂を炙り出す作業ではない。生温い目で見ていただければと思う。
歌詞を書くコツは下記の5つ。結構多いが、これを考えなくても出来るようになる事がマサムネへの近道だ。
【薄幸薄弱男を頑張らせる・情景描写をおぼろげにする・気付いた感を出す・倒置法・空を連想させ、飛ぶ】
以下、それぞれ解説し、最後に自分なりにこのルールに沿って歌詞を作ってみる。
・薄幸薄弱男を頑張らせる。
基本的に「君」を高嶺の花・世界の全てに据え、尚且つ「僕」は頑張る。
「君の手を離さぬように」、「恋する凡人試されてる狂った星の上」などなどが当てはまる。
・情景描写をおぼろげにする
初期から形を変えているものの、ほぼ全ての期で見られる歌詞表現である。
おぼろげな情景描写を具体的にするために、単語を使用する。
「鮮やかで短い幻」「霧雨に濡れてたら汚れた心も」の「幻」、「霧雨」が当てはまる。
・気付いた感を出す
→これが一番言葉として表すのに難しい。
自分のしていた事(主に「君」に何かしてる)に必死になりすぎて、
感情、情景が実はこうだった…ということを歌詞に盛り込んでいく。
「でもどこかブルーになってたあれは恋だった」「重い扉押し続けてた」が当てはまるが、
悩むようなら「だった」を付ければ全て解決する。
・倒置法
→書かなくてもわかると思う。
セカイ系開き直り期の中盤辺りからこの表現が出始めたと記憶している。
「愛に溢れた短い言葉をたった一つだけ」「世界中何も無かったそれ以外は」などが当てはまる。
スピッツを知らない人は「いい品お安く、安心添えて」と言えば分かるだろう。
・空を連想させ、飛ぶ
→飛ぶ。とにかくマサムネは飛ぶのだ。タイトルにもなるぐらいだ。
情景描写をおぼろげにということからしても、結局は現実逃避したいのだろう。
空の情景描写は連想させるよりも具体的に書いてよい。
「鳥になって鳥になって」「西に稲妻光る」などが当てはまる。
ちなみに自分として飛ぶ表現はクスリをやりたくて仕方がない感じと鳥になりたい感じの
さて以下が私の考えた歌詞だ。
もう逃げ出さない こらえ切れない思いかきまぜた
見上げた青空を指で縁取ってすっくと立ち上がって
気付いたこの気持ち 煙で舞い上げてしまえ」
やはり「っぽい」でしか無いことがお分かりいただけたことと思うし、いくつか使っていない。。。気がする。私はアホだ。自分で言っていて使わないなんて。
応用は苦手なため、誰か作ってみて欲しい。
※この記事は結構力作なので、ちょこちょこメンテをするつもりだ。まぁ早速不要なのが2点ぐらいある気がする。iPS細胞みたい。
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20131015/1381840117
2013年9月でテレビアニメ『ガッチャマンクラウズ』は終了したが、それに絡めて(上記URL)書かれたガッチャマンクラウズの描像に違和感を覚えたので、それをきっかけにして『ガッチャマンクラウズ』について私が考えたことを記しておきたい。尚、本稿は読者が『ガッチャマンクラウズ』を最後まで観ていることを前提に書かれている。
さて、上述したブログの筆者(以下Rootport氏)の見解を一言でまとめるなら、『ガッチャマンクラウズ』とは「社会秩序を守るタイプのヒーローが、秩序の破壊と変化を受け入れる物語」ということになるだろう。だが私は、寧ろそうでなかったからこそ『ガッチャマンクラウズ』は面白かったのであり、現代日本的ヒーロー像を書くことに成功したのではないかと考えている。つまり、『ガッチャマンクラウズ』に登場するヒーローたちは元々が「社会秩序を守るタイプのヒーロー」ではないのではないかということだ。Gメンバーは一ノ瀬はじめが加入するまで確かに襲来する宇宙人達から密かに地球を守っていたが、それは単にJ.Jの指揮下で仕事をこなしていただけであり、奉仕していたのは地球とは文字通り次元の異った高度な秩序である。社会秩序に「人間の理解すら及ばない高度な秩序」は含まないだろう。地球のガッチャマンたちがやらされていたのは全貌を見渡すことのできない「大きな」仕事の一部でしかない。それは結果として地球を守っていたのかもしれないが、積極的に「地球を守る」こととは明らかに違う。『ウルトラマン』が全宇宙的な秩序を守ると言いつつ地球準拠の正義に隷属しているのとは対称的だ。
