個人的に、女性専用車両の痴漢撲滅に対する有用性には、議論の余地があると思う。
映画館でレディースデー実施館に対し、メンズデー実施館が極端に少ないのも事実だと思う。
仕事に関しての男尊女卑はいまもまだひどいものだとは思うし、それまで否定する人は無知だなァとは思うが、
それとはまったく別に、生活の中のちょっとした「女性優遇」に対して、
違和感や怒りを覚えてしまうのは人間としてごく普通の感覚だろうな、と思える。
女性専用車両にのりこんで乗客を論破したり、彼女や奥さんに議論を吹っ掛けて論破した話は
最近減った気がするが、一時期はずいぶんたくさん見た。
それにしても彼らはどうして、それをきちんと公的に訴えないのかが疑問である。
たとえばJRや鉄道各社に対して抗議文を発表する、女性専用車両導入による経済的損失を論じる、
映画館にメンズデー導入によるメリットを訴える。そうやって、それを「大元の企業と」議論しているという件についてはとんと聞かない。
少なくとも、「身近な女性をやりこめた」話よりずっと矮小にしか扱われていない。
たとえば家の中のルールやちょっとした職場のルールを変えたいだけならば身近な女性が攻撃対象になるのも分かるが、
企業や行政が実行しているルールについて、エンドユーザーでしかない女性を攻撃したところで
うっぷん晴らし以上の意味があるとは思えない。
日本を滅ぼす「女性優遇」とやらを「フェミ」という恐ろしい団体が勝ち取ったのだというが、
それはやはり「フェミ」が大元の企業や体制と戦ったからではないのだろうか。
「女性の抑圧された権利」に敏感なフェミ層は戦い「女性優遇」を勝ち得たというのに、