だが、はじめが加入したことで、ガッチャマンの内実は明らかにそれまでとは異ったものとなる。敵として認識されていたMESSは無害化され、「本来は手出ししない」はずのローカルな事件へ次々と関与していくこととなるのだ。その中でGALAX開発者:爾乃美家 類と出会い、ベルク・カッツェとも関わってゆくこととなる。はじめは何を変えたのか?ガッチャマンたちの「社会秩序を守る」という規範意識か?いや、違う。彼女が齎したのは、そもそも彼らが持っていなかった視座、即ちJ.Jが体現する高度な秩序から離れたローカルな秩序への眼差しである。はじめはそれまでのGメンバーの誰もが実は見ていなかった足元に、持ち前の強引さと直観で目を向けさせた。はじめの出現とベルク・カッツェの暗躍を通して初めて彼らはローカルな秩序と結びついたのである。端的に言って、『ガッチャマンクラウズ』は「社会秩序を守るタイプのヒーローが、秩序の破壊と変化を受け入れる物語」ではない。変化を受け容れるのは神々の視座に安穏としていたヒーローたちの方で、ローカルな社会秩序=ネットはGALAXによって既に変化をはじめていた。自分たちの変化を受け容れたヒーローは、受け容れて初めてローカルな社会の変化を知りその実感を得るのである。自分が大したことないヤツだと思い知らされたからといって不貞腐れている場合ではない、自分の能力に怯えてうつうつしてる場合ではないと気づき、彼らはようやく立ち上がった。
はじめとベルク・カッツェは真逆の方向からそのことをGメンバーに知らしめる役目を負っていた。彼らはインターネットの正負両側面をそれぞれが体現していたのだ。はじめは世代や職業を越えた人々と繋がりが生むポジティヴな連帯を、ベルク・カッツェは猜疑心と加虐性を無限に増幅させて破壊を生み続けるネガティヴな連帯を象徴し、各々自らがその先頭に立つことで「流れ」を引き込もうとする。この両者は、決してバランスのとれた均衡の上で争っているのではない。はじめがネットツール:GALAXに依拠しながらもあくまで立川市内という極ローカルな連帯を核にしている一方、ベルク・カッツェはネット上にありふれた不満と破壊衝動をほんの少しつついてやるだけで、姿を見せることなく、文字通り「どこからでも」破滅の種子をばら撒くことができた。彼(彼女)が立川に拘ったのは、まさに憎むべきガッチャマンたちがそこを拠点としているからでしかない。この圧倒的に不利で不均衡に思える状況の中で、劇中唯一元来の意味でヒーロー的活躍をしていたのがはじめだ。彼女は一切ブレることのない精神の有り様でローカルな視座から遊離していたガッチャマンたちの視線を「足下」に惹きつけ、ネットの向こう側に存在する人々と結びつけた。これに対し、ベルク・カッツェは爾乃美家 類の能力:クラウズを奪ってネット内で辛うじて留まっていた憎悪と欲望を直接現実世界へと送り込んだ。両者が別々の形でネットと現実を接続させ、物語はクライマックスを迎える…
正体を明かし、それまで触れることのなかった他者を知ったガッチャマンたちは、その時はじめてヒーローになった。はじめて守りたいものを思い浮かべ、傷つきながら戦い、己の無力さを痛感するヒーローの入り口に立ったのだ。それまでの彼らは、与えられた力で全貌の知れない「高度な秩序」に奉仕するだけの傀儡だったとも言えよう。だが、各々の意志で翼を広げて立ち上がった彼らは、従うべき規範を越え、ローカルな秩序を守ることに全力を尽くす。しかし、立川を防衛するという一見ローカルな戦いは、爾乃美家類によってGALAXを通したグローバルなゲームと直接接続された。そのことによって、ローカルはグローバルな舞台となり、グローバルな力がローカルに及ぶ。暴走するクラウズとの戦闘に、Gメンバーとゲームの参加者達は勝利する…皮肉にも、そしてある意味当たり前のことだが、これはベルク・カッツェが行ったことと表裏一体である。いや、同じことだと言ってもいいだろう。彼が先に仕掛けたのは、まさに類が提案したゲームであり、参加の動機付けだけが異なっていたに過ぎない。だからこそはじめは「正義ってなんなんスかね~」と戦いの後で口遊む。彼女は理解しているのだ。理解しているからこそ、ベルク・カッツェとの対話を試みる。
ネットだけでも、人智を越えた力だけでもダメなのだ。戦いを終え、ようやく彼らは入り口に立った。ゲーミフィケーションが世界を救ったようでいて、実は違う。GALAXは、単体では無色透明なツールでしかない。そこに参加する者達がどのような動機を持っているのかによって、はじめにもカッツェにも成り得る。目指すべきは秩序を根底から覆す変革ではなく、既にある秩序の漸進的な「アップデート」なのだ。
『ガッチャマンクラウズ』は「ヒーローは最早必要なく、世界は我々の手に委ねられている」なんて呑気な話ではない。少し長く引用するが、Rootport氏によれば
『ガッチャマンクラウズ』では、誰もがスーパーヒーローに準ずるような力を手にした。『キックアス』のように「ヒーローになれるわけがない」と笑い飛ばすのではなく、ほんとうにヒーローにしてしまう。これは現実世界のメタファーと見なせるだろう。ネットが一般化して20年あまり。私たちは実際に、英雄に準ずるような力を手に入れてしまった。
名も無き個人でも、世界に影響を与えられる。匿名のままでも、世界に向けて発信できる。
ということらしい…言いたいことが沢山ある。まず、Rootport氏が言及している映画版『キック・アス』は「ヒーローになれるわけがない」と笑い飛ばしてなんかいない。力(スーパーパワーや金)のない者が現実でヒーローになろうとした時にどれだけの代償を払うのかを冷酷に示して見せている作品だ。勿論、コメディ的要素も色濃く入っているが、本質的には「力がなければ正義をなさなくても良いのか?」という問いに否を突きつけようとして、血塗れになる物語である。そして、コミック版の『キック・アス』は映画版を超え、ヒーローをある種の病気として扱い、その行き着く悲惨さと哀しさを描いてみせた。どちらもアメリカ特有のヴィジランテ文化に立脚したヒーローを解体し尽くしても尚、何が残るのかを問うている…大いに話が逸れた。話を戻すが、私達は一般化したネットによって「英雄に準じるような力」を手に入れてなんかいない。決していない。手に入れているのなら、ガッチャマンたちは必要なかっただろう。お役目御免で、そもそも出てこない。人々は手に入れた「英雄に準じるような力」でさっさとカッツェを撃退してしまえばよかったのだ。だが、それはできなかった。代わりに見せつけられたのは、匿名のままでは、名も無き個人のままではダメだということ。匿名でない誰かがインセンティブを与え、ゲームの動機付けを行わなければ動かない現実だ。匿名の誰かによって動かされたゲームが暴走し、手が付けられなくなる様だ。これは何も特別なことがわかったわけではない。ただ、ネットというツールの「当たり前」を見せられただけなのだから。『ガッチャマンクラウズ』は、寧ろ我々が「英雄に準じるような力」を手に入れたわけではないと戒めるような作品だと思っていたのだが…Rootport氏は「世界をアップデートする」をただのキャッチーな標語かなにかとして受け取ったのだろうか?
Rootport氏は細かい点(その実重要な)について気にしないのか気づかないのか、とにかくざっくりした区分けで語る傾向がある。ヒーローの系譜を何故か『マトリックス』から始め、『X-MEN』『スパイダーマン』『V for Vendetta』『まおゆう』『キック・アス』『ダークナイト』『タイガー&バニー』『サイコパス』を辿っていく。日本なの?アメリカなの?どっちなんだ。アメコミの方は何故映画ばかりで原作に言及しないのか。日本のアニメに触れるなら、何故大元の『科学忍者隊ガッチャマン』含めたヒーローアニメの系譜に触れないのか。ライダーや戦隊には何故触れないのか。その辺りが謎である。特にローカルなヒーローモノに触れないのは、『ガッチャマンクラウズ』が描いてみせた「現代日本のヒーロー像」がそれまでのものとどのように違うのかを明らかにできない点で致命的だ。寧ろ『ガッチャマンクラウズ』が彼の言うような作品なのだとしたら、『東のエデン』にこそ触れて比較すべきではないのか?…このRootport氏が諸作品を引用した部分について言いたいことはまだまだ山ほどあるのだが、虚しくなってきたのでこの辺にしておく。
これから書くのは所謂「擁護」だと言われるだろう。だから、先に書いておく。擁護だ。
内容が擁護だから、人によっては「社員乙」とか「株主乙」とか言うだろうが、オレが社員だろうが、株主だろうが関係ない。
あまりにも間違いというか、定かじゃない情報が、あたかもそれが真実のように一人歩きしている状況に、さすがにイラっとしたので、話を真ん中に戻したいと思う。
真ん中に戻した上で、さらに「いや、それでも」と責められるなら責めてもらっていい。
とにかく、この件に関してはおかしい。それ以外は知らん。それだけ。
先日もこんな記事がでた、らしい。元記事が消えて今は読めないが、タイトルがもうそのままだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/newclassic.jp/archives/1394
この言葉、すでにネットではかなり浸透しちゃってるけど、どこから始まったか覚えてる人いるかね。
元記事はこれ。といっても、これも消えちゃってる。大元は、「もう見れない、たったこれだけ」(魚拓ある人、ください)
http://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20121221/ecn1212210711004-n1.htm
元記事読めないから詳細不明だけど、引用されてる部分を読めば、これがただの伝聞で、なんの事実関係もないことがわかる。そもそもzakzakなんだから、話半分で読めよ、っていう話なのに、それが煽りたい連中にとっては耳触りがいいらしく、ボっと燃え広がった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20121221/ecn1212210711004-n1.htm
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1743243.html
確かに、キャッチーだもんね。でも、以降これがまるで事実のように扱われていく。
GREEがなにかネガティブな取り上げられ方をすると、必ず「ところで任天堂はいつ倒すんです?」なんてドヤ顔で書く連中がいつまでもいる。今もいる。引用しましょう。
http://b.hatena.ne.jp/entry/newclassic.jp/archives/1394
id:omaenoteki 「なぜグリーは任天堂を倒せると思っていたのか?」が正しい問いの立て方。 2013/10/05
id:Hiro0138 で、任天堂の倒し方は教えてくれないんだ 2013/10/02
id:u1tnk 任天堂倒せないの??? 2013/10/02
id:inden 任天堂は倒さないんですか 2013/10/02
id:negeekzion 任天堂を倒すための焦土作戦だな 2013/10/02
id:aoi_tomoyuki 任天堂社員「GREEの倒し方? 待つだけだよ」 2013/10/02
id:mellow-mikan 任天堂を倒す前に大阪オフィスを倒す 2013/10/02
http://b.hatena.ne.jp/entry/toyokeizai.net/articles/-/20710
id:hylom 「任天堂の倒し方」とかいっちゃったばかりにこの嫌われよう。 2013/10/02
id:charismanbou 任天堂は倒せなかったね。とりあえず3DSでモンハンでもやってみればいいじゃん。倒しかた知ってることと実際倒せることはまた別って分かるぞ。 2013/10/02
id:deamu 任天堂の倒し方とか言ってた人が削減人員に含まれてないか心配で夜も眠れません
id:pmakino 任天堂の倒し方知ってるんじゃなかったけか、と思ったら同じネタが激しく既出だった
http://b.hatena.ne.jp/entry/kabumatome.doorblog.jp/archives/65765316.html
id:takeim 「竹槍で任天堂を倒せ」か… 2013/09/27
id:mobojp 倒すはずだった任天堂は現場は作業着だな(社長は違う)。しおらしく見えるという対外的な意味もあったりして。"社長は背広じゃなくて、作業服でしゃかりきになって働いて!" 2013/09/27
http://b.hatena.ne.jp/entry/alfalfalfa.com/archives/6772273.html
id:dj_nama 任天堂に喧嘩売ったらアカン言うたやんか(SEGA感) 2013/09/03
id:tachiage 「任天堂よ、俺が倒すまで誰にも倒されるなよ」的展開まだあるかもよ?: ソシャゲバブル崩壊でグリー 年俸大幅カット、残業代未払い、人材流出wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 2013/09/04
id:a96neko 任天堂の倒し方を知ってる会社なのに 2013/09/04
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nikkei.com/article/DGXNASFK3002S_Q3A830C1000000/
id:honeybe 「任天堂を倒す方法」とは何だったのか。 / 「天下三年の計」という言葉がふと思い浮かんだ。もうだめぽ。 2013/09/02
id:ta-c-s news それよか任天堂を倒す方法はよぅ 2013/09/02
id:kakaon2010 任天堂の倒し方とかでヘイトスピーチ振りまいたり釣りゲーパクって問題になったり、なんか節操無いイメージだったけど、やっぱ毒を振りまけばいずれ毒は自分に帰ってくるよなぁと感慨深い。2013/09/02
id:teruyastar 「任天堂の倒し方」とか社員がいう時点で平家フラグ立ってるのに気づくべし。優秀な社員を揃えてるのだから初心に帰って面白いソフト作ればソフト屋として再生はあるかな?釣りスタがなければ今のグリーはなかったし 2013/09/02
id:tirol28 任天堂の倒し方知ってるんじゃなかったっけ? 2013/09/02
id:nekora 任天堂を倒すとか何とか言ってなかったっけか 2013/09/02
id:hati50 任天堂も最近落ち目だから、相対的には任天堂を倒しつつある。どちらも、スマホにやられ気味同士なので落ち目同士の争いだが。。ただ任天堂はタイトルは強いからなー。グリーの「三年天下」、熾烈なゲーム生存競争 2013/09/02
id:a-lex666 任天堂の倒しかたをはよ 2013/09/02
id:bit8 任天堂を倒す方法はみんなにはひみつだよ / これから長年生き抜いてきた大手ゲームメーカーと同じ立場で戦うとなるとかなりヤバイ 2013/09/03
http://b.hatena.ne.jp/entry/getnews.jp/archives/404941
id:u332 任天堂を倒す方法とやらを今こそ発揮すべきw 2013/08/27
id:hate_flag 任天堂の倒し方を知ってはいても実行できなかったようだ。まあたぶん「レベルを上げて物理で殴る」とかだったんだろ、連中の考えた任天堂の倒し方って。 2013/08/28
id:Hiro0138 あのドヤ顔で任天堂の倒し方をほざいてた人何してるんだろ? 2013/08/28
id:taka_zyawa 「任天堂の倒し方、知らないでしょ?オレらはもう知ってますよ・・・メガンテ!」 DeNA Gungho SEGA「」 /テンさんごめん!もいいな 2013/08/28
id:yajicco 任天堂の倒し方を知ってる人達、今どんな気持ち? 2013/08/28
id:konekonekoneko 任天堂の倒しかたって・・・ これじゃ共倒れにもならないよ? 2013/08/28
id:doraneko_tom 任天堂倒せるんじゃなかったのか? 2013/08/28
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.itmedia.co.jp/news/articles/1310/02/news120.html
id:amakanata 任天堂の倒し方を聞きそびれた_| ̄|○ 2013/10/02
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.release.tdnet.info/inbs/140120131002031770.pdf
id:khss_keita あれれ?任天堂倒す!とか言ってなかったっけ 2013/10/02
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1776543.html
id:ysync >>247「自分が地面に横になっていれば 立っている任天堂は倒れているように見えるというわけさ。 」なるほど!! 2013/10/02
id:mk16 グリー「これは任天堂を巻き添えにするドミノ倒しなんだよ!!!」 ΩΩΩ<ナ、ナンダッテー 2013/10/02
id:amateur2010 任天堂「ぶぶ漬けでも食べなはれ」 2013/10/02
id:biztaka 任天堂はメガンテで倒す。しばらくしたら任天堂も正社員削減を発表するんだ。きっと2013/10/02
id:era1978 グリーさ~ん早く任天堂の倒し方教えてくださいよぉ~ 2013/10/02
id:hino666 ≫ これが「任天堂の倒し方」ですか? 痛いニュース(ノ∀`) : グリー(GREE)、ついに正社員削減に着手…大阪オフィスを廃止、社員には退職を勧奨 - ライブドアブログ 2013/10/02
id:a96neko 任天堂の倒し方を使わずに自滅の方向に動いてるw 2013/10/03
id:umiusi45 「これが「任天堂の倒し方」ですか? 」「 アタリショックから学ばない馬鹿ばかりのソシャゲ業界 」
まあ、GREE側もこの話がでたあと、すぐにでも釈明すればいいものを、そのまま放置だから、こういうことになっちゃうんだと思うけどね。それこそ任天堂の日経への対処とか見習うべきだよね。それはオレもそう思うわ。
http://matome.naver.jp/odai/2133887596023833001
この程度、放置でいいと思ったのかもしれんけどね。
いつもそういう判断が弱いよね。未成年課金とかも、すぐ発表しないから印象悪い。
ま、それはいいや。